熊野灘御来光神業での講話
平成十年十月二十四日
※平成十年十月、全国のヤングスターズ・エンゼル会(現・新青山塾)で、第一回目の選挙が実施され、各エリアの代表者が選出されました。(当時は、北海道、東北、関東、中部、関西、中四国、九州の七エリア)各エリアから、それぞれ七名(議長、副議長、コミッティー等のリーダー)が熊野に集結し、深見先生と一緒に泊まりがけのご神業が行なわれました。
第一部 ご神業としての議事運営の方法とは
「議事運営」とはいかなるものか
取りあえず、今日、議長が決まりました。
議長というのは議事の運営をするのが役割です。会長というのはリーダーシップを発揮するのが役目ですが、議長というのは、同じリーダーシップでも、議事の運営をしていくのがお役目です。
ですから、ご神業として、いろいろと勉強していく中で、副議長が、どんどんと活動をしていき、議長は客観的にみんなの意見を聞いていくという、神様でいえば、八意思兼みたいな人が議長なんですね。
だから、議長一人に副議長二人という三人体制でいくわけですが(編集部注平成十年当時)、ここで、そもそもなぜ「議長」という名前になっているのかを考えてみなければいけません。会長というのは会を治める長なのですが、議長というのは議事運営をしていくのが役割です。
三人で客観的に冷静に考えて、「それで行こうか」というかたちで、何かプロジェクトを組むとか、何かをやっていこうというときに、議長が行動隊長として責任をとるということではありません。
議長がみんなの意見を反映して、何をするかを決めていく。議長は最終的責任者としているのですが、あくまで、みんなの意見を反映して決めていくということが大切です。
布教で活動していくときには副議長がプロジェクトのリーダーになってやっていく。一応、議長と副議長として三人決めたわけですが、その中で、議事の運営にふさわしい人が議長になったらいいんです。
議長も副議長も区別なく、議長に決まった人でも、その人の方が実行的に行く場合には、実行隊長として活動すればいいですし、今回、副議長に決まった人でも、その人の方が議事運営にふさわしければ、その人が議長でもいいんです。
今回、一応は決めるわけですが、しばらくやってみて、「○○君の方がより議長としていいね」ということがわかったら、その人が議長になったらいいと思うんです。要は適材適所ですからね。
一応、議長になったのであれば、議長として勉強していく。ただし、議事運営をするときに、実行力のない人間が議長をすると「実行力がない」という世界が伝わっていってしまうので、ある程度、実行力もいるんですが、とかく実行力のある人間は「とにかくやればいいんだよ」ということになってきて、議事にならない場合が多いです。「とにかくやるんだ」「やるしかないんだ」というのでは議事になりませんから。
それぞれのプロジェクトとか、部とか、部署によって、その活動にふさわしい人が、リーダーになって、一応、責任を持ってやっていくようにする。そして、全体をやるときには、やっぱりとりまとめが上手な人が議長になってやっていったらいいと思うんです。八意思兼みたいに。
取りあえず、しばらく数ヵ月やってみて、議長と副議長として、三人いる中で三月ぐらい試行錯誤したらいいですよ。その三人のうちで、だれかが議長になったらいいわけです。しかし、議長がコロコロ変わると困るので、三ヵ月ぐらい一応やってみて、一番いい人がこれと決まったら、後はその人が、ずっと続けてやっていく。
議長の心得
基本的に、議長というのは、あんまり自分の意見を発言しないようにする。みんなが意見をいろいろと言った後に、最後に「これは議長の意見ですけど」というと、それに決まってしまいます。
議長というのは最後まで自分の意見を言わない。これが議長なんですね。意見を言いたい人間というのは議長にならない方がいいんです。議長がいろいろと言いたいときには、副議長とかコミッティーに「俺はこう思うんだけど・・・・・・」などというかたちで、あらかじめ自分の意見を言っておくようにする。
実際の議事になったら、自分の意見は、その人に言っていただいて、議長というのは自分の意見を言わないようにする。
とりまとめをして、結論を要約して、「じゃあ多数決で決めましょう。他に意見があったら言ってください」と言って促していくのが議長ですからね。
何でもかんでも、自分の意見ばかり言う人間が議長になったら、もう議事に議長のルールは、「意見を最後まで言わない」ことです。議長のコメントというのは、みんなの意見を要約したものであり、個人の意見を言ってはいけないんです。
ですから、意見をいっぱい言いたい人とか、アイデアマンというのは議長になったらだめなんです。議長のアイデアでどんどん進んでいくというのは議事ではありません。議事は、最終的に多数決で決めるようにする。
個々の活動では、実行部隊長を置けばいいわけです。それが一番いいですよ。だから、一番人気の高い、投票の多い人が議長になる必要はないんです。上位の一〇名の中で、一番議事の運営がうまい人が、議長になったらいいんです。あくまで議事の運営ですから。
それは自分の意見よりもみんなの意見をまとめて、「じゃあこうしましょう」というかたちで前向きに進めていく人、例えば関東のAさんなんかは適任です。自分の意見もあるけど、みんなの意見を聞いて、とりまとめをしていく。
文章もびしっと要約できるし、報告レポートもぴしっと明確だし、アイデアもある。それでも、最終的には自分の意見よりも、みんなのとりまとめをするというやり方に秀でている人ですから、非常に客観的でいいですね。議長らしい人です。
議長は議事運営に秀でていて、とりまとめして、自分の考えより「みんな、「どう思いますか」というふうにしていくのがいいわけなんです。だから、会長というのは無い方がいい。
例えば十人か二十人というような少人数のときに、「皆さん、どう思いますか、意見を言って」とか、自分の意見を言わないでとりまとめするといったようなことは、やらない方がいいです。そういう場合は、会長というのがいて、「みんな行こう」というかたちがふさわしい。
一般的に、大体六人のチームというのが一番掌握しやすいんですね。一番最小限のまとまりがあるのが、六人チームです。しかし、六人で多数決をしたら、三人と三人で割れてしまうので、五人とか七人という、二で割れない数の方が多数決ができます。ですから、取締役会とかコミッティーの数は、二で割り切れない数にしておかないといけません。多数決で、僅少差でどちらかに決まるというふうにしておかないと、意見が真っ二つに割れたときは決まらないからです。
六十人の壁
議長というのは、意見を言わない。議事運営の長である。数が百人、二百人になってきたらそうしていかないとだめです。国会でも衆議院議長は意見を言いませんから。
だから少人数で六人とか十人とか、多くても十五から十六人ぐらいで行くときには、会長がいて、リーダーシップをとってガンガン行けばいい。
中小企業でも、十人とか二十人とか、最大でも三十人ぐらいまでの規模のときは、九九%の企業が、社長が商売上手でガンガン引っ張っていくというかたちでうまくいきます。三十人までそれで行けるんです。
ところが、六十人という一つの壁があって、商工リサーチや帝国データバンクの調査によると、順調に大きくなって一番倒産する会社というのは、従業員の数が六十人前後の会社なんです。順調に大きくなって従業員の数が六十人というのは、一番倒産率が高いわけです。
それは、六十人ぐらいの規模というのが、小にも徹しきれず、大にも徹しきれないからなんです。十人とか二十人というのは小回りが利くので、細やかなサービスで、大手とか中堅の足りない部分がやれるから、小は小で成り立つんですが、六十人というのは、一人の社長が細かいところまで見ていける限界の数なんです。
だから、小規模のよさであった細やかさが活きないので、サービスがずさんになってしまう。その結果、他の大手に行くか、もっと小さいところに行くということになり、つぶれる率が高くなる。
「六十人以上の従業員数を抱えていく」「小企業から中企業への脱皮」という段階になってきたとき、もう一人、六十人ぐらいの人間を管理できるリーダーシップのある人間がその会社にいたら、社員数が百人、二百人と増えていくんですね。
だから、順調に大きくなっていく段階には、六十人という一つの規模の壁があるわけです。五~六人、まあ六人単位で行くとき、多くても三十人ぐらいまでは、そのリーダーのリーダーシップで「それ行け」とやっていっても、うまくいくのですが、それ以上になってくると、そのやり方ではうまくいかなくなります。
人それぞれ、いろいろな意見がありますから。三十人までは「それ行け」というかたちでやることができても、
「いや、それはちょっとどうなのかな」
「もうちょっと、みんなの意見も聞いた方がいい」
「いや、俺はこう思うんだ」
となってきて、みんなの共通の意見の一致が見られなくなるわけです。
それは規模の問題なんです。規模が大きくなったら、大きくなったように頭を切り替えなければいけません。
だから、五~六人で運営しているときに、議長をおいて、議事録をとってうんぬんというのは面倒くさい話で、一緒にご飯でも食べながら「うん、それで行こうか」で済むわけですが、三十人を超えた段階になると、そのやり方では運営できなくなってしまうんです。
議長に必要なチェアマンシップとは
議長を決め、副議長を決め、みんなの意見を聞いていく。議題の中で自分の考えている意見があったら、それをあらかじめ他の人に言っておいて、その人に言ってもらう。自分のアイデアがあっても言わないで、みんなの意見をまとめて言う。意見やアイデアが言いたいのであれば、議長を外れることです。それでも、どうしても意見が言いたいというときには、最初の方に言うことです。みんなの意見を聞いてから、一番最後に言ってしまうと、その人の意見が結論になりがちです。
それでは民主的にやっているようでいて、結局、規模が小さかったころと同じやり方になってしまいます。ですから、議長が意見を言うというのは、基本的になしと考えた方がいいです。これが議長のチェアマンシップですね。議長というのはチェアマンですから。
だから
一、論理的に知的な流れで要約していく
二、みんなの意見を上手に出していく
というのが議長の役割です。
投票の一番多かった人が議長になるとしてしまうと、やりにくくなりますからね。実行力がある人間というのは、やっぱりそれぞれの活動の実行部隊長としてやっていけばいいんです。
議長というのは、あくまで議事運営のときの長だからチェアマンシップがとれればいいわけです。それぞれの活動の中では、それぞれのリーダーがいると、いうかたちをとる。そういうようにしないと百人以上の組織というのはまかなえないはずです。組織が大きくなって、六十人前後の規模になってくると必ずその軋轢が出てきます。
ですから、当初のように、支部が小さいときや、青山塾でも少人数でちょこちょこやっていたときには、それぞれの地区や組織の会長というのでよかったんです。
しかし、人数が増えてきて、いろいろな意見が出てくるようになると、「それがいい」という人がいたり、「そのやり方は……」という人も出てきて、会長がリーダーシップをとってやっていくというやり方に行き詰まりが出てきます。そういう時期が来たので、やり方を切り替えたわけです。
そこの違いを頭に入れておかないといけません。投票が一番多い人が議長になるのではなく、議事運営に適した人がなればいいわけです。だから、上位十名に入っている人の中から一番ふさわしい人を選べばいいんです。
投票で選ぶことの問題点
投票というのは、みんなが名前も顔も知っているという人に票が行く傾向があります。だから、実際には、議事運営で本当にまとめ方が上手な人がいる場合でも、その人があまり出しゃばらないで謙虚にしていると、有権者が投票しないときがある。「この人が能力があって一番いいのにな」という人でも、五~六票しかなかった場合にどうしたらいいのか。
やはり適切な人が運営するのが一番いいわけですから、そういう場合は私に言ってくだされば、「深見先生特別のご推薦」ということでふさわしい人を私が推薦いたします。みんなにとって、ベストだったら、一番いいわけです。民主的なやり方というのが、一番ベターな場合が多いんだけど、お互いの名前と顔を知らない場合、投票という方法は問題がある。
また、名前と顔は知っていて信頼はできる人なんだけど、議長をやってみたら、もう自分の意見ばかり言ったり、最初言ったことを忘れてしまったり、とりまとめができなくて、何を言っているか本人もわからない、みんなもわからなくなって、ぐじゃぐじゃになってしまうという場合もあります。それでも「一番投票が多いから」ということで選ばれたんだけど、いつもぐちゃぐちゃというかたちのエリアになってしまったら不幸ですよね。
そういう場合は、投票は少なかったけれども、みんなの経験上、「彼がいつも一番とりまとめが上手で、自分の意見も言うけど、みんなの意見をとりまとめて人望があっていいな」という人がいたら、みんなが推薦したらいいわけです。「この人は、票数は少なかったけど、いいんじゃないか」と。
そうやって、何人かを言ってくだされば、その組織にとって、議事をとりまとめていくうえで、その人がベストな人ですから。投票や選挙というものの問題点が回避されるわけです。
このようにして、ベストな方法、例外的措置をつくっていったらいいんですね。「民主的運営のために、民主的な方法を」というんだけれども、そのために適材適所にならないと困るわけでしょう。
一応、みんなが選んだ人の中から優先的に決めていくというのが、一番大事なんですが、みんなの投票といっても、そういう問題点があるわけです。
そういうことで、一応、先ほど決めた議長と副議長の中で、だれが一番、議長にふさわしいのかを、もう一度考え直してほしいわけです。
わからなかったら、とりあえずやってみて、この方がよりいいんじゃないかと思ったら、役割を変えてみて、また三月ぐらい様子を見る。
だれが見ても適切とは思わないんだけど、本人がそう信じているという場合は、私に言っていただければ、「君ねえ」と言ってあげます。やっぱり元老がいるとうまくいくんですね。その後で、次の選挙のときに投票しなかったらいいだけですから。世の中には思い込みの激しい人もいます。だから、民主的なのが必ずしもいいとは限らないんです。
その組織にとって、みんなにとって、ベストが一番ですからね。民主的な運営のために、民主的なものをやるわけじゃない。その組織やみんなにとって、ベストにするために、何がいいかと考えなければいけません。
それでも、暗い人はだめです。顔だけはいつも明るくニコニコしている人。ただ、さっきも言ったように、まとめができる人がいいです。
明るいだけで、議事がまとまらないとか、まとめるのはいいんだけど暗いとか、ベストな人がいなければ、よりベターだという人を選ぶ。ベターな人を選んで、その人に議事運営の勉強をしていただく。
それにはどうしたらいいかというと、毎回、「ちゃんとした議長のやり方が勉強できますように」とお祈りをする。そして、毎回、どうだったんだろうかと反省を踏まえて、「ああいう言い方はよくないから、今度はこういうふうに言ってみよう」というように、議事運営が回を追うごとに上手になっていったらいいんです。
ベストがいなければベターを選んで、勉強していただく。考えたら簡単なことなんです。「これはという人がいないんです」というなら、ベターな人を選んで勉強していただくしかないですよね。当たり前のことなんだけど、言わないとわからない人が多いんです。
ご神業的なミーティングの進め方とは
そういうことで、議長というものは意見を言わないのが原則です。少人数の場合は、会長的要素が少しぐらいあっても仕方がないのですが、数が多くなってきた場合には、そういう運営の仕方を研究していかないとできません。どうしたらいいかということを考え、試行錯誤しながら、やっていったらいいんです。
その場合、毎回毎回、お祈りをして、運営するプロセスの中も神様とともに行くということが大切です。要するに、ディスカッションしたらいけません。
巷の組織の運営方法と、ご神業との違いは、まず「会議をしちゃいかん」「ミーティングをしちゃいかん」ということなんです。
会議とかミーティングというのは組織の知性であり、組織の知性の働きなんですが、その組織の知性の働きを、霊性と霊覚でやるようにする。
だから人間の知性なんですが、そこに神懸かったものが、ご神業の組織の知性なんです。一般的な方法と私たちのやり方の違いは何かといえば、お互い、話し合う前に、事前によくお祈りをする。会議やミーティングをせず、ご神業をするということです。
ご神業とは何か。よくお祈りをして、
「みんなにとって一番いいような結論が出ますように」
「お互いが喜んで和気あいあいとして盛り上がりますように」
「神様の目から見ても、みんなから見ても、最終的に一番いい結果が出ますように」と、祈りを捧げてやる話し合いです。
そうやって祈りながらやっていると、自分の意見でも、そこに神様がお懸かりになって、なんだか知らないうちに、最後に呼吸が一致する時がきます。
まるで化学的結合があるかのごとく、「ああ、じゃあそうしよう」「いいね、じゃあそうしよう」というように、腹におさまるというか、ご神業用語でいう「腑に落ちる」という瞬間があります。その瞬間までやるわけです。
「ああでもないわ、こうでもないわ」と喧々囂々の議論になってしまったときには、「ちょっとやめよう」というかたちで休憩をとる。そして、その間にお祈りをして、もう一回やり直す。
お互いが「なるほど、じゃあそうしよう」というように、「腑に落ちる」というのが一番いいまとめ方なんです。
見たところはミーティング、見たところは会議のようでも、会議でもない、ミーティングでもない、ご神業をする。
お祈りをよくして、自分の意見を言いながらでも神懸かり、なんだか知らないうちに、みんなが「こうしよう」と、一致団結して決まったというのがいいんです。
これがご神業的な進め方だから、やればやるほど盛り上がっていき、やればやるほど発展的で、自分たちが思いも付かなかったようなアイデアが次々次々と出てくる。これがご神業における議事だし、ミーティングなんですね。
仕事がよくできる人の「落とし穴」
仕事がよくできる人、会社で成功している人というのは、しばらく一生懸命やっていると、夢中になってきて、話しているうちに職場の自分が出てきます。
仕事があまりよくできない人は、いつも祈っていますから、非常に神懸かって和気あいあいといくのですが、仕事がよくできる人は、職場で部下に指示したり、会議したり、ミーティングしたりするときの自分が出てきてしまう。
そうすると、お祈りをしてやっていたはずが、知らないうちに、だんだんと「僕はこう思うよ」というかたちで、本人は神懸かっていると思っていても、我が出ている場合があります。
仕事がよくできる人ほど、だんだんとやっている途中で、人間の知性が動く。その人の固い頭が動いてくることによって、だんだんみんな盛り下がってきます。それが、仕事がよくできて実力のある人間の落とし穴なんですね。
どうしたら仕事がよくできる人間も、お話に夢中になりながらでも仕事の感覚にならないかというと、お話ししながら胸で祈っていればいいんです。
これを「ウルトラマンの秘技」というんですが、
「どうぞ、みんなが一番よくなりますように」
「みんなにとって一番いい結論が出ますように」
「みんな、心から喜んで、発展していく方向になりますように」と胸で祈りながら、その胸の祈りの上に言葉が出ていくようにする。救霊師や九頭龍師に、私がいつも言っているやり方と同じです。
ミーティングも会議も、ミーティングじゃなく会議じゃなくご神業なんですが、仕事がよくできる人間ほど、胸で愛念を出しながら、救霊や九頭龍の法をお取り次ぎするのと同じようにやるわけです。
そうすると、神懸かった状態で、ずっと言葉が出てくるから、みんなの心の中に、「ああ、そうだな」「すばらしいな」と思う気持ちが広がり、自分が考えも付かなかったような良い叡智がわいてくるんですよ。これがミーティングであってミーティングじゃない、会議であって会議じゃない、神人合一した運営ということなんです。
それが、まともに知的な討論をしてしまうと、知性で仕事をやっている人間は「俺はこうだ」となってくる。それを受けて「俺もこう思う」「俺もこうだ」と知性、知性、知性となってしまう。知性が、叡智、神智になっていかなければだめなんです。
そのためにはどうしたらいいかというと、知的討論の場になってしまってはいけません。必ず胸の「よかれ」という波動が先に立って、言葉が後に乗っていくようにする。
また、会社で仕事ができている人間の落とし穴に陥らないためには、議事運営のもう一つの約束事として、「新しい意見は絶対に反対してはいけない」というのがあります。
「ああ、それもいいね。でも、これはもっといいんじゃないの」という具合に、アイデアとか意見というのは、真っ向から「それはだめだよ」というように否定しない。
「それもいいね。でも、この方がよりいいんじゃないの」というように進めていく。これは知性のバトルではないんです。何かというと「言霊の誓約」なんです。神様と神様の間では、知性のバトルをせずに、短歌のやり取りがなされている。
伊邪那岐、伊邪那美の「あなにやしえおとめ」「あなにやしえをとこ」のように、
「ああ、それはおもしろいね」
「それはいいアイデアだね」
「やってみたらいいだろうね」
「おもしろいね。でも、こういうのもおもしろいんじゃないの」
「あっ、それもおもしろいね」といった具合に、いろいろとおもしろいのがたくさん出てきて、どうしようかなと言っている。
いろいろと話してみて、人の意見をもり立てていく。そうやってもり立てていくかたちのミーティングとか会議では、少なくとも否定的な言葉を出さないようにする。
ある程度、知的討論がいる場合でも、胸の愛念を出しながらでないと、だんだん泥仕合になっていって盛り下がってきます。
そういう場合、議長はいったん中止して、「祈り直ししましょう。知的討論の場になってしまってますし、職場みたいになって盛り下がってきましたから」ということで、もう一回、「ミーティングはミーティングじゃない。会議は会議じゃない。ご神業なんだ」と、お互い祈り合わせをして、「言霊の誓約」をしていく。
なるべく新しい意見を頭ごなしに否定しないようにして、否定的言葉を少なくしていく。「アイデアをもり立てていくようにしましょうよ」というように持っていくわけです。そうすると、「そうだね」と、みんなが意見を出し合っていくので、ますます盛り上がって、「あれもやろう」「これもやろう」というようになるわけです。
「レッツ~(Let’s~)」の発想
必ず、話し合いの場では、一人称、二人称、三人称を使わないようにして、「誓約」を行う。
「私たちはこうじゃないでしょうか」という言い方をするようにして、「あなたはこうだから、こうだ」という言い方をしない。
「私たちはこうじゃないでしょうか」
「私たちはこうすべきじゃないでしょうか」
「私たちはこうしましょうよ」
というように、必ず「レッツ~(Let’s~)」でなければいけません。
必ず、「私たちは」という言葉を使うようにして、「レッツ~(Let’s~)」=「しましょうよ」という言葉でやっていくと、連帯感が出てくるわけです。
新しいアイデアは頭ごなしに否定しないで、もり立てていくようにしていく。そうすると、そのミーティングはミーティングではなく、アイデアと発想を練る会になるわけです。これがやっぱり言霊の「誓約」をしながら進めていく、会議じゃない会議、ミーティングじゃないミーティングなんです。
職場で仕事をばりばりやる人は、いつしか知らないうちに、職場のような討論の場になってしまい、喧々囂々になる。ある程度は、そういうのも必要なのですが、そうなってしまったら、ちょっと途中で切って、客観的に気持ちを入れ替えて、祈り直しをして、神様とともに進めていく運営をしていくようにする。そうすると想像以上のものが出てくるんです。
そうやって進めた後は、みんな恍惚として、蹴鞠をした後みたいになる。サッカーは、相手を出し抜いて点を入れて、「勝った」「負けた」という世界ですが、蹴鞠は違う。
蹴鞠というのは、みんなで何回続くかという遊びなんです。お互いが相手の蹴りやすいところに蹴ってあげるようにしているから、次はあっちへ行くなというように、六手先とか八手先が読めるといいます。
サッカーとかバスケットボールというのは、相手の弱いところを出し抜いて、こうだというふうに進めていくわけですが、よくある知的討論の場というのがそうです。しかし、私たちのやり方は「誓約」であり、蹴鞠なんです。相手にちゃんと蹴らせてあげるために、お互いが蹴りやすいところに球を蹴ってあげ
相乗の気
愛念と真心、これを「相乗の気」という。お互いが相乗り合う気の上に、神様が降りてきて、人間が思いも付かなかったような知恵がワーッと出てくる。「ああ、これがいいね」「じゃあこうしよう」というかたちで「腑に落ちる」。これがご神業における議事の進め方なんです。そういう場合、大体が、神人合一し、神懸かって満場一致なんですね。そういうふうに、議長とか副議長は持っていかなければいけないわけです。
そういうように、議事の運営をしていくときには、
一、胸で愛念と真心の祈りをしながら、言葉を大事にして使っていく。(「ウルトラマンの秘技」)
二、進め方に、いつも気を付けていく。
※なにか調子悪くなったら、ちょっと中断をして、祈り直しをする。先生が言っていた「ミーティングしちゃいけない、会議しちゃいけない。ミーティングじゃないミーティング、会議じゃない会議、ご神業なんだ」と、お互いお祈りをして神人合一して「誓約」をしていく。蹴鞠をしていく。
三、人の意見はなるべく頭ごなしに否定しない。
「うーん、それはちょっとね・・・・。いい意見だけど、また後で考えてみましょう」というように進めていくんです。
「そんなのだめだよ」
「そんなこと考えるな」
「お前は何を考えとるんじゃ。はい、次行こう」などと言ってしまうと、もう言う気がなくなります。そんな人が議長になったら、議事はパーですよ。その人は、議長の何たるか、運営の何たるかがわかっていないわけですから。
「会議しちゃいかん、ミーティングしちゃいかん」
↓
じゃあ何をするか?
↓
「ご神業→する」
(「誓約をする」「蹴鞠をする」「和歌のやり取りをする」)
↓
「相乗の気をつくって神様が降りてくる」
リラックスして、そういうふうに持っていくと、ミーティング自体が楽しいし、会議自体が楽しくなる。そうすると、いつも次々と知恵とアイデアが生まれてくる、創造的で発展的でエネルギッシュなグループが出来上がります。運営の仕方が上手だったら、そうなるんです。
そこのコツというものをみんながわかっていて、それを体得した人がいたら何やってもうまくいくんですよ。
そこの部分が下手な人がいると、もう喧々囂々になるんです。気に敏感な人が多いのに、邪気と「ああでもないわ、こうでもないわ」という怒気が多くて、「はあ~、またミーティングか~」なんていう状態になるんです。
司会の重要性
だから、やっぱり清々しい言霊で気のいい人が、議長になって話を進めていくか、あるいは、知的判断は適切にするんだけど、議長は言葉少なめで、副議長が司会をして進めていく、または司会の人がもり立てていくというかたちかのどちらかですよ。
明るくて気のいい、みんながその気になっていくという人が、マイクを持って、「どうですか」というふうにしていくと、みんなの気持ちが盛り上がっていくんですね。
音頭を取る人、司会をする人で全部決まります。
ですから、「みんなの幸せ」「みんなの満足」「みんなにとって一番いい結果が出ますように」と、よくお祈りをする。「結論が出ますように」「議事がうまくいきますように」ではだめですからね。神法悟得会入門編と同じように、人間に向けなければいけない。人間の幸せと愛にね。
だからこれが知性であって知性じゃない。叡智、霊性、神智という、組織の神智、叡智でなければいけないんです。
これがご神業で進めていくやり方であり、ご神業の初めからの伝統なんです。土曜神業のときも、そうやってみんなで話し合いました。当初の人たちは、みんなそうやってきたんです。そうやって進めてきたから、こんな日本でも独自性のあるユニークな組織が出来上がってきたわけです。
このやり方はいつも生きています。そして、これからも。だから、普通の人知を超えたようなものができてきたわけですね。
一つ一つの会議、一つ一つのミーティングが、神人合一をしていく勉強のプロセスなんです。私たちのやることは、運営そのものが神人合一の勉強でなければいけないんです。
このことは、以前のエリア本部で言ったときのビデオを見たらいいです。同じことを言っています。しかし、大事なことは何回も確認しなければいけません。これは、ついつい忘れがちなことです。
