次々と壁が乗り越えられるコツ 菱研 深見所長講演録25(Vol.4)

ですから、経営者が従業員に話をする場合でも、同じことしか言えないと、「また社長、同じことばっかり言って」と思われてしまいます。また、ちょっとした知識でしか言えないと、「そんなのどこかで読んだような、借りてきたような知識で、要するに受け売りだ」と。

「うちの社長はもう、受け売りばっかりなんだから。受け売りばっかりじゃなくて、掛け売りばっかりで全然、回収できないじゃないか。まだ油を売るよりはいいけどね」と(笑)。

従業員はみな、「はあー」と聞いているけど、おなかの中では、「この社長、バカか」と思っています(笑)。一応、もっともらしく、「はあー」と聞きますが、おなかの中では、「バカ、それは三日前に聞いた話と同じじゃないか。しかも、去年も同じことを言っていたじゃないか」と従業員はバカにします(笑)。

皆さんどうですか。「またあの社長、同じことを言っている」と言われていませんか。

やはり従業員が、「なるほどなあー。すごいなー」と、ある程度のところまではもちろん受け売りの話かもしれないですけれども、起承転結の転結というところになってくると、独自の考え方が出てくる。

もちろん、独自な考えといっても、

「やっぱり宇宙はねえ、灰色だと私は思うんです。なぜかというと、灰色じゃないというふうに見た人がいないじゃないですか。だから、灰色と思ってもいいんじゃないんですか。灰色じゃないというふうに誰が証明するんですか。だから私は宇宙の彼方は灰色だと思うんです」

「なぜ灰色だと思うのでしょうか?」

「いや、何となく私の心が灰色ですから」と(笑)。

たしかに面白い。しかし、そんなことばかり言っていたら、「また社長は変なことばっかり言っている」となって誰も聞きません。

やはり、みんなが納得し得るところに落としどころが行くように、いろんな角度のものの見方というのが、一般的な知識、論理を踏まえたうえでの自分の感想となると、「なるほどなー」と、従業員も納得するし、尊敬するし、銀行もお話ししていて納得し、尊敬するし、販売先、仕入先も、「うん、なるほどな」と思う。「なるほどな」というのが説得力です。

「なるほどな」と思わせるところが説得力、すなわち、人を動かす力であり、実際に人を動かすことができるわけです。

そういうようなものをどこで勉強するのか。それは普段から心構えてなければできないことです。

とくに女性の経営者となりますと、感情論が多くなる傾向があります。「私、イヤだからどうのこうの」と、もちろんそれは本人の自由なんですけれど、「どう考えようと、どう思おうと勝手じゃないの?」

「そうです。どう思おうと勝手です」と。

それで、社員もどう思おうと勝手だから、お互い勝手な行動をしてしまいます。もちろん、女性と男性との違いがあります。

女性は男性よりも、より感情的な生き物と言われています。

男性にも感情的な男性がいますけれども、それでもやはり、感想を聞いたときに起承転結がきちんとできていて、知識と論理を踏まえたうえで、具体性、客観性をもって感想を言うと、「なるほどなあ」といった共感を得ることができます。「なるほどなあ」と思われるものが出てくると、従業員も販売先、仕入先、銀行も納得する。つまり、人を動かすことができる。

とくに女性の経営者は感情論が多い傾向がありますから、インプレッションの感情とアカウンティングの勘定と両方です(笑)。

「私はこう思うの。私はこうなのよ」

「ああ、そうですか。従業員が思っていることはどうなるんでしょうか」

「そんなの、知らないわよ」と言ってしまうと、まるで無茶苦茶わがままなお姫様みたいではないですか(笑)。

何とか山の何とか姫様みたいです(笑)。

しかし、現実界というのは、知識と論理をある程度踏まえた言葉で表現しなければ、人の納得を得ることはできません。

5W1Hを踏まえた話法

そういうことで考えますと、いかに感想一つでもきちんと書けることが重要か、ということなんです。そのためにはやはり総括法。前にも話しましたけれど、一回結論があってもう一回結論で締めくくる。5W1H。新聞と同じです。何が何して何とやら、です。

5W1Hは、「when,where,who, what,why,how」です。「いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どういうふうにしたのか」と。これを5W1Hと言います。

たとえば、「九月十一日、ニューヨークのマンハッタンにおいて、アラブ系のテロリストがアメリカの威信を失墜させんがために」と言う新聞記事があったとします。

この中に、いつ、どこで、誰が、何を、どんな理由で、という5Wが入っています。

さらに、「二機の飛行機が連続して貿易センタービルにぶつかっていった」いうのがhowです。もう一度繰りかえしますと、whereがニューヨークのマンハッタンにおいて、 whenが九月十一日、 whoがアラブ系テロリストと見られている人たちが、 whyがアメリカの威信を傷つけんがために、あの貿易センタービルを狙ったわけです、と。

whatが飛行機が直接ぶつかるという、アメリカの歴史始まって以来の最大のテロリストを、乗客とともに自爆するという飛行機が、しかも連続二機、そしてワシントンほか四機の飛行機が、同時多発テロだったんだということでhowです。

これでそれはやはり客観性がないと、「なるほどな」と思っていただけないわけです。

「みんなの気持ちもこうこうこうでしょ。だけども今、現実を見たら、こういう現実じゃないですか。こういうふうにも、ああいうふうにも言われているじゃないですか。だから私はこう思う。無理ないでしょ」

「そうですよね」

「だから、こうならざるを得ないわけだから、こうするのよ」

「ああ、分かりました。それはそうですね。ごもっともです」

「今、会社の現状はこうだしね」

と、知的、論理的、具体的、客観的な分析と知識があって、最後に自分の感想が、「私もこうありたいと思うのよね」と言ったら、「それはそうですね」と、みんなも分かってくれているし、現実もこうだ、こうならざるを得ないではないか、という結論に達します。

「大変なことが起きた」というときに、5W1Hで表現すると内容がすっきりしますし、とてもよく分かるんです。ところが、

「いやあ、とにかくあれだったんだ」

「えっ、あれって何?」

「うーん、すごい貿易センタービルだったんだよ」(笑)

「貿易センタービルがどうしたんだ?」

「いやもうすごいんだよ。ぶつかったんだから、飛行機が」(笑)

だんだん分かってくるんだけれど、結局、最初から5W1Hを頭に入れて文章を書けばすぐに分かる。新聞はそうなっています。それだけで何が起きたのかが分かります。

「どういうふうにしてそうなったのか、もうちょっと背景を教えてよ」と言われたら、もう一回5W1Hで、「同時多発テロで、みなアメリカの防衛上の威信、経済の威信、シンボル的な存在を狙っているからで、こういうようなことが起きたことによって、これはもうテロではなくて戦争だ、やがてアメリカはすぐに報復措置を取るだろう、テロを許さないと世界に呼びかけていくに違いない、と同時に、暴力に対して暴力をするとさらにまた、テロのまたテロの、報復に継ぐ報復になる可能性があるので、油断はできない、今後どうなっていくのだろうか、アメリカの国民は非常に不安である。見守っていかざるを得ない」というのが結論です。

新聞記事はそういうふうになっています。こういうふうに書いていくんだということが頭に入っていますと、これを組み込んでいけばちゃんと書けるわけです。

感想とは単なるインプレッションではない

感想というものは、ただインプレッションを言えばいいわけではない。就職試験のときには、四千六百年以上の歴史の中で、お父さん以上に偉い人はいなかったのか、と。つまりその人は知らないだけなんです。しかし、「社会性が欠落しているなあ。乳離れができていないんだなあ」と思われます。

「自分が尊敬する人は?」と聞かれたときに、「お父さんです」「お母さんです」と答えると、「この子はものを知らないんだな」と。もちろん、お父さんが悪いという意味ではありませんけれども、他に知らないのか、ということです。

ちょっと知っていたら言わないことです。

「尊敬する人は誰ですか」「えー、少なくとも父ではなく、母でもなく、親戚にもいませんが、偉い人は長嶋監督です」

「なぜだ?」「スターだから」と(笑)、これもイマイチです(笑)。

お父さんよりはましだけれど、「長嶋監督?なぜ偉いと思っているのか」という理由と根拠、なぜなんだという根拠を面接官は知りたいし、その理由が、「なるほどな」という説得力を持っていれば、さらにいいわけです。

「えー、私、はじめての還暦を迎えることになりまして」というのは長嶋監督の迷言の一つなんです(笑)。還暦って何回も迎えるのか、と。一生のうちに一回だけです。

それからまた、私の好きな長嶋監督の迷言。名言って迷言と書くんですけれども(笑)、「いやあ、昨日は遅くなってねえ。シャワーを食べてうどんを浴びたら、もう夜の十時だよ」と(笑)。

シャワーを食べてうどんを浴びる?言い間違えているんだけれども、「いやあ、昨日はね、シャワーを食べてうどんを浴びたら夜の十時になっちゃってねえ」って、おかしいですね。

「ああいう人でもやっぱり監督になれるんだ、ぼくでもやれるんだなあと思います。ワハハハ」と。そういうことを言うと楽しいですね。

長嶋選手は昭和三十四年の天覧試合でホームランを打ちました。あれはいまだにファールだったという強い説もありますけれど、天皇が見に来ていらっしるからホームランになったんで、どう考えてもあれはファールだった、という説があるんです。

それでもなぜかホームランになってしまうという、それはもちろん長嶋選手の持っている天性なんだけれど、すごい集中力です。

ここ一番ですごい力を発揮する集中力のある人は、普段このような面白い言葉が多いものです。

おそらく、ここ一番すごい集中ができる反動なのか、あるいは、気を抜かないと肝心のときに集中力を発揮できないのかもしれません。

「こういう一点集中型か、抜けていないけれど集中もまあまあというタイプのどちらが魅力的かといえば、人間は極端なくらいのほうが魅力があるのではないか思いまして、そういうところが長嶋のいいなと思うところなんです」と言うと、「おお」となるではないですか。

「ほどほどで行くよりも徹底して、どこか欠点があっても試合に勝って、打率も高くてここ一番というときにチームに貢献するような人間、このほうがいいと思うんです、抜けたところがあっても。

私が長嶋選手を尊敬しているのはそういうところでして、だから会社に入っても、ここ一番のときに私は絶対にがんばって、要するに会社がライバルに勝つようにがんばって、普段は少し抜けていますけど、ご勘弁願います」なんて言うと、「なかなかいいじゃないか、この子は」という評価を得られるはずです。

もっとも、なぜ長嶋がいいと思うのかを聞かれたときに、「長嶋の顔がいい」「理由は?」「それだけです」「何だ、それだけか」ということだけだとペケになります。

一千冊読破を目標にせよ

長嶋選手の話題一つを取ってみても、そういうようなものの見方ができるということは、たくさんの知識がある程度ないとできないわけです。ある程度まで勉強していくと広範の知識が身につきます。

だいたい、岩波文庫とか岩波新書中公新書など、ちゃんとした出版社から出ているちゃんとした本を約一千冊読めば、ある程度の知識が習得できるはずです。

しかし、「私も一千冊読みました」と言っても、少年ジャンプ、少年マガジン、週刊アクションとかのコミックばっかりでは、一千冊読んでも全然ダメです。ある程度のちゃんとした本を一千冊読破して、ある一定以上のところに来ると、自分の知識とか見解というのが奔流のごとく出てきます。

これはスキーの技術やゴルフの技術も同じです。一つまた一つと技術を覚えていってもイマイチなんですけれど、たくさん聞いていてやっているうちに、突然パーンと壁を越えて、何でもどこでも滑れるようになる。

ゴルフでもそうです。歌でも絵でも書でもそうです。たくさんのことを聞いて、聞いているうちはよく分からないんです。

胸突き八丁です。

しかし、あるところまで行くと、奔流のごとく出て、自由自在に絵が描ける、自由自在に書が書ける、自由自在にスキーが滑れる、自由自在にどんなところへ行ってもゴルフのスコアが一定してくるわけです。

知識もそうです。その目安が約一千冊と私は思っているわけです。大学受験の浪人時代にたっぷり読みました。

ですから、二十五歳で植松先生にお会いしたときには、一千冊を越えていました。もちろん、古今東西のちゃんとした本です。

読書が約一千冊を越えると、いろんな角度からものを見て、なるほどなあと言わしめるだけの話ができるものが考えられる。これが目安です。

ですから、一千冊読破を目標にしたらいい。それで、一千冊読破を目指すにはどうしたらいいのかというと、一冊が薄かったらいいんです(笑)。

だから、世の中で一番いい本は何かというと薄い本、読んですぐ終わる本。

それでも、ちゃんとし出版社でちゃんとした本で、店頭に並べられている本は読むに値するわけです。

それで、解説を先に読むんです。

解説している人の名前を見て、自分より賢いかバカかと考えたら九十九パーセント、自分よりも賢い。

そんな人が解説しているから、「はあー、そういうふうに考えるものなのか」と思って、それから本を読んだらいいんです、解説を確認する意味で。

「本を読んだ後で解説を読んでください」と書いてある本はないはずです。ですから、どこから読もうと勝手です。

それで、読書の冊数が一千冊を越えると自分で解説が書けるようになる。書けなくても口で言えるくらいのものが出てくる。

それだけの絶対的な知識のインプットがある程度まで行くと、今度はアウトプットが奔流のごとく出てくるんです。

経営の五本柱

経営のやり方にしましても、難しいなあ、と思うかもしれませんけれども、売上が上がるためにはこれだけの営業力がいる、粗利を取るにはこういう努力がいる、こういうふうな具体的なやり方がある、利益を取るために経費を削減するにはこういうやり方がある、税金対策にはこういうやり方がある、労務管理、雇用にはこういうやり方がある、アルバイトを雇うときにはこういうやり方がある、というようなことが、あるところまでの知識と情報が溜まってきますと、奔流のごとくバーッとまとまって出てくるんです。

自分でうまく会社がやれるようになるんです。財務もできるし労務もできるし、資金調達もできる税金対策もできるし、売上も上げられるし、経費もちゃんと削減できるものなのです。

闇雲にやるだけではうまくいきませんが、ある一定以上の知識と経験ができあがったところから、会社をちゃんとやっていけるだけの能力が備わるわけです。

それができるようになるためには、チェックしなければならない項目があります。

まずは、粗利益を確保しないと、どんなにがんばっても利益が残りませんから、売上をどう上げるのかが肝腎です。

次に労務管理です。従業員をどう雇うか、どう適材適所に配置していくか。問題が多い場合はどう辞めさせていくのか。

辞めてもらうにあたっては、いかに該当者の人格を傷つけないようにするかということが重要です。人格を傷つけずに辞めてもらわないと、恨みを残しますし、不幸にします。

しかし、そうだからといって、会社にとって不必要な人間を抱え込んでいれば、人件費が過剰になって、会社が潰れる。

こうなってしまえば、もっと多くの人々の恨みを買うことになります。また、企業を安定、充実、拡大していくための資金調達。つまり、やり繰りするのにどこから金を持ってくるのか。そして税金対策です。

入ってくるのをごまかしては、これは脱税で違法となりますから、入ってきたものはごまかしてはいけない。

しかし、出るときをどう工夫するかです。節税と脱税は違いますから、税務署とじっくり相談しなければなりません。

販売管理、労務管理、財務管理、資金調達、税金対策の五項目が経営の五本柱です。それぞれの項目をクリアするには、知識と経験と論理が必要とされるのは自明の理です。

また、販売がうまくいっても、労務管理がダメだったり、労務ができても財務が分からなかったり、財務ができても販売がダメ、資金調達ができたと思ったら、税金を払うほどの利益が確保できないなど、ああでもない、こうでもないと経営者はキリキリ舞いします。

ところが、ある一定以上までの知識と経験と情報が蓄積されると、すべてのことが奔流のごとく解決に向かっていくものなのです。

こういうものだと分かっていれば、さまざまな局面を凌げるのですが、そういう知識と情報と、「そういうもんだ」という理解と諦観がないと、どういうふうにしていいのか分からなくなります。

この五項目をしっかりやっていくことが会社の経営に大事なんですけれど、その一方、自分なりの経営者の心得というのは、それなりにいろいろあっていいわけです。

しみじみ思っていることもあるでしょう。

しかし、それらを従業員が聞いて納得し、銀行が聞いても、「なるほど」と納得する、あるいは、販売先、仕入先にも、「この会社、危ないなあ」などと思わせない、十分に納得できる思考と姿勢なのかどうか、そのことを自覚するために、何回か研で講義と訓練をしようと思っています。

これは本当に重要です。

他でやってくれないでしょうし、採点もしてくれないでしょう(笑)。いま、スタッフにもやっていますから楽しみにしていてください。

成功している経営者に見る三大特徴

船井幸雄さんが、「成功している経営者は、「素直」「ポジティブ思考」「勉強「好き」だ」と言っていることについて、以前に講義しました。

「素直」「何でも積極的にものを考えていくというポジティブ、ネクラではなくネアカであれ」と。

そして、「勉強好きである」ことが、成功している経営者の三大特性である、と。

ところが、別の講師の話を聞くと、成功している経営者の条件について違うことを言っていますから、どれか正しいかが分からなくなります。

しかし、いずれにしても、「販売管理」「労務管理」「財務管理」「資金調達」「税金対策」の五大項目をやることです。

一方、成功する経営者の逆、会社を潰す経営者は、「頑固」「ネガティブ思考」「勉強嫌い」と言うことになります。

つまり、添削して点数つけて返しますと私が皆さんに言ったとき、「ええっー、やだなあ」と思った経営者の会社は、もう潰れますね(笑)。

「よっしゃ、どんとこい。これからも試験を受けるぞ」というポジティブ思考でなく、「あつ、いや……..」と、ネガティブな反応を見せるようではアウトです。

松下幸之助さんは、本当に素直な方だったようです。素直な人はみんなにかわいがられるし、実力も伸びていくし、それからポジティブなものの考え方をして、勉強するのが好きだったそうですから、いま言った経営の五大項目が乗り越えられたんです。

社会性というものも、学歴などは関係ありません。高校出でも大学中退でも定時制の高校でも中卒でも、素直、ポジティブ、勉強好きだったら、やがて人を超えていきます。

スタート時の蓄積が少し足りないかもしれませんが、すんなり大学へ行った人よりも、実力をつけていく可能性は大きいと思います。

料理長に学ぶ勉強の姿勢

私の知り合い、といっても私の弟が大阪国際ホテルに六年間コックをしていその上司に西村修一さんという人がいます。

もうその大阪国際ホテルはいまはありませんけれども、そのお世話になったときにチーフだったのが西村さんです。

私の父が西村さんのお父さんの遺言の証人になったものですから、西村チーフはずっと私たちを大事にしてくださって、それで弟も、「私が弟さんを預かりましょう」ということで、お世話になったわけです。

その西村チーフは、西洋料理が専門です。コックさんのことを司厨士と言うのですが、西村さんは大阪司厨士協会の理事長で、世界料理オリンピックのときの団長で、金メダルを取った方なんです。西村さんはたしか中学校しか卒業していないんです。中学を出てからコックさんになった人です。

その司厨士協会の理事長は、メニューは全部フランス語で書きます。全部独学で、その一方、オリジナル料理をつねに自分で創作していらっしゃいました。

中学校を出て、料理の世界に飛び込み、徒弟制度の厳しい中でがんばりました。

朝から晩まで、もうヨレヨレになりフラフラになって帰ってきたそうです。

コックさんの中には、酒を飲んだり博打をしたりと遊びに走る人も少なくないようですが、西村さんは、修業一筋、一本立ちするまで、脇目も振らず料理に取り組んだそうです。

その西村さんから手紙をいただいたことがあります。意味の通る達意の文で、しかも、字も上手なんです。ものすごく達筆というわけではないんですが、きれいな字で、「拝啓、先日は何とか何とかでございまして」と。

そして文章は序論、本論、結論、起承転結がちゃんとなっていて、最後にきちんと挨拶があって、ひらがなと漢字がほどよいバランスだったんです。

ひらがなばかりだと教養が疑われるでしょうし、漢字がやたら多いと読めないですね、堅すぎて。ところが、ひらがなと漢字のバランスが絶妙で、しかも、ピシッとした正しい漢字を使っていらっしゃいまして、漢字の使い方も語法も実に正確でした。

さらに、とてもきれいな字で、真心のこもったお手紙を頂戴したのです。中学校しか卒業していないにもかかわらず、です。

ですからやはり、「違うな」と。大阪司厨士協会の理事長になって、世界料理オリンピックでフランスに行って金メダルを取ってきたときの団長だったんですから、西村さんは人望もあるわけです。

もちろん、コックとしても優れた腕を持っていて、つねに創作料理をつくる。フランス語で全部メニューも書ける。それだけの、理事長をして、日本の団長をするだけの人望があるわけです。

お話を伺っても、訥弁ではないし、無駄な指示代名詞や形容詞が入らない。

ちゃんと起承転結の整ったお話ができて、なるほどなあと人に思わせるようなお話をされます。手紙もなるほどなあと思わせる心のこもった手紙が書けるのです。

うちの弟がその西村チーフのところでお世話になるとき、「キミ、ちょっと来なさい」と、呼ばれたんだそうです。

「半田君、何も言わないけど、これだけは聞いてほしいし、守ってほしい」

「何でしょうか」

「一日三十分、どんなことがあってもいいから、必ず本を読みなさい」

と、西村チーフからひと言、そういうふうに言われたんだ、と。

しかし、西村チーフから言われたとおりに、今でも弟が一日三十分の読書を続けているのかどうか(笑)。

兄である私はこうやって、素直、ポジティブ、勉強好きで、今度、浙江大学の大学院の博士課程に入りました。

そのとき、中国語の試験がいきなりあったんです。中国語は日本の漢字に似ていますが、微妙に違うところがある。

たとえば、校舎の「舎」という字は、「土」の部分が、上に突き抜けていますが、中国語のほうは下に突き抜けています。似ているんだけど、少し違うし、意味も違う。

ですから私は、六十五歳になるまでは学生でいようと思っているんです。六十五歳からは国が認めたおじいさんになりますから、何も勉強しなくても年金が入ってきます(笑)。

六十四歳まで学生でいるとすると、まだ十五年間はあるから(当時)、修士号も博士号も取れるだけの勉強をし、論文を仕上げなければいけないと思ってがんばっています。

兄である私がそうしてがんばっているのに、弟はどうなのかが気になり、ハッパをかけたところ、弟はその気になって勉強しまして、今年、日大の経済学部に入学しました。今、一生懸命、勉強もがんばっています。

しかし、西村チーフは独学でやったわけです。その結果、チーフになったし、司厨士協会の理事長にもなられました。フランス語も、あらゆる教養も、手紙の書き方も、全部、独学です。

学歴など関係なく、本人に学ぶ意志さえあれば、知識も教養も、論理的思考も、さらに文章も書けるようになるんです。文章が書けるということは、それだけ、人に話ができるということでもあります。

文章は書けても口下手ではダメな理由

ここで、最初に言おうと思っていたことについて、ふれておきましょう。夜に、「明日手紙を書こう」と思い立ったとします。

あれも書きたい、これも書きたいと思うんですけれど、朝起きて手紙を書いたら、二行か三行しか書けなかったという経験はありませんか。

ということは、昨日いろいろ考えたあれは何だったのかと考えたら、二行か、三行しか考えなかった、ということです。

それ以外は妄想だったんです。竹みたいだった。孟宗竹というのがありますね、字が違うんだけれども(笑)、漢字が。妄想はあったけれど、結局、考えたということは、翌朝、文章で書いた三行だけだったわけです。

私のスキーの先生で菊地英男先生という人がいますが、ものすごく教え方が上手なんです。

簡潔明瞭で、しかもなるほどと人を納得させる。ほかの先生はいろいろ言うんだけれど、菊地先生は体系づいているわけです。

「なぜ、菊地先生は無駄のない言葉なんですか」と聞くと、「私は本を書きましたから」とおっしゃる。

永岡書店というところで、「スキーの技術1・2・3」という薄い本ですけれど、やはり本を仕上げるときに、三巻に書こうと思ったら、一巻に何を書いて、二巻に何を書いて、三巻に何を書いて、一巻のはじめにこれを書いて、あれを書いて、と。頭で自分の技術をいろいろと分類し体系づける。

分かりやすく、どういうふうに言えばいいだろうかなと文章を推敲していく。菊地先生も大学は出ていないんですけれども、本を書くにあたってどういうふうに表現すれば分かってくれるだろうか、とお考えになるはずです。

文章でそれだけ書ける人というのは、それだけお話もできるんです。しかし、文章で書いても、口で言えない人もいます。

私のお付きの人間にもいますけれど、最小限度の言葉しか言えない。箱根神業のときでも、人がこれからパンツをはこうかな、というときに後ろ向きで入ってきて、

「おい、これから私はパンツはこうと思うんだけど」

「大丈夫です」(笑)

「いや、キミは大丈夫でも、ぼくは大丈夫じゃないんだ(笑)。ちょっと出て行ってくれるかな」

「あっ、すみません」

と言って、出て行ったままです。次には、神主衣装にこれから着替えてお取り次ぎをしなければいけない。「おーい、おーい」と言っても、彼は近くにいない。

「お〜い」と呼びに出て行ったときに誰もいないんです。遠くに行きすぎだ、と。着替えようかなと思っても、コンタクトレンズを外しているから見えません。

近くで見たら向こうはお化粧していて、パッと開けたらふつうの会員さんだったんです。上が長袖で下がパッチで、髪の毛ボーボーの状態です(笑)。

髪の毛にドライヤーをかけながら、「あっ、深見先生だ」と会員さんも言って、私も「あっ」、向こうも「あっ」で、しばらくその人の念波がずっと来ていました。

それで私は、「あの子はいったいどこへ行ったんだ」と。彼は東大卒で、「大丈夫ですか」が口グセなんです。文章はたしかに上手なんです。しかし、言葉は最小限度。

「キミ、ひと言言えばいくらって、タクシーの料金メーターじゃないんだし、いくら走ればいくらというわけじゃないんだから、ね、必要な言葉は全部言おうね」

「はい」

「はい、じゃない。はい、分かりました。次から気をつけます、と言いなさい」「はい」と。

無駄口を叩かなくていいんだけれども、必要なことは言って欲しいですね。

ですから、文章が書けても、口で言えない人もいるんですけれど、少なくとも、書けるということは頭の中にはあるわけです。