神前に神なく、場にあり、人にあり、花にある。
愛念を出す練習をされよ。
それが人の心に住む神である。
いつも身なりを正すべし。
ヘアースタイルを高貴で優雅にし、
歩く姿勢、言葉を美しくし、服装を感じ良くするのである。
その身美しく正しければ、それなりの神出で来たる。
良く見せようとせず、
内なる神を良く斎らんとして、その衣服を調えるべし。
精神は大きく持ち、肉体はきれいに整え、
口は喜びで飾りたし。
「すまい」
「す」とは「主」という意味である。
「ま」とは「間」であり、
「い」とは「居」であり、「意」である。
「すまい」とは「主が居る間」であり、
「主の意が間に居る」ところと言える。
これは大変な教えだ。
主の意味が人であれば、雑然としていたり
よく管理がされていないと、
そこには主がなく、
人が住めない荒れた家ということになる。
また、責任をもって家庭を支えたり、家族を養う気概や
精神的なバックボーン(主の意)がなくなると、
そこには心安らぐ「すまい」がないことになる。
そして、「すまい」を主の神の意としてとらえると、
すまいの内には、もっとも高次元の神の意志や教えがあり、
高度な真理の実践があるということになる。
これを体得してはじめて神人合が為される。
すまいにおける実践がなくば、
おろそ
人をも神をも生かしてゆくことはできぬ。
人をも神をも生かさねば、神の御心にあらず。
これが生活というものの使命であり、真義なるべし。
これを疎かにして神人合一の妙得られることなし。
いつも一番大切なことは、
身も心も清らかにし、魂の置き所を
まごころにして人に向かうことである。
心がさもしいと、身なりに表れ、言葉に表れ、
ふるまいに表れる。
心が美しいと、会う人にすばらしい雰囲気を与える。
すずをふると妙なる音がでるように、
言葉に篭る魂にまで注意を払うようになると、
もう修業も堂に入ったと言える。
最もすばらしい時間に
最も尊い物をちょっぴり行う。
これが極上の集中である。
神霊は神界にあり。
そこから分かれ、肉体に魂を宿すのが人(霊止)である。
神人根源は同じ。
太古は一つであったが、
時代が下ることに自ずから分かれてきたのである。
それで、自分という言葉ができている。
また、神と人との間に間ができてしまった。
それで、人間という言葉ができている。
正しいとは一で止まる形であり、
大とは自分一人のことから、
人が一という自分のカベをつき破り、上にのびている形である。
一人であって一人を越え、小さな自分の我をつき破える時、
人間は大という人になる。
まごころはかみよりきたるものなれば
いかにあくなるひとでもなつく
勇気を持って敵をふんさいし、愛をもって締め括れ。
その戦は善へと転じ、吉へと働くなり。
つかまえるということは、取り組むことであり、
はなすというのは、あきらめることである。
つかまえるこつは、ただ先のことは考えず、
やってやってやりまくることであり、
はなすこつは、全部神様におまかせして、
あとの責めを一人で受ける覚悟を決めることである。
行きては考え、考えては行き悩む。
試行錯誤は学問の道。
試行錯誤を恐れるなかれ。
すすまねばしかられ、すすめば行き過ぎるとしかられる。
それで人は、ほどよい我が完成し、
神仏のご加護を正しく受ける人となる。
前へ進むより他に道はない。
後へ退くと見ゆるは、人の慮りなり。
神より見れば、後退と見ゆるもまた進歩なり。
病は気からと謂うけれど、
気の病ほど恐ろしいものはない。
何故なれば、黒が白、白が黒に見えてくるからである。
人生の空しさは
気水の枯れにより来たる
気水の枯れは
雑念の念これ一位
不休の体力これ二位
駄弁の消費これ三位
性交過剰これ四位
食欲乱過これ五位
気熱消耗これ六位
知解低下これ七位
意念衰耗これ八位
業行衰微これ九位なり
一厘を求める人には
無心で愛をむけよ
一厘足らぬをわからぬ人には
真心の言葉で自ら悟らせよ
一厘をくずそうとする奴は
問答無用で雷を落とせ
ああ一厘
人に住む愛、妙と玄
「こういうふうにして、こうなったのである」を
自慢げに言うと天狗がでてくる。
「こういうところを、このようにしたのです」を
自分の知略で成功したかのように言うと、きつねがでてくる。
「このような心でいるのを、自分はこう見たのです」と
相手の腹をいかにも自分の腹で見抜いたかのように言うと、
たぬきがでてくる。
たいへんなことはない。
いつでも楽々と超えて行け。
大切なのは、気を小さく持つか大きく持つかで
大神霊と感合するか、中小の神霊と感合するかが
決まることである。
取り越し苦労は禁物、
おじけづくのが神をとじこめる。
自から向かう姿勢により、人間の器の如何が決まる。
天にあり、また地にひそむ宝、夢心よりなし。
夢心とは天を動かし、地に実りを与える宝なり。
夢心を育てよ。育てて育てて育て続けよ。
夢心に、善き神霊界は動くなり。
ふるさとは山にあり。
山は岡にあり、野にあり、
川にあり、海にある。
山は即ち青山のことなり。
(青山とは清涼な山の神気をたたえる内的境地)
勢力とは
気力の広がりに比例す。
一芸は万芸に通ずるというが、
何が通ずるかといえば、向上意欲であり、
一心に集中することであり、
謙虚に学ぶ姿勢であり、
真剣に事に向かって
無想無念になることである。
また、柔軟に自己を妙の中にもってゆく呼吸と
タイミングを体得することであり、
一切をその瞬間に
忘れ切る心と感性の切り替えを学ぶことである
自在性も、とらわれなきことも、
只今に生きることも、また気をめぐらすことも、
全て一芸にずば抜けるプロセスの中で
修得されるのである。
神の道に生きる学びの者よ。
すべからく中途半端でない一芸をまず体得せよ。
妙適、妙趣、妙境の体得成就は、
おのずからその中にあることを知れ。
神のまにまに生くるとは、独りの修業ができた証
悟ったということで
自分を甘やかしてはだめである。
大悟徹底の人は、ただ黙行の日々を尊ぶ。
あらくれ者をばねて生きる人
優しさよりは気迫まされり
太陽の如き情熱を持て。
一切の魔を打ち砕き、
繁栄と成功をもたらすものは、
ただただ、太陽の如き情熱しかないのである。
人間は、努力よりも精進よりも
気迫と根気が大切であり、愛情が
その毒気をなくしてくれるのである。
恐れを抱かず突き進め
成果とは、そのときよりほかになし
反省は、結実成果のアップ出す
食後の後始末なり
アクの出ずるを恐れ
後始末を嫌って食せずば
人生に実りなく、人命に栄えなし
増長魔を和らげ、無くするものは、
謙譲の二字よりない。
謙(荒魂の忠、奇魂の覚)は、
自分のみが正しいのではない、
このことだけが善なのではない、
この考えだけが適切なのではない、
と常に思える心のゆとりである。
譲(和魂の和、幸魂の優)は、
自分の満足や主張よりは、
他人の満足や気持ちを先に考え、
優先することのできる優しさである。
謙は学問と修養の成果であり、
広い見聞と深い内省や覚悟の賜物であるといえる。
譲は本来しつけの成果であり、
慈悲や愛という、
宗教的な徳育の賜物であるといえる。
この謙譲を修養の糧として
常に大切にしていると、
決して増長魔に陥ることはないのである。
己の意志で全てが決まる。
霊ではない。
人ではない。
環境ではない。
人気が衰える原因の一つに
忘恩の姿勢あり。
報恩の姿勢は感謝より来たる
感謝は虚心を生み
心は柔軟なる思考と
他人への思いやりの心を生む
人生に挫折あり
挫折と思うときなり
人生に向上あり
向上なりと確信して進むときなり
挫折とするか、向上とするか
己の只今の受け取り方
立ち向かい方次第である
焦るなかれ
試練は等分にまくばってあるぞ
ジャンプせよ、ジャンプせよ
ジャンプこそが進歩である
ゆっくりと進むだけでは
本当の進歩ではない
進歩の予備段階である
その予備を備えてこそ
思い切りのいいジャンプができる
そしてジャンプが成功する。
成長よりも、退潮がよいときあり。
人々の目と、心と、評価を気にするくせを改めよ。
真実の伸長は、
成長と退潮の繰り返しの中にあり。
天の心とは如何
新しい事を為して
古き道を蘇らせ
古き事に学びて
新しい道を出すことなり
「天機もらすべからず」
一、あまり気を放散せぬことなり。
一、会話を激しくせぬことなり。
一、ゆっくりしすぎぬことなり。
一、タイミングよく、流れる如く柔軟であることなり。
一、神を逃さぬことなり。
一、精液を乱費せぬことなり。
一、君子その独りを謹み、自慢せぬことなり。
一、宝は時であり、寸暇を惜しんで勉学に励むべきことなり。
一、時節の変わり目を良くとらえ、敏捷に反応して、
一、時代の波に乗ることなり。
一、自然を通して天の時を覚り、行うべきことを識ることなり。
一、大事ないい事は、成就するまで黙っていなければ魔が入ることなり。
一、未来の予言の重要事項は、人が一旦知ると、神様は計画を変えることなり
人よ未来を案ずるな
神とわれゆく安き日の
喜び常に確かめて
心うきたち暮らすべし
よきこと来たりて流れくる
潮の流れもうち変わり
われらの得手の潮流れ
苦労もせずに船漕ぎて
潮が助けて船進む
金比羅、船々、シュラシュシュシュ
潮が助けて船走る
潮は運なり、神の風
添いて助ける印なり
我力で漕げば漕ぐ程に
潮の流れは逆にゆく
心は安く、夢広く、
神に語れる日々送れ。
さすれば何でも物事は、
遅き早きの差はあれど、
一切万事調うぞ。
神やその内にあり
それを見出すもの少なし
神の心を知るものは
人の心も良く知るなり
人里離れて身を修むるは易し、されど効なき業なり。
生ける御魂の修とは、家内の毎日と生業にあり。
何事も主人に対する下僕の如くあれ
いかなる世にも、帝にはならずと思うべし
一人ずつ神の匠に綾取られ
人の型は作られにけり
愛の大きさ誠の深さ
そして祈りの真剣さ
三つ揃わねば、
神の御用は全うできるものではない
自然が神であり、
心の有様が人生を作る佛である。
いかなることも、
その心次第で善にも悪にもなり、
大漁にもしけにもなる。
喜び事か悲しき事か。
それは、心次第で決まる佛様の匙加減。
人々の知らぬ苦労は
神ぞ知る
その苦労をあまり語らぬは
神の好む道なり
天気より変わり易きは人心
変わらずにあれ事々への誠
いかならむ神の御試し受くるとも
夢な忘れそ親心の愛
そですり合いで助けてゆく人は
前世で世話なり恩受けし人
六次元に入るには、心の品が華麗で
やわらかき気高さと
清涼なるものが漂う趣きが必要である。
言葉も心も姿もかくあらねば
すっぽりと六次元に居るとは言えない。
いかなる時も、この精神のあり方を忘れぬように。
全智全能を内にもつ神なり
決して不安をいだくことなし
信じていつも穏やかでいるべし
