深見東州の土曜神業録9(Vol.3)

【第二章】植松先生直伝・御魂に言って聞かせる(昭和59年11月10日)

御魂に言って聞かせる法

それでは、十一月十日、「神霊と一つになるシリーズ」パート2をお話ししたいと思います。

パート1で申し上げましたような形で、神様を待って待って、ただ単に待つのでなくて、精進努力、松心で精進努力。

一つの心を変わることなくどこまでも貫き通して、そして、神様に来ていただきました。あるいは、もう元々あるんですけれども守護神、守護霊さんもあるし、自分自身の御魂もあるんですけれども。

例えば七澤さんとか、それから坂本さんも守護神、守護霊、前世がいらっしゃるんですけれども、今度は神様が来ましたと。

それから、ではどうしたらいいんだということになるわけです。守護神、守護霊さんがいました。自分の御魂の前世もわかりました。

その後どうするか。一歩突っ込んだところのやり方を聞いてみたいんじゃないか、と私は思うんです。そこでお話ししたいと思うんですけれど、神霊と一つになるシリーズ、及び想念と観念について。

一つは、自分自身に言って聞かせる法という法があります。これは植松先生が「私、ちゃんとしなさい」と。何かブツブツプツプツひとりで植松先生が言っております。何をブツブツ言っているのか。

「私ね、ちゃんと明日忘れないようにね、自分に言っているのよ」

「ほお~!」

それは最初に、不思議な会話を見まして驚きまして、感動いたしました。はあ~、なるほどねえ、自分自身が内在するものに……。

とにかく、「明日は何時に起きてこうしなさい、ああしなさい、何とか何とか…..」としょっちゅう言っているんです。神様に言っているのかというのも、自分自身に言っている。他人様のように言うんです、自分のことを。

先週の土曜日の講義の中でお話ししたんですけど・・・・・・。自分自身の身体が神体で、体が神体であって、そこに神様がいらっしゃる。

太古はそうだった。それから、神籬、磐境になりまして、神社、仏閣ができたんですけど、太古は人間の体にご神体としてご神霊が来た。このたびも、その一番古い形で人間の体の構造がみんな神様のあれになっているんだ、身体は神体だという話をしたんです。

ですから、自分自身の体と自分自身の体の神籬に来ておられる御魂、それかぶんれいぶんこんらご神霊ですね。前に話しましたように、人間はみんなそれぞれ分霊、分魂があると。肉体の中に御魂を宿している。

それが再生転生を繰り返しまして、いろいろ積み重ねまして、九五%の脳は眠っている。五%の脳だけが生きていると言われておりますけれども、その眠っている九五%の潜在意識。

田宮さんが大好きなユング、フロイトの世界でございます。御魂は、分霊、分魂は生まれ変わり死に変わりして、意識を深く深く雪だるまのように積み重ねているわけです。

それがぱっと開きますと、ご神霊が中に来ているときの状況なんですけど。植松先生は常にそれを言っておられまして、はあ~と。ごく生活の中で体験的にご覧になったんでしょうけど、「何言っているんですか」「自分自身に言って聞かせているのよ」。

「明日何時何分に起きてね、これでこれでね、こうしなさい」と自分に言っているんです。そうしたら、「はい」って言って、明日自分がするんです。

ちゃんと何時に目が覚める。「何時何分に目が覚めて、あなたがどうだから、明日忘れないようにこうしなさい」と自分に言うと、明くる日の何時何分になったら、ぱっとそのとき自分がするんです。

いろんな言い方があります。陽明先生の「良知」、あるいは、「自己本来の面目」とか、そういうふうに言っているんですけど。ではもっと生活に密着して、現実にどう活用するのかということなんです。

哲学的、宗教的、禅学的にはお話は過去何度もしていると思うんですけど、一歩突っ込んだ、生活をどうやっていくかということについて、もう少し深くお話ししたいと思うんです。

これに一番近いお話であるのは、マーフィーの「眠りながら成功する」(板書)ですか。

こういう本がありまして、いっときアメリカでベストセラーになりました。日本でもかなり読まれていると思います。これは、マーフィーという人が、マーフィーの法則なんていいまして、フロイト、ユングなんかを勉強したんでしょうけども。

このマーフィーさんという人が、人間というのはいつ成功するかというと、寝ながら成功するんだと。

どういうことかといいますと、寝る前に、自分自身に言って聞かせるんです。イメージを浮かべまして、うまく行っていると。みんながにこにこしていると。明日の会議で揉めるんじゃないか、入学試験で答案書けないんじゃないかというように、はらはらどきどきするという時に、イメージ、常に素晴らしくなっているというイメージを浮かべる。

それが自分ができている。きっとできる。できてる、できてる。素晴らしいとき、良いときを想像しまして、自分自身、常に毎晩毎晩寝るときにそれやると、自然にそれが実現化するんだと。こういう方法であります。

眠る前の時間がベスト

眠っているときは、顕在意識と潜在意識が朦朧とします。深い眠りに入ったときというのは、顕在意識が眠っておりますので、潜在意識との接点がクリアになってくる。

だから、ふっと寝たときとか、うとうととしたときに霊障が見えたり、神様がふわっと見えたり。夢などはそういう四次元との接点ですから。B会なんかでは、夢で因縁が消されるなんて言うらしいですけど。

夢にも、霊夢、神夢、雑夢というのがありまして、神夢というのはカラーで見えます。総天然色、テクニカラー。神夢、霊夢、雑夢(板書)。

四次元との接点ですので、この神夢というのは、その接点のときに神様がお見せになる。だいたい、朝の五時から、四時、五時、六時ですね。朝方に見る場合が多いんですけど、総天然色でくっきりはっきり見えます。いつまでも忘れないんです。

これは神様が見せているんです。もう本当にくっきりはっきり見えます。植松先生は、これが多いんですけれども。

【植松先生】ほとんどそれが、くっきり……。

【深見先生】霊夢というものは、守護神とか守護霊さんとか、ご先祖さんとか、それから浮遊霊とか、たぶらかされながらね。これも、カラーの場合もあるんですけれども、白黒も多いです。

白黒か、時々はカラーの場合。高級神霊の場合はカラーで見せる場合もありますけれども、だいたいその霊が見せる。

守護霊さんとか、祖霊が見せる場合が多いです。これも、だいたい朝方が見える場合が多い。非常に象徴的なものを神夢の場合は見せるんですけど。

雑夢というのは、例えば、「ああ~」と鎖につながれていて、「助けてくれ~」なんて言って、はっと見たら、毛布がくるまっていたとか。

大きな富士山の上からうわーっと真っ逆さまに落ちたときには、ベッドから落ちていたとか。それがとにかくあんまり覚えていない。この雑夢というのはあんまり覚えていない。わけもなく一応見たと。

よくこの夢のお告げで見せる場合、特に、エドガー・ケイシーの何とかというところで、夢判断なんて言うんですけれども。霊夢、あれは守護霊が見せている場合、守護神が見せている場合があります。これは何かを教えている。

ところが、夢を見せる動物霊もおりまして、これは蛇なんです。蛇はいつも首のここにぽこっと憑きますので、よく夢を見せます。

夢でよく占いをするのは、実はだいたいミーちゃん(蛇のこと)がついているのが多いです。夢で見せるのが多いです。神夢と言いましても、蛇神、蛇の神様の場合があるわけです。まあいろいろいますけれども。

ですから、顕在意識が朦朧としますので、寝ながらする睡眠学習法ですか。

ちょうどこう眠る三十分ぐらい前ですか。その前が最も意識が敏感です。顕在意識と潜在意識の接点ですから、そのときにいろいろ聞いていると、英単語でもよく覚えている。この方法をとっているわけです。

ですから、ちょうど寝て、寝入り端のところで、一応ここのご神業・・・・・・。

これは植松先生はもう小さいころからやっているわけですけれども、寝るときに、実は今日こういうことがありまして、明日こうこうこうで…..。守護神、守護霊さんと交流する場合なんかも、この時間が一番いい。もちろん、いつでもいいんですけれども、この時間が比較的やりやすい。

発展的なイメージを広げていく

マーフィーの眠りながら成功する方法というのは、常に成功している、素晴らしくなっている像というものを、イメージで発展的に向かっていきますと、神霊界のいい霊界のイメージを出しますので、そういうものに感応するんです。

そうしていきますと、自分がそういうふうな意識の世界にいるので、そういう世界になってくる。

Sの家なんていうのは、こういう想念の転換方法とか、イマジネーションとか、深層法とか、そういうものを駆使しまして、いろいろやっているようですけれども。

とにかく常にそのように自分に言って聞かせる。最高の像、素晴らしい像。試験がすらすら書けて、それから、喧嘩しそうなときにもうまく仲よくいっている。

そういういいイメージを常に自分に出しまして、寝ながら、いつも。

ですから、結婚がちょっと遅れぎみの人は、素晴らしい理想の人と結婚している。ああ、皆さん、おめでとうございますと。一生懸命、招待状を書いて出している。

結婚式の準備が大変だなあなんて言いながら、イメージを浮かべている。ウェディングドレス、和式でも洋式でもいいですよ、両方がいいという人もいますね。

洋式、和式――おトイレみたいですけど(笑)――でやりまして、イメージを浮かべる。新婚生活をしている。そういうふうなイメージを常に描いてますと、現実化するんです。

逆に、これは想念と神霊の感応によるんですけれども、いや、こうじゃないか、ああじゃないか「幽霊をとらえてみれば枯れ尾花」と。ああじゃないか、こうじゃないか、ああじゃないか。あんまり必要以上に恐れておりますと、そういうふうなものが出てくる。

例えば、前にも言いましたように、ちょっと気に敏感な人は、あっ、キツネだ、キツネなんかに負けるもんか。また、キツネだなと。くそー、キツネなんか絶対負けるもんか。こんなの意識なんかするか。おのれキツネめ、絶対にやられるもんかと、朝から晩まで意識している(笑)。

そういう世界を常に気にしますと、動物霊と同じ世界に常にいます。だから、違ったものに心を移して、素晴らしいこと、いいことに想念を向けていきますと、それからそれへといい想念。

だから、キツネなんかに負けるもんか、蛇なんかに負けるもんかといいますと、いつもその世界にいますので、しょっちゅう仲よくなっているわけです。

自分を、ぱっと次元を変えるんですね。ですから、不平を言ったり、不満を言ったり、人の欠点ばかり見ている人は、どこまでもどこまでも欠点が見える。

霊障、霊障を見ていて、どこまでもどこまでも霊障がどこまでも見えている。御魂の世界もあるし、御魂ではない現実世界もあるわけです。次元をぱっと変えればいい。

昨日お話ししたんですけれども、食べ物を見ても、あっ、うーん、原子核の周りに電子が今日も飛んでいると(笑)。何を見ても、原子核の周りに電子が飛んでいるように見えてしまう。「今日の電子の回り方はよくない」とか。

それからもう化学反応で、何でも陰と陽だと。あっ、またプラスとマイナス。あつ、これもプラス。何でも化学反応式で見えてしまう。

最も多いのは酸性食物、アルカリ食物に凝っている人。あっ、また酸性だ。何を食べても酸性、アルカリの想念の中にいますから、あっ、少しアルカリが出し過ぎた、あっ、少し酸性が出し過ぎたと。

で、菜食主義という人は、肉食だ、菜食だ、これは肉だ、野菜だと。全部その人の想念の中は、肉か野菜かという二元論で、アルカリか酸性かということですから。

ああ、天地自然の恵みだ、肉は肉なりの良さがあり、野菜は野菜なりの良さがあるんだという。おいしーいと思って食べたら、ホルモンの分泌がよくなりまして、唾液もよく出てきまして、消化される。これは、栄養学の基本なんです。

おいしいって喜んでゆっくり食べる。どんなにアルカリ、酸性がよくって、菜食、たんぱく、ミネラルはいいんですけど、ブツブツブツブツ言いながら食べたり、怒りながら……。

まあ、怒りながらやれば、ワサビとかカラシはよく効くらしいですけども、怒りながら食べたら、いくらアルカリでビタミン、ミネラルがありましても、精神状態によって変わるんです、分泌が。ホルモンの分泌も、それから酵素の出方も違うんです。

何でもアルカリと酸性で見える人がいます。あるいは、脂身か脂身でないかという人もいたり。その特殊次元に目が合ってしまっている。

だから、何事もいいほうにいいほうに考えて、発展的に発展的に想念を向けていく。守護神さんとか守護霊さんは、何事も発展的に発展的に考えていく存在ですから。

霊界の高い次元の人は、そういう世界なんです。何事も、あっ、これはいいと。

受け取り方の違いで運勢が変わる

植松先生が前に言いました。「あのね、ある人がね、鯛をもらったのよ」と。

二人の人が鯛をもらった。だけども、その鯛を真っ二つに縦に切ってやれば平等なんでしょうけど、普通、真ん中でぽんと切ります。誰かが頭のほうをもらって、誰かがしっぽのほうをもらいます。

頭のほうの人は、あっ、これは頭になれ、いつまでも下っ端じゃなく頭になれと、そういうことだなと感謝する。

で、しっぽのほうを持っている人は、どちらかといえば、頭のほうがおいしいですよね、

魚の味としては。しっぽのほうをもらって、あっ、こんなしっぽのほうなんか、本当は頭のほうがいいんだけど、まあいいや、鯛だし、仕方ないやというふうに食べるんじゃなくて、あっ、人のしっぽになるなと。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」ということがあると。人のしっぽになっちゃいけないという教えだな、と喜んでしっぽのほうを食べる。どちらをもらっても、両方いいほうへ解釈しようと思えばできるわけです。

それからまた、よくある例として、コップの中にお水が半分入っていたと。ある人は、「あっ、まだお水、コップの中に半分入っているじゃないか。よかった」と飲む。ある人は、「あっ、お水、もう半分ないじゃないか。誰が飲んだんだ、これ。お水、半分しかないじゃないか」と文句を言っている。

コップの中にお水が半分あるという事実は変わらないんですけれども、受け取る人によりまして、「半分しかない」と言う人と、「まだ半分もある」というように違うんです。

そのように受け取り方、想念のあり方によりまして、運勢がどんどん変わってくる。守護神さんとか、守護霊さんとか、あるいは運のいい人とか、それから成功する人、運がいいから成功するんですけども、位の高い神霊とかというのは、常にそういうふうに見ている。

最悪の場合がきても、最善を信じて、どこまでも最善、最善、最善を信じていってる人は、その最善になってしまう。ああじゃないか、こうじゃないか、ああじゃないか。

今月の資金繰りは難しいから、ひょっとしたらだめかも、ひょっとして、ひょっとして、ひょっとして……。常にひょっとしての世界だから、いつもひょっとしてだめになってしまう(笑)。

だけれども、必ずよくなる、必ずよくなると信じてやっている人は、どんなピンチでも乗り越していくだけの信念の力によって、運勢はいいほうへ変えるという力。これはもう、非常に大事です。

ですから、作曲する人は、とにかくそのまま信じて、熊野本宮大社で言ったように、トロフィーをもらってる、きっとレコードが売れていると。いい曲ができたということを想像しまして、やれるんだと言って聞かせることなんです。

マーフィーの法則というのは体験上こういうふうに出たんでしょうけれども、まさに神霊界の構造から見ますと、プラスの想念、プラスの想念、惟神、「成り成り成りて成り上がる」というふうに、前に講義しましたけれども、そういう想念でなければだめです。

成りさがり、さがり、さがりでだめになってしまうというのではだめなんです。

だから、そのコップ半分のこととか、鯛のことでもそうなんですけど、いいほうに、いいほうに考えていくように、心の襞、想念の襞を作っていくことが、守護神、守護霊さんが常についているという一つの方法なんです。

守護神、守護霊は、発展的であるし、それから一つのことを失敗しても、必ず挽回する。発展的、楽天的、進歩的な霊界にいる人でなかったら、守護神、守護霊になれないです。これはもう法則です。

ですから、守護神、守護霊さんにお願いはしていても、常に過去のことをブツブツブツブツ言ってみたり、消極的に考えてみたり、マイナス的に思考する人というのは、お願いはしていても動かない。

動こうと思っても非常に動きづらい。波長が違うから。