神がかり 成功経営(Vol.2)

第1章企業繁栄の超・原則

はじめに

歴史上の名だたる人物の中には、政治家であれ、芸術家であれ、熱心な信仰をもっていた人物が多い。

これらの人物は、雄大な志と、それを実行するだけの実力があったことは言うまでもないが、それに加えて神仏の加護と天運によって、歴史に残る偉大な業績を成し遂げることができたのである。

現代の大企業や中小企業でも、経営者には信仰を持っている人が多い。

生き馬の目を抜くといわれる現代社会において、常に的確な判断と決断を要求される経営者が、神仏を篤く崇敬するのは何ら不思議ではない。

無論、神仏が守っているから倒産しないというわけではないが、人間の努力だけでは限界がある。圧倒的な成功と繁栄とは、人間の努力に加えて、神仏の応援があってはじめて実現しうるものなのだ。

私は、経営コンサルタントであり、国内と海外合わせて十数社の経営に携わると同時に、神道人であり宗教者である。現代の資本主義社会において、ビジネスの問題を宗教的にどのように捉えていくのかということは、大変重要なテーマであり、多くの解説を要する事柄である。

そのため本書では、現代ビジネス社会で悩める経営者のために、なるべく平易に、わかりやすくこの問題を解説したつもりである。

さらに、私の数多くの実践体験を踏まえ、経営者として判断に窮した時、どのようにそれを乗り越えるかについても具体的に記述した。

そして、一の経営努力を十倍、二十倍に発展させるための正しく有効な「神がかり経営法」のノウハウについても、ごく基本的なことから詳説した。

資金繰りに窮した時、銀行から借金をする時、支店を出すべきかどうか迷った時、あるいは税務署がやって来た時には、一体どうしたらよいのだろうか。

経営者はどのように考え、判断すべきか。そのような時の答えが本書にはあるはずである。

いかにすれば天佑神助を得て、まるで神がかったかのような聞きと叡知でビジネスを成功に導くことができるのか?読者諸氏の問題解決の一助となれば幸いである。

深見東州

「世のため人のため」に潜むワナ

経営者には信仰をしている人が多い。経営者は孤独である。生き馬の目を抜く現代社会、常に刻々と変わる状況変化の中で、適格な判断と決断をしなければならない。

そして、その結果は、全て経営者自身の責任となる。経営者が心の奥に神仏を信仰する心を持っていたとしてもなんら不思議はない。

それは、なにも中小企業に限ったことではなく、大きな会社でも同じである。例えばヤオハンやダスキンなどは神様事でも有名な会社だ。

あるいは、あまり知られてはいないが、ソフトウェアメーカーのコナミもそうだ。スキャンダルになった角川春樹氏などは神社を建立したくらいで、それこそ枚挙にいとまがないほどである。

経営と神様事とは、切っても切れない深い関係があるわけだが、そこには思わぬ落とし穴も待ちかまえている。

神様事やご神業と会社の経営というものをいかに両立させるか。そこを間違えると会社は倒産、ご神業もままならないという事態に直面してしまう。私が若い頃、ある宗教団体A教にいたときに、こんなことがあった。

関西大学の優秀な学生で、Tさんという人がいた。神様のことや自然食のことをA教で勉強していたのだが、いよいよ卒業も近づき、さて就職をどうしようかとなったときに、Tさんはこう考えた。

「世のため人のために役に立つことがしたい」

「自分が勉強をした自然食を広めれば、人の役に立つじゃないか」と。

そして、そこの女性支部長さんに相談したところ「そうですねえ。まあ、いいんじゃないですか?」ということになり、Tさんは自然食販売の会社を作ったのだ。

会社と呼ぶのが恥ずかしくなるような小さなものだが、ともかく、自然食を少しでもみなさんに届けようという気持ちで始めたわけである。

二年か三年経って、「そういえば、Tさん今どうしているんですか?」と支部長に聞いたところ、結局、自然食販売をやっていけなくなり、途中からは親戚のやっている仕事に変えたということであった。

志はいい、気持ちは純。けれども、資本もなければ会社としてもまるで未熟。もちろん生活できるほどの売上もないときては、無手勝流ならぬ無手負流である。信心はいい。

世のため人のためという気持ちも大切。しかし、そのことはイコール仕事ではない。しかも悪いことに、相談相手の支部長さんは女性であった。つまり社会性がなかったわけである。

この女性支部長には後日談がある。

当時、私のいた大学から十人ぐらいがA教に入信した。

「入信する必要ないからね。絶対入信しないほうがいいよ。書籍はバラバラしているし、じいさんばあさんがいて、あんまりぱっとしないから」

私がそう言ったにもかかわらず、たくさん入信してしまった。卒業の前に「実は僕はこういうことやっていてね」と、A教のことを紹介したせいである。中でもY君という男は、「お前は入っちゃいかん」と言ったのに、

「この四年間、君のエネルギーと超人的な頑張りの陰には、どんな秘密があるんだろうと不思議に思っていたんだ。はー、これが君の秘密だったのかあ」と感心して一生懸命に通い始め、結局入信した。

Y君は卒業後、テープで有名なN社に就職したのだが、その女性支部長がなんと転職話を持ち込んだ。

「私の息子と妹が、二人で旅行会社を経営しているんだけど、会社にはいってくれない?」

連れてきた友人が「さあ、これからやるぞ!」というときに…。私は猛反対した。確かに、旅行会社はいいかもしれない。志はいいかもしれない。

神様の役に立つかもしれない。あるいはY君が、就職して何年か仕事をして「仕事ってこんなものかなあ、小さいとこでやりたいなあ」と言うのならそれもいい。

Y君が純粋に神一筋に行くのなら、それもいいだろう。しかし、まだ神様のことも「そうかなあ」と、よく分からないY君に、いきなり支部だから、神様だからというのはとんでもない話である。

「せっかく連れてきた友人に、そんなことを言わないでください」

私は、支部長先生にはっきりそう言って怒った。

結果、Y君は就職した会社にそのままいることになったのだが、なんとその後、旅行代理店の息子は心臓病で亡くなった。もしも転職していたら、Y君はどうなっただろうか。

「神様ごとをしている人間を役に立たせたい」「自然食がいい。体にいい」という気持 1 ちも、もちろんいい。

しかし、きちんとした大学を出て、きちんとした社会性を持つことから、ものごとは始まるのだ。仕事は仕事である程度やって、経験を積んでから転職するのは、それは本人の自由。けれど、最初から神様ごとで突き進んでしまうのは大き誤りである。

これが、神様ごとをする人間のひとつの落とし穴なのである。

「世のため人のために役に立ちたい」という気持ちはいいのだが、だからと言って「公害防止に役立つ世のため人のためにいい商品」だとか「脳波がよくなる商品」「体にいい水」「自然食」「菜食主義の商品」、そういう仕事に手を出すと絶対に危ない。

つまり、世のため人のためにするから、神様ごとでやるからと言って必ずうまくいくわけではないのである。

私がこういうことを書くと変に思われるかもしれないが、要するに霊的な、神がかっ要素がある仕事は、きちんとした経営基盤を持ったうえで始めることである。

そして、それが収益の上がる分野であり、それだけのマーケットがあると確認できて、初めてビジネスとして成り立つのだということを、肝に銘じておかなくてはならない。

採算が上がることが「世のため人のため」

こういう言葉がある。

マネジメント・イズ・プラクティス(マネジメントとは実践なり)。

マネジメント・イズ・レスポンシビリティマネジメントとは責任なり)。もしもあなたが、何がしかの仕事を「会社」でやるのであれば、当然、あなたには経営者の社会的責任というものが生じる。

その「責任」とは何だろうか?経営者にとって「世のため人のために尽くす」というのは、どのようなことなのであろうか?

ほとんどの場合、会社を経営する人間は従業員を抱えている。

その従業員を、経営者はまず幸せにしなければならない。なぜなら、従業員には家族がいる。

それから取引先を幸せにしなければならない。とくに仕入れ先には迷惑をかけないようにしなくてはならない。

自分の会社が倒産して相手に不渡りを食らわせたら、どれほど恨まれるだろうか。誠意を示してポチポチ返していけば許してくれるだろうか?

普通は、とうてい納得するものではない。「仕方ないなあ。誠意に免じて長く待ちましょう」と言う人も中にはいるだろう。

その誠意もなければ、本当に恨み骨髄となるだろう。振り出した手形が回ってしまえば、今度はヤッチャンがいらっしゃる。右傾向の方もいらっしゃる。家族がどれほど苦しむことか。

販売先も同じことだ。税務所が売り掛け金を差し押さえに行ったり、債権者がダダダーッと押しかけて、「私たちの商品です」と、関係ない商品まで全部持っていくだろう。

つまり経営者の責任というのは、まず何より、会社を潰さないように収益を上げていくことなのである。

そして、従業員を幸せにし、従業員の家族を幸せにする。仕入れ先、販売先の幸せを考え、自分の家族を幸せにする。

少なくとも、経済的に負担をかけない、危機をもたらさないということが、経営者にとっての「世のため人のため」の第一歩なのである。

採算が取れること。利益が上がること。それが第一義。

そして、会社の構造上、最終的には株主への配当を考えなければいけない。ただまあ、利益処分のやり方はアメリカと日本ではだいぶん違う。

アメリカは高配当だが、日本の場合はオーナーが株を持っているケースが多く、配当に回すよりも会社を存続させていこうとするため、内部留保が多いものだ。

それでも、上場会社なら株主への配当を考えるのが経営者の社会的責任、マネジメントの責任である。

そういった経営者の社会的責任・社会的意義と、神様事から出てくる社会的意義とは、別問題として頭に入れなければいけないのだ。ところが、ついついそこを混同してしまう。

仕事というのは、どこかしら生産活動の一端を担っているものであれば、みな社会に役に立っているはずである。だから、会社というのは収益が上がればいい。上がり続ければいいのだ。

もっとも、その会社がソープランドを経営したり、PCBを撒き散らしたり、プリペイドカード再生の機械を作ったり、いわば社会に害毒をもたらすような会社では、社会的な使命感なぞ湧いてくるものではない。

やはり「社会に役に立っているんだ。皆の役に立っているんだ」と思えることが重要だ。それがあって初めて、やる気に満ち、会社をやっていく情熱も生まれるというものである。

ただし自然食だとか環境商品だとか、宗教的理念、社会的な正義感、道徳観、倫理観から「この品物はいい」なんて言っているのは、大体失敗する。

宗教的な情熱で目が曇ってしまい、マーケットとしてはどうか、どういう先発メーカーがあって業績はどうなのか、という経営的な分析が甘くなってしまう。

精神世界に興味がある人は「あー、これは人の役に立つ。みんなのためになる」と舞い上がってしまうのだ。そういう分野は危険である。

そのようになりがちな人は、むしろ地味な、どちらかと言えば人の嫌がる仕事を考えた方がいい。

例えばゴミ処理場の中のコンピューター制御ソフト作成、屎尿処理車のタイヤ製造だとか。そういったものの生産工程の、どこかの部分に入り込んでいけば、これは社会的なニーズも多く、ビジネスとしてのうま味も出てくるものである。

特許でコケる中小企業

特許、発明。なんとロマンチックな言葉だろう。

中小企業経営者にとって、特許を取るというのはまさに夢である。

そして特許を取る人というのはみなさん夢と希望に燃えているが、「自分の特許は世界最高だあ!」と、独善的に考えている人も以外と多い。

特許発明というと思い出す人物がいる。

自動米俵装置だか自動米俵編み機だか、生産工程に乗ると自動的に米俵になって出てくるという機械を考案して、ある程度成功した人物である。

その人の作ったドリンクを私も商社で売ったことがある。そのドリンクは玄米から抽出したもので、あらゆる病が改善するという触れ込みであった。

そればかりでなく、この人は何百という発明を持っているのだが、悲しいかな、それを自分でビジネス化すると、不渡りを食らったり騙されたり、ことごとく失敗した。

つまり、発明する人と事業する人とは別なのである。いくら特許を持っていても、その特許製品を売るのは非常に難しいことなのだ。

とくに、「これがあればすべての病がよくなる」とか「これがあればすべての問題が解決する」といった発明、特許には、絶対に引っ掛かってはいけない。

なぜなら、それがすごい発明・特許であればあるほど、それが世に出るまでには繰り返しテストをし、どのように商品化するかをよく考えなくてはならない。

すなわち実用化とマーケティングである。当然、時間もかかれば資金もかかる。そのうえ、その間ほかの仕事はできないとくる。

「ジョイントベンチャーでやりませんか。加わりませんか」と誘われて手を出すと、「これがいる、あれがいる」と湯水のごとく金が流れていく。

不安になっても、経営基盤の脆弱な中小企業ほど「ここまで来たらもう引き返せない」と、また金が出ていく。

先物取引の落とし穴と同じである。仮に幸運にも二年か三年経って実用化できたとしても、そのときにはまた、膨大な資金が必要となるのだ。

さらに、実用化されたとして、その先どうなるだろうか。ベンチャー中小企業に、果たしてバラ色の未来はやってくるのだろうか。発明戦士に栄光の日々はやってくるのだろうか……。

とんでもない。

その発明が大きなマーケットで生きるものであればある程、大商社、大メーカー、大資本が狙ってくる。

政治が出てくるわ、ヤッチャンが出てくるわ、見たこともないよう社会の裏側をかいま見て、しっちゃかめっちゃか、スラプスティックな大ドタバタのあげくに全てが取り上げられてしまうだ。

自分がその特許の持ち主で、何年かかけて事業化に成功したものなら、ある程度、培ったノウハウと特許で守られてはいる。しかし、大きなマーケットでやろうとすれば必ずやられる。

なぜなら、大きなマーケットでビジネスをするには、そこでシェアを持っている企業でないと採算を取るのが難しいからだ。

シェアを持っている企業とは、資本力、優秀な人材情報力、社会的なコネ、銀行のバックアップ、つまり人・物・金の全部を持つ企業である。

そういう企業がおいしい餌を目にすれば、必ず商権を取ろうとする。アウトローの闇の世界からも殴り込みをかけてくるだろうし、そうでなくとも、特許から微妙に外れるところで必ず参入してくる。

そうなれば、コスト面でも販売力の面でも、中小企業がかなうわけがない。苦労して、これがビジネスだとでき上がったときに、パクーンとかっさらわれるわけだ。

例えば仮に、とても素晴らしい電気冷蔵庫ができたとしよう。でも、いったんそれが商売になりそうだとなれば、ちょっとした飾り、ちょっとした機転で、すぐに大手メーカーに取られてしまうだろう。

素晴らしい研究室で、あっと言う間に特許の裏をかいくぐり、安くて格好いい商品を開発し、素晴らしい宣伝力と販売網で売りまくるだろう。これまでに、どれほど中小企業の人間や会社が泣いていることか。

あるいはパソコン産業。

かつては、ソードというユニークな会社が存在したり、色々な会社が群雄割拠していたものだ。

それが、パソコン産業が成熟してきたらどうなったか。大手が軒並み参入して、ハードもソフトも全部やられてしまった。

初めのうち、いくつか特許を持って先行していた中小のコンピューターメーカーやソフトハウスはどうなっただろうか。ソードを含め、多くが倒産してしまった。

すべて、マーケットが大きくなるとそうなる。最初は調子よく、黒字でスーッといっていても、途中からは必ず大企業が出てくる。そして中小企業はやられてしまう。目に見えている。

だから、もしもあなたが特許ものをやろうとするのなら、自分がどれほどの人材を動かせるのか、どれだけの資金を動かせるのか、自分の会社の実力を充分にわかったうえで判断しなければならない。

そこを夢と希望で信じ過ぎると、苦労と苦渋だけが残ることになるだろう。

特許もので成功する秘訣

とは言っても、発明・特許の世界で中小企業が成功する道がないわけではない。それも、ちょっとした発想の切り替えで充分に可能だ。

マーケット・セグメント。

例えば電気冷蔵庫なら、全体を作れない代わりに製氷皿を作る。製氷皿に関しては特許とノウハウをいくつも持っているという会社になる。

そうするとこれは他社には真似ができない。しかも大手もマストと利益の関係で手が出せない。そして、松下電器なら松下電器に製氷皿を納めればいいのだ。

これがいわゆるマーケットセグメント、マーケティングセグメンテーション、あるいはすき間産業などと言われるやり方である。

松下電器だって、何もかも特許やノウハウを押さえているわけではない。小さな部品は値段も安く、大企業は多額な開発費と時間をかけて商品を開発することはできない。

そんなことをしていては、効率が悪くてとてもやっていけないだろう。冷蔵庫だって、冷却器のある部分だけは周辺特許やノウハウがいくつもあって、松下もその部品だけは買ったりする。あるいはドアの塗装技術とかも同様である。

そういうやり方をしておけば、そこに関してはマーケットがセグメントしてくるから、それに関しては日本一あるいは世界一になることができるのだ。

中小企業で、堅実に成功しているところはみなそうだ。何かのパーツ、それもある部分だけをやって収益を上げている。

大手メーカーはそこに参入しても採算が取れないから、参入してくることはない。万 2 が一マーケットが大きくなったら、そのときにはガバーッと取られる危険性がある。

だから、マーケットサイズを考えて、自分の会社の人材と経験、そしてとくに資本力を考えることである。

五千万円銀行から借りるのに四苦八苦している会社や、一億円借りられて「ああよかった」などと言っている会社が、何千億円、何兆円動かす大会社と勝負できるわけがない。

そんな分野には、絶対に進出してはいけないのだ。

ところが、特許という甘い誘惑を持ってくる人は、

「これは世のため人のために役に立つ」

「公害問題がなくなる」

「癌も治る。医療問題はこれで解決だ」

「クリーンな生活環境が実現する」

なんてことを平気で言う。そんなセールストークに騙されて、もしもそれを事業の中心に持っていったら、絶対に会社は倒産する。百パーセントやられると言っていいだろう。だから、そんな魅力的な話がきたら、ペッペッペッとユンケルを眉毛につけて

「誘惑には負けないぞ」と思い定めることが大切である。

事業家というのは事業で失敗する。本業がありながら「革命的な特許」に手を出すのは、ひとり勝ちを求める心である。

欲と甘い誘惑に目が眩んで大失敗するのだ。それでは経営者の社会的責任は果たせない。やはり、段階を踏んで成長することが大切だ。

まずマーケットをセグメントして、少しずつ銀行の信用と実力を養い、資本と人材を蓄積する不断の努力をする。

それができてきたら、少しずつ大きなマーケットに出ていけばいい。会社が倒産する一番大きな理由は放漫経営だが、その次にくるのは特許製品、すなわち無計画な商品開発、無計画な経営なのである。

このあたりのことは、前著「本当に儲かる会社にする本」(小社刊)でも触れたので、あわせて参考にしていただきたい。

通販「二光」の商売上手をみならえ!

特許製品のために会社がおかしくなる理由は、もうひとつある。

ヒット商品がひとつ出たとしよう。どうなるか。

「売れたー、ヒットだー、バーンといけー!」

ということで、人を入れる、場所を借りる、設備投資をする。そして夢と希望に燃えている。まさに我が世の春。

ところが商品には寿命というものがある。最近はますます商品寿命が短くなっているから、三年続けばいいほうで、短いのは三か月。

商品寿命が落ちてきたときに、支払いがあるわけだ。利益を上げたら、その決算年度は税金も払わなければならない。

決算が終わり、税金を払ったら、次には予定納税がある。予定納税は半年前には払わなければならない。しかもキャッシュ。

ヒットが出て急成長したら、そのために資金繰りがきつくなるのだ。

きつくなれば銀行から短期の借り入れをして回転する。税金を払うときにはまた足りないから借りる。

「すいません物納します」とか「分割します」とか言っても、キャッシュで払わなければならない税金は銀行から借りるしかない。それだけ経費が上がって

いく。ところが商品寿命が尽きてきて、売上が二割落ちたら、もう利益は半分。三割落ちたら利益は飛ぶ。次のヒットはなかなか出ない。出ない出ないで、結局、倒産というのが多いのだ。

特許品は当たったらその後が怖い。つまり、ヒット商品ほど怖いものはない。

その典型がLSパック。顔をぶくぶくと洗って、洗顔でゴミが取れますという商品である。覚えている方もいると思う。

すごい勢いでブワーッと売れたが、結局あの会社は潰れてしまった。ワーッと売れた、人を入れた、設備投資をした、事務所も借りた、商品寿命が落ちてきた、次が出ない、倒産……。

ここらへんの商売上手なのが、「ポン!二光お茶の間ショッピング!」で有名な二光通販である。また、日本文化センターなんていう会社も上手だ。

その中でも、とくに上手なのが二光である。

二光という会社はなかなか大変な会社で、新しいもの、売れるものをコンスタントに出すために、ものすごいネットワークを張っていて、絶えず商品研究をしている。実際、常に売れるものを供給しているから立派なものである。

ところがこの会社は、ひとつの商品がある一定量売れると、もうそれ以上売らないの売れ過ぎると資金繰りを圧迫するからという。

だからある一定のところで止めてしまう。売れ過ぎると、その分支払いをしなければならない、在庫を持たなくてはならない、その分また税金を払わなければならない。

売れたら売れたで、資金繰りを上手にしなければならないことをよく知っているから、売れたといってぬか喜びしない。だからこそ、二光はああやって安定しているのだ。

ところが、マネジメントのド素人は「売れたー、それいけー!」で、大量の資金を使うが、次の商品が出ない。

もしヒットが出たら、次に何がくるかということを頭に入れておくのがプロの経営者というものである。

それができない人間はマネジメントのド素人だ。経営者としての実績に基づく知恵がないものだから、みすみす倒産していくことになる。

とくに特許製品を売るという場合は、本当に眉ツバしたうえで、いくつかの連作を用意しておくこと。公害関係ならそのシリーズでいくつか用意する。

防災関係でも食品関係でも、それぞれのシリーズで複数の物を用意しなければならない。ひとつの商品がダメになったら次の商品というように用意をしておく。

商品がひとつしかないというのは 3 危険である。商品寿命は本当に短い。それに、その商品がもしよかったら、同業他社が必ずライバル製品を出してくるだろう。

大きなマーケットであればある程、大きい会社がやってくる。我も我もと過当競争になり、最終的には、安くて品質がよくてサービスのいいものが残るわけだ。これは経済の法則である。

大きなマーケットならば、いち早く高品質・低価格・グッドサービスの研究をし、企業努力をしたほうが勝ち残る。スピードの勝負である。

それをしない会社は淘汰され、潰れていくだけだ。「売れたぞー!ホホホーッ!」と安直に構え、安穏としているうちに、マーケットが変わって、いつの間にやら四面楚歌、倒産の危機を迎える。

逆に、小さなマーケットは安全だが、購買数が少ないから地道な努力と根気が必要になる。どちらを取るのが賢明か、よく考えていただきたい。

話が横道にそれたように感じるかもしれないが、宗教的な理念、宗教的な夢や理想というものと、特許製品というのは実はよく似ているのである。

特許ですべてが解決するような「おいしい話」には絶対に手を出してはいけない、というのが私の結論である。

本業にエネルギーと力と思いが行かなかった分、必ず会社に穴が開く。そうなれば、結果的に「世のため人のため」は実現できない。

売上が落ちればボーナスも出せなくなって、従業員とその家族を不幸にする。仕入れ先も自分の家族も不幸にする。経営者は会社経営の責任がまず大事なのであって、そこを見誤っては、神業も何もあったものではない。

なるほど、神霊界というのは、一足飛びにパパッと想念を切り替えていける世界だが、現実界は一歩一歩の世界である。

まして会社というのは、数値の裏付けがなければ進んで行かないし、社会的な信用というのは年季である。

社歴三年未満というのは信用調査上、会社ではない。どんなに売上と利益が上がっても、社歴三年未満は銀行も会社として認めはしない。

神様の世界だとか、夢と希望とロマンに生きている人が、会社の経営を両立させようとするのなら、この部分だけは要注意してほしい。

神様と言ったところで、最終的には人間の努力も必要である。神様が守っているから倒産しないというわけではない。

また、人間の努力だけでも、限界がある。人間の努力に加えて、神様の応援があってこそ成功するのだ。

何よりも、神様が守っているからこそ、こうして私の著作とも出会えるのだ。

この不況下、おいしい話を聞くと手を出したくなるだろうが、マーケット・セグメントを忘れないように。大きいものは大手にお任せ。中小は部分特許だとか関連ノウハウだとか、的を絞った小さな分野で会社という城をビシッと固めたほうが、業績は安定する。その方がなによりも確実であり、世のため人のためになる。

小売り業の負債がふくらむ仕掛け

ある日、イオン水を売っている人から電話がかかってきた。

「助けてくれませんか。このままでは十一月の中旬に不渡りを出してしまう」と言うのだ。

「ビルも何もかも担保に入っていて・・・・・・」

「何でもっと早く言わないんですか。だいたい、イオン水の販売をするのに、何でビルを売り飛ばさなくちゃならないんだ?」

聞けば、負債が二千六百万円もあると言う。

イオン水を売るのに、どうして二千六百万も負債を抱えることになったのだろうか。メーカーではない。小売業である。何とも不思議な話。従業員の給料が高いのだろうか?回転資金が必要なのだろうか?

実はこの様なケースは、小売業ではありがちなことなのである。

例えば、訪問販売の場合、イオン水のメーカーが「○○台以上買うと、掛け率でこれだけ安くなります」と言うと、つい小売店は「売りさえすれば、掛け率の安いほうが儲かるじゃないか」と、まとめて買ってしまうのだ。

掛け率が高くとも、最小ロットで商売したほうが在庫が少なくてすむはずなのに、そういうことをついしてしまう。

在庫は財務上資産である。この場合の資産とは、利益が品物として、寝ていることである。

しかも、買えば当然、支払いをしなくてはならない。ところが在庫はまだ残っている。つまり、利益が品物に化けておねんねしているわけである。

ところで、品物で給料を払うわけにはいかない。「イオン水の機械で、大家さんに家賃を払ってくれ」というわけにもいかない。

水道代や電気代をイオン水の機械で払うことはできないのだ。すべてはキャッシュで行わなければならない。資金ぐりが苦しくなるのは当然のことである。

もちろん、在庫が少なければよいということではない。回転在庫として、少なくとも一か月分ぐらいの在庫、多くて二か月分か三か月分の在庫は必要だ。

しかしそれ以上の在庫を抱えると、結局、利益が「もの」でおねんねしてしまう。しかもそれに税金が五割か六割かかってくる。

当然、在庫調整は決算毎にやらなくてはいけないのだが、それでも資金がキャッシュで出ていく。

だから支払いは、なるべく長ーい支払いサイトの方が有理なのである。掛け率が安くなるからとまとめ買いをする。

メーカーが払ってくれというから払う。ところが現金は月々の給料と家賃、諸経費で消えていく。で、あっちからもこっちからも借りる。金利がかさむ……………その悪循環である。

資金繰りが悪いからと返品を申し出ても、なかなかうまくいくものではない。とくにこのケースでは、メーカーは訪問販売相手のメーカーだから、脅したりすかしたり、絶対に説得力がある。

「返品だなんて裁判だ」くらいは言っただろう。小売りの資金繰りが苦しいのを見て取って「手形を切ってくれ。決済を早くしてくれ」と手形を切らせたわけである。

それが不渡りになりそうなとき、あっちからもこっちからも借金して、もう借りられないというとき、どうすればいいか。

もしそれが何億円のレベルなら、これはもうどうしようもないのだが、何百万円かのケースだったら、まず死を覚悟することだ。

「俺は会社と従業員を愛している。よし、死んでも従業員と会社を守るぞ」

命を捨てる覚悟ができたら、命を捨てる前に、とりあえず恥を捨てよう。で、手形を切ったところへ、手形を返してもらいに行くのだ。手形を回収してピリピリッとやる。それが一番いい。

もっとも、向こうも「危ないなあ」と思うと、裏書きして外へ回すことがある。町金で割引いていたりすると、手形はヤッチャン方面に流れてしまい、土地を奪われてしまうだろう。

A社なんかその典型である。危なそうな会社の落ちない手形を集めて、土地を没収するというやり方である。そんなところに手形が回ったら、これは難しい。

回る前なら、顔から火が出るくらいの恥を忍んで、

「手形を返してください」と言いに行く。

「それを貸してください。鍋釜家財、一切合切を質屋に入れてでも、とにかく必ず返済いたします。

私にどんなことがありましてもお返しいたします。生命保険に入っておりまして、過労死か自殺か、自分が死んだらとにかく保険金が入ります。

最後はそれで必ず払いますから、貸してください」と命を張って、土下座して言う。それが経営者としての覚悟であろう。

ミサワホームの三沢千代治さんなど、実際にそうしてきたのだ。

とにかく祈りまくって、一つひとつの手形を回収する。行くのは二日前とか三日前では遅い。危ないと思ったら早め早めに、少なくとも十日前か十五日前、なるべく二十日ぐらい前に土下座する。回収してくれば、まず倒産は免れる。

本当は手形さえ切らなければ倒産しないのだ。手形でなければ、代金を取りに来た時、入り口で攻防戦をしたらいいのだ。

「そこをなんとか、そこをなんとか」

ハマコー先生も土下座して選挙したんだから、経営者は会社を守るためにはそれぐらいはやって当然であろう。土下座なんかタダである。

品物の仕入れをして支払いができないのなら、返品に行けばいい。

私が宝石の販売をしていたとき、ある部下が勝手に仕入れをした。とうてい売れそうにないものを八百万円。月の売上が三百万円か四百万円のときの八百万円だから、支払いができない。

私は返品しに行った。この時の交渉は、約八時間を必要とした。結果は私のねばり勝ちであった。

それは私に、会社と社員を守るためという思いと、神様のためにやっているんだという経営者としての覚悟があっだからである。

もちろん、支払いを待ってくださいと言うギリギリまで、商品を売り、支払いをする努力をしなくてはいけない。

そのうえで、どうしても商品が売れなかったら、返品に行けばいいのだ。手形を切ってくれと言われて、まんまと切るような根性ではいけない。

自転車操業で手形を切ったら不渡りになるに決まっている。先ほどのイオン水のケースでも、もっと早く相談があれば、私は「返品に行きなさい」と言っている。

私の場合、午前一時半まで攻防戦を繰り広げた結果、「しょうがないね」といって、八百万円全部の返品を了承してくれた。

その上さらに、末締め翌月末現金払いだった支払いを、末締め九十日現金に延ばしてくれた。

仕入れはそれほど重要なことなのである。「あっ、いいんじゃないの」なんて簡単に仕入れてはいけない。

資金繰りを考え、売れるか売れないかを考える。つまり仕入れに責任を持たなくてはいけない。

私なら、仕入れるときに必ず三宝荒神様にお祈りする。そのときの仕入れは私ではないと言っても、やはり上のものの責任である。後日、その人にこう言われた。

「あんたもよくやるねえ。あんたがいるんなら会社は大丈夫だよ。自分もそうやってゼ口から会社をたたきあげてきた。あんたがいる会社なら、これからも品物を納めさせてもらうよ」

仕事と神業の関係

会社の成功とは経営者の気迫と根性なのである。

在庫が残っているのなら、返品すれば支払いをしなくてすむわけである。

攻められて手形を切ってしまうのは、性格が弱いからである。そんな会社は守りも弱い。

とくに訪問販売の場合、よくやったものは「よくやったね」、だめなものは「だめだー」と、机のひとつもバーンとやるような営業部長か販売部長がいなければ、絶対に成功しない。

否、それは訪問販売だけではなく、全ての会社にあてはまる。

ところが、神様ごとでつながった人間が営業マンになっている場合、これは非常に困ったことになる。神様ごとをやっている人間というのは、宗教的な理念で生きているから、愛と真心で仕事ぶりはしっかりしているものである。しかし、数値となると話は別。いくら愛と真心でも、数値に出てこなければ会社は潰れる。だから数値を指摘すると、今度は、

「愛と真心でやっているのに、何であんなふうに厳しく言うのかしら。あの方、最近変貌してきたんじゃない?」

ということになるのだ。

神様ごとをやっている人間というのは、確かに内的な気持ちが大切なのだが、そこに品物がからみ、金銭が出てきたら、数値に置き換えられるだけのことをやらなくては、本当の真心とは言えないのだ。

ただ、そこを上手に言わなければならない。厳しく言えば「神様ごとをしているのに」と言われるだろう。

だから基本的には、神様ごとの人間関係に、仕事は持ち込まないほうがいい。仕事で人間関係に亀裂ができると、神業の人間関係にも亀裂が起きてくるからだ。

そうでなくとも、経営者たるもの、現場の営業マン一人ひとりの処方せんを持っていなくてはいけない。

経営者は経営分析をして、営業マンのノルマを算出する。

粗利率はおおむねわかっているから、一般管理費がいくらかかるかで、会社の売上の第損益分岐点が出てくる。

それにプラス何パーセントかの利益を加えて、営業マンひとりずつのノルマを出すわけだ。

そのノルマを達成した人には「頑張ったなー」と溢れるごとき言霊を与え、できない人間はチクチクやったり、ガーッとやったり、恐怖の谷間に陥れたり、ちょっと希望を与えたりして数字を上げさせなければならない。

「おまえのいく道はここだけなんだよ、行きなさい」

「はい。頑張ります」

というふうに持っていったりもする。営業マンも、人によって性格が弱かったり強かったり、落ち込みやすかったり、やる気だけはマンマンだけど実行が伴わなかったり、いろんな人間がいる。

やる気のない人間には、夢と希望を与え、やる気のある人間には、責任や義務を与える。社員と一口に言っても千差万別である。

経営者は、その一人ひとりに処方せんを書いて、ノルマが達成できるように指揮し鼓舞しなければいけない。それが経営者の仕事である。