本物の経営者はどこがちがうのか! 深見所長講演録14(Vol.4)

度胸と根性でトップを狙え ~平成17年6月23日 東京第二ワールドメイト会館~

クールビズのあおりを受けるネクタイ業界

きょうは皆様、クールビズということで、ノーネクタイで講義をさせていただきますが、クールビズを知っている人、手を挙げてください。

知らない人?六割が知っていて四割が知らないということは、皆さん、あまり新聞を読んでいないということでしょうか。

クールビズというのは、小泉首相がいま、積極的に進めているものですが、閣僚たちの動向を伝えるニュースを見ていると、何人かがラフな格好をしていて、何人かがきちんとネクタイをしているから、何かアンバランスな感じがしますね。

ネクタイを締めるなら締める、締めないなら締めないで、どちらかに統一して欲しいと思うんですけれどね……。

で、このクールビズというのは、クールビジネスの略でありまして、霞が関では以前から、夏場の暑いときでも室温は二十八度以下に下げないで欲しい、と。

省エネを考えて二十八度以下にはしない、と言ってきたわけです。ところが、ネクタイをびっちり締めてスーツを着ていると、二十八度じゃ暑いということで、実際には二十四度ぐらいでやっていたようです。

まあ、二十四度くらいなら男性にはちょうどいいんでしょうけれど、一方、女性にとって二十四度はどうかと言いますと、男性みたいにスーツを着たりネクタイを締めたりしている人は少ないものですから、えらく寒いわけです。

もう地獄のような寒さで体が冷えてたまらない、というので、膝に毛布を置いたりしているわけですけれど、女性の冷えということを考えたらやっぱり二十八度だと。

それには、男性のスーツもネクタイもやめよう、と。

それで、霞が関の官公庁が率先してクールビズというのを始めたんですけれど、こういう服装なら首から空気が入ってきますから、二十八度でも全然苦ではありません。

女性にとっても快適です。室温を四度上げることによって女性が冷えで苦しまなくなり、かつまた、電気代が助かる、と。四度違うだけで電気消費量が全然違うそうです。

そういうことでいま、霞が関が中心となってどんどんクールビズを進めているわけですけれども、それにはまずトップからだ、と。トップが率先垂範すれば、下の人間もできます。

それで、閣僚たちの多くがクールビズスタイルでテレビに登場したりしているのですが、従来どおりスーツにネクタイの人もいればクールビズの人もいて、何かアンバランスな感じがします。

それで、先日の父の日に、名古屋のスタッフからお菓子が届いたんです。「深見先生、いつもありがとうございます」と。

なぜ父の日にプレゼントが届くのか分かりませんが(笑)、名古屋のスタッフ、それから名古屋のたちばな出版の営業マンが父の日にお菓子を贈ってきたんです。

私は名古屋の人たちにとってのお父さんか、と。まあ、お父さんでもいいんですけれども、とにかく父の日に贈ってきたんです。何か、お父さんにおねだりする気なのかなと思いましたけれどね。

それでバレンタインデーのときも、チョコレートがいっぱい贈られてきます。それはそれでありがたいんですけれど、いくらたくさん贈られても、食べるのには限度があります。

チョコレートを二百個も食べられません。そんなに食べたら、顔中がぶつぶつになってしまいます(笑)。

それでも少しずつ食べて、食べきれない分は女性スタッフにおすそ分けしております。

女性スタッフがバレンタインチョコレートのおこぼれをいただいているわけです。

まあ、私の誕生日にはみんなで白山に行きますので、何か贈りたいのかなと思いましたが、それにしても、名古屋のスタッフだけが贈ってくるのも変ですし、それにまた、なぜ父の日に贈ってくるのか。

「やめてくれ、同じ贈るなら母の日に贈ってくれ」(笑)と言っているんです。

その心は、菊理姫様に言上申し上げるからですけどね。

そういうことで、室温を二十八度にすればエネルギーを節約できるし、それから女性たちにとっても、毛布が要らないので快適だということで、女性議員には非常に人気があるらしいです。

そのクールビズによって世の中にどういう変化があったかと言うと、父の日の話に戻るんですけれども、父の日のプレゼントというのはだいたいネクタイが多いんですが、クールビズのせいで、ネクタイの売り上げが例年に比べて落ちたらしいです。

そこで、ネクタイの業界組合から小泉さんほか閣僚に、ネクタイばかり攻撃しないでくれ、ネクタイばかりを悪者にしないでくれ、という要望があった、と。それくらいネクタイ業界が落ち込んでいるわけです。

ネクタイがダメならループタイがある

クールビズが広まるとネクタイ屋さんが流行らなくなってくる。というわけで、ネクタイの売り上げが落ちているわけです。

こういうとき、どういうふうに考えなければいけないのか、ということなんです。

私だったらループタイを流行らせようと考えます。お年寄りがよくつけていますよね、ループタイ。あれなら涼しいからクールビズにも合います。

では、そのループタイを流行らせるにはどうすればいいのか。

いろいろ方法はあるでしょうが、たとえば雑誌なんかとタイアップして、「ループタイをつけよう」というキャンペーンをしたらおもしろいでしょうね。

そうやってブームになったら、「最近、ループタイが流行っているよね」ということで、ループタイに付加価値がついて、「父の日にはループタイを贈ろう」というのが一つの合言葉のようになってくるかもしれません。

それにはもちろん、ループタイをいかにファッショナブルにするかという研究等が必要ですが、一つの商品の売り上げが落ちてきたらそれで終わりというのではなくて、その商品に代わるものを考えていかないと、やはり生き残っていけません。

たとえば、ベートーヴェンの第九なんかを例に考えて欲しいわけですが、年末になると第九がよく演奏されます。

しかしあれは、日本だけであって、年末に必ず第九を演奏するという国は他にはありません。年末だから第九を演奏するというのではなくて、他の国では真夏の第九もあったりします。

ところが日本では、年末になると一つのオーケストラで十回ぐらい第九を演奏します。

ですから、オーケストラも合唱団も年末は忙しいんです。

けれど、だったら、一ヵ月ずらすと、オケも指揮者も合唱団も時間があるというので、私たちは節分のときに第九をやったわけですけれど、何も新暦にこだわることはない。

新暦が難しかったら旧暦でやればいい、と私は考えるわけです。

まあ、それはそれとして、年末に第九をやるようになったのは、実は音楽業界が仕組んだことであり、企んだことだったんです。

なぜかと言いますと、楽団員とか合唱団は、クリスマスはクリスマスコンサートがありますが、クリスマス以降は仕事がないわけです。

つまり、年越し資金がなく、餅代がない。それでは、日銭で生きているオケや合唱団の団員は、年を越して正月を迎えることもできません。

ということで、年末には第九を演奏しようということになったわけでして、要するに、年末の第九は、音楽業界が勝手に仕組んだことだったのです。

まあ第九というのは、何となく年末の雰囲気に合っていますよね、確かに。ベートーヴェンの最後の交響曲ですし、さらにその最後に合唱が出てくると、もういよいよ年末で、明日、明後日にはお正月を迎えるんだなあ、という気分になります。せわしない感じもするし、年末にはピッタリだ、と。

けれど発端は、いま申し上げたようなことでして、オーケストラの団員とか合唱団の団員の越年資金を確保する目的で始めたことなんです。

まあ、第九は最後に盛り上がりますから、その年の終わりという感じがしますよね。

最後に合唱があって、ワーッと盛り上がるでしょ、第四楽章が。それがまあ、何とな年末っぽいなということで定着したわけです。

年末と言えば第九。このおかげで、オケの団員とか合唱団員は本当に助かっています。

バレンタインデーもそうです。

あれはもう、多くの人が知っているように、チョコレート業界が仕組んだことなんです。バレンタインデーにチョコレートを贈るって、いったい誰が考えたんでしょうか。

バレンタインデーにチョコレートを贈るという習慣は昔からあったわけではありません。

あれはチョコレート業界が仕組んだもので、われわれがそのワナに、まんまとはまっているだけです。

さらには、バレンタインデーがあるならホワイトデーが要るんじゃないか、と。

これも業界が仕組んだワナです。それから、三月三日は耳の日とかで、補聴器を売ろうということで決められた日なんです。母の日も父の日も、みんなそうです。ということは、業界はそれぞれいろいろと仕組んでいい、ということです。

ですから、ネクタイ業界は絶対にループタイを仕組むべきであって、「父の日にはループタイを贈ろう」というような習慣づくりを、あらゆる手段を使って進めていかなければいけないのではないかと思います。

モデルチェンジはなぜやるのか

それから、以前本にも書きましたけど、ベンツは昔からずっとあのままのスタイルです。フォルクスワーゲンもずっと、あのてんとう虫というか、かぶと虫みたいな格好でした。

それに対して日本はどうかというと、トヨタや日産などの各自動車会社は、毎年のようにモデルチェンジをして、「今年のモデルは「これだ」なんて言っています。あれはもう六年ぐらい先まで型が決まっているんです。いっぺんに出さない。

少しずつ変化させていっているんです。だから、ああこれは何年度型の古いモデルだからということで、新しいモデルを出せばまた売れるわけです。

電気製品もそうですね。松下電器や日立製作所なども、今年度の冷蔵庫、来年度の冷蔵庫というふうにして、だいたい五年先、六年先の冷蔵庫を全部決めているらしいです。

そのうえで順番に出していくんです。冷蔵庫も掃除機も洗濯機もみんなそうです。

それから炊飯器等もそうらしいです。とにかく順番に出していく、と。

しかし、こんなことをやっているのは日本だけで、毎年新しいモデルを出せば売れる。ということは、消費者は電機業界や自動車業界に完全に仕組まれているわけです。

欧米なんかでは、古い冷蔵庫をずっと使っています。アマナという大きくて優秀な冷蔵庫がありますけれど、今年度のアマナのモデルなんていうのはありません。

アマナはアマナだ、と。いいモデルはずっと変えないし、完成型のようなものは何年も何年も使い続けます。

日本の場合は、毎年毎年新しいモデルを出して、去年のはもう古い、と。電気洗濯機も掃除機も炊飯器もドライヤーも全部、少しずつ変えていく。いっぺんに変えないんです。

少しずつ変えていって、五年間、六年間、新しいものを出し続けていく。

要するに、消費者がこれでいい、これで満足だと思って習慣化しているところに新しい刺激を与えることで、新たな需要を生み出していくわけです。

それから、ビール業界なんかもそうです。

夏限定のビールとか、数量限定のビールなどがあります。ゴールデンウィークビールというのがあるのかどうか知りませんが、とにかく限定品として売り出すとよく売れるんだそうです。

しかし、そういうふうにやっているのは日本だけです。世界ではそういう例はほとんどなく、欧米の人から見たら実に不思議に映るらしいんです。

なぜ日本はこんなに、どんどんどんどん新商品をつくって、古い型のものは粗大ごみとしてどんどんどんどん捨ててしまうのか、もったいないんじゃないか、と。

リサイクルに使うといっても、リサイクルにまたエネルギーが必要ですから、省エネという点から考えてもムダなことなんですけれども、日本では絶えず新しいモデルを打ち出すことで商品が売れるわけです。

いずれにしても、ヨーロッパでは一つのモノをずっと大切に使っていきます。それに対して、日本人は常に新しいものを求めます。

まあ、初物好きというか、タケノコの初物、マツタケの初物、何でも初物を好みます。伊勢神宮の式年遷宮ではありませんけれど、常に新しくリフレッシュしたものを喜び、好む傾向があります。

販売中心の会社が勝つ

だから、そういう消費者のニーズに合わせて商品開発をしていかなければ売れないんですけれど、自分の会社のプランに合わせて、どんどんどんどん開発していく会社もあります。

言わば生産者志向のような会社です。

たとえば、日産とかシチズンとか、それから、昔の平凡出版なんかそうです。

平凡出版はいまはマガジンハウスという社名になっていますけれど、平凡出版の時代はもう、編集を中心にして雑誌を売っていった。シチズンもそうです。

技術のシチズンと言って、技術中心です。それから、技術の日産。しかしそういう会社は、どんなに頑張っても二位。やはり、販売を主にしているところには勝てません。

服部セイコーなんか、販売会社が上場していて、製造している諏訪セイコーとか塩尻セイコーは上場していません。

それに対してシチズンは、シチズン時計という西東京市の田無にある製作部門が上場していて、販売しているシチズン商事は上場していません。

販売部門を上場している会社と製造部門を上場している会社。どちらが勝つかと言えば、販売部門を上場している会社です。常にセイコーが勝っています。

それから、出版業界を見ましても、販売を主に考えている集英社がずっと収益率で一番です。

講談社とか有名な出版社がありますけれど、集英社が一番。

やはり、編集を中心にしているところはうまくいっていません。かつての平凡出版なんかはまさにそれで、「平凡パンチ」がいっときブームになりましたけれど、結局ダメになりました。

難しい出版社の経営

それに対して、たちばな出版には四十人ぐらいの営業マンがいますし、それから、永岡書店という出版社がありますけれど、そこでは約三十名ぐらいの営業マンがいます。

なぜ永岡書店がそれだけの営業マンを抱えているかというと、問屋さんである東販、日販を通さずに、直接書店と取り引きをすると、締めに合わせて現金が入ってくるし、回収額も多いからなんです。

そのために地道に営業マンが書店営業をしているんです。

永岡書店のもう一つの特徴を上げると、徹底的に実用書に絞っていることでして、金魚の飼い方とか原付バイクの免許の取り方とか、交通事故をしたときの処理の仕方とか、スキーの滑り方とか、とにかく実用書が多い。つまり、流行り廃りに関係なくじっくり売っていこうというわけです。

永岡書店さんは営業マンが約三十名ぐらいで、東販、日販の問屋を経ずに、直小売りというスタイルを貫いています。

そうすると、直現金で入ってくる。サイトも三十日から五十日ぐらいです。

東日販を通すと、納品後、半年ぐらいあとです、それも手形で。

しかも、半年後に入るかと思いきや、返本にあったら、返本分を差し引いて現金化されるから、品物を納めてもいくら現金で返ってくるか分かりません。たくさんの出版社の経営を圧迫するのは、そういう理由です。

いま、出版社は全国にだいたい四千社ぐらいあります。その中でたちばな出版は、まあ二百番目ぐらいでしょうか。売り上げが二十億円ちょっとです。

それでも、なるべく現金が入ってくるようにしていかないと、資金繰りを圧迫しますから、絶えず知恵を使わなければなりません。

たちばな出版は信用調査でも最高点がついています。財務内容はいいですから。

やはり、知恵が必要です。

キャッシュ・フローがどうなのかということも、不測の事態が常に起きますから、知恵を使ってやっていかなければいけません。出版社は昔から、つくりやすいけれど潰れやすいと言われております。

中小の出版社がたくさんありますけれど、たくさん潰れております。現金が入ってくるのは六カ月後ですし、納入した金額が全部入ってくるのかと思いきや、ガーンと返本があったらもうアウトです。

ベストセラーを出し、書店さんが欲しい欲しいという段階で、増刷をストップしておけばいいんですけれども、そこの判断が実は難しいんです。

欲しいという書店さんの注文に応じて増刷していたら、パタッと止まったときが怖い。大量の返本がガーンとあったら、身動きがとれなくなってしまうんです。

結局は、つくりすぎるからいけないんですけれども、書店さんは欲しい欲しいと言ってくるわけですから、ついついつくってしまう。

つくるべきかストップすべきか、その判断が非常に難しいところです。ブームというのは、いつか必ずパタッと止まるわけです。

まあ、出版業界に限らず、どんな業界であっても、そのブームの見極めはとても難しいものです。

「ハリー・ポッター」なんかも、初めのうちは爆発的に売れましたけれど、最近は分厚過ぎて大き過ぎるのが原因なのか、それまでと比べると売れなくなってしまいました。

あれだけ売れた「ハリー・ポッター」が売れなくなって、まるで張り子の虎みたいになって、ほんとの虎ではなくなってしまった。これが出版業界の難しいところなんです。

その点、永岡書店なんかは独自性があって堅実ですね。収益率もいいです。それから、日本文芸社も実用書をだいたい三千店ぐらいに置いています。

私が最初に書いた「神界からの神通力」は、日本文芸社から当時出しましたけれども、日本文芸社は実用書と一般書の両方をやっています。

でも、コンスタントに売れているのは実用書です。

そのことを考えたら、書店さんに直接営業していく、いわゆる直販体制を敷くと同時に、実用書を増やしていくことが出版社の経営では大事だということです。

そうすると、コンスタントに売れていきます。金魚の飼い方とか鯉の犠牲の仕方とか金魚の殺し方とか、それから鳩の殴り方とか、いろんな実用書が考えられますね(笑)。

マスカラのつけ方とか、自分でできるまつげパーマと危険でしょうけれどね(笑)。

とにかく、実用書のほうへシフトしていくと、バーッとは売れないけども、コンスタントに売れていくから、資金繰りの予定が立ちます。

いろいろと研究していると、そういうふうなことが分かってくるんですが、各社それぞれに生き残りを懸けて、一生懸命研究しております。

生産者志向と消費者志向

話は横道にそれましたけれど、集英社なんか常に消費者ニーズに耳を傾けています。「少年ジャンプ」が売れたのはそこに理由があったわけです。

いまは、昔ほど売れていないようですが、常に消費者のニーズを踏まえ、みんなが欲しがっているものをつくっています。だから、売れるんです。

一方、自分のポリシーでつくったものを売るというのは、これはもう昔型で、いわゆる生産者志向です。

人々が求めているものをつくって売ると確実に売れますが、こういうモノがいいと自分で勝手に考えてつくったら、売れるかどうか分かりません。

売れることもあるでしょうが、売れないこともある。むしろ、売れないことのほうが多いんです。

これが消費者志向と生産者志向の違いです。マーケティングというのは、前も言いましたけれども、つくったものをどう売っていくのか、というのがこれまでの定義だったのが、近年は変わってきて、マーケットリサーチして何が求められているのか、その求められているものをつくる、そして、つくったものをどのように売っていくのかということも含めてマーケティングと呼ぶようになってきています。

言葉の意味と定義が変化してきました。

それはよく言われることではありますけれども、その定義と、最初にお話ししたモデルチェンジというのとは違います。

消費者のニーズに合わせてつくるんではなくて、新商品を次々に開発していくことで消費者のニーズを呼び起こすわけです。

電気掃除機にしても電気洗濯機にしても、今年のモデルはこれだ、というふうに消費者に呼びかけていく。

それから、バレンタインデーにチョコレートを贈ろう、というのもそうですし、年末に第九のコンサートをするとか、ネクタイが売れなくなったからループタイを贈るキャンペーンをやるとか、何らかの形でブームをつくっていく。

ほかにもいろんなケースがあります。自動車の新商品、それから季節限定のビール。こういうものは何を狙っているのかというと、要するに習慣化してしまっているユーザーの消費意識をくすぐり、新しいニーズを掘り起こしていこうというわけです。

消費者のニーズに合わせて商品を開発するのではなく、つくり手自らが新しいニーズをつくっていくというやり方です。おもしろいでしょう。

こういうやり方もあるわけでして、いわゆる生産者志向ではなく、消費者ニーズに合わせて商品をつくっていくというのは誰でも考えることですし、やることです。

もちろん、消費者ニーズを知ることは大事ですけれど、そこから一歩抜け出して、生産者から消費者に働きかけていく。そういう発想もとても大切です。

定石を超えるオリジナリティが勝負を決する

たとえば、囲碁でも将棋でも定石というのがあります。定石に合わせて打つ、と。穴熊というような守りを固めていくという定跡。

あるいは振り飛車という攻撃的な定跡。囲碁でも将棋でも、プロになるにはまず、そういう定石を一つひとつ勉強していかなければなりません。

そして、八段ぐらいになるともう、富士山の頂上ぐらいまで積み上げるぐらいの技術書のノウハウが頭に入っているらしいです。

まあ、定石とかパターンとか過去の棋譜は、新聞なんかにも出ています。名人戦とか龍王戦とかがあると、その都度新聞に載ります。それをまた定跡として勉強していくわけです。

そうするとどうなるかというと、上段者になればなるほどお互い定跡を知っているわけだから、その定跡と定跡の戦いになります。

問題はそのときどうするかであって、羽生さんなんかはもう定跡を超えていると言われています。

坂三吉もそうです。アホの坂田という関西のコメディアンがいますけれど、将棋の坂田と言ったら坂田三吉。彼も定跡を超えた将棋を指していたと言われています。

ただし、定石を超えると言っても、あくまでも定石を踏まえたうえでの話であって、そこからいかに新機軸を打ち出すか。それがオリジナルです。

そのオリジナルなものからまた、新しい定石がつくられていく、と。

ですから私たちも、いわゆる業界の定石を一応、勉強しなければなりません。

それぞれの業界には独自な商売のやり方があるわけですから、それをしっかりと理解し勉強する。そのうえで、定石を超えていく。そこからがオリジナルです。

定石を超えたオリジナルなものを打ち出すことができれば、独自な戦略と、より大きな売り上げが可能になります。