浅草観音のご神示
浅草の観音様のご神示にもそのことが出ています。
三十年で因縁が変わり、五年で人の功が現れる。十年でものが成就し、また世の様も変わる。
これが人の一生の根気を持つべき期限であり、忍耐の指標とすべきものである。
正月に来てうれしく思うなり。
と。喜んでいただいてよかったですね。そして、
新しいものの出ずるこの年ぞ。
日本にも汝ら一人一人にも、新しいものが出ずる。
これによって旧弊のアクを払い浄め、新生すべき時なのである。
ここ三年がその年であるぞ。
と書いてあります。皆さんも、そういう時期を迎えているということです。
荒磯に大波来たりさざ波も
冷たき風に吹かれて逆立つ
いまの状況を言っているわけです。日本の経済とか皆さんもそうですよ、と。
心より敬うべきは観音の
仕組みを遂げる導きならむ
観音様もいろいろな導きがあるんだけれども、仕組みを遂げるお働きで私たちには来ていますよ、と。
その神様は四十五メートルの金龍神で、諏訪から来たんだ、と。三神あるうちの長です、この金龍は。ほかの二神は、四メートルの白蛇神と八メートルの金蛇神。この蛇神は「天上界より来ました」と言っています。
金龍は諏訪の峯より降り下り
大地の息吹受けて日に立つ
大阪に行きますとドロンチョとしていて、粘り、水、根性、商売という感じがしますけれども、関東に来るとスカーンとしていて、武士、幕府、おシャレ、センス、貯金なし(笑)、という感じがしますね。
銀行通帳なし、スカーンという感じがします。
名古屋に行きますと別な回転がありまして、使うべきときに使わず、変なところにいっぱい使うという(笑)、そういう空気がしますよね。
そういうことで、
金龍は諏訪の峯より降り下り
大地の息吹受けて日に立つ
と。
雨降りて地が固まるのたとえ事
しばしば起こる観音の慈悲
観音様は大慈大悲の方です。その大慈悲の大悲、悲観して長い目で見てよかったね、というような守り、雨が降って地固まるというような守りをして下さる、ということです。
凩も勇気を持てば温かく
実れば益々にうれしき
凩のような試練も、勇気を持って立ち向かっていけば温かさを感じるし、成果が出てくれば益々うれしい、と。
その成果はさっきも言ったように五年で出てくる。五年で功が現れ、十年でかっちりとした基盤ができる。
そして、三十年で悪い因縁が切れる。普通、三十年で会社も自分も終わってしまうところを、勇気を持って立ち向かっていけば、三十年で悪因縁が切れるんです。
知らぬ火の闇にまぎれて暗かりし
人の心と道を導く
不知火というのは夜の海にキラキラ光っている漁火のことを意味します。つまり、「不知火」と「知らぬ火」をかけているわけですが、これから先の未来とか、知識とか人脈とか、どうしていいのか分からないというのが「知らぬ「火」です。
先のことは知らないし、分からないわけですから、未来は暗い。闇にまみれて暗かったけれども、そういうどうしていいか分からない、暗中模索するような心と道を導いてくれるのが観音様だよ、ということです。
父となり母ともなりて導かん
功なり名を遂げ世に徳残せ
お父さんとなりお母さんとなって導きましょう。功なり名を遂げなさいよ。
しかし、功なり名を遂げるのは何のためかというと、おのれの自己満足のためではなく、世の中に徳を残すためです。そうやって功なり名を遂げなさいと、ということです。
庶民を救う浅草観音
ところで、浅草はなぜアサクサと呼ばれるようになったのか。浅草の謂われについて書かれたものを表にして皆さんにお配りしましたので、それをご覧いただきたいと思いますが、一つの説として「チシワグサ」というのがあります。
それから、アイヌ語の「アッツクサ」から来たという説。さらには、チベット語の「アシャクシャ」から来たという説もあります。
私の説は、朝一番の快調な“おなら”ということで、「朝臭い」(笑)と。
便秘だったんだけれども、観音様にお参りした翌日からお通じがよくなって、それでアサクサ、と。最低な説明ですけれどもね(笑)。
アカザという草から浅草という地名になったという説もあります。隅田川から引き上げられた観音様を、アカザでつくった小さなお堂にお祀りしたことから浅草になったと言われているようです。
それとは別に、京都の深草に対して関東の浅草と言われるようになったという説もありますけれど、実は浅草観音様に聞いたんです、「なぜ浅草と言うんですか」と。
そうしましたら、弘法大師空海がここに来て「あさきゆめみしゑひもせず」の「あさき」だよ、と。
浅き夢見るこの御世に草木の如き民衆を、
隅み隅み救う隅田川(澄み田川)
隅田川というのは澄んだ川ということですけれども、隅み隅み隈なく救っていく、この川は、と。
ここに観音様がおられるというので浅草と言うんだよ、と。空海がそう言ったんだ、と。実際に空海が言ったのかどうか、いまはもう何も残っていません。
天台宗のほうにご縁があるのは浅草観音宗ということなんですけれども、とにかくいろいろ説がありますが、「あさきゆめみしゑひもせす」で浅草と言うんだ、と。
それで民衆を救う観音様だと考えていいのです。ところで、だいたい六十パーセントぐらいは浅草観音にご祈祷してよかったんです。
しかし、残りの四十パーセントはよくない、と。浮遊霊がいっぱいいまして、何か知らないけれど私は、満腹なのに日本酒が飲みたくなってしまって、「バカヤロー、テメエら、この野郎め!」と(笑)。飲んでいないんですよ。
しかし、やけに威勢がよくなって、「バカヤロー、テメエら!」と。「なぜかなあ、おかしいよね」と周りの人間に言っていたんです。
そういう浮遊霊が二千五百体ぐらいくっついてきているので、さっきからずっと救霊をしています。
浅草観音には、確かに仏様と観音様がいらっしゃいます。
しかし、長い歴史がありますし、たくさんの人がお参りしているので、その分、邪気や邪霊も多いわけで、その点に関しては十二分に注意しなければなりません。
あのお賽銭を投げるところの霊空間で、私も何回か見ました。観音様と龍がいるんですけれど、そこに坊さんみたいな格好をした霊がいたり、ばあさんやじいさんがいたりするんです。
もちろん浮遊霊です。
ですから年の初めは、なるべくなら神社に参拝したほうがいい。確かに観音様はいらっしゃるんですけれど、年初めに浅草観音様に来るのはもうやめよう、と言っていたところなんです。
六割はよかったんです。功徳もあるんです。しかし、浮遊霊もいますので、きれいに救霊をしなければいけない。
どこか重たくなったり、急に言葉がべらんめえ調になったりしたら、チャキチャキの江戸っ子の浮遊霊がついたと考えていいですね。
聖徳太子と空海の働き
それからもう一つ、浅草寺に関して来歴を見ておりますと、創立が西暦六二八年。推古天皇様がお亡くなりになったのも、確か六二八年だったと思いますが、六二八年にこの浅草の川で漁師の網に観音様がかかった、と。
聖徳太子さんがお亡くなりになったのは六二二年ですから、聖徳太子没後六年目です。
聖徳太子が亡くなって六年経った三月十八日の未明、夜明けのころに網にかかっわけです。
私が生まれたのも昭和二十六年三月十八日の未明です。私の妹が生まれたのも三月十八日の未明です。
私と妹は誕生日が同じなのです。もちろん、双子ではありません。
五つ離れていますけれども、誕生日は同じ三月十八日。二人とも、夜明けのころに生まれました。
それはともかく、聖徳太子が亡くなって六年目の三月十八日の夜明けのころに、観音様の像が漁師の網にかかったわけです。
だから、浅草観音というのは要するに、聖徳太子さんの御働きそのものなのです。関東において、聖徳太子が巷の一番低いところに現れ出てきたのが浅草の観音様であり、ここに祀られている観音様は、まさに聖徳太子さんの御働きそのものと言うことができます。これが聖観音です。
その聖観音は静の状態です。ひとたび動となったのが救世観音です。聖徳太子没後六年、三月十八日の未明に関東の浅草に出現したわけです。
それで面白いことに、空海がこのように現れ出てきたのも関東です。
鎌倉に幕府ができたのは、「いい国つくろう鎌倉幕府」で一一九二年。この年に鎌倉幕府が成立したのですが、その五十年前に、これまた漁師の網に何か像がかかって、それが要するに空海のお像だった、と。
これが川崎大師になったわけです。
弘法大師空海は、鎌倉に幕府ができるだろうということをちゃんと見越しまして、その鎌倉幕府成立の五十年前に関東に現れ出てきたわけです。
空海の姿は何度も見ました。
目がキラーッと光っていて、「ものすごい密度のある知性」という顔です。白檀の香りというか、松葉の香りを高貴にしたような香りがしたかと思うと、一転して、ピッピッピッピッといった、すごい電流のような波動が伝わってくるんです。この二つの局面で出てくるのが空海です。
空海が亡くなったのは八三五年です。それから数えて約三百年後に、関東に幕府ができることを見越して川崎に示現した。
空海の働きは要するに、政治の働きです。
政治をいかに導くか、ということで関東に示現したわけです。関東に幕府ができ、関東が政治の中心になることをちゃんとあの世で予知しまして、鎌倉幕府が成立する五十年前に巷に現れ出てきて川崎大師となって、そこを極点にして政治を導くために動いておられるわけです。
聖徳太子は、お亡くなりになって六年目に、この関東の、巷の、庶民のところにお出ましになりました。
太子没後六年目の三月十八日の未明に漁師の網にかかって、末端の衆生を救うために現れ出てきた。
面白いことに、川崎大師のほうは空海ですから真言宗で、こちらの浅草寺は天台宗です。ですから最澄の系統です。
その最澄は聖徳太子を一番尊敬していましたから、まさに観音信仰だったわけです。
空海の書の一つに「秘蔵宝鎗」というのがあります。これはどういうものかといいますと、嵯峨天皇が「あなたの宗教はどんな趣旨なのか。
それを政府に発表しなさい、公式見解を述べなさい」とおっしゃったのを受けて、空海が「私どもの宗派はこういう宗派でございます」ということで提出したのが「秘蔵宝鑰」です。
基礎になっているのは「十住心論」なのですが、第一住心から第三住心くらいまでは煩悩のままに生きる普通の人間。善悪の両方を持っている人間。
そこから、もうちょっといいことをしなければなあ、というのが次のランク。それからさらに宗教心、菩提心を持たなければなあ、というのが第八心で、そこから上が、その菩提心のレベルをずっと言っているわけです。
それで、真言宗は一番上にあるんです。最高です。次は華厳宗。八番目は天台宗。天台宗は観音院、観音を中心にしておりまして、それは法華経から来ております。
で、最澄というのは一番誰を尊敬していたのかといいますと、先ほども申しましたように聖徳太子さんなんです。
聖徳太子一本です。だから、聖徳太子が採用した法華経を大事にしたわけです。
聖徳太子はなぜ法華経を選ばれたか
その法華経とは何か。それを説明する前に、仏教の特色を言いますと、仏教は現実否定です。現実界を徹底的に否定します。
ですから、チベット仏教でもどこでも、仏教の世界にはお墓というのはないんです。お墓は儒教なのです。
儒教では、人間には魂と魄があって、魂はあの世へ行き、魄は地面の下に行くと教えています。
漢の武帝でも、それから秦の始皇帝でも、地下に宮殿をつくったのは、「魄は地下へ行くもの」と考えていたからで、儒教では魂と魄、両方をお祀りします。
魄をちゃんとおさめるためのお墓は大切にしなければならない、と。これが儒教の考え方であって、仏教ではないのです。
チベット仏教では、人が死ぬと丸太を組み、その上に遺体を乗せて燃やし、それで終わりです。日本人の感覚ではちょっと理解できないところですが、なぜかというと、肉体には何の執着もないからです。
だから、お墓もないのです。この世のものである遺体はそのままバーッと燃やしてしまう。
あるいは、塩を撒くみたいに骨を撒いて終わりにしてしまう。お墓とお骨を大事にするのは儒教なんです。
ですから日本も、先祖を大事にするということでお墓を大切にしていたのですが、これは儒教の伝統であって、仏教では肉体には何の未練も残しませんから、お墓なんか全然関係ありません。
そういうことで、現実界を理想の社会にしようという考えは、基本的に仏教にはないわけです。というのは、現実界には何の価値も置かないからです。
それどころか、現実界への執着心をいかに振り捨てて、永遠の涅槃寂静を得るかを説いているのが仏教です。
それで、いろいろなお経があるなか、唯一、現実界をよくしようと説いているのが法華経です。
「泥のような世の中を理想社会にしよう」と。法華経のみが現実社会を肯定し、幸せにしようと説いているお経です。
維摩経というのは、維摩居士という出家していない人間が、お釈迦様の十大弟子を次々と論破していくお経で、在家でもいいんだということを言っているお経です。
それから、勝鬘経というのは、女性でも成仏できると教えているお経です。ご存じのように、仏教では女性は不浄なるものとして扱われ、成仏しないと言われていますが、唯一、女性のために説かれたお経が勝鬘経です。
推古天皇は女性ですから、「仏教を日本に取り入れましょう」と、どんなに聖徳太子が言ったところで、「女性というものは不浄なので成仏できないと仏教では説いています」などと言ったら、推古天皇はどうしていいか分かなくなっていたことでしょう。
そういうことで、聖徳太子は法華経と維摩経と勝鬘経の三つのお経を選んで、そのことを書いたのが「三経義疏』です。数あるお経のなかから、日本の伝統や文化に合うものとして、この三つのお経を選んだんだ、と。
そして、「この三つのお経のなかでも、法華経こそが神道の伝統と日本の伝統に一番合う」聖徳太子はおっしゃっています。
その聖徳太子を一番尊敬していた伝教大師最澄の天台宗は、当然のことながら、法華宗で天台法華。
もちろん、法華経だけでなく、法華経をベースにして律、禅、密教と合わせた四大柱があるわけですけれども、ずっと法華経の伝統を引いています。
ですから、結局は聖徳太子に行くんです、この浅草観音も。片や空海は、いま言ったように、幕府の時代が来ることを予見し、関東に現れ出て政治的な働きをしました。
やがて鎌倉幕府を中心とする時代がやってきて、江戸時代がやってきて、明治政府がやってきてというふうに、関東が日本の中心になることを予見して、民衆を救うためにちゃんと出ているわけです。
一方、この浅草観音は、聖徳太子没後六年に創建された非常に古いお寺です。その分、浮遊霊も多いですが、由緒正しきお寺です。
一千年以上も経っていますから、それだけ霊験あらたかであり、御働きがここに結集されているわけです。
聖徳太子という高貴な方が、摂政というお立場で庶民を救うために降りてこられている、ということです。
もちろん浮遊霊もいますけれども、立派な仏様も龍王もいて、巷をきちんと守っておられるのです。
ここは、徳川家康のときには徳川家の祈願所だったんです。もちろん、庶民の救いもしていますけれども、家康公が寄進し、徳川家の祈願所として徳川家のことをお祈りしていました。
そういうことで、聖徳太子も空海も京都から関東に中心が移ることを予見し、それぞれ別な形でちゃんとここに出てきて、仕組んでおられます。
そのことをもう一度、ここではっきりとさせたいわけです。
頭がすっきりしてきたでしょう。一緒に聞いていた浮遊霊たちも、「なるほ「どなあ」と納得しています(笑)。
経営者に必要な一念創業の精神
ところで、「浅草の三社祭りというのはいったい何なのか」、そして、「いったい何をお祀りしているのか」ということですが、実は関東に現れ出た聖徳太子様をお祀りしているのです。
聖徳太子の御神魂があの観音様に入っているわけです。聖徳太子様は巷に降りてきて、それで神魂が降りている、と。
きっと、 聖徳太子さんがあの世から遣わされたのでしょう。これがまず一つです。
もう一つは、「一念創業」ということです。これをいまコピーしていますから、出来上がり次第、皆さんにお渡しします。
単なる講義だけではなく、今日神様から受けたものを一年間のお守りとしていただけますように、カラーと白黒のコピーにして皆様にお渡しいたします。
ゴールドフカミの人は両方ともカラーでお渡しいたします。この地の奥に少し色をつけ、ぼかしを入れまして、もうちょっとアーティスティックにしています。
それで、「一念創業」ということですけれど、要するに、「会社を経営する人間、あるいは企業経営を志す人間には一念がなければいけない」ということです。
スタッフ神業で、今年は全スタッフが伊勢に参拝しました。三百人ほどの人間が全員集まって伊勢神宮にお参りいたしました。
そのとき伊勢の神様が、「お前の気念、つまり、気力と念力が衰退せぬ限り大丈夫だ」とおっしゃいました。
ワールドメイトは私がリーダーでやっていますので、「みんなすべてうまくいく。ただし、お前の気念、気力と念力が衰退したら全部バーだ」と。
これは私だけではなく、どの経営者にも言えることで、気力と念力が衰えたら会社はダメになるのです。
会社の寿命は三十年と言われていますが、なぜ、三十年で寿命が尽きるのか。それをひと言で言えば、社長のパワーが落ちるからです。
もちろん、時代背景が変わることも大きな要因ではありますけれど、社長のパワーが落ちなければ、どんなに時代が変化しても十二分に対応できますし、時代の荒波も乗り越えていくことができます。
やはり、社長のパワーが落ちること、これが企業衰退の一番の原因です。現役としてやっていく限りは、気力と念力を絶対に衰えさせてはいけない。「一念創業」とはそういう意味です。
天台宗の基を開いた天台智顗は、「一念三千」という教えを出しました。人間の一念は三千大世界に感応し響き渡るんだ、と。十の方向と三千大世界に人間の一念がすべて感応するんだ、と。
一念三千ということを智顗は言いましたけれど、人の想念というものは、それだけ霊空間に大きな影響を与えているん
だ、と。
ですから、「絶対にこういう会社にしたい」「どこまでもやるんだ」という一念が、会社を創業していく力になるのです。
俺はもうダメだ、こんなのやっていけない、と思ったら、会社は潰れるわけです。
だんだんやる気がなくなってきたら衰退していく。
逆に、不況であろうと何であろうと、「絶対に負けるかあ!」という気持ちで立ち向かっていったら、会社はますます活気づいていく。結局、創業者の一念が業を創るのです。
創業とは、「業を創る」ということです。一念が業を創る。
返り点を打てば「一念創業」。仕事を創っていくのは一念であって、その一念が、大きくて強くて熱く燃えたぎるようなものであれば、事業というものは繁栄していくし、その一念が、冷えて弱くて小さくなれば、会社は衰退していく。だから、経営者の一念にすべてがかかっているわけです。
ですから会社とは、社長がもうダメだと思ったときに潰れるんです。「世間はどうであろうと、わしは絶対にこれを貫くんだ!」という強い念、強い意志を持っている社長ならば、会社はますます繁栄していく、困窮を乗り越えていく、ということです。
技術の日産、販売のトヨタ
日産とトヨタのことがいま、よく話題になります。私もよく話題にしますが、トヨタはやるべきことをやっています。いまトヨタの会長は奥田碩さん、社長は張富士夫さんという人ですけれど、この人事は豊田章一郎さんと豊田英二さんが決めたものでありまして、トヨタ自動車においては、社長は内閣総理大臣で、豊田家は天皇家みたいなものです。
日産にはそういう皇室みたいな存在がありませんが、昔から「技術の日産」と呼ばれてきました。
しかし、「技術の日産」は「販売のトヨタ」にどうしても勝てない。勝てないどころか、どんどん差が開いていくばかりです。
それから、「マーケティングの集英社」と「編集の平凡出版」が競争をすると、いつも必ず「マーケティングの集英社」が勝つ。
さらには、「技術のシチズン」と「販売のセイコー」が戦えば、必ず販売のセイコーが勝つ。技術を先に立てたら失敗するわけです。
逆に、消費者は何を求めていて、どんなものをつくったら売れるのか、というマーケティングを主にしてやっていけば、必ず受け入れられて成功する。
机の上であれやこれやと考えて、「こんなのをつくれば売れるだろう」なんていうのはダメなんです。絶対にうまくいきません。
うまくいくときがあるかもしれませんけれど、ほとんどうまくいきません。そうしたら、会社は潰れてしまいます。
経営とは、常にうまくいくように会社を導くこと。それができなければ会社は潰れてしまいます。
では、常にうまくいくためにはどうしたらいいのか。消費者は何を考え、何を求め、何を欲しているのか。どんなものが売れ筋なのか。
そういう情報とニーズを踏まえて商品をつくり、サービスを提供していくしかありません。そういうふうにやっていけたら、百回やれば百回とも成功するわけです。
だから、マーケティングを主にしている集英社はいつもうまくいく。最近、ちょっと業績が落ちているようですけれど、相変わらず強い。
販売のトヨタは常に勝ち組で、自動車業界はトヨタの一人勝ちです。シェア、四十三・二パーセント。日産は六千億円の赤字。倒産寸前です。
そこに、カルロス・ゴーンがやってきて、頭の硬い連中を見事にゴーンとやったわけです(笑)。その前から脳味噌はカルロスだ、という話があります(笑)。
私が言っているだけのことですけれども、見事にそのリストラクチャリングが成功しました。
日産のリストラの骨子は、縦割り組織をぶち壊したことです。トップダウン方式の硬直した組織を廃止し、横と横の連絡を密にするプロジェクトチーム方式にしたわけです。
しかも、課長クラスの若い人の意見を、トップ自ら吸収して取り組んだんです。現場で働く課長クラスの若い人の意見をカルロス・ゴーンがじかに聞いて、チームを組んでサバイバル・プランを三ヶ月でつくったんです。
日産サバイバル・プランは、カルロス・ゴーンが勝手につくったのではありません。課長の意見を聞き、どこをどういうふうにしたらサバイバルできるか、ということで三ヶ月のリサーチでプランをつくったのです。
それで、二〇〇〇年中、つまり去年中に利益が出なければ私は社長を退く、というふうに言っていたのですが、去年の十二月までに六千億の赤字を出していた倒産寸前の会社が、二千四百億円の利益を出したんです。
カルロス・ゴーンが来て一年か二年で、それだけの利益を出した。六千億の赤字から二千四百億の黒字に変わったわけです。
たとえば、旧日産には宇宙事業部というのがありまして、それなりに黒字を出していたんですが、カルロス・ゴーンはその宇宙事業部を三百人の従業員とともに石川島播磨のほうに売却してしまいました。
利益が上がって儲かってい部門であったにもかかわらず、日産全体の売上の一パーセントにもならないし、自動車に専念したいからということで切り離してしまったのです。
確かに、宇宙事業部のトップも、日産に止まっても売上の一パーセントにも満たないし、ワンオブゼムの存在でしかないので、それでいい、と。
石川島播磨に行くと主たる事業部になるから、これでよかったんだと納得していたようです。
そういうふうに、カルロス・ゴーンは旧来の縦割り組織をぶち壊し、納入業者とのしがらみもすべて見直し、ゼロからやり直したわけです。横の連携を取って、若い人の意見を聞いて、トップダウンで決めて、三ヶ月で日産サバイバル・プランをつくった。
そして、そのサバイバル・プランを見事に実行して、わずか数年で黒字にした。「経営は科学という説もあるが、経営は科学ではない、職人芸だ」と。経験があるほうがうまいのに決まっているよ、と。
いま、三菱重工なんかも五十七、八歳で社長になっても、社長の経験はないから難しいです。
いくつかの部門長の経験があるけど、社長の経験はない。やはり、会社の舵取りをするには経験がいるんだ、と。
ところが、トヨタには豊田家という存在があって、彼らがずっと社長を経験しているわけです。
そして、ここぞというときにはちゃんと出てきて、きちんと対応していく。
とにかくそういうことで、現会長の奥田さんという人は、実は左遷されていた人なんです。シンガポールかどこかに、八年間左遷されていたんです。
それだけ個性がある人なので、八年間も左遷されていた。その間、トヨタではしなければならないことをずっと先送りにしていたんです。
そこで、豊田英二さん章一郎さんが「あの奥田君を」ということで、シンガポールかどこかから呼び戻して取締役にし、その後、彼を社長にしたわけです。
改革というものは、どこかアウトサイダー的な目で見る人がいないと、なかなか難しいのです。みんなのことを聞きすぎると、改革はできません。
それまで、みんなの意見を聞きながらやってきたわけですから、どこかアウトサイダ的な目を持っている人が、思い切ってガーンとやらない限り、改革はできないです。
カルロス・ゴーンもそう言っていますし、奥田さんもそう言っています。
それで、トヨタの場合、何が問題だったかというと、昔は若いころにホンダ車に乗っていた人でも、歳を取ったらトヨタの車に替えていったわけです。
ところが、だんだんと時代が変わってきて、若いころにホンダ車に乗っていた人は歳を取っても、ずっとホンダ車に乗るようになってきた、と。
それからです、トヨタのシェアがどんどん落ちてきたのは。
トヨタは、有名なトヨタ・カンバン方式で徹底的に合理化を図ってきました。乾いたタオルをさらに絞ってきたわけです。
しかし、乾いたタオルを絞っても何も出ないです。それほどまでに、ギリギリまでに利益率を追求し、ムダを省いたやり方に徹していたので、収益性も非常に高かった。
そのあたりは日産よりもうんとコストダウンをしています。日産はそれができなかったがために収益性が落ちてきた。トヨタは見事にそれをやっていたんです。
しかし、完璧なまでにカンバン方式でやってきたので、逆に、新しいニーズへの対応ができなかった。トヨタの若い社員が言ったらしいんです。
「自分が欲しい車、乗りたい車がトヨタにはない。乗りたいなあというのは他社の車だ」と。
トヨタの社員だから社員割引があるんだけれども、自分が欲しいという車がトヨタにはない、と。
そういうときに抜擢されて社長になったのが、実は奥田さんで、彼は、若くてアクティブでビビットな会社にしたい、と。それで改革を断行したわけで…
その際、下から上がってくる意見を聞いていても所詮は旧来のものでしかないから、トップダウンで全部、自分で決めていったんです。
昔はホンダ車に乗っていた人でも、歳を取ったらトヨタ車に替えてくれたんだけれども、ホンダ車も性能がアップして、居住性や安定性がよくなったし、サービスもいいからということで、トヨタ車に乗り替えなくなった。
もちろん、全部が全部、ホンダ車を乗り続けるわけではありませんが、乗り替える人が少なくなった。
では、トヨタはどうしたらいいか。それにはやはり、若いころからトヨタのファンをつくるしかない。
若いころからトヨタ車に乗り、歳を取ってからもトヨタ車に乗る人を増やすしかない。そうしようではないか、ということで、若い人に合うような車づくりを始めたわけです。
要するに、若いデザイナーを採用し、こだわりを持っている若い人が好むようなデザインの車をつくっていったんです。
それがVitzとなって、若い人向けの斬新なデザインの車種がどんどん出始めて、そしてまたシェアがグーンと上がっていったのです。いま四十三・二パーセントでトヨタの一人勝ちです。
結局、改革しなければならないときには思い切って改革しなければいけないわけです。
「絶対にこれをやるんだ!」という一念が業をなしているわけですから、会社を円滑にし、儲かりそうなものをやっていくだけではなく、改革というものも強烈な一念がなければできないんです。
リストラクチャリングとはそういうものです。特に撤退していくときには、よほどの決断力と実行力がないとできません。撤退していくときのほうが十倍
エネルギーと決断力がいります。恥も外聞もなく撤退しなければいけないわけですから、人員を減らすときとか、あるいは、支店をいくつか閉鎖するときには、不退転の決意で臨まない限り難しいんです。
私たちが取引しているマイカルも今度、ビブレとかサティなど四十五店舗閉鎖するんですけれど、リストラクチャリングをするためには、一年間経費がかかります。
定年退職金を前倒しで渡したり、あるいは、上乗せして渡したりしなければなりませんから、一年目はリストラに金がかかります。
しかし、景気が少しよくなったら、ガーンと利益が出るんです。これを「リトスラ効果」と言いますけれども、やはりそれには、本当に強い決断力、実行力、そして恥も外聞もなくやっていくという決意がないと、絶対にできません。
「ゆでガエルの理論」とは
ここで、「ゆでガエルの理論」というのを、ちょっと解説してみたいと思います。
「ゆでガエルの理論」というのは、カエルをどう食べたらおいしいかという話ではなくて(笑)、カエルというのは面白い性質がありまして、熱湯の中に置と即座にピューンとジャンプして飛び出します。
ところが、水の中に入れておいて、少しずつ少しずつ温度を上げていくと、「あれ、温かくなったかな」と、水の中をカエルはクルクルと回るんです。
それで、だんだん温度を上げていくと、「あれあれあれあれ?」と、さらにクルクル回りながら、それでゆで
ガエルになって死んでいく、と。これが「ゆでガエルの理論」です。
人間もそれと同じで、急激な環境変化には対応できるんです。オイルショックだとか、ああいう急激なショックだと、「こうしていかなければならない」ということで、対応していくんだけれども、徐々に徐々に、真綿で首を絞められるみたいに環境が少しずつ変わっていくときには対応できず、じり貧状態になっていくんです。
少しずつ顧客のニーズからずれていっているとか、少しずつ自分がバカになっていっているとかなどの、緩やかな変化にはなかなか気づかないんです。
急にバカになると、これはおかしいと思うんだけれども(笑)、少しずつバカになっていくときには、なかなか分からない。
「俺、バカかな、バカかな」と思っているうちに、完全にバカになるわけです(笑)。
ある朝起きて、「俺、バカだな」と思うようなことがあったら、こうはしておれんと思って、それなりに対応します。
髪の毛も、ある日突然、脱毛症になったら、「これは何とかしなきゃ」と思うけれど、少しずつ少しずつ抜けていく場合は、「あれ?あれ?」と思いながら、何年か経ったらもうないわけ(笑)。これを「般若心経の境地」と言います。
ムケ(無毛)ゲ、ムケ(無毛)ゲ、世の無常が毛に出てくる、と(笑)。
そういうことで、少しずつ変化していくときは、対応できずに死んでしまうわけです。
だから、ちょっとした変化でも見逃さず、「このままではいけない」と思ったら、即座に改革を断行しなければいけない。これが一念創業というものです。
業というのは、攻撃も防御もできなければいけません。攻撃以上に防御、撤退するときは、精神力と意志力と実行力が必要になってきます。
恥も外聞もなくやらなかったらできないことなんです。それでも断固として実行しなければ、固定費を抑えることもできないし、ましてや、利益や採算を取ることなど不可能に近い。
会社は儲かっていたらいいんです。収益が上がっていたらいいわけです。どれだけ支店を持っているか、どれだけ社員がいるか、どれだけ売上があるかではありません。
社員がいっぱいいる有名な会社でも、倒産しました、となったらどうなるのか。
その分だけ悲劇が大きくなります。抱えた従業員数の分だけ人を不幸にするし、事業規模が大きい分、負債も大きいから、迷惑をかける会社も多くなるわけです。
売上や従業員数に関係なく、利益が上がり続けることが偉大なわけです。利益をずっと上げ続けている経営者は本当に偉いんです。
ですから、そのための舵取りには決断と実行力がいります。さっき言ったように、三十年経ったら社会は変わってくるわけですから、こういう不況とか業界の変化があったときには英断をし、強い念を持ってやっていかなければならない。そうでなければ、絶対にうまくいきません。
収益性や損益計算書をよく見ていて、いくら努力をしてもダメなときには、思い切ってズバーンと切らないといけない。不採算部門は思い切って閉じる。
「泣いて馬謖を斬る」ように、ガン細胞だと思って早く切らないといけない。努力しないのに切ってはいけませんけれども、やるだけのことをやってもダメなときには、スパーンと切る。
そうしないと、ガン細胞が広がってみんな死んでしまう。腐ったリンゴが一個あると、そこから腐敗が広がっていって、みんな滅びてしまうわけです。
経営者というのはそれをしなければならないわけですけれど、この一念が腐ったり、衰えたりするとできなくなります。
特に、撤退やリストラクチャリングをするときには難しいんです。発展的に舵取りするときには、堂々とやっていけるんですけれども、撤退していくときには、銀行からどう思われるか分からないし、従業員からどう思われるかも分からない。そして、ライバルからどう思われるかも分からないし、友達にどう言われるか分からないから、どうしても気後れしてしまう。それでも、やり遂げなければならない。まごまごしていて対応が遅れたら、本体が潰れてしまいます。
それは、強い一念を持っていなければできないことなんです。そのために体力を磨き、特に知力を磨いていく。そういう努力をしていかなければ、経営者の責任が果たせません。
そういうことで、攻撃よりも防御の必要性のある業種が多い昨今、財務内容をよく見て、不採算部門があるときには思い切ってズバーンとやらなければいけない。その後、景気がよくなってきたら、その分だけ全部利益になります。
倒産寸前にリストラクチャリングするという、究極の対応策となると、これのクビを切らなければいけません。
ですから、ダメになる寸前では遅いんです。ダメになりつつあるなあ、だんだんと温度が上がってきて四十度以上になってきたなあと思ったら、「ああ、ヤバイぞ、顔が赤くなってきたぞ」と思って、改革を断行する。
ゆで上がるまでに温度の変化に気づいて、強い意志をもってブレーキをかけて、何としてでも採算性を維持していかなければなりません。
そのためには、やはり財務がよく読めなければいけないわけです。財務といったら損益計算書です。
損益計算書をよく見て、部門ごとに損なのか益なのかを確認し、赤字の部門があったら、思い切ってズバーンと決断し実行する。そうやって、資金繰りがうまくできるようでなければいけません。
会社を発展させる清荒神方式
われわれ菱研では、毎日毎日、清荒神の原則に則って、お祈りをしなければなりません。清荒神の原則を知らない人がいたら手を挙げてください。
知らない人のために簡単に言いますと、清荒神というのは、平安時代からの古い荒神さんではあるのですが、戦後、どうやっても参詣者が増えなかった。
先々代の管長が御札をつくったり、いろいろポスターとか宣伝をしたりしたものの、結局ダメだったんです。
そこで、真言宗だからお勤めをちゃんとやろう、ということで一日四時間の勤行をやるようにしたんです。
東京で仕事があるとか、仏教協会の会合があって二日空けるとかあるときには、合計で八時間分ご祈祷ができないわけだから、四日前から、お祈りの時間を二時間ずつ足して、毎日六時間ずつご祈祷するわけです。
そういうふうにやり始めたら、「清荒神さんに行くと必ずお陰が出てくる」
「必ずご利益がある」「必ず奇跡が起きる」ということで、噂が人から人へと伝わっていって、いまでは清荒神さんは、駅から列ができるくらいに繁盛しています。
それが先々代からの伝統でありまして、結局それしかないということで、いまもずっと守っておられます。
ワールドメイトの支部もそういうふうにしていますし、菱研でも、私を始めとして全スタッフが毎日、研の会員さんのために祈っています。
菱研の社員は私をはじめとして、皆さんの会社の売上が上がりますように、利益率が上がりますように、いい社員が来ますように、資金繰り、お金のやり繰りができますように、銀行からちゃんと借りられますように、銀行から借りられない場合は信用保証協会がちゃんと保証してくれて借りられますように、そのときに提出する書類にドジがありませんように、そして社長始め従業員の皆さんが健康でありますように、リストラにするときには成功しますように、と細かいことまで全部祈っています。
今日からはさらに、一念創業を祈りに加えます。強い念力で攻撃も防御もできて、こういうご時世でも研会員の皆さんが生き残って成功していただけますように、と。
経済の時代ですから、縁あって来た人のことは、みんな朝な夕な祈っています。
清荒神方式というのはそういうことなんです。今年もまたさらに、毎月、井草八幡さんに産土祈願に行って、ワカサギクラブとかA会員とかフカミクラブとかゴールドフカミクラブとか、それぞれ個別にお願いして、ご祈祷していただいた御札をお送りいたします。
それから今年は、「産土の砂」というのを送ります。いままではラーメンを送ったり、牛乳を送ったりしていました。
それもまたいいんですけれど、ご利益をもっと送ろう、ということで、有力な産土神社のお砂を送らせていただきます。題して、「これは産土の砂ですなキャンペーン」です(笑)。
それで、毎月毎月、霊験あらたかな産土の砂を勝手に取ってくると、「そんなこと砂(すな)」と言われますから(笑)、そういうときには「済みませんで砂(すな)」と素直に謝る(笑)。
冗談はともかく、きちんと玉串をしてご祈願していただいた砂が毎月送られてきます。それを会社の前にパラパラと撒きますと、ちゃんとお客さんがやってくる、と。
社員に気づかれないようにやってくださいね(笑)。
金庫の前に撒くと、なんだか知らないけれどもお金が入ってくる、入口に撒くといいお客さんが来て、変な顧客が来なくなる。変な顧客が来たときには後ろから砂をパッパッと撒くと、怪しまれるから入口のところに撒く。
そうすると、二度と来なくなる、と。そういうことで、きちんとご祈祷した砂を毎月お送りいたします。
このご時世、目に見えざるところからの気運というのがとても大切です。さらに大切なのが経営者の気力です。
それがすべてを物語りますので、この一念が、気力と念力が衰えないように皆さん、ぜひ頑張っていただきたい。
年の初めに、そのことをしっかりと確認したいと思います。われわれも、それをバックアップできますようにいたします。
経済の世の中、そのために菱研があるわけです。国民の八割がサラリーマンの時代、自由経済をもってする日本の国であって、平安時代、鎌倉時代ではありませんし、もちろん江戸時代でもない。
その中で頑張っている庶民を応援し、救済をし、励ましていくということがわれわれにとって、時代の新しい仕組です。
ですから、ますますその原点に返って、皆さんをバックアップしたいと思っております。
以上で私の講義を終わりにいたします。コピーが出来上がったようですので、いまから皆さんにお配りいたします。
まずカラーのコピー。金龍山ですので、金龍さんが持っている玉だということで、みんな黄色くしてあります。
上から黄色をかぶせたものですから字がとろけましたけれども、ちゃんと色をつけて、おシャレな色にしてあります。
それから「一念創業」。ゴールドフカミの人はカラーコピーでお渡しいたしますから、皆さん、事務所に張っておいてください。
これは何か怪しいから、どこか社員には見られないようなところに置いておいて(笑)、こっちは怪しくないので社員が見えるところに置く。
しかし、怪しいところがまた魅力的ですね(笑)。何かちょっとヘンテコリンですけれども、目に見えないご利益は確実にあります。一人二枚ずつお配りいたします。
今日の皆さんへのプレゼントです。
それでは皆さん、これで終わります。今年も一年よろしくお願いいたします。
(拍手)
