御魂の力で開運する(Vol.2)

第一章 この心掛けが開運を呼ぶ

目標を持つと人は輝く

今日は、いくつかの質問にお答えしていきましょう。

質問用紙を二時間かけて読みました。一つひとつの質問に熱がこもっていて、どれもこれも、とても丁寧によく書いてあります。

「なるほどなあ」と思いながら読んでいたのですが、時間に限りがありますので、内容の重い質問と軽い質問をそれぞれいくつか選んでお答えしようかと思います。

面白い質問があります。 Aさん、四十一歳。

「苦しいときは御魂が輝いていると、深見先生から聞きますが・・・・・・、苦しいときはやはり心が落ち込んでいます。暗い心のままで、仮に突然事故などで死んだとき、そのまま辛い地獄へ行くのでしょうか。

突拍子もないことですが、その境目がどこなのか疑問です」

こういう質問が多いです。「そういうことも考えるかなあ」と読んでいました。苦しいときというのは、御魂が輝いているわけではありません。

たとえば、五年、十年と寝たきりだったお年寄りが、「ああ、苦しい苦しいよ」と言いながら死んでいったとします。

そういうときに、「ああ、御魂が輝いていま「すね」とは言わないわけで、苦しいからといって御魂が輝くわけではないのです。御魂が輝くには絶対条件があります。

御魂が輝くには、まず目標を持つことです。

「目標がはっきりしている」と言った方がより正しいのですが、はっきりしていなくても、とりあえずの目標があり、それに向かってやっていると御魂が輝く。

何の目標もなく、ぶらぶらしながら御魂が輝いています、ということはないのです。ですから、御魂が輝くには、まず目標がはっきりしていなければならないわけです。

目標が見つからなければ、たとえば、目標なんだ」

「私は神人合一の道のために生きるんだ」と。

しかし、神人合一の道というのがよくわからない。

「神人合一というのは、何か神様に近づくような、素晴らしくなるような、それが目標なんだ」と、それでいいわけです、目標があるから。

あるいは、「私は劫を減らし、晴らすために生きているんだ」と。

劫を軽減して晴らすために生きる、という目標があるとします。家代々、劫の塊で、母も父もおじいちゃんもおばあちゃんも、「日々これ劫」というような生活。だから、

「毎日劫を晴らすのが楽しみでございます」

そういう目標があって苦しんでいるときには、御魂が輝いています。

「また劫が晴れたぞ!!」(笑)

と思って、苦しみながら喜んでいる。寝たきりのお年寄りでも、

「これだけ寝たきりで苦しんだのだから、劫が晴れただろうな」と思うと、御魂が輝きます。

またたとえば、「私は素晴らしいスターになるんだ、タレントになるんだ」という目標を持ったとします。成功するかどうかはわからない。

わからないけれども、何かハラハラドキドキしながら頑張っている。ダンスをしたり、歌のレッスンをしたり。そして恋をして、失恋をしたりする。

「今はまだ誰も注目していないけれど、デビューしたあと、この恋が週刊誌で取りざたされるようなことがあるかもしれない。そういうときには別れ方が大事だから、デビュー後の恋のトラブルに備えて、いまからきれいな別れ方を練習しておこう」

「いや、きれいな別れ方より、もっとドラマチックな別れ方をしなければいけないから、練習しよう」と、何でもいいのです。

自分の中に目標やビジョンがあれば。そういう場合は、失恋しても御魂が輝いています。

つまり、何であっても目標をはっきりさせることが大事で、そうでないときに苦しんだ場合は、苦しめば苦しむほど心が落ち込むし暗い。

Aさんがいうように、苦しいときはやはり心が落ち込んでいます。

「暗い心のまま、仮に突然事故などで死んだとき、そのまま辛い地獄へ行くのでしょうか」ということですけれど、地獄に行ったときも同じなのです。

地獄に行っても、ただわけもなく苦しんでいるよりも、目標を持ったらいいのです。そうすれば御魂が輝きます。

たとえば、「お前はこういうひどいことをしたから、この棒で殴られるんだ。辛抱しろ!」と、バーンバーンと金棒で今まさに鬼に殴られようとしている、と。

「ちょちょ、ちょっと待ってください。殴られるのはやぶさかではありません。私も地獄に来るだけの理由があったのでしょう。何発ぐらい殴られたら許していただけますでしょうか(笑)。

生きているときは、それなりに清々しい日々を送っておりました。ああいう清々しい日々が霊界にもあると私は聞いておりましたし、本にも書いてありました。

ああいう日々を送るには、どことどこに気をつけたらよろしいでしょうか。それに、何発ぐらい殴られればよろしゅうございますか。それさえ教えてくだされば、喜んで打たれます。逃げたりしません。

出しますので、お尻(笑)、ヒップを出しますから、鬼さん、教えてください。

どの道、逃げても居てもやられるんですから。同じやられるのなら、苦しいけども自分の方から差し出しますから、お尻を。何発ぐらい打たれたら許していただけるのか、ちょっと教えていただけませんか」

「お前はこうこうこういうことをしたから、何千発の仕打ちを受けなけりゃいかん」と。

でも、目標を持つと、「よし、わかった。何千何百発の仕打ちのあとに、お前がもし改心するならば許してやろう」

「わかりました。言われてみれば、たしかにそれだけのことをやっておりました。

陰にかくれてこっそりと(笑)。これはもうしようがない。劫の贖いだ。その代わり、数を数えるカウンター、あれをちょっと貸していただけませんか(笑)」

「そんなものは地獄界にはない」

「わかりました。じゃあ、お尻、出しますから」と、ドーン、ドーンと打たれる。そして、数を数えながら、どんどん終わりに近づいていく。

要するに、あの万国博とかオリンピックと同じです。オリンピックまであと何日あと何日あと何日あと何日って、ありますよね。あれみたいに、あと何日何日と言いながら打たれる。

しかし、目標があるから、普通の亡者よりも御魂が輝いています(笑)。目標があるから、同じやられるにしましても御魂が輝いています。

とりあえず目標を立てることが大事

そういうふうに目標を持つと、パッと御魂が輝くわけですが、要するに、神柱が立つわけです。

神道の大祓祝詞に、「下津磐根に宮柱太敷立て、高天原に千木高知りて」とありますが、「下津磐根に宮柱太敷立て」というのは、自分の下津磐根――おなかの奥の下津磐根に、「ようし、自分はこういうふうに生きるんだ!」

結婚するなら結婚するで、「ようし、こうやって結婚するんだ!」

独身なら独身で、「ようし、こう生きるんだ!」と。

会社だったら会社で、たとえば営業に配属されたのなら、「とりあえず営業マンなんだから、会社でトップの成績を取るぞ!」と、目標を立てる。

いきなりトップというのは難しいけれど、「とにかくトップを目指して頑張るんだ!」と。

昨日の営業会議で言われたことには、営業マンが五十人いる中で四十九番だった。まあ、ブービーということで、ビリよりはましだったけれど、「これではいけない。来月は絶対に四十番になるんだ!そして、いつか必ずトップに立つんだ!」

「入社して間もないから、すぐにトップに立つのは難しいけれど、とりあえず一カ月以内に四十九番から四十番になるよう努力します」

そうやって目標を立ててから、いろいろと考え行動するわけです。どうしたら四十何番にいけるのだろうかと、目標件数を立てながら飛び込み営業に励んだり、あるいはあちこち電話をかけてみたり、先輩たちのやり方を見たり、聞いたり、盗んだりする。

そうやって一生懸命、飛び込み営業に汗水たらしながら、頑張って努力しているそのときの苦しみ。苦しみながら目標に向かって頑張っているときというのは、御魂が輝いている。

「よーし!」と思った瞬間、神柱が立つから、御魂が輝き始める。神柱が立ってから御魂が輝き始めるのです。

そのように、目標を持ち、神柱が立つという前提がなければ、御魂は輝かないわけで、これを「御魂の発動」とか「発願」と言います。

私の恩師、植松愛子先生は御魂の発動とおっしゃいますが、仏教では発願。「はつがん」と読む人がいますけどね。何か、発癌性物質みたいな言い方をする人がいます(笑)。

ですから、何がなくても目標を立てなければいけない。

どういう目標を立てたらよいのか、漠然としてよくわからなければ、営業マンなら営業マンの中でトップになる。

とりあえずは自分の順位。営業成績が四十九番なら四十番へ、三十五番へ、三十番へ、二十番へ、十番へ、と。

学生だったら、成績を見たらいい。ですから、習いごとでもお稽古ごとでも、何でもいいからとにかく目標を立てることです。

御魂が傷つくときとは?

たとえば、女性が誠心誠意、男性に尽くして尽くして尽くした。その男性が、その誠意を受けてくれて、理解してくれて返してくれた、という場合は非常に嬉しいです。御魂が本当に喜びます。

ところが、精神的に尽くし肉体的にも尽くしたのに、相手の男性はそういう心も解さず、ただ単に欲望の対象としか考えていなかった。それがわかったら、女性は非常に傷つきます。

「私があの人に捧げた愛情って、何だったんだろう」

「あの人のためによかれと思ってしたのは、何だったんだろう」と、御魂を傷つけます。御魂が輝くの逆です。御魂が暗くなるぐらいならまだよろしいですが、御魂が傷つくのは御魂が輝く逆なのです。

精神で捧げたものが精神で返ってこなかったり、肉体で捧げたものが肉体で何かの形で返ってこなかったりと、自分が捧げたものが返ってこなかったときに、御魂が傷つくのです。がっかりし、絶望する。

ビジネスの世界でも、資本を投下してそれが成功して、お金として、利益として返ってくると嬉しいです。御魂も喜ぶ。

しかし、資本を投下したものの、相手に騙されて返ってこなかったりすると、がっかりする。

御魂が傷ついた証は何かといいますと、怖くなるのです。御魂が傷つく証は何かというと、恐れて忌避する。

だから、「恋人ができたらまた裏切られるんじゃないか。一生懸命この人に捧げても、また同じようにされるんじゃないか」と怖くなっ避けるようになるのです。

大きなショックを受けると御魂に傷がつくのです。感性に傷がつくのです。

そのことを思い出したら涙ぐむし、恐れる。「またそうなるんじゃないか、ああなるんじゃないか」と男性に対して恐れるようになり、自信をなくしてしまう。

自信をなくす。自信をなくし恐れて忌避する。どんどんどんどん御魂が傷ついていく。御魂が傷ついてくるとどうなるかといいますと、要するに自信を失って、なるべく避けよう避けようとします。

たとえば、経営していた会社が倒産するとか、不渡りをくらうとか、信じていた人に裏切られるとか、そういう体験をすると不安感が出てきて、またもやそうなるのではないかと、恐れて、警戒する。

世の中で生きていくとなると、やはりそういうことは多いです。いろいろな人に裏切られるし、失敗する。

だから、年をとればとるほど、子どもみたいにそのまま、ありのままに考えられなくなってくる。

要するに、年をとっていろいろと経験が増えてくるということは、それだけ御魂が傷ついているということです。

ズタズタに、スリ硝子のように。ですから、子どものように素直に受け止めることができなくなります。

心のバネを持て

目標に向かって努力をするけれども、途中で失敗したりすると、落ち込みます。

落ち込むけれども、たとえば、失敗したりまずかったりしたことが、「先々私が進歩し、向上していくためはならない糧なんだ。先々の自分にとってなくてはならない試練に違いないんだ」

そう信じると、その失敗したことにもパッと神柱が立つから、目標になってさらにまた頑張れるのです。

そして、信仰を持つ人は、「確かに嫌な体験だったけれども、ああいうことがあったために、「強運」(深見東州著・たちばな出版刊)を読むチャンスに恵まれたんだ。満たされない思い、悲しい葛藤があったから、ワールドメイト(著者が主宰するグループ)に入会したんだ。

それで、神様というものを勉強するようになったのだから、ああ、あれでよかったんだ。ああいう経験がなければ、きっと神様なんていうことを勉強する気持ちにならなかったはずだ。

何でもかんでもスイスイスイスイいっていたら、目覚めなかっ「ただろうなあ」と。

「あのときの辛い体験は、今日こういう神というものに目覚めて、目に見えざる存在というものを理解するのに必要だったんだ。

守護霊様がそうなさったんだ。神様がそうなさったのに違いない」と。そういうふうに、前向きにとらえます、信仰を持っている人は。

戦後まもなくの時代は、日本経済全体が本当に貧しくて、どうやって立ち直っていくかというときでしたから、誰もがみんなハングリーな状態でした。

そして、封建社会が崩壊していく中で、病苦の問題、舅の問題、いろいろな問題があふれておりましたから、そういう苦しみの中で一生懸命、仏様におすがりし、「やれ因縁だ、やれ劫だ」と思って越えていったわけです。

しかし、今の日本は戦争もありませんし、豊かですし、それなりに核家族ですから、舅の問題もなければ、カーブの問題もドロップの問題もない、と(笑)。

ですから、あとは盗塁するかしないかの問題であってですね(笑)。

そういうときには、失恋とかそういう体験で孤独を感じて、それまで何ごともなくスイスイ調子よくいっていた自分というものを顧みるチャンスなのです。

そういうものでもなければ、目に見えざる存在とか、本当に変わらない神様とか、「変わらない何かってないんだろうか」という気持ちに、なかなかならないものです。

「そうなんだ、そうに違いない!」

そう思って、その体験は体験で悲しかったのかもしれないけれども、自分自身の中に感謝の心を呼び起こす。

あるいは、「神様がそう導いてくれたから今日という日があるんだ」と、自分で噛みしめるように思うと、傷ついたところ、くぼみができたところが、咀嚼のエネルギーによって膨らんで回復する。

信仰という想念のバネによって回復していくわけです。

それで、またもや次の男性が目の前に現れてきたとき、「あっ、またああなるんじゃないか。こうなるんじゃないか」という傷跡が残っていても、何ごともなかったかのように、「今度は違うんだ」と思って、また恋愛する。

一度恋愛のことでつまずいて傷ついて、それがきっかけで神の道に来て、また恋愛する。今度うまくいけば傷が治る。

ところが、それでまたもや失敗したとなると、ダブルにグサッと刺さります。

しかし、そういうことがあったとしても、なるべく自分の御魂を傷つけないようにしなければいけない。そこを考える必要があります。

御魂に傷をつける前に、「これは家代々の色情因縁の劫だから」と、慎んだらいいのです。

「その代わり、私にはこういう素晴らしいところがあるんだ。色情因縁というマイナスがある分、こういう素晴らしいところがあるんだ」と。

「自分はこういう素晴らしい面をいただいたから、こういう人生もあってもいい。神様がそういうふうに私を生んだんだ。そのために、色情因縁の強い家に生まれ変わらされて、自分の家の劫を自覚させられているんだ。それをバネにして神様の道に生きていくんだ。神様一筋の道、これだけはもう、家の劫がなくなろうと何であろうと、生涯をかけて自分自身の生きざまにするんだ」

そういうふうに目標を立てると、神柱が立って御魂が大いに発動するし、傷ついたところも、それなりに自分の内的な咀嚼力でいくらでも回復するわけです。

心の傷を回復する法

一般的にいえば、恋愛で傷ついた場合、恋愛に成功すると完全に回復できます。また投資で失敗しても、次の投資で成功すると、

「ああ、あの失敗があったから、今日こういうふうに成功できたんだ」と思えます。今が成功して幸せだったら、あの経験があったから、今日の成功があるんだ」と言えるわけで、そうして初めて、傷が回復していくのです。

反対に、今が悪いと、「やっぱり、あれが悪かったかな。これが悪かったかな」などと、すでにだいぶ回復しているにもかかわらず、過去の傷がぶり返してきます。

だから人間というのは、ただ今ただ今にそう思い、素晴らしくすることによって、過去の傷が回復できるわけです。

しかし、それでも過去の失敗、辛い体験、悲しい体験によって傷跡でズタズタになっていると、御魂がウワーと輝き始めても、輝き方が鈍いのです。輝いているのですけども、どうしても御魂の輝きがスリ硝子のようになってしまう。

まあ輝いていますよ、たしかに。しかし、水晶の中に入っているライトの方が眩い。輝きが眩いです。現世でいろいろ傷つきながら頑張っている御魂は、輝いているけれども、眩いというほどではない。

購入してから三十年ぐらいたったようなランプ、もう煤だらけで割れたところにガムテープが貼ってあるようなランプ。そういう古ぼけたランプが光っている。それなりに明るく御魂が輝いているけれども、傷だらけのところはやっぱり輝き方が鈍いです。

どうして御魂に傷がつくかというと、要するにがっかりしたり、絶望したりしてしまうからです。

ですから、とにかくいつも自信を回復する。恐れて忌避しないで、一度失敗したことは成功するまでやる。恐れなくなるまでやる。

嫌がらなくなるまでやる。一言でいうと、すなわち、克服するということです。

自信をなくしている自分、恐れている自分、嫌がっている自分。それは御魂の傷ついた自分だから、それをとにかく回復して克服する。その自分を克服し、自信が出てくるまで何回でもやる。

失敗したらその都度、成功するまでとことんやる。そうすると、「ああ、あの失敗は、今日成功を収めるための一つのトレーニングだったんだな」と思える。

そうしないと、年をとるごとにどんどんどんどん萎縮して、どんどんどんどん傷ついて、どんどんどんどん小さくなっていきます。そうではなく、ピカピカピカピカと御魂を輝かせていたい。絶対に己の御魂を傷つけないように、私はいつも気をつけております。

失敗を恐れず、新たなる挑戦を

まあ、物事を推し進めていくときには、多少の誤解はあります。誰にも誤解はあります。「そういうものなのかね。ああいう酷い人もいるものかね」と、思っている人がいるかもしれません。

向こうもそう思っているかもしれませんけど。「まあ、もう少し違うやり方があったんじゃないか」と反省しますけれど、まあ、しょうがない。いろいろな人がいますから。

しかし、そんなこと考えていたらキリがないです。細かいところまで目がゆき届かなくて、結果として人に嫌な思いをさせたときとか、よかれと思ってしていたことが結果としてマイナスになったときは、

「まあいい。一生懸命、神様のことを思ってやったことだから」と思うしかありません。

まあ、いろいろなことがあります。そういうときに御魂が傷つくと、一生懸命やっていてもやるのが怖くなる。自信をなくし恐れてくる。

嫌になってしまう。ということは、結局、エネルギーとか推進力がなくなってくるわけです。

すると、「何となく最近はお年を召されたような、お疲れになったような。白髪も目立ってきましたね」と言われる。白髪は出ても、御魂はガンガン輝かせていなければいけない。

神様が御魂にうつってくるわけですから。神様のお取次ぎをするときは御魂に神懸かるわけだから、いつも輝かしく澄み切っていなければいけない。そうでなければ、高級神霊のお取次ぎはできない。

だから、自分の役割、使命を考えると、些細なことで自信をなくすとか、恐れるとか、嫌がるなんてことはやめて、自信を回復するまでとにかくやるしかない。

もう徹底的に、徹底的に解決する。

御魂を傷つけないで、いつも大いに輝かせるためには、やっぱり目標を持って神柱を立てなければいけない。そうやって発願をして御魂が輝いていると、少々のことがあっても、必ず神様が吉にかえてくださるのです。

そうやって、またもや新たなることに挑戦していく。そうしなければ、いろいろな物事が増えてきたり、いろいろな懸案事項が増えてきて、身動きがとれなくなってしまいます。

いろいろとやらなければならないことが多いですから。世俗の葛藤もたくさんありますから、一つひとつ、その場できちんと解決して、新たなる事柄にチャレンジしていかなければいけない。

私も細やかな人間ですし、人の感情も思いも明らかにわかります。だから、些細なことで傷ついたり、がっかりしたときは、「自分は何とちっぽけな人間なんだろう。まるでスリ硝子みたいじゃないか」

そう思うと、「よーし!」とパッと回復するのです。

それはもう、自信が回復するまで、恐れなくなるまで、嫌だなあと思わなくなるまでやります。

そうしたら、また不死鳥のようにエネルギーがワーっと蘇ってきて、どこまでも頑張れる。

何があっても自信をなくさない

誰でもみんな、若いときには夢と希望とビジョンを持っているわけです。私も、神様のためにと思って一生懸命、会社の経営に励んでいました。

一瞬一瞬、真剣にやっていましたから、私が関与したもので不渡りはくらったことがありません。

いつも注意深く見ていて、おかしいぞと思うときは納入しないし、超能力、霊感、直感力がありますから、危ないときにはパッとわかる。

しかし、従業員のすべてを管理するのは、なかなか難しいです。私が細やかに見ているときはいいのですが、ちょっと調子がよくなってきたら、ある従業員がどんどんどんどん商品を納入して… まあ、それなりに頑張っていたのですが、その子は七百八十万円の不渡りをくらいました。

事前に中小企業倒産防止共済制度に積み立てをしていましたから、不渡り手形を持っていって融資してもらい、どうにかしのげましたが、本人はもうガクーです。

あれほどまでに、「これ、いいですよ。いいですよ」と言って納入させた業者が、取り込み詐欺みたいな状態で不渡りをくらった。その子は、「クソーッ!」と、手を恨みますよ。

恨んじゃいかん、恨んじゃいかんけど、恨む気持ちはわかるから、

「わかった。三日間だけ恨みなさい(笑)。三日恨めばスッキリするから。

四日たったら、自分も知らないうちに増長魔になって、どこかの業者さんに無理やりに商品を押し込んだり、無理やり返品したがここで祓われたんだと考えなさい。

四日目に。三日間だけ恨みなさい。私も腹が立つ(笑)。四日目からはもう恨んではいかん」と言ったのです。

「何ヶ月か前に無理な仕事をして、知らないうちにたまった劫が、こうやって晴れるんだ」と言うと、

「あ、そうか」と、みんな納得するわけです。

神様って厳しいです。ご神業でやっていますから。神様の目から見て、「相手よ「し、我もよし」でなければ劫を積むから、無理な返品をしたら一発でやられます。

たとえば、百万円分無理な返品をしたら、同じ額の商品が一週間後にパッと返品されたり、百五十万分返品したら、また百五十万分返品される。

だから、無理に安直に品物を仕入れないで、必要な分だけ仕入れて、返品がないようにしてあげると喜ぶわけです。

初めから「返品しますか、こうしますか、いくらくらい返品がありますよ」と了承していたら向こうもその気でいるけれど、いきなりそういうふうにすると、向こうを傷つけるから、その分だけやられます、ピタッと。

「神様、なぜ、こんな目に遭わなければならないんですか」

「劫を積まさないためじゃ」

私の場合は厳しいです。少しでも神様の御心と道から外れると一発でやられます。を積まないためにやられます。見事なものです。

知らないうちにずれていくのです。ゴルフでもテニスでも野球でも、何でもそうですけれど、神様のためと思ってやっているつもりが、知らないうちにボールがスライスしたり、うまくいかなくなる。

そういうときには何度も何度も神様が教えてくださる、というか、戒めてくださる。私の場合は全部そうです。ご神業だと思ってやると、そういうふうに神様が動かれますから。

「いわれてみれば、何カ月も前から知らないうちに調子に乗っていたな。だから、こういうふうになるのだ」ということで、道が正されるわけです。

しかし、一番の問題は、自信をなくしてしまうことです。

「ああ、こんなによかれと思い、相手を信じていたのに、七百八十万も不渡りをくらっちゃって・・・・」

と、自信をなくしてしまう。その結果、またやられるんじゃないかと、品物を納入するのが怖くなります。一つの、営業マンの壁です。

ですから、信用調査を三つも四つもかけております。神様のご守護があるから大丈夫だなんて、絶対に侮らない。三つも四つも信用調査をかけておりますが、それでもやはり最後は直感です。

「どうもおかしいぞ、あの取引先、最近どうも変だぞ」というときには納入いたしません。

いずれにしても、自信をなくさないようにしなければいけないので、一層、「同じような業者のところに飛び込んでいけ」

「今度はもっと金額の多い手形をもらってこい」と。手形で傷ついたんだから、手形で回復するしかない。だから、とにかく手形をもらってこい、と。

一度失敗すれば、誰でも怖くなってしまいます。けれど、それを恐れるのではなく、何倍も何倍も頑張る。そうすれば、回復できるわけです。

一生懸命に頑張れば利益が上がる。利益が上がれば、手形不渡りになった分は、損金で落とせますから。

税金を払ったつもりで未来の糧にする。

「どんなことがあっても自信をなくさない。どんなことがあっても恐れない。嫌がらないでどんどんやる。これが大和魂だ。御魂の輝きだ。頑張るんだ!」と。

目標を定め、神柱を立ててやる。傷にしないように、いつも自分の心をパッと切りかえて、「ああこれは、尊い神様の試練だったんだ。劫を祓うものであったんだ。ありがとうございました」

と、試練だった、劫を祓わされたんだ、というふうにしてしまうわけです。神様の貴重な戒めだった、というふうにしてしまうわけです。本当はそうではなくてもね。

単なる油断だったり、相手の悪が強かっただけなのかもしれないけれど、「いや、これはそうなんだ」としてしまった時点で試練になる。神霊界の神様は試練として受けてくださる。だから、守護霊も動き、神も動くのです。

ここが大事なのです。試練にしてしまうか劫を祓ったことにしてしまうか、単な 40 失敗で終わらせてしまうか。事実は同じでも、内的咀嚼力、見る角度が違いますから。

そういうふうに受けた時点でご神業であり、神様の恵みであり、導きであり、というふうにしてくださるのです、神様は。本当なのです。

私はそういうふうにいつも思って、「これは先々、神様がお考えになっていることの貴重な神試しに違いない、そうに違いない」と、単純にそう信じております。

ですから、どんなことがあっても、すぐに不死鳥のように蘇る。柳の枝です。柳の枝みたいにビヨーンと返ってきます。いっときはペシャーンとなっても、すぐに回復する。

倒れやすく回復しやすいという人間、倒れにくい人間なのです。

敏感で、ナイーブで、感性が鋭いから、「ああダメだ、なんてひどい」と言って、すぐにペシャンとなります。

しかし、「待てよ、これは尊い神の試練じゃないか。あいつも悪かったんだ。いつまでもこんな状態でいたらダメだな」と思って、またヒューッと回復するのです。

倒れやすく回復しやすい。竹のようにバネがありますから、すぐに蘇る。

咀嚼力を身につけよ

その蘇っていく方法が、想念のバネです。

悟りというのは幾重にも幾重にも深まっていくものですが、一枚、二枚と悟りを開いていって、そこに仏様がお出ましになる。一枚、二枚と悟っていって自分が仏になっていく。

それが、蓮の花の上に乗っているという意味なのですが、また別の角度からいいますと、これは咀嚼力のバネなのです。

惟神の神道だけだったら感性がモロに出ていますから、ガーッと頑張ったのはいいんだけども、何かで失敗したりつまずいたりしたら、「もうダメだ!」とポトとなってしまいます。これ、単細胞と言います。

やはり、仏教の教えには内的な悟りとか、ものの考え方とか、いくつもの越え方のバネがあります。

「ああ、そういえば楠木正成公も、こういうときにはこういうふうに考えて乗り越えたし、勝海舟もこうやって乗り越えたし、王陽明先生もこうやって乗り越えたし、あの人もこうやって乗り越えたし、この人もこうやって乗り越えたし…………」と、乗り越えてきたいくつもの足跡がインプットされていると、「だから僕もこんなことに負けないで、乗り越えていくんだ。こういうふうなときには、こう考えて乗り越えていくんだ」と思うから、スーッと回復できる。

このバネがなく、御魂と感性がモロに出ていますと、調子のいいときはいいけれども、ちょっとつまずくとすぐに折れてしまう。

世の中には魑魅魍魎と狼がうようよしておりますから、あっちかじられ、こっちかじられでございます。心の襞で、心のバネでカバーしておかないと、すぐに傷ついてしまいます。

傷ついても感性を回復するだけの心のバネがありますと、スーッと回復する。

自浄力がある。自ら自分を清めていく力があるわけです。

七百八十万の不渡りをくらったときの怒りと悄然としているところを、そのまま放っておくと自信をなくしてしまって、営業マンとしてダメになり負け犬になってしまう。

しかし、「よーし」ということで蘇ったら、一人前になる。七百八十万の不渡りをくらった子も一人前になりましたよ。

もう一人、調子よくいっていた人間がいるのですが、少しでも数値を上げてやろうとして、その人は一千万引っかかりました。

利益の中から一千万が消えてしまうのです。ですから、仮に利益率が二〇パーセントの仕事をしているとすると、さらにもう五倍の売上を上げなければいけない。

一億、二億の売上を上げて初めて、不渡りをくらった分が回復できるわけです。モロに利益を奪われるのですから。

返ってこないわけです。返ってこないのはしょうがないのですが、その人間も御魂に傷を受けて、悄然とします。

だから、「相手よし、我もよしの愛と真心」ではなく、仕事と利益と欲心にかられていると、知らないうちに人々に苦しみを与えて、結果、神様が鉄槌をくらわします。会社が劫を積み、自分も劫を積んでいるからです。

「自信をなくしちゃいかん、恐れちゃいかん、嫌がらないでどんどん行け」と言って、失敗した業種でもう一回、さらに大きいところに飛び込ませる。

そうやって、一つのことで失敗したら、次はよりいっそう大きなところにチャレンジをして、成功したら、「あの失敗があったから、大きく越えることができたんだ」という思いが出てくるので、傷になりません。

恋愛、仕事…… 大学受験もそうです。成績優秀だったけれど、希望していた学校の試験が、たまたま例年とは違った傾向の問題だったために失敗したとか、一校二校しか受けなかったために、希望校へいけなかった。

目標を持って、神柱を立てて頑張って、御魂は輝いたのに、希望どおりにならず、がっかりして絶望する。

そうすると自信をなくす。「自分は運が悪い人間なんじゃないか」「劫が深いんじゃないか」と。

話が横道にそれましたが、大学受験で失敗しても、「たまたま出題傾向が違っただけなんだ」と自分に言い聞かせることです。

そしてもう一回、何か違う試験、たとえば情報処理二級試験だとか何々試験だとか、何らかの試験を目指して、トップで通るまで頑張ることです。

試験に失敗した人は、「自分は試験が苦手なんだ。ダメなんだ」と思っています。だから、運転免許試験でも何でもいいから、トップで通るまで何回でも受けたらいいのです。

試験で傷ついたら、試験で自信を回復する。回復するまで何回でもやる。そうすると自信が回復してきて、試験は得意だというふうに変わって、得意な分野が次から次へと広がっていくわけです。

御魂の輝きという話から変化してきましたけれども、共通項です。いつも御魂を輝かすということは、非常に難しいことです。

輝かすための絶対条件は、必ず目標を定めて神柱を立てる。すると、御魂が輝き始める。