第二部 「地上の天人」を目指そう
責任分担は喜びと感謝で受けよう
※第一部での深見先生のお話を受けて、全国、全エリアの組織機構改革が議決されました。そして、適材適所の人材が話し合われ、人選が終わったところで、深見先生のお話が始まったのです。
先ほど、お祈りをしておりましたら、パッと神様がお出ましになって、「30%の人は、泣く泣く、嫌々、仕方なく役に就いた」と。
支部長の皆さんは、これから自分の支部に帰って、今回の合宿の報告をするんでしょうけれど、とにかく、30%の人は、泣く泣く、嫌々、仕方なくなった。だから、30%パーセントの人の魂は、「ああああああああああ」と泣いている。
無責任というわけではないけれども、魂が嫌々、泣く泣く、仕方なくやってるという、そういう状態です。
そうしたら、「いま、人選が終わったとこです」と。それで、なぜかわからないけれども、私はマイクロホンを設定してみんなに言わなければと思って、いまお話ししているわけですが、とにかく30%の皆さんは、泣く泣く、嫌々、仕方なく「そうだなあ」と思っている。
私のほうに、「あああああ、あああああ」という泣き声が飛んでくる。まさに、寒い寒い状態です。
人間というのは、メシア様とか、尊い神様とか、尊い仏様がお出ましになると、お話のキャッチボールの中に自然と自分たちの気持ちや、話をしているレベルがパーンと上がるんです。
一生懸命やってだんだん極限まで行くと、神の世界に近くなって、神様が智恵を与えてくれる、勇気と元気を与えてくれる。やっぱりみんなでともに話し合って、みんなで決める、みんなのための合宿なわけです。
30%の…、あっ、20%にいま減りました。
すなわち、喜んでやらなかったらいけないのです。喜んで感謝し、素晴らしいものにしていこうという気持ちでないといけないんですが、現段階では「あああああ~、あああああ~」と魂が泣いている。仕方なく、嫌々、不安だけど ……、と。ドキッとした人?
コミッティーでは、いま、人選が終わりました。いろいろ話し合って決めたということは、こういう形で、みんなで頑張ってやっていこうと決めたということです。
先ほどまでは、「頑張ろう!」と、涙ながらに、えらく盛り上がっておりました。先ほどまでは思っていらした皆さんが、不本意ながらもこういう役に就いて、不本意ながらも支部をチェックしていくことになったから、まあ、自分もそれに従おうと思った。
これ、10%の人がいま、改心されたようですね。
先ほどまでは、本当に盛り上がっていました。「命を懸けて!」と言っていた人が、あるいはそういうふうに思った人が、こういう指針が出て、日にちを決め、人間を決めなければいけないという話になったら、たちまちのうちに仕方なく、義務感で、嫌々ながら、「できるかどうかわからないけど、不本意ながらやるしかないか……」と。
先ほどまでは「頑張ろう!」と盛り上がっていたのに、たちまちのうちに私心が出てきた。五名ずつだからということで割り振り決めて、人選が終わった段階において30%の人が、「あああああ~、あああああ~」と。
30%の人が、本当に嫌々と言うか、責任感だけで、不本意ながらも泣く泣く就任した、と「何々さんがいいしゃないですか」と言われて、「えっ、そんな、私なんか…………」と。
先ほどまでは、自分こそ命を懸けて、自分こそ命を張ってやるんだと思った人が、あるいは言っておった人が、適材適所に人選を決めた途端に、義務感だけになってしまった。ほかにやりたいことがあったのかもしれませんけれど、いつの間にか嫌々、いつの間にか悲しんで、いつの間にか自信を失くして、「ええーっ、大変そうだな」となった。
「命を懸けてやるんだ!」と言っていた人が、不本意ながら役割が回ってきたら、先ほどまでの意気込みはたちまちのうちにどこへやら。
感謝と喜びを持ってやるならいいんですけれど、一ミクロンでも「嫌だなあ」とか、「えっ、そんな」とか、「私、あれやりたかったのに」なんていう気持ちが出てきたら、先ほどのあれは何だったんでしょうか、というふうになりませんか。
結局、人数が指定されているものだから、ある程度、頭割りで決めなければいけない。
ある程度、重複してもいいんですけれど、喜んで、感謝をして、させていただくという気持ちになったときに光明が差して、ご神徳が大いに高くなるし、本人の魂も向上するわけです。
ところが、「不本意ながらもこんな役をしなきゃあいけない。あああああ~、あああああ~」と、泣く泣くやっているのが30%。この中の三割の人がそうだったんです。
そうではなくて、みんなで決めて役が回ってきたら、それは神様から授かっお役であると思わなければいけません。できるできないは別として、目いっばい努力を続けていこう、と思うのです。
「選挙でみんなに推薦され、選ばれて、ご用を授かってありがとうございます。役割とご用、お手伝いをさせていただくことになりまして感謝いたします。また素晴らしい徳を積んで、多くの人に自分にふさわしい役割ができますことを感謝いたします」と。
自分の好きなこと、やりたいこともあるでしょうけど、自分の価値というのは自分が知っているとはかぎらない。第三者が、客観的にその人の能力とか表現力を見ていて、「ぜひ、やっていただきたい」と。そういう場合が多いのです。
人数が足りないので、何とか辻褄合わせをした面が若干あるかもしれません。それにしても、そういう成り行きで役割をもらったことに、やっぱり感謝と喜びを持たなければいけません。
そうしないと、自分の内面に波及していきます。「あああああ~、あああああ~」… これ、御魂の嘆きですね。
こちらにうつってくるんです。30%の人が、嫌々、無理やり、責任でやっている。そうではなくて、「お役をいただいたことに感謝をいたします。このお役が好きになるように、あるいは大いに有意義に自分自身として捉えますように、そして、これからしっかり修業ができますように」と祈らなければいけない。
人数、頭割りで仕方なく受けた人もいるかもしれないけれど、これはいい勉強ができてよかったと、喜びと感謝で向かう。仕事の選り好みをせず、これも何らかのいい勉強を神様がさせてくださるんだと、神様に感謝をするのです。
しかし、人間のやることには限度があるし、人知をはるかに超えた要素も多いので、必ずしも自分の希望どおりになっているとはかぎらない。多分、30%の人は希望どおりではなかったのではないかと思います。
しかし、自分の価値は他人が決定する。やはり岡目八目で、自分には気がつかないようなところを他人は見てくれている。それを喜びを持って受容し、驚くばかりに素晴らしい成果を表そうと思う。それが誠実な人のものの考え方だと思うわけです。
そう思わずに「あああああ~、あああああ~」と、嫌々、泣く泣くやらなきあと思った人は、非常に要注意です。
支部に帰っていろんな適材適所を考えて、役割分担を決めて「お願いします」と言っても、「私、そんな自信がありませんから、できません」とか、「わかりません」とか、「もっといい人がいると思うんですが」と、どうのこうの言う人がいます。
役割分担を決めたら、「あああああ~、えええええ~」と、嫌々、泣く泣く、仕方なくやらざるを得ないと思ってやる人。嫌で嫌でたまらないけれど、仕方なくやる人。そういう人と、喜びと感謝を持ってやる人と、どちらのほうが職能力が上がるかです。
やはり、勇んでやれば勇んでやるほど伸びてくるし、悔やめば悔やむほど悔やむことが出てくる。自分自身が何か役割をもらったら、お役をいただいたことを感謝して、自分が評価されたことを感謝して、いい勉強ができてよかった、と。
何でもそう受け取る人だったならば、支部のみんなも同じように感謝する。どんな役割をもらっても、喜んで感謝して、生きがいとやりがいと持ってやっていこうとします。
自分自身、エリアの中で喜んでやっているわけだから、「君たちも喜んでやらなければいけない」と言えるでしょう。
嫌々やっても、喜んでやっても、ご用をしなければならないのだから、同じやるんだったら喜んでやるように持っていく。嫌々やっても、泣く泣くやっても、あるいはまた喜び勇んでやっても、同じことです。
だったら、何でも喜び勇んでやっていこう。泣こうと、叫ぼうと、やらなければいけないんだったら、お役に立てることを感謝してやったほうがいい。後戻りできない人生なんだから、お役をいただいたことを喜びとし、その事柄を好きになっていこうと努力していかなければウソです。
支部に帰って、いろいろ役割分担を考えてやろうと思っても、
「自分は関係ありません」とか、
「ええーっ、僕がやるんですか」
「ええーっ、私なんですか」
「自信ないなあ」と言う人がいて、なかなか統一がとりにくい場合は、自分の姿が投影していると考えていいですよ。支部部員より以下の状態であることも考えられます。
どうせやらなければならないんだから、同じやるなら、感謝の気持ちを持っ喜び勇んでやらないといけない。嫌々やっていたら、うつります、支部長のそういう姿が。
「各支部の支部長が責任を持ってやる」なんて、中国エリアで結論を出していましたけれど、そんなのは小学校の子ども会で決めるような内容です。
嫌々、仕方なく役割分担を決められて、
「ええーっ、私がやるんですか」
「決まっちゃったから仕方ないけれど、やりたくなかったのになあ」と。三割がそういう人です。
そういうふうにしかものを考えられない、ということです。悟り方とか、ものの受けとり方は、まだまだ初級です。
この際いろんなことを勉強して、能力と才能とやり方をマスターするんだ、いいことを勉強するんだと、百パーセント、全員が喜び勇んで、感謝を持っていくのならば、たちまち具体論になる。
顔で笑って心で泣いてではなく、顔で笑って心でも笑いつづけなければいかん。そうでしょ。この三〇パーセントの人、この話を聞いてドキッとしたはずなんです。
そんな状態で支部に帰ったらどうなるか。支部長の心やものの考え方が、全部、うつりますよ、支部の構成員に。何かお願いしたら、同じように「私がやるんですか、ええーっ」と言います。
私自身、エリアのこと、みんなのことを考えて、神様のことを考えてやっているんです。お役というものは、ご用というものは、役割というものは、喜んで受けて、「お役をさせていただく」というように考えるものなんです。
私自身、喜んでやっているんです。それは必ずしも得意とはかぎらない。得意・不得意を乗り越えてやること、お役をいただいたことを感謝しているんです。やらなきゃいけないとか、悪いことを決められたわけではない。ご用を「授かった」というふうに考えるんです。
多分、クレーム対応のところを嫌がっているんじゃないかと思います。三割の人が、嫌々、泣く泣く決められたのかもしれないけれど、霊界には、国常立大神様の直系の人しかやらせていただけないお役があるわけです。何かというと、地獄の鬼です。
国常立大神の本当の愛
地獄の鬼さんほど、ストレスのたまるものはないです。
血の池地獄には、自分の想念で勝手に穴に落ちるんですけれど、ちょろちょろちょろっと池から出て、どこか違うところへ行こうかな、サボろうかなと思うやつがいたら、鬼が、「おい、そんなところに行くな!」と言って、棍棒でカーンと殴ってまたズボーンと投げ込んで、「お前、そこでプカプカ浮かんでろ」なんて(笑)。
その鬼さんは、朝から晩までずっと血の池地獄のおそばにおられて、くさーい風が吹いてきて、おぞましいような姿がいつも目の前にある。針千本の山に行くときに、「嫌だ、嫌だ」と逃げるやつがおったら、「おい、逃げるな、こっ「ちに来い」と、放り投げたりする。
その地獄の鬼のお仕事は、3Kの極致ですね。「汚い、危険、臭い」。違うか。「汚い、危険、きつい」だ。「汚い、危険、きつい」に今度、「臭い」がつきます。だから4Kですね。それから、おぞましいやつがいるから、4Kに10だ。
地獄の番人ほどストレスのたまる嫌な仕事はないですよ。根底の国の地獄の、汚くて、おぞましくて、重くて、冷たいようなところにいるわけですから。
自業自得で地獄に堕ちるんですけれど、その番をする鬼は、どれだけストレスがたまるのか。3K、4K、5Kの極致ですよ。そう思いませんか。
そういう役割は、ほかの神様に申しわけないので、国祖国常立大神、これが、閻魔大王となられて、大綿津見大神となり、大綿津見大神は閻魔大王となられて、霊界のすべての諸々霊を三途の川で裁く。どちらに行くのかを決められる。その国常立大神の直系の神様しか、鬼の役割をやらせてもらえないわけです。
鬼の役割は、大変なものばかりです。地獄に堕ちるのもつらいんだけど、連なっている地獄の住人の番をしてるほうがもっと大変です。
来る日も来る日もですから。そういう役割は国常立大神の直系の神様しかできないし、続かないだろうということで、国祖国常立大神が自分の子どもに命じて鬼の番人をやらせているわけです。
しかも、それを喜んで、感謝して、鬼という役割をいただいている。3Kから4K、「きつい、汚い、危険、臭い」さらに「おぞましい、いやらしい」。そういうようなところでもずっと神の命を実行すべくなさっているんです。
地獄の番人とか、地獄の鬼とか、みんな正神界の神の化身なわけですけれど、それと比べてみれば、クレーム対応だとか、支部の運営だとか、新入会の人の育成係だとか、そういうふうな役割はあまりにも高貴な役割で、あまりにもやさしい役割で、あまりにも簡単な役割ですよ。
徳を磨くと言っても、あまりにも簡単で、喜びに満ちた内容だから、まだまだ甘いと言えば甘いです。
30%の皆さんに申し上げているわけです。七割の人は良いお心を持っております。自分の胸に手を当てて、喜び勇んで、感謝して、お役とご用を授かった、よかったと思えなかった人。
人選が終わって「あああああ~」と、嫌々ながら受け入れた人。その約三割の皆さん、やはり、そこを改めていただかないと、支部の部員たちもみな同じように思うんではないですか。
どのような役割でも、させていただくことを感謝する。嫌々やっても喜んでやっても同じだったならば、喜び勇んでやる。それから、独断と偏見でやらない。相談をしてやる。この三項目を忘れないようにしてください。
いつも言いますが、仕事ができるできないの判断はどこでするのか。それは、「報連相」で判断する。報告、連絡、相談。
何の報告もないまま、勝手に決めて勝手にやられたら、全体の統制が取れないし、大きな失敗の原因にもなります。
選り好みせず、何でも喜び勇んで一生懸命にやる鬼。その鬼や閻魔大王の役割は、国祖国常立大神様のお子様しかなさらない。
3K、4Kなんだけど、一番徳が高い。神様が、その役割をする人に一番の光明を与え、慈悲を与え、天の徳を与え、ご守護を与えてくださるわけです。3K、4Kの仕事が一番神に近い仕事だと、そういうふうに思うのが本当なのです。
