不可能と思えることに挑戦し、それを可能にするものを会得せよ! ~神柱になれるシリーズ2~(Vol.4)

「情熱」の表現方法

深見:それでは、十倍化した『情熱』とは、具体的にどのようなものなのか。上に立つ人間の十分の一しか下に伝わらないわけだから、『情熱」を十倍化したら、人の言動や具体的な態度はどのように変わるのか。

それは、「あらゆる場所で、あらゆる機会に、あらゆる方法で、何回も何回も、熱心に繰り返して言う」というように変わるんです。これが『情熱』の表現なんです。

十倍化した「情熱」とは何か。

「あらゆる場所で、あらゆる機会に、あらゆる方法で、何回も何回も、繰り返し繰り返し、熱っぽく言う。「情熱」のほとばしり出るように言う」

これが「情熱」の具体的表現です。

だから、これが、「理屈じゃない。反復だ。理の反復練習だ」というふうに御神示に出ていることなんです。「何回も何回も何回も」「繰り返し繰り返し」「教育は反復だ」と書いてある。「御神示」見てください。

「人を育成するものは何か。それは心ではない。祈りである。母の如き、父の如き愛情と根気を以ってする祈りである。理屈や理論ではなく、理を反復習得するための気、運、智恵を呼び込む祈りである。これによりて感化されるなり。また、理は、体で実行し、素行の中に含まれるものでもある。それが、その人の中に生きる、世の中とうまくやって行ける神なるものである。それをこの度学び、実行致すべし。」

ということで、私もあなたたちに教えているわけです。

これが方程式なんです。会社の経営でも同じなんです。経営者の意向の一割しか社員に伝わりません。社員を経営者みたいに頑張ってもらおうと思ったら、経営者が十倍になるしかないんです。

エネルギーは、上から下へ流れていく。エネルギーと文化は、下から上には絶対流れません。文化は上から下へ流れていく。同じように、「情熱」も下から上には行かないんです。革命とか動乱とか、崩壊のマイナスエネルギーは下から上にワーッと行きますし、どこからでも行きますが、よきもののエネルギというのは、上から下にしか流れない。

一、「人を動かすもの」「投票率を上げるもの」「みんなが熱心になる」、それは「情熱」しかない。

二、上に立つ人間の十分の一しか伝わらない。だから今の「情熱」を十倍上げる。

三、「情熱」とは、「あらゆる場所で、あらゆる機会に、あらゆる方法で、何回も何回も熱心に繰り返して言う」ということ。これが「情熱」です。

これが足りないから、関東は四七%なんです。

投票率が三一%から四七%に上がったのは、関東のB君、J君が、その上がった分だけ、熱心に一生懸命、支部の人たちに電話して、「お願いします、お願いします」とやったからです。

そうやって、ありとあらゆる場所で、あらゆる機会に、あらゆる方法で、何回も熱っぽく言うと、人やものは動くんです。その動いた数が、四人が動いて八人になって、回数が三倍ぐらいになっていくと、またぐんぐん上がっていきますよ。それが「情熱」のエネルギーなんです。

人形・形代の実例

深見:ここで具体例を一つ言うと、人形・形代のときがそうでした。

海原びらき神事や伊勢の神事で、最初に人形・形代がおろされたとき、「全会員に定着するまでには、三年かかる」と神様はおっしゃった。

人形・形代が定着すると、安くて、あらゆる機会に、みんなも人を救済できて、神事で功も積める。それと同時に、ご神業の財政的にも安定するし、根差していけば、みんなも救えますね。

そこで、人形・形代をどうしたら全会員に浸透させることができるのか。答えは同じです。方程式=「情熱」しかない。

私をはじめとして、上に立つ人間が、今の「人形・形代」と自分が思う「情熱」を十倍化すると、末端のすべての会員さんの一しかなかった「人形・形「代」というのが十行くわけです。これを自分たちが思った量の十倍化したいと思ったら、上に立つ人間が、さらにもう十倍「人形・形代、人形・形代、人形・形代!」と思う。そうすると、どうなるか。

「あらゆる場所で、あらゆる機会に、あらゆる方法で、何回も何回も繰り返し言う」ということで、スタッフの「一筆啓上人形・形代」が出てきたり、「人形・形代の歌」や「人形・形代マン」が出てきたり、また「人形・形代神通」となってくる。

とにかく「人形・形代、人形・形代」と言い続ける。あらゆる機会に、あらゆる場所で、あらゆる人が、「人形・形代、人形・形代」とあらゆる方法で、何回も熱っぽく言うと、会員さんが「ふーん、人形・形代か。やってみるか」と思うようになる。

「こんな証があった、あんな証があった」ということを、みんなが、あらゆる場所で、あらゆる機会に、あらゆる方法で、何回も何回も繰り返して言い続けて、少しずつ少しずつ人形・形代が増えていったんですね。

そうして、三年経って、大体「ああ、人形・形代はするものなんだ」ということが定着してきました。

もうパブロフの犬のように、食べ物を見るとよだれが出てくるみたいに、「あっ、そろそろ六月が近くなった。人形・形代…」「年末の伊勢が近くなってきたな。人形・形代…」というように自動的に思うようになるまで、あらゆる場所で、あらゆる機会に、あらゆる方法で、何回も何回も熱心に繰り返し繰り返し言ってきました。

それで、だんだんと四万人近い全会員が(編集部注平成十年当時)、エンゼル会だけではなく、末端の会員さんも、普段あんまり神事に出られなかったり、祈祷会に来られなくても、人形・形代だけはするようになったんです。それも、「人形・形代は安いですから、お金があっても、まあまあでも、熱心にも、適当にも、サボりながらでもやれますよ」

「三百円からでも、百円からでもできますよ」と、何回も何回も熱心にお話ししたからです。

そして、ちゃんと確実にお蔭が出るように、「人形・形代した人が必ず幸せになりますように」と、清荒神方式でお祈りしたわけです。

ご神徳やご利益が出るための方程式(=清荒神方式)

ご神徳やご利益にも、方程式があります。次の方程式です。

さっき中部の人が言った中に、ご利益の話があったでしょう。ここでも、ご利益の原則というのがあるわけだね。「ご神徳が出てくる」「ご利益が出てくる」「奇跡が出てくる」という、この「ご利益』と『宗教的グループが繁栄する」という方程式があるわけです。これを教えてあげましょう。

どうすれば宗教的グループや神様事が繁栄するか。どうしたら、いっぱいお客さんが来て、いっぱい信奉者が増えて、その人たちがみんな熱心になっていくのか。

みんな熱心になってほしいでしょう。末端の会員さん、末端のエンゼル会員、末端のヤングスターズ・エンゼル会員が、どうしたら熱心になってくれるのか。方程式=「情熱」しかないわけです。しかし、その「情熱」は、神に向かっていく「情熱」なんで、これは「祈り」しかない。ここで私がわかりやすく言うと、「清荒神方式」が方程式の答えなんです。

「ご利益が出る方程式」=「清荒神方式」。これはどういうことかというと、既に皆さんもご存じだと思いますが、大事なところですから、もう一回反復してご説明します。

清荒神というのは、平安時代からずっと続いている古いお社なんですが、戦争中に爆撃があったりしたために、戦後荒廃して、参詣者がさっぱり来なくなってしまった。そこで、先代の九十四歳で亡くなった管長さんが、いろいろと試してみた。関東のB君や北海道のH君のように、いろいろなことを工夫したわけですね。

活動がおもしろかったら来るんじゃないかということで、みんなが喜ぶよう楽しい企画を次々次々に考えたんですよ。新しいお札を考えたり、お守りを考えたり、出店を考えたり、催し物やお芝居をよんだりして、いろいろな企画をした。

そうやってあらゆる努力をしたけれども、参詣者は全然増えない。ちょっと来たくらいで全然繁栄しない。催し物やお札など、いろいろと工夫したけれども効果が出ない。

そこで、先代の管長さんは反省し、その結果、「やっぱり真言密教でやっているお寺さんなんだから、もう人が来る、来ないということよりも、仏者として、お勤めに専念しよう」という原点に返った。

それで、一日四時間のご祈祷をするようにしたんです。

「ここに来る人たちが、本当に幸せになりますように。病気がよくなり、縁談がが結ばれ、仕事が見つかり、そして悩み事が解決して…」というように、ご祈願をずっとしていく。

また、新たに歓喜天修法なども始めて、「歓喜天さん、どうぞ、ここ清荒神に来る人たちが、一人も漏れ落つことなく、健康になり、運が開き、困っている人には、お金が来て、縁談が来て、仕事が来て、家族円満になりますように」と、一日四時間、熱心にお祈りした。

そして、東京で仏教の会合があって、二日間出張しなければならないような場合には、一日四時間×二日分=八時間のご祈祷ができなくなる。そのように、あらかじめ二日空けるということがわかっているときには、できない八時間分出掛ける前の四日間に振り分ける。つまり、いつもの四時間のご祈祷に二時間ずつ足して、六時間ずつご祈祷するようにして、東京に出張して抜ける分のご祈祷をしていったんです。

そうしたらどうなったかというと、清荒神に来たら必ずご利益が出る、というようになった。

「清荒神さんに来て、お金が急に入った」

「清荒神さんに来て、縁談が結ばれた」

「清荒神さんに来て、就職が見つかった」

「清荒神さんのところへ来て、病気がよくなった」

「清荒神さんのところへ来て、会社の業績が上がった」

「清荒神さんのところへ行って、試合に勝った」

という体験をした人が、また報恩感謝で来て、いろいろと寄進したりする。「清荒神さんに行って、本当によくなったんだよ」という口コミで、一人また一人と来て、少しずつ少しずつ参詣者が増えていったんです。

そうして今では、近くの駅から、門前市を成し、階段は人が入りきれなくなるくらいに大盛況です。私が行ったときも、「来たら必ずご利益があるんですよ。おじいさんの代から、親子三代続けて来ているんです」と話している人がいました。

その一日四時間のご祈祷をやり始めた管長さんは、九十四歳まで生きた。

毎日の祈りの行

深見:私も、「神祭りを専らとして」ということで、毎日祈っているわけです。

「神様どうぞ、ワールドメイトにご縁があって入会したすべての人が、病気をしたら病気がよくなり、就職ができない人は就職ができ、結婚ができない人は結婚ができ、離婚したい人は速やかに離婚ができて、また結婚するときができますように」

「人間関係の葛藤がある人は、どうぞ人間関係の葛藤から救われますように」「病気がよくなり、家庭がよくなり、仕事が見つかり、縁談が見つかり、運がよくなり、会社の経営者は売り上げが上がって、みんな、どうぞワールドメイトにご縁があった人を幸せにしていただけますように。みんながお願いしたことがきっと叶えられますように」と、毎日、必ずお祈りしています。

そして、けじめとして朔日祈願祭は朔日祈願祭で行くわけです。祈祷会でも、他の神事でも同じです。だから、何だかんだ言いながらでも、本当に神いますところなんです。

人形・形代でもそうです。海原びらき大神事や伊勢の岩戸びらき大神事のときだけ祈っているわけではないんです。私は毎日祈っているんです。朔日祈願祭は朔日祈願祭で、必ず祈っているんです。松下幸之助の十倍の法則ですから。ご利益というのはそういうものなんです。

頭で考えない。関東のB君のように「いろいろ考えて」というのは、頭です。やっぱり神様ごとですし、ご神業ですし、宗教的グループですから、頭で「みんなが興味あることを」と考えるのは、清荒神の失敗と同じなんです。

会社の繁栄もそうなんです。経営者=上に立つ人間の「祈り」、神を思う目に見えない世界から、「本当に幸せにしていただきますように」という思いの「情熱」のある分だけしか、ご利益は出てこないわけです。

開祖や教祖が生きている間は、すばらしいご神徳があるんだけれども、二代目、三代目になってきたら、だんだんとその教団にいても、または、そこの神社やお寺に行っても、ご利益がなくなるというのは、上に立つ人間が、清荒神の先代の管長のように、一日四時間、みんなのために祈らないからです。

「真言宗だから、ご祈祷やお祈りをする、そこが原点じゃないか」ということに返っていったことが、神を動かし、人の魂を動かし、本当にご利益が出てくるようになった原動力なんです。これが大原則です。

その「情熱」とパワーが強ければ強いほど、すばらしいお蔭が出てきますから、「ワールドメイトに入ってよかった」「こんなことがあった」「本当だったからおいでよ」というようになっていくエネルギーになるんです。

私が、そうやっていつもいる限りは、必ずこの組織は大丈夫なんです。いつも私のエネルギーによって、みんなが集まってくると同時に、結集することで、また大きくなりますから。

祈りが弱いと、やっぱりいまいちですけどね。海原びらき神事や伊勢の神事でも、神事に向けて、ずーっと祈り込んでいく。箱根の神事でも祈り込んでいく。だから、あれだけの奇跡が、必ずぴしっと現れ出てくるわけです。

ここには、本当にの神、仕組の神が降りているんですが、降りていても、人間がその「情熱」と「祈りを捧げる誠』、その思念の集中というものがなかったら、結果、ご利益も出てこないんです。

清荒神方式=「ご祈祷と祈りと思念の集中」ということが、ご利益を現すための方程式なんです。これがあれば、本当の仏様が降りているところだったら、ますますご神徳が高くなり、それに人がやってくるんですよ。

それが、さっきの「御神示」でいう「第一位の人から心を広げ、高くし、強める」「教育とは祈りなんだよ」ということなんです。ここに書かれている「御神示」をもっと別な角度からわかりやすくいうと、この二つの方程式になるわけです。

そして、これを実行すると、ご神業にみんながやってきて、みんなの心に火がついて、霊界を動かすから、「なんか行ってみたいな」「なんかやってみたいな」となるんですね。

企画頭を捨てよ

深見:だから、関東のB君のハートが、末端に伝わらないのであれば、君が『情熱」を十倍にして、「あらゆる場所で、あらゆる機会に、あらゆる方法で、何回も繰り返し熱っぽく言う」というようにする。そして、同じことを今度は君がしてというかたちで、ずっと伝搬していったら、その十分の一が伝わるわけです。

さらに今度は、ワールドメイトに入会した人や支部に入った人が、必ずそういうふうにいつも祈っていたら、

「ここへ来て本当によくなったんです」

「人形・形代でよくなったんです」

「病気がよくなったんです」

「縁が結ばれたんです」

「会社がよくなったんです」

「すばらしくなったんです」

と言って、人から人へと広がって、また人を連れてくるんです。

すごい方程式でしょう。松下幸之助さんの神の叡智と体験から出た法則。清荒神の管長さんが一日四時間のご祈祷をしたことで、今日繁栄するまでに清荒神さんをした法則。どちらも、どん底からのスタートだったんですから。

いろいろと企画を考えるという、小賢しい企画頭は絶対だめなんです。成功しない。

そういう場合は、「清荒神方式」=「思念の集中」「一日四時間の祈り」。ずっと祈っていたら、今度は「自力と他力」で、祈りの力によって、その『情熱」が足されていくんですよ。

「情熱だ、情熱だ、情熱だ」と思っていても、いろいろと、男女関係のこともあるし、会社のこともあるし、家のこともあるし、生活しなければいけませんし、仕事もしなければいけませんね。「情熱」だとわかっていても、現実の生活の中にいるときは、どうなのか。「あらゆる場所で、あらゆる機会で、あらゆる方法で、何回も繰り返し熱心に」と行くんだけれども、人間というのは、必ず、だんだんと「情熱」が衰えてきます。

しかし、その「情熱」を、ずーっと継続した人でないと、ああいう大きな会社とか大きな事業を成し遂げられません。では、それをどうやってやるのか。

祈りの行なんです。

一日四時間のご祈祷をする。無理なら二時間のご祈祷をする。それが無理でも、必ず一時間ずっとご祈祷していく。

会社だったら、会社の従業員、販売先、仕入れ先。支部長だったら、すべてのエンゼル会員、末端の会員さん。

ヤングスターズ・エンゼル会の議長、副議長だったら、有権者の人たち。中部なら六百三十人、北海道が百十三人、仙台百九十人、九州が三百七人、大阪が六百五十人、関東が千六百人というように数をそろえて、「その人たちの幸せや喜び」、そして「神業にこうあってほし「い」ということを毎日お祈りする。こうやって、祈りの行の時間を決めるわけです。

こうやって、いつも祈る習慣をつけていると、「情熱」が、祈りの行の中でバッテリーチャージされて、そこに他力がかかってくる。自分じゃない何かが力を与えてくれるから、なんだか知らないけど、異常なぐらいに念力が強くなってくるんですね。

その人が恨んだら、えらく、すごい強烈なたたり霊になるんですが、この場合は幸せにする力です。そうすることで、清荒神の管長さんみたいに、思念の集中と祈りも習慣化していく。

そうすると、祈りの習慣の中で、「情熱」というのが、いつもバッテリーチャージされてきて、そこに他力が加わる。そして、責任者の責任感があるが故に、普通の人の十倍、百倍の「情熱」が、コンスタントにずっと持てるようになります。それが、下へ流れていって、十分の一が伝わる。もう、これしかないんです。

組織を繁栄させ、末端の人間が熱心になり、自分と同じように活動してやっていくためには、布教といっても、これしかないんです。

ご神業や宗教、神社仏閣には、こうすることしか、本当の繁栄のための方法はありません。一時的に繁栄したとしても、小賢しい小手先のものは、しばらくしたら、だんだんとだめになってきます。

上に立つ人間が、いろいろ「ああだ、こうだ」と企画を考えたり、目前の恋愛問題や仕事の問題、家族の問題、健康の問題などを「ああだこうだ」と考えたら、だんだんと「情熱」が落ちていきます。

思念の集中というのがなくなってきたら、「情熱」が落ちてきますから、なんだか知らないけど、どっちらけて、末端の人間が、だんだんやる気をなくしていくんです。

今まで、「浮遊エンゼルが半分」とか、「お電話かけしても投票率が低い」ということは、前任者の「情熱」や祈りの行がそうだったということです。

そういう祈りの行があって、「情熱」があふれ出てくるような状態で、ミーティングじゃないミーティング、会議じゃない会議をして出てくる、おのずからの企画というのは命が宿っています。そういうものは、なんだか知らないけれど、紙芝居というようなものでも、ものすごく盛り上がって、「何でこんなに紙芝居がおもしろいのかしら」となってくるんです。

要は、企画ではないんです。目に見えない波動なんです。胸を打つ、盛り上がりの熱気なんです。人の理屈ではなく、それを言っている人の言葉の温かみなんですね。

お祈りの時間を増やすコツ

深見:同じことを言っても、その人の言葉の温かみとか暗さによって、燃えてきたり、こなくなったりします。大切なのは、ご祈祷のお行なんです。「毎日欠かさず何時間祈る」と決めて、一時間でも二時間でもお祈りする。同じことの繰り返しでもかまいません。

お祈りすることが足りないなら、同じことをもう一回、テープレコーダーみたいに言ってもいいんです。

先ほども「私、二十分か三十分しか祈れません」「一時間しか祈れません。同じことの繰り返しになります」という質問がありました。まあ一時間お祈りできたらいいと思いますが、それでも、どうしたら祈りがもっと深くなるかというと、具体例を増やすようにする。

「例えば、こういうふうにしていただければ、幸せです」

「例えば、こういう人には、こういうふうにしていただければ、幸せですから、神様そうしてあげてください」というように具体的にお願いをする。

「縁談がない人には縁談が与えられますように」「行き遅れた人は婚期を取り戻してでもやってくださいますように」「病気の人はよくなりますように」というように、お祈りをしていく。

もっと時間を稼ぎたい人は、もっと細かく言っていく。「がんの人はがんがよくなり」「ノイローゼの人はノイローゼがよくなり」と言っていく。内臓も全部言えば、「肝臓が悪い人は肝臓がよくなり」「腎臓が悪い人は腎臓がよくなり」と言っていけますね。

今度は同じ肝臓でも、その病種ごとに「B型肝炎、 C型肝炎、肝硬変、急性肝炎、アルコール性肝炎脂肪肝」というかたちで、肝臓の病気の具体例を挙げていくと、だんだんと祈りが長くなります。そうして、具体例を挙げれば挙げるほど具体的な霊力になっていくんです。

霊力を具体化していこうと思ったら、例えとか、具体例を多く挙げて祈ると、神様は具体的に動きますから、具体的なご利益となって出てきます。抽象的に祈ると、何となく広がる雰囲気なんですが、ばちっと出てくるご利益というのは、具体例=「例えば」をいっぱい祈りの中に入れると出てきます。

これは、具体的なご利益となって出てくるための方程式だね。九頭龍師の皆さんにはよく説明していることです。

「病気がよくなりますように」「縁談が調いますように」「家族円満でありますように」。今度は就職ですね。「就職がうまくできますよう」「職場の人間関係がうまくいきますように」。みんなが遭遇しそうな大体の悩み事を挙げていく。

それから入学。「希望の学校に入学できますように」「ご神業で反対されている人は、賛同が得られますように」と具体例を挙げていく。それから、病気といっても、今度は肝臓、腎臓、膵臓というかたちで、体の五行の木・金を言うでしょう。

さらに、肝臓の病気の種類、腎臓の病気の種類、肺の病気の種類などを言っていく。肺気腫肺がん、肺結核。心臓でも、心臓肥大、弁膜症、狭心症、心臓の奇形、右心房、左心房の病気・・・・・・などなど。こうやって、九頭龍祈願のときには、病気の具体例を全部言いますから。ホルモンの分泌に問題がある人は、「例えば甲状腺」「例えば副交感神経、交感神経」と、全部具体例を挙げます。

そうした分だけ、九頭龍さんは、具体的な霊力を持って、ブワーッと行くわけです。

こうやって、一時間、二時間、三時間とお祈りの時間を長くしていく。大きく行けば、「家内安全」。この場合でも家内安全と言わないで、

「家の人たちとみんなが幸せに行きますように」と祈る。職業についても、

「会社の中でうまくいって、会社で出世できますように」

「失業中の人は、いい職業が見つかりますように」

「縁談がない人は縁談が見つかりますように」

「病気の人は病気がよくなりますように」

「お金に困っている人は、金運を与えてくださいますように」

そういうふうに祈っていると、その一人の思念によって、ご利益が出てくるから、「私もお蔭が出ました」「私も幸せになりました」というかたちで、「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」と広がっていくんですよ。

なんだか知らないけれど、いいことばっかり起きてくるから、人がやってくるんです。

まず、君たちがそういうふうになっていき、それから、今言った方程式=「人やものを動かすものは「情熱」しかない」「十分の一しか伝わらない」ということをコミッティーの人たちに教えてあげて、一緒にやっていく。

この方程式を私もスタッフに教えて、人形・形代が定着していったんです。黒豆木も同じです。「黒豆木、黒豆木、黒豆木ー」という僕の「情熱」で、節分になったら、なんか自然に「黒豆木」と浮かんでくるようにしておく。

私の「情熱」の十分の一しか伝わらないわけですから、あらゆる場所で、あらゆる機会に、あらゆる方法で、何回も繰り返して「黒豆木、黒豆木」「節分といえば黒豆木」「黒豆木ー」と言っていく。そうすると、「節分といったら黒豆木」と、パブロフの犬のように、自動的に思うようになってくる。

「節分になってきたら、黒分豆木・・・」と、節分と黒豆木が融合してしまって、訳がわからないような言葉になるくらいに「情熱」をかたむける。それで定着していくんです。

「会員としての定着」とか、「下が熱心になる」というためには、それしかないんです。

私が言ったのと同じように、

一、「情熱」

二、「十分の一の法則」=上に立つ人間が十倍化していく

三、「情熱」の表現=「あらゆる場所で、あらゆる機会に、あらゆる方法で、何回も繰り返し熱心に言う」

というように、文章や電話や、あらゆる方法でやっていく。そして、その十分の一が伝わるんです。

これを一〇〇%になるまでやったらいいわけです。今ある君たちの「情熱」を十倍化する。中部のIさんも十倍化していくと、投票率が二〇〇%になったと。そうなったら、「二回投票しました」というのではいけませんが、「みんなが選挙管理委員として協力いたしましょう」とか「今度は有権者を増やしましょう」となっていくわけですね。

「投票率が一〇〇%」というだけではなくて、「投票する有権者も増やしましょう」というように、みんながなってくる。

これが方程式。だれに聞いても、同じ答えが出てくる。そして、その方程式(「情熱」の方程式、十分の一の方程式、十倍化するしかないという方程式、「あらゆる場所で、あらゆる機会に、あらゆる方法で、何回も繰り返し熱心に言う」)ということを、今、君たちがわかって、それをやり続けると、だんだん上がってきます。

そして、それがわかっている数が増えていくと、倍加していきます。また、ご利益は企画ではありません。その「情熱」は毎日祈り続ける祈りの行にあるという「清荒神方式」。これしかないんです。

会社が繁栄するのも、組織が繁栄するのも、人形・形代で証が出るのも、私がいつもそう思っていて、いつもそう祈っているからです。そして、みんなが思念を集中して祈りの行に徹したときに、霊界からウワーッと神様が動く。愛の祈りが行き渡っていく。これを増やしていくと、日本の国は救われ、会員もみんな幸せになるわけですね。

議長、副議長、コミッティーの役割とは

深見:私には、いっぱいやることがあります。いっぱいやることがあって、それを全部成功させなければいけないのですが、それと同時に、ご神業の原則となる「お祈りする」ということは、どんなに忙しくても、おトイレに入っているときでも、お風呂に入っているときでも、寝るときでもやっています。一日も祈らないときはないです。

こういうように、私のようにやる人間に、少なくとも、まず君たちがなってもらわなければいけません。

今、言った方程式が、パチッとした言葉と頭でわかり、実際に、ここにいる人たちがそうなったら、この私のパッションがたちまち四十五倍です。これだけたくさんのことを不眠不休でやっているのに、さらに、今言ったことをやっているわけです。

これをやり遂げるために、どれだけの魂の錬磨と「情熱」と祈りの力が、陰にあるかということです。それに比例した分しか、神様や背後霊団は応援してくれません。

それは理屈ではないんです。熊野本宮大社の九鬼(宗隆氏。平成十五年逝去)宮司も言っていた「理屈じゃないです。実行です」ということです。

まず君たち自身が、この「情熱」を続かせていく方法として、松下幸之助の法則に、さらに清荒神の法則を足していく。他力によって「情熱」が補給されることによって、それを十倍化できるわけです。もちろん百倍化もできますよ。要は、その祈りを絶やさないということです。それが議長の務め、副議長の務め、コミッティーの役割なんですね。

末端がなかなか動いてくれなかったら、自分のそこが足りないと反省してください。自分だけでは足りないですから、みんながそうなるようにする。議長、副議長、コミッティーが、そうしようと思う。そうすれば、必ずそうなります。

一般会員さんがどうしてそうならないのか。エンゼル会全部がそうなったら、一般会員の全部に行きます。一般会員がそうなったら、日本中に行き渡ります。日本中がそうなったら、世界中に行き渡ります。地球がそうなったら、宇宙へ広がります。宇宙がそうなったら、わからないところまで行きます(笑)。

それしかないんですよ。それが、「御神示」に出ている、

「人を育成するものは何か。それは心ではない。祈りである。母の如き、父の如き愛情と根気を以ってする祈りである。理屈や理論ではなく、理を反復習得するための気、運、智恵を呼び込む祈りである。これによりて感化されるなり。また、理は、体で実行し、素行の中に含まれるものでもある。それが、その人の中に生きる、世の中とうまくやって行ける神なるものである。それをこの度学び、実行致すべし。」

「難問を解決する方程式あり。これ神の智恵と人の努力や工夫の産物。これをわたすべし。」ということなんですよ。これが、神様が、私に対して、皆さんに言いなさいということだったんですね。

それから、「真心で祈るだけではだめである。志を極めて祈らねば、決して神は動かぬものぞ。」とありますが、決して動かないのは「神」だけではなく、人も動かないんです。でも、まず神を動かさなければだめですね。

「天変地変も、争いもなくすることはできかねる。人はこれを縮小すべく、災いを少なくするべく、強化小災化祈願を行うのみ。また、この祈願を叶えるためには、神を動かす真を実行することである。神を動かす真とは、堅固なる志を立て、心中深く、巌の如き神柱を立てることである。」

これは、巌の如き神柱を実行するということです。

「何事も焦ることなく、人を育て行くべし。人の育成なくして心の広がりあらず。心の広がりなくして、神意も神徳も広がることなし。まず、神を取り次ぐ第一位の人より、その心をより広く、より大きく、より強くすることである。」というように「御神示」はそういう方向なんですが、神様が、私に、これをみんなに言いなさいということは、今、言ったその方程式なんです。

方程式ですから、だれに聞いても同じ答えが返ってこなければいけません。

しかし、その方程式を実行していくと、必ず成果が出てきます。投票率が一○○%になり、さらに有権者数も増えます。

まず、君たち一人ひとりが、その方程式を理解し、そうなるようになってもらう必要があります。理屈じゃない、企画じゃない、やり方じゃないんです。それができたら、やり方とか、理屈とか、企画は、もう奔流の如く出てきます。企画は、その中からいくらでも出てきます。企画も理屈も、あらゆる方法がいっぱい出てきます。

人を説得するときでも、「こういうふうに言った方がみんなが納得するな」というように、無尽蔵に出てきます。それがある限りは、スピーチでも、説得トークでも無尽蔵に出てくるんです。布教もそうです。

布教も考えてみてください。N君の「情熱」ですから。あらゆるところで「とにかく一緒に飛び込みましょう」とやった。全国を行脚して、「一人じゃできないから、一緒に僕と飛び込みましょう」ということでやったら、すごい奇跡が現れました。

そして、その「情熱」が続く限り、いろいろと

「パンフレットはこうしましょう」

「のぼりはこうしましょう」

「チケットは、こういうふうにいたしましょう」

「ビラ配りはこういうふうにいたしましょう」

「神書流布はこの本がいいです。それをこのように配りましょう」

「こういうふうに入会申込書を書いていただきましょう」

というように、たくさんの叡智がわいてくるんです。そして、それが集積したものが、こうなったんですね。

それは、どこから始まったのかといえば、N君の「情熱」です。 N君が「いっしょに飛び込みましょう」と、全国行脚してきて、みんなの心に火をつけていった。それが全国に巡って、大きな全国の動きになり、それで、みんなが立ち上がってきたわけなんです。

N君が、なぜそういうふうになったのか。私が、ずっと祈っていたから彼に懸かったんです。 N君の「情熱」が、なぜ続くのか。私がずっと祈っているからです。

私が動いた方がいいことは、いろいろとある中でもやっていくんですが、やらなければならないことはいっぱいあるし、やってもいるんですが、N君が一番ふさわしいときには、N君にバーッと行くんです。N君もそれを受けて「そうだ」とやっていく。その根源は、私です。

私が、なぜそうやって行けるのか。それは植松愛子先生が祈っているからです。植松先生が「神様のこの仕組が進んで行きますように」と言うから、ピョンとこっちへ来るわけですね。

それを、私が具体的に祈ると、今度はN君にピュッと行くんです。そして、それがまた君たちに伝わっていく。

やっぱり第一位の人といっても、その場その場の一位の人から進んでいくんです。わかりますか。これが方程式なんです。

それがわかったら、何やっても成功する。会社をやっても、お店をやっても、人形・形代をやっても。九頭龍の法をやっても、救霊をやっても、真伝密教をやっても、ずーっとそれを積み重ねていくと、その人間が来たら、何でもうまくいくようになるんですよ。

その人間が来たら、みんなのやる気が出てくるんですよ。その人が来たら、みんなすばらしい方へ行くようになる。

逆に、そうではない人だと、「その人が来たら、みんなだめになっていく」「その人が来たら、みんなやる気がなくなっていく」「その人が来たら、またふられる」となってしまう。

その方程式がわかっていたら、何でも当てはまる。失恋、結婚、再婚、就職…というように、何にでも当てはまります。その目に見えない何ものか、グワーッとにじみ出てくるエネルギーというか、波動というか、気というか、意識の世界に一念三千、三千大世界があるわけです。なんだか知らないけれども、「この人がいるとすごくよくなるぞ」と思うから、やってほしいとなる。

何をやるのか。一日何時間も祈る。その祈りの行の中で、「会社が……」と思うから、その人がいると業績が上がるんです。普段はというと、カレー食べて、たばこをスパスパしてる。祈り三時間、仕事一時間(笑)。そうしていると、会社に行くと、なぜだか、たくさん電話がかかってくるようになるんですね。

こうなってくると、拝み屋になった方が早いかもしれません。もちろん仕事もするけれども、仕事以上に、そこをしていく。それが命だから。それが勝った人が経営者になっていき、リーダーになっていくんです。

「キューバ革命」成功の秘密

深見:最後に、もう一つだけ、具体例のお話をしましょう。

私は、その二つの方程式を組み合わせてやっているんですが、神仏とかお行というのではない例として、一つの実例をお話ししたいと思います。

それは、キューバのカストロ首相のお話です。前にも話したと思うんですが、キューバの革命は、どのようにしてなったのかということです。

カストロが、キューバ革命をする。そうすると、やってもやっても、相手の方が強いんですね。キューバ革命を革命の志士たちがやっているんですが、ずっと負けが込んでいき、とうとう「明日は最後の戦だ」ということになり、みんなが集まった。

こういう場合、日本ならどうするかというと、「お互い明日が最後の戦だから、悔いのないように戦おう」ということになり、水杯を交わす。

「最後の決戦だから、お互い悔いのないように」「君もよく頑張ったけど、いよいよ、もうこれが最後の決戦だから、お互い見事に、立派に死んでいこう」となるか、あるいは「もう降参しよう」となる。水杯を交わすなり、最後の別れをするなりする。日本なら、このどちらかですよ。

しかし、カストロはそうではない。もう負けが込んで、「明日が最後の戦だ」というときにカストロは、何を言ったか。話し始めたら、六時間から十時間ぐらい演説するらしいですけどね。カストロは、そのとき何を言ったか。

「私の革命が成功した暁には・・・・・・」から始まる。そういう負けが込んでいるときに、大演説が始まるんです。

「君は文部大臣だ」「君は大蔵大臣だ」「君は厚生労働大臣」「君は軍部の長官」「君は作戦本部の司令長官」「君は外務大臣」などと、全部言っていく。「私の革命が成功したら、経済はこうする、政治はこうする。君たち一人ずつが大臣になって、キューバはこんな国になるんだ」という大演説を、最後の決戦の前にやり始めるんです。

それを聞いて、みんなが「おおー」となり、それで最後の大決戦で「それ行け!」といった。そこから劣勢を挽回し、はね返していった。負けが込んでいた最後の決戦のときから、みんな、ものすごく強くなって、劣勢をはね返したんです。

結局、キューバ革命が、それから盛り返して成功したんですよ。ほら吹きなんてもんじゃないですよね。最後の決戦のときでも、ウワーッというカストロの「情熱」と、あらゆる場所で、あらゆる機会に、あらゆる方法で、何回でも熱心に、グワーッと繰り返すと、たとえそれが最後でも、あらためてみんなが「よーし」ということで燃えていくんです。

カストロは、最後の決戦でも、水杯なんかしませんよ。それよりも、もう一回みんなを集めて、そこから劣勢挽回し始め、最後には勝利した。結果として、キューバ革命は成功したわけです。もし、我々が劣勢に陥ったときに、

「うん、何、九州が五三%、関東四七%、北海道は率はいいけど数が少ない。よーし」と言って、カストロが出てきたら、「支部が大きくなって、北海道が仙台よりも大きくなるんだ」となり、またそれを聞いて、仙台が、「何!塩竈さん(塩竈神社、宮城県)、いいかげんにしろ。北海道に負けてたまるか。東京に負けてたまるか」というかたちで、「産土さん、何とかしてくれ」となり、神様も「よし、わかった。なんとかするぞ」ということになる。

それでも足りなかったら、「隣の志波彦さん、あなたも何とかしろ」と言う。

もう塩竈さんがウワーッと蒸発して、その隣の志波彦さんも、「シュワヒコッ!」というように、ウルトラマンと一緒に、どこかへ行ってしまうくらいの「情熱」で行くんです。そして、「そんなので足りるか」ということで、松島にも、「あなたたちも、この仙台を何とかしてくれ」というかたちで行くのです。日蓮上人を見てください。

たった一人ですよ。たった一人で、「法華経の真実は……」といって、始めたんですから。三十一歳のときかな。そのときに「お供いたします」というお弟子は、たった一人です。それから鎌倉で、説法ガーッと始めていって、一人また一人と増えていった。

カーッと行き、それで今日の日蓮宗があるわけです。最初は、宗祖一人ですよ。「法華経を全国の隅々まで行き渡らせるんだ」「法華経こそ真実だ」と言って、一人です。そして、「お供します」というお弟子が、一人ですから。その二人から始まったんですからね。

それが鎌倉のあれだけの勢力になった。日蓮の「情熱」と、いつも祈り続け誠劣勢になっても、龍ノ口の法難でも、そのほかの法難でも、もう神懸かったカストロです。全部、方程式は一緒ですよね。カストロも日蓮もそうなんです。

私もそうです。植松先生と私と、植松先生のお兄さんという三人で始まりました。何もない、荻窪の一民家から、始めたんですから。

私の会社も、全部ゼロからつくっています。商事部も、学苑も、ワールドメイトもみんなそうです。

劣勢に陥ったときにどうするのか。情熱と祈りを十倍、百倍と、ウーッと上げて「行くぞ!」と言って行けば、バーッと念力が行くから、そこから挽回が始まって、勝っていきます。

「会社がつぶれそうなとき」や「会社の売り上げがだめになってきたとき」のような劣勢のときには、カストロを思い出す。龍ノ口のご法難や伊豆のご法難のときの日蓮上人を思い出す。一つの組織や人を引っ張っていくリーダーシップというのは、それしかないんです。

その生命力=内なる「カーッとくるもの」にしか神仏も動かない。「真心だけではだめ、志を極めて祈らねば、決して神は動かぬぞ」とあるように、神も動かないですし、人も動かないんです。

そのために、まず祈りの時間として、一時間、理屈なくとにかく祈り始めたらいいです。言葉をブツブツと反復し、テープレコーダーのようにしていくと、だんだんと自分の言葉に乗ってくるようになります。

次に、祈りの行を一時間から二時間に増やしていく。具体例を増やしていき、みんなのことをずーっと具体的にお祈りをする。何もしなくても、そればかりやっていると、だんだんと習慣化してきます。そうすると、だんだん熱くなってきます。

私は、それをやっているから、救霊でも、二時間でも三時間でもできますし、八時間でも十時間でもしゃべり続けられます。私は、一人で十二時間ぐらい祈れますから。だれでも、初めは十分とか三十分なんですよ。

私の祈りの行は十五歳のころから始まっています。そして、三十二年間、毎日祈り続けているんです。

その習慣からやり始めたら、ガラリと変わます。二年で、顔も姿も頭も、魂まで変わってしまいます。そして、背後霊団も変わります。もちろん御魂は抜けませんが、自分の持っている系統の中で、一番いい御魂のランクに上がっていきます。うそみたいに人は変わるんですよ。少なくとも私の門下生になって、やっていく人間は一〇〇%なりますからね。

心の中では、自信のないようなことを思っていても、口に絶対出さない。「お任せください」と言う。「大丈夫なのかな」と思っても、「私が来れば大丈夫」と言う。そして、心の中で「どうぞ大丈夫になりますように」と祈っていればいいんです。

口に出すときは、自信に満ちて、はっきりと「こうだ!」というかたちで言わなければいけません。

「なるんじゃないかな?いや、それでも一〇〇%なのかな?」と自信がないような発言が出たら、それだけでもうだめです。「三〇〇%」と言い続けて、その十分の一の三〇%ですから。君たちの十分の一しか伝わらないわけですから、

「一〇〇%は、ちょっと無理かなと思います」と言うと、二〇%ぐらいになってどんどん落ちていきます。下に行くのは、君の一割なんですから。

「もう一〇〇~二〇〇%に、先生、絶対にしますから!」

「ああ、そうかいな。まあ七〇%行くかな」

「いや、やっぱり五〇〇%行きますから」

「うーん、八〇%ぐらい行くんじゃない」

「いや、先生、千倍行きます!」

「ほー、九五%まで行くんじゃないの」

となっていく。そういうように、自分を持っていった分しか伝わらないんですよ。

人間というのは、つい、それを忘れてしまう。つい「電話連絡じゃないか」などと考えてしまう。もちろん連絡網もいるんですが、そのうちの一つですからね。企画をどんなに練っても、「命」が宿らなければだめなんです。その「命」とは、上に立つ人間の「情熱」です。

日蓮もそうでしたし、カストロもそうでしょう。親鸞や法然だって、みんな一人からですから。どんな迫害されても、その「情熱」で乗り越えてきたんです。

ワールドメイトも、たった三人から始めて、なんで今日、四万二千人(編集部注平成十年当時)も会員さんがいるんですか。君たちはどうして来るんですか。いろいろガチャガチャしていても、何事もなかったかのように、私の「情熱」が絶えなかったからです。それが絶えてしまったらだめです。

「こんなことはどうってことない」「日蓮とか役小角とか大本教の弾圧と比べれば、こんなのはどうってことない」と思って、何事もなかったかのように、より一層、何倍もまたボルテージが上がりますからね。

だから、以前よりも、一層繁栄するわけです。吹っ切れたみたいになって、「言いたかったら言え」「言わば言え」「どのようにでも言え。わしは神様の御心と、いいと思う道に生きるんだー」と、私が「情熱」を燃やし続けたからです。宮司さんが、「男は根性、女性は愛嬌」なんて言ってましたけどね、「男は根性」なんですよ。それで、お天気でもガラッと変わるわけです。

一遍上人さんも全国を行脚して、三十万人になったんですよ。その「情熱」と実行力で、三十万人まで行ったんですよ。それしか世の中に残っていくものはないんです。

しかし、逆にそれができたら、だれにでもできるんですよ。

清荒神の先代の管長さんのようなお坊さんでも、やってあれだけ繁栄しているんですから。それぞれの支部が、みんな清荒神になったらどうなるか。

百三十二の支部が清荒神になったらどうなるか。百三十二の支部の支部長が一遍上人になって、百三十二の支部の支部長が日蓮上人になって、百三十二の支部長がカストロになったらどうなるか。支部は、こわいくらいに繁栄します

ワールドメイトの中に、世界連邦政府が三つぐらいできたりなんかして(笑)。すごいですよね。三つもあるんだから、もう、つくばなんかでは間に合わないですよ。もちろん例えて言うならばですよ。

そういうようにみんなの意見が統一されなければだめです。実際そうなんですから、それが方程式なんですから。

私は方程式として、ぴちっとわかっているから、何回も使えるわけです。

能をやるときでも、オペラをやるときでも、書でも絵でも文章でも、全部それです。そして、毎月のマンスリーレビューという事柄でも、同じです。この方程式が当てはまります。「マンスリーレビュー、マンスリーレビュー」と思っていますから。

忙しくなって、祈る時間が少なくなってきたらどうするか。早口で祈ればいいんです。一時間ぐらいの間にいっぱい祈らなければならないでしょう。全部早口で、クワーッと祈っています。

ですからこうやって、早口でもしゃべれるわけです。祈りの行では、ゆっくり口でも早口でも祈っています。早口のときは、「うーん、これ、これ、これ」とご神名を言っていきますから、早口言葉も得意です。限られた時間内で、ワーッと早口で言うわけですが、ゆっくりも言いますよ。

制限時間がないときでも、祈ることは絶対にやめません。時間がないときは、レコードの回転速度を三十三回転から四十五回転するように速くする。ビデオでも三倍速でピーッとやれば、入るじゃないですか。そうやって、三倍速で祈っているわけです。全部バーンと入ります。

黒柳徹子さんぐらいまで話せれば、相当の情報量を神に祈れますよね。何で先生が、こんなに早口で言ったり、ゆっくりでも言えるのかというのは、祈りの行の中でしているからです。

大祓詞を、何であんなに早口で言えるのか。祈りのときは、あれよりもっと倍ぐらい早いですよ。忙しいときは、ちゃんとした言葉のまま、ものすごい速度でやっていますからね。大祓詞を、あのぐらいの速度で何回もあげることくらい、楽なもんですよ。

稀有壮大な心を持て

深見:いかに日々、忙しい中でも、それを忘れないでやっているかということです。君たち、考えてごらん。

深見:君はだれ?関西のE君、君はだれ?「私は…」と言ってごらん。マイクロホン渡して。

E:私はEです。

深見:違う。君はだれだ。

E:私は深見先生のお弟子です。

深見:そんなんじゃない。中四国のG君、君はだれだ。

G:日蓮上人です。

深見:少なすぎる。もっとずうずうしく行け。関西のK君。君はだれですか。

K:カストロの巻き返しの強さと、日蓮の布教力と、一遍上人を五倍ぐらいにしたような人間です。

深見:弘法大師と天神様のように、賢くもあってほしいと思うけどね。それを学問とか、神の道に向けていったら、ある意味、天神様になったり、忠誠という中に行ったら、楠木正成みたいに戦の超能力が出てくるんですよ。みんなそれなんです。九州のD君、君はだれだ。「私は」から始まって。

D:私は…。

深見:君は楠木正成の身代わりとなって焼け死んだ人だよ。その忠君と忠誠によってよみがえって、また再びご用をするが、今度は前とは違うよ。今の自分を脱皮せよ。君の脱皮いかんで、九州の命運は決まるんだ。責任感が己を脱皮させる。それがリーダーというものだ。D君次第だからね。責任感が己を変える。これが本当のリーダーだ。はい、中部のC君、君はだれなんだ。

C:私は、祈りと情熱の塊です。

深見:例えばどんなようなお方なんですか。

C:例えば、弘法大師空海。

深見:格好よすぎると思うんだけどな。でも、それではだめです。少なすぎる。

あなたはだれですかと言われたら、E君、どう答える。

E:奮い立つ根性が表にあらわれ出て……。

深見:違う。理屈が出ている。北海道のH君、君はだれですか。

深見:そんなに考え込んだらいけません。関東のB君、君はだれですか。 B 私は、全宇宙、天地自然、森羅万象すべてをおつくりになった…………。

深見:理屈、理屈。理屈が出すぎてる。 J君。

J:太陽に向かって階段を駆け上がっている。

深見:違う。テレビのドラマか。 L君、君はだれなんだ。

L:失恋の痛手から深見先生を超えようと思った、その女の子が……。

深見:失恋の痛手を超えてからにしなさいね(笑)。まだいかん。まだ残っている。あとは?九州、四国、関西・・・・・・これで全部出たか。もうだめですよ、君たち。関西のE君、「君はだれですか」と言われたら、理屈を言ってはだめなんです。

「君はだれですか」と言われたら、「私は、カストロであり、日蓮であり、空海であり、役行者であり、知恵は天神様であり、勇気は楠木正成です。それらの合体であります」と信じて疑わない。そうすると、本当にその霊が降りてきます。

仕組には、そんなすごい人たちがいっぱい出ておられるんですよ。私なんかは、いつもそう思っています。弾圧されたときには「出口王仁三郎だ」、学問をするときや書を書くときは「空海だ」と思う。仕組には、すごい人がたくさんいらっしゃるんですからね。その人たちに応援してもらって、合体したらいいんです。

一人である必要はありません。十一面観音みたいに顔が十一個あってもいい。

そして、「~のような」ではだめです。「~のような」といったら、まだ自分があります。こういう場合は「$301Cでございます」と言う。もう陶酔の中にいるわけですね。

「私は空海であり、カストロであり、日蓮であり、役小角であり、最低でも清荒神の前管長です」というように言うんです。どう、すごいでしょう。これを「なりきり」というわけだ。なりきって陶酔する。

情熱的な人というのは、半分どこか誇大妄想みたいなところがありますよ。

日蓮上人も「法華経を日本の隅々まで広めていくんだ」と思い、「自分は上行菩薩であり、釈迦亡き後の末法の世で、仏法を護持する者なんだ」と思い込んでいました。

それをあんまり人に言うと、「?」と思われるんだけど、内で何を思おうと、そんなのは勝手ですよね、一念三千ですから。自分で、どう思っていようと勝手じゃないですか。でも、そう思った方が雄大でしょ。実際に、そういう方たちがいらっしゃるんですよ。私の守護霊団は八千人ぐらいですが(編集部注平成十年当時)、その中の一人ですから。

そんなせせこましい自分を、いつまでも持たなくてもいいんです。理屈を言わなくていいんです。「私は日蓮であり」と言う。苦しいときには、日蓮にもそういうときがあったから、「わしも日蓮だ」と言い、守ってくれているんだと思う。

戦のときは「楠木正成だ」「諸葛孔明だ」、勉強のときは「弘法大師だ」「天神様だ」、この世の中を立て替え立て直しするときは「国常立だ」と思う。みんないらっしゃいますから。そして、同じく「どうぞ、これを救い給「え」というような気持ちがあるから、日蓮のように陶酔していますよ。

「弘法大師だ」「国宝をつくる伝教大師だ」と陶酔していると、本当に顔が空海になり、伝教大師になります。本当に霊がやってきます。そうやってきているから、同時に言霊で出るわけですし、そう言うから、また呼び込むわけです。

そうなっているときは、神人合しているから、もうどちらかわかりません。君たち、そんなちっぽけな自分を捨てたらいいんですよ。ここは偉大なる神仕組なんです。私は世界本山ですから。そして、君たちはその世界本山の弟子なんですから。今言った方たちが、いつでも、全部来てくれますから。

ちっぽけな自分を捨てて、陶酔の中にいたらいいんです。口に出すときは、私のように、スパッとためらいもなく言う。ただ、これを普段から「私は…」と言っていると、救急車が来ますよ(笑)。

私が賢いところは、普段は普通にしています。内なる世界にいるときは「そうなんだ」と思っていますが、話すときはまともな話をする。

いつもは普通のまともな話をしていて、内なる世界では、三千大世界、大宇宙を相手にしているんです。

私は世界本山であり、本当にその方たちと一体になっているから、全部できるんです。そんな霊たちが仕組にいても、背後霊団にいても、自分がそういうようなものを受ける器でなかったら、距離があるから、お力は借りられないわけです。

どう思ったっていいじゃないですか。ただですし、だれにも迷惑かけません。内なる世界を、そういうふうに持っていくと、また自分じゃない何ものかが、クーッと出てくるような「情熱」が出てくる。口に出すときは、そんなことは人に言わないで黙っておく。私と君たちとの出会いのときには、今のように交換会をする。関西のE君、君はだれなんだ。

E:私は日蓮。

深見:日蓮はそんな声しませんよ。

E:私は日蓮であり……。

深見:そんな声しません。それに、目が違う。「私は日蓮であり」。それから。

E:私は役小角であり……。

深見:トイレ我慢してるのか(笑)。それで。

E:あるときは、私は菅原道真であり……。

深見:練習しておいてね。また聞くから。次に、中部のC君、君はだれなんだ。 C 私は役小角であり、空海であり、日蓮であり、天神様で…。

深見:自分で「様」と言わない(笑)。自分で言うときには「様」とは言わないから。そういう場合は、「菅原道真でござる」と言う。

H君、北海道で、君は何やってんの?

H:私は、縦に割れそうな北海道を人差し指と親指で押さえています。深見それは説明。説明したらだめです。「何やってんの?」と聞かれたら、「空海やってんの」と答える(笑)。「日やってんの」。「役小角もやってんの」。

「楠木正成やってんの」と言う。君、北海道で何やっているの?

H:聖徳太子をやっております。

深見:おお、すばらしい(拍手)。

お互い何やっても自由ですからね。それは観念なんですよね。

「あなたはだれなんですか」と言われて、「私は……」と考え込んで、説明したらだめなんです。もうそうなんですから。

ここには、いっぱいいらっしゃるんですからね。

そして、「例えば空海ならどうするかな」と考える。歴史の中で、彼らがやった「情熱」と、神に祈ってきた誠はどうだったのかと思って、「自分は最低でもあれでなきゃいかん」と思う。

「深見先生は世界本山」と思う。私は、あれを全部持っているんですからね。そう思っているときに一体となっています。自分の中身は、一人でなくてもいいんです。すごいものと一体となる。そうすると、霊界がワーッと広がっていきます。広がれば広がるほど、先ほどの「御神示」にある「まず第一位の人が、心をより広く、より大きく、より強く」という状態になっていくんです。

そんな方たちが直接守っているのが、この神仕組なんですよ。

実際にいらっしゃるんですから。実際いらしても、お取り次ぎする人間がその方たちにご協力いただくためには、どうすればいいのか。その方たちも同じ志ですからね。「神様のために……」「みんなのために……」「人々を育成し……………」「ご神業が弥栄え……」というように、君たちも、今言った人たちと同志で集まっているんです。

自分の存在は、ちっぽけかもしれないけれど、「守っているものは、大きいんだー」「すごいんだー」「だからやれるんだー」と、いつも自分で思っている。どう? すごい「情熱」が出てくるだろう。

想念は、どう思ってもいいんです。実際にいらっしゃるんですから。いらしても、使いこなすためには、稀有壮大な心を持たなければだめなんです。

でも、人に言うときには普通にお話ししてくださいね。いつも、そんなことうそぶいていると、「先生、彼、最近おかしくなったんですよ」と言われますからね。内輪どうしでは、そうやって言うんですが、普段は、普通にお話をするんです。

次回までに練習してきてくださいね。コミッティーには同じように教えてあげてもいいですけど。お互いに言い合いっこしたりして。ただし、「我は――」という顔と言い方をしていると、タヌキが出てきますから、注意してください。

その気概や歴史を学んで、そういう知識があれば、「そのような自分であらねばならん」と思うようになります。「日蓮は、ああいうふうにしたんだから、絶対に自分も日蓮だ」と思う。仕組で本当に出ておられるわけですから。世界本山ですから、全部、「ここ」というときには、いつでも降りてきてくださいます。

最低でも、清荒神の先代の管長さん。九十四歳まで生きましたから、「私も「生きる」ということでね。どう思ったっていいんですよ。劣勢になったら「カストロだ」「日蓮だ」と思っていく。そうやって「よーし」と言ったら、あんなカストロみたいな左系統の人でも、あんなに頑張っているんだから、神仏が直接守っている私たちは、もっともっとできるんですよ。

ということで、日蓮が日の出を拝んだように、今から御来光を拝みに行きましょう(拍手)。

第三部 熊野灘の海岸にて

日の出の極意とは

みんな、御来光を仰ぎたかったら、見ているよりも祈った方がいいですよ。出たら、「出た」と言ってあげるからね。お祈りをしてください。

出た、出た。目を開けて。(一同、拍手)

十言咒。目を開けたままで。

(計十一回)

アマテラスオオミカミ、アマテラスオオミカミ、アマテラスオオミカミ・・・

「この太陽のごとき情熱を持って突き進むのじゃー」

とおっしゃっていますね。

「小賢しい理屈よりも、今日学んだことが一厘じゃー」とおっしゃっている。

情熱が燃えても、迷いがある分だけ、雲に遮られて八割です。遮っている二割の雲が、迷いです。

「情熱があっても、迷いがあれば雲になるぞ」

と言っている。だから、やっぱり、八割は私が言っていたけど、二〇%は君たちの迷いだ。吹っ切らねばならない迷いがある分だけ、雲になっているわけだ。あの二割の雲が取れて、情熱のまにまに、ズバーッと迷いもなく、ためらいもなく吹っ切れて、そのまま突っ走ることができたら、雲が晴れてギラギラの太陽が出てくるわけです。

太陽は情熱であり、気力の凝結である。

小賢しい理屈よりも、迷いをふっ切って情熱のまま突っ走れ

それが若き日の生命の根源になる。

迷いの根源は、

こう言うと相手がどう思うだろうか、

こう言うと相手がどう反応するだろうか、

と考えすぎたら迷いになる。

特に布教はそうだ。

相手がどう考えていようと、

自分の考えをズバーっと、

心の中に割って入って燃やし続けるという、

そのふっ切りがないから

雲になる、迷いになる

人の気持ちをあまり考えすぎたらいかん。

構わず突き進んでいくところに

日の光が絶頂となる

これ、日の出の極意なり。

うわー、太陽神界が出てきた。二礼二拍手一拝します。一礼。二礼二拍手。一拝。ありがとうございます。

「情熱」を継続させる方法

次の部はお昼からにして、午前中はゆっくり楽しめとおっしゃっています。情熱を燃やし続けるためには、情熱ばかりですと反動があります。情熱をガーンとやって巡らしたら、次はほぐさなくてはだめです。

一日一回、一時間バッテリーチャージする。コンスタントにいかに続くかですからね。ほら、上の雲が、白いところが銀みたいになっていますね。見てください。「一筋貫いている志」と、その下に「情熱」があるという縮図なんだと言っています。今言ったカーッと燃える情熱の光の上に、貫いている心です。

それがこういう図なんだと言っています。これ、写真撮ってください。

ほら、雲の上が銀色です。白じゃなくて銀です。優柔不断なものは、情熱的な言葉と喝でいっぺんによみがえります。みんな、自分もしなければなと思いながら、雲がかかって、ぐずぐずしているんですよね。「こうですから」「これしかありませんから」「ここしかありませんから」「やるしかありませんから」と言っても、「うん、わかった。自分もやりたいとは思うんだけど・・・・・・」と言って、ぐずぐずぐずぐずしてしまう。

ほら、また光っただろう。雲が晴れましたね。最初はやっぱり八割でしたけれど、説明しているうちにだんだん晴れてきて、今は全く雲がなく、晴れましたね。優柔不断な人が、会員の八割から九割ですって。君たちもそうだったんですね。

それをやっぱり、カーッという日の光で照らしてやるのが、リーダーなんです。そうしなければ、くだらない時間を使い、くだらないことをして、くだらないことにお金使って、くだらない一生を終わるんですから。

神縁があって来たのに、それを引っ張っていく人が、やっぱりこのような状態でないとだめです。

ここは本当の神が降りているから、みんな来たら、それだけの答えが出てきます。みんなはそれを待っているんだ。そう思って、相手がぐずぐず言っても、こちらがバーッと光ってくる。そうすると「うん、わかりました」となります。あんまり人の気持ちを考え過ぎたり、躊躇や逡巡があったら、かえって向こうも吹っ切れないんです。

のこぎりでギコギコと首を切るのではなくて、日本刀でズバッと切ったら、「あら、首が落ちているんだけど、どうしたんでしょう」

「あなた、もう切れてますよ」

「ああ、本当だ」というのがいいんです。ギコギコ切ると、「痛い、痛い」となって、切れないんですね。見事にスパーンと迷いの雲や迷いの頭を一刀両断に切ってあげる。それには、自分がそうでなければ、ズバーッと切れない。ギーコギーコではなく、椿三十郎ですから。古い(笑)。座頭市ですから。

見事に日の出が拝めましたね。皆さん、この浜は、神武天皇が、ここから上陸したという伝説のある浜なんです。日の出を見るためには、どこが一番いいのかということで、ここにしたんですが、ここは何という浜でしたか。そう、丹敷浦というところで、ここから神武天皇の軍が上陸して熊野へ行ったという伝説があるところです。

すごいですよね。神武天皇の情熱でここまで来たんですから。何人も途中で、倒れていったそうですが、それだけ神武天皇の東征の旅というのは、過酷で厳しいものだったんでしょう。

何か目に見えないものが、フワッと入りましたね。途中で二礼二拍手一拝のときに、ピカピカッと光って太陽神界が出てきました。目をつぶると、こんな点と五つぐらいのマークが入ってきました。

今日はこれでした。何を得たか、しばらくしたら、またよみがえってきます。一番のテーマは、今日はこれでした。