妙のことたま

目次

推薦の言葉

素直な言葉の中に、真理の輝きが無数にある。

どの言葉も、私を変えた悟りの契機となったものばかり。

これが本書を推薦する所以である。

深見東州


天も地も常に動いています
全て変わるものなのです

変わり続けるということ
それが唯一変わらない真実なのです

だから、全てのことにとらわれてはなりません

神様からくる叡智とは
そういう所からくるものなのです


素直とは
素(素)に直な人のことです
主に糸をたらしたような
主神に真っすぐな人のことです
(内なる主人公の意味も含む)

そして
素朴とは、色のついていないこと、生のままのこと

そんな素直で素朴な人が
神一厘の真を得て、神人合一する人です
そしてだれもが素テキと思える人なのです


「我」をなくすためには
鏡に自分の姿を映してみることです
カガミからガをとってごらんなさい
ホラ、カミ(神)になるでしょう

自然も神、我が身も神なのですから
少しでも神に近づけるよう
姿見(主の型)に自分を映して
努力することです


御魂とは見たまま
姿とは主の型です


ですから一目見ただけでその人の魂の状態がわかります
魂の錬磨がそのまま姿、形に現れているからです

いつも鏡に自分を映して自分の魂と対話しましょう

鏡(カガミ)に映った我(ガ)をとれば
カガミからガが取れてカミ(神)となり
神人合一の人となります

少しずつでも我をとるよう努力して
御魂磨きをすること
それが私たちの修業です


自分とは、自ら分かれるという意味です

何から分かれるのか
神から分かれるのです

自分が、自分がと執着しないで
ちっぽけな我を捨てましょう

大元の神人一体のときのことを思い出して
皆がよかれという想いの中に生きましょう
そうするときっと、今進む道がみえてきます

そのときにヒト(霊)となって
自分を超えることができるのです


人とは霊止
神様から分魂された霊を
体に止めておくから霊止 (人)
神様との間にマ(間=魔)
が入るから人間というのです

できるだけ間(魔)を入れず
人であり続けましょう


全て三つでなりたっているのです
自然は神なり、という言葉にも
三つの様相があり
自然は神なり
自然は神の息吹きなり
自然は神の教えなり
と、三つの意味を含んでいるのです
この深い意味を考えてみてください

すぐに深く覚ることはできないかもしれませんが
心に留めておくことによって
本当の覚りに一歩一歩と近づくことができるでしょう


この自然は全て三つでできています
それを三元の理、あるいは天之御中主の原理といいます

例えば私たちは、天命、宿命、運命に従っています

天命とは天から授かった生命
宿命とは母の胎内に入ってからの生命

そして運命とは命を運ぶものですから
自分の意志で運命はある程度かえられるのです

白山菊理姫様はククリ姫
こういった三つのことをくくり、結ぶ神様なのです


神様を遠いものとしないことです
ただ祈るだけでは、
単なる神向(シンコウ)にすぎません


自然が神、我が身も神
自然と自分と神様とが一体となり
「神は身の内にあり」とまでなるのが本当です

そして、その神をこそ
行じなければならないのです


神とは力(火)とミ(水)の働き
人間の中にある力とミについて言えば
火は上に燃え上がり、活動の気
水は横に流れ、休息の気
火の気が立つと活発になり
水の気が足りないと枯れてきます


この二つがほどよく調和されることが大事です

この縦と横の働きが十字に組むことが
伊都能売の体の働きなのです

この他にも、カミはあらゆることにあてはまります

そして、森羅万象、八百萬の神の働きを
物語っているのです


ミロクの世とは、三、六、九の世
三は三次元、
六六次元
そして九は九次元界

太極から九次元へおろされたものが
六次元界へおろされ
直接三次元にうつし出される世
それがミロクの世なのです


四次元の霊界はだんだん閉じられていきます
五次元の神社などの神霊界は六次元へと高級化したのです
私たちもミロクの世に生きられるようになりたいものです


身魂は御玉
御玉は血液の中に生きて血液を動かしています

血液は体のすみずみにまで流れる生命そのもの
意(神の意志の(納る)血(智)なのです

私たちは親から何を受け継ぐか
生命 (血)をもらうのです
(先祖からの意の納まった血のこと)

同時に、血の中に入っている
良し悪しの因縁も受けついでいるのです


人の性格とは
持って生まれた心が
年とともに固まってできたものです

ちょっとしたものの考え方で
次の一歩が良くも悪くもなります


自分の性格(ものの考え方、行動の特徴)
のひずみに気づいたら
努力して変えていくことです

あきらめずに努力していくうちに
性格は改善されてきます
運命もいいほうに変わってくるのです


人生とは道です
山があったり、谷があったり
目の前には水たまりや
小さな穴が開いているかもしれません

もし、道をまちがえたことに気づいたら
先へ進むのではなく
まちがえたところまで戻ることです

そして、そこからまた進んでゆくのです
山や谷や水たまりがあったら
どうしたらそこを通りぬけられるかを
よく考えるのです


例えば、ここは梯子を掛けて渡ろうとか
これは埋めてから通ろうとか
決して目の前にあるものを無視して
通らないことです

そして、目はまっすぐに遠くの道を見て
歩いてゆくのです

そうすれば、木や草や野に咲く小さな花でさえ
かわいいな、綺麗だなと感じることができるのですし

美しい空と新鮮な空気にもやがて気が付いて
神様に感謝して歩いてゆけるのです。


禊(みそぎ)とは
神様に対しては身を清めること
罪やけがれをはらうために
川などで水を浴びて身を清めることです

しかし
現実界では身をそぐこと
身をそぐほどに精進努力して
御魂を錬磨することを意味します

そして、様々な苦しみを通して
自分の業を払うことでもあります

こうして私達ははじめて清々しい御魂になり
神様に対して清らかな祈りや
ご用ができるようになるのです


人の心は常に移りかわるものです
コロコロ変わるからコロコロ→ココロ→こころ(心)というのです
迷う心があると柱津心が出ます

迷わないで考えているとパッとうまくいきます
迷うと神様との間に間があき、その間に魔が入ります
そして迷路に入って自分を見失うのです

だから、迷ったと思ったらすぐ原点に戻ることです
そしてそこからまた進めばいいのです
これが、自分の行き塞りの迷路から脱却するコツです

この世は全て因果・縁なのです
因果、という種があって
その種のまわりに縁ができます
よい縁、悪い縁、どちらを選ぶかは
自分自身の選択なのです

そしてその縁こそが
やがて吉凶
禍福の結果となって
現実に現れてくるのです

ですから 単に結果だけをみて
悲しんだりしないことです

それには全て原因が
あるのですから
その悪い結果の原因となった悪い因とは
一体どこにあったのか

また、因に結びつけた縁は何だったのかに目を向けて
再びそんな悪い縁や因に
自分が染まらないようにすることが大切です
それが、悪い結果を正しく越えたということなのですから


この世は全てめぐります
自分から出たものは必ず自分に返ってきます

“全て相乗り”ともいえるでしょう

お風呂のお湯と同じで、あたたかいお湯を相手にむければ
お湯がめぐってあたたかい湯が自分に返ってきます

ですから、良いことを思うといい波長の人が集まり
いいことを教えて下さるでしょう

怒気を持っていると、怒気を含んだ人が集まってきます
幸いなことに、自分の心は自分の思うままになるものです
怒らないようにしようと思ったら、怒らないですみます

できるだけいい波長を出すこと
それが幸せになる第一歩です


話しというのは
離してきくものです
相手も離して(話して)いるのですから
こちらも離してきくことです
列車の窓から景色を眺めるように

そうすれば、相手の影響をうけずに
いつもの自分でいることができます


 
人の思いは凝結すると物質化します

たとえば
悪いことばかり考える人は、悪運を呼び、病気になります

神のため、他人のためによかれと思って
明るく前向きに物事を考える人は
善き霊界が動き、健康になって
希望どおりに物事がすすみます

ですから
できるだけいい方向に考える訓練をしましょう
それは自分自身をよい方向にもっていく練習です

自分の霊格が高まり愛と誠に満ちている人は
結果的に全てにわたっていい運を招くことになるのです


言霊(ことたま)から全てが始まります
言葉は一つの剣です

配列一つで人を生かすことも
殺すこともできるのです

できるだけいい言葉で話して
人を幸せにしましょう

それには内なることたまからきれいに
していくことです

そうすると
剣が数玉(切ると増える)であるのと同じように
言霊も数玉となって自分も人も次々に幸せにします


まず現実をきちんと見ることが大事です
よく病気や失敗を霊的に解釈したがる人がいますが
よほどの人でないとそれは危険です

低級霊の世界へはいってしまう恐れがあるからです
あの世の詳しいことはあの世にいってからにして
肉体をもって御魂磨きに来ている今は、
よきあの世に行けるための原則さえ踏まえていたら
あとは精一杯目前のものに励んだらいいのです

しっかり勉強し、技術を磨いて自分を確立すれば
自ずと目の前のことがよく見えて
どこが間違っているかわかるようになります

それに
中途半端でなく、技術や学問や芸術を身に付ければ
それはあの世まで持っていける宝物なのです

そう思って目の前のことを一生懸命やってください
それが只今に生きるということでもあるのです


祈りとは
意乗り… 意を乗せること

無心に自分の意を神の境地まで高めていくと
神の意に通じて願いが叶います

つまり神に意を乗せることから始まり
自分の意を神なる意にまで高めて乗せることが
祈りの進歩なのです

遥か遠い太古の昔
狩猟にいく夫や息子の無事を
洞窟で待つ女たちが
ひたすら神なる力にたよって祈ったことが、祈りの原点です

この無心の祈りの心、畏敬の念を忘れずに
常にこういう祈りの中に自分がいるようになったら
いつも自分が神の真中に居ることができるのです


「祭り」は「間釣り」の意味です
間を釣り合わせる……神と人との間を釣り合わせて
一体となるということです

五穀豊穣や家内安全を神に感謝し
踊りや供物を神に捧げる…..

その気持ちが高まって、ある極点にまで昇ると
高次元に坐す神がそこに降りて来てくださり
神と人との気が一つとなります

その瞬間は歓喜に満ちた絶対的な楽の境地です
それが祭りなのです

祭りの後の饗応を「直会」というのは
神々と直に会うという意味からきています

その時神様も共に喜び、共に楽しんでおられるのです
いつも祭りの気持ちで神と共にいられたらいいですね


全て三つで一つなのです
例えば真心もそうです

真心があるといっても
神と自分だけでは足りません

具体的に他人がその真心を認めて
初めて完全なものとなります

本当に真心があれば、それを口に出し
素直に実践するのです

すると周りが認め、評価します
そうして初めて本当の真心となるのです

このように三つで一つと覚えていれば
ひとりよがりになることが避けられるでしょう


コップに水が一杯入っていたら
新しい水を注ごうとしても、水はこぼれてしまいます

同じように頭の中が観念で一杯だったら
新しいことは入りません

いつも自分を空の状態にしておくこと
それが自由な発想をもち、自在に動く秘訣です

古いものに執着せずに
捨てる修業をしましょう

そうすることによって
より広い視野を持つ大きな自分になり
自在に駆け巡る活躍ができるのです


一月一日のことを元旦といいます
これは元へ帰るという意味です

旦という字は、一の上に日が出ていますから
改めて元へかえり
一から出発するということです

二月四日、立春祭が天界のお正月ならば
一月一日は現実界のお正月です

去年一年を振り返り
足りないところ、歪んでいるところを見直し
あとは原点に戻ってまた出発するのです

いつまでも過去のことにこだわっていないで
原点からまた始めることです
それが人に対する神様の温かい願いなのです


中国で吉数といわれるものは、みな奇数です
三にしても五にしても七にしても
みな割り切れません

二で割ると必ず一つ残ります
残るから次に続き
次の新しいものを生み出すのです


赤ん坊は 見た目は未熟ですが
御魂は大人と同じなのです

ですから
そのつもりで愛情をもって
誠実に接することです


子供は甘いものを欲しがります
虫歯になるから、と与えないお母さんがいますが
時にはお菓子も必要です

甘いものは集中には必要なものです

あまり厳格すぎると
子供の性格が歪んでしまいますよ


魔が入りやすくなるのは
例えば自分の悪い前世がでている時です

何らかの理由で
悪い自分がでていると
周りの悪いものを呼びこみ
一層悪循環におちいります

ですから、自分の欠点をおさえて
長所を伸ばすと同時に、できるだけいい環境いい友人
いい物とつき合うことが大事です
逆にいえば、つき合っている友人をみると
今の自分の境地もわかるわけです


私たちは御魂の修業のために
この世に生まれてきているのです

向上心をもって努力し
プラスの方に120伸びたら
(得意分野で一流になったら)

クルッと回転させると
マイナスの方もその分伸びるのです

そうして足りない分を足して
丸い御魂に近づけていくのです


宝はたから(他から)

他からもたらされるものです

ですから
まず自分が他に宝をもたらすようにしましょう
知らないうちに他から宝がやってきます

お風呂のお湯と同じ原理です
また、宝を得たら、他に感謝をして
自分も宝をもたらせるような自分作りに励みましょう
それには、まず他の人の幸せを祈ることからです

そして、絶えず明るく発展的な考えをして
積極的に体を動かすことです


古事記はそのまま、ありのままに読んでください

歴史的に解釈しても
文学的に解釈しても
違うものになってしまいます

古事記は
すべて体の中にあるのです


御魂の善し悪しは
最後までやり通すかどうかの
姿勢と足跡で決まります

中途半端は一番いけません

形になるまで続けること
それが大事なのです

神様は、あなたの天命、因縁にそって
試練を与えるのです
越えられる課題だからこそ与えるのです

そう信じて最後までやり通してください

そうすれば
きっと素晴らしい御魂に成長することでしょう


気を巡らせることが大切です

ひざをひとこぶしあけて、両手をひざに乗せ
紙一枚はさむように唇をあけ
スーッと長く息をはきます

女性は息をはきながら前へ出し
息を吸いながら背骨の上から気を集めます

男性は逆に背中から頭へ向けて気を流し
前の方から吸い込みます

女性は前に気をまわし
男性は後ろに気をまわすのです

ときおり、静かに気を巡らせてみましょう


おけいこごとはなんでも型から入りますが
初めはそれでいいのです

茶道でも、最初はお点前を覚えるだけで精一杯ですが
一生懸命やっているうちに心がこもってきます

つぎには精神が入るようになり
知らないうちに精神が磨かれて向上してきます
そして、今までできなかったことができる

行き詰まっていたことが解決する、というように
それまでの自分を超えるような体験が必ずあり
その時に、おけいこ事を通して
真に魂が向上したことを実感します

また、信仰の道に通ずる悟りや磨かれた魂からくる
深い喜びを感じることもできるようになります


まわりの人はみんな
自分の教科書だと思いましょう

そうすれば
やさしくされても
いじわるされても
葛藤があっても
すべて神様がなにかを教えてくださる

教材だと思えますから
おのずと相手にたいする
感謝の念がわいてきます


迷い道にはいりこんだと思ったら
すぐ原点に戻ることです

間違ったと思われるところまで戻り
新たに正しい一歩を踏み出すのです

いつも神様のものさしを自分の中にもっていれば
このままでいいか戻るべきかわかります

間違うことが悪いのではなく
間違いに気づかないことが悪いのです

神様の原点をもう一度考えて
ものさしをはっきりとさせましょう

素朴(色のついていないこと)で
素直(スに直なこと)なのは
素敵(スが的にはまっていること)なことで
素晴らしい(スが晴れる)のです
広がりをもって自在に活躍できるよう心がけましょう


悩みは音のごとく汝のやみ (闇)です
悩むことは闇の中に入ることですから
悩んでも物事は解決しません
時間の無駄です

明日に向かって、先に進むことを考えればいいのです
自分の目指す方向へ、歩き出すことです

明るく努力していけば、周りも感化されて
いい人が集まってくるようになります

苦しいことも楽しんでしまうことです
そうすれば、次第に解決の糸口が見えてきます

常に明るく考え
悩む前に解決する方向へ もっていくことです


念というのは、今の心と書きます

今の自分の心を見ると
いい想念か悪い想念かがわかります

明るく前向きな念か
暗くて重い念なのか……

あまりいい念でないときには
すぐにいい方向へ変えるよう努力しましょう

これだけでも、次の一歩が断然違ってきます

人間の心はコロコロ変わりますが
神様は変わりません

自分の中にどんな時にも変わらないものさしを持って
たえずいい念をだしたいものですね


御魂返しの意義とは
現在の自分から脱皮して
世のため人のため
神様のためになれるよう
神人合一の人に近づくことが
できることです

それは
より高い境地の山の上に立つと
より多くの人を
助けることができる
霊覚や叡智をさずかるからです

高い境地のお山に、次元の高いご神霊が降臨され
神と人とが合一して共に働くわけです
こうして、真に自分が救われてこそ
他人を生かし、救うことができるのです

また、不幸な人と一緒にいて、ドロまみれになりながらも
悪影響を受けないためには
自分が救われ、他人を救うだけのパワーをもつことです

そのためにも、日々新しい自分に生まれ変わり
完全なる自分に少しでも近づけるよう努力することです

それが魂の輝きとなり、霊威となるからです

こうして自分が大きくなってこそ
真に神様のお役にたてるのです


時処意ということが大事です
物事には時期があります

そして事柄に自分の意志が向かって
初めて物事が回転するのです

時と事柄と自分の意志

この三つが揃って初めて
只今に生きることができます

しかしそのなかでも
自分自身の意志が最も大事なのです


求めることで 神業は開けてきます

生活の中で、これは神様が
自分に教えて下さっているんだ
と思うと
生活自体に意味が出てきます

それが求めることの始まりです

漠然としていると、
流れてしまうので
ひっかけ材料となるよう
いつも何かを気にかけていましょう

それが、悟りや向上のヒントにつながるのです
何かに気をひっかける基礎がない人には
何にも教えられないのです

いつも求めていると
すべてが神の息吹きの中にあります

例えば、コーヒーを出されたら
神様が人の手を通して下さったと思う

水を飲んでもそう思う

そうすると、見るもの、聞くもの全てが神様になります
神様には、そういう意味で求め 努力が必要なのです


信仰心とは
どんなことがあっても
貫き通す精神のことです

何を貫くのかというと
自分の志、意志を貫くのです

そしてその意志とは
世のため、人のために
役立たせてくださいという
神さまへの誓いや
実践のことです