第1章 人間関係で悩んでいるあなたへ
友達に「あなたみたいな低俗な人間とは付き合いたくない」と言われた
Q つい最近、レベルの高いお友達に「あんたみたいに低俗な人とはつき合いたくない。だけど、何かあんたが気になるのよねえ」と言われてムカッとしました。
事実、今の私は最低なので、何と言われても仕方ありません。でも、その友人に言いました。
「今は最低でも、五年、一〇年のスパンで私を見てほしい。最悪でも死ぬまで勝負はわからないはず」と。人間的に、レベルアップしてゆく術がありましたら教えてください。(K子/女)
ムカッと来る人が自分のことを好きになれば勝ち!
深見:「死ぬまで勝負はわからないはず」なんて大見栄きることはありません。そんなことを言うから最低なんです。ムカッとする必要もありません。
「最低の私でも、気にかけてくれてありがとう」
こう言ったらいいんです。
付き合いたくないけど気になるというのは、やはりご縁があるからでしょう。その友達 2 とあなたは前世で親子だったのかも知れません。
「馬鹿な子ほど可愛い」と言います。レベルの高いお友達が、せっかくそう言ってくれるのですから、どんどん甘えたらいいんです。
「あなたがそう言ってくれただけで、今日一日幸せです。私は最低でもいいの。あなたにはどんどん素晴らしくなってほしい。だからあなたに徳を積ませてあげるわ。私にご馳走してよ」と言ってみたらどうでしょう。
「コーヒー一杯とショートケーキが一個あれば、私は最高にハッピーなんだけど、気になるんだったらそうして」
「うーん、仕方ないわ。じゃあ連れてってあげる」ということになれば、お茶代が助かります。
「実は、今日は朝から何も食べてないの。あなたみたいな素晴らしい人が、私みたいな最低の人間のことが気になるんだったら、夕食ご馳走してよ」
「仕方ないわね」
ばんごはんだいということになれば、晩御飯代も助かっちゃいます。
コーヒーをご馳走してもらって、夕食もご馳走してもらって、その人が幸せになるのですから、こんなにいいことはありません。
高いレベルの人を幸せにしてあげれば、あなたのほうが、もっと高いレベルになるわけです。五年、一〇年なんていうスパンで見なくても、数分間で最高になれます。
世の中にムカッとする人間はいっぱいいます。いつも自分に気持ちいいことを言ってくれる人が、一体何人いるでしょうか。
でも、ムカッと来る人が、自分のことを好きになってくれて、引き立ててくれて、ご飯をご馳走してくれたり、友達を紹介してくれたり、映画や音楽会に連れて行ってくれたりすればいいじゃありませんか。
あなたがレベルが高いと思う友達は、客観的に見ても、知性があったり、教養があったり、学歴があったり、財力があったり、ファッションセンスが良かったり、何かあなたよりも優れた所があるはずです。
その人が自分を好きになってくれて、引き立ててくれたら、自分がその人に勝ったということです。
気持ち良く付き合える友達とは、気持ち良く付き合えばいいんです。ムカッと来る人からも引き立ててもらえば、あなたの味方はどんどん増えていきます。これは素晴らしいことです。
自分を克服すれば神様はそれだけ守護してくれる
世の中には腹が立つ人はいっぱいいます。しかし、ムカッとすることがあっても、「待て待て待て」と自分に言い聞かせるようにしてください。
ああいう人でも、自分のことを理解して好きになってくれて、味方になって協力してくれたら自分の宝物になるんだと考えて、憤りと怒りを克服することです。
会社でも、ムカッと来る上司は必ずいます。
しかし、「くそーっ」と思って向かって行っても、組織の中では上司のほうが権限がありますから、自分がやられるだけです。ムカッと来たら、そのときが勝負です。
「あの上司に勝つぞ。あの上司が自分のことを好きになってくれて、自分のことを引き立ててくれて、可愛いがってもらうようになるぞ」と心を切り換えるのです。
ムカっと来る部下ももちろんいますが、そのまま感情をぶつけたら、いつか必ず足を引っ張られます。
相手が上でも下でも同僚でも、ムカッとした気持ちをそのまま相手にぶつければ、気分はスカッとするかも知れませんが、しばらくしたら、必ず自分に火の粉が返ってきます。
本人は必死なのかも知れませんが、周囲の人は、「あんな馬鹿言わなきゃいいのにな。もっと大人になればいいのに」と思って見ています。
政治家でも、宗教家でも、芸術家でも、世の中で成功している人や人望があってみんなから支持されている人というのは、多かれ少なかれ、そうした人間関係の問題を克服している人です。
結局、その人に見合った分だけのものしか、世の中で成し得ないのです。
神様はいつも見守っていてくれますが、人間として立派にならなければ、限定されたご守護しかいただけません。未成熟な人は、未成熟なりの小さな守護しかしていただけないのです。
大人に脱皮して、はじめてスケールの大きい守護と導きが得られ、社会で大きな活動ができるわけです。世の中で沢山の人の支持を得るのも、神様から守護をいただくのも同じことなのです。

①徳…… 「人に益する行いをすること」で、具体的には困っている人を助けるとか、汚れているところがあれば掃除するとか、人を幸せにする行いを常に心がけ、かつ実践すること。徳を積めば守護霊や神々の応援があり、人も自分も幸せになる。
なお、徳には「陰徳」と「陽徳」の二種類があり、陰徳は人に目立たないところで積む徳のことで、陽徳は目に見える形の徳。陰徳のほうが功徳はより高い。前世や今世で人を幸せにした総量のことを徳分という。
自分の我の強さ、心の狭さが嫌だ
Q 自分の我の強さ、心の狭さがいやになる事が度々あります。人の事はよく分かるのに、ハッと気が付くと、自分が一番悪かったりして……。
何とかして、もっと大きな心を持った、ゆったりした人間になりたいんですが、どうしたらよいのでしょう。少しあせっております。どうかよい方法を教えて下さい。(A・S/五十五歳)
我が強いのは必ずしも悪いことではない
深見:大変素晴らしい方です。自分の我の強さとか、心の狭さが嫌になるということは、己を省みることが出来るわけですから、我が強いと言っても、たいした事ありません。
本当に我が強い人は、「世のため人のために役に立っているのに、何でもっと大事にされないのか」とか、「こんなに頑張ったのに、なんで神様はもっとお金をくれないのか」とか「私はこんなに尽くしているのに、夫はちっとも大事にしてくれない。夫の悪因縁に悩んでいる」
なんて平気で言います。これは相当我の強い人です。
「嫁も夫も子供も、年寄りの私にひどい言い方をするんです。許せない、許せない、許せなんていうのは、相当心の狭い人です。
自分自身の欠点がこれだけよく見えている人というのは、かなり心が広いし、人間が出来ているし、教養もあります。こういう質問が出来ない人がほとんどじゃないでしょうか。
我が強いというと悪いことのようですが、我がなければいいかといえば、そうとも言いきれません。我がない人というのは、人の意見に左右されて、絶えずフラフラしています。しかし、そうかと言って、いつも「自分が、自分が」というように、我がありすぎてもいけません。
「私の財産は誰にも渡さないぞ」というのは我といっても我執です。欲深い人というのは、我執が強いわけです。
また「私はこう思うんだ。この意見は絶対に変えない」というように、自分の見識をなかなか譲らないのを我見といいます。我執や我見は改めなければいけません。
知性と教養があれば、広い視野から物事を見るようになりますから、自然と我見は抑えられます。また内的なところに本質的な物を見るようになれば、即物的なものに執着しなくなります。
ある程度、学問と教養を身につけ、さらに、信仰心があれば、内的な充実ということに価値を見いだすようになりますから、我執や我見は収まってきます。
「うちのお父さんは頑固者でね」と言うのは、「うちのお父さんは、知性と教養と学問がありません」と言っているのと同じことです。
「わしゃ、頑固者だから」と言うことは、イコール、「私は知性と教養と学問がありません」という事ですから、頑固者だからなんて、開き直るのはみっともないだけです。そんなものは何の自慢にもなりません。頑固な汚れはザブで洗い流したほうがいいのです。
では、私たちに必要な我とはどういうものなのでしょう。それは、腹が決まったときに自然に出てくる我なのです。たとえば、「従業員のために絶対に会社を成功させるんだ」
腹を決めたときの信念や覚悟。これは、分かりやすく言えば、いい我です。理想の我です。この我が出ているときというのは、主体的に魂が発動している状態です。
「たとえ失敗しても、オリンピックを目指して行くんだ」
「私は、神仏のために生きていくんだ」というように腹が出来れば、正しい理想の我が出てきます。
いつも柔軟で謙虚なのがいいわけではありません。何の覚悟も信念も持たずにフラフラしている人より、少しぐらい我が強くても、腹が出来ている人間のほうがずっと尊いのです。
心が狭くても明るく生きればよい
確かに、我執や我見のようなネガティブな我を張らず、心を広く豊かに持てば、自分も周りの人も豊かに幸せにします。二十代、三十代の人が、大きく世の中の役に立つ人間に脱皮していくためには、これは大切なことです。
しかし、ある程度の年齢になったら、あまりそういうことばかり考えなくてもいいのではないでしょうか。特に五十を過ぎたら、もう自分というものが固まっていますから、我の強さや心の狭さが改まるとは私は思いません。
そういう無駄な努力は時間のロスですからやめることです。それより、明るく元気にやる気に満ちて毎日を生きていくことのほうが大切です。
我が強いまま、心が狭いまま、エネルギッシュに、「それ行け!」と生きろ、というのが日本の神様の考え方です。生成化育、進歩発展していく御魂の力こそが、神道では尊ばれます。
熱田の神様も伊勢の神様も、これを一番喜ばれるのです。暗く落ち込んでいるより、明るく元気な方が周囲も助かります。
「私は我が強いもんでございますから」とか、「もっと広い心を持たなければと思ってるんですが、心が狭くて申し訳ございません」といつも言っているのは、積極的な生き方とは言えません。
ぶつぶつぶつぶつ絶えず反省しているおばあちゃんというのは、謙虚かも知れませんが暗いです。これは神様はあまりお喜びになりません。
仏教系の教団で、因縁がどうのという中途半端な宗教をかじるとこうなってしまいます。
仏教というのは、心の内面を見つめていくことを説きますが、内面を永遠に見つめていかなければならないわけですから、自分が嫌になってしまう場合があるのです。「省みる」という字は、少な目と書きます。ですから、あまり、自分を省みすぎないことです。
年をとってきたら、更年期障害も出るし、世の中には嫌な事がいっぱいあってストレスが溜まりますから、それ以上に自分を見つめることはありません。
長寿をまっとうしたかったら、憎まれっ子になることです。ストレスが溜まらないから確実に長生きします。わがままで、心は狭くても、明るく楽しく生きているおばあちゃんというのは、健康で元気です。
庭をいつもきれいにお掃除して、お嫁さんに対してもガンガン対抗意識を燃やして、「来るなら、来てみろ!」という腹が出来ているおばあちゃんというのは、存在感がありますから、みんなに一目置かれます。
我が強くて心が狭いことは分かっていますから、その部分については周りの方で距離を置いて見てくれます。だから、やりたい放題で、絶対幸せなんです。
元気に精一杯生きられる限り生きて、床に伏すこともなく、お亡くなりになるときは、アッサリとあの世に行かれます。そして、お亡くなりになったら、必ずいい霊界に行きます。燦々と輝く霊界で明るく元気に喜んでいます。
これに対して、心が広く、やさしく謙虚で、いつも反省している人というのはストレスが溜まりますから、早死にをします。
あるいは、病気がちになって、長思いをします。そして、死んでもあまりいい霊界には行きません。まっ暗ではありませんが、薄暗いところに行きます。お月さんの明かりのような静かな所にいらっしゃいます。
私もこれには矛盾を感じました。この世的に見て、いい人がなぜ暗い霊界に行って、散々好き放題に生きたおばあちゃんがなぜ明るい霊界へ行くのでしょう。
やはり、明るく元気に御魂を発動させている生き方のほうが、天然自然の道に合っているのです。

①悪因縁… 因縁とは因と縁のこと。直接的原因を「因」、間接的条件を「縁」という。すべてのものは因縁によって生じたり滅したりする。よって悪因縁とは、現在の悪い状況をつくっている直接的・間接的な原因のこと。
②我執……自分だけの小さな考えにとらわれて離れられないこと。
③我見……自分だけのかたよった狭い見地や意見をいう。
④御魂…… 人間の中の神なる部分。本来、人は誰でも神の分魂を身の内に宿しているのである。
⑤霊界霊界の構造は、大きく分けて、下から地獄界、中有霊界(幽界)、天国界の三層になっている。地獄界には、灼熱地獄、釜ゆで地獄、血の池地獄などがあり、さらに地獄界は、第一地獄、第二地獄、第三地獄の三段階がある。
中有霊界は、現実生活で言えば中流階級の人たちが住むところで、生前、とりたてて悪いことはしなかったが、良いこともしなかったという人が行く霊界。生前の行いによって上中下の三段階がある。
天国界も、第一天国、第二天国、第三天国の三つに大きく分かれ、第三天国は、世のため人のために尽くした人、第二天国は、信仰の道を至純にまっとうした人、第一天国は、人間界最高の霊界で、信仰心篤く、しかも地位や名誉や財産を人々のために活用した人が行く。
そして、これらの天国界のさらに上には、より高い世界や神々様のいる神界がある。
人に対して、怒り、恨み、妬みなどの感情を持ってしまう
一人に対して怒り、恨み、妬みの感情を持たないようにと日頃から思っているのですが、体調が悪い時や、気分が悪い時など、いけないと思いつつ、怒りや妬みの心が出てしまいます。このような時には、どのようにしたらよいのでしょうか。(M・Y)
怒り、恨み、妬みを持つのはあたり前
深見:腹が立ったら怒ればいいし、嫌なことをされたら恨めばいいし、うらやましかったら妬めばいいんです。どうぞ怒って下さい。どうぞ恨んで下さい。
どうぞ妬んでください。「コンチクショー」「アノヤロー」と怒ったり、恨んだり、妬んだりするのが人間です。それを抑制しすぎると、ストレスがたまって病気になりますよ。
ただ、いつまでも後に残さないということが大事なのです。これを神道では、「鏡の心」と言っています。怒った人が前を通れば、鏡には怒った人の顔が写ります。
しかし、その人が通り過ぎてしまえば、鏡は元の何もない状態に戻ります。恨みがましい顔をした人が来れば、恨みがましい顔が鏡に写ります。
でも、七時間も八時間も、鏡の前で睨みつけている人もいないでしょう。その人が通り過ぎてしまえば、鏡はまた元の状態に戻ります。このように心に何も残さないことです。
腹が立ったら、怒ればいい。バーンと殴られて、瘤ができて青アザができても、頬をヒクヒクさせながら、「怒ってはいけない。恨んではいけない」と自分に言い聞かせる必要はありません。
殴られたら、殴りかえしたらいいんです。一発殴られたら、三発ぐらいは殴り返してもいいでしょう。ただ、いつまでも殴り合っていないで、二~三発でやめて、仲直りをすることが大事なのです。
うらやましいと思うときは、妬んでもいいわけです。ただ、いつまでもうらやましがっていてもしかたありません。自分で努力するしかないと思ったら、パッと心を切り換えることです。
「怒るな、恨むな、妬むな」と言っても、怒るし、恨むし、妬んでしまうのが人間です。
それを、「ああ、また怒ってしまった」「また恨んでしまった」「また妬んでしまった」
なんて考えるのは時間のロスです。それより早く心を切り換えたほうが、ずっと楽なのではないでしょうか。
自分の心の中に神様がいる
「鏡の心」ということについて、もう少し説明しましょう。
神道には「自霊拝」という、鏡の前で拝む行法があります。鏡の中には、自分自身の姿が写っています。実は、神様というのは、私たち一人ひとりの心の中にいらっしゃるのです。
自霊拝では、鏡に向かって自分自身の心の中にいる神様を拝むのです。
いつまでも怒っていると、心の鏡には、怒った顔の残像がいつまでも残ります。その上に恨んだ顔や妬んだ顔の残像が何重にも重なっていくと、鏡はどんどん曇って、神様を写し出すことができなくなってしまいます。
心をパッと切り換えれば、鏡もまたパッときれいに澄み渡って、神様が浮かび上がってきます。
「あの人は絶対に許せない」と、いつまでも怒っていたり、ああすればよかった、こうすればよかったと悔やんだり、ずーっと誰かを恨み続けている人というのは、要するに暇なのです。
いつも前向きにエネルギッシュに生きている人は、過ぎ去ったことをいつまでもグチャグチャと考えている暇はありません。
怒りや恨みなどの感情をどうすればいいか、なんて考えているときというのも暗いです。その分だけ何か別のことをしたほうがよほど発展的です。
怒ったり、恨んだり、妬んだりしたことを反省する暇があったら、目の前のことをどんどんやっていくことです。そのほうが、よほど神様の心に叶った生き方です。
確かに、気分がすぐれなかったり、体調が悪いときというのは、前向きのことが考えにくく、怒りや恨みや妬みなどの感情を引きずりやすいかも知れません。
しかし、体調がよくなればまた前向きになるわけですから、あまり気にしないことです。もっと言えば、体調が悪いからといって、別に心まで暗くなることはないのです。
そんなときは、本を読んだり、歌をうたったりして、自分を盛り上げることです。
さざ波のように出てくるそのときの感情なんてあまり気にしないで、もっと明るく元気に、目の前のことに精一杯頑張ったらいいんです。
そうすれば、ちょっとした怒りや恨みや妬みなんて吹き飛んでしまいます。そうすれば、御魂が発動して幸せな人生が送れるのです。
人の輪の中で自分から話せるようになりたい
Q 恥ずかしながら、この歳になっても人の輪の中に入ると、ほとんどと言っていいくらい話ができなくなります。こんなことを言うと、場がシラケるんじゃないかと、心の隅で思ってしまうんです。
話をふってもらうと平気で話せるのですが、そうではなく、自分から自然に話せるようになるには、どうすればよいでしょうか。どうぞ教えてください。(T.0/二十七歳)
訓練をすれば欠点が長所に変わる
深見:これには簡単な方法があります。「話し方教室」へ行けばいいのです。
人前で話すスピーチには原則があります。起承転結の立て方、最初はどういうところから切り出せばいいか、具体例の盛り込み方。「話し方教室」へ行けば、そういったことを体系づけて教えてくれます。
勉強してそのテクニックを体得すれば、誰でもごく自然に説得力のある話ができるようになります。
どんなことにも必ず理論というものがあります。理論というのは、小難しく理屈っぽいものではなく、要点を分かりやすく整理したものです。
人に対して説得力のある話というのは、調べてみるとちゃんと理論に合っているのです。その理論の枠組みさえ分かれば、どんな場面でも、的確に話題を選んで、皆に興味のあるようなことを分かりやすく話すことができるようになります。
「話し方教室」へ行って、急に明るくなって、話し好きになった人はたくさんいます。話し方を勉強したら、どこかで話してみたくなります。
そうなったら、結婚式でもパーティでも行って、どんどんスピーチを買って出ればいいのです。はじめはうまく話せないかも知れません。でも、失敗してもいいんです。場数を踏んで場馴れをすれば、どんな場所でも必ず話ができるようになります。
自分で克服しようと思って発願して努力すれば、今まで欠点だったところを長所に変えることができるのです。
故・田中角栄氏といえば、演説の天才と言われた人です。あの人ほど人の心を打つ文学的な演説をした人はいません。ところが、その角栄氏は小さい頃はドモリだったのです。
角栄氏はドモリを直すために、浪曲を習いはじめました。そうして、自分で努力をして欠点を克服し、さらにいろいろな人の話し方を勉強して、誰よりも演説がうまくなったのです。
私は中学時代は応援団で毎日声を出していました。高校時代は生徒会でいつもみんなの前で話していましたから、人前で話すことは苦手ではありませんでした。しかし、本当にスピーチがうまくなったのは、大学に入ってからです。
大学時代、私はESSに所属していました。ESSには当時部員が四百人ぐらいいて、各セクションの代表や執行委員など十八人が、交代でいろいろな場面で挨拶をしていました。
ところが、三年生のときに私が委員長になると、すべてのセクションの挨拶を、私一人でやることが多数決で決められてしまったのです。私は一人で反対したのですが、残りは全員賛成です。
「なんてひどいことをするんだ」と腹が立ちましたが、決まってしまったことはしかたありません。私はそれを神様が私に与えてくれた試練だと受けとめることにしました。
そして、もう絶対に他の人にはしゃべらせないという覚悟で、どんな大会でもオープニングからグリーティング、クロージングまで一人でやるようになったのです。当然、実力はメキメキあがりました。
やはり場馴れと場数です。現在、私が各地で行っている講演会は、それが日本語になっただけの話です。ですから、何十時間ぶっ通しで話しても、全く苦ではないのです。
会話はすべてのコミュニケーションの基本
上手に話せるようになれば、話すことが好きになります。話すことが好きだということは、人とのコミュニケーションが楽しいということです。これは、結婚して、明るく楽しい家庭をつくるときに一番大切なことです。
料理はつくるけれど、「はい」とか「ごめんなさい」とか、結論しか言わないというような奥さんはいませんか。もちろん、これは旦那さんにも言えることです。
私の師匠の植松愛子先生は、弟子の私たちに、「どんなに貧しくても、粗末な食べ物でも、食事中は会話を楽しくするんですよ」と常々言っておられます。
会話があり過ぎて不幸になったという家庭は、ほとんどありません。どんなに貧しい家でも、忙しくて御主人がなかなか帰れない家庭でも、上手にコミュニケーションがとれていれば、家庭は円満です。
どんなに忙しくても、電話ぐらいは毎日かけられるはずです。
「テレビでどんなニュースやってた?」
「こんなのがあった」
「そう。子供の様子は?」
「特に変わったことないけど」
「パーマはいつ行った?」
「行ってないけど」
「アイスクリームはいつ食べた?」
「食べてないけど」
「そのほうがいいよ、太るから。じゃあ」
というように内容なんて何でもいいんです。
とにかく、忙しい方は毎日五分間、電話で夫婦の会話をするようにすることです。
それから、結婚記念日と奥さんの誕生日、ご主人の誕生日は大事にして、必ず外で食事をすること。簡単なことのようですが、それだけで夫婦の仲も親子の仲もうまくいくのです。
人の期待にどのように応えればいいか
Q 身内から期待されることはよくあると思いますが、私の場合、年上の人や学校の先生からも期待されています。初対面の人に「将来が楽しみだ」とか、「社長になった君と会えるのを楽しみにしている」と言われたこともあります。
高校のときは、ブラスバンド部に所属していたのですが、一年生のときに、「おまえをコンサートマスターにするつもりだ」と言われました。
しかし、しばらくして退部してしまい、見事に期待を裏切ってしまいました。どのようにすれば、期待に応えることができるのでしょうか。また、期待を裏切ってしまったときにはどうすればいいのでしょうか。ぜひ、教えてください。(ZM/二十二歳/男)
魂の期待に応えることが一番大事
深見:結論から言えば、あなたはそんなに期待されてはいません。「将来が楽しみだ」と言った人がいるとしても、果たしてその人はずーっとそう思い続けているでしょうか。
あなたは、そう言われたことをいつまでも覚えているかも知れませんが、言ったほうはとっくに忘れています。それほど世の中の人は、あなたを注目していません。
しかし、世間の人は見ていないようでも実はよく見ています。自分が思うようには注目も期待もされていないけれど、自分が思う以上に細かいところをよく見ているのが、世間というものです。
もし、仮に本当にいろいろな人が心からあなたに期待をしているとしたら、どうすればいいのでしょう。たとえば、ある人はあなたに、野球をやってプロになることを期待しているとします。
別の人は、野球よりサッカーをやることを期待しています。でも、お父さんは、スポーツよりも勉強していい学校へ行くことを期待しています。
十人が違うことを期待したら、どうしたらいいのでしょう。その全部に応えることなど絶対に不可能です。ですから、人の期待に応えようなどと考えないことです。
もし、何かの期待に応えようと思うなら、自分の魂が期待していることに応えることです。
人間は誰でも、今生何かをしようと目的を決めて生まれて来ています。それが天命というものです。天命に従って生きれば、魂の奥底から喜びが湧き上がってきます。それが、その人にとって一番幸せな生き方なのです。
いろいろな人に期待をされて、期待を裏切ることが多いと思っても、本当はそれほど期待もされていないし、期待を裏切られたと思う人はほとんどいません。
しかし、自分自身の魂の期待を裏切ると、ガックリとした虚無感に襲われます。神様は、あなたが天命に従って幸せに生きることを期待しているのですから、その期待に応えるのが一番いいわけです。
幸せにはランクがある
自分の天命に従って精進努力すれば、人は心の底から幸せを感じます。自分が進歩向上したという喜び、そして人の役に立てたという喜び。それは心の奥にある魂が本当に満足したという喜びです。
天命というものに対する自覚が深くなってくると、喜びや幸せということの次元が高くなってきます。たとえば、芸術家は究極的には、地位や名誉を投げ捨ててでも、自分の納得のいく作品をつくることに命を賭けます。
ベートーベンもシューベルトもモーツァルトも、末路はみんな惨めです。まともに死んだ人なんか一人もいません。
そうして自分の命を削りながら、立派な作品を残しているのです。それが本人にとって、他の何ものにも替えられない喜びだからです。
人には、いろいろな喜び、いろいろな幸せがあります。しかし、少なくとも自分が満足することをして、それが人々の役に立ち、社会からも評価を受けることができたら、それは次元の高い喜びです。
そうして進歩向上していけば、人の期待なんか考えなくても、おのずから期待に応えることになっていきます。自分が素晴らしくなれば、多くの人を幸せにすることができるのです。
ただ、五十歳、六十歳になって、三千人も五千人も従業員がいるような会社を経営しているような場合は、社長が判断を間違えると会社が倒産して、すべての従業員が路頭に迷うことになります。
そういう場合は、従業員の期待を裏切ることはできません。特に社長にどうなってほしいというわけではありませんが、最低限、会社の業績をあげていくことが期待されることになるわけです。
しかしそれでも、会社を経営していくことに、本人が充実した喜びを感じていなければ、安定した成長は続かないでしょう。
友達は変化していくもの
私は小学校から中学にあがるとき、少し離れた学校へ行くことになりました。そのときに、仲の良かった友達と離れ離れになることがとても悲しかったことを覚えています。しかし、中学に入ったら、また新しい遊び友達ができました。
高校時代になると、それぞれ自分というものが定まってきますから、同じ趣味を持っている友達や同じ方向を目指して勉強する仲間ができてきます。
そしてまた、卒業で離れ離れになり、大学に入ると、同じサークルをやっていたり、考え方が合うということで、新しい友達ができます。
社会に出ると、会社の内外で新たな人間関係がまたできます。この場合は、原則的には、利害をともにする人が友達ということになります。
しかし、利害を抜きにして志を同じくする友達とか、本当に困ったときに助けてくれる心の友というのも、だんだんにできてきます。
小さい頃は、地理的に近いから一緒に遊ぶというのが友達でしたが、年齢を重ねるにつれて、友達というのも変わってきます。
そうした中で、自分のことを本当に大切に考えてくれて、自分もその人のために何かしてあげたいと思う本当の友達というのができてくるのです。命をかけてもいいという真の友情が生まれるのです。
子どもの頃の友情とか、若い頃の友情とか、職場の利害関係とともにある友情というのは、ある程度無視をしてもいいのです。それよりも自分を確立することのほうが大切です。
自分が立派になれば、立派になったなりの人間関係が、また新しくできます。
「類は友を呼ぶ」と言いますが、本当に変な人には変な友達がいます。素晴らしい人の友達は、やはり素晴らしい人が多いのです。運のいい人というのは、運がいい友達が多いものなのです。
今現在の自分の友達付き合いに縛られて、一喜一憂することはありません。それがせいぜい遊び友達なのか、まさに友とすべき価値のある人間なのか、だんだんと選んでいかなければならなくなります。
真の友情というのは、成熟した人間としての値打ちというものを認め合う関係でなければ、長続きしないものなのです。
友達のための人生ではないし、学校の先生のためでも、お父さんやお母さんのための人生でもありません。自分自身のための人生なのです。
誰かの期待に応えるということを考える前に、自分自身を充実させることが一番大切なのです。
第2章 恋愛・結婚で迷っているあなたへ
出会った後の関係を進展させるには
Q とても素敵な男性から告白されました。私のほうも即座にOKしてお付き合いをはじめたのですが、それ以降ほとんど進展がありません。
自分なりに努力し、道祖神様にもお願いしているのですが、せっかく神様からいただいた大切な縁を、壊してしまうのではと心配になることがあります。恋愛に対し、臆病にならずに進んでいく度胸をつけるには、どうしたらいいでしょうか。(SF/女)
自分の気持ちを積極的に表現すること
深見:ベートーベンが作曲したあるソナタは、ベートーベンが恋人に失恋したときに作った曲だといいます。ところが、ドイツに行って真相を知って、ベートーベンというのは、本当にバカなんじゃないかと思いました。
まあ、どこか人と違ったバカみたいな所がないと、あれだけ凄い作品はできないのでしょうけれど。
実はベートーベンは、一度も手紙を書いたこともないし、もちろん告白したこともないし、友人から言ってもらったこともないのです。それで、恋愛が成就するはずがありません。
相手が超能力者で、「夜な夜なあなたの生霊がくるんだけれども、何なのよ」とでも言って来ない限り無理でしょう。
恋愛に対する度胸をつけるには、場数を踏むこと、そして、場馴れをすること。これしかありません。
最近の男性というのは、告白するために二ヵ月も三ヵ月も悩んで、やっと告白したかと思うと、それで安心してしまって、次へのエネルギーが湧いてこないということが多いようです。
ですから、進展がないなら、あなたのほうから、「私、結婚するんだったらあなたみたいな人がいいわ」と自分なりに考えて言うことです。
それで駄目だったら駄目だったで、場数が増えたということです。次回は、場数と場馴れで技術が上がっています。
伊藤三千夫の「野菊の墓」という小説を読んだことがあるでしょうか。
主人公は、タミコさんとマサオさんです。ある時二人は山に散歩に行きました。昔の農村ですから、他に行くところもなかったのでしょう。いわば初めてのデートです。
そこで、マサオは野菊の花を見つけて、「タミコさんって野菊に似てるねぇ」と言います。ご存じの人も多いでしょうが、これは伊藤三千夫の体験なんです。限りなく実話に近い小説です。
「タミコさんて野菊のような人だね」と言った後はしばらく沈黙が続きます。その後、二人はただ黙って山道を歩いていきます。そして、山道を降りきったところで、マサオはタミコさんにこう言うのです。
「僕って野菊のような人が好きなんだ」
これは立派な告白です。
せっかく恋愛をしているのですから、練りに練って、これくらい文学的に表現したいものです。ただし、相手が鈍感な場合もありますから、「結婚」という二文字をキチンと折り込んだほうが無難でしょう。
私は影響を受けやすい人間ですから、「○○さんは野菊のような・・・」と言うセリフをどこかで一度言ってみたいとずーっと思いながら、一度も言わないまま、四十六歳になってしまいました(笑)。場数と場馴れが足りないようです。
相手が男性の場合、野菊というのは少し変ですから、たとえば、「あなたって、要石のような方ね」と言ってみるのはどうでしょう。
「要石って何ですか、そりゃ」
「???」
「鹿島明神にはね、臍があるの」
「それが要石なのよ。あなたって要石に似ているわ」
そう言って、またどこかをしばらく歩くわけです。
「えっ、僕のどこが要石に似ているの?」と聞かれても、黙って笑いながら、歩いていけばいいんです。晴海埠頭でもどこでもいいじゃありませんか。
そして、しばし歩いた後でポツリと、「私、要石のような人と結婚したいのよ」と言うというのはどうでしょうか。
それでも進展がないような場合は、またしばらく間をおいてどこかで会って、「あなたって諏訪大社のような方ね」
「諏訪大社って、なんですか」
「無から有を生む、逞しい神様なのよねー」
そう言って、またしばらく歩いていくんです。
この間の沈黙がポイントです。途中で彼が、「長く続く不況は、これからどうなっていくのかな」
なんて話しはじめたら、頭をバチーンと叩いてやりましょう。
そうして、しばらく歩いて行って、ポツリと、「私、諏訪の神様のような人と、結婚したいの――」
これを三、四回やればどんな鈍感な男でもわかります(笑)。
たとえば、こういうふうにやればいいのです。いろいろ方法はあるでしょうが、やはりいろいろ考えないと駄目です。
これからは、お互いが同じ気持ちを持っていながら、キッカケがないままにウヤムヤになってしまう場合というのも、結構多いものです。
女性からしてみれば、「なぜ、その一言を言ってくれなかったの」ということになるのでしょうが、相手が言わないのなら、自分から言ってしまうというのが、これからの世の中に合った積極的な生き方です。
「ある女性と会って告白しました。相手の方も即座にOKしたのですが、ほとんどその後、進展がありません。自分なりに努力し、運転免許も取ったし、定期預金も解約して、新婚旅行に行ける準備をしているんですけど、なかなか進展しないんです。せっかく神様からいただいた大切な縁も壊してしまうのではと、心配になることがあります。恋愛に対し、臆病にならずに進んでいく度胸をつけるにはどうしたらいいでしょうか」
なんて質問をしてくる男性も出てくるかもしれません。

①道祖神… 村の境界など集落の境や、峠・辻などの境界にまつられ、村や旅人たちを邪神から守る神とされていた。たいていは男女一対となっている。
男の神は最初の男神である神漏岐、女の神は最初の女神である神漏美を示している。いわば夫婦神の元祖である。詳しくは『恋の守護霊』(深見東州著・たちばな出版刊)をご参照下さい。
②要石… 鹿島神宮の森の中にある石。根は深く地中に広がっている。鹿島大神が天より降臨したときにこの石に座られたと言われる。地震鎮めとも言われている。
また、建築のときに他の石を固定する役割を果たす重要な石を要石と呼ぶ場合もあり、そこから転じて、ある事柄を成り立たせる主要な人物や事物もそう呼ぶ。
③鹿島明神… 鹿島神宮のこと。旧官幣大社。官幣大社とは神祇官(日本中の神祇の祭祀をつかさどる官庁)の定めるところの最も高い格付けの神社。
香取神宮とならぶ東関東の大社で、建国神話で活躍する武甕槌大神が祀られている。鹿島大神の霊威としては組織を束ねる気力、体力、実力、権力、執務実行力があげられる。
詳しくは「神社で奇跡の開運」、(深見東州著・たちばな出版刊)をご参照下さい。
⑨諏訪大社… 旧官幣大社。全国一万余りの分社をもつ総本社。諏訪湖をはさんで上社と下社口があり、上社に本宮と前宮、下社に春宮と秋宮があり、これらを総称して諏訪大社という。
ご祭神は、建御名方神、八坂刀売神、兄神の八重事代主神が祀られている。
主神である建御名方神は武神として知られるが、無から有を生み出す働きの創造発展の神であり、これから新たに事業を興そうとする人、新しい分野に進出しようとする人はぜひ参拝した方がよい神社である。寅と申の年の七年目ごとに行われる御柱祭」は、天下の奇祭として知られている。
どうしてもあの人と別れたくない
一人との出会いと別れは必然なのでしょうか。あまり好きでない人と別れなければならないときは、「これも運命だったのね。いい経験だったわ」とすぐ割り切れるのですが、本当に心から好きな人に対しては、運命に対して悪あがきをしてしまうようなところがあります。
それが執着だと頭では分かっていても、「どうしても、この縁を切りたくない」と思ってしまいます。縁とは何なのでしょうか。
そしてそれを最高のものにするには、どうすればいいのか、どうぞ教えて下さい。先生の本には「出会いは守護霊様がいくらでもつくって下さるが、後は自分の努力」とあります。別れというのは運命でも何でもなく、自分の努力にかかっているものなのですか。(K・M/女)
とにかくトコトンやってみること
深見:とにかくやるだけやってみることです。やるだけやって、それで駄目だったときは、もうしかたがないと諦めがつきます。やるだけやらなかったときに、ああすればよかった、こうすればよかったと、悔みが残るわけです。
ですから、とにかく恐ろしいぐらいに、やるだけやることです。
まず、産土様にお願いしましょう。
「このご縁が良きものならば、どうぞ最高のものにして下さい。運命を変えて下さい」とありのままの気持ちを神様に言うことです。
その人と一緒になることを発願して、神社で二十一日間お百度を踏んで、祈願してみてください。
十日目ぐらいから相手の男性が熱を出して、「もう、恐ろしいから、とにかく君と結婚する」と言うかも知れません。
しかし、神様だけに頼っていては駄目です。ベートーベンのように、手紙も書いたこともない、口で言ったこともない。友人に言ってもらったこともなければ、自分で何もしない。これでは相手に気持ちが伝わるはずはありません。
それでは、人間としてはどうしたらいいのでしょうか。
ちょっと気まずくて、直接会うことができないなら、手紙に思いを託してみるのもいいでしょう。でも、手紙は夜に書かないようにしましょう。特に深夜、一人で手紙を書いていると自分の世界に没入してしまいます。
読む人の気持ちを全く無視して、便箋に八枚も十枚も三十枚も自分の気持ちを書いたら、受け取った男性は息苦しくなってしまいます。
手紙は日中にあっさりと書いてください。そして、何回も、定期的に間隔をおいて出すことです。
「臆病な私なんですけど、このまま手紙を書かなければ、息苦しくって死んでしまいそうです。死ぬよりはましだと思って、書きました。もうそれ以上は言えません」とキッチリ言ってみましょう。
それから、その人がどういう性格なのか、何が好みかということを、友人関係からよく聞いて調査することです。女性の場合、情熱一本で押しまくることが得策とは限りません。傾向と対策を練る必要があります。
相手の好みや趣味がわかれば、あなたのほうから接点を作って、近づいていけばいいのです。
たとえば、相手がイチローが好きだと分かり、さりげなくイチローの帽子をかぶっていれば、「君、イチロー好きなの、僕も好きなんだよ」という具合に話がはずみます。
また、人の心を掴むにはタイミングというものがあります。チャンスというのは、だいたい向こうがピンチに陥ったときに訪れるものです。
たとえば、病気で入院した時、お見舞いのお花を持って行くとか、プレゼントを持って行くとか、失恋してしょげているときに励ましてあげるとか。
元気をなくしているときに優しくされると、人間というのはホロリとくるものです。
バレンタインデーもチャンスです。掌に乗るような小さなチョコレートをちょんと渡して、「私の小さな気持ちを受け取って下さい」と言うのもいいでしょう。
逆に大きなチョコレートをドーンと贈るのもいいかも知れません。そうかといって、トラック一台分のチョコレートなんて、気が狂ったんじゃないかと思われますから、バケツ一杯ぐらいが限度です。ボストンバッグに一杯も、ちょっと多いでしょう。
そこまで努力すれば守護霊さんも、「お前もよくやるなあ、そこまでやるなら、守ってやるぞ」と応援してくれます。
逆に、それだけやっても駄目だったら、それが一つの答です。自分なりにベストを尽くして、それでも進展しなかった時には、縁が無かったんだな…と思って諦めがつきます。
腹が納得するわけですから、それが執着をとることになります。
そうすれば、また新しい縁が生まれます。これは、就職活動でも、どんなことでも同じです。神様にお祈りして、人にもお願いして、自分でやれるだけのことをやれば、結果がどう出ようと諦めがつくのです。
やるだけのことをやらないで、不完全燃焼のままおいておくから、いつまでもグズグズグズグズ思っているわけです。
これが思いを切るコツです。あるいは物事を進展させるコツです。そういうものだということを、方程式のように頭に入れておけば、どんな問題でも解決する方法がわかるはずです。

①守護霊… 本人が天命に添って生きるように霊界から導き、その人の背後霊団のリーダー。魂(「御魂」とも言う)の成長を第一として教育指導する尊い存在である。
一般的に、十代以上前の霊格の高い先祖霊が守護霊になる場合が多い。霊格が高いとは、生前、修業を積んで学問を修め、道を極めて徳を養い、死後、霊界の高いところにいるという意味。
守護霊は本人が成長するにしたがって、通常、一生のうちに三回くらい交替する。また、守護霊団は一般人で十人~一五人、多い人で五十人~百人くらいで守ってくれている。
②産土様… 産土神のこと。産土とは、先祖伝来もしくは自分の出生地のことで、産土神は、産土(自分の生まれた土地)にいらっしゃる神様。産土神をお祀りした神社を産土神社と言う。
出生地の鎮守神を生まれながらの守護神として崇敬することを産土信仰と言う。
しかし、神霊的には、いま住んでいる地域を守る産土神を大切にし、危急の場合には出生地の産土神へも真剣にお参りするのがよい。これが正しい産土信仰である。
③発願… 身のうちから願いがフツフツと湧き起こること。また、神仏に誓いを立て、表明することを言う。単に願いや願望を起こすことのほか、悟りを得ようとしたり衆生を救済しようという誓願も含まれる。
この発願の内容を書いたものを「発願文」とか「願文」と言う。
④お百度… 神仏への祈願の方法のひとつで、「百度詣で」とも言う。元来、同じ神仏に百日問祈願することを言ったが、現在では一般に、寺社の境内の決まった場所と本堂や拝殿などの間を、一日に百度往復して祈願することを言うようになった。
⑤祈願… 神仏に願いごとがかなうように祈り願うこと。祈願を行う社や寺を祈願所という。祈願と祈祷は同じ意味だが、祈祷の場合は一定の儀礼にのっとって行うもの。
結婚を決めるとき、何を一番大切にするべきか
Q 一度離婚をしています。最近になって、周囲の協力もあり、お見合いの話が出ています。今まで二人の方とお会いしたのですが、良いのか悪いのかピンと来るものがありません。結婚(再婚)を決めるとき、何を一番大切にして決断すれば良いのでしょうか。(H・S/女)
結婚は妥協の産物
深見:はじめての結婚にしろ再婚にしろ、二人のうちどちらを選ぶのか迷うような場合は、どちらを選んでも大して変わらないと思わなくてはいけません。結婚とは一言でいえば妥協です。
ところが、若い頃の恋愛感情というのは、その本質を隠して見えなくさせてしまうのです。理想の人というのはあるかも知れませんが、現実に生活するとなれば百点満点の完璧な人というのはいません。結婚生活の経験のある方なら、そのことはお分かりだろうと思います。
結婚は妥協です。しかし、妥協というのは決して悪いことではありません。妥協して寂しいと思う場合もあるでしょうが、寂しいがゆえに内的に充実した生活が送れるという側面もあります。
家庭生活が満たされて、本当に夫婦仲良く円満な家庭というのは、芸術家や宗教家にはふさわしくありません。
優れた作品こそが芸術家の命です。魂を削り、己を孤独の淵に追い込むようなところがなければ、本当の芸術作品というものは生まれません。そういう意味では、どこか満ち足りないところを常に持ち続けることこそが芸術の糧になるわけです。
もちろん、誰もが芸術家を目指すわけではありません。ごく普通の幸せな家庭をつくるのなら、なるべく妥協は少ないほうがいいでしょう。とはいえ、結婚は妥協の産物です。
あなたが妥協するように、相手も妥協しているのです。ただし、許せる妥協と許せない妥協がありますから、まず、そこのところをよく考えてください。
よく話し合い、よく理解しあって、共通項を見つけるまであせって決めないことです。子どもの教育に対してどう考えているのか。仕事に関してはどうなのか。
教育観、家庭観、仕事観などについてなるべく同じ考え方をしていること、つまり共通の人生観を持っていることが大切です。あるいは、音楽でもスポーツでも共通の趣味があるというのもいいです。
いろいろガタガタすることがあっても、たとえば子どもの教育に関して、どの幼稚園に入れて、どの学校に入れるのかということについて同じ考え方を持っていれば、他のことお互い妥協して平和にやっていくことができるわけです。
よく話し合い、お互い理解した上で、もし共通項が日本人であるというだけであるとか、結婚したいということ以外は共通項がないという場合は、やめた方がいいでしょう。
同時に、相手の足跡をよく見ることも必要です。一つの仕事を十年以上続けているかどうか、相手に聞いてみることです。若い人でしたら、趣味でも特技でも構いませんから、何か十年以上続けていることがあるかどうか。
職場をコロコロ替える人というのは、奥さんもコロコロ替える傾向があります。一つのことを十年以上続けている人というのは、物事を継続させていこうという気持ちを持っていますから、家庭も長続きします。
それから、相手の両親や兄弟に、離婚を繰り返している人がいないということもポイントになります。親戚が皆、二度三度と離婚をしているのは、結婚運のない家です。
結婚して籍を入れると、その家の家庭運が強く出てきます。一見冴えないような相手でも、結婚運がいい人と一緒になったほうが幸せな家庭が築けます。
以上のようなことを、話し合いの中で相手から聞いて判断するとよいでしょう。それでも分からなかったら、神様に聞いてみるという方法があります。
特に産土様は、結婚、出産など生活の重要なところを全部管轄されていますから、「この人と結婚していいでしょうか」と発願をして御祈祷することです。正式参拝をして、神主さんに祝詞をあげていただきましょう。また、お百度を踏まなくてもいいですから、二十一日間毎日必ず神社に行ってお祈りをしてください。
すると二十一日目か、その前までにハッキリと分かります。
たとえば、前の奥さんと分かれた理由が、お酒を飲むと暴力をふるいたくなるからだったということが、ポロリと相手の口から出てきたりとか、隠していたことがパッと出てきます。神様の御加護があれば、相手に対して何かピンときて、これだな、というようなものを感じます。これが一番確かです。
これは再婚でなくても、初婚でも、あるいは三回目でも四回目でも同じことです。

①祝詞… 神祭のときに唱えられる詞。それぞれの神社で独自の祝詞を伝えている。
②御加護… 神仏が力を加えて助けること。
入籍したら相手の嫌なところばかり目につき、我慢できなくなった
Q お互い再婚で、この春入籍致しました。ところが、入籍した直後から、相手の嫌なところばかり目につくようになり、相手の存在すら我慢できない状態になってしまったのです。まだ正式に離婚していませんが、現在別居中です。何度結婚しても失敗することになるのでしょうか。因縁解消は今後どうすればよろしいのでしょうか。(H・Y)
一度決めたら後悔しないこと
深見:籍を入れたとたんに相手を見るのも嫌になる、存在するのさえ許せないという感覚になるのは、生霊が憑いている場合が多いようです。
相手の別れた奥さんやその親戚縁者の「あいつは許せない」という念が、生霊となってあなたをピリピリとさせているのです。
死んだ霊というのは温度もなく、暗くゾクゾクしたものを感じさせますが、生霊は今生きているライブの怨念ですから、特に強いエネルギーを発します。ですから、まず生霊の救済除霊をすることをお勧めします。
また、籍を入れるとその家の因縁が出てきます。それを最小限にとどめるのには、家庭運のよくなる家相の家に住むこと、それから家庭運のよくなるような名前に改名するという方法があります。
女性の場合、籍を入れると姓が変わりますから、その姓に合わせた名前に改名することで、だいぶ因縁をおさえることができます。
結婚するときもそうですが、別れるときもあせって決めないことです。相手の存在さえ許せないというのが、生霊のせいなのか、それともそれが相手の本質なのかということを、神様に聞いてみるのもいいでしょう。
あせらず、じっくりと判断をして、決めたら今度は振り返らないことです。
「やっぱり、一緒になるんじゃなかった」
「あのとき別れなければよかった」とか、後で後悔するかも知れないと思うから迷うのです。
何かを決断するときに大切なのは、「決断したら悔やまない」と自分に言って聞かせることです。そういう人生観を確立す絶えず決断ができるようになります。
どういう結果になろうとも、一度決めたことは絶対に悔やまないという腹が出来れば、その決断が正しかったのだという結論になるように自分で努力をするようになります。そこから運勢は変わっていくのです。
これは結婚、離婚だけではなく、受験でも、就職や転職でも、あらゆる人生の決断において共通の原則です。

①生霊… 死んでしまった人の霊ではなく、現在生きている人の怨み、怒り、慕情などの念が霊となっている状態を意味する。文字どおり、生きている人間の霊である。
生霊は、代々怨み抜く怨念霊と同様、多くの人に憑いていて、その人の人生に多大な影響を与えている。身体の調子が悪くなり、事故に遭いやすくなったり、特に男性から強烈に怨まれている女性が妊娠すると、流産につながることが多い。
②怨念… 読んで字のごとく「怨みの念」。念という字は「今」と「心」を組み合わせたものであり、今の心すなわち”想い”のこと。
殺されたり、騙されたり、捨てられたりして、人や家を怨んで死んでいった霊が、怨念を晴らそうと憑依したものを怨念霊と言う。怨念霊の執着心は想像を絶するもので、何百年も怨み続けて復讐の機会を伺うことはざら。
特に捨てられて呪いながら自殺した女性の怨念霊や、その昔、女郎屋に売られた怨念霊は強烈で、執着のあまり、蛇の姿になっているものが多い。
③救済除霊… 深見東州氏の除霊(救霊)は、愛念と御神霊とが宿った和歌や長歌を数首、数十首と連続して詠うことにより、憑依霊を悟らせ、浄化し、そして御神霊に許しをいただき、本来、居るべき霊界へ送るもの。
霊力や光エネルギーで除霊する人は多いが、和歌や長歌を詠う言霊救霊を行っているのは、おそらく深見東州氏お一人であろう。
パワーによる除霊は、本当の意味での憑依霊の救いにはならない。追い払うだけでは、未来永劫の霊の救いとはならないからだ。
御神霊と一体になった和歌、長歌のなかに憑依霊の宿命や霊界の法則を詠い込み、霊を真実悔悟させ、はじめて霊自身の想念の転換ができ、その結果素晴らしい霊界へと送ることができるのである。
主人が部屋を散らかしてイライラする
Q 昨年の十二月に結婚しましたが、主人が部屋を散らかしてばかりで毎日イライラしています。とても狭い部屋なので、すぐ目についてしまうのです。毎日のように注意しているのですが少しも直りません。
先生の本を読んでも、部屋は整理整頓したほうがいいと書いてありますし、私もよい気を保つために部屋を綺麗にしていたいのです。
不必要な物を捨てずにいて、部屋をすぐに散らかしてしまうのを直すにはどうすればよいのか、アドバイスをお願いします。(MK/女)
期待感を持たないこと
深見:結論から言えば、これは直らないでしょう。
しかし、ご主人というものは部屋さえ綺麗にしていれば、パチンコやマージャンばかりしていて、給料をお嫁さんに渡さなくても、家ではテレビばかり見ていて、何も生産的な勉強をしなくてもいいのでしょうか。
仕事は左遷に次ぐ左遷で、日本中をぐるぐる回されていても、部屋だけはピシーッとしていればあなたは満足ですか。
確かに部屋は汚いより綺麗なほうがいいでしょう。しかし、それがご主人としての唯一無二の絶対的な価値ではないはずです。
ご主人の長所を見てあげてください。たとえば、夜はちゃんと帰って来るとか、お酒はほどほどしか飲まないとか、女性にもてるほど体型がよくないとか、いろいろあると思います。
物事には解決できる問題と、解決できない問題があります。この場合は、解決できない問題と考えて、あなたが毎日お掃除をすればいいのです。
「あなた、いらない物があったら出して」と言って、セッセと片づけることです。
「これだけなの?もっと出して、どんどん出してよ」と、ご主人をせっついて、毎日あなたが掃除すればいいのです。
そんなに完璧な人はいませんし、それさえ辛抱すればうまく行くのです。
なぜイライラするのかと言うと、期待感があるからです。愛情とか真心とか言いますが、その中には、相手にこうあってほしいという期待感が必ず入っています。援助でも協力でも、あるいはご奉仕でもそうです。
期待感があるのに、相手がそれに応えてくれないから腹が立ったり、イライラするわけです。期待感をなくせば、腹も立たなくなります。もう、この人には期待しない、永遠に散らかし続けるのだと、諦めることです。
そう思って、毎日セッセとあなたが掃除をすれば、ご主人も、「お前のような綺麗好きな人と結婚してよかった。俺は幸せだよ」と思うでしょう。
これが小学生か中学生ぐらいでしたら、直る可能性はあります。しかし、結婚するような年齢になるまで持ちつづけてきたクセが直るはずがありません。大体男性の場合は、二十歳を過ぎたらまず無理でしょう。
短所を直してほしいなんて、期待するから愛情が注げないのです。嫌な部分まで含めて愛せなければ、人間としての包容力というものは出てきません。
親子関係がぎくしゃくするのも、親が子供に期待感を持つからです。子供が親の期待どおりに行かないから、腹が立ってイライラするのです。
子供のほうも、お父さんやお母さんに、「こうあってほしい」という期待を持っています。でも、お父さんの欠点やお母さんの欠点が今さら直るはずはありません。
しかし、子供も腹を立てて、イライラして、虚しく寂しく思っています。だから、ケンカになるのです。
親は子供にこうあってほしいと期待をする。子供はお父さんにこうしてほしい、お母さんにこうしてほしいと期待をする。
あるいは、夫たるものこうあるべきだ、妻だったら、これぐらいのことはやってくれてもいいんじゃないか、という期待感があります。しかし、しばらく言ってみて直らなかったら、それ以上は追及せずに、解決できない問題のジャンルに収めて諦めることです。
期待感を持たずに、短所をそのまま愛してあげてください。それが本当の愛情であり、包容力というものです。あるいは、人に親切にするのでも、ご奉仕や援助、協力ということでも、期待感を持たずにやるのが本当なのです。
