除霊後、女性に奇跡が起こった!
除霊は終わった。時計を見ると午前一時半。なんと四時間半もかかったのである。
十一体の霊を、一体ずつ前世を見せながら除霊したために、こんなにも時間がかかってしまったのだが、普通はだいたい三〇分前後、長くても一時間。憑依霊も三体から五体というのが平均的なところ。
なかには二〇体、三〇体、ときには何百体も憑依している人もいるが、こんな場合は、一体ずつ前世を見せながらやっていたのでは時間がいくらあっても足りないので、特殊なもの以外は全部同時に除霊し、本来居るべき霊界へ送って差し上げることにしている。
除霊が終わると、何ともいえぬ充足感が私を包む。また当人も心身ともにスッキリするらしく、除霊前とは別人のように顔が光り輝いている。
四時間半もの間、椅子に腰掛けていた彼女は少し疲れたようだ。しかし、瞳は喜びで満ち、その顔には除霊の前の影が見られない。実に美しい顔をしている。
「先生、本当にありがとうございました」
このひと言を聞くことが私にとってどんなに励みになることか。神様から与えられた自分の使命に対する責任感を一層強くするのもこんなときである。
「本当にありがとうございました」
彼女は何度も何度もお礼を述べて、椅子から立ち上がろうとした。と、彼女を連れてきた女性が突然、素っ頓狂な声をあげた。
「あら、一人で立ち上がれるじゃないの!」
「あら本当だわ。いったいどうしたんでしょう。今まで立ったり座ったりがとてもたいへんでしたのに。信じられない。奇跡だわ!」
連れの女性はもちろん、当の本人までキツネにつままれたような顔をしている。だが、不思議でも何でもないことなのだ。病気の根本原因はすでに取り去ったのである。
だから、これは奇跡でも何でもない。至極当たり前のことなのである。
除霊で想念をプラスに転換
しかし、私は病気平癒の除霊をするのではない。否、病気平癒の目的だけに除霊するのではない。その人の運勢や家運、性格をも良くし、究極的にその人が真に幸せになるための除霊をするのである。
だから、本人の肉体には直接影響を与えなくても、運勢や性格に微妙な影響を与えている霊があれば、それまで全部呼んできて、きれいに取るのである。否、救済するのである。
病気平癒の除霊だけなら、一〇分もあれば十分である。しかし、病気が快方に向かったからといって、それだけで本当に幸せになれるのだろうか。
私はそうは思わない。確かに病気が快方に向かえば、何ものにも代え難いほどの救いであるに違いない。
しかし、病気が快方に向かっても、本人のものの見つめ方、考え方、つまり想念が相変わらず暗かったり悲観的であったなら、再び別の悪因縁霊を呼び込みかねない。
病気を治そうとする本人の努力も大切だが、それ以上に想念を転換する必要があるわけだ。
世の中には、せっかく素晴らしい才能を天から授かっていながら、マイナス的想念がわざわいして、持てる才能を真に開花させることなく生涯を終えてしまう人が実に多いのだ。
それでは人生が空しいばかりか、社会、国家にとっても大きな損失といわざるを得ない。
だからこそ私は、三〇分あるいは一時間と少し時間をかけてでも、運勢や家運、性格面にかすかな影を落としている霊まで全部取って、きれいにして差し上げるようにしているのである。
ここまできれいに除霊すると、それまで霊障によって閉ざされていたプラス的想念が自然に湧き出るようになる。明るく前向きで、より建設的な発想が自然に湧き出てくるようになるのである。
そうなると、守護神、守護霊がストレートに働けるようになる。
それはちょうど、陽光を遮っていた黒雲が風に吹き払われて、太陽が燦燦と輝くのに似ている。
遮断している霊障を除去したのだから、いつ、どこででも守護神、守護霊に大きく働いていただけるのである。
効用大きい言霊除霊
ところで、私はときどき、こんな質問を受けることがある。
「先生はどうして、ほかの霊能者のように光エネルギーやパワーで除霊しないで、和歌や長歌を詠って除霊するのですか」
もっともな質問である。世に霊力や光エネルギーで除霊する人は多いが、和歌や長歌を詠う言霊除霊を行っているのは、おそらく私一人ではなかろうか。
なぜ言霊除霊をするのか。それは、憑依霊を心から納得させて、本来居るべき霊界へ救ったあとも永続的に、いや、来世生まれ変わってきても幸せで、有意義な人生を送ってもらうためである。
パワーで除霊しようと思えばできないことはない。しかしそれでは、本当の意味での憑依霊の救いにはならない。
憑依霊といえども決して追い払うのではなく、未来永劫までも救ってあげなくてはならないのだ。
だから私は、御神霊と一体になった和歌、長歌のなかに憑依霊の宿命や霊界の法則を詠い込み、霊を真実悔悟させるわけである。
こうして初めて、霊自身の想念が転換でき、その結果霊層が上昇し、素晴らしい霊界へと帰っていくことができるのである。
だから、私の除霊は、〝救済除霊”といったほうが正確ではないかと思う。
言霊除霊の効用はそれだけではない。除霊を受けている本人も想念を転換できるのである。ご神魂のこもった和歌、長歌を聞くことにより、霊界の法則や人生の本義を悟ると同時に、本人の御魂を覚醒することができるのである。
先にも述べたように、除霊をしたあと本人の想念が変わらなければ、本質的な幸福感からいえばあまり意味がないといわざるを得ない。
除霊の結果、性格が明るくなり、人生に対して前向きに取り組めるようになって初めて、本当に除霊を受けたといえるのではないだろうか。
奇跡だけに満足していてはいけないのである。奇跡があったあとが大切なのである。私は、ときどき、除霊をして差し上げた人からお便りをいただく。
「先生ありがとうごさいました。あの日以来、昔の自分がウソのように明るくなりました。今は、以前の二倍、三倍働こうと、毎日仕事に精を出しています。
そして、少しで世のため人のために役立つような仕事をしたいと思っています」
こんな話を聞くときが一番うれしい。自分の御魂に目覚め、人生の本義を悟り、少しでも人の役に立ちたいと願う。
これでこそ、除霊をして差し上げた甲斐があるというものである。
言霊除霊の効用はもう一つある。それは、本人ばかりでなく、家庭全体の運勢が向上することである。
というのは、言霊除霊を行っている最中は、ご先祖の霊も大勢一緒に聞いて納得し、浄化されるため、これら大勢の先祖霊の霊層が向上して、前にもまして子孫への守護が強化されるようになるからである。
最後に除霊に関していえば、除霊自体も大切であるが、むしろ除霊をしたあとの本人の姿勢のほうが大切であるといえよう。
それが、除霊効果を倍化させるのに不可欠な要素なのである。
いかに想念を明るく前向きにするか。また、正神界の守護神、守護霊の力と守護を受けるべく誠を尽くして、才能を開花させるか。それはひとえに本人の自覚と精進、努力にかかってくる。
しかし、マイナス方向に引っ張る大きな原因はすでに取り去ってあるので、精進と努力が実を結ぶ度合いは大きいはずである。
私は多くの人が想念を転換して、正しい守護神、守護霊の加護を受け、天が与え給うたそれぞれの才能と使命をまっとうされるよう願ってやまない次第である。
宿命、因縁を呪うなかれ
さて、話を先の女性の件に戻そう。その後しばらくして、彼女から連絡をいただいた。そのときの話はだいたい次のとおりである。
「先日は本当にありがとうございました。おかげで心身ともにすっかり元気になり、明るく生きております。
先生、奇跡というのは本当に起こるものなのですね。実はあの日、先生のところから帰るのにタクシーを拾ったんですけれど、いとも簡単に乗り降りができたんです。
それまでは足が悪いため、クルマの乗り降りが難儀で、ときには人に助けてもらわなければならないほどだったのです。
まったく奇跡というほかはありません。今でも、以前よりずっと楽に立ったり座ったりできます。血友病も、二週間ぐらいで医者から治ったと言われました。
ところで、あのとき先生にお話ししなかったんですけれど、実は前から気になっていることが一つあるんです。それは、亡くなった父のことなんですが、亡くなるとき、右足が腐って骨が露出していたんです。
それが直接の原因というわけではありませんが、それを見たとき、私は思わずゾーッとしてしまいました。
というのは、父が亡くなる前に私の伯父、つまり父の兄弟が幾人か亡くなっているのですが、その人たちが亡くなったときも、やはり右足が腐って骨が露出していたのです。これもやはり、何かあるのでしょうか」
「そうですか。でも、もう何も気にすることはありませんよ。除霊ですっかりきれいにしたのですから。
そんなことより、これからは少しでも世のため人のために生きるよう精進し、努力し、天に徳を積むようにしてください」
私は答えてあげた。
一度除霊したら、もう何も気にすることはないのである。憑依していた霊を気合いや念力で追い払ったのではなく、心から納得させて、神様のお許しをいただいて永遠に幸福な霊界へと送ったのである。
だから、戻ってきて再び憑くというようなことはない。決してない。
それにしても、お父さんや親戚の方々が亡くなるとき、そろって右足が腐って骨が露出していたとは驚くべきことだ。
ご先祖の悪因縁がそのままストレートに現れていたのである。因果応報という言葉があるが、霊界の法則の緻密さと正確さを、改めて教えられた思いがした。
こう書くと、先祖が罪を犯していると、子孫がそれを償わなければならない。先祖が人を苦しめていれば、必ず子孫が怨まれる。逆に、先祖が人に喜ばれるようなこと、つまり善徳を積んでいれば、子孫が報いられる。
これが因果応報であり、「易経」にいう積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃あり」である。
「どうして自分は善徳のある家に生まれないで、悪因縁の強い家に生まれたんだ」と、絶望感や空しさを感じる人が、必ず一人や二人はいるものだが、これはよくない。
どのような境遇のもとに生まれようと、それを呪わず、前向きに取り組んで克服することが大切なのである。
家にそれぞれの因縁があるように、個人にもそれぞれの因縁がある。前世で人に喜ばれるよう善を行っていれば、積善の家に生まれ、前世で人を苦しめるような不善を成していれば、それだけ因縁の重い家に生まれる。
これを相応の理という。つまり、自分の御魂のレベルに合ったところに生まれ変わるということである。
だから、今世、悪因縁の強いところに生まれたのは決して偶然ではなく、前世にそれだけのことをしてきたからなのである。
前世の所業を償い、御魂をさらに向上させるために、そうした星のもとに生まれ変わったわけだ。今世を、前世での業を刈り取り、御魂を向上させるための修業の場と考えれば、おわかりいただけると思う。
自分の宿命や家の因縁を悲しんだり呪ったりすることはないのである。因縁に対して消極的になるのではなく、明るく積極的、前向きに立ち向かって、これを乗り越えていかなければならない。
因縁が深いということは、いわば、前世で借金をこしらえたようなものであるから、早く返済するよう、徳をひとつひとつ積み重ねていく。こうした姿勢が望まれる。
反対に、因縁の軽い家に生まれ、何をやってもスイスイうまくいくからといって、安逸を貪ってはいけない。
因縁が軽いということは、それだけ前世で徳を積んでいたことになるが、それに安心して精進、努力しなければ、いつしか徳を食いつぶしてしまい、来世またやりなおさなければならなくなるからである。
つまり、人生とは、前世の業を刈り取る場であると同時に、来世へ向かって徳を積む場でもあるわけだ。真理を探究し、世のため人のためになるように善徳を積み重ね、御魂を向上させる。これが人生の目的であり、本義である。
だから、先に述べたように、除霊といっても、ただ奇跡を待ち望むようではあまり意味がないのである。
除霊をきっかけに、人生の本義を悟り、みずからを高めて世のために役立つような人間になっていく、これが私の願いである。
三〇〇年間呪い続けた武士の憑依霊
閑話休題。子々孫々、家を怨み抜く霊は多い。殺されたり騙されたり捨てられたり、あるいはまた自殺に追い込まれたり…。
よく映画や芝居で、「今に見ておれ!末代まで呪ってやる!」と絶叫しながら死んでいく場面があるが、これ怨念霊の好例である。
この家代々を呪う霊は、ほとんどの人に憑いている。だいたい九割がたの人に憑いているのではないだろうか。
憑いていない人を探すほうがむしろ難しいくらいである。そして、憑いている霊も一体だけということはほとんどない。たいてい三体から五体。
多い人となると一〇体、二〇体、なかには数百体という人もいる。こうなると、ほとんど何らかのかたちで霊障が現れる。
目が悪い、心臓が悪い、あるいは奇形であるとか、何らかのかたちで肉体がやられるのだ。
もちろん、運勢も悪く、一生うだつが上がらない人生を送る人もいる。よほどの強い精神力と気力を持っていれば別だが、それでなければほとんど、それらにやられてしまうからだ。
怨念霊を天眼通力で見ると、人の背後に恐ろしい形相で立ち、「ちくしょう!この野郎!絶対に殺してやる!」と凄まじいばかりの念を送り続けているのが見える。その怨念と執着心たるや、想像を絶するものである。
先日もこんなことがあった。ある人を除霊していると、一人の武士が現れたのである。ざんばら髪にボロボロの着物。刀で斬られたのか、左肩から右脇腹にかけて大きな切り口がパックリと口を開けている。
体全体に生気はツユほども感じられないのに、眼光だけは妖しく光り輝いている。まさに亡霊そのものといった感じである。
私はいつものように言霊で除霊を始めようとした。すると、その武士は私の言葉を遮るように語り始めた。
「頼む!見逃してくれ。拙者はこの者の先祖に騙し討ちされた者じゃ。その敵を討つため三〇〇年間もじっと機会を待っていたのじゃ。
だから頼む。ここは黙って見逃してくれ。どうか敵を討たせてくれ!」
三〇〇年もの間怨み続けるその執念は驚くばかりである。だが、敵を討たせるわけにはいかない。そんなことをすれば、両者がますます地獄の底へと落ちていくだけである。私は説得しようとした。と、その瞬間、武士は私の心を見透かしたかのように、
「邪魔だてするなら、そなたを斬る!」と一喝したかと思うと、腰に差した大刀を抜き、刃をこちらに向けた。今にも斬りかからんばかりの形相である。
だが、こんなことで負けてはいられない。敵討ちなど黙っ見過ごすわけにはいかないのだ。
なんとしてもやめさせなければならない。そこで私は、敵を討とうとする心がいかに小さく愚かであるか、そして霊界の掟に反するかを諄諄と説き、「そのような執着心をいつまでも持ち続けているから、地獄で苦しまなければならないのです。今すぐ怨みを忘れて、許してあげなさい」
と諭した。そうしている間にも、武士は何度か斬りかかろうとしてきた。まさに命がけの除霊である。が、私の至誠と言葉が理解できたのであろう。武士は突然、床に正座したかと思うと、
「わかりました。拙者が間違っておりました」と両手をついて頭を垂れた。すると、先ほどまでの怨念に満ちた形相は消え去り、武士の顔は見る見るうちに明るくなった。
つまり、みずからを反省し、天に詫びる気持ちに光が差し、冷えきっていた心があたたかくなったのである。そして、心があたたかく軽くなった分だけ霊層が向上したのである。
神様に許されて霊界に帰って行くとき、「かたじけない!」と、何度も何度もお礼を述べることをこの武士は忘れなかった。
一般に、武士の怨念霊は根性が入っているのでそれだけ強烈だが、納得は早い。というのも、彼らは生前、潔さを旨とする武士道を骨の髄まで叩き込まれているからである。
執念深いのは恋に破れた女性の憑依霊
武士のようにものわかりのよい霊ばかりならいいのだが、一般に怨念霊の執念は深い。
特に、先祖に捨てられて呪いながら自殺した女性の怨念霊や、昔、女郎屋に売られた怨念霊は強烈で、その執念のあまり、先にお話しした十一人の娘の霊のように、ヘビの姿になっているものが多い。
かつて、四〇歳近い女性が相談にきた。彼女は縁遠く、結婚できなくて悩んでいた。
容姿も特別悪いというわけではなく、どうして縁談に恵まれないのか不思議なくらいだったが、天眼通力で見ると、大きなヘビが一匹、その女性の腰に巻きつき、カマ首を持ち上げてこちらを睨んでいた。ヘビは一人の女性の霊の化身であった。
「私は、この人の先祖にさんざんもてあそばれた末に捨てられ、自殺したんだ。
だから、その男の子孫は皆、不幸にしてやらなければ気がおさまらない。この人の人生なんか目茶苦茶にしてやる。結婚なんか絶対させない。させてたまるか!私が味わったつらい思いを味わわせてやるんだ」
まあ、これくらいなら珍しいことではないので、たいして驚きはしない。ところが、「今から一年後に子宮癌を発病させ、半年間じっくり苦しめてから殺すつもりだ」と言う。
すでに殺人スケジュールまで組んでいるというのである。恐ろしいばかりだ。さっそく除霊にとりかかったが、こういう霊に限って、なかなか納得しようとしない。
宿命通力で前世を見せ、ご神霊の力と愛念とをもって真心から慰めて、初めて納得、改心することが多い。
とかく、愛情が転じて憎悪になった場合の怨みと執念は、普通の怨 みよりはるかに深くしつこいようである。それだけに、異性問題にはくれぐれも注意したいものである。
怨霊による弊害は、かく現れる
さて、最後になったが、家代々を呪う怨念霊にとり憑かれるとどのような弊害がもたらされるか、これについて簡単に説明しておこう。
怨みの度合いにもよるが、霊はまず、その人の幸福、健康、楽しみ、愛するものを奪おうとする。そのために、四六時中絶えずスキあらばと、チャンスをうかがっているのである。
「何故かよくわからないけど、家族に事故が絶えない」「どういうわけか病人が続出する」「縁談に恵まれない」などという場合は、怨念霊のしわざである可能性が高い。
また、胸部、腎臓、生殖器などをやられている人は、色情つまり女性の怨念霊がからんだものにとり憑かれていることが多い。その他の部位は、憑依霊によって異なるので、一概に何とも言えない。
ともかく、怨念霊は、「悲しめ悲しめ、もっと悲しめ。苦しめ苦しめ、もっと苦しめ。俺の苦しみを思う存分「味わうがいい」と、絶えず念を送り続けているのである。
どうもわが家は因縁が深いようだと思われるなら、是非一度どこか信頼のおける霊能者に相談して除霊を受けたらよいと思う。必ずや、想像できないほど運勢が向上するはずである。
除霊体験者は語る・心臓病の父に起こった奇跡 小林健二(会社員三三歳)
父の心臓の病気がわが家代々を怨んでいる霊のせいであって、その心臓病が深見東州先生の除霊で完治した、などと言っても誰も信じてくれないと思います。
でも、本当なのです。この信じられないような私の体験を皆様にお知らせしたいと思い、筆をとった次第です。
私の体験のそもそものきっかけは、仕事のことで深見先生に呼ばれたことに始まります。
今年の一月七日のことでした。私は名刺を差し出しました。しばらく名刺を見つめていたかと思うと、先生は突然、
「小林さんのお家は、ここ三代で急激に没落しましたね。以前は大地主でしたね」
と、たて続けにおっしゃるのでした。私は驚きました。すべてそのとおりだったのです。いったいどういうことなのだ。
何故、名前を見るだけでわかるのだ。まったく不思議というほかありません。驚天動地といってはいささか大袈裟ですが、それくらいビックリしてしまいました。
でもこれは序の口、さらに驚くべきことが口から出てきたのです。
「お父さんかおじいさんで、胸の病気で亡くなった人はいませんか」
それがいるのです。実は、亡くなったわけではありませんが、父が先天性心房中隔欠損症、つまり心臓に穴があいている病気で、当時容態がかなり悪化し、その翌日、手術できるかどうか大学病院で検査することになっていたのです。
「なるほど、それで出ていたのですね」
いったい何が出ているのだ?どうして名刺を見ただけでそんなことまでわかるのだ?頭の中が混乱し、整理しかねていると、突然、「じゃあ、除霊しましょう」と、おっしゃいました。
え、除霊?何だそれは。なんとなく気持ちが悪いなあ。「いや、結構です」
再三お断りしたが抗し切れず、ついに生まれて初めて除霊というものを受ける羽目になりました。私は椅子に座り、合掌し、目を閉じました。
まことに美しい日本語で和歌を連続して詠う先生の声が聞こえます。しかし、何を詠っているのか、意味がよくわからない。でも、そのうち、ところどころ聞きとれるようになりました。
「鎌倉時代の旅の僧、乞食となりて諸国を巡り、仏の道を説きたれど、これを御仏のため、あれも御仏のためといっては、金品を盗むこと十数回…」
ああ、わが小林家の先祖はドロボーだったのか。
「村上水軍武士の基を立てたれど、これも義のため、あれも義のためと、諸国を荒らすこと十数回・・・・・・」
今度は海賊。何ということだ。もう少し立派な先祖はいないのか。次第に私は落ち込んでいきました。と、いつしか、自分の体が先生の歌に合わせて揺れているではありませんか。
自分が合わせているのではない。自分以外の意志が揺らせている。そんな感じです。不思議だ。
今度は涙が出てきた。何となくうれしいような感情が胸いっぱいに広がってきた。これはいったいどうしたことか、何なんだ、と思っているうち、
「許す!許す!許す!」という大きな念じるような先生の声が聞こえ、除霊は終わりました。
「先生、私の家の先祖はドロボーや海賊だったのですか」
「いや、あれは小林さんの先祖ではありませんよ。小林家を代々怨んできた三人の女性
「え、ヘビに?」がいたんですが、その人たちの前世ですよ。前世の悪業を教えて、自分の不運、不幸を悟らせたのです。
ところで、三人の女性は、あまりに深く、そしてあまりにも長い間怨んでいたためにヘビになっていましたよ」
「そうですよ。一人は小林家の先祖に捨てられた女性、いうなれば婚約不履行ですね。
一人は手ごめにされています。もう一人は小林家の下女として働いていた人ですが、相いじめられ、それを根深く怨んでいたようですね。それがヘビとなって、お父さんの胸にとり憑いていたんですよ」
いやはや恐ろしい話である。さて、その翌日、父をともなって県内の某大学病院へ行く日の朝、父はおかしなことを口走りました。
「なんだかわからないが、胸が軽くなったような気がするよ」
いくらなんでも、きのうの今日である。除霊したからといって、そんなバカな……正直なところ、こんな気持ちでした。ところが、これから奇跡としかいいようのないことが、どんどん起きたのです。
病院で、カテーテルという大腿から心臓まで血管内に管を通す検査を受けた結果、「小林さん、大丈夫ですよ。まだ手術できますよ」との判定をいただきました。
私はホッとした。というのも、手術をしなければ余命いくばくもなし、とのご託宣を受けていたからです。
ところがその後、病院から手術の連絡がなかなか来ない。二カ月、三ヶ月過ぎても音沙汰なし、病室が満杯なんだろうと思っている頃、やっと入院せよとの通知がありました。
いよいよ手術の前日、私は担当医に呼ばれ、彼の部屋に行きました。すると、彼は実にショックなことを語り始めたのです。
「実は、前の担当医がケガをして、急きょ私が担当することになりました。
ところで、前の担当医は小林さんには手術できると言っていたようですが、私たちには無理だ、手術に耐えられないと言っていたのです。が、私の見たところ、まだ大丈夫。
ぎりぎりですが大丈夫だと思いました。そこで急きょ手術することになったのです。
ただし、何ぶんにも年齢が年齢ですので、普通の人より危険性は高い。特に手術後はたいへんです。
回復も遅いと思います。最善を尽くしますが、その点覚悟しておいてください」そうだったのか。だから手術が遅れたのか。私はたまらなく不安になりました。
六時間という大手術ののち、父は病室に帰ってきました。もちろん眠ったまま。それからまる一昼夜眠っておりましたが、目が覚めてから一時間後には食事をとったそうです。
「こんな回復の早い患者さんは、病院始まって以来じゃないかしら」
看護婦さんは驚いていました。私はそれ以上にビックリです。回復が遅いという話はいったいどういうことだったのだろうか。
それから二週間足らずで退院できました。普通、手術後は、熱が出てなかなか退院できないものなのだそうですが、父は微熱すら出ませんでした。
これには担当医も本当に驚いたらしく、「まったく考えられない。
この歳で、こんなに回復が早い患者さんは、これまでに例が「ありません」とおっしゃっていました。
考えてみれば、父の手術は奇跡ばかりのように思えます。もし、最初の担当医がケガしなければ、手術すらできず、ただいたずらに死を待つだけだったはず。
それもこれもすべて、深見先生による除霊のおかげだろうと思っています。
霊界のことについてはあまりよくわかりませんけれど、おそらく、目に見えない世界の法則は厳然として存在しているのだろうかと思います。
これまでは、神仏に手を合わせる心を持たずに生きてきましたが、これからは、そうした自己を超越した存在に頭を垂れるよう、少しでも努力していきたいと思います。
除霊の奇跡の体験と感動を伝えたいがために、長くしかもへたな文章になってしまいました。少しでも、皆様の参考になりましたら幸いに思います。
第三章 水子霊の巨大化理論
いま何故、水子供養か
中絶天国”といわれる日本。聞くところによれば、一年間に堕胎される胎児の数は六○万体にものぼるという。
なんとも悲しい話だが、そんな世相を反映してか、近頃は水子供養が静かなブームを呼んでいるのだとか。
私のところにも水子供養の相談をもちかけてくる人が多い。先日も一人のご婦人が見えられた。歳の頃は四〇を少し出たところ。
気品のある、心やさしい感じの方だった。「実は、私の住んでいる町内に祈祷師さんがいるのですが、その祈祷師さん、私と顔を合わせるたびに、”あなたには水子霊が憑いている。供養しなくてはいけない。
供養しないと家族に祟る”と言うのです。確かに、私には水子がいますので、なんだか怖くて仕方ありません。
先生、水子は本当に祟ったりするのですか。そして、もし供養しなければならないのでしたら、どのようにしたらよいのですか」
最近、こういう相談が急に増えてきた。それというのも、この祈祷師のように、水子霊の祟りを強調する霊能者が多くなっているからであろう。
まったく困った現象と言わざるを得ない。神霊世界に対する正しい知識も持たず、霊界の一部分を見ただけで、したり顔をして水子の祟りを説く。
「水子霊は怖い。親、兄弟に祟り、病気にさせる」
こんなことを言えば、一般の人を恐怖に陥れるだけである。
まあ、これくらいならまだ許せるとしても、これを商売にするとなると、かなり悪質と言わざるを得ない。
「水子霊は怖いぞ怖いぞ」と強調しておいて、「供養は私のところでどうぞ」。これでは金を儲けるためにやっていると思われても仕方ない。
とにかく驚くほど高い料金をとるのだという。
それだけ高い料金をとるのだから、立派な供養をしてもらえるのかというと、これがまことにおそまつ。
供養をお願いすると、ロウソクが傾いた写真や、護摩を焚いたお知らせとお札を送ってきたり、あるいはまた、水子の顔を彫った地蔵尊をつくったりして、「はい、このとおり供養しました」というだけ。
決して商売の邪魔をするつもりはないが、水子に関する誤った知識のために恐怖心を持っている人があまりにも多いので、水子霊の実際について少しご説明しようと思う。
妊娠三ヶ月で胎児に意識が宿る
水子霊の詳細をご説明するにあたり、最初に言っておきたいことがある。それは、世間一般でいわれているような強烈な祟りを、水子霊が引き起こすことはほとんどない、ということである。
私はこれまで三〇年間にわたって、神霊世界の真相を探るべく研鑽を積んできたが、今まで、水子霊の祟りのために大病を患ったという人を見たことがないし、聞いたこともない。
また、水子霊のために家運が著しく衰退したということも、やはり聞いたことがない。
水子霊は決して、大病をもたらしたり、あるいは家を滅ぼしたりするほどの、恐ろしい存在ではないのである。
なぜなら、水子の霊は成人の人霊と比べて、念が非常に弱いからである。
成人して死んだ人霊は人間としての知識とはっきりとした意識を持っているので、怨みの念を抱いていれば、それによって強烈に祟られることもある。
しかし、水子霊の場合は、人としての意識が芽生えかけたところで死んでいるので、その念もきわめて微弱。
したがって、水子霊から受ける肉体的、あるいは精神的な悪影響も小さく、特別な場合を除けば、強烈な霊障はほとんどないと考えて間違いない。
とはいっても、水子霊をつくることは要するに殺人なのであるから、神様の目から見ても、人道的見地に立っても決して許されるべきことではない。
せっかく、この世に生を受けながら、人間として生まれ出る前に、人工的に殺された水子霊の身になれば、さぞかし残念であり、恨めしいことであろうと思う次第である。
そこで、水子霊とはいったい何なのか。妊娠後、何カ月ぐらいで堕胎したら水子霊となるのか。水子の霊障があるとすれば、それはどのようなものなのか。これらに対する正しい知識とその根拠を明らかにしたいと思う。
そもそも妊娠とは、ある身魂が世に降りてくるとき、予兆、すなわち天の兆があり、夫婦が慕いに駆られて、神道でいう美斗能麻具波比を営むことに始まる。
人に性欲が与えられているのは、本来そのためである。
その結果受精すると、神魂、身魂の宿る準備がなされ、約三ヶ月で人の雛型ができあがる。
そして、神魂というものが、産土大神(鎮守さま)の媒介によって、約七ヶ月から八ヶ月の頃に宿るのである。
こうして、人間として世に生まれ出るために、十月十日で霊肉が一致して完成し、出産という運びになるわけである。
ところで、まさに子供は天からの授かりものであり、これを人為で殺すことは、罪であることに変わりはない。
「人の御魂とは、どこの段階から宿ったことになるのですか」という質問を受けることがある。
これがわかれば、水子霊とはどういうものなのか、はっきりしてくるはずである。このことは、霊能者あるいは各宗教団体でも定義があいまいであり、明らかにされていないように思う。
さてその回答だが、それは「ミタマ」というものを、「御霊」あるいは「御魂」ととらえるとはっきりしないが、「身魂」としてとらえると明確になる。
つまり、人間の「身魂」とは一霊四魂から成っているのであって、四魂とは「荒魂」「和魂」「幸魂」「奇魂」の総称である。
荒魂とは「勇」であり、「勇猛」であって、これを裏返せば「隠忍自重」となる。そして、人体では筋肉や肉体を総称するものである。
また「アラワレルミタマ」で「アラミタマ」であり、「肉体に顕現するミタマ」とも解釈される。
次に和魂は「親」であり「和」であって、人体では内臓器官を意味する。また、「ニギニギシイ」の「ニギ」であり、「ニニギノミコト」の「ニニギ」でもある。
幸魂は「愛情」であり「感情」であって、人体では精神、心となる。また、「咲きミタマ」であり「先端、裂ミタマ」であって、この幸魂つまり「愛情」が先に立ってものごとや道を開いていって開花するのである。
そして最後の奇魂は「智」であり、四魂全体の統率をなし、「霊智、霊感、ひらめき」をつかさどっている。
神霊世界との交流をなす部分はここである。
だいたい、胎内ではこの順序で人間というものが形成されていくと考えていい。これでおわかりいただけたと思う。
約三ヶ月で荒魂、和魂がそろい、荒魂と和魂の発育とともに幸魂がはぐくまれ、最後に奇魂が宿って完成されるのである。これが八ヶ月目くらいであろうか。
このように考えると、胎児は受精したときから身魂の形成が始まり、三ヶ月頃には一部の意識が宿って、人としての反応があることになる。
実際に妊娠した経験のある方なら、おわかりになると思う。このころから、胎児は外界の刺激に対して、何らかの反応を示し始めるのである。
ゆえに、三ヶ月過ぎて掻爬した場合は胎児も意識の奥で、どのような状況で自分が堕胎されたのか、なんとなくわかっていることが多いのである。
だから、この三ヶ月の時点で一応、人の始まりと考えるべきではなかろうか。
以上が水子霊に関する私の考えである。
発育、巨大化する水子霊
さて、中絶すると通常、その両親は、「中絶してごめんね。お父さん、お母さんを許してね」という感情を抱く。
それが親の情であり人間の自然な感情といえよう。何も感じない人はどこか異常があるというほかはない。ところが、その両親の想念によって、掻爬された胎児の霊が霊界で巨大化していくことが多いのである。
先だって、「子供がかわいそうで、かわいそうで、心が安まりません。先生、どうにかしていただけませんでしょうか」というご婦人が訪ねてこられたが、このときも私が見ると、水子霊は五、六歳児くらいにまで成長していた。お母さんの水子に対する想念で、巨大化していたのである。
こういうと、そんなこと実際にあるのか、と思われる方が多いと思うが、次のように考えれば容易にご理解いただけると思う。
日本では昔から“いわしの頭も信心から”というが、”いわしの頭”でも神と思って崇敬していると、崇敬している人の想念が霊界で霊雲を形成し、ついにはそれが独立して、霊的意識や人格のようなものを持ち始めることになる。
それが神霊界の実相なのである。そして、ひとたび霊的意識なり人格なりを持ち始めると、祈る人の想念に相応した霊的存在がやってきて”いわしの頭”も霊的意識を持つようになる。
つまり、我欲で祈れば浮遊霊やヘビ、キツネ、タヌキなどの動物が憑くし、清浄な心で真心込めて祈れば、まれに神霊に類するものがやってくることもあるわけだ。
真心込めてお仕えしているお社や仏像には、光り輝く神霊が宿っているのも、この原理によるものであるといえよう。
このように、神霊界では人の想念に相応して霊が巨大化したり、光を増したり、邪気を結集したりするのである。これが「霊の巨大化理論」と名づける理論なのである。
水子霊の抱く怨みと嫉妬
こうして、水子霊は両親の想念によって増幅されながら発育したり、巨大化するのである。このことを忘れてはならない。
そして、この巨大化した水子霊は一般に、二つの感情を持っているといえる。一つは両親に対する怨み、呪いの念、もう一つは兄弟姉妹に対する嫉妬の念である。
つまり、「どうしてお母さんは、僕だけを闇から闇へと葬り去ったのだ。許せない!」という念と「お兄ちゃんたちはあんなにかわいがってもらっているのに、ボクだけ一人ぼっち。おもしろくない」という念である。
そして、この二つの念は、両親が気にすればするほど、成長するのである。
しかし本来、水子霊は、妊娠三ヶ月を過ぎればいつ流産あるいは掻爬されようと、今世に生まれ出て罪を犯しているわけではないので、文句なく水子霊の天国浄土に行く資格があるのである。
ところが、水子霊は霊界があるということも、霊界へ行くということも知らないので、そのまま天国浄土へ行くことなく、両親や兄弟姉妹たちに憑いてしまっているわけだ。
気にして供養すればするほど、しっかり母体に憑いてしまっているのだ。
こうした水子霊を、本来行くべき水子霊の天国浄土へ送ってやるのが、ほかならぬ神霊能力者とか霊能者と称される人々や、水子供養をうけたまわる社寺の務めであると考える。
>誤った供養がもたらす水子霊の悲劇
水子霊は一般的にいって、肉体に強く祟るほどの念力はなく、兄弟姉妹にあたる子供たちの精神に微妙に影響を与えることがもっぱらである。
しかもこの場合、水子霊だけで障るのではなく、他の強い霊と複合して霊障効果を増大させることがほとんどである。
そもそも霊障とは、単一の霊がもたらすことはほとんどなく、メインとなるものがあって、それに他の霊が複合して現れる場合が多いのである。
そのことをよくご理解いただきたいと思うが、水子霊の霊障の主なところをあげると次のとおりである。
まず、自閉症の子、集中力のない子、精神薄弱児童、これなど水子霊が主原因となっていることが多い。
また、学習に対する集中力が欠如し、学業成績が著しく悪い場合も、しばしば水子霊が主原因となっているケースが多いといえる。
さらには先にも少しふれたように、水子は兄弟姉妹を妬んでいるので、これを仲たがいさせることもある。
兄弟ゲンカが絶えない、兄弟が異常なほど対立するというのも、水子霊が原因となっているケースが多い。
また、水子霊の障害は両親への異常な反発心となって現れることもしばしばある。数年前から家庭内暴力が大きな社会問題となっているが、これなど、水子の霊障の代表的なものといえる。
子供の暴力で悩んでいる家庭を一件一件調べれば、かなりのパーセンテージで水子霊を見つけることができるであろう。
これらの霊障は、水子霊が一体だけならそれほど表面化しないが、水子霊が巨大化していたり数が多かった場合は、その現れ方も顕著であるといえる。
このように、水子霊は成人霊の死霊や生霊ほどには肉体に直接影響することはないが、子供の精神障害や家庭内の不和の原因になるのは事実であって、適当な解決策が望まれよう。
その解決策の第一は、何よりもまず、避妊に気をつけて水子をつくらないことである。
しかし、人道的に仕方なく掻爬した場合は、気安めの供養をするのではなく、正しい霊界知識に基づく、水子霊の気持ちと幸せを第一にした真の供養をすることである。
今日の水子供養をうけたまわる霊能力者の方々は、このような水子霊救済をなすべきであり、是が非でも、そうするべくご協力を賜りたい心境である。
正しい水子供養を行うために
一方、水子供養をお願いする方々も、先に述べたように水子供養をする霊能者や祈祷師のすべてが正しい霊界知識と愛念と真心に基づいて行ったわけではないので、そのへんを十分注意していただきたい。
関東では、正しい神霊、仏霊の坐す浅草観音や川崎大師で「水子供養」という修法をやったらよいであろう。
この場合、水子霊を水子霊の天国霊界へ救済して連れていっていただく気持ちでお願いし、水子にもそのように言い聞かせる気持ちで臨まなければならないのは、いうまでもないことである。
また、自分の近所で行いたいという方は、産土神社(鎮守様)でお願いしたらいいだろう。この場合まず、「せっかく子供を授かりながら、自分の都合で殺めてしまったことをお許しください」と、神様にお詫びを申し上げることを忘れないようにしていただきたい。
続いて、「この子をどうぞ、水子霊の行く霊界へと救ってください」と、至誠をもってお願いする。これが、最も大切な心構えである。
そして、水子霊に対しては、「お父さんやお母さんを怨まないでちょうだい。
兄弟たちを妬まないでちょうだい。霊界にもお父さんやお母さんがいるから、そこへ行って、お前も幸せになってちょうだい」という気持ちを向けていただきたい。
このように、神様に対する至誠と水子霊に対する真心で臨むならば、必ずや水子霊は救われるはずである。
ところが、産土神社といっても、すべてがすべて正しい御神霊が宿っているわけではないので、注意が必要。
なかには、狐や狸、蛇、あるいは人霊などが御神霊になりすまして鎮座しているところもあるのだ。
だから、そのへんのところをよく見きわめる必要があるのだが、これはなかなか難しいこと。そこで、正しい御神霊が宿っているかどうかを見分けるポイントをいくつかあげておこう。
第一は、神社をあずかる者が欲深かったり、商売に夢中になっていないところ。最近、結婚式場や駐車場の経営に異常なくらい熱心な産土神社が増えているようだが、こういうところには正しい御神霊が宿っていないと見て間違いない。
第二は、お供え物があげっぱなしになっておらず、常に浄められているところ。
第三は、神主さんに真心があり、礼儀正しく丁寧なところ。
この三つが揃っていれば、御神霊が宿っているはずである。
神主さんが金儲け主義に走って、境内がきたなく森がないところには邪気邪霊が多いので、避けたほうが無難といえよう。
水子供養に関しては、とにかく気休めの供養ではなく、本当の水子救済になる供養をしていただきたいと思う。
本当に実在する観音さまや地蔵尊、あるいは正しい産土の神の導きによって、さまよえる水子霊が一体でもなくなって、真に救済されんことを願ってやまない。
私一人の力ではもとより限界があり、神霊世界の正しい知識と至誠に基づいて、多くの方々、すなわち、水子供養をうけたまわるお寺や宗教団体、そして霊能者、神霊能力者と呼ばれる方々のご協力を、ぜひとも賜りたいと願っている次第である。
除霊体験者は語る 末っ子の自閉症が突然治った! (橋木幸子 36歳)
私には小学校五年生を頭に三人の男の子がございます。上の二人の子は普通の子で、学校の成績も良く、何ひとつ悩みはございませんでした。
ところが、一番下の子は少しばかり変わった子で、悩まされどおしでございました。
「この子は普通の子と違うな。少し変わった子だな」
と気づいたのは、その子が二歳になる頃のことでした。二歳といえばいくつか言葉を覚え、活発におしゃべりを始める年頃。
なのに、どういうわけか、その子はなかなかしゃべり始めません。そしてやっとしゃべったと思ったら「イヤ!」と拒絶する言葉。それ以外はしゃべろうとしません。
私はおろか、お父さん、そしてお兄ちゃんともしゃべらず、笑いもしません。ただ、テレビを見ながら一人で笑ったり、虫を殺してはニヤニやすだけ。
私は自分のおなかを痛めて産んだ子ながら、薄気味悪いやら情けないやらで、「この子はいったいどんな人間になるのだろう」
将来を恐れておりました。
その不安は不幸にも的中してしまいました。幼稚園に行っても、学校へ上がっても誰一人として友だちができないのでございます。
それだけなら決して珍しいことではありませんが、恐ろしいことにご近所の犬や猫を棒でたたいては喜々としているのでございます。
「いったいどうしたらいいんだろう。精神病院にでも連れていこうかしら」
と心を悩ましていた矢先、ふとしたことで深見先生のことをお聞きし、昭和五九年の夏、先生のところへ伺ったのでございます。
先生は私を見るなり、「あなたには水子がありますね」とおっしゃるのです。言われてみれば、確かに私には中絶した子がおりました。
あれは昭和五二年の二月。私は風邪をひいたことが原因でレントゲン撮影を受けました。ところがそのとき、私のおなかの中には四番目の子が宿っていたのです。
うっかりしていた自分が悪いのですが、もしものことがあってはと思い、お医者様とご相談して掻爬することにしたのでございます。
私はその子のことを思うと不憫でならず、「ごめんね、ごめんね」と心の中で一生懸命詫びました。
けれど、その後子育てに忙しくなり、”去る者は日々に疎し”ではございませんが、月日の流れとともにその子の記憶も私の脳裏から次第に遠ざかっていったのでございます。
その子の霊が、掻爬されたことを怨んで末っ子に憑き、自閉症にしているのだとのことです。
そこで私は深見先生にお願いして、水子の救済供養をしていただきました。先生にお祈りしていただいている最中、私は、「お兄ちゃんたちにはおもちゃをたくさん買ってあげたり、ピアノを習わせたりしているのに、あなたには何ひとつしてあげないでごめんなさいね。
お母さんを許してね」と何度も何度も祈りました。そして、「この子が救われるなら、この身はどうなろうとかまわない。どうぞ神様、この子をお「救いください」
命がけで念じました。
すると、そのときです。私の目の前に小さなかわいい子供を抱いた、きれいな着物を着たお地蔵さんが現れたかと思うと、色とりどりに美しく咲き乱れたお花畑のほうへ歩いていくではありませんか。
胸に抱かれた子供はうれしそうにニコニコ笑い、幸せそうです。お花畑のほうからは、子供たちの歌声や笑い声が聞こえてきます。
私は、お地蔵さんに抱かれた子供が私の子であることを直感しました。私はうれしくうれしくて胸が熱くなり、流れる涙を止めることができません。
その間三〇秒くらいだったでしょうか。ハッとわれに返ると、「はい、救済供養は終わりました。あなたのお子さんは天国界に帰っていきましたよ」と深見先生の声が聞こえました。
私の子供は救われた。この感動は筆舌に尽くし難く、ただただ涙が流れ落ちるばかりでございます。
ところが、これからわずか数時間後、”救われた”という実感は、現実に起きた奇跡により裏打ちされて、さらに大きく私の胸に迫ってまいりました。
深見先生のところを辞した私は、急いで家路につきました。
玄関のドアを開けると、何と末っ子がニコニコ笑いながら、「お帰りなさい」と迎えてくれるではありませんか。実にかわいい笑顔でございました。こんな笑顔の末っ子は見たことがありません。ニコニコ笑うだけではありません、自分から話しかけてくるのでございます。
「ねえ、どこへ行ってたの。遅かったね」
学校の先生も、あの自閉症だった子が、と思うとまったく信じられません。まさに奇跡というほかありません。
その後、末っ子はますます明るく元気になり、以前の暗さは微塵も感じられません。「ボクもお兄ちゃんといっしょにソロバン塾へ行く」と、塾へ通うようになりました。
今でも、どんなに遊びに夢中になっていても、時間がくれば、きちんと塾へ出かけていきます。
また、虫を殺したり動物をいじめたりすることも、まったくなくなりました。それどころか、昆虫を飼って、とてもかわいがっております。この子が、こんなにやさしい子だったなんて、信じられないほどでございます。
「以前とすっかり変わってしまって、本当に驚いています。
今ではクラス活動にも積極的に参加し、明るく元気で頑張っていますよ。突然、明るく元気になるなんて、いやあ「信じられませんね」
と、おっしゃいます。まさにそのとおり、今もって不思議な気持ちでいます。
今思えば、あまりにも軽い気持ちで掻爬してしまいました。水子の霊障がこんなにも恐ろしいことを初めて知りました。多くの女性たちに教えてあげたいと思っております。
