強運(Vol.7)


自分の霊を高めて神と合体する

心を無にして神に近づく

神様と仲よくするにはどうしたらいいか、とよく聞かれる。これは非常に簡単だ。誰でもその気にさえなれば、必ずできる。その方法はこうだ。

とにかく心を無にして、我を捨てることが大切。そして、そこに神様がいると思って、意を誠にして親しもうと努力すればいいのである。

「全部神様にゆだねます」といった心境である。そして、自分自身の人生を、神様から好かれるような人間になるため、世のため人のために使おうと決心する。

そして、それができるような立派な人間となるべく、精進努力をすればいいのである。この思いを一年、二年と継続させ、同時にそれにふさわしい行いもする。

すると、自然と必要なとき霊眼”が開けてきて、神様の声が心の奥で聞こえるようになる。実に簡単。簡単すぎて、信じられないほどだが本当だ。

ただ、我を捨てる、継続して思い込むという点が、ちょっとばかり難しいかもしれない。が、最初から一年間やるぞ、と決意してもあまり期間が長いと途中であきらめてしまうので、たとえば、初めはとにかく一週間頑張ってみて、それができたらまた一週間延ばして……という具合に、少しずつ継続させるといい。

もしかしたら、最初のころ三週間で神様の声を耳にすることができるかもしれないし、頑張って頑張りとおしてやっと一年目に聞くことができるかもしれない。

神の声へチャレンジするのなら、まずその前になるべく、「一ヶ月頑張りますから、それまでに必ず声を聞かせてください」と、ある程度期限を区切ったほうが、神様も結論を出しやすい。

ところで、神様の声といっても、本当は守護霊の声の場合が多い。というのは、神の声を聞くためには、それなりの手続きを踏まなければならないからだ。

その点、守護霊は案外、気軽に応えてくれる。総理大臣と直接話をするのは非常に難しいが、市長や町長さんなら話が可能なのと一緒だ。

しかし、市長だから町長だからといって軽く見てはいけない。総理大臣からの親書を携えて、それを直接、代読という形で市長や町長が伝えることもあるからだ。

だから守護霊の声だからといっても、それは神の意志を伝えていることにもつながるわけだ。

また、この声というのもクセ者。悪霊が語っている場合も多いので、本当の神様のメッセージかどうかを判断することが必要だ。

これを「審神」 という。判断する方法を詳しく説明する紙幅がないが、直接霊感によるものと、霊の語る語調や文字の気を検討する方法とがある。

先天の修業と後天の修業

もうひとつ、神様とコンタクトを取る方法がある。

みんなもよく知っているように、山にこもって滝に打たれたり、断食をしたりする方法だ。

つまり、身体を厳しい環境にさらして邪気を祓い、神の霊を体の中に降臨させようとするわけだ。しかし、無理な難行は体を弱らせ、自分の霊魂をも弱らせてしまうので、逆に周囲の悪霊が入りやすくなるのが難点だ。

第一そのような厳しい修業をしてまで、神の声を聞きたいなどと、特別の事情がない限り思わないのが普通だ。

それでも願うのは、過度な超人志望、神通力志願となる。あまり強烈に願い続けると、その心に相応した悪行天狗や妄執行者霊、キツネ、タヌキ霊などが憑依するのでくれぐれも注意したい。

したがって、この方法はあまりお勧めできない。

もし実行するのなら、ちゃんとした指導者のもとで、正しい日常生活を送りながら、心の教養、知識、霊的自覚をバランスよく発達させることだ。

厳しい修業を積んで自分のほうから神様へ近づくのを「後天の修業」といい、先ほど説明したように、心をすべて神様にゆだねて、神様のほうから近づいていただくのを「先天の修業」という。

簡単、確実なのはもちろん「先天の修業」。これは誰でも実行可能な、神とのコンタクト方法だ。

ジャンヌ・ダルクや天理教の中山ミキ、大本教の出口ナオなどがこれにあたる。

ついでにつけ加えておくと、霊媒を通して霊と交信する方法もあるが、霊媒者の霊的パワー、修業の度合によって、交信できる霊のランクが決まってしまうので、これもあまりお勧めできない。

しかも、死後まもない霊との交流は、天法にかなっていない点か考えても、避けたほうが賢明ではないかと思う。

“四つの霊”が自分を動かす

ここで少し、人間の霊的構造について説明しておこう。

人間の体にも頭があり胴があり足や手があるように、霊もそれぞれの役割に応じて魂と呼ばれるものに分かれている。

●奇魂… 智を司る。他の三つの魂の総括的立場であり、直感、霊感をもたらす。

●和魂… 親、和、つまり調和を司る。体にあっては内臓を担当。

●荒魂… 勇気を司る。筋肉や骨格等を担当。逆に働いて忍耐力となる。

●幸魂… 愛情を司る。体の中では情、心の部分を担当する。

以上四つだ。それぞれは独立して存在しているものの、一つの人間の霊には変わりがない。

つまり、目や口や鼻や耳がついて顔となっているように四つの魂がワンセットで一霊となる。

また、一霊が活動するとき個性が発揮される。つまり、四つのうち、どれかが強調されるとそれが、その人の性格としてあらわれるというわけである。

さて、その中でもメインとなっているのが奇魂。この霊が出入りするのはちょうどの部分からで、霊の形はその人にそっくり。大きさは小指程度だが、顔形はもちろんのこと、性格発想、すべての面でウリ二つだ。

この奇魂が体を自由に出入りして、霊界や星の神霊世界へも飛び出せるようになることを「天眼通力」が開かれたともいう。

これが発達してくると、予知能力はもちろんのこと、過去のできごとや人の霊がはっきり見えるようになる。

ただし、これは本人がいくら努力して開こうと思っても、そうやすやすと開けるものではない。非常に厳しい後天の修業を一生涯積んでも、開けないことが多い。

しかし、特別な先天の修業なら、神の直接の許可がおりるので、たちどころに天眼を開くことが可能だ。

もっとも、死んでしまえば、いやが応でも奇魂たちは肉体を離れて霊界へ行くことになるわけだが、肉体が朽ちる前に神霊世界をかい間見ることが大切なのだ。

天眼が開けると、神霊界の実相がわかるので、生死を超えた正しい生き方ができるようになる。

先に説明した星々の霊的波動ももちろん感じることができるし、邪念さえ出なければ運勢は爆発的によくなる。

そしてなにより、霊界の恐るべきパワーを活用して、人が一〇年かけて完成するべきものを、二、三年で完成させたり、ものごとの先々を鋭く見通すことができるようになるのだ。

星ツアーは、この奇魂をそれぞれの星に連れて行き、星の霊相を見聞するわけだ。

奇魂と本人のコンタクト、つまり奇魂が見聞したことをどう感じるかだが、これは脳の潜在意識に働きかけ、はっきりしたインスピレーションといった形で通信してくる。

思い込みの観念や数値計算の左脳作用が強かったりすると、そちらの念が強すぎて、奇魂の通信が邪魔され、しばられてしまうが心を落ち着かせて、「あとは神様にみんなおまかせします」という状態に入ると、非常にクリーンな形で奇魂通信を受けることができる。

大志を抱けば運もつく

大志を抱いて事を成そうという人物は、どこかに迫力がある。ただそこにじっとしていても、強い存在感を漂わせるなにかがある。

この迫力の源を天眼通力でのぞいてみると、その人についている守護霊や守護神から発せられている霊的パワー、霊的波動である場合がほとんどだ。

逆に、いつも自分のことばかり考え他人のことなんかどうでもいい、などと考えている人は迫力がまったく感じられないどころか、近くに寄りたいとも思わない。

悪い霊がその人の周りにくっついているから、第六感で他人は危険を察知するわけだ。

このように、その人につく霊というのは、本人の志の高さと大きさによって大きく変化する。志が高ければ高いほど、それを成功させようと、強い霊が守護霊や守護神としてつくようになる。

そして、志が高い人は、自己の限界を常に見つめ、また、どこかで守護霊が反省を促すので、たいてい我が少なく、我執の悪雲〟が自然に取れて霊も援助しやすいのだ。

ただ、霊的なパワーの強さだけでは志は成就しない。

本人の努力がなんとしても必要であり、しかもそれは「人もよし、我もよし」という神霊界法則からみて正しい方向で行われなければならない。

守護霊の力、つまり神霊界パワーと自分自身の能力と努力。これがうまく合致すれば、信じられないようなスーパーパワーが派生する。

成功者といわれる人の背後霊を見てみると、たいていものすごい守護霊が何十体とついていて、しかも本人も一生懸命努力したという場合がほとんどだ。いうなれば、本人と守護霊の二人三脚みたいなものと考えられる。

本人の志が高いということは、つまり歩調が大きく早いということ。すると、その歩調に十分合うような、すごいパワーを持った守護霊がパートナーとしてやってくるというわけだ。

どうせなら、力のある守護霊と一緒に人生を歩みたい。そのためには、なんとても大きく、高く持って、それにふさわしい努力を怠らないことだ。

強い意志こそ最大の武器だ

一度こんなことがあった。私のところに三〇歳をちょっと出たばかりのスチュワーデスが相談に来た。相談といっても、内容は結婚のことだった。

私はさっそく、本人の守護霊さんと本人の深層意識に尋ねてみたところ、半年後にすばらしい男性が現われるという返事。

それを伝えると、本人も大喜び。で、なにを始めたかというと、さっそく式場探しやら、招待者のリスト作りだった。

しかし、いくら守護霊の返事だったとはいえ、結婚する相手の影さえ見えない状態なのに、本人はもうすでに、その仮想の相手と結婚したつもりになって、新婚生活を頭の中で描き出している。

こうした頭の中で思いを描くことを想念というが、ともかく本人は、完全にすでに結婚している世界を想念で作り出し、そこですでに生活しているかのようだった。

友だちに会うたびに、「私今度結婚するのよ」と公言してはばからない。

「へー、それで相手の人は」との友だちの質問には、

「ええ、半年後に現れることになってるのよ」と平然と答える始末。周囲の人々は、みんな彼女の頭がおかしくなった、と思ったそうだ。

ところがである。

彼女が信じてやまなかった半年後、周囲の人がアッと驚くような出来事が起きた。

なんと、職場の女性たちの憧れのマトだったハンサムで素敵な男性が、彼女にデートを申し込み、その日のうちに結婚を約束したというのだ。

私もこれには少々驚いた。が、彼女は“当たり前”という顔をしているのだ。

彼女の強烈な想念の力が、守護霊の予言どおりに運勢を引っぱり込んだのだろう。もうひとつ、同じような話があるのでこれも紹介してみよう。

こちらのほうも三〇を少し過ぎた女性の相談。内容もやはり「いい人が見つかるでしようか」というもの。

守護霊に聞いてみると「一年後にすばらしい男性が現れる」というもの。ここまでは、さっきのスチュワーデスさんとまったく同じだ。

ところが、そのあとの話の展開がちょっと違う。

こちらの彼女のほうはそうかもしれない。とは思ったものの、さすがに結婚式場探しまではやらず、ただいい人が現れるのを半信半疑で待っていた。

まあ、年齢が三四だから、そう思うのも無理はない。その後、確かにお見合いの話も急に多く来るようになったし、素敵な男性もチラホラ現れ出した。

にもかかわらず、どうしても結婚までには話がまとまらない。そして、とうとう約束の期限の一年が過ぎてしまったのだ。

あとで話を聞いてみると、信じたいとは思っていたけれども、ただそれだけで、先ほどのスチュワーデスさんのように想念の世界をつくり出すところまではいかなかったという。

勝負はどうやら、この想念の世界をつくり出したか否かによって決まっていたようだ。

霊界というのは、そこにある”ものではなく、そこにつくることができるものだからだ(死後は、神の審判もあるが、自分でつくり出したそれ相応の霊界へ行く。

これが霊界法則だ)。つまり、想念の力によって霊界はそのごとくにつくられるのだ。

結婚できる。新婚家庭はこう築く”と一生懸命頭に描いていると、そのように霊界が働いてくれる。

しかも、守護霊の約束を信じて、想念の世界をつくり出したのだから、霊界が働かないはずがないのだ。

結婚に至らなかった彼女にしても、おそらく守護霊はすべて準備万端ととのえて、あとは彼女が想念の世界で、信じて霊的な場をつくり出し、勇敢に実行してくれるのを、今か今かと待っていたに違いないのだ。

このふたつの事例を見てもわかるように、霊界の力を利用する最大のポイントは想念の世界をつくり出すことにある(法華経を体系づけた天台大師の「一念三千」の教えは、端的にこのことを物語っている)。

これを数字で示すと、七割程度が神霊世界で準備され、残りの三割が人間の想念の力によって、地上に顕現するようになる。

想念といってもいろいろあるが、一番いいのは、無我の境地で自然につくり出されたもの。これにはストレートに神霊界が作用しやすい。

こねくり回す念よりは純度が高く、神霊世界に通じやすいのだ。

最もタチの悪いのが、生霊を生んでしまううらみの想念である。

「あの人をのろってやる、殺してやる」などといった思いを持ち続け、自分が相手を殺しているシーンを描き続けると、やがてはその想念が、一個の生きた霊となり、相手にとりついてしまうのだ。

黒魔術などは、これを応用しているのである。

今まで何度も霊を見てきているが、この生霊ほど、強烈、かつしつこいものはない。うらみが恐ろしい形相となって、相手の首や手や腰に巻きついたり、ガブリとかみついたりする。

しかも本人が生きているので、何度も何度悪い生霊を製造してしまう。

つかれたほうはたまったものではないが、その霊を出したほうも同じように、霊的脱状態に陥り、運勢はみるみる下降していく。

ところで、よきにつけ悪しきにつけ「思い込みが激しい」というのは霊界が働きやすくなる。

それを頭に入れ、よい方向で思い込みを強くして、想念の世界をどんどん描き出せば、守護霊を中心に本人の阿頼耶識が霊的パワーとなって顕現化し、霊界を激しく動かすことができるだろう。

幸せ成就の秘訣はここにあるのだ。


悪霊、貧乏神に負けない法

救霊が一番確実な方法

ともかく運勢を向上させるには、悪くしている原因を取り除かないことには話にならない。では、運勢を悪く暗くしている原因とはなにか。それは、本人のマイナス思考と悪霊たちだ。

悪霊といってもたくさん種類がある。神霊界の眷族力を持っている使者)として幅を利かせる龍神や稲荷ギツネ、白ヘビ、天狗。死んだ人の霊である地縛霊や浮遊霊など。

そして、最もやっかいな、生きた人間から派生した生霊などである。

本人に霊障をもたらしている霊というのは、たいていうらみのかたまりであることが多い。

霊がうらみを晴らしてしまえば、気が済んでサッサと霊界へ帰っていくかというと、案外そうでもないところに、霊障の難しい点がある。霊の中には何十年何百年とうらみ続けている存在もある。ちょっとやそっとでは、人間から離れないのだ。

こういったもろもろの霊が、その人に取りついて運勢を食い荒らしているのだから、

本人がいくら努力したって運の向上が今ひとつ冴えないのは当然である。

そこで、こうした悪霊を取り除くと同時に神霊界へ論して返してしまうのが、私や私が主宰するワールドメイトの救霊である。

人によっては、何千体もの霊が取りついていることがあるが、取り除けない霊というものはほとんどない。

しかし、本人のマイナス思考を変えなければ、新たな悪霊をどんどん呼び込んでしまい、際限なき憑霊地獄をつくってしまう。

だが、この方法はわざわざ私のところへ出向いてもらわなければならないので地方の人は不便この上ない。(ただし現在では関東・関西をはじめ、全国各地で行えるようになっている。また、遠出ができない人の場合も、写真の霊界に意識を飛ばして行う「写真救霊」という方法もある。

まあ、近くに信頼のおける霊能者がいらっしゃったら、その人に頼んで救霊していただくのもいいかもしれない。

それもままならないというのなら、霊障に負けないくらいの強い信念と志を持って、善霊で自分自身をガードしてしまうことだろう。

自分を守護している守護霊や善霊たちに、悪霊に負けない強い加護を願うのである。

いずれにせよ、最も危険なのは、半かじりの霊媒者に救霊を頼むこと。

これは絶対に避けたい。というのは、ヘタをすると救霊するほうもされるほうも、より強烈な霊障が起きてきて、取り残しのままその霊にやられてしまうことがあるからだ。

不浄な場所は避ける

世の中には、なんとなく気持ちが悪くなる場所というものがあるものだ。

誰でも気持ちが悪いな、と思うのが夜のうら寂しい墓場。ナマ温かい風と不気味な笛の音がどこからともなく聞こえてくると「出、出た~」ということにたいていはなる。

実際、墓場は死者、とくに行き先の定まらない霊たちの溜り場のようになっているので気をつけたほうがいい。

そのほか、酔っぱらいがたむろし、ストリップやのぞき小屋が林立、喧嘩が絶えないといった場所も、悪霊たちがトグロを巻いているとみていい。

よからぬ思いを抱いてウロウロしていると、霊にパッと飛び込まれてしまうだろう。

また、人が殺された家とか変死した家なども気をつけたほうがいい。面白半分で見学に行ったりすると、その家の周辺にいるうらみの霊や殺人鬼の霊、疫病神の霊などが、一斉に飛びかかってくる危険がある。

また、海外旅行などでも思わぬ霊障をくっつけて帰国することがある。霊障は成田の税関もフリーパスだから、身をガードするのは自分自身しかないのだ。

外国での不浄の場所というのは、死者がたくさん埋められているような、いわゆる”聖地”といわれる場所。

あるいは、管理のゆき届いていないクモの巣が張ったような教会や寺院など。人殺し、強盗、酔っぱらい、浮浪者などが多数出没する場所も、やはり、それなりの悪霊が支配している地域なので近づかないほうが無難だろう。

特定の地域をあげて申しわけないが、こんな例があったので紹介しよう。

場所は南国、バリ島。そこへ遊びに行った男性の話だ。

半分はこの男性も悪いのだが、バリ島で女性を買ってしまった。これが間違いのもとで、それ以降、全身がくだけてしまうような痛みに襲われた。

病院で診てもらっても原因不明。しかし、あまりの痛みに、本人は自殺を覚悟したほどだった。

苦しみもだえながら、私のもとへきたとき、正直ゾーッとした。というのは、彼の体を、緑色のバケモノ蛇がグルリと巻いて、魂が食べられていたからだ。

このバケモノ蛇は、バリ島の女性にもともと憑依していたのだが、一夜を共にしたばっかりに彼に宿替えして、日本にやってきたというわけだ。

バリ島に行って、こういう得体の知れない強力霊をつけてくる男性が多いようである。

バリ島へ行って景色だけ見て、宗教的な土産は買わないほうがいい。というのは、一〇人中一〇人までが、土産物についた邪気を一緒に持ち帰ってくるからだ。

死者への妙な感傷も禁物

戦争で死んでしまった人々の遺骨を収集し、慰霊供養してきたあとどうも体の調子が悪くなったという話をちょくちょく耳にする。遺骨収集に限らず、死者を弔いに行ったあと、霊障を受ける場合がある。

この理由は、死者に同情しすぎたためである。

「かわいそうに。辛かったでしょう。どんな思いで死んだのか…。生きていれば、今ごろは…………」と死者の霊を現世に呼び戻すような念を出すと、死者は成仏できずに、同情してくれた人にピタリとくっついてしまうのだ。

死んでしまったら、肉体がないのだから現世へは戻れない。霊界で修業し、霊界でのランクを少しでも上げることが死者にとっては重要な務めなのだ。

したがって、死者を弔うとは、心安く成仏し、未練なく霊界で修業してくださいと報告することであって、決して「現世に戻ってきて」と願うことではないのだ。

このあたりをはき違えると大変なことになるので注意が大切。

多くの人々が亡くなった事故現場や戦死者が埋葬されている墓地、海難現場や山岳遺難地点…いろいろあるが、やはり、妙な同情心は禁物だ。やるのだったら徹底した浄霊供養をすべきだ。

ところで、戦争中に死んでいった兵士たちの霊たちのことだが、ご参考までにちょっと詳しく説明しておこう。

なんでもそうだが、死ぬ間際の心が大切で、「天皇陛下万歳」「御国のために死ぬのだ」「みごと散って、英雄となりて祖国を守らん」という思いで死んだ人々は、英雄となり、天照大御神や忠霊がじきじきに霊を救済されている。

というのは、この世に「残念がない」、つまり念が残らず、実にきれいさっぱりとあの世へ行っておられる。これは、死ぬ際のひとつの心得でもある。

だから、同じ戦死者でも「残念だ」「死ぬのはいやだ」「助けてくれ」「苦しい」といった思いを胸に抱いて死んだ人々は、やはり念が未だにこの世に残っている。

したがって、遺骨収集は、単なる霊の慰めや自己満足からするのではなく、真剣に供養し霊を楽にしてあげなければならない。

そういった霊界法則、霊的事情を知った人々が真の慰霊団を結成することを私は切に望んでいる。

それはさておくとして、実際に遺骨収集などに参加したならば、

「この世に未練なく、早く霊界修業の旅へ発ってください」

これだけでいい。なんとなく冷淡なようだが、霊界法則から見れば死者にとっても、肉体を持って生きている人間にとっても、これがベストの弔い方だ。深情けは両方にとって禁物なのだ。

つく名前、つかない名前

はっきりいって、名前は運勢に影響する。だが、悪い名前をつけられたから、運勢が低迷するかというとそうとばかりは言い切れない。

気にしすぎて、悪い想念にとらわれてしまうほうがもっとよくない。

親はいろんな思いを込めて、子どもに名前をつけるものだ。大切なのは、両親の願いが託された名前に負けないよう、一生懸命頑張ること。

そうすれば、「頑張るゾ!」という想念のほうが圧倒的に強いので、少々名前の運勢が悪くても、それは関係なくなる。

さて、名前だが、一般的には画数、陰陽、木火土金水、字の意味などで鑑定するが、案外知られていないのは音の世界である。なるべく名前の最後が伸びる音になっているほうが、将来性があり、運気も向上する。

あまり感心しない漢字としては、草花の名前や春夏秋冬。それに、彦、義、千などの字だ。

彦というのは異性問題で一~二回は必ずトラブルを起こす漢字。義というのは裏切られる字。

そして千というのは女性ならば後家さんの相を示し、この字もまた、異性運はよくないとされている。

また、名前の最後が「し」や「じ」「ず」で終わるのも考えものだ。よいのは「ン」あるいは伸びる音で終わる名前。

「運がつく」という語呂だが、意外と語尾にウンのつくのはヒット商品となったクスリの名前などに多い。

印鑑はツゲがよい

では、もうひとつの身近な存在で運勢のカギを握っていると思われる印鑑についてだが、これは高額ならばいいというものでは決してない。

ましてや、金もうけのみの目的で値がつりあげられていると思われる印鑑など、逆に悪い霊が付着していることが多いので注意が必要だ。

値の張る印鑑の代表格として、牙水牛などがあるが、この両者はよくない。

手軽で使いやすく、しかも邪気がこもっていないのは「ツケの印鑑」だ。これなどはセットでも安く買える。

もちろん、一般的に言われるように、縁の欠けたものや字のかすれたものは、見た目にもよくないし、運勢を下げるので早めに交換したほうがよい。

ツケは木なので、欠けやすいしまた、長い間何度も使用しているとすり減ってくる。

しかし、それはそれでいい。欠けたり減ったりすればまた、新しいものを買って心機一転すればいいのだ。印鑑は生きているので、新陳代謝があったほうがいいのである。

神霊的な目で印鑑を見ると、それを作った人の“気”と使う人の魂がその中に凝縮されている。

金もうけのみで作られ使われるものには、キツネやタヌキ、とぐろを巻いたヘビなどがついている。

人々の幸福を願いつつ使用されて、運勢がよくなると、印鑑もすがすがしい雰囲気をつくり出すものである。

逆の場合は、魂が呻吟している姿があらわれる。

これは余談だが、以前ラジオ番組の中で、「印鑑神通」をやったことがある。

どういうものかというと、その人の印鑑にさわるだけで、その人の人生を見てしまおうというものだ。

なぜそんなことができるのかといえば、印鑑の中に分魂が閉じ込められているからだ。そのほか、印鑑に幸運のタネを植えつける秘法などもやった。

しかし、この開運策は補助的なもので、決定的なものではない。また、私は印鑑屋さんではないので、印鑑の製作はできない。

ところで、印鑑より名前のほうが、また、名前より生年月日のほうがその人の運勢には影響をおよぼしている。

そして、なによりも日々の考え方と生き方が、その人の運勢に最も大きく影響する。

だから、生き方を前向きに、発展的にするのが第一である。もし、印鑑が気になるのなら、すぐに印鑑を変えよう。名前が気になるのなら、名前も変えよう。

生年月日による星の運命が気になるのなら、これも、実は変えることが可能なのだ。