第三章 支部活動における人材育成のポイント~全国支部代表者会議にて 2001年5月20日~
一人ひとりが資質を伸ばしていくことの大切さ
今、スタッフで実験的な試みをやっています。どんな実験的試みかというと、ひとつは能力判定テスト。これまで私が本に書いたり、セミナー等で繰り返し述べてきたご神業についての重要なポイントをどれだけ知識として理解し、答えられるかということをペーパーテストにしまして、スタッフで二月に行いました。
それから、ひとつのご神業が終わった後、感想文を書いてもらっています。感想文ってどう書いたらいいのでしょうか。
ご神業の中でいろいろなことを体験するわけですけれど、ただ何となく「よかった」とか、「すごかった」「印象に残った」ということで終わるのではなく、体験したものを、どういうふうに受けとめて、それをどのように表現したらいいのか。
人に伝わるような文章にしていくためには、体験したことを論理的に捉えて、 自分の中でちゃんと整理していく必要があります。
何が重要で、何が派生的なことで、それらを自分の中でどういうふうに咀嚼すべきなのか。そういうことがわかっていなければ、どれだけ自分が感動しても、なかなか人に伝わっていきません。感想文にも、やはり、ちゃんとした書き方の原則があるのです。
ご神業を終えた後、何本かビデオを渡して、「感想を三千字以内で書きなさ「い」ということをスタッフで実験的にやってみました。すると多かったのが、自分の体験を書いたものです。たとえば、日ごろ、自分がどんなに苦労しながら頑張っているか、という体験談が書いてある。そのご神業やビデオの中身とは、関係のない話です。
公開冬神業のビデオを渡して「このご神業の感想を書きなさい」という課題なら、当然、公開冬神業の中身を書かなくてはならないでしょう。臨済禅師と白隠さんの問答を見てどう思ったとか。
ところが、何割かの人が、延々と自分の実生活のことばかり書いているわけです。
それから、よく出てくるのが、「目からうろこが落ちた」とか、「観念がはずれた」という慣用句的な表現です。しかし、いったい、どこまで深く、あるいは物事を整理してどれだけ理解しているのか。
ご神業に参加し、いろいろなことを体験してはいるのですが、どの程度、それを咀嚼し、自分のものにしているのか。そして、それは人に告げられるようなものなのか。
そういう意味で感想文には感想文の書き方があるし、書き方がわかってくると、感想の感じ方がわかるようになります。書けるということは、それを人にも話せるわけです。
それから、今度は、ゴールデンウイーク神業のビデオを四十時間分見て、一万字にまとめてもらいました。われわれのスタッフは、三百人いますけれど、みんなふうふう言ってましたね(笑)。
それで全部採点しました。点数をつけて発表して、よくできた人は表彰しました。十人の方に万年筆。図書券をもらった人もいます。そのような形で、これを、今、スタッフの中で実験しているところです。
そして、いずれエンゼル会の皆さん、支部代表者、およびエリアの議長、コミッティの方々にも、何らかの形で、やっていただくようになるでしょう。
皆さんは、真剣に神様に向かい、一生懸命にご神業のことをやろうとしているのですが、いったい、その内容をどれだけ咀嚼し、感想をどのような形で人に語ることができるのか、文章に書くことができるのか。
それはその人の能力、資質に関わってきます。御魂のレベルが上がっていくための大事な要素であり、人材を育成していく際のポイントです。
どんなによいものを提供し、どんなに素晴らしい体験をしても、どんなにい神様であっても、この現実界においては人を通してでしか広まりません。人の言葉とか、人の文章、人と接触した分でしか、布教というのは広まらないわけです。ですから、やはり一人ひとりがレベルアップをして、資質を伸ばしていっていただきたい。
そこのところをどのように考えて、皆さんを育成すべくプログラムを作っていけばいいのか。どういう形でやればいいのかということを、今、研究中です。
そのようなプログラムとか、システムというのは、白山菊理姫様のジャンルです。スタッフが、白山へ定期的に参拝に行っていますけれど、冬神業以降、白山に行くと、そういうシステムがひとかたまりになって降りてきます。
ゴールデンウイーク神業も、特に、雌島雄島における神業は、原則に立って、ご神業の荷い手としてどうやって育てていくのか、という教育的な要素が多かったのです。このように御魂を育成し、育てているわけです。
繰り返し反復して原点に立ち返る
そういうことで、教育とは何かです。
形としてはいろいろな方法が考えられますが、原則的なことから言いますと、まず知識がなければいけない。知識や情報のインプットが大切です。
それから、ものの考え方を身につけていく必要があります。知識ばかり詰め込んでも、ものの考え方というものがわかってないと、やはり、全然わからないものですから。「こういうふうに考えるんですよ」という、考え方のひとつの規範です。
まず知識があって、それから、ものの考え方がわかっていること。しかし、今度はそれを具体的な場面で実行できるのかというと、出来たり、出来なかったりします。いつでも本当にそれを実行できるようになるためには、反復しなければいけない。何回も何回も何回も何回も反復して、初めて定着していくわけです。
ですから、支部長とかコミッティー、議長という立場にある人は、どういうふうに教育というものを考え、新しく支部に来た会員さんや若い人たちに実践していけばいいかというと、まず、「これは、こういうようなものなんだよ」という知識や情報をもっと教えてあげる。
知識、情報から入っていって、次にものの考え方。そして、それを事あるごとに、何度も何度も反復して、原点に返っていくことです。
原点とは何か。
これは神人合一の神法でもあるわけですが、エンゼル会の場合は神業奉仕をする心、あるいは神業奉仕をすることの大切さ、神業奉仕をすることの幸せ。
エンゼル会というのはエンゼルですから、最終的には、やはり菩薩、如来と同じになっていっていただきたい。
ただ、神業奉仕することの意義や大切さということばかり強調すると、「これをしなければならない」というふうに、「ねばならない」という世界に入ってしまいます。ですから、意義や大切さは、すべて神業奉仕することはいかに幸せであり、喜びであるかということにつながっていくように教えてあげることが大切です。
神業奉仕することは、エンゼルや神様、仏様の御心にかなうので、たくさんのご神徳をいただけます。神様に愛される人になるわけですね。だから、一番幸せな人間になるんだよ、と。ご利益もいただきます。
そういうふうに、神業奉仕することの意義、神業奉仕することの大切さ、そして神業奉仕することの喜び、幸せ、尊さ。これを、何度も何度も反復して反復して、繰り返し教えてあげてください。
日々の活動の中で、具体的なことに即して、「こんなことがあったんだ。なんて素晴らしいことなんだ」と感謝し喜びとしていく。最初は知識として、「ああ、そういうものなんだ」と受けとめる。
「そういうふうにものを考えていくんだな」「そういうように受け取るものなんだな」ということを、何回も繰り返していくことです。
たとえば、最後まで残ってご神事の後片付けをしている場合でも、「この世の目で見たら、あまり目立たないことだけれど、神様はそういうところを見ているんだよ。神様の目から見たらすごく大切なことなんだよね」というように、何回も何回も反復して、事あるごとに神業奉仕の原点に返っていく。
何をする場合でも、支部長、コミッティー、議長の言葉の初めにそれがあり、言葉の終わりにそれがある。そういう伝統とか気風というものを作っていっていただきたい。
幸せのサイクルに入る法則
たとえば、このなかで救霊師の人、手を挙げてください。
「吉兆」に行ったことある人は?
行ったことのある人はわかると思うのですけれど、必ず反復して言う「吉兆のキーワード」があります。これは、もう儀式になってしまいました。
「はい、いまから吉兆のキーワード」と言うと、皆さん大声で言うわけです。
「救霊師になってよかった!!」と。必ず、毎回、皆でこれを言います(笑)。
もっとも、最高級の日本料理ですから、夢中で食べてますけれど。そういう機会でもなければ、なかなか普通では行けないようなところです。
本当に、この上なくおいしい吉兆さんの料理を夢中で食べて、食べ終わったときに、それをどのように考えるのか。「ああ、おいしかった」「本当においしかったね」だけで終わってしまいそうになりますが、そうならないように、このキーワードがあるわけです。
私が、吉兆にご招待するのは、一生懸命救霊活動をして、努力して、ある一定の件数を満たした方々です。それだけのご奉仕をしたことに対して、神様も本当に喜んでいらっしゃいます。
皆さんの魂や、背後霊も喜んでいるんですけれど、やはり、胃腸も細胞も幸せにしてあげたい。私も皆さんを称え、ねぎらい、そういう喜びを分かち合うために、時間を割いて吉兆に行くわけです。そして、結論として「ああ、やっぱり救霊師になってよかったな」と。
皆、どこかでそう感じているのでしょうが、言葉に出してハッキリと言うと、「本当に救霊師になってよかったね」
「本当にそうだよね」と思うんですよね。そういったものの考え方、キーワードというものを、常に反復していくことが大切です。
ですから、エンゼル会の皆さんの場合なら、「ご奉仕ができてよかったね。エンゼル会員になって、本当によかったね」ということを、常にものの始まりで言う習慣をつけることです。
「ご奉仕って楽しいよね。素晴らしいね」
「下座の行って輝いてるね」
「本当に神業奉仕してよかったね」
そういうふうに言葉にすると、「ああ、本当にそうなんだ。神様のお役に立てるって、なんて幸せなことなんだろう」と思います。今の若い人はあまりそういう習慣がありませんけれど、そう思えば、本当に幸せになる。神霊界はそういうシステムになっています。
感謝は感謝を呼び、喜びは喜びを呼び込む。「勇めば勇むことがあり、悔めば悔むことがある」と大本教のお筆先にありますが、人口に膾炙した言葉に置き換えるならば、「泣きっ面に蜂」です。もしくは、「笑う門には福きたる」だったりします。
神業奉仕の素晴らしさ、神業奉仕の大切さ、神業奉仕の意義、神業奉仕の喜び、神業奉仕をすることの幸せということを、何度も何度も反復していくと、新しくエンゼル会に来た会員の皆さんも、
「ああ、そういうものなんだ」
「本当にエンゼル会に入ってよかった」
「支部にいてよかった」と何度も意識で認識します。するとその都度、最高級神霊界に皆感応する。チャンネルが合うわけです。皆さんの背後霊の意識もますますそちらに向かいます。
ですから、神業奉仕に感謝すれば感謝するほど、感謝するようなことが起きてくるんです。大切だと思えば思うほど、神業するチャンスが巡ってきて、「ご奉仕をしていて本当によかった」と感謝するようなことが起きてくる。幸せだなと思えることがやってくる。
喜んで神業奉仕をしていると、喜びが喜びを生んでいくわけです。神霊界というのは、そういうふうなサイクルになっています。
最高級の幸せのサイクルは、神業奉仕を喜びとして生きること、神業奉仕に感謝して生きていくということです。そのようにすることによって、背後霊団が格別のご神徳を与えてくださるわけです。
うぐいすがホーホケキョと鳴くためには
まず、これを皆さん、忘れないで習慣化していくべく、繰り返し繰り返し反復することです。支部長、議長、エリアのコミッティー、上に立つ人間が、そういうふうに率先して言葉を出していく。神業奉仕を喜びとして、神業奉仕に感謝して生きていく。そういうような知識、そういうようなものの考え方を反復訓練する。
それが、いかにエンゼル会支部の活動を活性化させるか。救霊師や九頭龍師の活動を活性化させるか。目に見えない神様や仏様、素晴らしい神霊空間を呼び寄せることによって、自分自身が幸せのサイクルに入っていく一つの大きなターニングポイントになってきます。
そういう伝統をつくっていったならば、自然に、後から来る人たち、若い人たち、新人たちが、それに習って育っていくわけです。
うぐいすは、「ホーホケキョ、ホーホケキョ」と鳴きます。でも、子どもの鳥は、最初は「ケキョ、ケキョ」としか鳴かないんです。それが、親鳥が何度も鳴くのを聞いているうちに、やがて子どもの鳥も「ホーホケキョ」と鳴くようになっていく。
昔、私は勉強のためにあるミュージックスクールへ、半年ぐらい通っていたことがあります。そこの事務局長さんというのが、ちょっと変わったしゃべり方をする人でした。
「ああ、そうですか。本当にありがとうございます。誠にありがとうございます。ああ、そうですか。うん、なるほどね。うんうん」と、こんな感じです。
ニコニコとした感じのいい方で、言葉もクリアなのですが、変わった表現の人だなと思いました。それであるとき、そこに電話をかけたのです。
そうしましたら、「ああ、そうですか。うん、なるほどね。うんうん」と言う。それで「この間申し上げたように、こういうことなんです」という話をしたら、相手の方は「えっ?」と言うのです。どうも話が通じていない。
「いえ、ですから、先日申し上げたように」
「えっ?」
おかしいなと思って気づいたのですが、結局、私が勘違いをしていたようです。
電話に出た相手は、私が会った事務局長さんではなかったのです。ああ、違う人だったのかということで納得したのですが、しかし、「ああ、そうですか。うん、なるほどね。うんうん」と、全く声の調子も同じで、ソックリな話し方だったので驚きました。
それでしばらくして、またそこに行ったところ、たまたま事務の人が電話をしていたのですが、「そうですか。うんうん、なるほどね」と言って話していたのです。ああ、この人だったんだ、と。全く事務局長と同じ話し方なのです。
そこに事務局長が帰ってきまして、一緒に話をしたのですが、双子の兄弟かと思うごとく、「ホーホケキョ、ホーホケキョ」って鳴いているのが二人いるような感じなのです(笑)。
そうしましたら、そこに今度は女性の事務員が来まして、その女性も「ああ、なるほどね」って、これまた同じ言い方なのです。つまり、その事務局長に強烈なパワーがあるのです。顔の表情も同じです。全く同じ言い方をします。ですから、「門前の小僧」(「門前の小僧習わぬ経を「読む」ということわざ)といいますけれど、それだけ似てくるのです。
ふだん口にする言葉の影響力
以前、植松愛子先生のところに、Aちゃんというお手伝いさんがいました。
三重県から集団就職で東京に出てきた娘さんです。平家の落ち武者の集落の出身で、鳥羽から船に三時間乗って、そこからバスに何時間乗って、さらに歩いて…という所です。
一重まぶたで、鼻がぺちゃんとなっていて、本人もちょっと気にしていました。
ところが、植松先生のところに来て、ひとつひとつ教育を受けて、言葉のかけ方からお化粧の仕方からいろんな知識を得ていきました。植松先生のところに十年ぐらいいたでしょうか。そうして、ある程度の年齢になって、実家に帰って家具屋さんでアルバイトをしていました。
Aちゃんには夢がありました。素敵な男性と結婚したいという夢を持ちながらお仕事をしていたのです。植松先生が、「どんな人と結婚したいの」と聞くと、「身長はこれくらいで、眉毛はこんなんで…」と、いろいろ理想を持っていたようです。
そこで植松先生は、「そういう夢をいつも描きなさい。いつもそういうふうに夢を描いて、神様にお祈りして寝るのよ。きっと夢がかなうわよ」とおっしゃっていました。 Aちゃんは素直な子でしたら、実家に帰ってからもずっとそれを続けていました。
そうして、何年かしてあるとき、Aちゃんのお母さんが、知り合いから「いい息子さんがいるから」と紹介を受けて会ってみると、本当に素晴らしい男性だった。すごくハンサムで、性質もよくて心もよくて、頭もよくて、本当にかっこいい、Aちゃんが理想にしていたような男性です。
お母さんもAちゃんも、一目で気に入って、その男性も、Aちゃんのことを気に入ってくれて結婚したのです。
Aちゃんは、自分は鼻が低いからと、ずっとコンプレックスがあったのですけれど、「私って鼻が低いでしょ」と言うと、「えっ、全然気がつかなかった。そんなこと一度も思ったことないよ」と。
もう、絵に描いたような理想のご主人です。
そして、Aちゃんのほうも最高にいい奥さんだとご主人も言いますし、周囲の人もみんなそう言っている。植松先生のところにいたのですから、料理は何でも作れます。仕事先の人が来たら、本当に料亭みたいなご飯が出てくるし、もちろん、ケーキも得意です。もう評判の奥さんなのです。
最初は、集団就職で東京に来た娘さんです。それが、植松先生のそばにいて、どんどん変わっていきました。電話をかけるとAちゃんが出るのだけれど、みんな植松先生だと思ってお話をするんです。
声もそっくりだし、話し方もそっくりだし、うなずき方もそっくり。植松先生のそばにいて、尊敬しながらひとつずつ話を聞いて、「そうだな。そうなんだ」と思っていると、どんどん似てくるんですね。
先ほどお話ししたミュージックスクールの事務局長さんも、周囲のみんながそっくりです。ということは、エリアの支部長さんを尊敬し、あるいはエリアの議長を尊敬して一緒に神業奉仕に励んでいくと、それぞれその人のものの考え方、電話の受け方、応対の仕方が自然に似てくるわけです。
考えたら怖いことです。しかし、よく考えたら素晴らしいことです。支部長さんや議長が素晴らしかったらね。ですから、いかに普段ふと口にする言葉、なにげなく言うことが、いかに大きな影響力を持っているのかです。
支部長さんや議長さんが、普段、言葉の端々に感謝の言葉や喜びの言葉、神業奉仕の意義について何回も何回も反復していると、その支部の皆さん、エリアの皆さんは、みんな「ホーホケキョ」と鳴くようになるのです。
運は運を呼び、勇めば勇むことがやってくる。喜べば喜ぶことがやってくる。
感謝すれば感謝することがやってくるわけです。
うぐいす軍団の育て方
では、どういうふうに「ホーホケキョ」と鳴けばいいか。
常に反復して言うことは、「ホーホケキョ、奉仕はケッキョ、結局結局結局ご奉仕ケッキョ」と言うことですね(笑)。
いつもその人が、「ご奉仕って素晴らしいことだね」と言って神業奉仕を喜び、神業奉仕の大切さ、尊さを繰り返し口にしていると、知らないうちに「ケッキョ、ケッキョ」って言った人が「ホーホケキョ」って鳴くようになってきて言葉もそっくり、ものの考え方もそっくり、応対もそっくり、顔もそっくりになってくる。
いつも感謝をし喜びを口にして、みんなが「ホーホケキョ」と鳴くようになったら、その支部は、もう発展するしかない。いいことしかやってこないのです。
運は運を呼び、勇めば勇むことがやってくる。喜べば喜ぶことがやってくる。支部に来た人が、みんな感化されて育っていくわけです。「ホーホケキョ」と鳴くうぐいすが次々に出てきて、うぐいす軍団ができていくのです。
ですから、これから海原びらき神事に向かい、あるいはまた、今度のエジプト神業に向かい、お盆のこともあったり、いろいろ大事なことが重なって、確かにやらなければならないことが多いわけだけれど、「やらなきゃいけない」とか「ねばならない」ということを一切口にはしない、思わない。
「ねばならない」っていう考え方とか単語とかコンセプトは一切取って、「させていただく」という感謝、何々をさせていただくことを喜びとし、何々という意義をかみしめてみる。感謝をし、喜びを持ち、意義をかみしめていると「ねばならない」はないわけです。
そうすると、苦しみとか大変さとかストレスというのが最小限度にとどまります。なくなりはしないでしょうけど、限りなく消えていきます。勇めば勇むことばっかりやってくる。
そういう支部の空気、そういう神霊界に触れた人たちは、家に帰っても職場に行っても、何をやってもいいことばっかりやってくる。それが結局、開運効果になるし、運命を変えていくことができるわけでしょう。それが感化力ですね。「化する働き」を持つ支部になるわけです。
ですから、まず皆さん、海原びらき神事に向かい、人形・形代をするにしましても、そのことを忘れないようにしてください。「鹿島神宮に行かねばならない」ではなくて、鹿島神宮に行くことを感謝し、鹿島神宮に行く喜びを感じ、鹿島神宮に行く意義をかみしめてみる。
勇めば勇むことがやってくる。そうすると、本当に鹿島神宮の神様にたくさんのご神徳をいただきます。準備の段階からそのプロセスが喜びであり、感謝であり、開運であり、感化力ですから、たくさんご神徳をいただけます。
人形・形代にしましても、潮干狩りでも、救霊でも、九頭龍祈願でも、ヤングスターズ(現・新青山塾)でも、レディースでも、全部同じです。
このものの考え方を反復して徹底させていく。「ねばならない」という世界から、必ずそうなるようにリーダーが心して、気をつけて、意図的に、反復して口にしていく。この努力を大切にしていただきたいのです。これが、皆さんに、まず第一にお伝えしたいことです。
情熱には方程式がある
二番目は何か。今日は二つのことをお持ち帰りになっていただきたいのです。皆さんの前にパッと座った瞬間から、上から降りてきている言葉があります。
「情熱が足りん、情熱が。情熱が足りん、若人のくせに」
誰が言っているのか。白隠さんだろうか。臨済さんかな……。
白隠さんだと思いますが、上に大きい三メートルくらいのお坊さんのような姿が見えて、とにかく「情熱が足りん」と言っているのです。
布教力が落ちていくのは、情熱が足りないからだと。
人形・形代にしましても、鹿島の参拝からエジプトの神業にしましても、あるいは潮干狩りでも、数がだんだん減っていくのは、情熱が足りないからだと言っている。
参加人数だとか、人形の枚数だとか、回数とか、この世に出てくる数値に置き換えられる現実界の現象が伸び悩んでいるというときは、情熱が足りないそういうことを言っておられます。
情熱とは、いったい何でしょう。どういうふうに形に現れてくるのか。これは、方程式で考えて解いていくことができます。
何度も反復いたします。熊野で行ったヤングスターズの合宿でも言いました(神柱になれるシリーズ2 「不可能と思えることに挑戦し、それを可能にするものを会得せよ!」を参照のこと)。
また、支部の代表者の皆さんにも何度も言っていることですが、上に立つ人間の情熱が十とするならば、組織上、一応リーダーとなっている人が「こうありたい」という気持ちが十であったとするならば、末端にいくと一になってしまう。一割しか通らないんです。
では、末端の人が十の情熱になるためにはどうすればいいか。支部長や議長、それからコミッティの皆さんが、エンゼル会員全員、会員の皆さん全員に十伝えようとしたらどうすればいいか。それは上に立つ人間が、情熱を百持つしかない。情熱を百持てば、末端の人に十伝わるわけです。
では、いったい具体的にどうすることが「情熱が百になった」というふうに言えるのでしょう。これまでの情熱が十だとすれば、それを百にするためには具体的に何をしたらいいのか。
これはもう何回も言っていることですが、「あらゆる場所で、あらゆる機会に、あらゆる人に、何回も繰り返して言うこと」が情熱の現れなんです。
百の情熱がなければ、あらゆる場所であらゆる機会に、あらゆる人に何回でも繰り返して言うことはできません。
その「言う」ということのなかには、文章も入ります。手紙も入りますし、電話も入ります。テープレコーダーもあるでしょう。直接会ってマンツーマンで言っても、集団に対して言ってもいい。いろいろなコミュニケーションの方法が含まれます。
あらゆる場所で、あらゆる機会に、何回でも言う。それが、情熱の現れです。
目に見えないものの力
伊藤洋子さんの所属しておりました「オスカープロモーション」というモデル事務所があります。後藤久美子さんもそうですね。モデルが二千人くらいい日本一大きなモデル事務所です。
そこの社長さんは、ゼロから始めて一代で築き上げました。どうやって日本一になるまでに会社を発展させていったのか。
その社長は、事あるごとに「わがオスカーは」「世界に羽ばたくオスカーは」と言って話をしていたそうです。社長が来ると、「また、始まった」という感じで、二時間ぐらいずっとその話が続きます。でも、ずっと聞いているとだんだんその気になってくる。
「世界に羽ばたくわがオスカーのポリシーは……」と始まって、ほとばしり出てくるような情熱で二時間くらい話が続くと、皆、だんだん「よし、頑張らなきゃいかん」という気持ちになってくる。
やはり情熱のある人は、多くの人を引っ張っていくし、感化を与えていくし、そのコンセプトが末端にまで伝わっていくわけです。そうして、どんどん成長して日本一になっていったのです。
この社長は典型的な例です。それだけ情熱のパワーがあるわけです。ですから、あらゆる場所で、あらゆる機会に、何回でも「わがオスカーは……」が始まるわけです。
カストロが、キューバ革命が成功したのもそれです。どんなに負けが込んできて革命軍が追い詰められても、決して情熱を失わなかった。
もう、最後の最後というような場合、だいたい日本人だったら、「明日は最後の決戦だ。ここまでやるだけやってきたんだ。悔いのないように戦おう」と言って、散っていくことを覚悟するのではないでしょうか。
ところが、キューバのカストロは違う。ずっと負けが込んでいって、明日が最終的決戦だというときに、部下を集めて、「私の革命の思想は」と六時間も話し続けたのです。
「もし、私の革命が成功したら、君は外務大臣だ」「君は文部大臣だ」「君は厚「生大臣」「君は軍部の長官」「君は秘書室長だ」というように一人ずつ全員に語りかけていった。「もし革命が成功したら」と、戦いの前に六時間です。
それで、みんなその気になっていった。「よし、革命を成功させよう」と燃えて、劣勢をだんだん挽回して、少しずつ勝ち始めていきました。次から次へと劣勢をはね返して勝利を収め、最終的にキューバ革命が成功したわけです。
どんなに負けが込んでいって、明日が最後の決戦っていうときにでも、「もうこれで終わりだ」なんて決して諦めない。
どこまでも「革命のために」というすごい情熱がほとばしり出てくるのです。六時間、「自分の革命思想はこ「うだ」と言い続けた。その十分の一が、みんなに伝わるわけでしょう。それで、みんな奮い立っていったわけです。
これは、どんな組織でも共通して言えることです。松下幸之助さんも言っていますが、あれだけの大松下帝国を作った経験から出てきた言葉です。
神様の世界というのは、物の売り買いじゃありませんから、よりいっそう、目に見えないものが大きな力を持ちます。情熱こそが神の道を伝え、人々の心を起き立たせ、御魂を奮い立たせる。目に見えざる意識想念、魂、背後霊団、神霊界。そして、時代を動かし社会を動かしていく力。情熱しかないのです。
情熱とはいったい何だ。
上に立つ人の一割しか伝わらないという法則があるならば、上に立つ人間がそれを十倍にするエネルギーを持つ。
情熱はどのように現れるのか。
あらゆる場所で、あらゆる機会に、何回でも言い続ける。これが情熱です。
情熱=御魂の力のほとばしり
情熱というのは、上から下に伝わっていくものです。しかも、一割しか伝わっていかないというのが法則です。支部長が自分で頑張っているつもりでも、下の人間がのそのそとしか動かないというのは、情熱が足りないのです。
あるいは、コミッティーが頑張っても議長が動かなかったり、支部長が動かなかったりする場合、それも同じ法則です。
ですから、上に立つ人間が無口であまりものを言わなかったり、冷静にものを判断して言葉少なげに結論だけ言う人のところは、だんだん盛り下がっていきます。
もし、そういう支部長だったならば、コミッティーとか副支部長に当たる人間が、ほとばしり出てくるような情熱で、耳にもう砂利が入るくらいに言い続ける。
支部の皆が、寄ってたかって十倍の情熱で、あらゆる機会に、あらゆる場所で、何回も上の人間に言う。そうすると、支部長は「わかった、わかった。頑「張りますから」ということになります。
「天地も動かすばかり情熱、しつこさのエネルギーに今日も負けにけり」です。目下の情熱が上に行くのです。普通は上から下に行くのです。
やはり、普通、下の人は楽をしたいと考えます。手間暇かけるのは面倒くさいし、地味なことは嫌です。なるべく、面倒なことをせず手間をかけないで、楽をして目立って、人から評価されたいというのが普通の人でしょう。
しかし、逆に、目立たないところで、大変なことで、地味で辛いかもしれないけど、尊いことというのは世の中にたくさんあるわけです。それらのほうにみんなを導き、みんなが心をひとつにして向かっていくためには、情熱しかないのです。
情熱。それは、御魂から出てくるほとばしり。神なるものです。
しかし、それは上に立っている人間の情熱の一割しか伝わりません。
そして、どれだけの情熱を持っているかということは、現実界の現象となって現れてきます。
たとえば、神事の参加人数、人形・形代の枚数です。あるいは、潮干狩りの冊数。全部、数値に表れるものの値が落ちてきているという場合、だいたい情熱が欠落していると考えていい。
その情熱を持っても頭打ちする場合、今度はやり方が悪いわけです。非効率的なところを見直して、やり方を工夫していく必要がありますが、効率とかやり方よりも、まず情熱が大事です。
情熱があれば、やっていく間に非効率的なことに気がついてきます。情熱がほとばしっている場合は、
「より効率的な方法はないだろうか」
「もっと合理的なよい方法はないだろうか」というふうに叡智が向かっていきます。目や心が行き渡るわけです。
情熱が乏しくなってくると、「効率的にやろう」という気もやってこない。
エネルギーもないし、心も、頭も動きません。非効率的なこと、不合理なことがあっても、それを改めようとするエネルギーも気合も出てこない。
「効率的にいいものをやっていこう」というのも情熱だし、「悪いものを改めて正していこう」というのも情熱です。
情熱=「御魂の力のほとばしり」と考えていい。御魂の姿とは「スのカタ」と言います。御魂が生きている「スのカタ」が輝いていると、すべてに情熱がほとばしっているのです。
御魂が奮い立たない人、御魂の力のない人は、情熱が乏しくなります。情熱が乏しい人間は、もう御魂が死んでいると言ってもいい。
皆さん、この二つのことを今日お持ち帰りになって、支部の皆さんに、あるいはエリアの皆さんに、私からのメッセージということでお伝えいただきたいのです。今日、神様から下ろされて、代表者会議の皆さん、全国のエンゼル会員の皆さんに申し上げることなんです。
二つ以上のことを聞くと記憶に残りませんので(笑)。
もう、最初は何だったか忘れちゃった人もいるかもしれませんが、この二つのことを皆さん、しっかりとお腹に入れて帰っていただきたい。何か気持ちが温かくなってきたでしょう。過去、何回も言ったことですけれども、やはり常に原点に立ち返ること。自分のルーツ、ものの考え方の原点に返っていく。大事な原則です。
「ねばならない」「ああしましょう。こうしなさい」ではなくて、最初に言ったように、上に立つ人間が、神業奉仕の知識、考え方をしっかりと自分の中に持って、感謝し、喜びとし、意義をかみしめていく。
そうすると、知らないうちにうぐいす軍団ができあがります。
その実感するというところを、右から攻めたり左から攻めたり、上から攻めたり下から持ち上げたり、いろいろな角度、形でやっていってください。ポイントはそこだけです。
情熱が欠落すると、数に置き換えられるすべての活動は全部低下していきます。情熱が上がっていくと、それらのものを上げていくことができる。そのために必要な具体的な創意工夫、効率的なものを考えていくとクリエイティビティにつながっていくし、不合理なものを直していこうという改革力につながっていきます。
そういうことで、二つのことを心にとどめて、支部の皆さんに持ち帰ってください。以上です。(拍手)
