健康イメージはこうして作る
健康な体は、女性にとって大きな魅力のひとつ。「健全な精神は健全な肉体に宿る」の通り、一般に、精神的に安定して明るく、心の健全な人は、体もまた健康な人である。
これは神霊界から見てもいえる。
健康を害している人は、たいていその部分が神霊的に黒ずんでおり、そこに悪霊がとり憑いていて、人間の精気を吸いとっている。
まるでその様子は、赤黒い腹をした巨大なヒルのようだ。人を激しく怨んだり、呪ったりすると、真黒な想念の雲が出て、それが霊界の邪霊たちを呼び集めてしまう結果となる。
また、同様に、人から怨まれたりしても、やはりそれが悪霊となって巨大ヒルとなり身体に憑くのである。
このように、健康と神霊界とは、きわめて深い関係にある。
人間なら誰しも、多かれ少なかれ、人を怨んだり呪ったりするものであるから、これはしかたがないこともある。
しかし、いつまでも怨んでいるのはよくない。根にもって「いつか復讐してやろう」などと考えているのは、最悪である。
そういう人の表情は、激しく目をつり上がらせ、口は真一文字で、いかにも毒々しい顔つきだ。言葉もトゲトゲしく、一種近寄り難い雰囲気である。
霊視してみると、胸や腹に巨大なヒルが住みついていて、精気や神気、良心といったものをグングン吸い出し、げに恐ろしき地獄界の光景がそこに展開されている。
皆、みずから出す念でみずからを縛りつけているのである。
逆にいかにも健康そうな人はどうかといえば、善霊が身体をとり囲み、美しいオーラ(身体から出ている霊波。
オーロラのように神秘的な色をしている)が見られる。近くに寄ると、なんだか、すごく気持ちが和むものである。
神霊的に健康な人は、単に体が丈夫というだけでなく、雰囲気までもが健康的なのだ。ジョギングやエアロビクス、ボディービル等々で積極的に汗を流し、健康体を作るのは大いに結構。どんどんやるべきだ。
しかし、どうせ同じ健康体になるのなら、内面、神霊面からも健全になりたい。そのための方法は、いままで説明してきたような、男運を招く雰囲気作りを心掛けることである。
ただ身体を丈夫にするため、シェイプアップのためだけに、アスレチックに励んでいる女性は多いが、内面の健康にまで気を配っている人は少ない。
だから、いまが大いにチャンスである。体の鍛練とともに、みずからの心霊も鍛練しよう。それには、ものごとに固執せず、何ごとも善なりと信じて行なう心掛けと自己の念を常に管理するという姿勢が必要なのである。
ベストの念を出し続ける、良き自己念の管理者であることができれば、心霊的な自己改善に成功したことになるだろう。
美しさは努力なしでは得られない
美しくありたいというのは、女性であるなら誰でも願うことだ。そのために、毎日、お化粧し、オシャレしているわけだが、問題はどういう具合に美しくなるかであろう。
ベタベタと厚化粧し、キンキラキンの服を着ても、本質的に自分の美しさをどれぐらい演出できたかどうか。
服だけ目立っても、しかたがないし、つけマツケがやたらと長くても、困るのである。第一、
道でにわか雨にあったら、両目を押さえながら歩かねばならない。もちろん、口紅のつけすぎも問題。エスティローダーのもうけすぎになるのがオチ。
しかし、だからといって、お化粧せずとも十分に美しさを保っていられる、というのであれば話は別だが、女性であるならば、やはり、自分をより美しく見せるための最大限の努力は必要であろう。
お化粧の技術も大切、ファッション感覚も大切。もっと美しくなろうという気持ちが何より大切。この気持ちがあれば、言葉遣いにも女性特有のやわらかさや温かさが出てくるものだ。
また、男性を意識して化粧をするというより、あくまでも自分らしさを引き立たせ、内面の美しさを表わすような心構えが普段から必要だ。人間は本能的に、醜い部分は隠したがる。シミや小ジワを隠そうと努力することも、大変よいことだ。のっぺりした顔の人は、シャレたメガネでアクセントをつけるのもよい。だが、この当り前のようなこでも、現実にはなされていないことが多い。無造作で、無神経な女性が意外と多いのだ。私は、全国の男性になり代ってこう叫びたい心境だ。
「要するに、見た目に美しければいいんだ。化粧技術、ファッション研究、なんでもいいから徹底して研究して欲しい。女性がそれに凝っても、ちっともおかしくない。
側にいて、その人なりに美しく、好ましく、楽しければそれでいいんだ。それでなければ女であることの値打がない。
少なくとも、外面をよくすることは、ちょっとした努力や工夫でやれるはずだ。内面はそう簡単によくはならないが、外面ならすぐだ。すぐにやって欲しい。
そうすれば、今日も職場に花が咲く。女のたしなみに心がなごむ……」
ところで、人間は外面だけではなく、心の醜さも上手に化粧し、高級なドレスを着込ませれば、それなりに隠すことはできるものである。が、それもいつまでもというわけにはいかない。
死ぬまで心の化粧をやり通せば善だが、だいたいは途中でなげる。だから、より美しい顔に根底から変えてしまうのが一番だ。
心はその点、自由自在。生き方、発想をガラリと変えたら、心の顔はいっぺんに変わる。
これが心の顔の整形手術だ。そして、これに輝きを加えるのが教養とカルチャーである。だから、最終的には他の女性と競える美しさというものは、すなわち、内面的なものでしかないのだ。
この内面の美容と若々しさをもたらすものは、「よくなろう。素晴らしくしていこう。
もっと工夫し発展させよう。より美しくなるように研究しよう」という、〝創造発展の心”なのである。
この心が、自己の魂を発動させる心である。だから、仕事や趣味に真剣に、そして前向きに打ち込む人は、年をとっても若々しい。
顔のオモテ側だけ、一生懸命に美しくなろうと努力することも、もちろん大切だが、それ以上に、内面の美しさにも磨きをかけていただきたいものだ。四〇歳をすぎれば、それはモロに姿に表れる。
顔のオモテ側だけ努力して、心の美容を怠るとどうなるか。神霊的に暗くなるのはもちろんだが、まず、目がドンヨリと曇ってくるので、すぐにわかる。
輝きがないのである。目つきも締まりがない。話の中身も薄っぺらで、自己中心的なことが多くなる。
それに、平気で他人の悪口をいったり、非難したりする。言葉の奥から切々と伝わるべき、けなげなかわいさ、愛くるしさも、当然、響いてこない。
進歩発展の息吹きが消え、暇だから、どうでもいいようなことばかりが目につくのである。
男性は、こんな女性とは長くはつき合いたくないのだ。なぜなら、気分が盛り上がらないし、楽しくないからである。
だが、内面の美しさやハリに気をつけて努力している女性というのは、目が実に涼やかである。輝きもある。言葉もハキハキしているし、第一、リズミカルで、雰囲気が明るい。
男性はこんな女性を好む。男性が好む、ということはとりもなおさず、男運が漂っていることでもある。ここで一首。
心根は色に出でけり頬染めて心の柄にも花染め忘るな
深見東州
美容整形は是か非か
美容整形を異常なまでに忌み嫌う女性がいる。いわく、天から授かり、親からもらっ大事な体に、自分で傷つけることなどできない、というのである。自然食や菜食主義者や、それに凝るタイプにこの類の人が多い。
その心意気やよし、といいたいところだが、時世が時世であるだけに、そんなに甘くじらを立てる必要もあるまい。
日本人の宗教家は得てして細かいことをセコセコとほじくり、大らかに大局を見ることを忘れる。逆に西欧人の宗教家は、大らかさはあるが頑固一徹だ。
両者とも、大きくてやわらかい、宇宙をマシュマロのようにしてしまう老荘的要素が足りない。
目や鼻、アゴのバランスが少々変化したぐらいで、宇宙の運行や為替レート、国際政治の動向が変わるものではない。シーザーでも、クレオパトラの鼻だけを愛したわけではなかったのだ。
美容整形に、そうこだわらず、もう少し気を大らかにもち、相手も気持ちよくなり、自分も幸せであればそれでよい、ぐらいに考えたらよいではないか。
それより、後ろめたい気持ちや、つまらない批判をするほうが、より神霊界を曇らせる。
肉体は、あくまでも魂を素晴らしくするための道具にしかすぎない。そう考えると、道具もきれいに磨きがかかっていて、丈夫なのが重宝されるがごとく、身体も、美しく、健康で、丈夫なほうがいいに決まっている。
内実が伴わなければ、かえって美貌が不幸のもとになるが、理想は、内外とも美しいことだろう。
ここで美容整形を行なう時の注意をすると…。
①心と自分を変える手段であると認識する
②鼻をとがらしたり、小さくしない(福相を留意した美形にする)
③歯はなるべく抜かない
①はすでに申したとおり、劣等感にさいなまれ自分に何の自信もない女性は、思いきって整形手術を受けるとよい。
自信のないまま生きていると、死んだ時、本当に暗い霊界にいってしまうからだ。
私のところへ相談にくる女性の中で、ここを少し変えると、もっと美人になり自分に自信が湧くだろう、と思う人もいる。
しかし、私の口から、「あなたね、ぜひこの部分を整形手術して、はつらつとした精神の美しさをとり戻しなさいよ」とは、いい難い。
なぜなら、「私はあなたのことをブスだと思っている。顔に問題がある」と、モロに表現していることになり、これではレディーに対して大変失礼であるからだ。
もちろん、整形する必要のない人は、それにこしたことはない。やむを得ず、どうしても、という女性のみ手術を受ければよいわけだ。
趣味で手術ばかりに凝ると、法事等で親類に会った時、挨拶がぎこちなくなってしまうだろう。
さて、②の鼻についてだが、そもそも鼻というのは、その人の生命力の強さ、中年期の運勢の度合いを示している。
低い鼻を高くする女性が多いが、高すぎる鼻は、文字どおり、天狗やキツネ霊を呼びやすい。
また、目と目の間を盛り上げ、鷲鼻にすると、自尊心の強すぎる性格となる。ダンゴ鼻を小さくしてしまう女性も見うけられるが、生命力が弱まってしまうので、くれぐれも注意すべきである。
以上のような理由から、鼻の整形は運勢、人相を考えて、慎重に行いたい。どのような鼻がよいかといえば、豊かさを感じるバランスと、ある程度、厚みがあり、そこに勢いとつやのある鼻がよい。
③の歯だが、白くする程度ならよいが、歯を全部抜いて並び変えることは、できるだけ避けたい。というのは、歯を抜くと生命力が落ち、運勢も悪くなるからである。
本来、歯が抜け落ちるのは、お年寄りである。これは自然の流れで、歯を失うことによって、体の栄養を支える食物の咀嚼力が弱まり、栄養を十分とることができなくなり、その結果、体の衰弱を早め死期を迎える、というプロセスなのである。
このように、歯は生命力を象徴している。だから虫歯で若いうちから歯を抜いてしまったり、単に美容のみの目的で歯を全部入れ替えたりするのは考えものである。
虫歯は日頃の生活がきちんとしていれば防ぐことができる。
また、歯並びが悪くて美容的にも、健康面から考えても矯正する必要があるならば、二~三本のみにとどめておいたほうが、運勢的にはよい。
その他の美容整形としては、二重まぶたやアゴ、唇などがあるが、骨相や人相が極端に変わらない程度なら、という条件つきでいいのではないかと思う。
何度もいうようだが、美容整形をする場合の心得としては、美しくなることによって、魂も同時に美しく、軽やかになるようにするためであることを忘れないことだ。
形ばかりをいくら美しく装ってもダメ。大事なのはあくまでも中身、気持ちなのである。
幸運を自分でつかんだ早見優さん
タレントの早見優さんとは、「超能力者と会いたい」ということでお会いしたが、花がパッと咲くような、笑顔が印象的だった。
彼女は、一四歳の時、エレベーターの中でスカウトされたそうだが、そのいきさつが面白い。その日、彼女は生まれて初めてピアスをしたそうだ。
そして、「ピアスをすると運勢が変わる」ということが気になった。
もちろん、何気ない動機だったのだろうが、彼女は素直にそれを信じたのである。
そして、エレベーターの中で「耳に穴を開けると、運命が変化するのかな……」と思っていたら、なんとそのエレベーターの中でスカウトされたのだ。そして彼女の運勢はその日を境に大きく変わることになる。
人の運命とは往々にして、こんなちょっとしたハズミで転がっていくものである。
何が幸いし、何が災いの種となるのか、まさに、天のみぞ知るであろう。
ちなみに、私が鑑定したところ彼女の前世は、一七世紀のイタリアに生きたシスター であったが、ただのシスターではない。
政治犯を牢獄から解放し、三〇〇もの人命を救った人だった。
ところで、小さい幸運を大きい幸運に、災いを転じて福とする方法もある。
そのことについては、拙著「強運」で詳しく説明したが、要は、自分自身の心のもち方、考え方なのである。
男運についてもしかり。美容整形をするもよし、美しく着飾るもよし、化粧品を色々と選んで塗るのもまたよし、である。
あらゆる機会をとらえ、美しくなろうと努力したあとは、自分に自信をもち、「すでに男運はきている」と信じることだ。
「こんなに美しくしたんだから、今日は必ずいいことがある」と確信し、幸せな気分に先に浸ってしまうことである。
問題は、それを何日間、何年間続けられるかである。その継続力のない人は運勢を完全に変えることはできない。
また、自信とは読んで字のごとく、自らを信じることだ。そうすると、体の中から不思議なパワーが湧いてくるものである。
このことは、程度の差はあれ誰でも経験していることだろう。
つまり、信じるということは、力なのである。また、継続も同様に、運を引っ張る力となるのだ。男運をつかんで幸せになりたい、と願うなら、美しく、明るくなるための努力を継続して行い、その上で、「必ず男運に恵まれる」と確信することである。
継続的に確信すれば、それがすなわち「幸せ運気」「男性運気」を呼ぶ「力」を得ることになるのである。
道祖神は身近な縁結びの神様
最近の若い女性は、「道祖神」といってもピンとこないかもしれないが、かつてはちょっと郊外に足をのばせば、道端に必ずといっていいほど見られた”故郷の神”である。
この道祖神、本来は村里の境界などにあり、村や旅人たちを邪神から守ることが、おもな仕事だった。
しかし、よくよくかの神を眺めれば、たいていは男女一対となっている。中には、男女が仲よく手を取り合っているものさえ見うけられる。
男の神は最初の男神である神漏岐、女の神は最初の女神である神漏美を示している。
なぜ、村里の神は男女一対なのだろう。天地に祈って豊穣を願ったのと同様、人々が男女が正しく睦み合って、子々孫々村が栄えるようにと、道祖神に手を合わせていたからである。
また、「好きな人と一緒になれますように」との願いも、道祖神に掛けていたようだ。
もともと、神漏岐、神漏美の神であった道祖神はそれから時代が下って、伊弉諾、伊弉冉の神のパターンとなったのである。
いわば、夫婦神の元祖といえる。だから、香保温泉、元祖・湯の華まんじゅうのように、とろけるような、よき甘さのある恋が実るのだ。道祖神に祈る時は、必ずこのおふた方のことを心にとめるようにしよう。
また、ホコリまみれになっているような道祖神を見かけたら、簡単でよいから掃除してあげたい。こういう何気ない善意を神霊界は非常に喜ぶのである。
お供え物が何日も置きっぱなしになっているようなら、それも片づける。野草が生い茂っていたら、道祖神の周囲ぐらいは抜きとってやる。要は、道祖神に対する心遣いである。
昔の人々が、素朴な気持ちで祈ったように、われわれも道祖神に素直に手を合わせたい。そうすれば、その願いは必ず聞き届けられるだろう。
ただし、拙著『強運」で紹介した地蔵尊と同じように、あまり古くボロボロになっている道祖神には気をつけたほうがよい。
石の気とタヌキ化した人霊の気とは似たところがあり、往々にしてタヌキ化人霊や女の執着の妄念が練り込まれていることがあるからだ。
ペガサスに祈ってもよい
秋の夜、天上を眺めると、ペガサス座が見える。星座にうとい人でも、ちょうど頭上に、大きく輝く四つの星を見つけることができるだろう。
それが、「ペガサスの大四辺」と呼ばれるもので、その位置がすなわち、ペガサス座である。
いきなり、星座の話が登場して奇異に感じておられる読者も多いだろう。が、実は道祖神のおられる場所が、このペガサス星座なのである。
「ウッソー。信じられなーい」
などと目を点にして驚かれるかもしれないが、これは本当である。ちょっと話を聞いてほしい。
ペガサスとは、ギリシャ神話に出てくる、翼のある天馬。ペルセウスが女怪メドウサを殺した時、その血の中から生まれたとされる。神霊的に見ると、ペガサスの体は神漏岐で、翼の部分が神漏美となっている。
両者が合体して、初めてペガサスとしての働きが可能となるわけだ。世界中でこの事実を知っているのは、たぶん、私しかいないだろう。実際、私は霊身となって飛んでいき、見て確かめてきたのである。
秋の夜空を眺めながら、
「ペガサスの神よ。どうか、私のもとに素敵な恋人を連れてきて。お願い……」と祈ってみるのもよかろう。
男運が上空からまい降りてくるかもしれない。なお、このペガサスへの祈りは男性でも同様に効果がある。
「理想の女性をつかわしたまえ」と心から祈れば、女運は確実に向上するだろう。是非実行していただきたい。
また、ペガサス座が見える秋以外の季節はどうするかといえば、イメージだけでよろしい。目を閉じて、天空に輝くペガサス座を思い浮かべるのである。
夜でも昼でもかまわないから、自分の想念の世界でペガサス座を作り、背に翼をつけたペガサスを連想するのである。もちろん、その馬の背には理想の王子様が、真白な歯をのぞかせながら、あなたに微笑みかけているのである。
「○○さん、あなたを私のお妃として迎えるために、はるかな国からやってまいりました。さあさあ、その手を……」
このイメージの中に、自らの祈りを注入すればよい。これが、婚約神霊界を動かす秘密の方法なのである。
ヒナ壇飾りは神霊界の写し絵だった
またまた、突拍子もないことを書くと思われるかもしれないが、どうか、もうしばらくおつき合い願いたい。
毎年、三月三日の桃の節句に飾るヒナ壇は、神霊界の実相にピッタリなのだ。一番上に、内裏ビナとお姫様。
以下、ズラリと階級があり、三人官女や五人ばやしなどが、行儀よく並んでいる。
実際の神霊界は一〇段、二〇段などというものではなく、何百、何千という階級だが、最上階にヒナ壇飾りと同じく、男女(正確には神漏岐、神漏美)が並び、以下、それぞれの霊層にしたがって生活している。
古の人が神霊界を垣間見たとき、あたかもヒナ壇のように目に映ったのではないか、と思う。
しかも、それをわざわざ桃の節句、すなわち女性の祭りごとに用いたのは、意味深長というべきだろう。
単に、神霊界を写しとった形、というより、そこには、男運招来の願いもあったればこそ、女性の祭りごとに用いたのである。
イメージの創造で、神霊界とより接近することに、古代人の無意識の叡智が働いていたものと思われる。
かつては、このヒナ壇を前にして祈$79B1し、男運はもとより、さまざまな願を掛けたのである。
実際、今日でも、ヒナ壇を見ながら敬虔にそのことを確信しつつ手を合わせると、神霊界は動くのである。
もともとおヒナ様の発祥の地は、飛騨高山の官幣大社水無神社である。神霊的に見ると、皇室に代々伝わっていた「ヒメゴト」が、ここに伝わっているのである。
飛騨地方への観光旅行もいいが、こういう神霊界のことを知っていれば、よもや、黙って通りすごし、男運をみすみす逃してしまう、ということもないだろう。
もう一つ、これは少々、乙女チックになってしまうが、内裏ビナとお姫様をきれいな紙か白絹か何かで作り、机の上や枕もとに置き、絶えず願いをおくり続ける、という方法もいい。
具体的に連想できる品物を使い、願いを掛けると、意外な効果が得られるからだ。
映画などで、「丑の刻まいり」をしているのをときどき見るが、あれとは全く逆となるわけだ。
過度な執着心や欲望をもたず、大きな夢を託して、善と真心のよき神霊界を動かそう。
《嫌われない優しさ三つのポイント》
女は優しさが一番確かにその通りだが、手当たり次第に優しくするのも考えもの。
「小さな親切、大きなお世話」という言葉もある。そこで、相手に嫌われない優しさを実行するためのポイントを紹介。
〈相手が望んでいるかどうか〉
相手が頼みもしないのに、あれこれ優しさをバラまくのは”ありがた迷惑”になりかねない。
「ネクタイの曲がり、直してあげます」「机の上整理しておきました」
などである。ネクタイの曲がりぐらい、自分で直せる。子ども扱いはやめてくれ、と思われるし、机の上に大事な書類があったのにと責められることもあるだろう。すぎたるはなお及ばざるがごとし、なのである。
男性にとって、一番女らしさと愛情を実感するのは、コートを背後からかけてもらう時、スーツの上着を着せてもらう時、うたた寝の体に毛布や薄いものをかけてくれる時である。
もちろん、電気カミソリのヒゲ掃除もたまらなく嬉しい。自分ではつい忘れてしまうし、かといって他人がそこまで気を配ってくれることなどないからである。
また、すべての男性が共通して嬉しく思うポイントは、優しさの表現を料理の品数で表わしてくれる時だ。
単純だが、不滅の真理だと思う。一緒に生活しているのなら、「岩のり」「くちこ」「くさや」「タタミイワシ」「カラシ漬け」「めざし」「ウニクラゲ」「カラスミ」などの珍味を必ず一品ふやして出すように心掛けよう。
〈見返りを期待していないか〉
「あの時、あんなに優しくしてあげたのに」
このひと言で、頭のいい男性なら、あなたの優しさが打算的であったことを見抜くだろう。
そして、優しさの狭さにガッカリするだろう。実際、私の友人はその言葉で結婚をやめる決心をしたくらいだ。
優しさは、愛情の発露であるはず。ゆめゆめ、「これだけ優しくしてあげたら、これぐらいは、お返しがあるだろう」などと期待してはいけない。
そういう優しさは、すぐメッキがはがれるものだ。
ところで、優しくしてそれが裏切られても守護霊はすべてご存じ。
もっと優しい彼が現れて必ずお返ししてくださるようになっている。
だから、見返りなど期待しない優しさに徹しよう。それが、みんなから愛される秘訣である。
〈時にはノーといえるかどうか〉
皆から優しい女性と思われたいばっかりに、頼まれたら嫌といえない性格の人がいる。
この女性は確かに優しい心のもち主だが、八方美人的な優しさは、やがて破綻する。
というのは、「○○ちゃん、これやって」「○○ちゃん、あれ頼む」と、たくさんの注文がくれば、どれかは断らなくてはいけなくなるからだ。
その時、はっきり、「ノー」といえるかどうかが大切。無理な注文を受けて、約束を果たせなかったら、優しさはかえってアダとなる。
しかし「ノー」という言葉は往々に相手の感情を害しやすい。だから、返し言葉には注意が必要。その心構えをしっかり覚えておいてほしい。
まず、断定的、独善的な表現は絶対とらない。そこで、枕詞を置くことにしよう。
たとえば、光といえばいいものを「ひさかたの光のどけき……………」と、「ひさかたの」を入れるのだ。これが、古来からの日本の言語習慣だ。
「ノー」という時も同様、この枕詞や序詞にあたる表現を使って、女らしく美しく断ると、相手に害を与えずに断れる。
例を述べておこう。「あなたのおっしゃる意味はわかるのですが……」「そうしたいと思うのですが……」という具合に、ソフトな口調で断るとよい。
ところで、断り方のうまいのは、土地柄では京都の人。職業別では、銀行の融資係など。
特に、銀行の融資係は”断りのプロ”だ。職業柄身についた特技だが、保全、資金使途、返済能力、預金メリット、このいずれかに問題があれば、どこまでも丁寧に「おいらんさん」以上に素晴らしく断ってくる。
そして、定期預金だけはしっかり契約させていただくといった巧みさ。友人で銀行の融資係がいれば、論理の展開パターンや枕詞、序詞にあたるいい回しを教えてもらうといいだろう。
この人たちも断る時は真剣勝負でやっているので、かなりのストレスがたまり、大変、辛い仕事のようだ。
業務の性格がそうさせるのだから、人柄のせいでは決してない。優良企業でない会社の担当ともなると、いかに上手に断るかで悩むため、胃潰瘍になることさえある。
ついでに断るときの表情のポイントを融資係さんから盗むと、こんなパターンが浮びあがってくる。
①笑顔②優しいムード③八方美人的④前置きを長くする⑥丁寧詞と敬語を滑らかに美しく使うなどである。是非、実行していただきたい。
女は男より、神に近い存在
一家の大黒柱は、家の主人、すなわち男性であると思っておられる方も多いだろう。確かに、経済的な意味ではそうだ。
しかし、神霊的視点で男女を考えると、実は女性のほうが神に近くて家の霊界の中心となっている。
だから夫は、「実は家のカミさんがねえ…………」と自然のうちにいわされているのである。『旧約聖書』の天地創造の記によれば、神は最初の男性アダムのあばら骨から女性エバを造ったとある。
これだけ見ると、女性は男性より「下」であるように思われるかもしれないが、そうではないのだ。
神は万物を造られた。それも、下等なものから順々に、高等なものを造っていったのである。
つまり、創造があとになればなるほど、より神に近い存在、完成度の高いものになったといえるのだ。
天地創造は六日間で終わり、七日目に神は休息された。そして、この天地の覇者として、人間を造られたのである。最初に男、その次に女。
女は男が作られたあと、神の創造されたもののうちで最後の完成品として出現したのだ。
女性のほうが、より神に近い存在であることは、女性の腹から子供が生まれることからみても推察できよう。
しかも、子種が宿り、育つ部分を、「子宮」というのである。宮とは、つまり、お宮である。神社のお宮といえば、すなわち神が臨在される場所である。
多少、こじつけに聞こえるかもしれないが、事実、神霊的に見れば、文字通り、女「性の「子宮」は、神が住まうお宮と同じなのである。参道は「産道」と同じであり、両足が鳥居で、森も全体を深くおおっている……。エッチ!変な想像はやめよう。
断っておくが、いくらお宮だからといって、そこの部分に手を合わせてもご利益が授かることはない。
しかし、子種はそこに授かり、そして、子が育つ。女性の体の部分では、霊的、肉的にきわめて重要な部位であることには違いないのである。
男尊女卑の風潮は、知性と力がすべてと思い込んでいる「男社会」が作り出した幻影なのであって、かつては、神の啓示を受ける立場の者は女性だった。
邪馬台国を支配していたといわれる卑弥呼も、もともとは、神に仕えた巫女であった。昔は、とくに日本では女性のほうが、神霊感応が鋭敏であったので重要な存在だったのだ。
女性の祈りは神に届く
また、現在も残っている風習として、「女性を工事中のトンネルに入れるな」とか、「女性を軍艦や商船に乗せるな」というのがある。
これは、別段、女性を不浄の存在として考えたのではなく、女性がトンネルに入ると、山の神(女)が嫉妬して、災害をもたらすと信じられているからである。
船も同様である。元来、船は女性称である。女性を乗せると、船が嫉妬して乗組員を守護してくれない、というわけだ。
だから女性たちは、もっと自信をもっていい。豊かな霊性にもっと目醒めるべきだ。
きめ細やかな情感、子を育てる母の愛、盲目になるほど男に注ぐ女の無報酬の愛・それらはすべて、女性が神に、より近いがゆえにできることなのである。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は男性的面が出ている天地創造神ヤーウェを主神として崇めているが、本当は、その奥に女性神がいて、銀河系宇宙を創造されたのである。
植松先生によると、それが白山菊理姫である。神霊界でこのようなパターンがあるので、日本でも女性神、天照大御神が最も尊い主宰神となっているのだ。
もちろん、根源の神は陰陽未発、つまり男女の区別はなかった。男女区別のつく神となったのは、女神が最初であり、天母となったのだ。それから男神が顕現して統一のわざをなさったのである。
マリアとイエス、あるいは倭比売命と日本武尊の関係に近い。日本武尊は、叔母にあたる倭比売から、剣と火打石をいただき、東征へ向かったのである。
要するに母親的立場の人物のおかげで、男は事を成せる、というわけである。それが宇宙の法則の一つなのだ。
ところで、現実界をよく観察してみると、男は、女房と子供を養うために、あくせくと働いているように見える。
男性への感謝も大事だが、女性は自分自身がより神に近い存在であることを忘れず、神仏に対して男性以上に意識を高める必要があろう。謙虚に感謝しつつ神仏に祈るならば、その願いは必ずや聞き届けられるだろう。
神様は法や理の面もあるが、女性的感覚でとらえるほうが、より神心にかなっている。「南無妙法蓮華経」の「妙」も、少女と書く。
少女のように純粋であり、真剣でロマンに満ちて祈ることが大切なのである。
家庭霊界は、そこから繁栄していくのである。
家庭運は女性が支配している
ムッツリしている父親がいても、家庭は暗くはならないが、女性、特に母親がいつもしかめっ面をしていると、家の中は暗くなる。
会社でも、女性が皆、無口で険のある顔をしていたら、職場は異様な雰囲気に包まれてしまうだろう。だが、香港の女性はこうなのだ。
絶対に職場では笑わない。そして、多くの香港の男性は、切に日本女性と結婚したいと望んでいる。世界中の男性は皆、同じ思いだ。
ところで、本来、女性は明るいものであり、華やいだ雰囲気が、そもそも備わっているのである。余談になるが、神霊界も、実をいえば華やかなことが大好きだ。
神社のお祭り、お神輿ぶりは、たいそう賑やかである。笛や鉦、太鼓、それに威勢のいいかけ声。思わず踊り出したくなるほどだ。
神様も、そのとき、本当に心をうきうき踊らせている。
なにしろ、天の岩戸にこもった天照大御神でさえ、岩戸の外で賑やかに踊る天鈿女命に心を動かし、「どれどれ、私もちょっとのぞいて見よう」と、岩戸を思わず開けたほどである。
明るく賑やかな雰囲気は、神が最も好むところである。ただし、色欲うず巻く歓楽街の賑やかさは別である。
余談ついでに、地獄界の様子も紹介しておこう。ここには華やかさはない。
暗闇が広がり、空気は冷たく、笑い声はまったく聞こえない。
ただただ、人を呪う恐ろしげな声苦しげなうめき声、そして泣き叫ぶ声がマルチステレオよろしく、四方八方、上下左右から慄然と響いてくるだけである。もちろん、ここに住む霊の顔も悲惨の一語につきる。
暗い表情には、人を怨み、人に怨まれた苦しみが漂う。目は巨大な二つの穴にしかすぎず、吸い込まれるような恐ろしさが、二つの穴の奥にある。愚痴、不満、さげすみの声が、ささくれだった唇から、際限なく発せられる。
こんな場所には、一秒たりともいたいとは思わない。が、ここの住人たちは、これが日常であり、暗い地獄の底で身悶えしながら、何百年もすごしているのである。
さて、余談が長くなってしまったが、家庭の中へ話を戻そう。
女性は神に近い、と先ほど述べたが、それはとりもなおさず、神霊界の影響を受けやすく、かつ周囲に反映しやすい、ということでもある。
また、時間的に見ても、家庭で接することが一番多いのが母親だが、その母親が地獄界の霊気をもっていたらどうなるか。
いわずもがな、家は暗くなる。第一、家族同士の会話がないし、温かさも感じられない。まさに、地獄の雰囲気そのままである。
ところが、明るくて何ごとにも積極的な母親だと、家の隅々までが神気に充たされる。
家中に笑い声が絶えないと、天の岩戸の天照大御神よろしく、「この家は、何がそんなに楽しいのかのう。ちょっと、私も仲間に加えてくださらんか」と、善霊たちが、寄り集まってくるのである。ちょうど、天鈿女命が家の中で楽しげに踊っているようなものである。
夫婦は岩清水のごとく
また、母親が明るいと、子供も明るく、ご主人は安心して仕事に精を出せるものである。家のことはすべて母親に任せられるからだ。
もっとも、明るいだけではダメで、家計や料理、洗濯等も人並にこなせないといけない。
その上で、任せられるわけだが、性格が明るいと、人間関係での煩わしさが少ない。
外で、“七人の敵”と戦うご主人にしてみれば、銃後の憂いがないので、全力を出しきれる、というわけである。そういうわけで、ほとんどの男性は、結婚する女性の理想として「明るい女性」を第一にあげることが多い。
ところで、こんどはご主人。奥さんのやるべき家事一切については、いちい口出ししないほうがよろしい。
お互いに、自分の仕事の領域を侵さないことが大切なのだ。
料理や掃除、洗濯のことをこまごま指図されたのでは、奥さんも気が滅入ってしまうだろうし、逆に、仕事のことをとやかくいわれるのは、ご主人としても、片腹痛い思いがするものである。
相談し合い、協力し合うことも大事であるが、お互いに自分にはわからない貴重なものをもっていることを尊重し、相手の領域へ土足で踏み入らないことだ。お互いの距離をうまく保つ工夫が大切なのである。
そして、夫婦関係を長もちさせ、いつまでも幸せであるためのコツは、岩清水の味のような関係がよいといえるだろう。岩清水の逆は中華料理である。
中華料理のたとえば酢ブタ。あれは美味しいし、私も好きだ。だが、味が強すぎて、毎日は食べられない。蜂蜜も甘くて美味しいが、かといってのどを潤すために毎日飲むことは困難だ。
年中、生活をともにすることのない恋人時代、恋愛時代は、酢ブタや蜂蜜のように甘酸っぱく、とろけるような濃厚な味であってもいいが、一つ屋根の下に毎日暮らす夫婦関係に入ったら、若干の方向転換、味つけの工夫をしなくてはいけないのである。
そこで岩清水の登場である。石清水八幡宮のことではない。岩清水は一見、無味無臭、それこそ「味も素っ気もない」もののように思えるが、実はそうではないのだ。
味わえば味わうほど、得もいわれぬ美味しさが口に広がり、しかも、毎日飲んでも飽きがこない。コーヒー、紅茶、ウイスキーのオンザロックにしても、原材料の味を数倍引き立ててくれる。
コーヒー好きの私など、最近では岩清水に凝ってしまって、「京の水」「丹沢の水」「富士のミネラルウォーター」「秩父の水」「谷川岳の水」「北極の水」「隣の井戸水」と、日替りで楽しんでいるほどだ。
それぞれに微妙な変化があって、飲むごとに胃腸が感動している。
「いろいろな夫婦の個性の味わいのようだなぁ」
お水に見とれて、いつもこうつぶやく。ゴツゴツした岩や山肌の間をチョロチョロ流れたり、怒濤のような滝となって流れ落ちる岩清水。
山あり谷あり、ぶつかり合ったり、ゆるやかに流れたり、まるで夫婦の道のようではないか。
岩清水がそこに流れていなければ、荒涼たる山脈となってしまうだろう。山の草木を潤し、人ののどと心を潤す。これが、岩清水の妙である。
元来、生命の糧として毎日食べたり、飲んだりするものは、一見、際立った味などしないものである。岩清水しかり、食べものではパンがしかり、お米もしかりである。
かりに三〇歳で結婚し、八〇歳で没すると考えれば、夫婦ともに生活する年月は五〇年。
人生の半分以上の歳月を、ともにすごすのである。性格が不一致だと、お互いに生苦しまなければならない。
しかし、お互いが尊敬し合える立場で、ともに人間的な向上を目指しているのなら、こんなにハッピーなことはないだろう。
兄弟、姉妹でも五〇年も同居すると、ぶつかり合いもあれば、ケンカにもなる。
ましてや別々の環境に育ち、価値観も生活習慣も違う者同士が、五〇年間も同居するのである。お互いが尊敬し合える夫婦など、神様か、なんらかの宗教的理念を強く共有している者同士でなければ、とうてい不可能だと思う。今は、家単位ですべてが動いた封建時代ではないのだから……。
「かすがいとなる子供」か「共通の目標」、あるいは「連綿と続く寛容と忍耐の歴史」の三要素がなければ、”夫婦”という豊かな岩清水は流れてこない。
いや、そのうちの何かひとつだけでもいい。それがあれば、豊かではないにしろ、チョロチョロと岩清水は流れるのである。五〇年… 人生は長いのだ。
人間同士が理解し合うこれは至難のことであるが、これを夫婦のあり方の原点にすることが大切である。
理解し合うことが容易でないから、それが達成されたとき、味わい深い岩清水が流れ出すのだ。尊敬と愛とは理解し合おうとする、お互いの努力の上でこそ長続きするのである。
三変化できる女になろう
では結婚後、相手にとって岩清水やお米的存在となるためには、その他に、あなた自身はどうしたらいいのだろうか。
基本的には、いままで述べてきた内容からもわかるように、心掛けと叡智の切り替えの問題である。
相手を敬い、相手の領域を侵さない。そして、お互いに距離を保ちながら助け合う。
これが大切なのであるが、前述の三つ以外にもう一点、大事なことがある。それは、「変化する女になれる」ということである。
「忍者や妖怪じゃあるまいし、そんなこと、できないわ」というなかれ。変化といっても、さほどむずかしいことではない。その気にさえなれば、誰にでも簡単にできる。変化は主に三つである。
①女になれる
②母親になれる
③かわいい妹になれる
細かく分ければ、もっと多くなるが、基本的にはこの三つ。この三役をこなすことによって、夫にとって岩清水のように飲めば飲むほど味の出る、そしていつまでもおいしい存在となれるのである。
まず、①の女になれる、とはどういうことだろうか。これは文字どおり、女である。男であってはならない。
女っ気をまったく感じさせない男まさりの女性は不可である。つつましやかで、こぎれいでかわいくて、どこか神秘的な”女という雰囲気をもった女性がいい。
また、歌謡曲ではないが、〝時には娼婦のように”なることも必要である。男性の相談者に次のような話を聞いたことがある。
「いや…………もう…先生、うちの女房は、女としては最低ですよ。パーマは半年に一回いくかいかないかで、化粧一つしません。
仕事で疲れて家に帰っても、女房のやつは、ブスッとシワだらけの顔でテレビを見ているだけ。”お帰りなさい”のかわりに”あら、あなた帰っていたの…ですから、あきれちゃいます。
おまけに、ピーナッツをほおばって、ゴロンと横になって水割りを飲んでいる。会話といったら、子供の話かテレビの芸能ニュース、あるいは犬の世話ばなし。
これ以外に関心がないのです。会社の同僚を家に連れてくるのもみっともないし、女房を外に連れていくのもムシズが走ります。
先生、私がキャバレーの女性たちから、それが営業用だとわかっていても女らしく、セクシーにしてもらうのを喜ぶのは無理もないと思いませんか。ホントに……あのクソババアめが」
つまり、①の要素が完全に欠けてしまうと、この男性の奥さんのようになってしまう。女性ならば、何歳になっても化粧をし、ファッションを研究し、女らしい魅力と美を失わない努力が必要なのである。
②の母親になれる、とは慈母愛という言葉もあるように、相手を包み込んでしまうような、大らかさをもつということだ。
夫に対しても、時には母親的態度をとることができるかどうかが問題である。
細やかな心遣いや、仕事で疲れた夫の心を優しくいたわってやれる、そんな女性となることが必要である。
どんな男性も、母性に対する憧れと親しみがあり、そのため母親とよく似たタイプの女性と結婚する男性も多い。決して押しつけがましくなく、夫が苦しんでいる時に、そっと甘えさせてやる母性が必要なのである。
その理由はしごく簡単である。なぜならば、かつて幼き頃、母親の膝の上で眠り、そして泣きじゃくったり、いたずらしたりした思い出を、たいていの男性は無意識のうちに強くもっているからである。
欧米と違い、日本人の男性は特にこの傾向が大である。③の意味するところは、かわいい妹のようになれるかどうかだ。
夫に対して妹のように甘えたり、夫から見て「かわいいやつだな」と思える女性であるかどうかだ。
八〇歳をすぎても、少女のようにかわいい雰囲気をもったおばあちゃんがいる。たいてい、おじいさんと仲がよく、おじいさんも優しく、いつもニコニコ目を細めて笑っている。
この三役を上手に使いこなせるようになれば、まず妻としては大丈夫。
女として迫ったり、母親のように優しくしたり、叱ったり、また妹のように甘える……こういう要素が女性にとっては必要なのだ。それは男性が女性に欲する三大要素であるからだ。
しかし、これは女性に本来、自然と備わっているものなのである。無理してつくる必要はないが、それなりの心構えと努力が必要である。
女性はいつも、女、母、妹に変化できることが大切なのである。それをしっかり頭の中に入れておくことだ。なぜなら、それが身を守る”女の知恵”というものだからである。
男の能力は女で決まる
複雑そうでいてきわめて単純なのが男性である。確かに理性的だし、腕力も体力もあるが、男は女にかなわない。
「山内一豊の妻」という言葉がある。夫を立てた妻の話である。英雄の陰には、必ずといっていいほど、賢い女性がいて、男性を盛り立てているものだ。
また男性も、よき妻を得れば、自分の能力をいかんなく発揮できるだろう。男と女は、そういうもちつもたれつの関係なのだ。もっとも、これにはいろいろなパターンがある。
西欧の有名なことわざに、こういうのがある。
「若者よ、大いに結婚したまえ。それがよき結婚であれば、君は幸福になれるだろう。そして、もしその結婚が不幸であれば、君は哲学者になれるだろう」
夏目漱石が、あれほどすぐれた芸術性を発揮できたのは、悪妻をもったがゆえに、大いに苦しみ悩み、孤独の中に自己の哲学を確立したからだといわれている。
また、実はお釈迦様が出家をなさったのも、直接の原因は悪妻と女性たちとの三角関係〟に悩んだからなのである。漱石やお釈迦様のようにはなれなくても、悪妻の悩みを、仕事にぶつけ、遮二無二働いたおかげで、思わぬ出世をする人もいる。
ともかくも、こうした例は、悪妻が男を盛り立てたパターンといえる。
