恋の守護霊(Vol.2)

第一章 結婚はこうするのが一番

なぜ、あなたは結婚できないのか?

いつも独りで夢見る「幸せ芝居」

「シンデレラのようになりたい!」

女性なら必ず一度は、憧れたことのあるヒロインだろう。不遇な身の上から一転して、素敵な王子様と結ばれ、森の中の大きなお城に住む「ああ、ワタシもお金持ちでハンサムな男性と暮らしたい」というわけだ。

ところが、現実はなかなかキビシイ。

王子様どころか、一介のサラリーマンからもお声がかからない。せいぜい、日頃買い物にいく八百屋のオジさんが、「オッ、元気そうだね、今日も」と、いってくれる程度。

とてもではないが、森の中の城なんて、夢のまた夢の世界だ。うっぷん晴らしと焼けくそ心で、ついつい「ああ、私だけではないんだワ」と、失恋物語の本を買って読んでしまう。そして勇気と安心が生まれる。

第一章結婚はこうするのが一番

だが、あきらめるのはまだ早い。お城の王子様とまではいかなくても、あなたの努力次第で、中流以上のお婿さんを手に入れることは、十分可能だ。

「果報は寝て待て」という諺があるが、こと男運をつかもうと思うなら、寝ていてはいけない。積極的なアプローチこそが、運を切り開く最大の原動力となるのである。

本書のテーマはこれである。執筆にあたっては、なるべく平易で、面白く、かつ実践的であることを心掛けた。硬軟おり混ぜて書いたつもりだが、少々話が飛躍して、思わぬ方向へ展開することもあろうかと思うが、これも神より教示されるインスピレーショゆえのものと思って、お許しいただきたい。

私はいうまでもなく男であるが、本書は女性の立場で書いた。自分でいうのもなんだが、私は常に真摯な態度で神に向かっている。

だが、それを万人に押しつけるのは独善である。抹香臭いのが嫌な人に、押しつけがましい神仏の話は、ちっとも面白くないだろう。

面白いと感じないものは、魂にも吸収されにくい。したがって、できうる限り、面白く、そして美川憲一のように、男が女心を歌うようなつもりで書いた。

なお、真面目に神の道を求めたい人は、拙著「神霊界」(たちばな出版刊)をおすすめする。

ところで、おそらく本書を読まれた女性は、「どうして、女の奥深い心がわかるのかしら」と思われるかもしれないが、他心通力(人の心を読む)を使える私の神霊家としての要素と、恩師・植松愛子先生の経験と知識を踏まえて、私なりに「女の気持ち」を吸収しているからである。

決して、オカマではないので、誤解のなきように願いたい。

また、植松先生宅に出入りする奥様方の生き様や、あるいは私が経営に携わる会社を訪れる女性たちからの見聞、そして幾多の人生・神霊相談の実例などを冷静に分析してみた。

そうして得られた、数々のサンプルを基にして、女性読者の参考になるようにまとめたのが本書なのである。

もちろん、男性にとっては、「女」という難物を理解して克服することが、「妙」というものを体得するには不可欠である。

だから、逃げない、避けない、嫌がらないで現実を見つめて欲しい。女性を幸せにするヒントがたくさん得られることと思う。

「講釈師、見てきたような……」と思われるかもしれないが、本書の内容は、すべて、事実である。

ところで、私のところには、結婚できない女性からの相談が数多く寄せられる。

「どうして、結婚できないんでしょうか。いつもあと一歩、というところでダメになってしまうんです」

見れば、なかなかの美人。スタイルもいいし、おまけに、知性も兼ね備えている。こういう、どこから見ても申し分のない女性に限って、よき伴侶とめぐり会えずに悩んでいることが多い。

さしたる欠点もないのに、結婚できないので、周囲も本人も、ただた首をひねるばかり。

私にいわせれば、理由はきわめて簡単。女性側から良縁を呼び寄せる行動が不足しているのである。

今は、明治、大正、昭和の初期ではないのである。

美しい花でも、蜂や蝶を呼び寄せるためにいろんな努力をしている。快い香りを漂わせたり、おいしくて甘い蜜を花弁の奥に用意したりしている。

もし、美しさのみだったら蜂や蝶は花の周りを舞わないだろうし、花びらの上で羽根を休めたりはしない。

美しい花とあなたの境遇はとても似ている。男という、花の周りをブンブン飛び回る蜂や蝶を、上手に自分のほうに誘導しなければいけないのだ。なにしろ、人口の半分は女、敵は多いのだから。

しかも、敵の中には、蜂や蝶を一瞬のうちにとりこにしてしまう、怪しげな芳香を放っているものもある。食虫植物などという、恐ろしいのもいる。

そういう中で、自分自身の存在をアピールし、良質の蜂や蝶を集めるためには、独りでボンヤリと「幸せ芝居」を夢見ていてはだめなのである。

正しい結果は正しい努力から

数ある美しい花々の中から、あなたという花を見つけて飛んでくる蜂や蝶。それは偶然ではない。惹きつけるだけの「何か」が、花に漂っていたからに他ならない。

「お見合いの話はあるけれど、何となく結婚できない」

「ボーイフレンドはたくさんいるのに、これはという人がいない」

「結婚橋を渡ろうとすると、つい、その手前のお友だち橋を渡ってしまうの」(林真理子さんの説)

こういう女性を花にたとえれば、単に美しいだけの花なのである。蜂にとってみれば、近くに寄ってはみたものの、「ちょっと休んで、蜜でも吸ってみようかな」という気になれないのだ。

それに、花そのものも、是非「私のところにきて!」と願っているふうでもないので、チラッと横目で見たあと、ブーンとよその花に移っていってしまう。

ところが、「男の人からすぐプロポーズされちゃうのよね、ワタシ」という人もいる。しかも、プロポーズした男性は、皆一流の大学を出て一流の会社に勤めている人ばかり。まさに、男運に恵まれた女性なのだ。

結婚後、そうした女性が幸福になれるかどうかは別問題として、ともかくも、素敵な男性を射止めるという、当面の目的は果たしたことになる。

結婚できそうで、できない女性と、一流の男性からプロポーズされ、順調にゴールイしてしまう女性。この差は、顔の美しさが原因ではない。男を魅了してしまう努力を、どれぐらい積んだかどうかの違いなのである。

だが、本書でいう「努力」とは、女性週刊誌に載っているような、メイクアップ法やドレスアップ法ではない。

もちろん、それも大切だろうが、あくまでも“見せかけ”にすぎない。いわば、表面をつくろうだけのことである。

では、さらに一歩進んで、内面的な美しさ、つまり、心の清らかさを身につけるための努力を指しているのかといえば、さにあらず、内面の美しさはメイクアップ以上に大切ではあるが、それだけでは男運はやってこないのだ。

最も重要な努力―それは自己の神霊世界を磨き、高めていくことにある。そして、男運霊界を動かすことにあるのだ。とはいっても、そんなにむずかしく考える必要はない。

自分の想念世界を魅力的に拡大し、守護霊、守護神様を敬い、あわせて相手の幸福も願う。

つまり、霊界からも現実界からも好まれる心境になれば、強力な男運が必ずあなたの身近にうず巻くのである。これがまず基本である。

こういう、神霊世界に意識と注意を傾けた正しい努力を積み重ねれば、当然よい結果が生ずる。これは神霊界の鉄則でもあるのだ。

思わず相手のほうからやってくる秘法

男運を呼び寄せるためには、自己の神霊世界を磨く必要があると述べたが、これはとりもなおさず、霊層を高め、女としての運気を向上させるということになる。

霊層とは何かといえば、それはその人の神霊的な高さをいう。キリストやマホメット、釈尊、日蓮等々、聖人たちは皆、ハイレベルの霊層にいたのである。

人殺し、泥棒、嘘つきなど、自己中心的な人間ほど霊層は低い。

層というぐらいだから、もちろん数多くのランクに分けられているのである。高いほど強い善運がうず巻き、低い層には悪霊が巣食っている。

心のもち方や行いによって、いくらでもランクを上げることができ、むろん、それにともなって男運だけでなく運勢全般のレベルアップもできるのだ。

次に運気である。理解しやすいように、大きく三つのレベルに分け、野球のバッターにたとえて解説してみよう。

まずは普通のバッターである。このクラスは「好球必打」のみを心掛けている。つまり、自分の打ちやすい球がきたら、思いきってバットをふってみよう、というわけである。

これを男性交際にいいかえれば、好みの男性らしき人物が現われたら、アタックしようと思っている心である。

しかし、この「好球必打」の欠点は、好球がこないことも、ままあるという点である。しかも、中には、好球と見せかけて、ストンと落ちたり、コースを変えたりする球も混じっている。

「絶好球」と思って、バットをふったら、なんと空ぶりという事態も往々にして起きるわけである。

これでは、どことなく相手まかせ、運まかせという面が強く、男運があるとはいいがたい。男運はマイナスではないがプラスであるともいえない。

この心には、理想の男性を運んでくるぞ、という強い運気は決してやってこない。

次は、相手のピッチャーをよく研究して、球筋や球種を読むバッターである。

日頃からデータを集め、ピッチャーのクセを知っているので、そんなに空ぶりすることもない。むろん、好球は見逃さないが、準好球もそれなりに打ち込むことが可能だ。

間口を広く構えることができ、球種が読める。つまり、ある程度、男性と男心を見る目が培われているので、そんなに大きな失敗はしない。そのかわり、絶好球がくるとも限らない。

むろん男運から見れば、好球必打タイプより、後者の打者研究タイプのほうが勝っている。だが、爆発的なパワーのある男運を呼び込むほどの運気とはいえないのである。

ところが、この二者より、数ランクすごいのが、「絶好球呼び込みバッター」である。どういうバッターかというと、ピッチャーが、思わず知らず絶好球を投げてしまうバッターのことである。

「このコースへ、この球種を投げたら、ホームランを打たれてしまうな」と、ピッチャーが思っているのに、なぜか、そこへ投げてしまうのである。

巨人軍現役当時の王貞治選手が、このタイプのバッターであったといわれている。

つまりバッターは相手の心を自在にコントロールし、自分の好きなところへ球を投げさせることができるのだ。

男運にいいかえると、自分の理想像とピッタリの男性が、まるで吸い寄せられるように向こうからやってくる、というわけだ。男運霊界を見事に動かしたわけだ。

考えてみれば、こんな楽なことはない。

だが、こんな境地に誰もが立てるというわけではないのだ。日々の研鑽、たゆまぬ努力、そして深い愛・・・・・・、これらが合致しなければ、「絶好球呼び込みバッター」とはなれない。

これを神霊界から見てみると、守護霊、守護神が強烈に働いて、大運気がうず巻き、圧倒的なパワーの男運を呼び込んでいるのだ。

男性も、なんだか知らないうちに女性の前にきてしまった、という場合が多い。

では、どうすれば、強烈な男運を身につけることができるのか。

その方法は、第二章で詳しく述べることにして、ここでは、霊層と運気による男運は、大きく三つに分けられるということを覚えておいていただきたい。

結婚を邪魔する六つのトゲ

自分なりに一生懸命努力しても、なかなか結婚にたどりつけない女性も多い。美人で教養もあり、それなりの努力もしている。なのに、ゴールインできない。

きれいな花で、蜜も甘い香りもあるのに、なぜか蜂や蝶が花弁にとまらないのである。

なぜか。

その原因はトゲである。

花を害虫から守るためのトゲならまだしも、あまり鋭すぎると逆にマイナス効果のほうが大きくなってしまう。

せっかく蜜を求め、花を慕って飛んできた蝶が、トゲにグサリと刺さってしまうこともあるのだ。これではなんにもならない。結婚を邪魔しているトゲには次のようなものがある。

①宗教理念のトゲ
②道徳・モラルのトゲ
③生霊・タタリ霊のトゲ
④方位、姓名判断、四柱推命など占いを気にしすぎるトゲ
⑤家族、両親を気にしすぎるトゲ
⑥生理的な男好みのクセを出しすぎるトゲ

以上の六つだが、③の生霊、タタリについてはのちほど詳しく説明したい。①、②、④、⑤、⑥については、ある程度のトゲは許されるだろうが、厳しすぎると、充分に結婚を邪魔するトゲに成長し得る。

ある日私のもとに美しい一人の女性が、結婚できない悩みを相談にきた。

なかなかグラマーだし、知性もある。ところが年は三四歳である。しかも何度となく、意中の人からプロポーズされているのだという。なのに、なかなか結婚に踏みきれずにいる。理由を聞いてみたら―

「ある宗教を信じているのですが、そこの教義によると、私はまだ結婚してはいけないのです。

でも、私の気持ちとしては、若くもないし一刻も早く結婚したいのですが、教義を冒すこともできず、彼には結婚をいましばらく待ってもらっているのです」

彼女の悶々たるさまは尋常ではない。また、同じ宗派でなければ、結婚してもうまくいかないだろうと悩み、結婚をためらっている人もいる。

宗教理念のトゲが、彼ばかり彼女の心さえも刺し貫いているのである。苦しいのは当然であろう。これが①のケースである。

②の道徳・モラルのトゲもこれまたやっかいである。

愛している、と自分に告白してくれた男性に対して、手もにぎらせてあげない女性がいた。むろん、唇なぞ許すはずもない。

本人は、結婚するまで〝純潔〟を守ろうとして必死なのだが、いかんせんガードが固くて厳しすぎる。

「手もにぎらせないなんて、本当はオレのこと嫌いなんだろう。もういい」と、その男性は彼女のもとを去っていったのである。”むべなるかな”である。そこ私は彼女の本心を尋ねてみた。

「それであなた自身、辛くはないのですか。満足なのですか」

「そんなことありません。私だってくるしいのです。でも、どうしても純潔だけは守りたい」

どうやら、彼女は自分が相手に向けている道徳、モラルのトゲが鋭すぎることに気がついていないようだ。

「純潔を守るのは、大いに結構。でも、そのために好きな男を逃したら、なんにもならないではありませんか。ヘソから下の純潔は守るがその上は解放する、という具合に妥協したらどうですか。臨機応変、柔軟に考えることが大切ですよ」

神霊家としては、まことに恥ずかしいセリフであったが、これは彼女の守護霊がいっていたのを、そのまま取り次いだだけである。

しかし、こうアドバイスしてあげたら、彼女の顔はパッと明るくなって、
「エッ、それでも純潔は守れるんですか。上のほうを彼にあげちゃっても」

「あなたの気持ちさえ、しっかりしていれば大丈夫ですよ」

「それでも……。強引に彼が求めたらどうしますか。男は皆、狼だって母が言っていましたし……..」

「そういう時は、「悪いけど、私、いま生理なの』っていえばいい。男性を傷つけないで断れますよ」

「へえ……………なるほどネェ……」

「女の魅力というものは網タイツのようなものです」

「な、なんですかそれ」

「男性にとって、タイツ姿の女性はプロポーションを見ているだけ。かといって水着姿は、ハッとはするが、やはり水着姿にすぎない。ところが、網タイツになると、俄然セクシーに感じて興奮する。

見えているようで見えない、見えないようでいて見えている。これが魅力的なのです」

「ハア……」

「つまり、自分の思い通りになるようでならない。ならないようでいて、ある程度自由になる。という女性が、一番魅力的なのですね」

時代にマッチした交際法が大切

思えばケジメなく、ダラダラと欲望のままに行動するのは考えものだが、好き合った男女が、手をにぎり合うぐらいあたり前、くちづけやモミモミ?も場合によってはOKであろう。

イスラム教圏では、未婚の女性の顔を無断でのぞき込むだけでも罰せられるが、ここ日本では大丈夫だ。

日本の神様は、岩戸開きの時、天鈿女命のバストやヌードを見て笑い、手をたたいて喜んだぐらいだから。

いまは、大正や昭和の初期ではない。家柄や両親の決めた相手とでなければ一緒になれない、という古い結婚観は崩れ、自分の伴侶はある程度、自分で探さなければならないという時代である。

このことは自由でとてもいいようであるが、よく考えてみれば、とてもやっかいな時代なのである。というのは、自分がよほどしっかりしていないと、いい男性はみんな他人にとられて、自分一人とり残されてしまうことだってあるからだ。

また、男性側のニーズや感覚も、大いに変化しているのである。女性もある程度、それに対応できる心と感覚の準備がないといけない。

自分の理想ばかり追い続け、それに固執しすぎると、前世や祖先からの神縁のある相手を逃してしまう恐れもあるからである。

ところで、昔は男女とも、地域に強く根ざした社会生活をおくっていた。地元で生まれ、地元で働くことが多く、今日のように都市部に適齢期の男女が流れ込んでくることは、少なかった。

だから、たいてい、同じ地域に生まれ、同じような家で育った相手と縁が結ばれる、というパターンが多かった。

それゆえ、結婚を神霊世界から仲介する神様である産土神(その土地の鎮守様)の働きも、今日より活発であった。

村祭りなどで出会いがあったり、真剣に祈り、日頃、素直な心でいると神縁ある相手と結ばれたものである。地方では、いまなおこの方法で成功する場合が多い。

しかし、問題は都会に出てきた適齢期の男女である。しかも神に対する崇敬心がなく、自分なりの偏狭、独善的な異性観に凝り固まった人々なのである。

このように、先の宗教理念のトゲをもった女性も同様だが、自分の抱く理念、理想が逆に本人を呪縛し、身動きをとれなくしているケースも多い。

また、本人ばかりではすまず、たいていは、彼女を恋い慕ってきた男性の愛情をも、呪縛してしまうのである。

そして、そこにいい知れぬ苦しみが生じてしまう。この呪縛を解かない限り、その女性はいつまでたっても、男を寄せつけない存在となろう。

苦しみのまま死ぬと”地獄”へいく

適齢期がすぎても、なかなか結婚できず、結局、「結婚したい」と渇望しながら霊界へ旅立つと、悲惨な事態に陥る。

とくに、男の腕に抱かれてみたい、と思いながらも男を知らずに死ぬと、愛とか幸せより、猛烈な執着心と悲愴感のほうが強くなる。

また、充たされない未亡人などは、「男が欲しい」と暗いドロドロした世界で呻吟している。これが、私が見た霊界の真実の様子であった。

むろん、すでに肉体は失っているわけだから、欲望を満足させることはできない。で、どうなるかというと、地上の肉体をもった女性に憑依霊などが乗り移ること)して、彼女の体を借りて欲望を遂げようとするのである。

これが「色情霊」といわれるものだ。

つまり、男と情欲にふける女の情念を、霊界からすすり飲み、みずからも満足するわけだが、しかしそれもほんの一瞬で、すぐさま、男渇望地獄へ引きずり落とされ、再び、身悶えするような苦しみに襲われるのである。

断っておくが、処女のまま死んだ人間がすべてそうなるわけではない。性に執着するのが問題なのである。

神や仏に一生涯仕える女性もあるだろう。また、いろいろな事情でお嫁にいけない人もいるだろう。

たとえ、処女のまま生涯を終えたとしても、「結婚したかった」などと、欲望の苦しみを覚えず、また執着心を強く抱かなければ、霊界で苦しむことはないので苦しみもだえ、欲望を満足させられないまま、霊界に旅立った場合が問題なのである。

生きている間、女としての興味と情欲を抑えきれず、処女を捨て男性と寝てしまい、水子も作ってしまった女性と、好奇心と情欲を押し殺し、苦しみのまま処女で一生を貫き通した女性の二人がいたとする。

霊界ではどちらのほうが霊層が高いかといえば、それは前者なのである。

宗教家や倫理・道徳家は目をむいて異論を唱えられるかもしれないが、霊界では事実そうなっているのだ。

確かに水子を作ることは喜ぶべきことがらではない。母体を傷つけ、胎霊を曇らせ、水子霊を悲しませる。

水子霊の救済除霊の時などは、私自身、いつも心で泣いているぐらいなのだから。

しかし、その女性が、「男とはこういうものか。セックスとはこんな味か。エクスタシーとはなるほど、これなのか」と満足し、納得できれば、聖人や超高級霊界の人にはなれないまでも、霊界で無用な苦しみを味あわなくてすむのである。肉体が覚えていることは、霊体も覚えているからである。

だから、そのことが原因で地上の人間に憑依したりすることは少ない。

ところが、いくら肉体的には純潔を守り通したといっても、苦しみ、執着心を抱いていたのでは、霊界でもやはり苦しい。むしろ、肉体がなく自分の感情や執念を隠すことができない分だけ、余計に苦しく辛いともいえるのである。

ところで、誤解を招かないために、もうひと言いわせていただく。ちょっと前までは、現代では二五歳をすぎて処女というのは、都会ではめずらしいケースと喧伝されていた。

早い女性は小、中、高生ぐらいで初体験をすませている子もおり、興味本位のセックスで子供を堕ろしたりしたため、これが大きな社会問題となったりした。

だが、最近は様子が違ってきた。処女は少しずつふえている。特に、最近では「お嬢さまタイプ」が若い男性に人気がある。

また、米国でも「結婚相手以外には、断固純潔を守るべきである」と主張する女性は、なんと九割以上もいるのだそうだ。

こうした傾向は、奔放な性を楽しんだ結果、お互いが傷つき、そして深く反省した結果とみるべきであろう。

日米の若者たちの「性のアンティークブーム」は、両国の保守化傾向などの背景もあるだろうが、これも神霊世界の活発な動きと、普遍の神性に対して若者たちが自覚し始めたものと、私は大いに喜んでいる次第である。

生霊、悪霊に憑かれると結婚は遠のく

結婚は一瞬のタイミングである。これは、と思った人と出会い、そして愛を告白してゴールイン。

これらの一連の流れは、絶妙なタイミングの中でくり広げられるドラマだ。

ところが、いつも少しずつタイミングがずれ、このため結婚を逃してしまう場合がある。実はこれらは、生霊や悪霊のしわざであることが多いのである。

生霊とは、すなわち生きている人の怨みの霊のこと。

他人から怨みをかうようなこと(たとえば、さんざんもて遊んだあげく、古紙のように捨ててしまう、など)をすると、相手の怨みが空中に漂い、それが生霊となってしまうのである。これは想像以上に恐ろしい存在であるといえる。

「私はあの人のために、こんな苦しみと痛手を受け、不幸になった。この怨みを晴らさずにおくべきか」

このように具体的に怨む相手の顔を思い浮かべ、執念の霊波動を発射する。

これを受けたほうは、たまったものではない。レーザー兵器より数段鋭く、相手を破滅に導く。つまり、運勢を逆落としにさせてしまうのだ。

以前、私が除霊をした人の中で、結婚後どうしても流産が続き、子供が生まれないという悩みを抱えている女性がいた。

霊視してみると、尋常ではない強烈な生霊が憑いており、それが連続流産の原因だったのである。

ところで、結婚後の流産の原因は、七割近くが複数男性の強い生霊であるが、この女性の生霊の正体は、なんと外国人のものであり、その怨念は「死ね、死ね。幸せな結婚は絶対に許さないぞ」というものだった。

聞けば、彼女は並行して二人の男性と同棲していたといい、そのうちの一人が生霊の外国人だったのである。

結局、彼女はもう一人の日本人男性と一緒になったのであるが、その外国人男性は、真実彼女を愛し、結婚するつもりでいたのである。だから、彼女の裏切りを知った時、怒り心頭に発したことは、想像にかたくない。

一般に外国人、特に欧米人の生霊は、通常の日本人の数倍も強烈であることが多い。

しかも、真面目な欧米人であればあるほど、生霊を強く出す。それは、欧米人のもつ体力、粘着力、執拗さに加え、愛憎の区別がはっきりしている点にある。

彼女の場合も、絶えず迷いがあって、ズルズルと交際していたことがアダとなったようだ。欧米人との交際は、愛と責任において、常に意志表示をはっきりさせるようにしたい。

その他、生霊の作用は様々にある。何をやってもうまくいかない。その人の側にいると、いたたまれないような気持ちになる。

もうちょっとで成功しそうなのに、いつも最後の詰めでドンデン返しにあう……といった具合である。もちろん、結婚運とてよかろうはずがない。よしんば結婚できたとしても、そのあとが大変。

生霊が二人の仲を裂こうとするので、何となく二人はギクシャクする。ちょっとしたことで腹を立て、夫婦ゲンカを始めたり、病気やケガに見舞われたりする。最終的には離婚、なんてことになるのが通り相場なのだ。

そして、恋愛中の二人の仲にも、この生霊はズケズケと入り込み、デートの時間を狂わしたり、アクシデントを起こして、二人の仲を冷やしたりする。

タチの悪さは抜きんでたものがあり、できるだけ生霊にまとわりつかれないようにしたい。

ところで悪霊も生霊同様、二人の仲を邪魔するが、こちらは先祖の因縁や、浮遊霊が”ゆきずり”や”因果応報”でその人に憑く場合である。

生霊と違い、すでに霊界(といっても地獄界や幽界だが)に住む霊たちがその正体で、中には、キツネ、タヌキ、ヘビなどの動物霊化身の人霊や動物霊そのものも混じっており、まことに騒々しい。

不浄な場所、たとえば歓楽街や墓場などで遊んだりすると、そこをねぐらとする悪霊がピタッと憑くことも多い。

心のスキが行動のスキとなってあらわれ、そこが狙われるわけだ。くれぐれもご用心願いたい。

三〇すぎてもまだ独身ならば霊障を疑え

三〇歳をすぎても、まだ独身という女性は、一応霊障を疑ったほうがいいだろう。

さらに、兄弟全員がみんな結婚できずにいる、などという場合は、たいてい仏罰系の霊障や墓の不備などが原因なのである。

霊障とは、先に説明した生霊や悪霊がその人に憑依して、いろいろな悪事を働くことをいう。

個人の責任で霊障をこうむることもあるし、先祖、前世の行動が原因となることもある。その他、名前が男運を逃す原因となることもある。

たとえば、春夏秋冬や、千、美の文字はあまりよくない。とはいっても、そんなに気にすることもない。

この文字が名前にあるからといって、必ずしも男運に見放されるということはないのである。事実、この名をもつにもかかわらず、幸せに暮らしている人もまた多い。

なぜこの文字がよくないのか?その理由を説明すると長くなるので、簡単に説明する。

『水穂伝」という古文献によると、タテの棒や右ハネ、左ハネの字の形態に陰陽、木火土金水の意味と働きがあるというのである。また、画数は数霊、呼び方は言霊に関連がある。

このように、形態霊数霊、言霊などが命運に影響を与えているからなのである。

また、これもさほど気にする必要はないが、方位も関係することがある。家相という、家の形に対する霊の学や、旅行、引越しの吉方位などだ。

これも詳しく説明すると、それだけで一冊の本ができあがるくらい奥深く、微妙な問題を含んでいるが、要は、「何となく気が進まないな」と感じる方位へ旅行したり、引っ越ししたりしないことである。

ところが、あまり凝りすぎると、周囲の事情でどうしても悪方位にいかざるを得ない時、「気にする」という心の苦しみを受けざるを得ない。これが問題だ。

こういう時は、神霊的に見ると、因縁のアク出し期間か、よき試練の時なのである。だからさほど気にすることはないのだ。

しかし、いったんそれを知ってしまうと、悪方位へいかざるを得ない時などは、どうしても勇気と希望、そして精進の心が萎えてしまい、成功するものも成功しないことがある。

悪方位、悪家相でも、本人のパワーがあり、前世、先祖の因縁の軽い人は、ほとんど障りなく、少々の因縁をかえって人生のバネにして、大成することも多い。いずれにしても、深入りしないほうが無難であろう。

もう一つ、最近は占星術がちょっとしたブームになっている。やはり、その人の生まれた年月日というのも影響を与える。

地上に生を受けるとは、前世の人物の業(カルマともいう)を背負ってくるわけだから、当然カルマの重い軽いは、生年月日に表われていて、関連しているのである。

前世に多く功徳を積んだ人物なら、よい星のもとに生まれることができ、したがって結婚もスムーズに運ぶ。

だが、前世に多くの悪業を残し、しかも男女関係に関することで人々を苦しめた業を背負っているのなら、なかなか結婚にはたどりつけないものである。

守護霊が結婚をストップさせた林真理子さんの場合

作家の林真理子さんの場合、本人は結婚したくてたまらないのに、前世にやりかけた仕事があり、その因縁の関係を知っている守護霊が、わざわざ結婚をストップさせている。

だが、いつまでも独身でいなければならないということではなく、前世に成し遂げられなかったあるテーマを完了すれば、すぐさま、理想の男性と結婚できるように、霊界プログラムに記入されているのである。

まあ、これは霊障と呼ぶことはできないが一種の善なる結婚難であることに違いない。

手がけた仕事を完成し、素晴らしい人と一緒になれるよう、祈っている次第である。(*編集部註林真理子さんは、深見先生の予言どおり、五年後、幸せな結婚をなさいました。)

だが、前世の悪業等を贖罪するために結婚できないというのは、特殊なケースに属するものである。

結婚後、大いに苦しみ、前世の悪業を贖罪するとか、何度も離婚をくり返し、男性のエゴに涙して贖罪する等々、前世や家のカルマの贖罪パターンは、その性質と種類によって、様々なのである。

最後に、ご先祖様が色情におぼれた生涯をおくり、そのまま地獄に堕ちてしまった場合を話そう。少しばかり、宗教臭のある話で、気味が悪いと思う読者もあるかもしれないが、聞いていただきたい。

一般に、昔から由緒ある家だったとか、先祖が庄屋さんや網元さんなどであった場合、色情因縁が深いことが多い。

なぜかといえば、当時の男の甲斐性というのは、妾を何人も置くことであり、女道楽をすることでもあったからだ。

よほどの仏心や宗教、倫理の観念のある家でない限り、それが普通であったのだ。このことは、ヨーロッパでも、中国でも、イスラム教圏でも同じだといえる。

正妻をはじめ、すべての妾を愛でしめくくり幸福に導いていた、器用で無欲できわめて稀なハーレム適性の旦那なら、決して色情地獄には堕ちない。

複数の女性と交わるだけで、色情因縁になるのであれば、神典『古事記』を読めばおわかりのように、大国主之命は色情地獄の淫乱大神であり、日本の神々や、歴代の天皇も、すべて色情地獄に堕ちていることになる。

色情因縁とは、あくまでも色恋の情の確執であり、それに耽溺して、情欲の魔界に堕ちることなのである。

そういうわけで、一般的には豊かであった名門の家では、この情欲の魔界に堕ちている男性の祖霊が多く、「血の池地獄」で苦しんでおられる方がほとんどだ。

もちろん、後家さんで「悶え悶えの毎日」をおくった人も含まれる。

そして、悔んで、呪って、悲しんで死んだ妾や正妻が、家代々の色情タタリ霊となるのである。

現代でも、マルチ交際人間の方はお気をつけください。こうした色情因縁、色情タタリ霊の呪縛を断つには、やはり正しい霊能者に頼んで、除霊していただくのがよいだろう。

このように結婚できない原因を神霊的な目で見てみると、実に数々の因縁が本人にまとわりついているのがよくわかる。

悪霊の影響を強く受けている人は、見た目はとても美人でも、やはり、どこかに暗さが漂っているものだ。

逆に、守護霊の強力なバックアップのもと、善霊がうず巻いている女性は、顔が十人並以下でも、バストがほとんどなくても、明るくて生き生きとしていて、言葉にも艶があるものである。

だから、男性からは愛嬌があってかわいいと思われるのである。男性運は、当然、抜群にいいわけだ。

気をつけよう、安易な妥協と高望み

無理な高望みは身の破滅

分不相応という言葉がある。あまりにも性格や能力が違いすぎることをいうが、結婚についてもこれはあてはまる。

お見合いする場合、互いに自分の「釣り書き」を相手側に出す。釣り書きには、自分の経歴等が記されているが、これによって相手は自分との「釣り合い」を見るわけだ。

もちろん、恋愛、結婚は本人同士の自由意志。

たとえ能力が天と地ほどかけ離れていても、本人同士が納得し、満足するならそれもよいだろう。が、どちらかがあまりにも背伸びしすぎて、無理に相手に合わせているような状態は長続きしないものである。

昔から、「想い三年、恋五年」という。いくら想い続けても三年が限度であり、いく恋しいと思っても五年以上はもたないという意味である。

つまり、八年以上は、どんなに頑張っても男女間のスウィートハートはキープできないといえる。

車や家と同様、 恋愛にも耐用年数〟があるのだ。この年数を越えると、奇跡の一つになるので、テレ=ビドラマや小説として扱われるようになる。

さて、このスウィートハートが消えるとどうなるか。相手の言葉がやけに胸にささる。

背中をポリポリかく姿が、この上もなくバカに思える。出世の遅い亭主の寝顔を見ていると、ついこんなセリフをささやいてみたくなる。

「男のカス。能なし。ああ、なんでこんな男と結婚したんだろう。文学的表現のプロポーズにコロリとだまされてしまった私がバカだった。

私の息子に、この夫の遺伝子が混入されているのかと思うと悲しい。息子が塾でも落ちこぼれているのは、やはり夫の劣悪な遺伝子がある何よりの証明だわ。

いまにして思えば、醜男だったけれど、東大卒の A君と結婚していればよかった」

お互いの性格や能力はさして変わらないのに、気持ちだけが変わる。お互いの生活態度、言葉遣いが、一つ一つ心にひっかかる。

こうなってしまったら、あとは妥協と拘束の日々をおくるしかない。

だから、結婚するのなら同じような性格や趣味の持ち主同士のほうが、お互いに理解しやすく、苦しみも少ない。したがって結婚生活も長続きするのである。

たとえば、厳格な家に育った男性のもとに、自由奔放な雰囲気で育った娘さんが嫁いでいけば、この娘さんはかなり苦労する。

その苦労を乗り越えても、二人の愛を貫く長い忍耐の覚悟があればよいが、そうでなければ、早晩この結婚は壊れる。

たとえ、女性側が資産家であっても、そういった価値観などの違いはいかんともしがたい。金では解決できないのである。

シンデレラや白雪姫のように、王子様の心をとらえる天が備わっていれば問題はないが、現実はなかなかそううまくはいかないものなのだ。

どこかの御曹司を射止めて、玉の輿に乗れたとはしゃいでいる娘さんをときどき見かけるが、はたして分不相応ではないのかどうか、よく吟味してみることが大切だろう。

「厚生年金よりも老後に有利な、離婚慰謝料で巨万の富を築くのよ」というすごい計画の人は別として、無理な高望みは、しょせん身の破滅を招くだけである。

自分を知り相手を知ることが最も大切

長続きする夫婦は、非常に釣り合いがとれている。神霊的に見れば、霊層と善因縁、悪因縁のバランスが等しいともいえる。相手の欠点を補い合いながら、しかもお互いを高め合おうと努力している。

「こんちくしょう」と思っても笑顔で妥協している。そして、それがごく自然な姿で行われていて、無理がないのだ。これが、夫婦仲のよい状態だといえる。

ところが、年がら年中、激しいケンカばかりしている夫婦もいる。互いに罵り合い、愚痴をいい合い、人間性の向上など望むべくもない。

いつ離婚してもいい状態だが、家はローンに入っているし、子供もいる。世間体もあるし、いまさら別の誰かを探す気にもなれない。というわけでダラダラと夫婦生活を続けている夫婦も意外に多いものだ。なぜ二つのパターンに分かれてしまうのか。他でもない。互いに相手のことと自分自身をどれぐらい理解しているかの差なのである。

「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」という。恋愛、結婚生活も同じだ。

相手のことを知らず、かつ自分のことも知らない。ただ単に相手の顔がいい、スタイルがいいという表面的なことだけで結婚してしまうと、あとで後悔すること必定だ。

性格面ばかりではなく、相手の職業の内容も知る必要がある。

たとえば、お医者さんのところへ嫁いだとしよう。医者は給料もいいし、頭のほうも優秀である。

社会的地位も高い。申し分のない相手である。ところが、医者の仕事がどんなものであるかを知らないと、とんでもないことになる。

日直、当直があり、夜通し働くこともある。緊急に呼び出しを受けることもあるし、患者とのトラブルに巻き込まれると慰謝料だの賠償責任だのといった問題があり、美人看護婦さんとの浮気の危険も含めて、精神的な重圧は想像以上のものがある。

そして、医者は高級な知的職人さんであり、よほどの大きな病院か、医院でも経営していない限り、病気や早死によって、その後の妻子の生活保障が危ういことも多い。

ストレスのたまりやすいために医者は早死にする傾向にあるようだ。

よく「医者と坊主と学校の先生は、助平が多くて酒グセが悪い」といわれるのも、職業上のストレスからくるものである。無理もない一面があることを忘れてはならない。

また、最近は医者の数もふえすぎ、いささか供給過剰気味とか。病院の倒産もふえ、医学部の進学率も一時のようなフィーバーぶりでもない。

とくに歯科医はその点、大変だ。なかなか経営も苦しい、と聞く。

給料がよくて週休二日制、家ではいつもニコニコ、家庭サービスも満点・・・・・・とは、なかなかいかないものなのだ。

「あなたは、家に帰るといつもつらそうな顔をして、憮然として新聞ばかり読んでいる。ラジオの音楽ばかり聞かないで、もっと私のことを愛して!

たまの休みは、どこかへ連れてってよ! 海外旅行もいきたいし……」

これでは、いくら知的職業のお医者さんとはいえ、参ってしまう。相手の仕事の内容を理解せず、妻として何をなすべきかを知らないので、こんな要求をゴリ押ししてしまうのだ。

当然、夫のウイスキーの量は増えるし、浮気心もムラムラと湧き起こってこようというもの。家がすでに、安らぎの場ではなくなってきているからだ。

これらのことよく配慮して、夫への要求はタイミングよく、優しくなすべきであろう。

相手のニーズに応えれば、気苦労せずにすむ

最近、離婚がふえているが、どうやら原因の多くは、こういった互いの生活環境と心情ニーズの理解度が不足しているためではないだろうか。

自分の理想と欲求ばかりを追い求めて、相手の立場や性格、心情の欲するところを考えていない人が多いような気がする。

割り符というものがあるが、結婚はこの割り符と同じである。両方を合わせた時、ピタッと収まらなければならないのだ。

男と女の凹凸が互いにうまく組み合わされて、初めて一つのカップルが誕生するのである。ジグソーパズルのようなものであろう。

一方が金でできた割り符なのに、他方は木片で、しかも形も合わない。これを無理に合わそうとすれば、両者がダメになり、離別するだけだ。

しかし、世の中、どんな似合いのカップルでも、初めからピッタリ合致する割り符同士はない。

むしろ、ぶつかり合ったり、へこみ合ったりで、合わないことのほうが多いだろう。それを、上手に合わせるのが、愛の妙、夫婦の妙なのである。

合わせるコツは、何度もいうようだが、相手をよく理解し、パターンとニーズを研究することである。

そして、同時に自分自身をもよく知ることだ。その上で、素直な心で相手に接するようにしたい。

純金というのは非常にやわらかい。素直な心、相手を思いやる心というのは、ちょうど純金の割り符にも似ていよう。

やわらかいので、相手の割り符にしっくりとなじむのである。両方が純金なら、ピッタリ合わさり、溝さえ残らず、一個の玉となることができる。

ちなみに、霊界での夫婦というのは、一つの玉のようになっている。半分が男性、半分が女性であるが、両方が合わさることによって、一つの霊とみなされている。

ものごとにはすべて陰陽があるがごとく、霊界の夫婦関係もその例外ではないのである。無理をして相手に合わせる必要はない。

疲れるだけである。自然な心のうちに、相手に合わせばいいのだ。自分も自然、相手も自然。これでよい。こうなるまで、自分の性格のアクを取り、歪みを矯正して、錬磨しなければいけない。これが夫婦修業の道だ。

一生独身でいる女性の意味

結婚は女の華などと思っている人がいるかもしれないが、これは違う。本書の主旨に反するが、結婚しない女性も、それはそれでよいのである。

結婚できないのではなく、あくまでも本人の意志で、結婚しないというところが大切。結婚できないのに「私は結婚しない女なのよ」などとうそぶいてもはじまらない。その点を混同しないでいただきたい。

さて、女性が一生涯独身で通すためにはいくつかの条件が必要である。

まず、第一は経済力。これは大変重要である。自立できるだけの経済力がないと、誰頼らなくてはならなくなる。

パトロンを見つけて、二号さんになる手もあるが、これは若い時だけ通用することであって、四〇、五〇歳になってもまだ、二号さん稼業を続けていられるほど、世の中甘くはない。

また、パトロンたる男性も、他に三号、四号さんを見つけてしまうものだ。

かつては、三木武吉のように、何人ものお妾さんを囲い、しかも全員に家を一軒ずつもたせて十分幸せにしていた、などという剛の者もいたが、それも今は昔の話である。したがって、ともかく一生涯食べていくだけの経済力は何としても必要だろう。

次は、仕事である。家庭の中に入ってしまう主婦とは違い、独身女性は働かなくてはいけない。

仕事によって経済力を得るのではあるが、それ以上に、仕事を通して社会に貢献し、みずからの才能を発揮することで精神的な満足感が得られる。

経済力と仕事、この二つの条件を満たさないと独身を貫き通せないだろう。もちろん、友人がイイ男性を見つけて結婚しても、それをひがんだり、ねたんだりしてはいけない。

怨むなどはもっての他である。心から「おめでとう」と言えるようになっていないといけない。「私には私の人生があり、幸福がある」という、心の原点に絶えず帰ればいいのである。

このように、結婚に対してサラリとした感覚をもち続ければ、一生涯独身だったからといって、霊界で寂しい思いをすることはない。現世で寂しくないから霊界でも寂しくはないのだ。

結婚して平々凡々の生涯をおくるよりは、独身のままでも歴史に名を残すような仕事をするようにと、すでに生まれた時から決まっていたのかもしれない。そう信じて、同じやるなら全力で生きて、勇躍して独身を貫き通せばよい。独り身を憂えることはないのである。

結婚は一回きり、というのは大間違い

適齢期をすぎた女性は、表面では冷静を装っていても、内心では大いにあせっている。

「男なら誰でもいい。デッドボールでもいいからとにかく塁に出よう」とまでは思わないにせよ、一緒に暮らしてくれる人を、一日千秋の思いで待ちこがれているものである。

ところが、こういう女性に限って「結婚は慎重に」と考えるあまり、容易に決断しようとはしない。

「もうちょっと待てば、今の相手よりいい男性が現われるかもしれない」

というわけである。気持ちはあせっているのに、行動と決断がともなわないのである。なぜそうなってしまうのか。

その原因は「結婚は生涯一回きり」という根強い意識だ。別に、離婚を奨励しているわけではないが、ともかく、二八歳をすぎて”よさそうな人”が現われたら、一度結婚してみることだ。

交際中に相手の性格や人生観はたいていわかったようなつもりになるが、全部わかるわけではない。生活をともにしなければ、どんなに表面をさぐってみてもわからないことだって多いのだ。

交際している間はすごく優しかったのに、結婚したとたんに豹変することだってある。逆に、派手好き、遊び好きのように見えた男性が、実は家庭を大切にする奥さん思いの人だったりもする。

人間は変わるものなのである。「馬には乗ってみよ、人には添ってみよ」の言葉通りであろう。

もし、結婚してみて、どうしても自分とは合わない、一生涯をともに二人三脚で走っていける相手ではないと確信したら、その時はスッパリと別れればいい。

そして、お互い自分たちの幸せを見つけるようにすればいいのである。ずいぶん、無責任ないい方のようだが、婚期を逸した人を見ていると、この思いきりがなかったために、良縁を逃していることが多いのだ。

要は、あまり男性選びを考えすぎて、ふと気がついた時三十路をかなりすぎていた、ということが問題なのだ。

婚期を逃せば、高齢出産も考えなければいけないし、ますますあせって、「どうしよう、どうしよう。あと何年以内に赤ちゃんを産まなければ、母体が危険になるし、出産とはいっても、その大前提には結婚していなければいけないし……。

そのためには、最低、いま頃は彼氏と出会っていなければおかしい……。

でも、彼氏がいない。ああ、絶望。私、もうダメ」と、半狂乱になって悲嘆にくれることになる。こういう状態にある女性が、結婚サギの標的に最もなりやすい。

私の周囲にも、多くの離婚経験者がいるが、「結婚に失敗した」などと、深刻に悩んでいる人は少ない。

むしろ、「さっぱりしてよかった」と皆さん気持ちを明るくもって頑張っておられる。一度結婚した経験をもつと、心は落ち着いてくるものだ。離婚と結婚をくり返し、ついに三度目で理想の男性を射止めた女性もいる。

離婚するたびに幸せになれる女性もいる

欧米では十数回離婚している女優が堂々とスクリーンで活躍しているようだし、離婚するたびに「ベリーハッピー」と上機嫌になるではないか。

このような、軽い身の処し方は大いに学ぶべきであろう。また、日本でも、離婚した女優は大成する、といわれている。

「結婚」というものが、そんなに考えているほど甘いものではないことが、十分にわかり、離婚ということを自分の心が納得して受け止め、仕事と演技に迷いなく専念できるからだろう。

世間体を気にして離婚に踏みきれず、悶々としているのと、幸せを求めて絶えず、大いにはばたこうとしているのと、どちらが人生を有意義にすごしたことになるのかを、考えていただきたい。

だが、一方で女性の離婚に関しては老後の問題もあり、なかなかそう単純にはいかないこともある。

経済力、仕事がともにない人で、五五歳をすぎた人は、離婚は考えず、マイペースで暮らすのがよい。いわゆる「家庭内離婚」というものだ。お金は、自分の趣味のために使い、老後の計画もがっちり立て、夫にとっては「やりにくい悪妻」となろうとも、自分の人生だけは、ちゃんと楽しむ姿勢も悪くない。

結婚後、二〇年、三〇年たっても、まだ悩み苦しんでいるのは、夫に対しても自分に対しても、「こうあって欲しい」「こうあるべきだ」という過度の期待を寄せているからだ。

だから、理想と現実のギャップに苦しむことになる。過度に期待しなければ、「こんなものか」と割りきれて、かえって楽しく充実した日々がおくれるものである。

すぐ目前に「老後」がひかえているのに、いまさら離婚しても始まらない。

もちろん、例外もあるが、夫も、離婚するより「悪妻のままでもいい。いるだけでも助かる。

老後に人様に迷惑さえかけなければ」と、きっとそう思っていることだろう。

第一、体力的にも限界であり、再就職だってままならない。お互いに、老後の生活を守り固める時になっているのだから、無用な意地の張り合いはやめて、人生のしめくくりをどうすればよいのか、さらに晩年を楽しむにはどうしたらよいのか。

このことを考えることのほうが大切であろう。積極的、発展的離婚は三六歳ぐらいまで、と心得ておいていただきたい。

安易な男選びは考えもの

一度目の結婚は小手調べ、二度目は人生をエンジョイするため、そして三度目が本当の結婚、という具合に余裕をもって考えてもらってもよいが、かといって、安易な気持ちで男選びをしてはいけない。

いつの時代でも、女は弱い立場にある。結婚し肉体関係をもったあと、捨てられるようにして離婚すれば、傷つくのは女性の側であろう。

子供がいれば、一層悲しい。だから、断じてそういう立場に陥ってはいけない。

カマキリの場合はメスはオスと交尾したあと、オスをムシャムシャと食べてしまう。あなたも男を食べよ、とはいわないが、それぐらいの心意気はあってもよい。

相手の男性から「男とはどういう生き物なのか」ということを、貪欲に学び、吸収すべきである。転んでもタダでは起きない―こういう強い女性、積極的な女性こそ、次の結婚では成功する確率が高い。

断っておくが、私は何も、離婚してたくさんの慰謝料をとれ、といっているわけではない。より幸せになるために、みずからの保守と安全性も考えて結婚という人生の一大テーマから、多くのことを学ぶべきだ、といいたいのだ。

特に信仰心の厚い人は、心に優しい愛があるが、それゆえに一面弱い部分がある。また、不必要に傷ついたり、不利な立場にまわることも多い。

だから、こういう心構えでいれば、男を必要以上に恐れることもないし、男の本性も見えてくるものなのである。

適齢期を逃した女性は、はっきりいって、贅沢をいってはいけない。が、とにかく早く結婚せよという意味なのではない。

自分の趣味嗜好に合ったまずロマンチックな結婚より、幸せになるために結婚という共同生活を行なう、といった具合に、心の角度を変えることが大切なのだ。

「結婚してくれる男性がいたから、ともかく一緒になった」というような安易な結びつきは考えものだ。

たとえ、実際はそうであっても、「私は、あの人のこの部分が気に入ったから」と、自分から進んで相手の長所も見い出し、結婚をより積極的なもの、冷静な判断によるものにするべきだ。

そして、最低限、大人の目で自分を幸せにしてくれる人かどうかの見きわめはよくしたい。