直撃販売こそ訪問販売成功の秘訣
訪問販売では、特にこの社員の処方せんが重要となる。
それをやって、私は健康器具の訪販で関東一になった。訪問販売というのは厳しい仕事である。
そして、訪問販売の営業マンは、漁師であり、猟師なのだ。絶えず新しい獲物を探して、西に東に旅をしなければならない。そこには、訪問販売をやった人間にしかわからない虚しさがあるのだが、その話はまたいずれ書くことにしよう。
訪問販売で、知り合い関係から売っていくという会社あるいは営業マンというのは、まず間違いなく潰れる。と言うのも、知り合い・縁故関係というのは、しばらく浸透したらもうそれで終わりだからだ。知人友人親戚が、さらに人を紹介してくれるというのは、めったにないことである。
もっとも訪販の住宅産業なんかでは、そこを計算して、「従業員は一年ぐらいで辞めてもいい。縁故親戚関係で、家を二つか三つ建ててくれれば、十分に採算が取れるから」というドライな考え方で社員採用する会社もある。
しかし、基本的には縁故関係に頼らない「直撃販売」こそが、訪販成功のポイントである。
そのために、開拓ノウハウを開発する必要がある。例えば健康器具なら、魚河岸、ハイヤー、ガソリンスタンドなど、肉体を使うところを狙う。
そしてなにより、経営者自らも実践し、朝礼で「ガンバロー!」とやって営業マンを鼓舞することだ。日々それをやらないと、営業マンはついつい喫茶店にたむろしたり、直帰したりしてしまう。
営業マンの管理も、営業日誌を見て、「ははーん、三日目は遊んでいたのか」と、パッと見破れるくらいでないといけない。
「なんでわかるんですか?」
「文字に書いてある」と。自分が実践でやってきた人間なら、それくらいのことはわかるものである。
逆に言えば、現場で叩き上げた人間がいないと、訪販というのは採算ベースに乗らないのだ。
ボチボチやるのなら、歩合制かなにかで経費をかけずにやるのもよい。六畳ひと間の事務所、コレクトコールに着払いの宅急便。とにかく経費をかけないようにすれば、ボチボチやっていけるだろう。
さもなければ、大手の押さえている販売ルートに乗っていくのが賢い。
訪販商品というのは開発商品と言って、粗利率は高いのだが、見たことも聞いたこともない商品である。つまり売りにくい。
だから商社などは、粗利率は低いけれど誰もが知っていて売りやすいナショナルブランドを七割ぐらい持って行き、あとの三割の開発商品で利益を稼ぐのだ。
そのように売りにくい訪販商品で稼ごうと思えば、なんといっても開拓が命だということはおわかりになるだろう。開拓力こそが命なのである。
新しい試みは小さく始めよ
販売について書いてきたが、実は、売れる売れないというのは、経営者がやらなければならない経営全体の仕事からみればごく一部分である。労務管理、財務管理、資金調達、税金対策、仕入れ、宣伝広告・・・・・・これが経営の舵取の基本形である。
重要なことはそのバランスである。
もし何か新しいことを始めるのなら、そのバランスがよくできるように自分を訓練しなくてはならない。
当然、訓練・習熟には時間がかかる。だから新しいことは小さく始めることが必要である。
経験もなしに人任せにしたら、たちまち会社を牛耳られてしまうだろう。会社を手放すはめにもなる。まず自分でやって、ある程度わかったら、そのときに初めてエキスパートを雇えばいい。
経営者は全てを知った上で、人にそれをまかせて、やらせるのである。新しい試みは小さく始めることも大切である。
本来、新しい試みというのは、利益が上がっている間に、
「失敗してもいい。損金で落とせる。未来への投資だ。税金も安くなるし」
という気持ちでやるべきことであって、不況になって利益が減ってきているときに新しい大きなことを始めたら、目が曇って百パーセント失敗する。それでも始めたいと言うのなら、少しずつやること。
また、ターゲットを細く絞って、そこだけやるようにする。
それならば資本も人手も大してかからず、仮にケガをしたとしても小さくてすむ。そこで資金繰りや営業・販売・労務管理の経験を積み、だんだん広げていくというのが、中小企業マネジメントの真髄である。
不況のときは発願して飛躍する
京都に行くと、私はいつもMKタクシーのSさんという人を呼ぶ。
先日京都に行ったときにも来てもらったのだが、一か月ぶりにロンドンから帰ってきたばかりだと言う。
MKタクシーには留学制度があるのだ。京都には外国人がたくさん訪れる。英語のできる運転手も必要だと、週に一時間、英語の勉強をする機会を会社で設けたのが始まりだそうである。
ラジオの英会話から始めて十年ちょっと。コツコツと勉強をしたSさんは、今ではM Kタクシー随一の英会話上手になった。観光知識があり、論理とツボをわきまえている。説明が上手だと外人にも人気で、一日に五時間ぐらいガイドをやっているというから大したものである。
この英語のガイドサービスの料金は、一時間あたり千円。そのうちの五百円は会社が積み立てて留学制度に使い、五百円が本人の収入になる。
客が安定するうえに、給料以外に月五万円ぐらいになる。年間で六十万円。ラジオ英会話から始めて、一生懸命に英語をやっていたお蔭である。
同じように英語を始めた人もいたのだが、続かなかったらしい。チャンスは誰にでもある。
「やろう」と思って続けるかどうかが、運を開くかどうかの分かれ道になるのだ。
発願し、志して日々続けている人には、やってきたことが生きるような場を、必ず神様が作ってくれる。運がいいということはそういうことである。
だから、むだな時間を過ごさない。不動産関係なら宅建主任でもいい、建築士なんとかでもいい。とにかく勉強を始める。勉強が好きだという人でないと、会社は成功しないものである。
船井幸雄さんの本にもこう書いてある。
成功している人の三つの鉄則。一、勉強好き。二、素直。三、プラス発想。
なかなか含蓄のある言葉で、本当にそのとおりである。勉強好きがまず第一番。次に素直に人の意見を聞く、素直に反省する。すると守護霊も周囲の人間も、引き立ててやろうと思うものである。
三番目がプラス発想。どんなことがあってもプラスにしか思わない。勉強好き・素直・プラス発想。これを満たしている人間は必ず成功している。
こういう不況のときこそ、遊ばないで勉強することである。わかって
神様や守護霊が「勉強せい」と言っているのだ。そして、やめずに続けること。きっと役に立つように神様が導いてくださるはずである。
第2章 三宝荒神が守る!企業繁栄の鉄則
荒神とは勾陣である
「人よかれの思い
物よかれの思い
世に役立つことを為さんの思い
すべて神仏に愛でらるる企業の元なり
精進はそのためになせ
その精進に倍する幸せと恵みと福と祿を与えるのが荒神なり
ひときわ目立つことをなすべし(人々に知らしめる告知、宣伝、営業力のこと)
ひときわ特色あるものを持て
ひときわ極めた日々を送れ
これ繁栄のこつなり
真は心に置きて
あでやかに、魅力に満ちて語り行うべし
人来りて服するなり
一意専心、万事動かす」
関西に清荒神という、神仏習合の社がある。千二百年ほど前に作られた寺で、金堂に大日如来があるのだが、何回か焼けて荒神の宮だけが残り、それが中心になっている。
以前、人を伴ってその清荒神さんにお参りしたとき、神社の御神職からこのような説明があった。
「この三宝荒神さんというのは、カマドの神様、火の神様。台所を守り、火を守る神様だから強い神様である」
その人は、こういう説明をなさった。この説明は一般にも流布しており、否定はしないが、とかく誤解を招きやすいことなので、荒神さんについて、ここできちんと説明しておきたい。
冒頭の言葉は、それを考えているときに、突如として神様から出された言葉である。
さて、三宝荒神というのは、みなさんもご存じのとおり「荒々しい」神様と書く。本でもそう表記しているが、実は「勾陣」と書くのが正しい。「勾陣」とは、中国・隋の時代の「五行大義」という本に出てくるものである。
「五行大義」の中の、五行説を理解する大事なところに「勾陣」が出てくる。五行すなわち木火土金水の、土というものから出てくる神様で、勾陣という働きがある神様だと記されている。
これが真相である。音は「こうじん」と読むのだが、字は「勾陣」。
日本に来てから、荒々しい神様だというので「荒神」になったのではないかと思う。荒神のもとは木火土金水の土の神様なのである。
三宝荒神と役小角
その三宝荒神だが、カマドの神様でも火の神様でもない。
カマドの神様というと台所の神様。そのコンセプトは決して間違いではないのだが、ちょっと言葉が足りない。三宝荒神の発祥から考えてみよう。この神様こそ、実に経営者にとって最も頼りになる神なのだから。
大峰山を修行場として、山岳信仰・修験道の始まりを作ったのは役小角(えんのおずね、またはえんのおずぬ)。空を飛んだので有名な人物である。
その役小角が大峰山で祈りを捧げていたとき、突如、地震がドドドォーンと起きた。しかも東北の方角に紫の雲がふあーっと立ち込めている。
何か不思議なことがあったに違いないとそこへ行ったら、顔が三つ、手が六本、足が二本の異様な神人が立っていた。
「おたく様は器用ですね、顔が三つもあって」
そんなことを聞いたかどうか知らないが、役小角は恐る恐るたずねた。
「うん、異様な風体。あなた様はどなた様ですか」
「我は三宝荒神。我は荒神なり。我が姿を見たくば、これ大峰の九山、九川、これ我が本地なり」
と答えた。大峰山の九つの山と九つの川具体的に九つということではなく、すべての大峰の山と川が私の本体だという意味である。つまり、大地のエネルギーのもとから来たわけだ。そして、
「精進努力する人間を私は守りたい、守護したい。すなわち、人間の貪瞋痴を克服して精進をする者に味方したいと思うのだが、そういう人物が少なくなってきたことを嘆くものなり」
とおっしゃった。貪瞋痴とは、貪欲・瞋恚(しんい=怒り・うらみ)・愚痴。貪欲なる欲心と、うらみと、愚かなものの考え方を乗り越えて精進する、そういう努力をする人を、私は守護し、磐石なる力と智慧と財を与えよう、永久に変わらぬ福徳を与えようと。これが荒神さんの起こりである。
弘法大師は三宝荒神にお参りしていた
次に荒神が歴史に現れるのは、弘法大師空海のころである。
嵯峨天皇様から賜わって高野山に根本道場を作り始めたのは、空海が四十三歳のときだが、工事を始めようとすると、雨が降り、嵐が吹いてなかなか工事が進まない。
そこで空海が、護摩壇を設けて一生懸命祈ったら、そこにまた地震がダダダーン。荒神さん、大地の神様だから地震が好きだ。
また異様な神人が出てきて「我は三宝荒神。我が本地が知りたくば、この高野の山々、峰々の八山、九川、これ我が姿なり」とおっしゃった。
高野山には八つの山に九つの川があって、蓮華台上、蓮の葉が開いた感じになっている。ちなみに、蓮の葉を裏返して閉じた形になっているのが比叡山である。対になっているわけだ。
その高野山の峰々、小川のせせらぎ、これが私の本地である。そして、人間の貪瞋痴、これを徹底的に戒め、困窮に至らしめ、それでも乗り越えて頑張る人間に、永久に朽ちることのない財徳、身分、幸せな人生を与えよう。そこまで精進努力する者に味方するんだとおっしゃった。
徹底的に貪瞋痴を究極まで戒めて、それを超えた人間には永遠に繁栄する富と福と祿を与えてあげようと。
それで高野山に祀られたのが立里荒神である。
そしてなんと空海は、月に一回必ず立里荒神にお参りしていたのだ。
空海は、七祖・恵果阿闇梨から真言の法を継いだ正統継承者である。
胎蔵界九百六十余、金剛界千四百あまりの仏様を動かし、大日如来とひとつになっている真言八祖のあの空海が、高野山の経営、財政、人事、運営に悩むと、必ず立里荒神にお参りして神様に相談していたと言うのだ。
その気になれば観音様も、不動明王も、毘沙門天もいらっしゃったはずだ。普賢菩薩はこの現実界の怜悧なる智慧、文殊菩薩は悟りの智慧と、あらゆる智慧の仏様がいるのだから、そこで聞けばいいのに、空海はこの件については、必ず荒神さんに月一回お参りしていた。高野山の台所、経営、運営に対して、荒神さんがいかに強い力を持っていたかということを、この歴史的事実は物語っている。
三宝荒神はメイド・イン・ジャパンの仏様
つまり、荒神さんは別にカマドの神様でもなんでもない。火の神様でもない。大地の金神。この大地の土荒神なのである。大地のエネルギー、土のパワー。
ところで、台所というのは、木火土金水の五行がそろっている。
水道あるいは井戸で水を使う。ご飯を炊くのに火を使う。包丁やなべも使うから金物が出てくる。野菜が木火土金水の木。そして、野菜の根っこには土がついている。つまり台所には木火土金水が集まってくる。とくに火と水を使う。
水と火と両方がそろうと、三宝荒神が顕現しやすいのである。
やや難しくなるが、火気と水気の関係は、火は水によって上に流れ、水は火によって横へ流れていく、という。火と水が揃ってカミの働きとなる(このことについての詳細は、拙著『神社で奇跡の開運」小社刊参照)。仏もカミの働きの一部だ。
そして、火の中に水気あり、水気の中にも火の要素がある。
だからこそ、密教の護摩では火を焚くと同時に、ぱっぱっと水を入れるのだ。すると火気によって水気がブワッとみなぎり、物質的な火と水気の要素が出てきて、そこへ仏様が顕現する。水気と火気が融合すると、仏界の仏様や荒神さんはこの物質界に降りてきやすくなるのである。
祈りだけでは弱い。そのために密教では護摩を焚くのである。
これを、密教では外護摩と言う。実際に護摩壇を設けて水や火を使うのが外護摩。内的世界で祈りだけやるのを内護摩と言う。
アメリカでやったら米護摩。新宿でやれば新宿コマ。梅田でなら梅田コマという…(笑)。
台所では火と水を使っており、火と水が絶えず循環している。そのために、荒神さんが顕現しやすいということで、台所で祀るわけである。別にカマドの神様だからではない。火の神様でもないのだ。
確かに荒神さんは、木火土金水、五行の気をもって台所の家計を守ってくれる。高野山の経営もそうだ。台所におわす神様だからというので、転じてカマドというふうになってきたのだろうが、カマドの神はまた別にカマドの神という神様がいる。
火の神様も、火雷神という方がちゃんと別にいるのだ。
三宝荒神は、役小角の時にはじめて現れた、メイド・イン・ジャパンの仏様だ。メイド・イン・ジャパンだから、荒神という字を入れてもいいのだが、その大元は、結局「五行大義」の中に出ていた神様なのである。
面白いことに、お祈りすると、赤龍みたいな荒神さんが見えることがある。何回か見たのだが、荒神さんが龍になると赤龍みたいになって、米粒が等間隔で腹についているのだ。
確かに台所は熱気があるから、ああこれは火の神様だと思う気持ちはわかる。しかし、本質から見るとちょっと違っている。
荒神様を経営に利用しろ!
人間の持つ貪瞋痴を超えて精進努力する者を守るんだと、役小角と空海の前に現れ出てきたことを考えると、人がこれを応用する場合、会社を経営するときに台所の家計を守ってくれるのが荒神さんということになる。
貪瞋痴を克服して一生懸命努力するときに、努力するものを金に変えてくれる。つまり資金繰りを変えてくれる。努力したものが実となって台所がやり繰りできるように守ってくれるのである。
経営に当てはめれば、荒神さんというのは、そういう神様と考えていい。
ただし、荒神様というのは台所の家計を守ってくれるのだが、会社というのは台所の家計のためにだけやるものではない。
もっと大いなる志があるわけで、やはり開いて伸びていかなくてはいけない。天照大御神を中心に祈り、日本神霊界の中枢より来たる、 明るく元気で爽やかな発展力を前に立てていかなくてはならない。
これは、華道でいう「真・副・控」の「真」にあたる。
また、家の近くの鎮守様産土様というのは月々の売り上げを上げてくれる。
これが「副」である。最後に、台所をきちんと調えるという「控」が荒神さんだ。あくまでも「真・副・控」の控だから、控が守ってくれるからといって、荒神さんにばかりお祈りしていると、発展力が乏しくなる。
荒神さんの上手な利用法というのは、トラブルが起きたときだとか、にっちもさっちもいかなくなったとき、あるいは、何とかしてこの売上金の回収をしたいとか、不渡りを食らったときである。
そういうときには、荒神さんへ行くと、があーんと強烈なパワーで解決してくれる。もちろん、毎朝ちゃんとご挨拶のお祈りをしていた人が、ここ一番で強く祈れば最高である。
紙面の関係上、あまり詳しく書けないのが残念だが、これについては既に、拙著「大金運」(小社刊)に詳しく記しているので、ぜひ熟読されたい。必ずや、驚くほどの奇跡が現れるはずである。
ニーズに合わせて神様を使い分ける
荒神さんのお参りの仕方は、そういうふうに考えなくてはいけない。ポイントは他の神様や仏様と、どう融合して使っていくかである。
なにしろ、どの神社も、どのお寺さんも、自分のところの神仏が最高のように言う。お経を読めばわかる。
文殊菩薩のお経では文殊菩薩が最高。観音経では観音様がオールマイティー。十一面観音も馬頭観音も普賢菩薩も、最高と書いてある。
これはまるで、健康食品と同じだ。
もう最高!と信じているからこそ力も出てくるのだが、これが最高という仏様が何百社もあったら、常識的に考えてもおかしい。
それぞれ、固有の長所と言うか、何かし特色があるのだ。
仏様で言えば、オールマイティーなのは大日如来。神様でいえば天照大御神様。ではいったい、オールマイティーというのはどういうことかと言うと、風邪薬で例えれば、総合感冒薬のルルのようなものだ。
総合感冒薬を飲めば総合的によくなるけども、まだ鼻がずるずるするという人は、やはりミナト式の鼻がよくなる薬を飲むだろう。
熱が出る人は熱冷まし、のどがおかしい人はイソジンガーグル。節々が痛くなるんだったら、節々の痛みをとる薬。総合薬と特効薬の二種類を使い分けをする。
「神社で奇跡の開運」で書いたことだが、風邪薬をどう使い分ければいいかを考えるのと同じ。
それぞれ体質、環境が違うのだから、使い分けができるように主体的に仏様を使いこなさなくてはいけない。仏様も健康食品も同じことである。
「神社で奇跡の開運」を読んだ人には復習になるが、三宝荒神は、にっちもさっちもいかなくなったときに行くのが一番いい。
そのうえ定期的にお参りしておけば、難が避けられて、台所が非常にうまくいくだろう。そのときどきのニーズに合った神様や仏様があることも、合わせて知っておいていただきたい。
繁栄する経営鉄則① よかれよかれの思い
この章のはじめに書いた言葉をもう一度見てみよう。
「人よかれの思い。物よかれの思い。世に役立つことを為さんの思い。すべて神仏に愛でらるる企業の元なり。精進はそのためになせ。
その精進に倍する幸せと恵みと福と祿を与えるのが荒神なり。ひときわ目立つことをなすべし。ひときわ特色あるものを持て。
ひときわ極めた日々を送れ。これ繁栄のこつなり。真は心に置きてあでやかに、魅力に満ちて語り行うべし。人来りて服するなり。一意専心、万事動かす」
荒神さんは、貪瞋痴を超えて精進する者を守護するわけだが、会社経営における精進とは何か。とかく精進は、精進のための精進と思われがちなので、そこを説明しておきたい。
「物よかれ」。これは、消費者にとってあるいは人にとって「いい物」を作るということである。朝鮮人参で言うならば、白ではなく赤の天然もので、真ん中の部分だけを取る。
いいものを作る。物よかれというのはそういう意味である。
「人よかれ」の人というのは、従業員、販売先、仕入先。そして、それぞれ縁がある者全ての人である。
つまり、いい物を提供し、関連する全ての人たちを喜ばせ、社会に有意義な企業活動、世に役に立つことを、少しでもやろうと思って一生懸命生きていることを精進というのである。
そのように生きている人は、神仏が喜んで守護してくれる。そのために精進するということである。
どうしたら顧客が喜んでくれるか一生懸命考えれば、いいサービス、いいシステムが浮かんでくる。
いい物を作ろうとすれば商品開発力と創造性が出てくる。合理的なコスト・ダウンの知恵もわいてくる。世の中の役に立とうとすれば、流通の方法に思いいたる。
あこぎなことをせずに、みんなに喜んでもらえるようなことをして、社会に還元したい。
社員の待遇を良くし、株主へ還元し、納めるべき税金を納めたい。そういう企業にしたい、という精神状態で一生懸命精進する人には、その精進に倍する幸せと恵みと福 と緑を与えるというのが荒神である。
繁栄する経営鉄則② ひときわ目立つべし
さきほどの言葉に続いて、いくつかポイントになる言葉が出てきた。神様はサービス精神が旺盛である。順に説明していこう。
二番目に出たのが「ひときわ目立つことをなすべし」
派手だったらいい・・・・・・という意味ではない。もし自動車部品だとか機械部品を製造している工場だったら、どうすれば際立ったことができるだろうか。
全部金ぴかの部品を作る?松田聖子の顔写真を張る?
「これ、何か柄が違いますねえ」
「我が社の特色です」
工場の人が一瞬笑ってくれるかもしれない。それだって特色だ。ただまあ、派手だけれども性能はよくないというのは、結局だめになる。
ひときわ目立つことというのは、告知、宣伝、営業力である。「なるほどこういう特色があるんだねえ」と知っていただくこと。
宣伝というのは、いかにすれば人々に注目していただけるか、いかに情報を提供し、そのことをよく理解してもらうのかということである。
誰だって忙しい。ライバルもいっぱいいる。その中で、自分たちの製品、会社に目を向けてもらい、ライバルを押し退けあるいは乗り越えて入り、取り引きに結びつけて、入金をしていただく。
自分の品物を買っていただくには、それなりに注目してその素晴しさを理解していただかなければならない。それが「ひときわ目立つことを為すべし」ということの本当の意味である。
繁栄する経営鉄則③ ひときわ特色を持つべし
その次に、「ひときわ特色あるもの」を持ちなさいと出た。
船井総研に行くと、独自固有の長所を持てということをよく言われる。
確かに、それも大事だ。しかし、独自固有の長所がなくてもいい。商品に独自固有の長所がなくても、営業力が抜群、宣伝力が抜群、人に知らしめることが上手であれば、似たり寄ったりの商品しかなくても、その商品が売れるものである。
つまり、商品には大した特色がなくても、営業力があるという特色があればいい。
例えば保険損保も生命保険も、それぞれに何社も何種類もあるが、どれも大して変わりはない。
保険会社ではあれを「商品」と言うらしいが、内容はほとんど変わらない。もうひたすら営業力、宣伝力、情報力、人脈、それだけである。
特色のある保険会社なんて見たことも聞いたこともない。似たり寄ったりのものを扱っても、ひときわ目立つ営業力、宣伝力、告知力があれば、売り上げは上がり会社は成功するのだ。
これが一番の攻撃力。例え劣悪なるものを持っていても、営業力がよく、宣伝力があって、告知力があれば売れる。
その上に特色のある商品を持ったら、その強力な営業力、宣伝力、告知力が、独自なマーケット、独自な力を持てることになって、競争相手に打ち勝つことができるわけだ。
繁栄する経営鉄則④ ひときわ極めた日々を送れ
次に「ひときわ極めた日々を送れ」
これは意味が大変深い。強力な営業力、特色を持っていながら企業が倒産するのは、
これはもう放漫経営が一番の原因である。ひときわ極めた日々を送れというのは、研究力開発力、それから人さまがやっているいいものをすぐ吸収するという柔軟さなどをいう。
つまり、経営者がやらなければならない努力をひた向きに行うことである。別な言葉でいえば、それが経営を極めることであり、そのような日々をいとうことなく送ることである。
これが経営者の精進である。もしも経営者がゆるみ切ったような日々を送っていると、気がついたときにはライバルに追い越されている。自分の特色だと思ったものは、当然他の会社もすぐに真似をする。
神様の言葉をこの順序でやっていけば会社の成功は、間違いなし。「これ、繁栄のこつなり」。
繁栄する経営鉄則⑤ あでやかに魅力に満ちよ
さらに、どんな精進をすればいいのかということが、次に展開されている。具体的な精進の中身である。
「真は心に置きて、あでやかに魅力に満ちて語り行うべし。人来りて服するなり」「清荒神におられる三宝荒神は、でぶっちょの布袋様みたいな姿で、手に何か宝珠を持っている。
普通の三宝荒神は、顔が三つに手が六本。そして、くわーっと恐ろしい顔をして、逞しい体つきをされている。
つまり、内的な自己を鍛えて、一生懸命努力しているのだ。ところが清荒神さんでは、ニコニコ笑っていて、布袋様によく似ている。福祿寿にも似て、にこやかな顔をしているのだ。
これは何を意味するのか?精進努力だとか、特色あるものだとか、極めた日々を送っていても、そういうものは心の奥に置いて、人に対しては、あでやかに魅力に満ちニコニコして話しなさいよということである。
「俺は一生懸命努力して、精進しているんだぁ」
これは修行者で言えば「行者の臭み」。こんなのは鼻について嫌らしいから、決して人は寄って来ない。そういうものは腹の奥、心の奥底にしまって置いて、表情はあでやかに魅力的に艶っぽくにぎにぎしい状態を表現する。
人が来てくれて初めて福。だから恵比須様みたいに、いつもニコニコニコニコ、恵比須顔。
そういう状態でなければ、福は来ないということである。清荒神の階段の上にいらっしゃるのは、諏訪の神様のような、腹がでぶっとしてニコニコしている荒神さん。
ああいうお姿がなぜ出ているのかということをよく考えなくてはいけない。
ひときわ目立ったことをし、ひときわ特色あるものを持ち、ひときわ極めた日々を送っていると、人間というのは何だか大げさに大変そうに、一生懸命やっていますといった顔つきをしてしまう。
「巨人の星」の飛雄馬が「えっ、オズマが?」なんて言うと目がギラーンと輝くあれである。
目から炎が出てしまう。ピカーッと。経営者はあんな顔をしちゃいけない。左門豊作みたいな顔をしなくてはいけない。最低でも花形満みたいにあでやかでないとファンはつかない。つまり客がつかない。
「真は心に置きて、あでやかに魅力に満ちて語り行うべし。人来りて服するなり」である。
繁栄する経営鉄則⑥ 一意專心
その次「一意専心、万事動かす」
この章の結論がこれである。
会社で支店を作るときに、人口比率とか、年代層はどうだとかマーケティングをする。
そして、分析して支店を出すかどうかを検討する(余談だが、支店を出すときには吉方位で出すと、いいほうへいいほうへと回転する)。
しかし、支店を出すときには必ず迷いがある。支店を出せばそれだけランニングコストがかかる。
人も投入しなくてはいけない。果たしてその分、売り上げが上がるだろうかとなかなか思い切れなくて、出店を果たせない人も多いのだ。
これについての秘策は、ひとつしかない。それは、一意専心、ひとつのことを「何とかこれを!」と思ってやれば、エネルギーと波長と目に見えない世界が動くということである。つまり、霊界が動く、そして人も動くのだ。
そこを知っていれば支店作りは以外と簡単だ。
「君なら絶対やれる。ほらあの子も五年でやった。あの人も二年でやった。君なら三年で顧客数はこれぐらいになるし、売り上げはこうだ。大支店長になるよ。ゼロから開拓できるのは君だけだ!」
「そうすかあ。うふふ、そうですかねえ」
「社長もくれぐれもよろしくと言っていたぞ。君は見込まれているんだ。千葉県を開拓するのは君しかいない!千葉の王子様だ!」
なんて言われてたら、たったひとりの所長でも最高責任者だから売り上げを上げるのに必死となる。
朝から晩まで、いかにすれば千葉支店を向上させることができるか、必死になって考え続けるものだ。それが一意専心。何年か経つと、きちんと採算がとれる章ようになっているものなのだ。人間というのは、志によって体がよくなり、運も巡ってきて、人も寄ってくる。縁が動くのだ。
その法則性が理解できていないと「大丈夫かな、大丈夫かな」と決断ができずに、全国展開どころか支店も出せないままになる。いわゆる「老舗」のように、本店だけで、従業員が十人かそこらの小企業のままで終わってしまうだろう。
これは体験してみなくてはわからない。自分の授業料だと思って、そういう人間を抜擢することだ。
「君がやればきっとできるんだぁ」「ゼロから作っていけえ」と言っても何とかなる。
やる気と情熱を鼓舞して、一意専心努力したら万事が動くものなのだ。そのことは、何も従業員だけでなく、本店の経営者も同じである。
不況のときに「だめだあ」なんて言ってはいけない。不況のときこそ企業が伸びるチャンスなのだ。
景気のいいときに始めたことは、見通しが甘くなりがちで、景気が悪くなればしおれてだめになるのが当たり前。不況のときに始めてうまくいけば、景気が好転するとさらに大きく発展するではないか。不況のときこそチャンスである。
不景気になったら、経営者はそう考えて一意専心。「よーし、必ずやるんだぁ」と己を鼓舞する。一意専心が万事を動かしていくものだというルールがわかっている人は、一意専心でやることによって会社が成功する。
銀行も金を貸してくれる、税務署も隣に行って、こっちへ来ない。社員も、変なヤツでもとにかく何とか使える社員が来る。社屋も見つかる。ものは売れる。
この商品はいいか悪いか、マーケットがどうだとかいうのは本質ではない。結果論である場合も多い。
どんなマーケットでも成功する人は成功し、つぶれるところはつぶれる。
もうだめだという斜陽産業の中でも、利益を上げている会社はたくさんある。逆に前途洋々たるマーケットでもつぶれるところはたくさんある。
あとは商品との出会いである。しかし、例え商品力がなくても、環境が悪くても、社員の人間的な筋がいまいちでも、一意専心、経営者が思い続け、行い続ければ、万事が動いてうまくいく。
このことがわかっていたら、どんな品物を扱っても成功するはずである。
どんな状況でも自分がやれば成功する。経営者はそういう自分を作ることである。
