神社で奇跡の開運(Vol.2)

第一章 必ず神社で開運できる!

上手な神社選びのポイントを祈願を成功させる拝み方

はじめに

最近、神道が見直されているという。難しい言葉や哲理より、素直なフィーリングを大切にする神道が、現代人によりあっているのかもしれない。

ところで、その神道とは、大きく分けて五つに分類される。皇室神道、神社神道、教派神道、学派神道、民族神道の五つである。

一つ一つの細かい説明は省くが、この本では神社神道を中心にして、語ってみたい。とはいっても、私は学者ではない。

ましてや、代々続く神職の家柄の神主でもない。一社会人として生業をもち、汗水たらして仕事に励む傍ら、二十五年近くも研究し続けてきた実践神道を、生活の中で具体的に生かしている実践神霊家である。

幸い、実践の中で体得した秘訣を著した今までの著書は、「強運」の七十万部を始め、皆、十万部を越えるベストセラーズとなっている。読者のご支援の賜物であると感謝している次第である。

この本も、ある程度の正統の学術と正統の神社神道の基礎をふまえて、一般読者がいかにすれば神社と親しみ、神社のご神霊と肌で交わり、日常生活における悩み事や困難を打開して、見違える程の開運と幸せを遂げることができるか。

私なりに思い切って飛躍するところは飛躍して書いたつもりである。

むろん私にとってはごく当たり前のことではあっても、神社の神職や神道学者にとっては、認め難いものも多々あることと思う。

しかし、一般人のことを考えると、どんな高度な学術研究よりも、あるいは神社から発表される古文献による社史よりも、今の自分の悩みや困難に対して、どの神社が素早く応えてくれるのか、どういうふうにお参りしたら、お蔭が確実に表れてくるのか、また、神々にはどう向かえば、日々幸せな人生を送ることができるのか。

そこが、最も切実に知りたいところではないかと思う。なぜなら私も、そうだったからだ。この「神社で奇跡の開運」は、その一般人の切なる願いに対して、真正面から答えた本である。

文中に書かれてあるその通りに私が認識し、その通りに実践して、何一つとして狂いなく、実効が顕著に表れたものばかりを紹介している。

つまり、学者からも神職からも認め難いところこそが、私の神秘体験の成果であり、この飛躍の部分こそが、神社で開運し、大祈願を成就させるための「奇跡の開運」なのである。

それはさておき、私は合理的な学術面や神社から発表される社史や功徳に関して、決して異論をはさむものではない。

それどころか、神霊界から発せられる神々のご活躍を、正しく表している資料として、大変尊重させていただいている。

ただ、神の道を流布す神霊家としての立場と、事実の奥を神霊的に読みとる目が違うだけなのだ。

いずれにしろ、一人でも多くの方々が、神社というものに対する興味と親しみを持っていただければ幸いである。そして、広く、大きく、惟神の道が弘まり、その啓蒙ができれば無上の喜びとするところだ。

そういう大きな目から見て神社関係の方々の見識にそぐわないところは、どうかご寛恕を賜りたい。

ところで、私はかねがね明治維新の神仏分離は、神社勢力にとってはマイナスだったと思っている。

まず、復古神道の影響により、純一な惟神の道が認識され、天皇制が確固たるものとなって、挙国一致の富国強兵が効を奏したまではよかった。しかし、第二次世界大戦後、国家と切り離された神社は、経済的基盤が不安定となり、人々を教化、教導する魅力が乏しくなった。人々の生活に根ざした神社の存在から、浮き上がった存在へと変貌してきたのである。

神仏習合していた時代は、誕生、結婚、死亡という人生の三つの大事に関して、神社は人々と共にあり、あらゆる悩みに答える教えもあった。

仏教の中でも禅や念仏の要素が悩みを断ち切り、密教の要素が病苦を解決し、願望成就のための具体的で霊的な指針も与えてきたのである。

そしてお墓の存在。今でも神式の葬儀や墓地はあるが、先祖代々の霊をそこにき祀れる墓地は皆無に等しい。だから、どうしてもお寺さんにたよって葬儀して戒名をいただき、そこの墓地に行かざるを得ない。

そして、お彼岸やお盆には、ご先祖の霊に会いに行くためにお寺へ行く。昔はこれも神仏習合した神社へ行っていたのである。

「人は祖に基づき、祖は神に基づく」が日本の祖先観であり、神観の一つである。

お盆も、仏教が入る前から、もともと神道の習慣としてあり、正月とお盆の頃は、「まれ人」という祖先霊や神なる存在がやって来て、子孫の私たちと親しく交わるという習わしがあった。

そこに、仏教の「盂蘭盆会」の説が入って、今日のお盆の習慣ができたのである。思えば、神仏習合してみればこれも神社でできることなのだ。

私は、一度高野山に行ったことがある。いろいろな石塔があったのだが、その中で一番驚いたのは、寄附者の名前入りの塔である。五千万、三千万、二千万とあり、最後に、申し訳なさそうに三百万というのがあった。

そして、そこからちょっと離れたところにある立里荒神社はどうか。弘法大師が月に一度はお参りして、高野山の経営を祈り、困ったときには相談していたというこの神社にも、寄附者の名前があった。

木札に堂々と書かれた寄附額の最高が三十万で、五万、三万が上位にあり、最後に申し訳なさそうに三千円、二千円というのがあった。

読者の皆さん、この金額の差をどう思いますか。桁外れのこの金額の差に対して、私は、言いようもない驚きに襲われた。

「これじゃ、あまりにも神社の神様がおかわいそうだ」と。人々は、やがて自分もお世話になる墓所やご先祖様のためなら、何百万、何千万ものお金も惜しまないのだ。

「その祖先霊の大祖先が神社の神様であり、死後の幽界の道案内をしてくださるのは、鎮守様や産土神様なのに・・・・・・」

神社の神様は親神様だから、それでもいつも微笑んで、私達に限りないご守護を与えてくださっているのである。

本当にもったいなくも有難いことである。「神仏習合さえしていたら、こんなことにはならなかったのに」と痛感したのであった。

ところで、過激な復古神道の担い手だった平田篤胤の思想や、純一神道を求める人々の思想も、それなりに共鳴するし、納得できるものではある。神霊界でも、それが真実の部分である。

しかし、私のように現実に人々の悩みや苦しみや困難というものに直面していると、「なる程、こういう必要性があって神仏が習合したのか」と、思うことしきりである。

将来、この社会における現実的な様相が変わり、人々の心の問題や意識の問題が少なくなるにつれ、四次元の霊界も、暗黒面の仏界も、徐々に消滅の方向に向かっていくのであるが、それはまだ先の先。

当分は、神と仏とが融合して行かねばならない。それは仏教が伝来して以来千五百年近い歳月が流れ、すでに日本という国や民族の文化、精神世界などに、仏教界という霊界が強く根ざしてしまっているからである。

これを無視しては人々の霊の救済はできない。だから、それがより大きな角度から見た神霊界の見地ともなるのだ。

もし、日本の神社の神様が仏様を嫌っているのなら、なぜ、宇佐八幡の神様が神旨を出して聖武天皇の大仏建立を助け、金や銅を国内から産出させたのだろうか。

また、何故、北野天満宮が僧形となって「延命十句観音経」を授けたり、熊野神社の霊告によって、一遍上人が踊り念仏の時宗を全国に広めたのか。思えば、やはり国枠神道や平田篤胤の考えは狭すぎる。

日本の神社の神様は、純一神道であろうが神仏習合であろうが、そんなことはどうでもいいのである。ただただ、人々が幸せであってさえくれればそれでいいのだ。

そして、世の中が少しでも明るく、暮らしよく、進歩発展していけば、それがこよなく愉しい。

こういう、至仁至愛の大御心こそが、正しく日本のご神霊の実体なのである。ここがわからなければ、本当の惟神の道がわかったことにはならない。

これで、私の基本的な考え方がご理解いただけたと思う。私の恩師植松愛子女史は、天界と足下の生活修業を専らとされる方であるが、私がそれらを継承して、さらに神仏習合して発展させているのは、以上のような理由によるのである。

最後に、この「神社で奇跡の開運」を読み、素直に実践して、それでもなお開運力が今ひとつという方には、拙著「大除霊」(たちばな出版刊)を熟読されることをすすめる。

「神社で奇跡の開運」では書けなかった陰の部分の解決策や、霊障を切り抜ける仏教的、儒教的な理が明示してあるので、本書とともに、神仏習合して大開運を遂げられんことを切にお祈り申し上げる。

深見東州

願い事に合わせて神社選びを

神社というのは、どの神様でもある程度はオールマイティーであり、私達の願うことぐらいなら、どんな種類の願い事でもかなえるだけの力は持っている。

だが、その強弱や大小、またご専門の職掌により、霊験の冴えが違うのである。そして、どんなに強く大きなご神霊ではあっても、絶対神ほど完全無欠でオールマイティーな対象はいない。

そもそも神社の神様とは、絶対神のほんの一部を受け持つ顕現神であり、各神様によって発揮される力はまちまちなのである。

霊力が非常に強い神様や、それほどでもない智恵の神様などもいる。縁結びが得意な神様もいれば、トラブルを収拾する能力に長じている神様もいる。

だから、どこの神社に何を祈願するかをまず見きわめることが大事なのだ。自分の願い事にふさわしい神社や神様を選んで祈願すれば、願い事がかなう率は高くなり、功徳も迅速に現れる。これが霊験の冴えというものである。

しかし、どこの神社も、「交通安全」「家内安全」「縁結び」「商売繁盛」のご利益が得られるとPRしているし、「合格祈願」も行っている。

いわゆる神社案内書を見ても、ご神霊の神霊界における職業の内容を詳しく知ることはできない。

これでは、神社ごとに際立ったそれぞれ固有のご利益がわからない。わからなければ正しい霊験あらたかなる祈願はできないことになる。

そこで、私が神霊研究家として各地の神社を神縁に導かれて巡り、神様に接して調べたデータのごく一部を公開することにしよう。特に第三章に詳しいので熟読吟味されたい。

その前に、神社参拝に関して知らなければならない重要な事柄がいくつかある。まず、「遠くの親戚より近くの他人」という諺があるが、神社に関しても「遠くの有名神社よりも近くの産土神社」ということがいえるのである。

どんなに霊験あらたかな神社でも、側近く常住して私たちを守ってくれる土地神であり、鎮守様である産土神が、霊力と功徳の直接効果からいっても、やはり一番頼りになる存在なのである。

身近な鎮守様の神力がいかに強いかを物語る霊験記は数多くあるが、ここでは、紙面の都合上、後に若干解説するだけにとどめる。

また、昨今は氏神と産土神は混同されているが、もともと氏神とは一族が崇敬する神のことであり、産土神はその土地の人々が崇敬する神のことであった。たまたま両者が重複することもあったが、本来の意味の相違は理解していただきたい。

しかし、近年になってこれらを同義として扱うようになった。だから、土地神や氏神崇敬している人々のことを、全て「氏子」と呼んでいるのである。

日常生活の細々としたことは産土神社へ

ところで、産土神社とは、その地域の風土を形成している霊的エネルギーの中心に、私たちが誠を捧げるご神霊のいらっしゃる神床であると思っていただきたい。

だから、昔から鎮守様のお祭りは春と秋とにあり、風土の恵みに対する祈りをこめて、春には早苗をそなえて、一年の豊作を祈り、そして秋には、稲穂をそなえて、その収穫を無事に与えてくださった天地のみ恵みに、神恩感謝するのである。

祭りとは「間均り」であり、神と人との間を切り合わせて一つにすることである。春のお祭りでは豊作を祈願し、秋のお祭りでは天地のみ恵みに対して報恩感謝の意を表す。願うときも、感謝するときも、神様と一つになって楽しく盛り上がるのである。この神人合一の神楽や踊りのとき、お祭りさわぎとなって真に切り合っているのである。だか祭りは、「間切り」で「真切り」となる。

神様をお祭りするというときも、尊ぶというだけでなく、一歩進んで、「間を切り合わせ」「真均り」となるために祭礼を行う、と思った方が、ご神意にかなっているといえよう。

神道の学者の中には、「神に仕えまつる」意味から「まつる」が来たという人もいるが、霊的に解義すれば、これが本当なのである。

神様に対するこの一体感こそが大切なのだ。これはキリスト教に改宗する前の古代ローマ人達の信仰とまったく同じである。

ローマの遺跡に現在でも残っている、パンテオンは、西暦一世紀に建築された建物だが、ローマの人々は、この巨大な石のドームの中で花を供え、食物を供えて飲み、歌い、そして踊った。そうすることが、祖先の霊や神々が喜ばれることであり、その時はいつも共に歌い、歓ぎ、楽しまれるのだと信じられていたのである。

まったく、神道の祭りや直会の思想と基本は同じだといえよう。

だから、「祭り」とは「神人合一するための礼」とお考えいただいた方がよい。拝むだけでは感性に神との距離感があり、楽しく騒ぐだけでは、押れ合いになって礼を失しかねない。

その中庸がいい。節度をもつて大楽に徹すれば、神人和合の妙に心を遊ばせ、一体感の中で我を忘れることができる。幸福感の極致といえる。

こうして、神気につつまれて我を忘れる時、初めて心のとばりを打ち破って、自らの神魂が踊り出るのである。

これが「天の岩戸開き」である。「古事記」のこの有名な段は、幾通りにも解釈が成り立つが、私達の日常に直結した一番わかり易い実例がこれなのである。

世阿弥の能楽論の中にある「狂いの美」も、このことをいっている。この狂おしいばかりに我を忘れて舞い踊る姿に、世阿弥は美を感じ、花を感じ、神を見いだしたのに違いない。

一人ひとりの感性の奥に秘め持っているもの。歓喜と感動と繊細な感性そのものであって、芸術を真に芸術たらしめているもの。それが、私たちの神魂というものであり、観念や、知性という天の岩戸の中に隠れている、天照大御神様なのである。

一遍上人の踊り念仏や能楽の元となった田楽、猿楽、お神楽の類も、みな「優美と三味」の境の中こそに神界があり、幸せと楽の極致があることを示している。

そして、悠久の昔より神人一体となる私たちに幸福境を演じ、そのことを私たちに教え続けているのである。

平素の願い事を何でもお祈りする

ところで、今度は、私達の日常生活の中で産土神社をいかに活用するかを語ってみよう。生後間もない自分を両親がお宮参りに連れて行った神社が、その人の生来の産土神社となるのである。

ここで、「生来の」といったのには理由がある。そもそも産土神社というのは全国規模のテリトリー制になっている。ジャノメミシンやトヨタの販売網とそっくりなのだ。

それで、神だのみや祈願のノウハウからいえば、生来の産土神社には、本当に困ってどうにもならなくなった時に行き、いま住んでいる地域の産土神社には、平素の願い事を何でも率直にお祈りするために行けばいい。

たとえば、関東エリアの総代理店が氷川神社であり、関東における本店直轄の強力キャンペーン部隊の本部が、関東総鎮守の箱根神社だ。

関西ではどうか。関西総代理店は住吉大社であり、本社直轄の資金繰り対策課、及びいざこざ取締本部にあたるのが三輪大社となっている。

ちなみに、関東における新規事業開発本部にあたるのが、長野県一之宮の諏訪大社だ。このように、県別、地域別のテリトリーの分布に合わせて、神霊界のエージェント制が敷かれているのである。

そして、それぞれのエージェントが日本国という単位でとらえたとき、それぞれ固有の役割と特色のある働きをもって、日本国家の守護と繁栄を伺う伊勢神宮のお役割を分掌しておられるのである。ここが、現界の販売網やエージェントと異なる所だ。

たとえば、神奈川地区のエージェントである寒川大社は「方除け」という働きに関しては全国随一である。そして日本国家を会社ととらえるならば、その取締役として、毎年神無月には神集祭という取締役会に出席しておられる。

その席上、「陰陽五行と方位「学」という観点から、日本国の政治や経済事情の予測を行っている。その先見性のするどさから、毎年「神界」という経済雑誌の年末特集号は、発売即日に売り切れているありさまだ。

主幹の御酒陽之介氏によると、「寒川大社さんの”方位”による予測は、出雲大社さんの人脈による政治動向のレポートと合わせて、月刊「神界」の目玉になっています。

最近、落ち目になり気味のわが誌も、この誌面のおかげで、十一月、十二月号は好調です」(日本神済新聞より)という具合だ。ちょっとお話が後半ジョークへ脱線したようだ。元へ戻そう。

このように、産土神社は全国規模のテリトリー制になっているのだが、一体、何を為すためにテリトリーを守っているのだろうか。

結論からいえば、「私達の生活に直接関与して、福徳をさずけ、天命に合った人生を送るべく、人々を導くため」であり、「政治、経済、学問、宗教、芸術、科学など、社会の発展に寄与するべく、あらゆる分野にわたる天才を主の神の命によって世に送り出し、そういう奇魂を立派に育てた上、その人を通して、よりよき理想の社会を築くため」である。

また、「主の神、及び宇宙神、すなわち天津神から来た神徳や神旨を、現実界に適用させるために一旦太陽神界にて過不足なきようチェックされる。

それを、この現実界という次元界に顕現させるため」なのである。さらにもう一つつけ加えておくならば、「日本という国の霊威と国運を昂揚させるため」にいらっしゃるのである。

こたとえていえば、かつてのバレーボールの日本代表チームが、プレーが円滑にいくようにおのおののポジションを決め、一丸となってオリンピックで金メダルを取ろうという目標で、強化訓練に励んだとする。

その際、「鬼の大松監督」のような存在が国常立之尊様であり、チームのオーナーにあたるのが天照大御神(伊勢神宮)であり、オーナー会社の太古における創業者会長が、白山菊理姫様(白山比咩神社)なのである。

なぜそうなのかは、各神社のご祭神の神界における蔭のお働きを説明しなければならない。それは私の前著を通読していただければ、この三神に関してはだいぶご理解いただけることと思う。

また、本書の第三章ではその他の神々に関しても、かなり詳しく述べたつもりである。それでもまだ未発表の詳しい解説は、今後の著作において発表させていただくつもりである。

ところで、最初に「私達」の生活に直接関与して、福徳を授け、天命に合った人生を送るべく人々を導くと申し上げたが、もっとより具体的にいえば、私たちの人生の重要な節目に当たる「出産、入学、就職、結婚、死亡」の五つに関して、特に産土神がお働きになるのである。

その事柄に関する専門の神様もいらっしゃるが、産土神とは直接的にそれらのために働いてくださる神界の窓口であり、デパートの外商の担当係のような神様だ。

その神様に頼めば、神界デパートから何でも揃えてくださる。また、流通の形態から申し上げれば、いわば、コンビニエンスストアのような存在だ。二十四時間営業していて、生活に必要なものは、だいたいすぐにそこで揃う。

ところが、そこが品揃えの悪いつぶれそうなコンビニエンスストアであったり、もっと高級な品物が欲しかったりで、特別な一品特に欲するような時は、私達は専門店に行く。

ちょうどそんな感じで、その事柄の専門の神様にお参りをすればいいだろう。

十九歳あぶさしのお話

ところで、ここで産土神に関する面白いお話をしよう。「十九歳あぶさし」というお話である。

一九歳という年齢は、もう少し年が経っていたのかもしれない・・・・・・。詳しい年齢は失念した。

さて、とある田舎での出来事である。ある男が、夜に外で酔いつぶれて家路につくことができなくなった。

そこで、そのあたりにある鎮守様のお社の内に入り、夜露をしのぐためにそこへ泊ろうとした。

真黒な闇の中、手さぐりで扉をあけて中に入ったのであるが、拝殿やら神楽殿やら見当がつかぬまま、そこに腰をおろして深い眠りについたの である。すると夜明けに近い頃であったろうか、拝殿の扉をトントンとたたく音がする。

その男は「な、な、なんだ。こんな時刻に・・・・・・。ふあー、ねむい。誰だか知らんが勝手にしろい……。ムニャムニャ・・・・・・」という具合に、起きるでもなく寝るでもないという状態で、しばらくまどろんでいた。

ややあって、扉の向こうから、静かでおごそかな声がしたのである。

「この村の四ツ木通り三丁目二番地に住む丸山角衛門に、今朝長男が生まれました」という内容であった。すると、その声に答えてもっと清らかで威厳のある声がした。

「ご苦労であった。その子は十九歳あぶさし」

先程の声がまた聞こえてきた。「わかりました」

それだけ答えて、その後は、なんの声もしなくなってしまった。

男は思った。

「何だ今のは夢か…錯覚か…それにしても・・・・・・、四ツ木通りの角衛門といえば、わしの幼なじみのあの大工の角さんじゃないか。そういえば、女房が妊娠して臨月が近いって言っていたなあ……。へえー…長男が生まれたのか。それにしても、誰がこんな時刻に神社に来て報告したのだ?それに十九歳あぶさし”って一体何のことだ……。わからん。寝ぼけて夢でも見ていたのかなあ……」

こうして、男は朝になるとねむそうな目をこすりながら家路についた。

はたせるかな、その日、男がもしやと思って角衛門を訪ねてみると、玉のような男の子が生まれていたのである。

「十九歳あぶさし?」。いったいあれはどういうことだったのか。男はあの夜の不思議な出来事のいきさつを思えば思うほど、深く考え込まざるを得なかった。

「はてさて、不思議なことが世の中にはあるものじゃて……」

やがてそんな事も忘れ果て、あれよあれよという間に十九年の歳月が流れ、その男はひたすら仕事に励んでいた。

十九年前、玉のような男の子として誕生した角衛門の長男は、源太郎という名にふさわしく、丈夫で逞しい青年に育っていた。

大工の子として真面目に仕事に励む源太郎。今、十九歳の春である。

そんなある日、源太郎は建築中の家の屋根を仕上げようと、梯子に足をかけて懸命に工事に専念していた。

そこへ、一匹のあぶが飛んできて、源太郎の首のまわりをブンブンと飛び回ったのだ。

「エエイ、うるさいなあ」。源太郎は手であぶを払おうとするが、なかなか去って行かない。そうこうしている内に、とうとうあぶは源太郎の首を刺してしまったのである。

「痛い!」。思わずそう叫んで首を押さえた源太郎は、体のバランスを崩して梯子の最上段からまっさかさまに落ちてしまった。

運悪く頭から落ちた源太郎は、その場で即死したのである。

工事現場は突然の事故のために大騒ぎとなった。

その騒ぎを聞き知ったくだんの男、「なに、源太郎があぶに刺されて梯子から落ちて死んだって・・・・・・」と、驚いて言う自分の言葉に再び驚きの声をあげた。

「あっ、十九歳あぶさし・・・・・・。こ、こ、この事だったのかあ・・・・・・」

その時、十九年前に起きた不思議な夜の出来事が、今に思い出されて身の凍る思いが「あ、あ、あれはなんだったのだ……ぴったりとすべてが当たってしまった」ぼう然と立ちすくむ男に、春風がやけに清々しく訪れて、鎮守の森の方へと去って行った。

物語はこれで終わりである。

私たちを陰で助けてくれる産土神

泉鏡花の作品のような、この不思議な話。読者はどう思われたであろうか。これが産土神の働きを端的に物語っている話なのである。

鎮守様に報告をしていた低い声の持ち主は、源太郎の守護霊様である。

それに答えた威厳のある声が、鎮守様である産土神なのだ。

このように産土神とは、人間の御魂を神霊界から運んでくるこうのとりの役をなさる。そしてその人の一生涯の運命を知っていて、守護神や守護霊にご指示をなさるお役がある。

前述した「誕生」に関してのお働きとは、こういう具合になさるのである。

私達を守る守護霊の上には守護神様がいらっしゃるが、この守護神様とは、産土神の仲介によって定まることになっている。

それは、ちょうど人材派遣センターから人が来る場合に、その職場に適切な人を選んでくれて、初めに会社を訪れる時などに、係りの人が付き添いで同行してくださるようなものだ。

産土神のお働きとは、このように神秘霊妙で、一般の人々の与り知らないことがほとんどである。

また、霊力に関して申し上げれば、その土地の風土を培っている霊的エネルギーの代表であることから、風を起こす龍神、雨を降らす龍神をはじめ、植物や動物、特に湧き水などを育み守る白蛇、そして、稲荷や天狗などのご眷属を多数従えていらっしゃる場合が多く、それによって強い霊的なパワーを発揮されるのである。

そもそもご神霊の霊力とは、主神の神権を授かって働かれる時以外は、大体ご眷属の種類と絶対量によって決まる。

そして、このような自然風土を司る、ご眷属を従えている産土神は、「体を健康にす霊力」、「現実界の行き塞りを打開する霊力」、「家庭内の問題を解消する霊力」などに関しては、絶大なるものがある。

特に「病気治し」とは、繊細華麗なる極徴のご神霊のなさるお仕事ではない。

肉体という、物質次元に近い霊的存在でなければ、十分にそれらを治癒し得ないものなのだ。

霊波や神波動で病気を治すという類いも、白蛇や白龍などの次元に降りてきた宇宙波動のことである。

本当の高級なる宇宙波動とは、肉体を超え、芸術的な感性や深い感動の神感を与えるものであり、主に微妙な神智や叡智をもたらすものなのである。最近私 35 がほとんど病気治しをやらなくなったのはその為だ。

病気治しのみの次元にいたら、繊細微妙で優美深遠なる高級神界との交流が、知らない間に閉ざされてしまう。

やはり、肉体の病気よりは心の病気、心の病気よりは御魂の病気を治す方が、人間の永続的なる幸福に寄与することができる。

と、平成元年までは「病気治し」や「秘法」の類いはなるべく控え目にしていたのである。だが、平成元年を期してこれは変わった。

思えば平成元年とは、西暦にすれは一九八九年。それからの十年とは一九九九年に至るまでの十年である。一九九九年。

それは、あのノストラダムスが人類滅亡の年として予言した年である。実は、巷でいわれているような危機はないにしろ、それに劣らないだけの困難や問題が吹き出てくることは間違いない。ジリジリジリジリと私たちは神様に追い込まれて行くのである。

詳細なる記述は控えるが、そういう訳で、とにかくこの時代を雄々しく乗り切って行かねばならない時期に突入したわけである。

だから、高級神界や御魂の世界だけ、というわけには行かなくなった。現世を雄々しく生き抜く、ご眷属のパワーも必要となって来たのである。

それで、本質的な道を失することなく「病気治し」や「秘法」の類いも行い、人が、正しい人生観に基づく生き様を貫き、さらに霊力とこの世を生き抜く妙智をも身に付けるべく、霊的な実修教育にも重きをなすようになったのである。

思えば、もう何年も前からの疑問があった。恩師植松愛子先生は高級神界と日常生活のうるわしき生き方を専門にされ、私は、それらを継承しながらも、どうしてまあ、こんなに救霊、秘法、神通力、出版、芸術、社会福祉とめまぐるしく追い立てられるのか。

特に、次から次へと神通力、霊力を磨かされるのか。高級神界の道とは矛盾するのではないか。と、神様に問い続けてきたものである。

そんな時、きまって「神様の道とはオールマイティーでなければならぬ。全てを為し得る人でなければ、本当の神人とはいえない。

いまは控えていても、やがて、世の中が二進も三進も行かなくなった時、この神通力が世を救い、人々に勇気と希望を与える時が来る。疑わずに励め。神々は皆、応援しているぞ」という答えが返って来た。

そして、その時が来たのである。昭和天皇が崩御され、平成と年号が変わる直前、妙と神仙の道を前に出して、今後十年を乗り切れとの神旨があった。

それは、昭和という時代の最後の大晦日に行った伊勢神宮団体参拝の時である。私たちは、伊勢神宮の式年遷宮に際し、なんとか協力させていただこうという発願をしていた。

伊勢はすべての産土神の総元締めであり、皇室の奥の院であり、国運隆昌の要であるからだ。神仕組の要は、現在白山が取り仕切っているが、依然、国家の要、日本民族の魂の光明であることには変わりない。

そこで、目標額を大きく上回る、奉賛が達成できたのだ。今年も行うので、読者の皆様も、是非、ご協力を願いたい。

そして、うれしさのあまり、伊勢大神様に何時間もひざを折ってご報告を申し上げた。その時、これからの日本と世界の政治、経済の行く末や、ご神計の方向性をつぶさに知らされて、いよいよ本格的な神力や霊力を会員、社会のために打ち出す天機を知った。

むろん、神計のあらましに関しては、神界からずっと以前に知らされていたのではあるが、この砌に神機が円熟したのである、それから七日後、昭和天皇が崩御された。平成時代の幕開けである。艱難辛苦を越えて、希望と真実の繁栄を日本が勝ち取る時代が来たのだ。

願いがかなう祈願の仕方にはいくつかのポイントがある

願いがかなうノウハウのポイント

願いがかなう祈願の仕方にはいくつかのポイントがある。

それは、誠を示すためのポイントであるといっていい。

神社の神様に願いを聞いていただこうと思ったら、商売を成功させる時の「誠意であたる」のと同じような事を行えばよい。それには、いくつかのポイントがある。

一つは、担当窓口としょっちゅう会ってコミュニケーションを深めておくこと。さらには、直接社長に会って顔見知りになっておく。もう鬼に金棒である。

また上司にあたる課長や部長に口添えしてもらうと、担当の窓口はさらに一生懸命になって取引を円滑に進めてくれる。

むろん、あまり頭ごしに上司に会うと、窓口の担当者も決して気分の良いものではない。人によっては、いじわるをして取引の邪魔をすることもある。

だから、あくまで基本は窓口の担当者を大切にすることだ。こうして、その上司にあたる決定権のある人にもパイプを太くしておくと、社内稟議を要することがあっても、すぐにOKの印鑑がもらえる。

また、こんな時に、社長からひと言あれば、課長や部長も一生懸命になり、担当者はさらに必死になってくれるので、取引は一層スムーズに運ぶだろう。

神社に大祈願するのも同じことだ。窓口の担当にあたるのがあなたの近所、または生まれた土地にある産土神社。課長や部長に相当するのが全国七十余カ所にある一之宮であり、社長にあたるのが伊勢神宮ということになる。

社長とだけ顔見知りでも、現場レベルでのコミュニケーションがなければ、取引はうまくいかないし、現場レベルだけ大事にしても、社長や部長、事業部長などのお墨付きがなければ、時間がかかって素早く願い通りに事が運ぶとは言えない。両者を並行して進めることが大切なのだ。

これが、会社から仕事をいただくときの営業マンの心得帖のポイントだ。

だから、これと同じように、全国の神社の総元締めだからといって、伊勢神宮だけにお参りをしてもダメである。最寄りの産土神社によくお参りし、ちょっとした日常の大事に関しても、それを、細々とご相談して報告されるとよい。事柄の大きさにより、一之宮にも大祈願するとよいだろう。

月一回とか半年に一回、最低でも、年に一回はお参りしておくことだ。

もちろん、人生の進路を決定するような時こそ、伊勢神宮に大祈願をすることだ。

次に頻度であるが、前述の担当窓口の例でもわかるように、最も足繁く行くのは最寄りの産土神であり、次に一之宮となり、その次が伊勢神宮となる。

ちなみに、毎月一日と十五日は、神様の方がその気でお待ちになっている時だから、同じ行くのならば、この日を選んで行った方が得だ。

私も何度となく実験したが、普段行く日に比べると、一・三倍ぐらい増量されたご神徳がいただけるようだ。

ところで頻度の話に戻るが、最寄りの産土神社には、毎日出勤前か帰宅の途中で参拝するのを日課にしている人がいる。

この毎日というのが理想だが、現実にはそうもいくまい。やはり、一日か十五日の、月一回参りか、二回参れば良い方であろう。

むろん、一日や十五日にこだわることはない。むしろ切なる思いが募った時、情熱をかたむけて行った方がご神霊は強く反応なされる。

なるべく多目に、できるかぎり一日十五日を選び、せっぱつまった時には、迷わずさっと行って熱誠祈願をする。こう考えたらいいだろう。

そして次は一之宮。本来なら月に一度はお参りしたいもの。しかし、事情が許さないなら、三か月に一度か五か月に一度だっていい。

だが、できれば最低年に一度は行っておくべきだ。神社の神様は本来強制を嫌うので、自分で決めて行うしかない。この数値は、私の体験から割り出した適性頻度である。読者のご参考にしていただきたい。

お伊勢さまには三年に一度

そしてお伊勢さまだが、これも同様にお考えいただきたいが、一之宮よりは少し頻度が少なくてもよい。

年に一度が望ましいところだが、最低三年に一度は行っていただきたい。ところで、お伊勢参りは昔から、正五九といって、一月か、五月か、九月に行くと良いといわれている。

本当にそうかと思って実験したが、やはり通説は正しかった。伊勢の神様がその気になって待っておられる月であった。それは間違いない。

だが、一体なぜそうなるのだ。何でも真相を確かめずにはいられない私だ。その根拠をいろいろ文献で探したが、結局見当らない。それで仕方なく伝家の宝刀を抜いた。伊勢の神様に直接お聞きしたのである。

これは私にとって、テレビの「遠山の金さん」が「この桜吹雪が目にへえらねえ!か」とやるのと同じ。

つまり、知性と努力の最大限を尽して、それでも謎が解けない限界が来た時、もろ肌ぬいで、桜吹雪をやるのである。

テレビでは、必ずこのシーンですべてが解決するが、私もそうありたいと願うので、努力の限りの後に至誠の塊となって祈る。

こうして伊勢神宮に坐す天照大御神様に直接お聞きしたのである。このあたりが、学者さんの書く本には見られない箇所である。

だが、学者さんが書く本の方が信頼できていいという方には、ここから先は、別に信じていただかなくても結構。そのかわり、お蔭も大してありませんから(皮肉)。

とにかく、そのお返事を紹介しよう。

一月に行けば特に宜しいという理由。

「一とは唯一なり、統合なり、太初なり、根源なり、中心なり、最高崇貴の意なり、故に天照坐皇大御神具現の数徳を有する月なり。

この月にこそ己れを正せ。正すとは、一に止まりて正となす。一年の道を調える祈りを為して来たれ」というもの。

五月に行けば特に宜しいという理由。

「五は一切の働きを統べる働きにして、天照大御神の五徳を表す意なり。一、皇徳一、命徳一、広徳一、伸徳一、全徳の五徳足なり。

勇躍の陽気ありて、弥広く正しき心でこの月は参り来たれ」というもの。

九月に行けば特に宜しいという理由。

「九こそは陽成れる神威の極みなり。陰に入る始めにしてよき努力を成らせ、悪しき難事に備えするなり。わが心を収めよ。この月は道くくりわが身を正して理智の明ふやす心で来たれ」というもの。

どうやら、一・五・九という数霊に意味があるらしい。しかしこれも先程の一日、十五日と同じように、そんなにこだわることはない。

切に思い立ったその時が、あなたにとって最良の赤誠を輝かす時なのだから。こういう論理明解なご神旨は、外宮の神様より授かるのだが、鎌倉末期に外宮を中心に興った度会神道、「神道五部書」をはじめとする書の啓蒙により、反本地垂迹説(日本の神様が本で、佛様に化身垂迹する説を積極的に唱えた)が生まれた。

これが発端となって、後に北畠親房の「神皇正統記」や、それ以後の吉田神道、垂加神道、吉川神道という学派神道の流れを作ったのである。

思うに「神皇正統記」の神国思想や、度会神道でしばしば引用された「五行大義」という書の中身も、理で神の道や法則を説明するものである。

この「一、五、九」の説明のご神旨も、「五行大義」や「太玄経」の中身を、外宮の神様が語っておられるようでもある。

いや、そうではあるまい。逆に、内宮に比べて外宮の祭神は、理と律と覚と仙と玄の徳に特色がある神様なので、度会神道の創始者、度会家行に神がかり、彼の智識と理とを借りて、その神徳を顕されたのに違いない。

要するに、度会家行は私のような存在だったのである。単なる内宮との勢力争いのためだけに、あれだけのことをしたとは思えない。

ところで、先程、伊勢神宮と最寄りの産土神社とは併用することが大切だと書いたが、このことについてもう少し詳しく述べてみよう。

結論からいえば、神社の神様とは、平素なにも問題のない時には、ビタミンのような存在であり、なにか悩み事や問題がある時には、風邪薬のような存在だと思えばいい。

なにっ、ビタミンと風邪薬?ビタミンは元気さとパワーを補強し、風邪薬は、苦しみ
と痛みを取り去ってくれる。そこが神社の神様とそっくりなのである。

ところで、読者の皆様は、ビタミンをどのようにして飲まれるのだろうか。カルシウムだけ、ビタミンEだけという人もいるかも知れないが、やはり、運勢というビタミンが総合的に欠乏している人にとっての、正しいビタミンの摂り方は、市販されている総合ビタミン剤を飲むことである。

むろん、漢方薬が好きな方は、そういった種類のものを飲んでもいい。しかる後に、特にカルシウムが欠乏している人、ビタミンCが欠乏している人、ビタミンB1が欠乏している人というふうに、特に足りないところを補えば、てきめんにビタミン剤が効いたという自覚があるはずである。

神社の神様も、基本的にはこれと同じような形で、運勢のビタミンである神徳をいただけばよいわけだ。

つまり、総合ビタミン剤とは伊勢神宮の天照大御神様であり、カルシウムだけ抜群に含まれているとか、ビタミンCに関しては最も良いとされるビタミン剤とは、後述する三輪大社(資金繰りに関しては日本一)、諏訪大社(無から有を生む、創業するという事に関しては日本一)、金刀比羅宮(交通安全に関しては日本一)という、日本を代表するスペシャリティを持たれる神々のことである。

この二つを併用することによって、神社の神様に対する大祈願が「てきめんに効いた」というお蔭となって、運勢の上に現れ、神様の功徳というものをはっきりと自覚できるようになる。

もちろん、運勢が風邪をひいて、苦しくて困った時も同様だ。

まず、伊勢神宮という「ベンザ」や「ルル」や「コルゲンコーワ」のような総合風邪薬を飲み、しかる後に、鼻みずだけ、発熱だけ、またノドやせきなどに特効のある薬を併用して飲めば、「てきめんに効いた」と自覚できる程風邪が治るのである。特殊な特効薬だけ、総合風邪薬だけでは効果は弱い。

では、先程、最寄りの産土神社に最も足繁く参るのがよいと言ったが、そのこととの関連は?と問い直したくなる読者もいることだろう。

お答えしよう。最寄りの産土神社とは、ビタミンで例えるならば、「肉と野菜が程よくバランスがとれた、自然のビタミンやミネラル類が豊富に入っているおいしい食事だ」と思っていただきたい。

すべてのビタミンが錠剤ではなく自然な食生活の中で摂れている理想の状態なのだ。

これこそが、ころばぬ先の杖となって、私たちの健康と仕事と人生全般に対して、知らず知らずの内に幸福と幸運を導いてくれているものなのである。

だから、最寄りの産土神社のお参りでは、「日頃の幸福と平穏無事を感謝するお祈り」から始めるべきである。

また、風邪薬の例えで言うならば、最寄りの産土神社とは「エピオス」のような存在である。風邪をひかない丈夫な身体にするべく、私達の体質改善をしてくださるのだ。

最寄りの神社と連絡網

次に、最寄りの産土神社と一之宮などの神社とは、どのように連絡を取り合っているのかについて述べてみよう。

例えて言えば、会社組織では、担当窓口課長部長社長という具合に連絡が上がって行くが、神社でもこれと同じで、最寄りの神社から天照大御神、主神へと連絡が上がって行く。

また逆に、天界の主神から命令が下がって来る時は小学校の頃に学校であった「連絡網」のように、上から末端の神社までサッと命令と意志が連絡されるのである。

また、これも詳しく後述するが、年に一度の神無月における神集祭には、一之宮クラスの神々が、天照大御神の元に参集して会議を行う。

会社でいえば取締役会である。このように、神様同士の連絡は命令系統がはっきりしており、礼をもって、絶えず密接に行われているのである。まるで、完成度の高い運営を誇る一流会社のようだ。

ところで、神様はどの神様でもある程度はオールマイティーだが、やはり位が上がるほど霊力は強い。それだけ強い神権を委ねられているからである。これも、会社組織と同じだと思えばわかり易い。

一之宮というのは地域の総エージェンシーであり、その地域のことならほとんどカバしている。最寄りの産土神社で手に余ることがあったら、最寄りの産土神社から位が上になる一之宮へと連絡が行き、それに応じて手段を講じてくれている。

もちろん、これらは私たちが感知できない所で為されているのである。だから、時折、一之宮にお参りすれば、「おお、近くの産土神から報告を聞いておるぞ。わしも大いに加勢しようぞ」というように功徳が補強されて確実に願いがかなうわけだ。

一之宮と伊勢神宮の関係も、これと同じだと思えばいい。

神社はどうしてできたのか

神社とは何であるのかと聞けば、「神様の住居」と答える人が多いだろう。私たち人間から見れば、屋根のある建て物は雨露をしのぎ、寒暖に耐えるものだが、神様から見ればまったく違った感じのものとなる。

神社の神様は、高貴で次元の高い霊的存在であり、肉体を持たない存在であるから、暑さや寒さ、雨や雪をしのぐために、是非木製の家に住みたいと願っておられる訳ではない。

では何のために、木製のお社を作ってそこにご神霊をお祀りするのか。むろん、私たち人間のためにである。

ちなみに太古に創建された伊勢神宮とは、もともと三種の神器を安置するためにできたものであった。神器のご神鏡には、むろんご神霊がお宿りになっており、それを安置しておく建物にも当然ご神霊の神気が張っている。

しかし、一般のそれぞれの地方にある神社は成り立ちが違っている。

一番古い形について述べてみよう。往古、人々は山、岩、木といった特定の場所に神が降臨されたり、お宿りになっていると考えた。

そこを、みだりに入ってはいけない禁3 足の場所にしたのである。

そして、その場所にご神霊が降臨していただくために磐境を作った。磐境とは岩石で囲んだ霊域であり、それがそのままご神体となることもあった。

人々はこうして特定な日だけでなく、そこにご神霊が毎日おりるようにと熱心に拝むようになった。これが神社の起源となったのである。このパターンの代表例が三輪大社である。

建物は、神職や参詣者が雨の日でも風の日でもお祭りや祈願ができるように、便宜的に作られたものにすぎない。

次が神籬。神霊が宿っている場所に常磐木を植え、玉垣を結った(垣で囲んだ)。それが進んで、筵の上に八脚の台を置き、台の上に榊を飾り、周囲をしめ縄で囲うという形ができ上がってきたのである。

この方が移動に便利であり、神武天皇や日本武尊などは、東征や征伐の旅の途上、しばしばこの移動式神籬を立ててご神霊を招かれた。その歴史的な場所が後世有名な神社となったケースも多い。

ところで、榊やしめ縄には垂が取りつけてある。垂というのは、紙を切って下げるお飾りだ。神前におそなえする玉串(榊の小枝)にも付けられているので、ご存じのことだろう。

あれは、本来ご神霊の衣裳を表しているものなのである。

そして、ご神霊に来ていただくように垂は衣裳、吊り下げてある鏡はご神魂を表し、この神籬を憑代として人々は祭式を行ったのである。そして、これをいつでも拝めるように、建物を建ててお鏡等を常時斎き祀ったのが神社なのである。

だから、神社とは神と人間とが一体となる場所であり、神様の住居という考え方は正しくない。

だが、厳密にいえば、その神社の屋根やご神木、また池や森などには、ご眷属の蛇や龍や稲荷などが住んでいることが多い。

そして、長い間人々が真心をこめて祈続けた神社には、ご神霊が往ったり来たりせずに、常住するようになった所も多いのである。

祈願もセレモニーが大事

どこの神社でもだいたい同じだが、鳥居があって石畳の参道があり、玉砂利の庭の境内がある。

そして、植え込みや木々が繁っていて、お社は木造の清々しい造りとなって、また、お神楽があり、灯明があったりして、私たちがおごそかで改まった気分となり、真心を込めて祈りやすいような雰囲気作りをしている。

このように神社というのは、私たちがご神霊に対して祈りやすいよう、一体感を持ちやすいようにうまく設計されているのだ。

だから、単なる形式にすぎないではないかと、バカにしてはいけない。結婚式でも式次第があって、仲人が、「新郎は優秀な成績で、新婦は才媛で・・・・・・」と決まりきったあいさつをするが、それが、一生に一度しかない結婚式なのだという改まった気分にしてくれるものだ。

お葬式でも、荘厳なお経が流れて香がたち込め、喪主が涙ながらにあいさつし、霊柩車が焼場に去って行く時、私たちは、「ほんとうに今生の別れなのだなあ」としみじみ思うのである。

こうした形式、セレモニーというのは、その気持ちになるためには欠かせないものだ。

それを孔子は、「詩に興り、礼に立ちて、楽に成る」と表現した。教養というものを、こうして定義したのである。詩とはポエムのこと。人間の高貴な心や感情があふれると、それはポエムになる。

思わず詩に書いてみたくなる人間の情感の美しきもの、良きもの、すばらしきものであるはずだ。

だから、他人の書いた詩を理解するということは、自分以外の人の持つ、高貴で豊かな情感を解することができるということだ。それで、これを理解することが教養の始まりとなる訳である。

ところで、人間の営みの中で飲むたった一杯のお茶にも、それなりの美しい飲み方が人間の誕生を喜ぶ喜び方にも、また美しい喜び方があり、結婚を祝う祝い方にも、人間の死を悲しむ悲しみ方にも、それぞれの美しいあり方というものがあるのである。

それこそが礼の本来の意味であり、これができて、初めて人としての教養が立つのである。これが「礼に立ちて」という意味である。

そして、最終的には楽で締めくくる。楽とは音楽であり楽しさである。音楽とは打楽器弦楽器などといろいろな楽器の組み合わせによって、一つの音楽を作り上げるものである。

つまり調和の美なのだ。これが「楽に成る」という意味であり、人々という楽器の奏でる個性を尊重しながら、しかも見事な調和がとれていて、社会という一つの音楽を奏でることができるのだ。これができない人は、教養があるとはいえないのである。神社での祈願も、これとまったく同じだと思えばいい。

清々しい祈りを安らかな気分、そして真心あふれる情感(詩に興り)、古式にのっとった参拝(礼に立ちて)、神楽や祝詞に心を合わせて神と調和する(楽に成る)のが正しいお参りといえる。

これらの三つの要素を大切に、しかも真剣にするお参りこそが、真に心の教養ある人のお参り作法なのである。

不快に感じる神社はダメ

しかし、神社ならどこでも祈願してもいいかといえば、そうともいえない。残念ながら、手入れの行き届かない神社も少なくはなく、そんなところには、神様はいらっしゃらないものなのだ。

かえって、そんな神社には悪霊か、もしくははぐれご眷属がウヨウヨしていて、そこで祈願したためにかえって不幸になった例もある。

祈願しないほうがいい神社かどうかを見分けるポイントを次にあげよう。

①社殿、鳥居が壊れたままになっている。

②参道に石畳や玉砂利がなく、ゴミが散らばり、雑草ものび放題。

③逆に、社殿の前など境内のすべてがコンクリートで固められ、無味乾燥。

④木々がなく、外から神社がすっかり見える(むき出しの感じ。

⑤木々は繁っているが陰気くさくて、ジメジメして清々しさが感じられない。

⑥しめ縄が腐っていたり、賽銭箱が壊れていたりする。

⑦金ピカに飾りたてすぎて、荘厳さがまるで感じられない。

御札やお守りを大々的に売っていて、結婚式場のみが不釣り合いに豪華。そして、駐車場や幼稚園経営に熱心であって、内面的美の追求や情緒の奥深さを追求する姿勢や文化を感じさせない。

⑧社殿よりも社務所が立派で、神主の顔が狐そっくりか、理そっくりになっている。目に明浄正直の輝きがない。

⑨とにかく、神主に真心と誠実な態度が見受けられず、絶えず献身的に神域を掃き清めることもないので、顔に清々しさがない。

⑩初めて祈願する場合、稲荷神社はすべてやめておくことが望ましいと思う。参拝しなくなったら、プラスマイナスゼロより以下に引き戻されるというおそれがあるからである。

ただし、先祖代々、昔から今も熱心な稲荷信仰であった場合は別である。もう霊が同化してしまっているので、礼節をもってお参りを続けるほうがいい。

以上述べたような神社であるならば、いくら産土神であっても敬遠し、別の神社に祈願すべきである。

そして、その神社に参拝客があるかどうかも目安となる。何日間も誰一人としてこない神社では、そこに神様も来ないし、霊威も弱くなっているはずである。

むろん、それでも清々しくてほの温かい妙気が漂っている所は例外であり、そういう所はたとえお客が少なくても、ちゃんとご神霊はいらっしゃるのである。

お父さん、お母さんに接するように祈願する

神社に行って祈願する目的はご神霊に直接接して、神様に感謝の意を捧げたり、願いを聞き入れていただくことであろう。それには、まず神様方がそこにおられることを確信しなければならない。

神様や神霊界の霊人とは、強く信じれば信じる程近くに来てくださるし、あまり信じなければ、遠くにいて眺めていらっしゃるものだ。これが、大切な神霊界の基本法則になっているのである。

ところで、自分にとってのお父さんやお母さんの存在を疑う人はいないだろう。亡くなってからでも、仏壇に向かって語りかける人も多いはずだ。

神様も同じで、自分の父や母がそこにいらっしゃるのだと信じて語りかけ、祈ると一番そば近くに来てくださるのである。

親なのだから、どんなに悪い子どもでも温かく見守ってくれる。

神道では「人は祖に基づき、祖は神に基づく」といって、日本の神様は、私たちの大々先祖であることになっている。いわば、親のそのまた親の・・・・・・だ。

さて、具体的な祈り方であるが、あなたがお父さん、お母さんにお願い事をするときはどうするだろうか。

両親を日頃尊敬している人だったら、いきなり「車買ってよ」と言うことはあるまい。まず、「お父さん、元気?糖尿が悪いって聞いてたけど、元気そうじゃないか」というふうに切り出し、機嫌を見ながら、「あの……。お願いがあるんだけど……………」と話を進めるだろう。

大きくなってから親にものを頼むには、親の感情がわかるから、それなりの礼を尽くすようになっているはずだ。

神社にご祈願をするときも同じだ。その時の恭々しい祈りの言葉が祝詞なのだが、祝詞をあげないまでも「私もおかげで元気にやっております」といった気持ちで、神様に語りかけて欲しい。

こうして心の中での距離を縮めると、霊界における距離もまた縮まるものなのである。

そして、何でも正直に言うことだ。正直に話せばお父さんも喜んで、「そんなに車がほしいんなら買ってやるよ。頭金の半分くらいは自分で出せよ」ということになる。この「頭金の半分くらい」とは、「自分でやれるだけの努力はしなさいよ」という意味である。

この祈願の仕方は産土神でも一之宮でも同じである。自分の気持ちを包み隠さずに言い、ご加護と功徳をお願いすることだ。

「万葉集」の歌人のように、悲しみ、憂い、恋、喜びも願いもそのままに、ありのままを美しく素直に語るのが誠なのである。