人づきあいで人を動かす(Vol.5)

第四章 コミュニケーションの極意

相手に興味と関心を抱かせるところからコミュニケーションが始まる

本書の最後にコミュニケーションの基本的技術について述べてみたいと思う。本来なら最初に書くべき事柄かもしれないが、これまで語ってきた職場のコミュニケーションを理解した上で読まれれば、より活用しやすいのではないか。

そう思案を巡らせた上、最後にもってきた次第。コミュニケーションに自信のある方もない方も、よく読まれて、是非参考にしていただきたい。

さて、コミュニケーションとは一般に、意思の伝達、意思の疎通というふうに訳され、理解されている。たしかに、言葉の意味はその通りなのだが、では実際はどうなのかというと、意思の伝達、疎通の前に、まず興味が湧かないことにはコミュニケーションは成り立たない。

例えば、目の前にものすごい美人と、ごくごく普通の女性がいるとする。この時、世の男性たちは、どちらにコミュニケーションしようと思うだろうか。

よほど変わった趣味の持ち主でない限り、まず美人の方に目が向くはずだ。逆に女性の立場からすれば、キムタクのような、すごくハンサムでスタイル抜群の男性がいれば、

「ねえねえ、あの人、どこの人?」

「私、知らないわ」

「ねえ、ちょっと聞いてみましょうよ。名前だけでも知りたいわ」などと興味を抱くはずである。

それが女性の感性というものであって、醜さの極致みたいな男がいたら、話のタネにはしてもコミュニケートしたいとは思わないだろう。

そのように、一口にコミュニケーションと言っても、実際は相手に興味とか関心を持ってはじめて成り立つのがコミュニケーションであって、少なくともコミュニケートしたいなあという気持ちにならない限り、コミュニケーションは始まらない。

最近、盛んにコミュニケーションが大切だというようなことが言われているが、コミュニケーションを云々する前に、いかに相手に興味とか関心を抱かせるか。

このほうがより大切で、意思の伝達とか疎通というテーマはその後に来るものである。その点をまず最初に強調しておきたい。

言葉よりモノを言う雰囲気

次に、如何に自分の意思を相手に伝えるかという、コミュニケーションの本題に入りたいと思う。

さて、意思を伝達する道具といったら、何を連想するだろうか。想像するに、真っ先に言葉を思い浮かべる人が大部分ではなかろうか。

ところが驚くなかれ、コミュニケーション全体に占める言葉の役割は、たかだか一〇パーセントから二〇パーセント。残りの大部分が表情や身振り手振りといった、いわゆる雰囲気であることが、専門家の研究で明らかにされているのである。

例えば、髪の毛をクシャクシャにさせ、醜いばかりに顔を歪ませた女性が、「あなたのこと、かねてからずっとお慕い申し上げておりました」という言葉を一人の男性に投げ掛けたとしよう。この時、相手の男性はどう思うだろうか。「お慕い申し上げておりました」という言葉はたしかに上品で美しい。

しかし、言葉を発している本人の姿、表情、身振り手振りが醜かったら、せっかくの美しい言葉も虚しく響くだけで醜く汚らしい印象だけが相手の心に残ってしまうことになるだろ

ことほど左様に、絶大な威力を発揮するのが表情や雰囲気なのだが、それでもやはり、言葉によるコミュニケーションも重要である。

とりわけ職場における言葉の持つ意義は重く、言葉足らずのために仕事に失敗したり、上司から誤解を受けたりすることも決して珍しくない。

表情や雰囲気のほうが言葉より大切だと言ったり、言葉も大切だと言ったり、何か矛盾しているようだが、この際、表情や雰囲気の研究は個々人に委ねるとして、ここでは、言葉によるコミュニケーションはどうあるべきか、言葉による伝達技術はどうやったら磨けるのか。これらにテーマを絞って話を進めてみたい。

意思を正確に伝達する三段階論法

言葉による伝達を考えた場合、一番大切なのは何といっても正確さである。もう少し厳密に言うと、「正確に、しかもわかりやすく、短時間で、有効に伝える」ことであり、その技術を身につけない限り、自分の意思はなかなか相手に伝わらない。

それでもまあ、プライベートな場面ならさほど支障がないかもしれないが、ビジネスシーンで意思が伝わらないとなると、これは問題である。

さて、「正確に、しかもわかりやすく、短時間で、有効に伝える」にはどうしたらいいのだろうか。これについては、「いつ、どこで、誰が、何を、どうやって」という、

いわゆる5W1Hなど、いろいろあるだろうが、私がお勧めするのは、次の三つのポイントを押さえる方法である。

一、結論を言う
二、理由を言う
三、背景を説明する

どのような内容であれ、この三つの段階を踏まえていたら、大変わかりやすいコミュニケーションになるはずである。

例えば、電話で話をするときのように、限られた時間内でコミュニケーションする場合は、「結論だけ言うと、あの懸案事項、やっぱりダメだったよ。理由はあとで説明するから。「じゃあね」

とやると、だいたい一分で最低限度の中身が伝わる。しかし、なぜその結論に至ったのかという理由があるわけで、その理由も伝えなければ決して正確なコミュニケーションとは言えない。

したがって、時間的余裕のある場合には理由もきちんと伝えるべきなのだが、コミュニケーションの下手な人は、「まず、こういう理由があって、それからこういう理由とこういう理由とこういう理由があって、さらにはこういうこともあるん「だ」などと、やたらと理由を並べ立てたりする。たしかに理由はいっぱいあるのだろう。しかし、それらすべてを報告したら却ってわかりにくくなるだけ。理由は多くてもだいたい三つに絞る。これがポイントである。

中でも一番重要なメインの理由、これを英語でバイタル・リーズンと言うが、そのバイタル・リーズンを最初に持ってくるのが原則。「まず第一にこういう理由があったんだ」と。

次に二番目に重要な理由。「この二つの理由によってこうなったんだよ」。もう一つある場合には、「それからこういうこともあったんだ」と、だいたい三つぐらいに絞るのが一番わかりやすく正確で、有効である。それ以上ある時には、可能な限り三つないし四つに絞り込んで説明する。

そうすればだいたい意思は伝わるはずである。ところが、結論と理由がわかっただけでは不十分で、

「ああ、そういう理由だったの。それにしても、そんなことでなぜあのプロジェクト、ダメになっちゃったのかなあ。釈然としないな」ということになりかねない。

つまり、結論に至るまでには理由のほかに背景もあるわけで、その背景を説明すれば、これはもう非常にわかりやすくなる。

「まあ、景気もなかなか良くならないし、この業界も厳しいからね。それに、近々、大幅な人事異動があるという噂だから、それも影響したんじゃないかな」

とにかく結論、理由、背景。この三段階の構造に頭を慣らしてしまうことである。

「早い話が離婚ということになったんだ。奥さんのほうが何としても別れたいと言ってきかないんだ。それに子供の養育についての話し合いがついたらしい。

それで離婚という結論になったわけだが、まあ、あの奥さん、姑さんとの葛藤でずいぶん悩んでいたからね。別れたいという気持ち、わからないじゃないね」

こういうように背景を叙述的に話すと、「ああ、そういうことだったんだ」ということで、こちらの意思がスパーッと通じるようになる。

結論=背骨、理由=筋肉、背景=皮膚

「正確に、しかもわかりやすく、短時間で、有効に伝える」には、結論、理由、背景に分類して語ること。これが一番適した方法であると私は考えているが、その結論、理由、背景を人体に置き換えると、結論は背骨や腰骨、理由は内臓や血管、背景は皮膚や髪の毛にそれぞれ相当する。

背骨がなければ人体が成り立たないのと同様、結論がなければコミュニケーションそのものが成り立たない。

話に一本、筋が通らないわけだ。逆に言えば、結論さえはっきり言えばある程度の意思の伝達は可能で、「今日の飲み会、俺は欠席する」と言うだけでも「欠席するんだな。わかった」と相手に理解させることができる。

しかし、背骨だけだったら、相手を心から納得させることは難しい。「なぜ、欠席するんだ」という疑問が残るわけだ。

そこで必要なのが、理由という名の肉づけ。「突然、子供が熱を出したんだ」と理由を言えば、「そうだったのか。分かったよ」と相手もたいてい納得する。

結論と理由の二つだけでも、通常の会話ぐらいなら十分通じるだろう。

ところが、結論と理由だけでは心から納得しないケースも少なくない。「子供が熱を出したぐらいでなぜ欠席するんだ。

子供の世話は奥さんに任せて、出席したらどうなん「だ」という釈然としない思いが残ったりするわけだ。

そこで、「いや、家内も風邪で寝込んでいて、今日はどうしても帰らなければならないんだ。だから、悪いけど欠席させてもらうよ」と言えば、「ああ、なるほど。そういうことだったんだなあ」と、全容がはっきり相手に伝わるというものだ。

結論、理由=知性、背景=心

結論、理由、背景を別の角度から言うと、結論と理由は知性に、背景は心にそれぞれ相当する。

まず最初に結論を聞くと、瞬時に「うん、わかった」と、頭の奥、知性の奥にビーンと響く。だが、それだけでは納得できない。「なぜなんだろう」という疑問が残るわけだ。

そこで、理由を説明してもらうと「ああ、そういう理由でそうだったのか」と知的に納得できる。が、それでもまだ心は納得しない。

「まあ、わからないじゃないんだけど、でもなあ」と、心のモヤモヤが消えないわけだ。そこで必要になるのが背景説明で、これを聞いてはじめて、「なるほどねえ。そういうことだったのか」と心から納得できる。

だから、時間のない時には結論だけ言う。「嫌い」「バカ」「ドジ」「いい出来だ」「最低の仕事だ」「クビだ」。

しかし、何の説明もなかったらガーンとショックを受けるから、時間がある時には理由を説明する。

「クビの理由はこれこれこういうことなんだ」

「ああ、わかりました」

でも、心から納得したわけではない。

「でも、ぼくなりに一生懸命にやってきたのに・・・・・・」

「まあなあ、努力しているのはわかるけど、いまはこういうご時世だろう」と叙述的に、小説を書くように縷々、背景を述べていく。

すると、心情が納得する。このように、コミュニケーションを正確に、わかりやすく短時間で有効に伝えるには、この三段階、骨組みと中身と皮。こういう順番で話をされると、頭ですっきり理解でき、心情も満たされるから、情報や意思の伝達がうまくいくわけである。

相手が忙しそうな時には結論だけ

以上の結論、理由、背景について概観したが、この三つの要素がコミュニケーションの基本中の基本である。

自分の意思を言葉で相手に伝える時、結論として何が言いたいのか、その理由は何なのか、背景としてどういう事情があるのか、その三点を明確に整理した上で表現すれば、「正確に、しかもわかりやすく、短時間で、有効に伝える」ことが必ずできる。

後は、伝える相手や状況に応じていかに応用するか、である。いきなり結論から切り込むべきか、理由を説明してから結論を言ったほうがいいのか、背景を丁寧に語ってか理由、結論へと向かったほうがいいのか。

それらを的確に判断しながら、結論、理由、背景の論理を巧みに活用すること。これが第二のポイントである。

そこで以下、その応用編について、幾つか状況設定しながら語ってみたい。

まずは、相手が時間的に余裕がなかったり、あるいは電話で用件を報告するときのコミュニケーションについて。この場合は、先にもちょっと触れたように、結論を真っ先に言うのが大原則。

「今回の商談、先方からOKをいただきました。正式な契約は一週間ほど先になります。詳しいことはのちほどご説明いたします」

と言っておいて、暇になった頃合いを見計らって、理由や背景をゆっくり説明すれば、正確に伝わり、相手も納得できる。

ところが実際には、これができない人が驚くほど多い。私の会社にも、その種のタイプが何人かいる。

例えば、「電話で報告する時には、基本料金の三分以内で話せ、結論を言え」と注意すると、そのときは注意した通り、結論だけを報告する。ところがその後、私が社に戻っても一向に補足説明がない。

「君、昼間報告を受けた仕事の件の理由と背景を説明しろ。なぜ説明しに来ないんだ」「えっ、結論だけ言えとおっしゃったから、結論だけ申し上げたんですけど…」

「詳しい内容を説明してくれなきゃ、結論だけじゃわからないだろう」

「でも、結論だけ言えと」

「相手が忙しくしている時や電話で話すときは結論だけ報告するんだ。忙しく仕事をしているのにダラダラと、「えー、こういう理由でございまして、こういう背景でございまして」なんて言われたら、仕事ができないだろ。だから、相手が忙しそうにしていたなら、「理由と背景はまたのちほど」と言って、結論だけ報告するんだ。

だいたい五時~五時半ぐらいになって、業務日誌か何かを書いていて、時間がありそうだな、ちょっと暇ができたかな、それほど忙しくないなという頃合いを見計らって、君のほうから、

「お昼に報告した件ですけれど、理由と背景をご説明いたします」と言うんだよ。その2 場合も、ダラダラ報告するのではなく、「誠に残念な結果になってしまいましたが、第一にこういう理由で、第二にこういう理由で、第三にこういう理由でダメだったんです」と報告するんだ。

そうすれば、こっちだって、「うーん、なるほどな」と納得するだろ。で、理由の説明が終わったら、次は背景だ。

「ライバル会社でこういう攻勢をかけてきまして、系列会社もこういうふうになりましたので、そういう背景でダメになったんだと思われます。

しかし、そこで得た情報で、次のプロジェクトの概要がわかり、次のステップへの取っ掛かりができたと思いますので、今回の件は決して無駄ではなかったと思います」というふうに報告するんだ。わかったか」

こんなこと、いちいち説明されるまでもなく、きちんと理解していて然るべきである。ところが、それがなかなかできない。

理由は簡単、結論、理由、背景というロジックをきちんと理解していないからである。だから、時と場所をわきまえず、要領を得ない報告ばかりすることになるのだ。

上司への報告は暇なときを狙え

ちょっと余談になるが、報告のタイミングについてちょっと触れておこう。
サラリーマンの場合、だいたい午前一〇時から一一時の一時間ぐらいが、一番仕事に乗っている時間帯で、一一時半になってくるとだんだんイライラしてくる。

ただ単に腹が減っているからなのだが、こんな時複雑な話を持ち込んだら、まずネガティブな結果しか得られない。

もし、一一時半過ぎに飛び込み営業をかける営業マンがいたら、その人は半人前、まだまだプロフェッショナルとは言えない。

飛び込み営業の場合はだいたい、お昼ご飯を食べて満腹になっている一時半か二時を狙うのがベスト。脳の血が胃のほうへ行っているのでボーッとしていて、仕事はしているんだけど、気分はリラックス。その瞬間を狙って一時半ぐらいに飛び込んでいくと、相手も余裕を持って聞いてくれるという次第である。

それから、狙いどきは六時半から七時。残業で会社に一人残っている人を狙う。

「遅くまで残業ご苦労様でございます」

「ああ」

「大変ですねえ」

「うん。あんたも大変だね。こんな遅くまで」

「いえ、営業ですから当たり前です。今日は、いいモノを持って来ましたので、是非聞いていただきたいと思いまして」

他に誰もいないから、話をすると聞いてくれることが多いのだ。そのように、飛び込み営業の場合は、相手の状況に合わせて飛び込みをかけていかないと、いい結果は得られない。

で、テキパキと商談を進め、結論をすぐに貰わなければいけない時には、だいたい午前一〇時ぐらい。九時ではダメ。

前日から持ち越した決済処理に忙しかったりとか、あちこち電話をかけまくっていたりとかで、営業マンの話を聞く余裕がないからだ。それが終わるのがだいたい一〇時。その時間帯を狙っていくのも手である。

それから、だるくて何もしたくないというのは、だいたい午後三時から四時。言わば中だるみ状態だ。このときにはクレーム処理など、難しい案件を持ち込むと、存外うまくいくことが多い。

「これ、どうしますか」

「まあ、いいんじゃないの、適当にやっておけば」

それが午後三時半ぐらい。

一口に上司への報告と言っても、時間と状況を考慮に入れて報告するのと、入れないで報告するのとでは、結果に天地ほどの違いが生じるのである。

女性とのコミュニケーションでは背景説明をたっぷりと

ちょっと話が横道に外れたが、今度は女性を相手にした場合のコミュニケーションについて考えてみたい。

一般に男性は女性と比べて知性的である。無論、女性に知性がないという意味ではないが、女性は知性より感情のほうが発達しているのがふつうで、一般論で言えばやはり、男性のほうが知性的であり、男性同士なら結論と理由を言うだけで即座に意思が通じる。

つまり、結論はこれ、理由はこれ、と明確に把握する論理性。そして、いくつもある理由の中からバイタル・リーズンを抽出する知的要約力。

二番目の理由はこれなんだ、三番目の理由はこれなんだ、という分析力や分類力。こういうものがあるとすごくわかりやすいし、男同士の会話なら、むしろ結論と理由だけで背景説明などないほうが通じるくらいだ。

ところが、女性に対するコミュニケーションになってくると、こうはいかない。結論と理由だけ言えば、男と同様、頭では理解できる。

ところが、それだけで終わってしまったら、感情が満たされない。やはり、背景をたっぷりと説明しないと女性は満足しないのである。

私に言わせれば、女性と会話する時には、結論五秒、理由一分、背景五時間。それくらいたっぷりと背景説明をしなければ、心から納得してもらえないと考えたほうがいい。

例えば、愛を告白するときも、背景説明にたっぷり時間をかけないとうまくいかないことが多い。

「今日、時間を取っていただいたのは、結論から先に言うと、結婚を申し込むためです。

あなたのことが好きです。結婚してください」

「えーっ、突然そんなこと言われても困ります」

「とにかくあなたのことが好きなんです。理由は、あなたはやさしくて親切だからです」

なんて言ったところで、相手は当惑するだけだろう。それよりも、「この間、友人の見舞いに病院へ行ったんだけど、彼の担当の看護婦さんがとても美人で、しかもやさしくて親切でね。その看護婦さんを見ていたら、ふとあなたのことを思い出しちゃってね」

というふうに、背景を目いっぱい時間をかけたほうがずっと効果的である。

もちろん、相手が誰であれ、結論、理由、背景の三つの要素は必要だが、男性を相手にする場合、女性を相手にする場合の二つに分けて考えると、やはり大きな違いがあるわけだから、そこをきちんとわきまえてコミュニケーションを図るようにしたい。

悲しい報せ、辛い話は背景、理由、結論の順で

もう一つ考えておかなければならないことに、うれしい情報、おめでたい情報は結論から、悲しい情報、不幸な情報は背景から説明する、というのがある。

相手にとって好ましい情報なら、「おめでとう、合格したよ」「おめでとう、男の子だって」などと、結論を真っ先に言うべきだ。理由や背景は後からゆっくり話せばいいことで、場合によっては理由など必要ないときもある。

ところが、悲しい情報、不幸な情報の場合には、背景説明から入らないと、相手に大きなショックを与えることになりかねない。

例えば、友人の恋人が万引きで捕まり、しかも友人のほかに恋人がいっぱいいる怪しげな男だということがわかった時、

「あのさあ、あなたの恋人がさあ、万引きで捕まって、いっぱい恋人がいたのよ。あなた、騙されていたのよ」

なんて言ったらどうだろう。

わざわざショックを与えるために言っているんじゃないかと思われても仕方あるまい。やはり、悲しい情報、不幸な話の場合は背景から入って、最後に結論を言うようにする。それが思いやりというものではないだろうか。

「あのう、元気にしている?あなた、付き合っていた人、いたよね」

「ええ、いたよ」

「彼はたしか、あのう、なかなかユニークな人よね」

「ええ、ユニークだわ。ときどき私のカバンなんか取ったりして」

「たしかそうだったわよね。あれ、クセかもしれないね。ところで、言いにくいことなんだけどさあ、あのう、彼、あのう、そういうクセがあったものだから、ちょっと、特別な場所でしばらく滞在しているの」

「何なのよ、それは?」

「彼って、母性本能を刺激するようなところがあるわよね。だから、あなただけでなくて、いろいろな人が刺激されていたみたいで」

「どういうことなのよ」

「傷つかないでね。言ったら傷つくかもしれないけど、冷静に聞いてほしいんだけど、いま彼はね、結論を言うと、万引きでちょっと捕まって、それを心配に思って来た女の子が八人ぐらいいて、鉢合わせになっちゃってね」

「ええーっ!ホント」

というふうに、背景をぐちゃぐちゃ説明しながら、理由を小出しにして、最後に結論を言うと、その結論を受容する心の準備、「何かあるんだな」という心のゆとりができるから、ショックも和らぐわけだ。

そういう場合、枕詞や序詞を活用すると、さらに効果がある。例えば、「光」を表現するとき、ただ単に「光」と言うのではなく、「ひさかたの光のどけき春の日に」とか、あるいは「闇」を表現する時も、「ぬばたまの闇に隠るるカラスの羽は」などと、枕詞、序詞を入れると収まりがよくなる。

それと同じように、相手にとって悲しい報告、辛い報告をする時には、

「気持ちを落とさないでね。さっきお医者さんと看護婦さんが立ち話しているのを聞いてしまったんだけど、実は、あなたのお父さまの病気、あまり思わしくないそうなの」と、結論を言う前に枕詞や序詞を置くようにすると、オブラートがかかる。結論は同じであっても、言葉にお化粧をする分、柔らかく伝わるのである。

まあ、こんな指摘、わざわざするまでもないことかもしれない。ご家族が不治の病に患ったとか亡くなったとか、友達が受験に失敗したとか、そういう時にいきなり結論から入る人はいないだろう。

いずれにしても、結論、理由、背景の比重を臨機応変に変えたり、枕詞や序詞を活用すれば、意思や情報が正確に伝わるだけでなく、相手を傷つけずに済むわけだから、大いに活用したいものである。

背景だけでは意思は伝わらない

相手にとって悲しい報告、辛い報告をする場合には背景から入るべきなのだが、中には結論、理由などまるでお構いなし、背景ばかりを延々と説明する人がいる。

そうなるとこれはもう、何が言いたいのか、さっぱりわからなくなる。

「何を言っているのよ、あなた。何が言いたいのよ」

「いやあ、いろんな理由があるんですけど」

「理由なんかいいから、何が言いたいのか、それを言いなさいよ」

「いやあ、いろいろあって」

「結局、何が言いたいわけ。さっきから一時間もいろいろ言っているけど、結論として何が言いたいわけなのよ」

「結論としてはお金を貸してほしい」

「だったら先に言いなさいよ」

「先に言ったら、貸せないと言われたらそれで終わりだと思うから」

「そうよ、貸せないわよ。あなたみたいにグズグズ言う人には」

こんなタイプは職場にもいる。とくに出来の悪い社員に多く、彼らは人が忙しくしている時に限って、背景をグダグダグダグタと並べまくるだけで、まるで要領を得ない報告をするんだ、これが。

「ちょっと忙しいからあっちへ行ってくれ」

「しかし、これをご説明しなければ……」

「結論を言え、結論を」

「あのう……………」

「結論を言え」

「結局……」

「もういいから、仕事が終わってからにしてくれ」

こんなことにならないためにも、忙しそうにしていたら結論のみ。あるいは理由を二、三加えてサッと引き下がる。

ちょっと時間がありそうだったら理由を説明して、背景はカット。上司に報告する時にはやはり、相手が忙しいのか忙しくないのか、心理的に余裕があるのかないのか、それによって、結論、理由、背景の三段階のうちどこまで報告するのか、きちんと計算できるようでなければならない。

一般に、何が言いたいのかという知的要約力、読解力、分類する知性がない人の話は、聞いていても、何が言いたいのかよくわからない。ということは、自分のことしか考えていないわけだ。聞き手の気持ちを理解しようとしないから、背景ばかりで結論を言わない。結果、相手をイライラさせるだけ。それではコミュニケーションなどできないだろうし、友達だってつくれないかもしれない。

それとは反対に、「結論、何何」「理由、何何」「背景、何何」と、まるで論文でも発表しているようなコミュニケーションしかできない人もいる。

理科系の人とか経理をやっている人に多いようだが、「結論、給料カット」、「理由その一、経費がかかりすぎた」「理由その二、売り上げが落ちた」、「理由その三、粗利が低くなった」なんて言われた日には、気分がドーンと落ち込んで、心情的に救われない。

人間、心があるんだから、もうちょっと言いようがあるはずだし、もうちょっと言葉におかずがあっていいはずだ。

理科系の人、経理をやっている人、あるいはコンピュータ技師など、人との対話が足りない職種に就いている人の話は、言いたい論旨はわかるけれど、聞いていてしっくりこない。

やはり、結論、理由、背景のバランスがよく、自分なりの意見、論理性、それから文学性、表現力を持っている人の話は聞いていてよくわかるし、心情も伝わってくる。それができる人をコミュニケーションの達人と呼ぶのである。

ホウレンソウの極意

以上がコミュニケーションの基本理論と応用だが、これをきちんとマスターしておけば、会社におけるホウレンソウー―報告、連絡、相談に応用できるし、社内での評価も上がるはずである。

そうなると、腕が上がれば上がるほど難コースでのゴルフが楽しくなるように、コミュニケーションが楽しくなる。

説得力がある分、自分の意思が通るから、人と会ったり話したりするのがますます楽しくなるわけだ。

それに対して、上司が自分の言うことを聞いてくれないとか、自分は上司から無視されているんだとかというのは、やはりコミュニケーションが悪い。コミュニケーションが悪いというより、技術が足りない、結論、理由、背景の骨子ができていないと言うべきかもしれない。

ボソボソボソッとしか言わない。理屈ばかりで言っていることにトゲがある。何が言いたいのかよくわからない。

背景を説明するけれども、論旨がよくわからない。

そういう人はまず、そこから始めないことには、コミュニケーションを楽しむ 2 ことはできないだろうし、仕事にも行き詰まってしまうだろう。

逆に、ポイントがわかってくると、報告に行く前、伝達する前、相談に行く前に頭の中で整理できるし、準備ができる。

結論はこれ、理由はこれだけあるけどそのうちどれ 20 が一番の理由なのか。二番目の理由はこれ、三番目はこれ。四つは多すぎると思われる時には、「そのほか、こういう理由も考えられます」と、アディッシュナル(付加的に)に報告すればいいだろう。

あるいは、「メインの理由はこれで、付加的に言うとこう言うことも考えられます。これと、それからこんなものもあります」というふうに言ってもいい。

背景についても、「背景として、こういう説明をしたほうがいいだろうな」と整理し、準備してから連絡に行く、相談に行く。そうすれば、スラスラスラとわかりやすく、説得力ある説明ができる。

当然、評価も上がらないわけがない。

そのように、結論、理由、背景という論理の基本を踏まえた上で、臨機応変に応用していけば、だんだんうまくなっていくはず。いきなりうまくなれと言われても、それは無理だろうが、あらかじめ報告、連絡、相談をしたり、人とコミュニケーションをすることがわかっているときには、少なくとも準備はできる。

その場合は、以上述べてきたような頭の使い方、思考の方法で作戦を練っていくと、必ずうまくいく。

そういうふうに普段から心がけない限り、コミュニケーション能力といっても、そうそう上がるわけではない。

だから、一も二もなく練習することである。結論、理由、背景に分けて練っていくと、徐々にではあっても、必ず高められるし、いつしかコミュニケーションの達人と呼ばれることも夢ではない。

朝礼、結婚式のスピーチはこうやる

コミュニケーションには、以上述べてきたような、ビジネスシーンでの報告や命令といったもののほかに、パブリックスピーチ、いわゆる朝礼や結婚式でのスピーチがある。

その技術を身につけておくことも、報告や連絡と同様、きわめて重要である。

例えば、結婚式の祝辞で、

「結論、おめでとうございます」

「理由、新郎はこれまで何人の女性に振られたことでしょう。その彼がようやくゴールインできたのだから、これほどおめでたいことはありません」

「背景、新郎は高校、大学を通じて野球部に所属していたくらいですから、非常に礼儀正しく義理堅いところがあるのですが、反面、頑固一徹で融通の利かないところがあり、それが女性に理解されなかったのでは……」

なんてやったら顰蹙を買うに決まっている。やはり結婚式のスピーチや朝礼の挨拶など、決められた時間の範囲で話す場合は、結論、理由、背景のロジックを踏まえながらも、もう一工夫、二工夫が必要なのだ。

朝礼や結婚式のスピーチに限らず、大勢の前でプレゼンテーションする時に考えなければならないのは、一対一のコミュニケーションと同様、まずは説得力である。

そのためにも結論、理由、背景のロジックを考えながら話を構成する必要があるのだが、スピーチの場合は、演繹法的な表現と帰納法的な表現とに大きく分類される。

演繹的な表現とはどういうものかというと、たとえば公害問題について講演するとする。

その場合、日本人は「この公害問題は看過できない深刻なものである。日本政府は一刻も早く公害問題に力を入れるべきである」などと、大上段から公害問題を語ることが多い。

政治家のスピーチにしても、評論家のスピーチにしても、そのほとんどが演繹法であると言っていい。

演繹的に結論はこうだ、こうあるべきだと言うわけだから、言いたいことはよく伝わる。

しかし、あまりハートに伝わらない、胸にジーンと響くというところに欠ける。要するに説得力がないわけだ、演繹法は。

ところが、欧米人がスピーチー人前で話をすることを欧米ではパブリックスピーチと言うが、そのパブリックスピーチをする場合はどうなのかというと、結婚式であろうと、それから朝礼であろうと、それから会社のプレゼンテーションであろうと、どちらかというと演繹法的なやり方ではなくて、帰納法的な論理の組み立てが多い。

例えば、公害問題についてスピーチする場合、「こうあるべきだ」と結論から入るのではなく、まず、自分が公害問題に取り組むようになった契機、あるいは身辺に起こった公害問題から説き起こす。

つまり、大気汚染だとかダイオキシン問題だとか個別の公害問題を提示することで、公害問題という抽象的なテーマを特定化、専門化するわけだ。特定化したら次に出てくるのがモチベーション。

つまり、なぜ公害問題に取り組むようになったのかという動機である。三番目はアナリシス。現状分析である。

四番目にプランが出てくる。自分の意見、アイデアである。そして、最後にコンクルージョン。ようやく結論が出てくるわけだ。

こういう論理、ロジックで欧米の人たちはスピーチするのだが、一つ、具体例を示すとおおむね次のような感じになる。

「えー、みなさん、今日は公害のお話をしたいと思います。公害公害と言いますけれども、私がなぜこのように公害というものに興味を持ったのかと言いますと、私の実家はミシシッピ川のそばにありまして、子どものころはよくミシシッピ川で魚を釣ったり水遊びをしたものです。

それから三十数年、久しぶりに故郷に帰ったんですけど、その折り、子供の時のように釣りでもしようかと思ってミシシッピ川へ行ったところ、魚がプカプカ浮いているのが見えました。

これは何事か。そう思って、近所の人に「魚がいっばい死んでいますよ」と言ったら、「ああ、このミシシッピ川はずいぶん前からこういう状態です。いつも魚が浮いていますよ」という返事でした。

「なぜ、こんなことになったんですか」と、その人に聞いたら、「いや、川上にできた工場が工場廃液を出しているんです。それで魚がいっぱい死ぬんですよ」「垂れ流しにしていいんですか」「いや、いいかどうかはわからない。

よくないとは思うんだけど、工場がいくつもできて、そこから垂れ流されている工場廃液が原因で川が汚染されちゃってね」「それで魚が浮いているわけですか」「もうほとんど死に絶えて、あなたが子どものころに釣った魚なんか全然いないです。

あそこに浮いているのは最後の数匹です。小さいのはまだちょっといますけどね」「じゃあ、もうこの川では……」「もうダメだね。泳いだって危ないって言われているんだからね。

もう遊泳禁止です、ここは」「じゃあ、もう水泳もできない、釣りもできない?」「そう、何もできないね」

こういうふうな体験がありまして、私は公害というものがいかに大変なのかということを身をもって実感しました。

それからです、公害に興味を持つようになったのは。で、アメリカにはいくつも川がありますけれど、いくつぐらいの川がこういう状況なのかと思って調べてみたんです。

そうすると、全米に二〇〇〇いくらかある川のうち六〇パーセント以上の川が、私の故郷のミシシッピ川のように汚染されて、魚がもういない。40%はまだ残ってはいるんだけれども、魚は半分以下に減っているんです。それだけではありません。

奇形の魚も増えているんです。尾ひれが変形しているのとか、目のない魚だとか、そういう奇形の魚がいるということの報告書を見まして、何という3 現状だ、ということで公害問題に取り組むようになったわけです」

自分が経験したことをベースにしながら問題を提起して、現状を分析し、そこから普遍化して、アメリカ全州に当てはまるんだと話をもっていく。

ここでは省略したが、では山はどうなのかというと、山の汚染はもっとひどくて、樹木というものは酸性雨で山という山の木々が枯れてしまって、鳥もいないんだ、と付け加えることもできる。

このように、公害問題という抽象的で大きなテーマを、自分自身の体験という観点か特定化し、そこから次のように普遍的な問題として意識の喚起を訴える。これが、帰納法である。

「公害問題はすでに、アメリカ中の自然環境を危機に陥れているのです。このままだったら、われわれの子孫はどうなるでしょうか。

川ではもう水泳もできない。釣りもできない。アメリカの山は近いうちに丸裸になるでしょう。

子どもたちが大人になったころ、このアメリカは一体どうなっているんでしょうか。自然環境は、先祖からの預かりものであり、子々孫々、残していかなければなりません。

これを、私たちの代で破壊するようなことがあってはならないと私は思うのです」

その次に、プランを提示する。

「このような現状をいったいどうしたらいいんでしょうか。そこで私はみなさんに提案します。私たちの故郷の川に魚を復活させよう、ミシシッピ川に魚をいま一度、というキャンペーンをここでみなさんに提案します。

もしそれをやらなかったら、私たちの子孫が川で釣りをしたり泳いだりできないような環境になってしまうんですよ。

全米のうちの七五パーセントの川がこうなっているんですよ。これが現状です。みなさん。このままでいいんでしょうか。

私はトラストをつくることを提案いたします。トラストを結成して、私たちの故郷の川に魚を戻そうという運動を展開したいと思います」

これが提案であり、プランである。そして、参加者が拍手したところを見計らって、「ご賛同いただきまして、ありがとうございます。このトラスト運動をいま展開していかなければ、二度と故郷の川が生き返ることはないでしょう。

そうなったら、アメリカの子供は故郷を持たない子供たちになってしまいます。ミシシッピ川の歌を歌っても、ミズリー川の歌を歌っても、故郷を懐かしく思い出すことはなくなってしまうでしょう」と言っておいて、もう一回、動機を強調する。

「故郷のミシシッピ川に魚がプカプカ浮いている現状を見なければ、私が公害問題に関心を抱くことはなかったでしょう。

しかし、いまや全米の七五パーセントの川が汚染されているのです。この危機的状況を脱するには、トラスト運動をみなさんと共に盛り上げていくしかありません。それが私の結論でございます」

ここで終わってもスピーチとしては及第点がつけられるだろうが、最後の最後をピンとくる気のきいた台詞で締めれば、ほぼ満点になる。

「故郷の歌を感動の涙で歌えるような、そういう故郷をもう一度、取り戻しましょう。

ミシシッピ川の美しさを謳った故郷の歌を子供たちに残すためにも、ミシシッピ川の汚染を解決する運動をいますぐ開始しましょう」という言葉で締めると、聴衆はより感動を深められるわけだ。

イメージを沸き上がらせるのがポイント

次に、演繹的な方法とはどのようなものかを知るために、自動車事故撲滅に関するスピーチをするケースを想定して、考えてみよう。

「先日、私のいとこが自動車事故を起こして病院に入院したという知らせがありました。ビックリして病院へ駆けつけると、幸いにも顔面を強打して歯を数本欠いただけだったんだけれども、その入院費の大変なことにまたまたビックリしてしまいました。

それで、交通事故の実情はどうなんだと興味を持ち、いろいろと調べてみたら」と、自分自身の体験に基づきながら動機を説明し、次に、

「交通事故の死亡者は何と年間一万人以上にものぼるということではないですか。

しかも、その死亡者というのは事故後二四時間以内に亡くなった方に限定されていて、実際には一万人どころか、その数倍、数十倍になるということです。仮に一〇倍としたら、東京大空襲で亡くなった人が一〇万人と言われていますから、日本は毎年、東京大空襲 3 を受けていることになるわけです」というふうに、現状分析をする。そして、

「そこで私は提案したい。交通事故を撲滅するために民間人による交通監視委員会を設置し、交通事故多発地域の監視を強化する必要があるのではないでしょうか」と具体的な計画、アイデアを提示する。

その上で、最後にもう一回、

「今回、私のいとこが自動車事故を起こしたことで、交通事故の実態を知ることになったのですが、年間一〇万人の方が亡くなっている現状に驚きを禁じ得ませんでした。

私の提案が現実のものとなった時には、必ずや交通事故は少なくなると確信しております。

毎年一〇万人近くが亡くなっている現状。それは先ほど申しましたように、東京大空襲に相当するものです。原子爆弾も怖いし、戦争も怖いけれども、交通事故も怖い。その意味でまさに、現代は交通戦争の時代なのであります」と要約しておいて、最後の最後に気のきいた言葉で締めくくる。

「ですから、運転免許を取得することは、天国行きの切符を手にすることと同じだと思って、運転しなければならないのです」

この一言で、グッとイメージが湧いてくる。言わば、イラスト的効果でイメージを定着させるわけだ。そうすれば、わかりやすいし印象にも残る。

スピーチとはムーヴである

これを演繹的に言うと、どうなるか。

「皆さんもご存じの通り、日本では今日、年間一万人以上の人が交通事故で亡くなっています。これはまさに戦争であります。

いや、戦争よりもっと深刻な問題と言ってもいいでしょう。果たしてこのままでいいのでしょうか」

誰もいいとは思わない。

「何らかの対策が必要なのは明々白々であります。そこで私は交通監視委員会の設置を提案いたします。その上で、交通事故撲滅キャンペーンを強化すべきだと思います」

誰も賛成しない。「あ、そう、ご苦労さん。がんばってね」といったようなところで、やはり説得力がないわけだ。ここが演繹法的な手法と帰納法的な手法の大きな違いであって、人の心を動かすには帰納法的手法のほうがはるかに適している。しかも、最後に気のきいた言葉をピッと入れると、「本当にそうだ、その通りだ」という気持ちにさせることができる。

スピーチとはムーヴなのだ。いかに心を動かし、行動に駆り立てるのか、なのである。だから、スピーチを聞いて、「そうだーっ」と心が揺さぶられた、心が動いた、そして終わった、というのではダメ。心が動いたら次に行動に駆り立てて、「こんなことはしていられない。そうだ、トラスト運動をしなきゃ。そうだ、交通事故撲滅キャンペーンをしなきゃ」と、行動に駆り立てる。それがすなわち説得力なのだ。

だから、説得力のあるスピーチは、だいたい帰納法的な構成になっているはずで、欧米人のスピーチがうまい理由はここにある。対して日本人の政治家は大方、言いたいことをワーワー主張しているだけ。それでは、言いたいことは理解できても、感動はしない。

こういう帰納法的な展開パターンを身につけておくと、結婚式のスピーチにもそのまま応用できる。

「新郎とはじめて出会ったのは私が学生の時でして、そのころから彼はなかなか優秀な男でした。テニスクラブで一緒だったんですけど、あるとき、テニスのラケットがなくなったことがありました。

みんなが、どうしようどうしようと大騒ぎしているその時に、彼が「ああここにあったよ」と。なぜ、彼が見つけることができたのか。彼は日ごろ、トイレに行ったあと、必ずそのラケットがあった場所で着替え、女子部のほうを窓から覗き見していたんですが、そのときは放心状態になっていたものですから、よくラケットを置き忘れるんです。

それで彼は、ラケットをなくすのはここしかないと思い、行ったらあった、というわけです。そういうことがありまして、その覗き見をされていた女性が新婦でございます。

ですから彼は、自分自身の行動パターンはもちろんのこと、人の行動パターンを冷静に分析していて、ラケットがなくなった時にはいつも彼が発見する。

何か困った時にはいつも彼が解決するんです。こういう理由で、「ああ、彼は優秀だな」と思ったんですけれど、彼は入社してからどうだったのかというと、ふつうに入社して五年ぐらいたったら係長というところが、彼は二年後に係長になり、四年目に課長になり、一〇年たって部長になるかならないかというところを、六年目に部長になりました。

このスピード出世。調べてみると、彼は創業以来のスピード出世と言われていることがわかりました。いかに彼が優秀かということがおわかりでしょう。

それだけ出世する理由は何かと申しますと、やはり目上に対しては素直だし、同僚の面倒見はいいし、後輩とはいつも楽しくやっているし、笑顔が爽やかで、女子社員にも男子社員にも、目上にも同僚にも目下にも可愛がられています。これが彼の記録破りといわれるスピード出世の秘訣。当然ですよね。

それで私は思うんですけど、こんな素敵な彼の心を射止めたという彼女は、私は今世紀最大と言っては言いすぎかもしれませんが、平成に入ってから最も幸せな花嫁の一人ではないでしょうか」

聴いているほうは、「はあ、なるほど」と思う。そこで、

「実は、彼には趣味がありましてね、狩野川に釣りに行くんです。アユ釣りの名人なんです、友の。あれで彼女を引っかけたのかもしれませんけど、それをバーナーで焼かないで、竹藪に入って、笹の葉にくるんで食べる。すなわち、アユの笹焼き、愛のささやき。これが結婚してから行なわれるんじゃないんでしょうか。

新郎は、スピード出世記録を塗り替えるような優秀な男です。そして彼の愛のささやきを受ける大食漢の奥さんというわけではありませんけれど、この素晴らしき新郎新婦に、改めて、もう一度おめでとうという言葉を贈って、私のスピーチに代えさせていただきたいと思います」

と言うと、「オー」という歓声が上がることは間違いない。とくに、最後のアユの笹焼き愛のささやきという気のきいたワンワード。

これを入れることでスピーチが締まり、強く人々の印象に植えつけることができたのだ。対して、「新郎は最高の男です。花嫁も最高の女性です。こんなに素晴らしい結婚式はこれまで見たことがありません」

なんて言うのは、演繹的な祝辞で、イマイチ感動しない。

アメリカ大統領のスピーチが面白い理由

身近な実例から入って、現状を分析し、最後に気のきいた一言で締めくくる。このロジックがしっかりしていれば説得力があるし、わかりやすい。やさしい単語でしか表現できない人、イマイチ語彙力に欠けている人でも、ロジックがしっかりしていたなら、すごくわかりやすいし、説得力のあるスピーチができるのだ。

反対に、どんなにいっぱい単語を知っていても、どんなに気のきいた表現をしていても、ロジックが明確でなく、展開のパターンができていないと、何を言っているのかよくわからない。

言っていることはわかったとしても、説得力がない、ということになる。

さらに言えば、このロジックと論理展開に加えて、文学的表現力が足されたら、これはもう最高のスピーチになる。それを絶えず研究していると言ってもプレーンが研究しているのだろうがアメリカの大統領のスピーチなんか、本当に素晴らしい。

いまだに名言として残っている、「われわれにとって大切なのは、国に何かをしてもらうことではなく、国に何ができるかである」というケネディ大統領の有名な演説など、その極致である。それに対して、日本の首相のスピーチと官僚の答弁のつまらぬことと言ったらない。欧米人のスピーチと日本人のスピーチ。その巧拙のゆえんは何か、よく研究したらいいと思う。

帰納法的と演繹法的。そのロジックの違いを頭に入れてスピーチをすれば、結婚式の挨拶や朝礼の挨拶、それからプレゼンテーション、何をやっても非常に説得力があるし、具体的でわかりやすいし、印象に残るし、感動する。

起承転結の活用法

これを和的な論法でいうと、序論、本論、結論ということになる。

例えば、プレゼンテーションの時には、「えー、まず申し上げることは」から始まって、「それだから、こういうことでございまして」「結局、こうでございます」で結ぶ。

序論、本論、結論。論文を書く場合は、ほとんどこのロジックである。

それとは別に、起承転結というのもある。

まずはじめに起こして、承で受けて、転で話を転換して、結で全体を要約する。漢詩、七言絶句とか五言絶句は全部、この起承転結になっているし、四コマまんがでも、最初に起があって承で受けて、転、結で締める。その場合、腕の冴えを見せるのが転結で、四コマまんがの真価は転結で問われると言っても過言ではない。

それを応用して、スピーチをする場合も、最初に起で始め、次に承があって、転があって、最後は結で締めると面白く、意外性のある話ができる。四コマまんがのように、意外性のあるスピーチになるわけだ。

それから短歌になると、五七五七七ということになる。この場合、上の句の五七五が、起承転結の起承に相当するが、短歌で大事なのは、七七の下の句。

つまり歌の終わり方 20 により重みがあるのだ。対して、五七五の俳句では、上のほうに重みがある。短歌の場合、七七を言わんがための五七五なのだ。

俳句の場合は一発目。「古池や蛙飛び込む水の音」だったら、一発目の「古池や」に重点がある。それから、字余りがある時には、最初のほうに持ってきたほうが強く感じる。

したがって、論文やレポートなど、論旨を明確に書くことが求められる場合には、序論、本論、結論。より面白く書くことが求められる紀行文などは起承転結、あるいは五七五七七。そのように、目的に応じて使い分ければ、和的な論法も大いに役立つはずだ。

しかし、パブリックスピーチということになると、1専門・特定、2動機、3現状分析、4計画・意見・アイデア。

そして最後に必ず気のきいた言葉、「運転免許を取ることは天国行きの切符を手にすることです」「故郷の歌が故郷の歌として歌えるように、子孫たち、子どもたちに自然を残しましょう」といったフレーズで締めくくる。そういジーンと胸にくるような詩的表現、ワンワードがあるとスピーチはさらに光輝くことだろう。

最後に

結論を言うと、スキーの技術を身につけてはじめて難コースでも楽しめるように、またゴルフの技術を身につけてはじめて難コースでも楽しめるように、コミュニケーションも基本的な伝達の技術、理論を身につけてはじめて、人との会話やスピーチを楽しめるようになるわけだ。

だから、コミュニケーション能力を高めるには、まずその基本を身につけること。これが最低条件であって、その上で、さまざまな場面に臨機応変に対応できる応用形を研究していけば、最高のコミュニケーションができるだろう。

そのレベルに立ってはじめて、その人その人の持ち味というものが出てくるのだ。その持ち味とは何かといえば、言葉プラス各人の醸し出す雰囲気、表情、服装……。

すなわち、その人の人間性がそのまま持ち味として出てくるのであって、その意味で、コミュニケーションとは言葉を媒介としたハート全体である、と定義づけることができる。

したがって、本当に素晴らしいコミュニケーションができるようになるためには、この章で述べてきた言葉の技術を磨くと同時に、自分自身の人間性に磨きをかけなければならないわけだ。

だから、コミュニケーションほど面白く、刺激的なものはないのである。