二流、三流大学卒でも可能性がある
教育の問題にしてもまったく同じです。もともと優秀で、一流の大学に行って、「勉強がずっと好きです」という人ならいいんです、そういう人は吸収力がありますから。
ところが、もともと大したことがないお父さんとお母さんの間に生まれ、もともと大したことのないおじいちゃんやおばあちゃんに囲まれて育ち、一生懸命勉強して東大へ入った人の場合は、もう燃え尽きてしまっているケースが多いんです。
もちろん、東大に入るだけ偉いですけれど、もう燃え尽きて、頭が飽和状態になっている人がたくさんいます。
「これから先、何かやるぞ!」という意欲もないし、大きな仕事をこなす能力もない。
まあ、事務処理能力はあるでしょう。あるいは、何か文章を書いたり答案を書いたりする能力もあるでしょう。
しかし、自分の意見は言えないし、行動力もない。そもそも、自分の独自の考え方なんてほとんどない。
本を読んだり、出された問題を正確に答えていく力だけです。
それでも、理解力は抜群です。しかし、それだけです。表現力、発表力、実行力という部分はもう、燃え尽きてしまっています。
そんな人よりも、二流大学か三流大学の、中堅と呼ばれる大学に入って、クラブのキャプテンを務めて頑張っていた人が、「キミは優秀だ」と言われて、「ああ、ぼくは優秀なんだ」と思いながら、ちょっと優秀なだけなんだけれど、大いに頑張って、体で覚えた人のほうがうまくいく場合があります。
かつかつで東大のような一流大学へ入っても、すでに燃え尽きてしまっていて、何も創造性も行動力も実行力もない人と、中堅大学に行って頑張って、社会に出てからメキメキと頭角をあらわす人と、どこがどう違うのか。
それは、「勉強方法が違うのではないか」と考えるわけです。
正しい勉強法とは何か
では、正しい勉強方法とは何か。枯渇して頭の許容力がなくなる勉強法と、枯渇せずに次々と追求して、どこまでも勉強し続けることを可能にする勉強法とはどう違うのか。
これを考えたら、勉強方法の一つの結論が出てきます。すなわち、「好奇心と興味と意欲と情熱が枯渇しない勉強法が一番である」ということです。
そもそも勉強というのは何だろうかと考えたら、勉強の勉は「勉める」で、「強は「強いて」という意味です。
ですから、キッという強い気持ちで立ち向かっていくのが勉強だ、ということなのでしょうけれど、勉強しなきゃならないから勉強するという段階で止まっていたら、それは本当ではない。
また、ねばならないからやるというのは、たしかに基礎力はつくでしょうけれど、そればかりだったら、やがて意欲が枯れてきます。
音楽でも、音楽理論とか和声の勉強というのは、なかなか興味が湧きません。そこを辛抱してやり続けていくと音楽が見えてくるのです。
漢字の勉強でも、いちいち覚えるのは大変だし嫌なことなんだけれども、漢字の試験だとか中間テスト、期末テストがあるから仕方なしにやる。
そうやって嫌々ながらもやっていくと基礎力がついてきて、その先の勉強もしてみたくなる。
世の中には、好奇心も興味も意欲も情熱も湧かないんだけれど、ねばならないことや、やらなければならないことはいっぱいあります。
たとえば会社の経営でしたら、決算書をつくるとか、それからお金のやり繰りなんか実に味気ないものです。
とくに、お金のやり繰りなどは誰もやりたくはないけれど、やらなければいけない。
ではどうしたら、資金繰り、資金調達ができるんだろうか、ということでいろいろと学ぶわけです。
それから、決算書もそうです。企業経営者は損益計算書と貸借対照表、この二つが読めればいいわけですけれども、どうしたらこれが読めて、読めたらそれをどう活用したらいいのだろうか、と。
それを考えなければいけません。事業の流れをお金の流れとして理解しなかったら、会社を経営できないわけですから、どんなに販売が好きだからといって、会社の社長になったら、正確にいえば専務取締役以上になったら、絶対に財務が分からなければ務まりません。
財務は、学校の勉強でいえば、算数、数学、物理に近いでしょうか。化学にも近いかもしれません。
そういう勉強を抜きにして会社の経営はできません。
専務以上になったら、嫌々でもしなければならない。しかし、その嫌々の奥には喜びがある。嫌々の壁を越えると楽しくなるのです。
先ほど言いましたように、音楽でもまずは嫌々の音楽理論を学び、嫌々の和声を学び、嫌々のピアノのハノンとかツェルニーを勉強する。全然面白くないけれど、やらなければならない。
誰でも好きな曲を弾きたいんだけれども、嫌々ながらでも勉強しなければいけない。ハノン、指の動かし方はつまらないですよ。
無味乾燥としています。
でも、やらなければいけない。同じように、財務の分析もしなければいけない。嫌々ながらでも、やらなければいけない。
その嫌々の壁を越えさせるものは何かといったら、好奇心です。会社を成功させて、こんなことをやってみたい、あんなことをやってみたい。
やはり、嫌々の先に好奇心があり、興味があり、意欲があり、情熱が湧く何ものかがあるわけで、それがあれば、嫌々の壁を越えることができるのです。
すべての勉強のエネルギー源は好奇心
好奇心の対象は何でもいいんです。崇高なものでなくてもいいし、野心でもいいんです。とにかく好奇心があったらいい、と。
異性に対して異常なほどの好奇心がある人で、とにかく女にモテるには経営者だ!(笑)と。
だから、ベンツを買って乗り回して、「キミ、乗らないか」と言ってみたい。そうしたら、自分はデブ、ハゲ、チビだけれども、きっとモテるに違いない、だから車だ、と。
何でもいいんです。たとえ不純な動機でも、魂が死んだ状態よりはいいですから。何の意欲もなく自殺するというよりは、色狂いでも、金狂いでも、権力狂いでもいいから、意欲があったほうがいい。
権力欲の人間、金、金、金という金銭欲の人間、それから女、女、女という人間、あるいはまた男、男、男という男(笑)、いろんな方がいらっしゃいます。
それに比べて、生きる意欲もなくなって自殺するとか、燃え尽き症候群で無気力に生きている人よりは、そういう人のほうがよほど張りきっています。
お腹の奥を見てみたら、とにかく女、女、女、男、男、男。お腹の中を見たら金、金、金、出世出世、出世、権力、権力、権力と。
政治家であろうと官僚であろうと、普通の男であろうと、燃え尽き症候群でポワーッとして廃人みたいになっている人よりはよほどいい。俳句を詠んでいる俳人ならいいけれど、廃人のようになっていたり、意欲をなくしてただボーッと死ぬのを待っていたり、あるいは、自殺するというよりはよほどいい。
魂が発動しています。
大和魂が発動しています。興味、好奇心、意欲、情熱というのは、それぞれ人によって異なりますが、やはり、強ければ強いほどいいんです。
権力欲で凝り固まっている政治家は、みんな権力、権力、権力と思っている。出世欲で凝り固まっている官僚は、みんな出世、出世、出世と思っている。
あるいは、男、男、男と思って、次々と男を渡り歩いていく女性もいます。
女が女を求め、男が男を求める場合もあるんですけれど(笑)、燃え尽き症候群で魂が死んだ状態になっている人間や、自殺する人よりはよほどいい、と。
その分だけ国に税金を納めていますものね。人に迷惑をかけないです。もちろん、かける場合もあります。
しかし、自殺するよりはよほどいい。自殺されたら、残された家族は大変です。
それから、何のやる気もなくボーッとしている人間を抱えている家族も大変です。手の施しようがないですもの。それよりはベターだ、と。
もちろん、あくまでも比較基準ですから、これが絶対的にベストとは言いません。
「わしは絶対に女にモテるようになるんだ」という、その人なりの意欲があって、そのために、どうすれば女にモテるのかという本を読んで一生懸命に勉強する。
あるいは、「金がすべてやー!」と、金、金、金で生きている大阪人が真剣になって「大金運」(たちばな出版刊)を読んでいる、と。
そうしたら、「金、金、金で生きていると地獄に落ちる」なんて書いてある(笑)。「はあ、やっぱりそうか。そんなにうまい話はないもんなあ」と、少しは反省しても、それでもクーッとつり革にぶらさがりながら「大金運」を一心不乱に読んでいる。
それから出世欲の塊もそうです。出世が遅れている官僚がいたら、「あいつに負けたくない、絶対ライバルに負けたくない」と思って、「超一流のサラリーマン、OLになれる本」(深見東州著、たちばな出版刊)を読んでいますよ(笑)。やはり、好奇心と興味と意欲と情熱がある人は、やめろやめろと言われても勉強しています。
だから、いろいろある勉強方法の中で一番の勉強法は、好奇心とか興味とか意欲とか情熱を失わないような勉強法なのです。
その場合、好奇心が強く、いつも情熱的に生きているお父さん、お母さんの下に生まれた人、あるいはそういう環境に育った人は、上手に自分の心をコントロールできるはずです。
分野はいろいろです。女にモテる法とか、出世する法とか、権力を手中にする法とか。ときどき、ヒットラーに関する本ばかり読んでいる人がいます。
ヒットラーのことならやたらと詳しいんです。「なぜ、そんなにヒットラーに詳しいの?」「いやあ、憧れているんですよ」と。自分が支配したいという野望を持っているわけです。
あるいは、「信長の野望」というゲームを一生懸命やっていたりもします(笑)。信長だろうが誰だろうが、野望に関するものなら何でも持っている。
野望シリーズとしてゲームソフトを集めている。織田信長が好きだ、ヒットラーが好きだ、とにかく世の中を自分が支配したいんだ、と。
そういう気持ちに燃 えている人もときどきいます。そういう人は、やめろと言われてもやめません。ものすごく勉強しています(笑)。
もちろん、ドロドロとしている分、あの世へ行ったら地獄に落ちるのではないかと思いますが、ものすごいエネルギーがあるから、地獄の鬼もやり甲斐がありますよね(笑)。
「血の池地獄でも、それから針の山地獄でも、どこでもやってくれ!」と。実際に行ったら、「やめてくれ~、助けてくれ~!」と叫ぶんでしょうけれど(笑)、廃人同様の人よりは、よほど根性があっていいですよ。
「女に狂ってばかりいると、血の池地獄に行くことになるぞ」「ああー、すみませーん」と言いながら、次に聖人となって生まれて変わってきたり、権力、権力で、権力ばかり追い求め、その挙句、地獄に行って、「ああー、すみませーん」と反省して、またこの世に帰ってくる。金、金、金と金ばかり追いかけたために真っ暗な地獄に落ちて、「金、金、金の人生を生きてきたからこういうことになったのじゃ!」「ああー、分かりました。すみませーん」と。そういう人が、神主になって生まれ変わってきたり、禅坊主になって生まれ変わってきたりします。
逆に、燃え尽き症候群でやる気がない人は、「キミ、そんなことではダメじゃないか」と言われれば、ボソッとひと言「はい」と返事をする。
一見したところ素直そうでいいんだけれども、それで自殺したら、鬼もやり甲斐がないし、神様も仏様も、そして先祖霊も救いようがないですね。
だからやはり、魂が燃えている状態であって初めて、勉強する意味があるわけで、学習とは意欲についてくるものなのです。
それを考えたら、子どものころから好奇心とか興味とか意欲とか情熱というものも持たせるような教育をすることが非常に大事です。
あるいは、自分自身もそういう自分になるように持っていかなければいけない。そうすれば、勉強がずっと続くのです。
最初に言ったように、会社の経営だったら、財務なんか嫌でしょうがないし、いまさら勉強する意欲もない、と。
それでも、会社は成功させたい、と。数学や英語の勉強は嫌で仕方がないけれど、それでも東大には行きたい、と。
やはり、意欲と情熱があるわけです。東大に行くためには数学を勉強しなきゃいかん。だから、嫌でしょうがないけれども、数学を勉強するんだ、と。
あるいは、暗記科目は不得意だけれども、とにかく英語の単語を覚えるんだ、嫌でしようがないけれどもやるんだ、と。
そういう気持ちになるのはなぜかと言ったら、東大に行きたいという情熱と意欲があるからです。
音楽でもそうです。何とかしてピアノを弾きたいと思うからこそ、ハノンを一生懸命練習して、ツェルニーなんかを練習するわけです。
音楽的に美しいとは思わないし、面白くもないけれども練習する。歌でも、ちゃんと素晴らしい歌が歌えるようになりたいと思うから、コールユーブンゲンのような非音楽的なものから覚えたりするわけです。
ですから、無味乾燥で興味の湧かない事柄があったとしてみても、その先にあるものに対する意欲とか情熱とか好奇心とか興味を持っている人ならやれるのです。
やっぱりやっていこう、勉強していこうという気持ちになって、勉強するわけですね。だからこそ、身になるわけです。
そういう意味で、いかに好奇心を持ち、興味を持ち、意欲を持ち、情熱を持てるようにするかが大切で、それに主眼を置いているところがアメリカの教育のいいところです。
アメリカの教育は、言うなれば、いかに人と違ったことをするか、ということを親が子どもに教育するわけです。
それに対して日本では、いかに皆様に迷惑をかけないで、皆様と同じように適合できるかを教育する。もちろん、長短があるから善し悪しは一概には言えませんけれど、この点に関してはアメリカのほうがいい。
アメリカでは、勉強しない人は全然勉強しません。だから、バカみたいなのがいっぱいいます、アメリカには。
しかし、勉強する人は桁外れに勉強するんです。好奇心、興味、意欲、情熱があるから。そのいいところだけをいただければいいわけですね。
しなければならないから勉強しようと思っても、実際にやってみたら続きません。あれも勉強しなきゃ、これも勉強しなきゃ、とくに国際化時代になって英語を勉強しなきゃと思うんですけれども、やり始めたら続きません。
同時通訳になった女性が出した本があります。その本を読んだら、すごくハンサムな外人にたまたま会って心を揺り動かされ、その外人にまた会いたいがために、ベリーグッドと言ってほしいがために一生懸命に英語の勉強をした、というようなことが書いてありました。
大事なのは、その情熱です。対象は何でもいい。興味と好奇心が湧いて、「やろう!」という気持ちが続くように自分の心を持っていったら、勉強は続くのです。
だから、プライドが高くて、「あいつにだけは負けたくない。絶対にいい成績を取るんだ!」なんて思う子は、一生懸命に勉強する。
プライドが高くて負けん気が強い子は、一生懸命に勉強するし、どこまでもやり続けることができるのです。
もちろん、勉強が楽しいわけがありません。しかし、ファミコンとか野球とか、そういうものより勉強のほうが楽しいという子がいます。
なぜそこまでやるのか。それはプライドが高いからです。お母さんが「勉強しなさい、勉強しなさい」と口を酸っぱくして言ったところで、それだけでは勉強しません、絶対に。
プライドが高いから勉強が面白くて、「キミ、優秀だね」と言われると、プライドが満たされて、ますます勉強するようになります。
いい成績を取ったり、学校で一番になったり、模擬テストで上位になったりすると、「あ、俺ってできるんだ」と自信を深め、親が何も言わなくても進んで勉強するようになります。
しかも、一度いい成績を取って一番になったりしたら落ちるのが怖いから、なおのこと一生懸命に勉強するのです。
予備校でも、年に何回かクラス分けをするんですけれど、成績の上位のクラスからAクラス Bクラス Cクラスとしたら、CからBに上がれるかなと思っていたけれど上がれなかった、BからAに上がれるかなと思っていたけれど上がれなかった、という場合はそれほど恐怖心もショックもありません。
しかし、AクラスからBクラスに落ちたらどうしようという、この恐怖のほうが百倍ぐらい強いのです。
また、Bクラスの子がCクラスに落ちたらどうしようかと思う恐怖心もそれなりに強いものがあります。
それに対してCクラスの子は、「まあ、こんなもんでしょう。どの道、ボクはCだから」と(笑)、不退転な、
大死一番の底で悠然としています(笑)。しかし、AからBに落ちるというのは、当人にとってものすごい恐怖なのです。
やはり一番になったり、いい成績を取ったりした喜びと感動を覚えたら、落ちたくないわけです。そのあたりの子どもの心理を読み取って、きちんと対応すれば、必ずや勉強する子に育つはずです。
好奇心を持つように仕向けるのが一番のポイント
ですから一番大切なのは、とにかく興味を持たせ、好奇心を持たせ、意欲を持たせ、情熱を持たせることなのです。
その次に、「今度のテストで成績が上がったら、ファミコンセットを買ってあげよう」とか、「アメリカのディズニーワールドに連れて行ってあげよう」などと、何らかのご褒美をあげること、この二つが非常に大切です。そうすれば、「えっ、ほんと!」と目を輝かせて一生懸命に勉強するようになります。
どんな分野であれ、情熱と意欲と興味と好奇心を持つように仕向けたら、黙っていても子どもは勉強します。
「勉強しなさい!」と言えば、ある程度はやるかもしれません。しかし、ある程度やったら、今度はその反動で、うんと遊びたくなったり、いじけたりします。
ですから、いかに上手に好奇心と興味と意欲と情熱を子どもに持たせるかが大切で、それがうまくいったら、どんどんどんどん勉強するのです。
私自身、そういうふうにやってきましたし、いまもやっています。いかに好奇心、興味、意欲、情熱を持てるのか、というところで工夫をし、それができたら無味乾燥なつまらないこと、まったく面白くないことでもやろうという気持ちになってきます。
ですから、勉強方法といっても、勉強する自分がまずは大事なのです。小説にしても、さっき言ったように小学生、中学生のときに夏目漱石なんかをずっと読んでいたら、好奇心と興味がなくなってしまいます。
近代最高の文学と言われる小説がこれなのかいな、と。そう思ったら、もう読めません。読めないから次は怪奇小説だとか、へんてこりんなものに興味が移っていくのです。
興味、好奇心、意欲、情熱が続いていくように持っていったならば、人間は誰でも勉強が続く。
これらをいつも持っている人は、「勉強するな」と言われでも勉強します。
その勉強方法がどんな方法であっても、興味、好奇心、意欲、情熱がなければ勉強しないですね。
私はそれが分かっているから、いつもそれを大事にしているわけです。
好奇心があり、興味があり、意欲が持てて情熱が湧いてくる。そういうふうな自分をつくっていくと、絶えず勉強している自分ができあがってきます。
これがなくなるから勉強しなくなるわけです。「勉強しろ、しろ」と言われても続かないんです。
やはり、興味が持てない事柄であってもやれるのは、その先に大きな好奇心、興味、意欲、情熱があるからで、それさえ失わなかったら、一見つまらなさそうなことでもやれます。
考えてみたら、これが勉強方法の一番の原則です。この「興味、好奇心、意欲情熱」がある人は、絶対いつも勉強しています。
好奇心があり、興味があり、意欲があり、情熱がある人で勉強していない人はいないですね。
芸術家であろうと、ビジネスマンであろうと、政治家であろうと、自分の中にこれがなくなってしまったら、もう勉強しなくなる。そう思っていいです。
だから、絶えず「勉強をしなきゃ、勉強をしなきゃ」と思っている人は、考え直さなければなりません。「ちょっと待て」と。
「勉強しなきゃ、勉強しなきと思ったって続かない。勉強しなきゃ、勉強しなきゃと思うならば、エネルギーの根源になっているこれを大切にしなきゃいかん。
どうしたらこれが湧いてくるのだろうか。どうしたら枯渇しないのだろうか。どうしたらいつも張っている状態を保てるのだろうか」と。
まず、これを考えるのです。そこを大切にしていったら、何もしなくても勉強している自分が続きます。これが、勉強というものに対する私の考え方です。
ですから、子どものころから本当に勉強することが好きで、好奇心と興味と意欲と情熱を持っているのであれば、どんどん勉強させてあげればいいのです。
繰り返しになりますが、勉強に対する好奇心も興味も意欲も情熱もまったくない子どもは勉強をやりたがりません。
だからと言って、勉強をやりたがらないのに無理に勉強をさせることはない、という考え方も間違っています。子どもがやる気になるのを待っていたら、落ちこぼれます。
やはり、低学年においては勉強習慣が身についていなくても、少なくとも活字を見て、宿題をやるということぐらいは無理やりにでもやらせなければなりません。
また、抽象概念が発達する小学校の三、四年になったら、算数で落ちこぼれにならないように、しっかり勉強を見てあげる必要があります。
そして、中一の後半から半数ぐらいが英語嫌いになりますから、自分の子どもが英語嫌いにならないように、英文法の勉強がちゃんとできたかどうか、つねに注意を払っていなければなりません。
塾に行かせるなり、家庭教師をつけるなり、ちゃんと成績を見ていて、落ちこぼれぎみだったら早く対応してあげなければダメです。
何とかなだめすかしてでも、勉強に向かわせる必要があります。
そうやって基礎学力ができてくると、好奇心、興味、意欲、情熱を持ったとき、基礎学力がついている分、自分で次々とやっていくことができます。
ところが、算数嫌いで、英語嫌いで、読解力がなくて、小中のときの成績が1、2、 1、2の落ちこぼれ状態のまま過ごした人や基礎学力がない人は、何かの事柄に好奇心、興味、意欲、情熱を持っても空回りします。
そうなったら本人が困ります。もう大人になっているなら話は別ですけれど、高校生ぐらいになったとき、何かに興味を持ってもうまくやっていけない、なかなか成果が出せないとなったら、やはり、つまらない思いをします。
そんなことにならないように、親の責任として、嫌がっていても最低限度の基礎力だけはつけるように持っていかなければいけないと思います。
サラリーマン、経営者のための勉強法
次に、サラリーマンのための勉強法についてお話ししますと、まず大事なのは、いまやっている仕事の延長線上の勉強をする、ということです。
たとえば、会社の経営者だったら、当たり前の話ですが、経営の勉強をしなければいけません。
これはいま直面しているわけですから、経営者に求められるのは、何よりもまず経営の勉強です。
それで、どうやったらちゃんと経営できるようになるのかなと思ったら、普通は本を読みます。
その本に、自分が抱えているテーマの答えが書いてあって、「ああ、こういうふうにやればうまく経営できるのか」と分かれば、もっともっと好奇心が起きてくるし、興味が湧いてきます。
そして、その本を読んだことで、「俺にも経営できるんだ、よーし、やるぞ!」と意欲が出てきて、さらに、「私の前の本に書いたことですが」というフレーズがあったりすると、その本も読んでみたくなります。
そういうふうに、経営者を励ますような言葉の並んでいる本であるなら、どんどんどんどんやる気が出てきます。
いまやっている仕事の延長線上の勉強というのは、ねばならない勉強です。ですから、さっきも言ったように、ねばならないという気持ちでやっていると、やがて行き詰まります。
そこを乗り越えるには、これまたさっき言ったように、その先に目をやることです。経営者なら、いかに儲かる会社にするかとか、黙っていても利益が生まれてくる構造にするんだとか、そういうところに意識を向けると、好奇心や興味が湧いてきますし、意欲が出てきます。
ひと口に経営者といいましても、たまたま親が社長をやっていたので好むと好まざるとにかかわらず社長を継承したという人と、サラリーマン出世双六の上がりとして社長になった人がいます。
この場合、能力が同じだったと仮定すると、親が社長で半ば無理やり社長にさせられた人のほうが伸びます。
なぜなら、必要に迫られている分、一生懸命になって勉強するからです。
それで、経営の勉強というと、もちろん経営全般に関わってくるわけですけれど、一般論でいうと、まず人事問題で苦しみます。
「ああ、人事はどうしたらいいんだろうか」と悩みます。そうしたら、人事に関するものに興味と意欲が湧いてきますから、それに関係する本を読みたくもなるし、勉強したくなります。
人事の問題が解決したら今度は、税金の問題でしょうか。せっかく儲かったのにいっぱい税金を取られたらがっかりします。
もちろん、払うものは払わなければなりませんが、合理的な節税方法はないものか、経営者なら誰だって考えます。税金が高いのを実感しますから。
イギリスなんかでは、税金が高いために経営者の意欲がなくなったというので、法人税を安くしよう、と。
それによって、経営者に意欲を持たそう、外国資本のイギリスへの投資意欲を高めよう、イギリスに現地法人をつくるように仕向けようと。
それはもう実感するわけです。こんなに頑張って利益が出たというのに、六割も税金を取られたりすると、意欲がなくなりますね。
だからまあ、そういうものを実感したら節税の本が読みたくなる。
それから、どうやったらお金を調達できるか。お金のやり繰りに困って、毎月毎月の支払い日に足りなくて銀行から借りた、と。そうすると、たとえば、「頭のいい銀行の活用の仕方」とか、「銀行と上手におつき合いする法』というような本を読んで勉強しようという気になります。
やはり、上手に銀行からお金を借りる法、あるいは上手な資金調達の法みたいなことには興味があるわけです。
お金がどうやったら入ってくるんだろう。この本を読んだら銀行とうまくつき合える、というような話を聞けば、一生懸命に読みますよね、経営者は。
ビジネスマンは株を持て
さらには資金調達。改めて言うまでもなく、株式を発行することによって資金を調達するのが株式会社の原理です。
銀行から借りる、他人資本から借りる資金調達というのは正攻法ではなく、プラスアルファのやり方です。基本は株を発行し、増資をして、そして資金を調達する。
だから株式会社と言うわけで、有限会社、合名会社、合資会社と株式会社の違いは、株を発行することによっ資金を得るかどうか、という点にあります。
店頭公開するか上場するか、あるいは公開しないかは別として、株を発行することが株式会社というものの基本的特性です。
それが分かって、株を発行するかしないかを決めるわけですが、そうやっていくと、株のことに興味を持つようになります。
株に興味が出てくると、財務諸表とか会社経営そのものを知りたくなります。財務諸表を勉強したかったら、少しでもいいから株を買いなさい、と言われているのはそういうことです。
株を買って株主になると、毎年、決算書が送られてきますが、その決算書を真剣に見るようになります。
また、新聞を見て、買った会社の株が上がったり下がったりすると、ハラハラドキドキします。
そして、なぜこんな株価が変動するのかな、なぜこの会社は業績が振るわないのかな、ということで日経新聞、それから流通新聞を、いままで以上に真剣に読むようになります。
新聞に限らず、自分が株を買った会社のことが載っている記事を見たらドキッとする。
この株はこれから上がるだろうか、下がるだろうか、ということがとても気になります。
いずれにせよ、株を買うと興味、好奇心、意欲、情熱が湧いてきます。さっきも言ったように、会社の株を買うと、毎年決算書が送られてきます。
また、株主総会にも出られます。だから、ますます興味が湧いてきます。
ただし、株で儲けようということまで考える必要はないと思います。株を持つのはあくまでも、会社を理解し、企業業績に興味を持つ自分、好奇心、意欲を持って会社の中身を分析したくなる自分をつくるための一つのきっかけとなったら、それでいいわけです。
株を買うと、本当に会社のことに興味を持ちます。株を買った会社の社名を見たらドキッとしますね。
黒い字で、株価が下落したなんていうと、「へえ、なぜ?」と。白い字で、株が上がったとなると、うれしくなったりします。
だから、財務諸表のことを勉強したかったらまず株を買いなさい、と。
ほんのちょっとでいいんです。
株を買って、それで儲けて云々というよりも、優良会社の株を持って、株に興味を持ったらいいのです。
そうしたら、景気、マーケット、株価の変動を勉強するようになります。
そうすると、本当に好奇心が出てくるから、関連する本も読みますし、人の話も聞くし、新聞も隅から隅まで読むようになります。
しかも、ただ読むのではなく、目を皿のようにして読みますから、頭にバシッと入ります。
業界誌を取ったり業界団体に入ったりするのも一手
それから、その業界のことに対して興味が出てくるから、業界新聞や業界誌を取るようになります。この業界はこれからどうなっていくんだろうか、建設業はどうなんだろうか、ファッション業はどうなんだろうか、飲食業はどうなんだろうか。
業界の先行きに興味を持ちますから、「月刊飲食店経営」とかの業界新聞や業界誌を取って、勉強をするようになります。
あるいはまた、青年会議所に入るとか、ライオンズクラブやロータリークラブなんかに入っても、とても勉強になります。
会社では社長として踏ん反り返っているんだけれども、そういうところに行くと大先輩がいるから、何かにつけて小間使いにされます。
そこで頭を下げていろいろ勉強するのが、ライオンズクラブに入ったりロータリークラブに入ったりする一番の意義なんだ、とライオンズクラブに入ったら、先輩から最初に言われます。
「私はライオンズクラブに入会して二十年になるけど、このライオンズクラブに入っている意義が何かというと、諸先輩方がいっぱいいて、その中で頭を下げて、いろいろ会社の話を聞いたり、経営の悩みを聞いたり、頭を下げてお世話をするというところがいいんだよ。自分の会社にいるだけじゃ、なかなか勉強できない。会社にいれば、みんながキミのお世話をするだろう。自分が人のお世話をするようでなかったら、いつか人間として行き詰まるんだよ。会社の業績も伸びなくなるんだよ」
そういうような話を聞かされて、「ああ、そうなのか」と納得するわけです。
そして、ライオンズクラブとかロータリークラブでいろいろなお役をして、五年、十年と経ってきたら、入会した意義を実感すると言われています。会社では誰もそういうことを言わないし、自分から頭を下げないから、自分にとっていかにそれが大事なのかを、心から実感するそうです。
ライオンズクラブやロータリークラブには立派な経営者がたくさんいます。そういう方々が集まる会合に出席すれば、やっぱり自分はまだまだ勉強が足りないなあ、と。
より素晴らしい人を見たら、すごいなあ、と。いろいろな先輩方に触発されて意欲が湧いてくる。情熱が湧いてくる。
興味、好奇心が湧いてくる。それで、ますます「勉強しよう」という気持ちになってくるんです。
目標に向かって自分を追い込め
経営者になりますと、やらなければならないことがいっぱいあります。
つまり、勉強しなければならない分野が非常に広いわけです。だから、経営者が誰よりも一番よく勉強し、一番賢くなり、一番人間として向上するのです。
その代わり、勉強しなかったら、倒産の憂き目に遭います。味わう悲劇も一番大きいのです。
経理の仕事だけを担当しているなら、そういうことはありません。経理なんかもうやめたいと思いながら嫌々仕事をしていても、経理に関する本を読まなくても、経営者のような苦しみを味わうことはありません。
経理の仕事はもう嫌だ、もうやめたい、だけど異性には誰よりも興味がある、という人もいます(笑)。
それは、いまやっている仕事には関係ないし、延長線上のことでもありません。言うなれば、いまやっている仕事の反動の興味です。
そういう勉強でもいいかもしれませんが、やはり、基本はいまやっている仕事の延長線上の事柄に興味を持ち、勉強することです。
そうすれば、職能力が上がりますし、出世もします。給料も上がるし、待遇もよくなります。要するに、いま置かれている境遇を打破できるわけです。
だから、経理をやっている人は経理の仕事の延長線上のことに興味を持ち、何らかの目標を持って励んだらいいのです。
たとえば、簿記一級を取ろうとか、そろばん一級を取ろうとか、もうちょっと目標を高くして税理士試験なんかにチャレンジしようとか、いまの仕事にプラスになる方向で頑張ったらいいのです。
とにかく、そういうふうに目標を立てると、次から次へといろいろな興味が出てきて、能力が磨かれていきます。
私はいつもこの方式でやっています。能の公演会でも絵や書の展覧会でも、自分でやると決心して場所も借り、チラシもつくり、みんなに公言して案内を出し、各方面にお願いをすると引っ込みがつかなくなります。
これを心理学では「締め切り効果」と言いますが、皆さんもそうやって自分を追い込んでいったらいいと思います。
