支部発展の原則は清荒神方式にあり ~神柱になれるシリーズ1~(Vol.3)

【第二章】白山、三峯の緊急ご神示 関東エンゼル会にて(2001年6月14日)

伊勢湾台風の試練

※2001年6月、鹿嶋海原びらき大神事を目前に控え、深見先生は白山比咩神社と三峯神社に連続して参拝されました。そして、6月14日、関東エンゼル会のミーティングが緊急開催され、深見先生から「白山・三峯の緊急ご神示」が伝えられたのです。

おととい、私は、海原びらき神事のためだけに白山に行き、今日、海原びらき神事のためだけに三峯神社に行ってきました。白山に行く三日ぐらい前から、神様が「白山へ行け、白山へ行け」とおっしゃるのがうかんできまして、私は、白山と三峯と二つ行ったらよろしいということを受け取ったので、行ったわけです。

三峯というのは関東の産土様であるし、三宝荒神の役割ですね。はっきりとした現実界の実りの成功不成功を荷っています。

白山や三峯に行くときも、ずっとお祈りをしていますので、その行くプロセスの中から、神様がお懸かりになり、白山さんや三峯の神様と交流しています。神様が行けとおっしゃったから行ったわけなんですが、控え室でいろいろ神様から受けたご神示を、何も言わずに、ずーっとうつしていました。

それでも、神主さんがお茶出ししてくださって、いろいろと話しかけてこられる。そこでお話をしている中で、「あっ、これがみんなに今日話さなければいけないことだな」と思ったことがありました。三峯の神の導きですね。

どんな話かと言いますとね、三峯神社では、戦後、伊勢湾台風のときに、たくさんの大きな古い木が倒れたらしいんです。今、残っているのは伊勢湾台風のときに残った木だけなんですって。

それでも相当あるなと思うんですけど、もっとたくさんあったのが、伊勢湾台風で全部倒れたらしいです。そのときに、宮澤さんという宮司さんが、神社界の役員もしておられて、お酒が好きなので有名な方なんですが、その方が、これはもう神の戒めに違いないと。三峯の神様の戒めに違いないというふうに反省されて、一生懸命、毎朝六時に出仕するようにした。

宮司が毎朝六時に来るわけですから、職員はその前に来なければいけない。毎朝六時に出仕して、六時半ぐらいからもう始まっている。それから三峯が大いに繁栄して、常に崇敬者が団体で来るようになったのです。

伊勢湾台風のときに、たくさんのご神木に値するような古い木が倒壊したんですが、そのとき、神社のお社も再建をしようとして工事を始めていたときだったので、お社はどうなったんだろうかと行ってみたら、お社は全く傷ついていないし、全く壊れていなかったし、そのままだった。

「伊勢湾台風でたくさんの木が倒れたのに、三峯の神のおかげで、工事中のお社は全く無事だった」と神主さんが涙ぐんで、私に話をしてくれました。

しかし、たくさんのご神木が倒れたので、そのことを神の戒めと受け取られて、それから一生懸命、とにかく神にお仕えして祈るだけだということで、宮司が毎朝六時に出仕して、六時半ぐらいからもう始めるようにした。

※一九五九年九月二十六日に紀伊半島に上陸し、東海地方を中心に近畿から東海の広範囲で大きな被害を及ぼした台風。

神祭りの大切さ

キリスト教の世界観というのは、はじめがあります。神がつくって、そして『最後の審判」で終わりがある。はじめがあって終わりがあるというのがキリスト教の世界観。

仏教の世界観は、はじめもなく終わりもない。この世というものに一切の執着心を持たず、価値をおいてない。この世は移り変わりゆくもんだというもの。だから永遠に変わらないものを見ていく。それが涅槃寂静。はじめなく終わりないという考え方です。

神道はどうかというと、伊邪那岐、伊邪那美の神様が、神生み、国生み、青草(人民)をお生みになって、そしてこの国ができたわけで、はじまりがある。混沌としてくらげなすただよえる・・・・・・、混沌ははじめからあったんですが、実際に神生み、国生みのところで、おつくりになったわけです。

終わりはどうかというと、天照大御神が、天孫降臨のときに、瓊瓊杵尊にお鏡を渡し、「この鏡を、私を見るごとく、これを拝んで、祭祀を怠ってはいけない。

そうしたら、この世は天壌無窮、天地の極まりなかるべし」という形で、ただし書きが付いている。

神祭りを専らとして、しっかりとお祭りをしていけば、地上は永遠に続いていく。そこの裏を読むと、お祭りしなければどうなるか知りませんよ、地上はいつ滅ぶかわかりませんよということです。

「だからこそ、神祭りを大事にしなければいけないんですよ、日本の国はそういう国柄ですよ」ということを神主さんに説明しました。

「アメリカ人やヨーロッパ人、中国人や韓国人といった大陸文化の人たちと比べて、日本は島国ですから、平和と水というのは常にあるように思っている国です。

正直ですし、単純ですし、素直ですし、勤勉ですし、もう異民族との殺りくと侵略の中で国を築いた民族と比べれば、国際政治でも外交でも、本当に子供じみているというか、まだ大人じゃない。成熟してない。

日本は、そういうふうに言われる国だけれども、生ける神様がいらっしゃるから、神主さんたちには、しっかり守っていただく。

我々にできることといえば、神社にお玉串をたくさんして、神域を維持していただくことと、いわば伊勢の御師のように、民間で人々にこの功徳をお知らせし、弘めていくことです」と話しました。

清荒神方式とは

そうした神主さんとのお話の中で、また清荒神の話をしました。関西に清荒神というところがあって、平安時代からの古いお社で、名利だったのですが、空襲で爆撃を受け、終戦後の荒廃する社会で、うんとさびれた。人も全然来なくなってしまった。

そこで、先代の管長が、いろいろ新しくお祭りをつくったり、広告したり、宣伝をしたり、誘致活動をしたり、いろいろなおみくじを開発したり、新しいお札を考えたり、あらゆる努力をした。あらゆる努力をしたけれども、結局、全然変わらなかった。どれもあまり成功しなかった。

そのとき、管長は考えた。清荒神は神社の形式もとっているのですが、密教神仏習合しているお寺さんだから、やっぱりお勤めがいちばん大事だということで、そのような小手先のこの世的なアプローチをやめて普通にした。

何をしたかというと、神仏にお仕えして、勤行をすること。修法し、お仕えし、ご祈祷をすることがやっぱりお寺の原則なんだということで、一日四時間、必ずお勤めをするようにしたわけです。

護摩を焚いて、歓喜天修法というものも新しくやり始めて、荒神経や不動明王など、ほかにもいろいろな修法があるんですが、皆が喜んで歓喜にあふれて、ご利益がさずかりますようにと、一日四時間のご祈祷をやり始めたのです。毎日四時間。

清荒神は宝塚にありますが、東京で仏教の会合があって、会合に出掛けるために二日ぐらいお寺を空けるときは、一日四時間のご祈祷の二日分、要するに八時間のご祈祷ができなくなるわけです。

その場合、管長は、四日前から一日四時間ずつご祈祷する分に、二時間足すわけです。すなわち一日六時間ずつご祈祷をするわけです、一日六時間。

そうやって四日間で、二四=八時間分、先にご祈祷の時間数を増やして、二日間、清荒神社を空けて、東京で行われる仏教の会合に来るわけですね。

だから、会合で二日間空けてもその分だけ、その四日前から二時間ずつ足して、六時間ずつご祈祷してるわけですよ。そうやって二日間穴があいた場合でも勤行を絶やさないという形で、神仏に祈りを捧げたわけです。

どんなことがあっても一日四時間ご祈祷するというふうに発願をして、朝な夕なお祈りをし、護摩を焚き、ご祈祷をし、歓喜天修法を毎日毎日やり続けた。それを励行し始めた。

そうしたらどうなったかというと、来たら必ずご利益がある、来たら必ずご神徳が授かる。

「清荒神さんへ行って、こんなおかげがあった」

「清荒神さんへ行って、こんなご利益があった」

「私も行ってこんなご利益があったの」

「いや、私もそうなのよ」

「じゃあ、また行こうか」と一回来た人は、またもう一回来る。

それから、次に人を連れてくる。人を紹介する。

「あそこへ行ったらご利益があって、てきめんだから、すごいよ」

「ああ、そう。じゃあ、私も行きたいわ」

そういうことで、人から人へと口コミで広がって、じわじわ、じわじわと参詣者が増えていった。

私が行ったときにも、受付で若い人が、「もう私たちは、おじいさんの代から三代ずっと清荒神に通っています」と話しているのを聞きました。戦後に復興したわけだから、おじいさんは戦後から来られたんでしょうけど、もう五十年ぐらいたつわけでしょう。

「おじいさんとお父さんと私と、もう三代ずっと清荒神に来て、もうずっと功徳をいただいています。ご利益をいただいています。私の孫も、子供もまた連れてこようと思っています」と話していました。

そうして、いまや縁日などで清荒神に行けば、もう黒山の人だかりで、駅か小高い丘の上にある清荒神さんのところまでずっと列ができて、市が立ち、押すな押すなの大盛況です。いつ行っても参詣者がいます。

その管長の遺志を継いで、その次の代の人もやっぱり四時間、毎日祈っています。外出して空けるときは、さらに二時間を足すという形で、その管長の精神がずっと続いているので、いまも清荒神に来たら、必ずご利益がある。

すごい龍王というか、蛇に近い龍王ですけど、グワーンとやっぱりすごいパワーが出ます。

先代の管長は九十四歳まで生きて、一日四時間のご祈祷を絶やさなかった。

二日空けるときには、八時間祈れない分だけ、四日前から二時間足して六時間ずつご祈祷する。そこまで祈りに徹し、ご祈祷に徹して、ご神力というのか、法力がいつも出るような状態にするのがやっぱり本質なんだということで、それをやり始めて、いま大繁栄しているわけです。

生ける神います証

三峯神社の歴史を見たら、戦乱があったり、いろいろあったりして、山が荒廃してしまうときがある。そうすると、また復興する人が現れて繁栄していくというように、いい悪いがはっきりしていますね。それだけ強い神様です。

神社の由緒を見ていると、そのときは神仏習合でしたから、あるお坊さんが勤行をしているときに、オオカミがワーッと現れ出たと書かれている。あのあたりにある宝登山神社でも、日本武尊が、あそこで火事になって炎に包まれたときに、オオカミがワーッと来て助けてくれたというお話が残っています。

ですから、昔は秩父一帯にニホンオオカミがたくさんいたんでしょう。

おそらく霊的に三峯神社のご眷属も現れて、その自分が見たものを絵に写し取ったのを玄関に置くと、田んぼを荒らすイノシシとかが来なくなる。

それから、火事に遭わなくなる。泥棒も逃げていくというように、そのようなものを追い出すだけの力があった。そうして、山梨とか、埼玉とか、長野とか、あのあたりに広がっていって、関東全体から全国に広がったらしいです。

三峯では、戦乱にまきこまれたり、台風でご神木がバーンと倒されたり、何回か荒廃してだめになってしまったのに、また神懸かった上人が現れて復興をするという歴史が続いています。

「やっぱり本当に神様を崇敬する、ちゃんとピシッとする人が現れれば繁栄するけど、そうじゃなくなったら、清算する。それだけはっきりとした怖い神様ではあるけれども、はっきりとした力をあらわされる神様なんでしょうね」と、神主さんに話したら、「いやいや、皆さんそう言っています、三峯に来る人は。怖い神様だけど、はっきりとしたものが出るようです」と話していました。

三峯が、今日、来れば必ず響くように反応してくれるのは、宮澤宮司が伊勢湾台風のときに反省して、「真剣に一生懸命祈り、お仕えするしかないんだ」ということで、ずっと毎朝六時に来て、一生懸命お祈りをされていたからだったんですね。

また、清荒神が今日繁栄しているのも、一日四時間のご祈祷を絶やさなかったからであり、やっぱり神祭りを専らとし、ご祈祷を捧げて、来た人が必ずご利益とご神徳をいただける。

そして、そのことが一人ずつ口コミで広がって、確実に、本当に神様、仏様がお出ましになることをみんなが実感する。このことが、やはり神様や仏様のお社が繁栄していく原則です。

戦後、三峯もそうだったということです。宮澤宮司が、豪傑みたいな太っ腹の人で、そこまでの根性があったからです。

ですから、これからは、この原則のことを、清荒神・三峯宮澤方式と言わなければいけない。

この原則の話をしたら、三峯の神主さんも感心していました。

そして、「皆さんが、六時半から毎日毎日、このような山の中に来てお勤めをし、おおえをし、真剣に毎朝お祈りを捧げるからこそ、ここは神いますところで、私達も来るし、皆も来るんですよ。それがなくなったら、ここは荒廃し、また台風が来るか、何かで戒められて、我々もそういう神いますところでないと、来ないですから。

毎朝一生懸命やっている皆さんの努力の成果で、どれだけ多くの人が救われて、このご神徳をいただいて、幸せになったことか…………。

ぜひ、六時半から来ている巫女さんや、他の神主さんも励ましてあげてくださいね」と言うと、神主さんも「はああっ」と感激して、「本当に伊勢湾台風のときに、木がバタバタ倒れたのに、工事中のお社が全く壊れてなかった」と、涙ぐんでいました。

「神様がいらっしゃるんですよ、ここはね。神いますところですよ」と、神主さんを励ましてきました。

神事成功の祈りとは

この話を三峯でしたということはどういうことか。結局、海原びらき神事において、やはり、我々のご神事の原則が、また清荒神三峯宮澤方式という原点に返らなければいけないということです。

今、エンゼル会の皆さんも、神事の成功のためのお祈りをしていると思うのですが、神事の成功を祈るとはどういうことかというと、まず、お天気に恵まれること。

「本当にいいお天気に恵まれますように」

そして、「会の運営にも恵まれますように」

それから、「参加人数に恵まれますように」と。

目に見えない極まりの部分と、形に出たものがいかに一致するかという、幽一致するのが神道の祭式の原則ですから、内的にも極まって、両方極まってはじめて本物だということで、両方揃わないと本物ではない。

気持ちだけでもいけないし、形だけでもだめなんで、それが神事を成功させていく一つのポイントです。

次に、「参加人数が、去年に弥増さるたくさんの人が来てくださいますように」

そして、「交通にも恵まれ、事故や渋滞がなく、皆、スムーズに神事に参加できますように」

次に「去年に弥増さるたくさんの人形・形代が集まりますように」と。

次に、「去年に弥増さるすばらしいご神力が現れ出てくる神事でありますようにと。

去年に弥増さるご神力ということは、去年に弥増さる有形・無形の中身が整って出てくるわけです。

ですから、みんなの祈りが極まるとともに、

一、お天気に恵まれて

二、運営にも恵まれて、ゴチャゴチャすることなく

三、交通にも恵まれて

四、参加人数が増え

五、人形・形代の枚数が増えて

六、本当に去年に弥増さる神力が現れ出てくる神事であり

七、愛と真心で締めくくる

と、お祈りすることです。

愛と真心で締めくくるとは、「去年に弥増さる証が現れて、日本の国と国民を悉く幸せにしていただけますように」と。日本の国と国民ですよ、やっぱりね、人に行かなきゃいけない。国のためにやる神事ですからね、結局。

次に、「参加されたすべての人たちと、人形・形代に書かれたすべての人たちを、悉く幸せにしていただけますように」と。

神事に参加した皆さん……。ご神事に参加するとは、もっと具体的に言うと、神事会場に来られた方たち、衛星放送をご覧になっている皆様、遠隔代理で申し込まれたすべての皆さん。

そのすべての参加者の皆さんと、人形・形代に書かれたすべての皆さんを悉く幸せにしていただけますようにという、人への幸せに祈りがビシッと締めくくりがあって、愛と真心で締めくくることができる。

この祈りが、神事の成功の祈りなのであって、「神事が成功しますように……………」とお祈りするのは、神事を失敗させる祈りです。「成功」というのは、頭のコンセプトですから。

やっぱり、人に対する愛と真心で締めくくらないと、「愛をもって帰一するを真心となす」にならないわけですから、神力は出ないわけです。これはもう定例セミナーでも、祈祷会でも、今日の会合でもそうですよ。

みんなが来るまでは張り切って、「さあ」と思って、ここに来たんだけど、みんなが来たらグタッとなってやる気がなくなってしまった。

それを回復して、今日来たんです。やはり、みんなが来たら元気になって「よしっ」とならなきゃいけないんです。祈りの方向が、いかなるときでもそうだったらば、神気が発動しているから、元気になるのが本当なのです。

これは本当に基本中の基本です。これが神事の成功の祈りなのです。神事が成功しますようにという祈りは、神事の成功の祈りじゃない。「神法悟得会入門篇」の原則、何回も言っている基礎です。

全国の誠を結集せよ

ところが、その三峯で、今日、神様からのお諭しがありました。正確には、白山と三峯の神のお諭しです。

それは何かというと、海原びらき神事に向けて、関東の方は鹿島に、関西の方は熊野にと行っているのですけれども、それ以外の人たちはじゃあどうなんだと……。

中部はいいのか、北海道はいいのか、東北はいいのか、九州はいいのか、四国、中国、沖縄はいいのか。イギリス、アメリカ、ヨーロッパの支部の人はどうなのか、ということなんです。

鹿島や熊野といった神います神域が、どこもないところというのは、どうしたらいいかというと、空を見上げれば星座があります。

朝は太陽、夕方はお月さま、北極星はずっと北にありますし、曇っていても北極星はありますから、雲がさえぎっているだけでね。それはもう、金星もあれば、木星もあれば、アンドロメダもあれば、カシオペアもあるからね、みんな神います神域です。

ちょっと首が疲れるだけのことで。そういう場合は横になって寝ると、上が全部神域です。やはり地球の上に自分もいるわけだから、地球の上にある神域のほうが波動が強いですけれど、横になれば、お空はすべて神域ですから、星に願いをかければいいわけです。

ですから、本当に、北海道、東北、中部、中国、四国、九州、沖縄、海外の皆さんもみんな、そこのエリアの責任者は、もう日にちも迫ってますので、そういうご祈願をして、清荒神・三峯宮澤方式でね、参加した人も、人形・形代で書いた人もみな一丸となって、その祈りで向かっていくことによって、神事が成功するわけです。

神事が成功するということは、この日本の危機を救うことができるということです。

やはり人の真心と口と行い、これが誠ですから、真心は心だけなので、口と行いが揃って誠ですから、これが結集してはじめて本当のご神力が出て、目前の危機が救われるわけです。そうなるために、今のところ四〇%ぐらいしか、ご神力と誠が極まっていない。六割が足りないんですよ。

まず隗より始めよ

それはなぜかというと、関西と関東の方はそれなりに目標を定めているんだけれども、中部、東北、北海道、中国、四国、九州、沖縄、海外など。神域のないところは、北極星に、朝は太陽、夜はお月さま、木星・金星忙しいですよ(笑)。たくさん祈るところはあるわけです。

だから、みんなが清荒神の管長であり、みんなが三峯神社の宮澤宮司のように神にお仕えし、勤行し、祈り向かうことによって目に見えないご神徳が現れることが、またそうなるように実践していただくことが、神様にとっても、みんなにとっても、国にとっても、自分自身にとっても、いちばん大事なことであるはずですよね。

これをみんな見忘れている。実行できてない。これが白山、そして今日、三峯に行ったときに出てきたことなのです。

では、北海道、東北、関東、中部、それから関西、中国、四国、九州、沖縄という形でやって、全国なんですが、支部とか各エリア本部の人たちだけが行くだけでいいのか。

こう考えたら、清荒神の管長ですね。もちろん、何人かおられたから、ほかのお坊さんも一緒にしたのでしょうし、三峯神社は宮澤宮司一人かというと、そんなことはなく、全神主がその人を中心にしたわけです。

ですから、今のところエンゼル会員が全国に一万一千人(編集部注 2001年当時)いますから、エンゼル会の議長とか、支部の代表者とかという、エンゼル会や支部のコミッティだけではなく、この方たちが万難を排して鹿島に来たら、去年の二倍です。

例年、五千人ぐらい(編集部注 2001年当時)ですから。エンゼル会員が、まだ全員来たためしはないわけです。エンゼル会員一万人が、とにかく何をおいても鹿島に来たら、それで去年の二倍です。

だから、一万一千人いるエンゼル会員一人ひとりが、清荒神の管長になり、三峯神社の宮澤宮司になったら、一万社のお社ができたようなものですね。

清荒神一万一千社、同時に三峯神社一万一千社が、神様の神業を支えるという意識のもとに増えたらば、そのような管長とか宮司さんが一万一千人になったらば、どれだけこの神仕組が進むかです。

それはやはり誠の結集でなければ、神様は動いちゃいけないという正神界の法則があるわけです。皆さん、これを考えてほしいわけです。

関東と関西は、鹿島、熊野というように定めているんですけれども、名古屋といえば熱田、北海道といえば芦別山。東北といえば、仙台といえば、鹽竈さん、および志波彦さん。

秋田といえば太平山。それから青森の岩木山。それぞれにみんな有力な神域があります、仕組で開けたところは全部ね。大分の人たちは、宇佐八幡、九州に行けば、太宰府天満宮、枚聞神社もあるし、霧島神宮にもいらっしゃいます。それから沖縄は、波上宮もいらっしゃるでしょう。

それから四国は、金毘羅様。住吉さんだって、淡路島の先山だって、伊弉諾神宮など、たくさんありますでしょう。

近いところから全部行けばいい。近くて有力なところから。一応、仕組で蓋を開けてきたところは、もちろん英彦山もそうですけども、神界の仕組に参画していただくように、ちゃんとお願いをしているから、参画していらっしゃる。

しかし、人が行って誠を出さなければ、動きはしますけれども、本当の力は出せないですね。

これを皆さんは、全国で手分けしてやってほしいし、エンゼル会の人たち一人ひとりが、近くのところに行けばいいわけです、神いますところにエリア本部や支部でも団結して行くけれども、一人ひとりが行けば、一万一千人いるわけですから、そうすれば一万一千人の力が出てくるわけです。

もちろん、一般会員さんもそうなんですけれども、特にエンゼル会に登録をしている人は、エンゼルとしての自覚を持ち、ある程度、使命と目的意識を持っている会員ですからね。まずその人たちが、一丸となって行くことが大事です。だからまだ四〇%しか極まっていない。

まあとにかく、一万一千人いるわけだから、少なくとも去年よりも増えるように、去年を超える目標を定めていく。「まず隗より始めよ」ということで、一人ひとり、自分がとにかく三峯の宮司だと、自分が清荒神の管長だと……。

別に清荒神と三峯に絞るわけじゃないですよ。あくまで例えで言っているわけだから、鹿島神宮や住吉大社でもいいんです。しかし、鹿島神宮や住吉は、ずっと官幣大社でしたし、格もあるし、伝統があるので、参詣者は今も昔も大勢います。また、西宮戎なんか商売繁盛だから必ず来ます。

清荒神さんとか、三峯というのは、もう荒廃してね、全然人も来なかったところからそうなったわけで、みんな本当にご利益を実感して、増えてきたわけです。

だから、その事実を考えていただければ、一人ずつが清荒神の管長になり、三峯の宮澤宮司になっていく気概性と使命感を持っていただきたい。

とにかくまず隗より始め、自分から始めていく。私がこんなに頑張って、こうだから、皆さん、こうしましょうと言ったら、説得力がある。自分はしないのに、ああすべきだ、こうすべきだ、あーすべーだー、こーすべーだー、ダースベーダー、スター・ウォーズになっちゃったらね、だれがスベーダー(笑)。

とりあえず、自分がやっていたら言霊に現れ出てくる。言葉の迫力になって、にじみ出てくるものがあるわけです。まず、皆さんこれをしっかりご自覚いただいて、やっぱり使命感を持ってやっていただきたい。