中小企業の経営者よ カリスマ性を磨け! 深見所長講演録12(Vol.2)

深見流指導力の秘伝 ~平成9年11月8日 東京全日空ホテル~

経営者に求められる指導力の三つのポイント

北海道からも沖縄からもたくさんの会員さんがいらっしゃっていますので、今日は山ほどお話ししたいと思っているんですけれども…。

実はこの四日間、ホロスコープ神通というものをやっておりました。予定に入っていたものを八つぐらいキャンセルしまして、このホロスコープ神通に専念しておりました。

で、昨晩は関東エリアの三十一支部の人たちが集まっておりましたので、急遽、その人たちのために三時間ほどお話をしたあと、また帰ってきて、ホロスコープの鑑定をしておりました。

結局、午前三時からお昼の十二時までですので、ホロスコープ神通で九時間ずっとしゃべり続けていたわけですが、支部の人たちのための三時間を加えると、トータルで十二時間、話し続けていた計算になります。

そのホロスコープ神通が終わったら、今度は一時間ほど車に乗って大学に行き、音楽の授業を受けたんですが、いつもなら一時間の集中授業のところを、今日は二時間連続でした。

十二時間しゃべり続けたあと、二時間オペラを歌い続けたわけです。

それからさらに車に乗ってここに着いて、それから講演をするという、大変楽しく充実した一日を送らせていただいているわけですが、四日ほどで一時間ばかりウトウトした程度です。

そして、最後の締めくくりとしてのこの講義では、皆さんにお話ししたいことがいっぱいあるんですけれど、今夜は咽がこういう状態でございます。

三十代の頃はこの程度なら、連続二クールしても乗り越えられたんですけれど、年を取りましたので、三分の一ぐらいの体力しかありません。

それでもまあ、普通の人よりはまだ元気なほうだと思っておりますが、今日はどうしても立って講義ができないもんですから、体を横にすることをお許しいただきたいと思います。

横になっても、頭と口は動きます。声はこんな声ですけれど、どうかご勘弁願いたい。

今日の講義のテーマは「指導力について」ということであります。

それを聞くのを楽しみに北海道や沖縄からわざわざいらっしゃったということですけれど、会場の時間の都合がありますので、かいつまんで申し上げますと、指導力に関する本が三笠書房とかPHP研究所などからいろいろ出ています。

それを読んでいただければ指導力のことは分かります。と言って講義を終わりにしたのでは、何のためにわざわざ遠くから来たのか分かりません(笑)。

しかし、そういう本を皆さん見たら、指導力に優れた歴史上の人物が紹介されています。

ただし、指導力とは何なのかということに関しては、そういう本では解明されておりません。

それと、指導力と言いましても、中小企業の経営者としての指導力、あるいは小さなコミュニティのリーダーとしての指導力と、歴史に名を残した政治家とか軍人などの指導力とは、ちょっと違うんです。

で、ここは研ですから、当然、中小企業の社長の指導力、ちっちゃい組織における指導力のほうに的を絞ってお話ししたほうが、皆さんにとって参考になるんじゃないかと思うわけです。

まあ私自身、「指導力とは何ぞや」なんていうことを研究している大学教授でもなければ評論家でもありません。企業経営という場で、実際に指導力を発揮しているわけです。

で、先ほど、スタッフに訊きました。

「今日は皆さん、たくさん来ているようだけど、何しにいらっしゃったの?」「沖縄とか北海道から来た人は、深見先生の指導力というのはいったいどういうところから出てきたものなのか、それをぜひ知りたいとおっしゃっています」

「ほう」

「それから京都から来た人は、深見先生のような指導力がどうやったら身につくのか、そういうところが知りたいとおっしゃっています」

そのためにはるばると遠いところからいらっしゃったというのを、スタッフが皆さんからお聞きして、「ああ、なるほど、そういうところを知りたいのか」と思ったわけですけれど、皆さん、机上の理論よりも、やはり、現実に即応した指導力の話を聞きたいわけですよね。

だから私も、そこのところを手短にお話ししてみたいと思います。

まあ、三笠書房とかPHP研究所とか、あるいはカッパブックスなんかも、指導力に関する本をたくさん出しています。

私も立ち読みはしました、パラパラッと。立ち読みですから、当然、全部を読んでいるわけではないんですけど、ジャーナリストとか学者さんとかが書くものは結局、指導力のあった歴史上の人物を研究したり分析したりして、一般的な法則を見出して、指導力とはこうではなかろうか、と言っているわけです。

しかし、それらの本では、中小企業の経営者は分析の対象になっていません。中小企業から大企業に発展させた松下幸之助さんとか本田宗一郎さんの指導力を分析した本はあります。

けれど、宗教家の指導力とか、へんてこりんなおじさんの指導力とか、中小企業の経営者の指導力とか、そんなものは研究の対象になっていないわけです。

ところが、皆さんにとって参考になるのは、宗教家の指導力とか中小企業の指導力とか、へんてこりんなおじさんの指導力のほうでありまして、その方たちの指導力って、いったい何なんだろう、と。

そんなふうに考えている人がいっぱいいるんじゃないでしょうか。

私自身どうかというと、指導力とは何かなんて、あまり考えたことはありません。

もちろん、分析したこともありません。私が語っているのは、私自身が実行してきたことであって、指導力とは何なのかという講義を聞いたこともないし、自分自身、指導力があるのかなんていうことを思ったこともないです。

ところが皆さんは、「深見先生のような指導力があったらなあ」とおっしゃる。

ということは、「ああ、私には指導力があるんだな」と思って、それで考えたんです。

まあ、ちょうど指導力の話をしようと思っていたんですけれど、研の皆さんにとって参考になる指導力というのはやはり、現場に即応した指導力、実際に役立つ指導力ではないかと思うわけです。

ということで、その角度から簡単にお話をしますと、中小企業の経営者に求められる指導力は三つのポイントに要約できるのではないか、ということです。

もし、私に指導力があり、私の指導力を勉強したいと皆さんが思うのであれば、三つのポイントに要約したら分かりやすいのではないかと思うんです。

まず一つ目は何かというと、温かさなんです。

中小企業の社長として、あるいは、小グループのトップとしてのリーダーシップの一番のポイントは人間としての温かさ。これがリーダーシップの最初にくるんです。

二番目は何かというと、演説の力。というより、言葉の持っている力です。私がもし、演説もせず、言葉のあまり出ないボソボソと言うタイプの人間だったら、皆さんはきっと、私について来ないでしょう。

やはり、演説の力はリーダーシップに欠かせません。

私の場合、中学のときには応援団長をやっておりましたし、高校生のときには生徒会活動をしていました。

また、大学のときにはESSの部長をやっていましたので、ある程度は演説力が身についていると思いますが、中小企業の社長としてリーダーシップを発揮していくにはやはり、何らかの形で演説力を身につける必要があります。

つまり、スピーチの力です。

そして三番目は何かというと、勇気です。平たい言葉で言えば、根性です。細かく言えばいくらでも挙げられますけれど、分かりやすく分析すると、「人間としての温かさ」と「演説力」と「勇気」。中小企業の社長のリーダーシップに不可欠なのは、この三つです。

これを神道の言葉で表現するとどうなるかというと、一番目の人間としての温かさというのは幸魂。愛情ですね。

また、単に部下に対する温かさや優しさだけでなく、みんなで仲よくやっていくということですから、和魂も入ります。

それから、演説力というのは奇魂なんですけれど、奇魂だけではなく、何が言いたいかと要約する力でもありますから、和魂でもあります。最後の勇気というのは、これは荒魂です。

勇猛心。この荒魂は、裏を返すと、忍耐力になります。

このように、リーダーシップを構成する「人間としての温かさ」、「演説力」「勇気」のそれぞれに、幸魂、和魂、奇魂、荒魂が入っていて、全体として見れば一霊四魂の四魂になっているわけですけれど、これは神道的な解釈でして、もう少し平たく、分かりやすく説明しましょう。

人間的な温かさで従業員を導け

まず、人間としての温かさということについてですが、中小企業にはネームバリューがないのが普通ですから、会社の名前で優秀な人材が来るということは、まずあり得ません。

一流大学を出た優秀な人はどこに行きたがるかというと、大企業に行きたがるわけです。

勉強のよくできる高校生は、わざわざレベルの低い無名大学に行きたいと思いません。全然知られていない大学の、しかも夜間の二部に、あそこが好きだからぜひとも行きたいなんて思いません。

勉強ができればできるほど有名な大学に行きたいし、最高レベルの実力だったら東大に行こうと考えます。

国立だから授業料も安いので、家族からも先生からも、「ぜひ東大を目指したまえ」と励まされて、必死になって頑張るわけです。

語学が好きだったら東京外大でしょうか。もうちょっと都会的でおしゃれな大学のほうがいいという場合はICU(国際基督教大学)とか上智大学とか。

関西だったら、総合的に勉強できる人は京都大学。将来、経営者になろうと考える人は神戸大学の経営学部。

医者になりたいなら大阪大学とか。とにかく、地方に行くほど国立大学を目指す人が多いです。

勉強のできる人はやはり、有名な大学や権威のある大学に行きたいと思って挑戦しています。

同じように就職も、レベルの高い大学を出た優秀な人は、有名な会社に勤めたいと思います。

たとえば、貿易の仕事をやりたいというのであれば、やはり三菱商事とか三井物産に行きたいと思うはずで、見たことも聞いたこともないような小さな貿易会社に就職したいと思う学生はあまりいないでしょう。

三菱商事なら、会社の名前を言うだけで、「ああ、三菱商事ですか」とすぐに分かりますけど、小さな貿易会社なんか、社名を聞いても誰も知りません。

レベルの高い大学を出た優秀な頭脳の持ち主や立派な家柄の人は、誰もが知っている有名な会社、しかもランクが高く、業績の上がっている会社に行きたがります。

誰もがみんな知っている、月光仮面のような会社に行きたがるわけです(笑)。

対して中小企業は、見たことも聞いたことも、触れたこともない、名もなき存在です。

そういうところに行きたいという人は、まず創業者の親戚縁者か、創業に加わった人か、あるいは、その友人ですね。

それ以外だったら、何回名前を聞いても覚えられないような大学の出身者とか、そこを中退した人とか、そこの二部を出た人。

あるいは高卒か、専門学校出の人。さもなければ、一流大学を出て一流企業に入ったものの、ちょっとおかしいやつだからということで会社を辞めたり辞めさせられたりした人とか、一流企業に就職が決まっていたものの何か問題があって行けなくなったような人。あるいはまた、特別なコネがある人。

そういう人ばかりです、中小企業にやってくる人は。

だから、中小企業の社長に問われる指導力というのは、本や雑誌でよく書かれているような、大企業における指導力とは別ものなんです。

ひと口に指導力と言ってもいろいろあるわけで、大企業のリーダーとなっていく指導力と、中小企業で成功していく指導力は別なものなんだ、ということを考えなければなりません。

もちろん、共通項もいっぱいあります。けれど、基本的にはまったく性質の異なるものなんです。

では、最も違うところはどこなのかというと、人間としての温かさなんです。これがないと、中小企業の社員は絶対についてきません。

というのも、ネームバリューがあるから来るわけでもないし、給料がものすごくいいから来るわけでもないからです。だから、人間としての温かさがないと絶対に居着きません。

だいたい、中小企業の名前なんか、世間の人は誰も知りません。

「○○産業の何々と申します」と名乗っただけではまず通じません。

「えっ、何ですって?」

「○○産業です」

「何の仕事をしていらっしゃるんですか?」

「これこれ、こんな仕事をしております」と、会社の概要や業務内容から説明しなければなりません。

その点、三菱商事なら、「三菱商事って何してるんですか」って訊く人はあまりいません。「どこの部署ですか」とは訊かれるでしょうけれど。

繰り返しになりますが、中小企業の場合、会社のネームバリューがあるから人が来るわけではないんです。一流企業に行きたくても行けないから来るんです。

仮に、優秀な人が来るようなことがあったとしても、そういう人はすぐに自分で会社をつくって独立してしまうか、お客様を連れてほかの会社へ移ってしまうんです。

まあ、そういう後ろ足で砂をかけるようなことをする人ばかりではありませんが、一般的に言ってなかなか居着きません、優秀な人は。

中小企業にずっと居着いて勤めてくれる人というのは、どこか性格がおかしいか、頭がちょっと屈曲していて、仕事への取り組みもチャランポランというトンチンカンで、自分自身、一流企業に行ってもどうせやっていけないと思っている人です。

では、そういう人たちは、どういう理由で中小企業に居着くのかというと、社長の人間的な温かさなんです。人間的な温かさというか、家族的な温かさについて来るわけで、人間関係に温かさが感じられない会社でないと、社員は絶対に居着きません。

これが中小企業の社長の指導力の一番大事なところです。確かに、温かい社長はいっぱいいます。

しかし、温かいだけではダメなんです。人間的な温かみを社員が感じてくれるかどうかが大事で、「うちの社長は温かい人で、優しい人で、自分のことを大事に思ってくれているな。温かみがあって、愛情があるな」と、一人ひとりの社員が、社長の温かみを具体的にいつも感じてくれなかったならば、居着きません。

中小企業の社員は、社長の人間的な温かみを感じるからこそ、居着くのです。

大企業の社員は、会社のネームバリューで入社し、居着きます。

ネームバリューだけでなく、給与体系とか社会的な知名度とかでも居着きます。当然、大企業は福利厚生も整っておりますし、自己実現もしやすいです。

さらに言えば、倒産しにくい。もちろん、大企業でも倒産するケースはありますけれど、その確率は非常に低いです。

しかし、中小企業はすぐ倒産します。いや、しやすいです。

だから、大企業のほうが安定しているし、ネームバリューもあるし、給料もいいし、自分の時間も持てるし、福利厚生もしっかりしています。それに、会社の名前を言うだけで、すぐに理解してもらえます。

「どこに勤めているんですか」

「三菱商事です」

「ああ、あそこですか」と、誰もが知ってくれています。親にとっても、そういう大会社に勤めてくれているほうが安心ですから、優秀な人はみんな大企業を目指していくわけです。

ただし大企業では、誰もが出世を目指しているので、その内部事情はすさまじいばかりに厳しいんです。

半端ではない大企業の厳しさ

前にも言ったかもしれませんが、私たちの会社ではいろいろな会社と取引しております。で、その一つのA社のTという係長さんが、かつて、会社に訪ねてきたことがあるんです。

ちょうどそのとき、私の父が厳しく社員を叱っていたんですが、それを聞いていたTさんは、

「ああ、お宅さんは温かい会社だなあ」

と言って、涙をポロポロ流しながら泣いているんです。

「Tさん、どうしたんですか」

「いやあ、実は昨日、成績が悪いからということで、販売会議において、事業部長にえらくしごかれましてね」

その当時、別のB社は商品X、A社は商品Yというのを売っていたんですが、商品Xは売れているのに商品は思うように売れなかったんです。

それで、「御社に売っていただいているので助かっているんですけれど、この業界は冷えているし、商品Yはなかなか商品Xに勝てないんです。

ノルマがあって頑張っているんですけど、ダメなもんですから、事業部長に厳しくやられるんですよ」と、おっしゃるわけです。

その事業部長さん、私も知っていますけれど、ものすごいやり手で業界では有名な人なんです。ですから、部下に対する指導もめちゃくちゃ厳しいらしい。

「「お前のような成績の悪いやつはただ飯食らいだ、月給ドロボウだ」と、さんざん叱られましてね」

「そうなんですか」

「それで、左手で私の首根っこを押さえ、右手でズボンのベルトを持ちまして、窓から体三分の二まで出して、「お前のような月給ドロボウはここから飛び降りろ、飛び降りろ」と、三十分から四十分間やられましてね。

「勘弁してください、これからはちゃんとやりますから」と言ったんですけれど、なかなか許してもらえなくて・・・・・・。

確かに、成績の上がらない私が悪いんです。しかし、御社は厳しく叱っていますが、なんて温かい会社なんだと思って、感激しておったところなんです」

と言って、涙をポロポロポロポロ流しているんですよ。

それを見て、私たちももらい泣きしちゃいましてね。なんてA社は大変なんだと。私たちも販売会議ではかなり厳しくしているつもりでしたけれど、大企業で厳しくやられている人から見たら、わが社はそんなに温かいところなのかと思って、驚きました。

もっと厳しくしなきゃいかんなと逆に思いましたが、名前の通った大企業に勤めているんだから滅多なことでは社員は辞めないだろう、と考えているから、大企業はものすごく厳しく指導するわけです。

私たちのスタッフで放送局に勤めていた人がいます。

彼は、営業を八年やってディレクターになったんですけど、営業会議で頭を何発殴られたか分からないと言っています。

ノルマが達成できなかったら、「バカ野郎!この野郎!」と、机の上をバンバンと叩かれたり、げんこつで何発も殴られたり、ノートで頭をパコンとやられたり、というのがしょっちゅうらしいです。

やはり、上場している会社は厳しいですね。半端な努力じゃ上場できませんから。

取引をしている会社ではありませんが、とくに商社だったら、C社のような後発組というか、後からずっと伸し上げてきた企業はみんな大変です。

私の大学時代の先輩にC社に入社した人がいますが、その人がOBとして大学にやってきたときの第一声が、「おい、C社に来るなよ。来たら殺されるぞ」でしたからね。

それから、D社に行った一つ上の先輩も、「おーい、D社に来るなよ。来たら殺されるぞ」と、まったく同じことを言っていました。

大企業はどこでも、それくらい厳しいんでしょうね。

外資系企業はどうかと言いますと、やはり大学のときの先輩でE社へ行った人がいます。E社というのは世界で一番大きいICの会社なんですけれど、そこへ大学の先輩が就職したわけです。

で、外資系企業は実力本位で、休みも給料も多いというのを聞いていたんですが、その人が、「君、ウチの会社を見に来ないか。

外資系企業の現実を教えてあげるよ」と、日曜日に会社に連れていってくれたことがあるんです。そうしましたら、どの部屋を見ても、全然休日らしくない。たくさんの社員が出社して働いているんです。

「君は知らないかもしれないけど、業界ではこれが常識なんだ。

外資系企業に勤めていて、日曜祭日に休んだり、出社時間ぎりぎりに出てきたりするような人は一人もいないよ。九時始まりでも、部長とか重役は、だいたい七時半から八時には来ているよ」

彼の部長なんか六時半に出社するんだそうです。部長だけではなく、誰もがみんな会社が始まる一時間、二時間前には出社して、その日の書類から何から全部をビシッと確認してから仕事に就くというんです。そして、夜はだいた十一時から十二時ぐらいまでやっている、と。

「それだけの労働の時間と質と体力。これが確保できて初めて実力が認められ、エリートになっていくんだ。外資系企業で得をするのは女子社員か、出世を諦めた人ぐらいなものなんだよ。

外資系企業はたっぷり休みが取れて、福利厚生も整っていて、それなりに自由があって、建物もきれいで給与体系もいいと言われているけれど、それは出世を諦めた人間か、女子従業員の世界の話なんだよ。

しかし、外資系企業の中で出世しようという人間は、日曜祭日でも休まないし、出社時間通りに出社したりはしない。

そんなことをしていたら勤務評定に影響するし、その程度のやる気と能力しかないと見られてしまうからね。

だから、実力主義の会社ほど恐ろしいものはないよ。年功序列ほど幸せなシステムはないと思うなあ」

その先輩は、しみじみと言っていました。

それから、もう一人E社に行った先輩がいまして、その人は部長にまで出世して重役候補と言われていた人なんですけれど、日本語で話しても八割ぐらいしか日本語の意味が分からないんです。

それで、「先輩、何を言ってるんですか」と、隣の人に通訳してもらったら、「「いやあ、半田君、OB会で会って以来だなあ。久しぶりだなあ。元気にしてるか」って言ってるんですよ」と。

「はあ、元気です」

また、何か話しているんだけど、よく意味が分からないので、「先輩、何を言ってるんですか?」と。

そしたら、「「Eという会社を私にいろいろ紹介してもらって勉強になったか」って言ってるんです」

と。日本人同士が日本語で話をしているんですけれど、その人の日本語の発音は全部ラリルレロのラ行がかかっているので、通訳が要るんです。何ていう日本語だ、そこまで英語を勉強したのか、とつくづく感心させられましたが、ネイティブと同じぐらい英語ができるらしいんです。

もちろん、仕事もよくできて、「あの人、この一年間、一日も休んでいないらしいですよ。土・日は上司やお客様の接待で使ったり、出社して仕事してるんですよ。結果を出さなきゃいけないから、ホント、大変ですよ」と通訳してくれた人が言っておりました。

これが、外資系企業の実力本位の世界で出世していくエリートたち、出世を目指して頑張っている人たちの実態なんです。

出世を諦めた人や女子従業員には確かにいいかもしれないけれど、外資系企業の厳しさは半端ではないんです。

中小企業が人材に恵まれることは絶対にない

では、私たちはどうなんだと考えたら、ちょっとした大学を出て中小企業に来る人たちは、そういう厳しい世界では当然やっていけない。

だから、中小企業に来るんです。親御さんはネームバリューのある一流企業に就職してもらいたいと考えているんでしょうけれど、本人は、そんな激しい競争やしごきのある世界についていけるとは思っていません。やはり、中小企業のほうがいいだろうと考えるわけです。

だから、そういう人たちが求めているのは何かと言えば、人間としての温かさなんです。人間としての温かさ、家族的な安らぎですね。

経営者の温かい人間性に触れて、ここは自分に合ってるな、この会社にいると楽しいな、と感じる。

決してネームバリューではないし、知名度でもない。給料の多さでもないし、会社の安定度でもないわけです。いつ、潰れるか分かりませんからね、中小企業は。

それでもいるのは、社長に人間としての温かさがあるからで、だからこそ、この会社に居着いて頑張ろうと思うわけです。

私がこうやって、何もないところから会社を立ち上げたのは、もちろん、神なる一つの理念に基づいてのことであって、私の会社には志を同じくする人も来ましたけれど、神業とはまったく関係のない人もおります。

しかし、ひとたび仕事の現場に立ったら、神業仲間であろうとなかろうと、そんなことは一切関係なく、徹底的に厳しくやっております。

ときには、「こらーっ!」と怒鳴ることもあります。仕事場は戦場ですから、それはもう当然のことです。

しかし、それ以外のところでは、一緒にご飯を食べに行ったり、一緒に酒を飲んだり、一緒に歌を歌ったりして、その人が抱えている人間関係の悩みや家族の悩み、顔とか頭の悪さの悩み、結婚の悩みなど、対人関係から結婚の問題や健康の問題、生き甲斐とかやり甲斐とかの問題に至るまで、何でも聞くようにしています。

男の子の悩みは、職場における自己実現に関する悩みが多いです。女性の悩みは、対人関係の悩みがほとんどです。

感情が浮いたり沈んだりしますから、女性はそういった悩みを仕事以外のところで時間をつくって、自分の家族のように聞いてあげて、相談に乗ってあげて、解決してあげるわけです。

そうすると、自分の家族と一緒にいるような感覚になれるから、仕事をするのが楽しいし、ずっとこの会社にいたいな、と思うようになるわけです。

職場での人間関係は仕事上の人間関係と割り切ったほうがいいだとか、割り切るべきだなどという考え方がありますが、それは大企業における考え方であって、中小企業の場合は割り切ってはいけないんです。

決してドライに割り切らず、悩んでいる社員がいれば、その人間の悩みや苦しみを聞いて、人間としてのすべてを受け入れて、励ましてあげる。

そして、「みんなの会社だから頑張ろうね」と言ったら、「うん、頑張ります」ということで元気を取り戻すんです。

確かに、お客様という第三者がいるわけですから、他人様の目に見えるところでは厳しく叱ったり、あるいは細かく指導したり、仕事上のこととなったら妥協は許されませんけれど、しかし、それだけで終わってしまったら、家族的な温かさがなく、孤独感を感じるものだから、すぐ辞めていきます、中小企業の社員って人間関係をドライに割り切って仕事に専念したいのだったら、大企業に行ったほうがいいと思います。

しかし、あくまでも、能力と才能で勝負しなければなりません。だから、もしそういう人が中小企業に来たら、もっと自己実現できるところを求めて独立し、いなくなります。

必ずそうなります。ずっと中小企業に居着いてくれる人は、どこか欠陥がある人間です。

しかし、ある程度仕事はできる。全然仕事ができなくても、同じことを十年繰り返ししていたら、必ずやれるようになります。

そのためには、根気と忍耐と寛容さが必要なんですけれど、その前提として求められるのが人間としての温かみ。これに欠けるとやはり、小さなグループの指導力、中小企業の社長の指導力にはならないわけです。

これが、私が培ってきた指導力の一番のポイントです。

何もないところから立ち上げてきた中小企業は、大企業と比べてみて、先がどうなるか分からないし、いつ潰れるか分かりません。

福利厚生もよくないし、労働時間も長いし、誰も知らないような名前だし、何をやってるかも分からない。親もよく分からない。

その中で、何を生き甲斐として生きていくのかというと、やはり、社長の人間的な温かさです。

それを中心とした家族的なつながりがあって初めて、一つの組織としてのまとまりが生まれ、会社が営まれていくんです。あるいは、進歩、向上していくわけです。

だから、中小企業の社長の指導力として第一番目に挙げなければならないのが、人間としての温かさである、と。そう私は言いたいわけです。

それが、何でもかんでも、売上、売上、仕事、仕事と割り切るあまり、家族的なつながりという面が希薄になってしまうと、居心地が悪くなるので、社員は絶対についてこないです。

一人去り、二人去りして、結局、個人の一人営業になってしまいますね。

中小企業の経営者はまず、そのことを自覚しなければいけません。確かに、社長自身は有能でしょう。

有能だからこそ会社をつくったんでしょうけれど、従業員としてやってくる人はやはり、今まで申し上げたような人がほとんどですから、何よりもまず、人間としての温かみを前面に出していかなければなりません。

一人ひとりが非常に有能で、それぞれ社長としてやっていくだけの実力がある人が三人ぐらい集まって会社をつくり、四十何カ所で仕事を進めていくという、新しい中小企業の業態が注目されたりしていますが、それは一般的な中小企業ではないですね。例外中の例外です。

そこの違いを頭に入れないで、仕事、仕事、売上、売上、会社、会社と割り切ってやっていったら、まずうまくいきません。

指導力とは何かと考えても必ず空を切るし、従業員に対して絶えずイライラカリカリするだけです。

その挙げ句に、「ウチには優秀な社員がいない」とか、「私は従業員に恵まれたことがない」などと愚痴をこぼすようになるわけです。

中小企業が従業員に恵まれるなんて、絶対にありません。初めから、そういう人しか来ないんですから、中小企業には。だから必要な指導力は、家族とし面倒を見て、何でも聞いてあげて、温かい人間性を感じさせながら一丸となってやっていく、というものなんです。

そういうアットホームな雰囲気が演出できないと、日本の中小企業の場合は指導力にならないわけです。

普段からそれができていたら、ときどき仕事の面で厳しく注意しても、ほとんど問題ありません。

「そんなことじゃダメじゃないか。ノルマがあるんだから、絶対に達成しないといかんじゃないか」と叱っても、「はい、分かりました」と、素直に聞いてくれるんですけれど、普段がそうでなかったら、厳しく言った途端、プーンと横を向きますよ。

そして、明日になったらいなくなっています。

やはり、普段からお母さんのような温かさが感じられる人には、ときどき厳しく言われても、それは自分のことを思って言ってくれている愛のムチだと受け止めてくれるんですけれど、普段そういうことをしていない人間が言うと、冷たく響いて、さっさといなくなってしまうわけです。

そんな冷たい雰囲気の中でもやっていける人間というのは、やはり自主独立の精神があって、もともと優秀なんです。だから、自分でしっかり勉強して、しっかりと運を開いていって、ちゃんと大企業で頑張って働いている。決して中小企業なんかには来ないです。

それを、自分のところの社員も大企業に勤めている人と同じだと考えている中小企業の社長がいたら、あまりにも己を知らない、あまりにも分を知らない、あまりにも中小企業の社長の指導力の何たるかを知らない、と、私はそう思うわけです。

これが、今日まで私が実践してきた指導力の、一番の根源になっているところです。

演説力を磨け

その次に何が大事かというと、演説の力です。

中小企業は結局、どこまで行ってもマイナーな存在でしかありません。ネームバリューもありませんし、扱っている商品も見たことも聞いたこともないようなものばかりです。

これを開発商品と言います。

それに対して、みんなが知っている商品をナショナルブランドと言います。

パナソニックという製品を出しているナショナルではなくて、国民の誰もが知っている、聞いているという商品。

名前を言うだけで、「ああ、あの商品ですか。あの会社のあれですか」という、これをナショナルブランドと言います。

そのナショナルブランド、誰もが知っているような商品は、基本的に粗利率が低いんです。

それだけ知名度が上がるには、それ相応の宣伝広告費もかけているし、固定費もかかっているので粗利率は低いんです。

一方、見たことも聞いたこともないような開発商品は粗利率が高い。

たとえば、健康機器とか健康食品なんか高いです。ナントカナントカ草とか、大宇宙怒り天ぷら草なんて聞いたことがありませんね。

「大宇宙怒り天ぷら草って何に効くの?」

「実はこれ、肝臓の特効薬なんですよ」

「ほおー」

「だけど、おおっぴらには効能を言えないんですよ。健康食品として売っているんですけれど、肝臓にはよく効くんです」

「ふーん」と、いろいろ説明しなければなりません。

こういう開発商品は、みんな知らないから知ってもらうための労力と説得が要るんですけれど、粗利が高い。

粗利益がある。五割とか六割の粗利があるんです。

ナショナルブランドはみんなが知っていて、商品名を言うだけで「ああ、あれですか」と、すぐに分かってもらえます。商品説明なんか要りません。だけど、粗利が低い。

大きな商社はだいたいナショナルブランドを扱っています。たとえば、三菱商事さんなんかは三菱電機のビーバーエアコンを扱っている。

誰でも知っているようなものを一流商社は扱っているから売りやすい。熾烈な競争があるにはありますが、知名度が高い分、売りやすいですね。

ところが、中小企業の扱う商品は見たことも聞いたこともないようなものですから、それだけの説得材料が要るわけです。

情熱的にいっぱい言葉に出して説明していかないと買ってもらえない。

だから、中小企業の経営者で無口な人はあまりいません。「わが社はこれこれこういう会社で、こんなに素晴らしい
商品を扱っています」などと、熱っぽく語る社長がほとんどです。

ですから、それができないような社長や、熱っぽく積極的に表現できないような社長というのは、指導力がないと考えていいわけです。

「わが社はこれこれこうで」と、自分で言わなければ誰も知らないんですから、熱っぽく売り込んでいき、理解していただき、魅力を知っていただく。そういう意味で結局、情熱的で演説力がある人間が指導者となっていきます。

キューバ革命のカストロなんかは五時間でも六時間でもしゃべり続けています。その情熱とエネルギーに民衆がわーっと浮き立って、その気になっていくわけですが、組織が大きくなっていったり、あるいはお客様の対象が広くなったりしていきますと、演説力というのが大事になってくるのです。

私の場合は、大学のときにESSで英語でのスピーチを研究し、ディスカッションを研究し、ディベートを研究しておりましたので、英語で論理的に考える習慣ができております。

論理的に考えるだけでなくて、起承転結とか、序論本論・結論とか、そういうスピーチの基本が身についていますので、ある程度の演説力はあるのではないかと自負しております。

演説力のある人の話を聞いていると、心が動かされます。それを英語で「ムーブされた」と言います。

「彼のスピーチでムーブされた」などと言いますが、要するに、それまで右に行こうと思っていたのが、その人の話を聞いて左に行く気になった、と。

これ、ムーブされたわけです。動かされたわけです。これがスピーチの魅力、実力です。

私の場合、大学のときに英語でスピーチをする演説力というものを勉強してきたので、どこへ行っても英語で会話ができます。もちろん、通訳できるほど英語ではありませんが、一応、意味の通った話はできます。

魅力あるスピーチとはいかなるものなのか。学生のころからその視点に立っ研究してきましたので、何千人、何万人という大きな組織になっても、それなりに指導力が発揮できていると思っております。

もちろん、組織が大きくなっても、中小企業の社長としての要素は必要ではありますけれど、大勢の人を引っ張っていけるだけの演説の力、講演力、お話の力が不可欠です。

では、そのスピーチの実力とはいかなるものなのか。

それはやはり、話の内容が理路整然としていて、しかも情感がこもっている。

そして、分かりやすい具体例が豊富に盛り込まれていて、「なるほど、そうだな」と、聞き手を納得させるだけのものがある。

その結果、左に行こうと思っていた人がにわかに右に行ってみよう、右に行くべきだという気になってしまう。この講演力、演説力。これが大きな組織を引っ張っていく指導力のベースになっているわけです。

これは政治の世界でも大企業でも同じです。演説と言っても、別に演壇に立ってスピーチするだけが演説ではありません。

取締役会の中での発言も立派な演説ですし、論理性と知性を踏まえた説得力のある発言をすれば、「ああ、なるほど」と、出席者全員の心を動かすことができるはずです。

取締役からさらに社長になっていく人、選ばれてリーダーになっていく人の発言は、おしなべてみな説得力があります。

取締役会の中でも説得力があって、その人の発言内容が最も優れているから議長になり、やがては代表取締役になっていく。

大勢の優れた人の中から選ばれる人は、当然のことながら指導力があるわけですが、そのベースにはやはり、講演力、スピーチの力、それから演説の力、もっと言うならば、説得力があります。

だから選ばれていくわけです。言葉で言わなければ人は分かりませんし、動きません。やはり演説力に秀でた人でないと、指導力があるとは言えません。

勇気のある人間に人はついていく

三番目は勇気です。

人間が温かくて、演説力や講演力もあるんだけども、いざとなったら根性がない、決断ができない、いつも優柔不断でどうやったらいいか分からない、というのでは、指導力としては不十分です。

人はやはり、勇気のある人間についていくわけです。この人と一緒に戦っていって、たとえ死ぬことがあってもそれでいい、と。

それくらいの気持ちにさせたら、指導力としては最高ですが、それにはやはり勇気が必要です。

私が最初に会社を立ち上げたときは従業員が三名で、資本金が五十万円でした。そんな小さな会社からスタートしたのですが、私は創業以来、いつも自分よりも大きな会社に立ち向かってきました。

会社が小さいんだから、お取引する相手は大きくなければいけない。そうでなければ、自分の会社はいつまでたっても小さいままではないか、と。

そう考えて、勇気を奮って大きな会社に飛び込んでいきました。その前提として、どうしたら大きい会社を攻略できるのか、どういう商品を持っていったらいいのか、どういうふうに話を持っていったらいいのか、を絶えず研究しておりました。

自分よりも常に大きなものに向かっていく勇気。それを絶えず失うことのないように努めていたから、従業員も私について来てくれたのではないかと思っております。

ただ温かいだけでなく、ただ演説力があるだけでなく、勇気をもって、「よーし、絶対にあの会社を攻め落とすんだ!」と、自ら先頭に立って飛び込んでいきました。

だから、「私たちも行きます」ということで、みんながついて来てくれたわけです。

大きな組織になればよりそうなんだけども、とくに小さなグループにおけるリーダーシップとは何か、指導力とは何かと考えたら、やはり勇気です。勇気のある人が真の意味での指導者なのです。

よく、「チャレンジ精神を持て」などと言いますが、チャレンジ精神なんていうのはチャレンジしていくだけですから、言葉としてはまだ適切ではない。

「さあ頑張るぞ!!」という勇猛心を持って、自分の会社をより大きくするんだと、大きいものにチャレンジしていく。

一つや二つの失敗に負けるものか、次には必ず成功するんだ、と。そして、さらに勇気を持って立ち向かっていく。

だけど、普段は温かくて、部下の話によく耳を傾ける。

そして、ひとたび話を始めたら理路整然としていて、誰に対しても説得力があり、話を聞いた人がみんなその気になってしまう。

しかも、説得力のある話をするだけでなく、「それ行けーっ!」と、自ら先頭に立って突き進んでいく勇気がある。だから、みんながついて来る。

「この人についていこう」という気持ちにさせる要素は、何と言っても勇気です。

指導力というものの一番大きな構成要素だと思います。

何ものをも恐れぬ勇猛果敢な精神力。荒魂です。荒魂を奮って勇気を持って突き進んでいく人間に、みんながついて来るわけです。

逆に言えば、それほど勇気のある人間が少ない、ということなんです。

とくに中小企業に来るのは、勇気のない人間が多いんです。勇気があって、ドーンと腹の据わった人間なら、どんどん能力が磨かれて優秀になるはずです。

ところが、どこか社会と相容れないとか、どこか社会とうまくやっていけない優しさとか弱さがある。

そういう人間だからなおのこと、勇気を持って突き進んでいく人間に憧れるし、信頼するし、ついて行こうと思うわけです。

指導者にどうであってほしいかと尋ねれば、やはり勇猛果敢であってほしいと答える人が多いはずです。

勇気のある人間にやはりついて行きます。女性だって勇気を持って突き進んでいく人間に痺れるし、男が惚れるのも勇敢な人間です。勇気を持って進んでいく人間にはやはり指導力があります。

では、勇気や根性というものはどうしたら身につくのか。世の中には、もともと勇気と根性のある人っていますよね。けれど、私の場合は信仰心があったから、このまま突き進んでいってたとえ失敗したっていい、そのまま死んでいったって喜びとするところだから、このままぶつかって相手を粉砕していくんだ、と。あるいは、神様の思し召しとあらば、火の中、水の中、山の上でも、海の底でも、どこでも突き進んでいくんだ、と。そう思って、絶えず勇気を鼓舞してきました。

つまり、勇気というものがどこから湧いてきたかというと、私の場合は信仰心から湧いてきたんです。私にとっての度胸というのは、信仰心から湧いてきた。神様がいつも守ってくれているんだ、真心を持って突き進んでいけば、いついかなるときでも神様が守ってくれるんだ、という信仰心と確信がある。

だから、一見したところ危険なようなことでも、一見したところ無謀なようなことでも、一見したところ不安なようなことでも、その信仰心をバネにして、勇気を奮い立たせて飛び込んでいく。

その実行力というものがあるわけで、それがあれば、体力もついてくるし、頭脳もついてくるし、精進努力して勉強しようという努力の心もついてくる。努力も精進も体力も気力も精神力も運もついてくるんです。

勇気を持って突き進んでいくときに、やはり人はついて来るし、社員もついて来るし、お取引先も応援してくれる。神様も仏様も応援してくれる。

人間としての温かさと演説の力、そして勇気というものが三つある人間だったらば、みんな素晴らしい指導者だと思ってついてくるんじゃないでしょうか。

これを、智仁勇兼備していると言います。智と仁と勇。

仁というのは、人間としての温かさです。勇は勇気で、智は頭がいいだけではなくて、人の心を動かすだけの演説力、表現力のことです。「なるほどな「あ」と人が納得できる説得力です。そこには智恵が自ずからあるわけです。

楠木正成公や諸葛孔明は智仁勇兼備した人と言われていますが、人間としての温かさと、みんなを納得させる演説の力、説得力、それから勇気。この三つを備えている人を、智仁勇兼備した人と言うんです。

私の場合は、智も仁も勇もみんな信仰、すなわち、神様の普遍的な愛に基づいております。社員への思いやりも人間としての温かさも信仰に基づいています。

人間としての温かさは信仰から出てきたものです。講演力とか演説力も信仰に基づいています。

大学に入ったとき、父がESSクラブに入らなければ許さんと言うので、これも神様の思し召しだと思って、一生懸命、英語を勉強したわけです。

高校時代も、神の思し召しと思って生徒会の活動をしておりました。生徒会の活動とかクラブの活動でみんなの前に立って、自分の意見を発表するという意見発表力。

これが大学でスピーチを研究して演説力になったわけですが、その前の中学と高校で、クラブ活動とか生徒会活動を通してそれを勉強してきたわけです。

こういう勉強の基礎があったからこそ、いま現在、大勢の人を指導できるわけで、そういう勉強がなかったら不可能だと思います。

私の場合はみんな信仰心・・・・・・神様の思し召し、神なるものの働きや御心を持ってやってきたことによって、自然についてきたわけです。

よ私は別に指導者とは何かとか、指導者になろうとか、指導力をつけようなんて思ったことはありません。

神様の思し召しどおりにお取り次ぎをし、神様の思し召しどおりに生きてきましたし、これからもそうしていこうと思っております。

そして、正しい心で向かっていくなら、紆余曲折があっても、神様がいつもついてくれているから、最後は必ず成功するんだ、うまくいくんだ、と。

それも、みんなの幸せのためなんだと思っているから、それを突き進めてきただけでして、今日こういう自分になったのはその結果です。

信仰を持っている人は多いと思います。けれど、ただ信仰だけあっても、この三つのものに置き換える努力がないと、よき指導者にはならないのではないか、よき指導力に置き換えられないのではないか、と思うわけです。

以上、私の考える指導力のポイントを三つに絞ってお話ししてみました。

むろん、そのほかの要素もあるんでしょうけれど、この三つのポイントが一番重要だと思うわけです。

指導力を与えてくれる神々

ということで、お時間が来たようでございます。

本当は黒板にお書きして、皆さんにお示ししたかったんですけも、どこの神社に行けばいいかということを最後にお話しいたしますと、講演力か演説の神様は猿田彦の神様です。

私も、講演とか演説とかをするときは、いつも猿田彦の神様にお願いしております。

猿田彦の神様は講演、演技、演説の神様だから、猿田彦の神様にお願いすると、すらすらすらすらと言葉が出てきて表現力が豊かになります。猿田彦神社とか椿大神社がそうです。

それから、人間としての温かさというのは、これは出雲大社の神様とか天照大御神様とかありますが、出雲の神様の系統、出雲大社、三輪の神様です。

出雲の大国主が一番人間的な温かさがありますね。人間的な温かさというものを自然に学ばせてくれるのは、出雲の神様です。

最後の勇気、勇猛心。これはどこの神様かというと、やはり熊野の須佐之男尊様。これは根性の神様です。

ひと口に、勇気や根性と言っても、信仰から出てきた勇気、根性が一番ですね。たとえ死んでもいいと思うわけですから、これ以上強いものはありません。

もちろん、キリスト教でも何でも、神様が守ってくれているからということで出てくるんですけど、信仰に基づく勇気、勇猛心が一番強い。

戦いとか武術の中の勇気になってくると、これは香取の神様、鹿島の神様。剣の神様はみんな強いです。

剣は意志の力、勇気を象徴しているからですが、これが忍耐の力になるわけです。勇気のない人間や根性のない人間は熊野に行き、鹿島や香取に行って剣の神様の功徳を受ければ、根性が出てきます

。熱田神宮もそうです。剣の意志の力が弱いから勇気を持って進めないわけ。それをぐっと自分に向けたら忍耐になる。

忍耐の忍の字は刃の心と書きます。だから忍耐。自分の心にグッと刃物を突きつける、意志の力こそが勇気なのです。

意志力というよりも勇気のほうが先です。勇猛果敢に突き進んでいく。これを神道で言えば、神様のおんためなら火の中、水の中、と。

神道以外なら、禅の修行によって大死一番の底ということで、みんな勉強してきました。北条時宗にしましても、誰にしましても、歴史上の武人や政治家や事業家は、禅の修養をすることによって、その気根を磨いてきました。

禅を学んで気根を錬って、突き進むべきときは勇気を持ってぶわっと断行する。

改革を断行する勇気というのは、禅を通した大死一番の底。

大いに死して一番という度胸と思いきりの勇気、腹を練ってきたわけですね。

まあ、禅的な要素と神道的な信仰の二つの要素があったら鬼に金棒ですが、やはり松下幸之助さんにしろ、本田宗一郎さんにしましても、あるいは稲盛和夫さんにしましても、成功してきた事業家というのは多かれ少なかれ、そういう信仰を持っているか、あるいは禅的修行をして無から有を生み出しています。

みんな、無から有を生み出した信仰を持っています。成功した事業家はそういう信仰を持っている人たちばかりです。

信仰を持っている人はたくさんいます。

しかし、そういうところまで練っていないから、ただ信仰だけで終わって、指導力がつかないんです。

肝を練るんだ、肝を。神様のおんためなら火の中、水の中に飛び込んでいくという勇気と根性。そういったものを若いときに学んだ人が、本当のすごい指導力を持っているし、たくましい事業家になっています。

ということで、先ほど挙げた神様が指導力をつけてくださる神様です。この三つの要素をよく頭に入れておいてください。

そのうえで、ご自分をよく省みたら、どこか足りないところがあると思うはずです。三つあったら鬼に金棒です。この三つがなかったら、どんな決断力だとか実行力があったとしても、本当の指導力ではありません。決断と実行さえすればいいわけではありませんからね。

やはり勇気がある人、勇気を感じさせる人でないと誰もついて来ないです。要約すると、この三つが指導力というものの三本柱ではないか。

とくに中小企業の社長の場合、この三つがなかったならば、絶対に成功しないと思います。

ということで、私の指導力の中身が知りたいというご意見がありましたので、 ここに的を絞って今日はお話しいたしました。

どうもありがとうございました。(拍手)

内面から出てくる『カリスマ性』が人・モノ・金を動かす ~平成16年5月25日 ワールドメイト会館~

便利さ、時間をお金で買う時代

「便利さをお金で買う」ということなんですけれど、昔、大学で受けた講義が、「あっ、あのときの講義だ」という感じで、全部、頭の中に再現されます。

広告論だとか、交通経済論だとか、財務論だとか、国際金融論だとか、あのころ読んだ専門書の中身もすらすらとよみがえってきます。

最近のメルマガでも、貨幣論が出てきました。経済学における貨幣論とは、というのは難しいテーマなんですけれど、あれっ、と思いましてね。

一生懸命に学術論文をやっていたので、三十何年か前の講義の内容がよみがえってきます。

昔、「つばめ」という特急列車がありました。当時は、東京-大阪間が八時間で、七、八千円じゃなかったでしょうか、確か。

一万円を切っていましたよね。七、八千円払って、八時間かけて東京大阪間を行き来していたわけですが、やがて新幹線ができまして、東京大阪間を約三時間で行くようになった。

当時、新幹線をつくることは、えらい猛反対がありました。

「そんなに大金をかけてつくったところで、誰が乗るのか。短時間で行けるからって、利用者がいるのか」と。

ところが、実際に新幹線ができたらどうなったかというと、誰もかれも新幹線、新幹線で、本数が足りないぐらいです。

次々、次々と本数を増やしでも、それでもまだ足りません。ほとんどの人が新幹線を利用します。

当時、「つばめ」で七、八千円だったのが、新幹線は一万数千円ですから、その差が約五千円。つまり、新幹線のほうが約五千円高いわけです。

それでも、人々が八時間かかる「つばめ」よりも、三時間で行ける新幹線を選ぶということは、五時間という時間を五千円で買ったということになる。要するに、「時間をお金で買う」ということです。

そのように、交通機関の選択に関しては、時間をお金で買うというふうに定義することができるだろう、というのが、交通経済の考え方の原則になるわけです。

以上のことから言うと、人々は便利さというものをお金で買うわけです。

たとえば、荷物を相手先に送る場合、いちいち自分で運んでいたら時間がかかるし面倒くさい。

けれども、千円なり二千円なりを払えば宅配便で送ってくれる。しかも、わざわざ遠くの集配所に持っていかなくても、近所のコンビニへ行けば受け付けてくれる。

あるいは、銀行に行くのが面倒くさいときでも、コンビニに行けば振り込みもできるし、現金も引き出せる。そうやって人々は、便利さをお金で買っているわけです。

これも交通経済の概念と似たようなものですけれども、人間というのは要するに、便利さをお金で買う。時間をお金で買う。

それから、時間だけでなく快適さもお金で買う。何時間もエコノミー席に座っていたら疲れるけれど、料金を上乗せすればビジネスクラスやファーストクラスの座席で快適な海外の旅を楽しむことができる。

そのように人々は、時間をお金で買い、便利さをお金で買い、快適さをお金で買っているのです。ゆえに、ビジネスが成り立つわけです。

値段が少しぐらい高くても、サービスのいいところを選ぶ人が多いですけれど、それは気持ちよさをお金で買っているわけで、値段が安くても、不便で、不快だったら敬遠しますよね。

しかも、サービスが悪いのに加えて、値段まで高いとなると、人々は不満を持ちます。つまり、快適さ、便利さ、速さ、気持ちのよさというものをお金で買う、お金に換算するわけです。

そういうことを考えたら、命の次に大事なお金を人々がそのように使うことによって、サービス産業は成り立っていくわけで、結局、あらゆるものが経済、ないしは、ビジネスというものに置き換えることができる。

そこに経済性というものが出てくるわけです。

しかし、その交通経済とかこの世の常識のルールから逆行するものもあります。

その逆行するものが何なのかと考えたら、人間の持っている精神性とか内面性ですね。肉体の面では確かにお金に換算できるわけですけれども、内面性とか精神性というものは、そのまったく逆なのです。

ねじれの位置のようなものです。