入門 成功する中小企業の経営(Vol.3)

オリックス・ブルーウェーブに見る成功の極意

以上、大きく分けて五つの原則。これが経営者がやらくてはならない仕事であり、五つのことをバランスよく一意専心する責務が経営者にはある、と言えるだろう。

意識が販売ばかりに偏ってはいけないし、労務だけでも財務だけでもいけない。資金調達がいくらうまくても、売上が上がらないのでは当然だめ。

税金問題だけ詳しくてもやはりだめである。また、文科系人間は販売と労務、理科系人間は財務と資金という傾向があるが、それらを分離できるものでもない。意識が五つ全部に行き渡っていなくてはならないのだ。

とにかくバランスが大事なのだが、あえて順番をつければ、これまで述べてきたとおり、やはり販売管理が一番上にくる。

とくに中小企業の場合、販売さえうまくいっていれば、あとの四つに多少問題があってもほとんど問題はない。その実例がプロ野球球団のオリックス・ブルーウェーブである。

ご存じのように、オリックスの前身は阪急ブレーブスである。兵庫県・西宮球場を本拠地にする阪急ブレーブスと言えば、実力・人気ともにパッとしない、パリーグのお荷物球団と酷評されつづけてきたチームである。

それが、闘将・西本幸雄が監督に就任したころからメキメキ実力をつけ、何度か日本シリーズを争うまでにチーム力がアップ。

それとともに人気も高まるかに見えたが、相も変わらぬ低人気。しかも、折からのサッカー人気でますますファン離れに拍車がかかり、昭和六十三年、とうとう阪急電鉄が球団を手放した。

その不人気球団の買収に乗り出したのがオリックスである。あんな不人気球団を買い取ったところで経営的に成り立つのか。そんな声があちこちから上がったのは記憶に新しいところだが、ところがどっこい、フタを開けたら予想外の大人気。

オリックス・ブルーウェーブと球団名を変えたとたんに大ブレークしたのだ。だから、人気というものはわからない。いや、わからなくはない。大ブレークにはちゃんとした理由があるのだ。

そう、イチローがその理由である。あのイチローが颯爽と登場したことで、オリックス・ブルーウェーブはパリーグを代表するほどの人気球団になったのだ。

イチローが貢献したのは、それだけではない。若者の足がサッカー場から野球場にUターンしたのも、イチロー抜きには語れないだろう。

まさにイチローさまさま。これを人々は「イチロー効果」と呼んだ。

何しろイチローは、一年間に二一〇本もヒットを打つという、前人未到の記録を打ち立てたのだ。

それまでの日本記録が一七〇本か一八〇本くらいだったのだから、これはもうダントツに凄い記録である。

打率も、夢の四割打者が実現するかしないか、というところまでいった。言うならば、若冠二十歳か二十一歳の若者が不可能を可能にした、という図式である。

そのうえ、四冠王を狙うかどうかという大実力者であるにもかかわらず、驕ることのない人柄であるという。

ファンサービスもしっかりするし、性格的にも謙虚で素朴。狭い寮住まいでありながら、贅沢なことも言わないという、大変な人気者である。

そのイチローが、しばらく前、日産のコマーシャルに出た。

「イチロ、ニッサン」というコピーをたずさえてのCM出演である。

とたんに国内販売台数でトヨタが日産に抜かれた。瞬間的であれ、トヨタが日産の後塵を拝するとは、驚異的ですらある。これもイチロー効果である。

さらに、優勝が決まったあとの消化試合にもイチロー効果があらわれた。ふつうは、消化試合など見向きもされないものである。

ところが、イチローが出るというだけで、消化試合に観客がどっと押し寄せるようになったのだから、イチローがプロ野球に革命を起こしたと言っても過言ではないだろう。

ちなみに、消化試合にファンが詰めかけたのは、パリーグの歴史はじまって以来の現象であるという。

パリーグの各球団も、それまで八〇〇〇人か一万人程度しか入らなかったのが、オリックス戦になると観客動員数が跳ね上がって三万、四万と入るものだから大喜びである。

近鉄や日本ハムのホームゲームであっても、イチローが見たいからとイチャーファンが押しかける。オリックスと対戦する相手のところでさえそうなのだから、オリックスの球場はもう大繁盛である。

サッカー人気に押されてプロ野球人気が下火になりかけたところにイチローが出現したおかげで、日産は売れる、球場にはどんどん人が来る。これをイチロー効果と呼んで、イチローのおかげだと世間では言うわけだ。

たしかにそのとおりである。そのとおりではあるのだが、そのイチローを二軍から抜擢し、イチローという変わった名前をつけた人物を忘れてはいけない。その人物こそ誰あろう、仰木彬監督その人である。仰木監督が本名・鈴木一朗をカタカナで「イチロー」としたのだ。

もちろん、イチローというスターがいたからこそのオリックス人気、オリックスの優勝ではあるが、イチローという選手が登場してくるまでの背景は、みな仰木監督がつくっているのだ。

この仰木監督のやり方に、われわれは注目しなくてはいけない。いわゆる「仰木マジック」には、経営者、マネジメントを勉強する人間にとって、大変大きなヒントが含まれているからである。

イチローとトマト銀行

仰木監督のどこがすごいのかと言うと、何といってもまず、鈴木一朗という登録選手名をカタカナの「イチロー」にしたというところであろう。

オフィシャルネーム「イチロー」人口に膾炙したいまこそ、誰もが愛着をもって受け入れてはいるが、初めて「イチロー」という名前に接したときには、誰もが小さからぬ違和感を感じたものである。

実際、ファンをナメきった名前なんかつけるな、といった批判もあった。それでもあえて「イチロー」にしたのは、仰木監督に先見の明が具わっていたからにほかならない。

これと似たようなことが、銀行業界にもあった。

トマト銀行の出現である。

元の銀行名など思い出すことすらできない。周りに聞いてもわからない。

調べてみると、山陽相互銀行という名前だったそうだ。中国人なら親しみを感じるかもしれないが、漢字がどろどろどろっと並んだ、預ける気持ちなんかなくなってしまいそうなダサい銀行名である。

その山陽相互銀行の頭取が決断した。

「これじゃアピールしないから、社名を変更しよう」

「ええ?」

「トマト銀行はどうだろうか」

「そんな……。うちは農協じゃないんですけど」

みんな猛反対。行員の八割が反対したという。

しかし、頭取は考えたあげく、「口座数を増やすためには、やはりトマト銀行がいい。トマト銀行に変えよう」ということで決断し、思い切って社名変更した。カードも通帳もトマトのマークだ。とたんに、

「トマト銀行だって。かわいーつ。預金して通帳をつくろーっと!」と、若い女の子が銀行に押しかけた。

最近の女の子には、「美しい」だとか「品がある」「見事」「厳か」「趣がある」「優雅だ」「お洒落」なんて形容詞はない。たった一つ、「かわいーっ」。全部これで通じてしまう。イチローが球場に現れたら「かわいーっ」。

犬を見たら「かわいーっ」。猫が歩いていても「かわいーつ」。魚を釣ったら「かわいーっ」。

女の子に対しても「かわいーっ」、男の子に対しても「かわいーっ」。ピアノを見ても「カワイーっ」。

「これ、ヤマハですけど」なんて言ってやりたくなるが、とにかく何でも「かわいーっ」だけで、表現のバリエーションがない。

ま、批判はともかく、女の子は「かわいーっ」の一言で「いい」「素晴らしい」「美しい」「品がある」「見事」「厳か」「趣がある」「優雅だ」「お洒落」を意味してしまうらしい。

そして、とにかくもう「トマト銀行?かわいーっ」と、みんながトマト銀行へ殺到、口座の数がドーッと数倍に上がった。その上がり方が凄いものだから、どこかで意識したのだろうか、今度は太陽神戸三井銀行が「さくら銀行」(現・三井住友銀行)に改称した。

さくら銀行・・・・・・私に言わせれば、ダサいネーミングである。まるで警視庁御用達の銀行のようだ。私だったら、トマト銀行の向こうを張って、絶対に「カボチャ銀行」にする。

「カボチャ銀行」なら、女の子が「かわいーつ。ダサっぽくて、かわいーっ」と喜んで預金するだろう。

さくら銀行ではきれいすぎるのだ。いかにも、ああいう大きな会社の、年をとったマネージャーの考えそうな名前である。

さくら銀行よりトマト銀行のほうが、ずっとかわいらしさ、親しみやすさがある。

トマト銀行の子会社はプチトマト銀行がいい。さらにその関連会社はトマトサラダ銀行なんてやったら喜ばれるだろう。

銀行はたくさんあるのだから、少しでも名前を覚えてもらうこと、客にアピールすることが大切なのだ。

銀行というのは、言わば高利貸しである。だからこそ、銀行の建物と制服だけはいつもきれいなのだが、基本的には地味な業種である。

そこにユニークな頭取がいて、トマト銀行なんて「かわいーっ」っていうのをつくったから、どっと口座が増えたのだ。お年寄りの客は増えなかったかもしれないけれど、若年層の客は急激に増加した。どこへ預けても大して変わらなければ、「このカード、楽し「いじゃないの」と言って預けるのが、若い子の行動様式なのだ。

ともかく、さくら銀行では一ひねりも二ひねりも足りない。トマト銀行の頭取の圧倒的な勝利である。

これは表現力、アピール力の差である。

われわれの講演会にも招いたことのあるアルビン・トフラーさんの方法で考えれば、「第一の波」とは銀行業務そのもの。

「第二の波」は、それを効率化して、いかにすれば利益率が上がるのかという、いわば住友銀行(当時)のやり方。

そして「第三の波」はまさにトマト銀行である。

「トマト銀行って、かわいーっ」というのは、銀行としての業務努力とはまったく関係ない。それでも、名前をトマト銀行にしただけで、ドドドーッと預金量が増えた。

支店のない遠方からも、トマトマークの通帳ほしさに、「口座を開きたいのですが・・・・・・」という電話が殺到したという。

これはやはり「第三の波」的な発想、情報の革命である。それが可能だったのも、「第三の波」的な発想のできる頭取、経営者がいたからである。

販売の強いところが勝ち残る

そのことは、じつはオリックスにもあてはまる。

野球で言えば、勝てるチームづくりをするのが「第一の波」。

Bクラスのチームなら、まずは脱Bクラスをめざし、Aクラスになったら、今度は優勝できるだけの力を持ったチームをつくろうとする。それが「第一の波」である。

そして「第二の波」。今度は、川上哲治監督のような合理性の追求、効率化の追求である。

合理的な投手起用、合理的な代打起用をし、乱数表をつくったり、いろいろな統計をとったりしてチーム運営の合理化・効率化を図る。

ここまではどんな監督でも考えること。ところが、仰木監督(オリックス)という人は、「第二の波」ではなく、「第三の波」的発想をした。言わば情報革命派の発想であり、仰木監督とは宣伝広告マンのような監督なのだ。

これはどういうことなのかを、これから説明しよう。

経済の世界にはさまざまな業種があり、それぞれの業種の中で複数の企業が互いに競争をしている。その競争は、一見すると複雑怪奇に見える。ところがそこには、一定の法則があるのだ。

たとえばトヨタと日産が競争をすれば、必ずトヨタが勝つ。セイコーとシチズンが競争をすれば必ずセイコーが勝つ。集英社とマガジンハウスと小学館がやれば、必ず集英社が勝つといわれたことがある。なぜなのか。

トヨタにはかつて、神谷正太郎という“販売の神様”といわれる人がいて、集約深耕というトヨタのセールスのあり方をつくった。

つまりトヨタという会社はそもそも「販売のトヨタ」なのである。その後、カンバン方式という在庫を持たない生産ノウハウも確立、企業効率を追求して業界一位の座を守ってきたわけだ。

日産にイチローが登場して、国内販売台数で日産に追い越されはしたが、一時的なもので終わった。

本来、トヨタの勝利は販売力の勝利なのであって、技術力ではない。「技術の日産」と「販売のトヨタ」が競争すれば、必ず販売のトヨタが勝ってきたのだ。

これは冒頭に書いた「第一番目は販売管理」という大原則を、別の角度から裏付けているものと言える。

時計業界でも事情は同じだ。トップを争っているのはセイコーとシチズンだが、この両社にも大きな違いがある。

セイコーの場合、上場している服部セイコーというのは、じつは販売会社。諏訪セイコーや塩尻セイコーという製造部門の会社は上場していないのだ。つまり、販売のセイコーである。

これに対してシチズン勢力はどうかと言うと、上場しているシチズン時計というのは、田無に工場のある製造部門であり、販売会社・シチズン商事というのは上場していない。つまり、技術のシチズンである。

販売のセイコーと技術のシチズン。この両社の競争では、必ず販売のセイコーが勝ってきた。

それから出版社。昔は「平凡パンチ」「週刊平凡」を出した平凡出版(現マガジンハウス)が、絶えず斬新な企画を出して出版界をリードしていた。

編集主体の、いわば技術の平凡出版である。それを真似して「プレイボーイ」を出したのは集英社だが、集英社は、販売の集英社である。

この両社の競争でも、必ず集英社が勝ってきた。あの「少年ジャンプ」も集英社である。私の小さいころは「少年マガジン」「少年サンデー」というのが双璧で、その後「少年チャンピオン」や「少年キング」が出てきた。

「少年ジャンプ」は最後発である。にもかかわらず、抜群の人気を誇ったのはなぜか。絶えず顧客のニーズを聞いて、人気のないものはすぐに変えてしまうくらい、販売を主に考えてつくるからである。

販売を主にしたところが必ず一番になっているわけだ。「ぼくはこれをつくりたい」というものをつくるのではなく、客が「欲しい」というものをつくる。

編集だの技術だのを前提にしたら、決して一番にはなれないのだ。

では、オリックスはどうか。私の目から見たら、とにかくもう販売しかないんだという球団である。

それを端的に表わしているのが、まず何といっても「イチロー」のネーミングである。日本で一番多い姓は鈴木であり、その鈴木に名前が一朗。

鈴木一朗なんて言ったら、大和銀行の大和太郎だとか、三和銀行の三和一朗といったような名前である。

類型的典型的な、どこにでもある名前では観客にアピールできない。

そこで、「カタカナでイチローというのはどうだろうか。声援しやすいし、きっとアビールするはずだ」と、仰木監督が切り出したのだが、そのとき、イチロー本人は非常に不服だったらしい。

カタカナの登録名も前代未聞。そのうえ、本人までも不服ときてはなかなか踏み切れないものだが、そこを半ば無理やりに押し通したのだから、やはり仰木監督はそんじょそこらの監督とは違う。

もう一つ、仰木監督がつけたユニークな登録名がある。「パンチ佐藤」がそれだ。

ボクシングの選手かと思うような、ふざけたと言えばふざけた名前だ。だが、そのふざけた名前がこれまたアピールしたのだ。

「パンチ佐藤にイチロー? どんなヤツだろう。一回見に行こう」というファンが球場に殺到したのである。

鈴木一朗なんて客にアピールしない。本人が反対したって、客にアピールするならイチローでいい。名前が先行して実力が伴わないと「パンチがないねえ」なんて皮肉られるかもしれないが、実力はあとから伴うように努力したらいい。そう仰木監督は考えたに違いない。

既成概念にとらわれず、「みんなが喜んでくれるなら、それでいいじゃないの」と言う仰木監督。

そんな監督はこれまでいなかった。野球監督と言えば、管理野球の川上監督と森監督、それに直感の長嶋監督。自由放任の横浜・権藤監督といったところが名乗りを上げていたが、長嶋監督の直感野球は別として、管理野球にしても放任野球にしても、「第一の波」かせいぜい「第二の波」。

「第三の波」的な発想で、固定概念にとらわれず、前代未聞の名前をつけた仰木監督とは、経営的資質においてやはり、根本的に違う。

仰木監督のような柔軟な発想こそが、マネジメントする人間に一番重要な資質なのである。

宣伝マンとしとの仰木監督

「私は宣伝広告塔」

しかし、もっと注目したいのは仰木監督の言った、

という言葉である。たしかに、仰木監督は希代の宣伝広告マンであるかもしれない。

イチローという名前にしろ、パンチ佐藤という名前にしろ、観客が感動するように、喜ぶようにという、宣伝広告マンとしての自覚がなければ、思い浮かぶような名前ではない。

また、九十六年のオールスターではイチローを投手で起用したりもしたが、これもやはり、宣伝広告面から見て観客の喜ぶ面白い野球をしようという、仰木監督のサービス精神から発想されたものであった。

しかも、打つ手打つ手がことごとく当たり、客足が途絶えないのだから、宣伝広告マンとの仰木監督の能力は恐ろしいばかりである。

もちろん仰木監督が能力を遺憾なく発揮できるのも、イチローという大スターがいればこその話ではあるが、イチローの素質をいち早く見抜き、二軍から一軍へ抜擢したのは仰木監督である。

イチロー自身も、仰木監督がいたからこそ自分もこれだけの力が出せたんだ、と言っているとおり、あの変てこりんな振り子打法を、「本人がいいというなら、あれでいいんじゃないの。直すことはない」と認めたのも仰木監督である。

それまで、どんなに打っても頑として振り子打法を認めようとしない土井二軍監督の下で不遇をかこっていたイチロー。

そのイチローが、一躍トップスターの座に就くことができたのも、すべては仰木監督のおかげであると言っても決してオーバーではないだろう。

もし、仰木監督という名伯楽との出会いがなかったら、今日のイチローはなかったに違いない。イチロー登場のための舞台づくりから演出まで、全部を手配したのが仰木監督だったのだから。

それだけのことができたのも、自分自身を「宣伝広告塔」と位置づけていたからにほかならない。

だからこそ、振り子打法という従来の野球理論にはない変てこりんな打法を素直に認めることができたのだ。

もし、経営的なセンス、宣伝マンとしての自覚のない、土井二軍監督のような過去の理論にこだわる人だったら、打撃フォームをさんざんいじくったあげく、ついには選手生命を絶つような事態を招いていたかもしれない。

聞くところによれば、振り子打法は従来の打撃理論ではまったく理解できない、常識はずれの打撃フォームであるという。

そして、土井二軍監督ならずとも、コーチの肩書のつく人なら誰でも矯正したくなるほどの、摩訶不思議な打法なのだということである。

それを、仰木監督はそのまま認めた。「結果が出ているんだから、直すことはない」と。

そのへんの話を聞くにつけ、仰木監督のすごさを思わないわけにはいかない。やはり、仰木監督あってのイチローであって、イチローあっての仰木監督ではない。

仰木監督の経営的センス、宣伝広告塔としての自覚がイチローを育て、オリックスの人気を盛り上げたのである。

仰木監督は当時、自ら宣伝広告塔になって、どこへ行っても宣伝に努めた。かつての川上監督にしても森監督にしても、ダイエーの王監督にしても、あるいは野村阪神監督にしても、いつも渋い顔をしているかボヤいているかで、およそ宣伝広告塔たり得ない。

唯一、「いやあ、どうもどうも。いわゆる一つのー」なんていうキャラクターの長嶋監督だけが、広告的な要素を具えている程度だ。

それに対して、仰木監督はもう徹底して宣伝広告塔。無論、勝つための合理的な管理方法も研究しているからこそ、総合力を発揮して勝てているのだろうが、イチローという名前にせよ、振り子打法にせよ、仰木監督には何かしら合理性を生かすための不合理な遊びを感じる。

それも、宣伝広告、セールス、販売ということが前提になった遊び。

仰木監督には、観客サービスという点からものごとを考える柔軟な発想が、プラスαであるのだ。

振り子打法をはじめとしたオリックスの運営方法には、宣伝広告、セールスという面、つまり客に喜んでもらう、客にアピールするという方針が強く存在する。

その結果、「オリックスの試合は面白い」と観客が球場に行く。観客がワーッと来るから球団も潤ってくる。イチローも乗ってくる。

「イチロー効果」という言葉をつくったのが誰かはわからないけれども、マスコミの人間にそう言わしめるのは、やはり売り方がうまいからである。

社員全員が宣伝広告塔

宣伝広告のオリックスが人気があって強いと言われたこともあったが、それは天の教えであり、そこには、やはりつねづね私が言っている普遍の法則、販売を主とした会社が伸びるという結論があると思う。

不合理な遊びの精神で、野球界の一つの常識を崩したオリックス。そこから学びとれるのは、合理性の追求と不合理な遊びがあってはじめて企業経営は成功する、ということである。

この点に照らし合わせて、特に中小企業のオーナーやマネージャーが考えなくてはならないのは、必要以上に管理管理と言わないこと。

社員の教育だとか管理だとか、はたまた効率的な運営だとか、そんなことは考えず、とにかく売って売って売りまくる。

それを主に考えて、そのために合理性を追求し、そしてときには変なこと、不合理なこともやってみる。

成功するかどうかわからなくても、いくつかやってみたら、一つか二つはヒットが出る。それを教えているのがほかならぬオリックスの方式であり、特に中小企業は見習う必要があうりはないだろうか。

そのためには、会社のオーナー、あるいはマネージャーは、次のように考える必要があるだろう。

社長とは宣伝広告塔にして営業マンのトップである。

経理部長とは宣伝広告塔にして営業マンの真ん中である。

受付とは宣伝広告塔にして営業マンの手伝いである。

総務とは宣伝広告塔にして営業マンの応援団である。

営業マンとは宣伝広告塔にして営業マンの御本家である。

要するに、社長も重役も経理も総務も受付も、みんな宣伝広告塔であると考えるのだ。そして、

「わが社が最高だ!最高だ!」と、全社員が固く信じて言いつづける。そこに成功の秘訣があるはずだ。

あまたある競合他社、浮気な客現代の経営環境は非常に厳しい。逆に言えば、表現力にすぐれた会社が勝つ時代でもある。

もう一回確認しよう。

社長も総務も経理もみんな宣伝広告塔である。とにかく販売を主に考えて、そこから合理性を追求し、不合理な面白いこともやってみて、創造性を高める。

それが、企業を成功に導くビジネス・アンド・クリエイティビティなのである。

第二章 中小企業を発展させる攻めと守りの極意

どん底景気から始めた時計会社

第一章では、中小企業の経営に必要な要素を、五つの管理という視点から概観してみた。いわば総論を語ってみたわけだ。

それを受けてこの章では、私の体験を踏まえながらもう一歩踏み込んだ、より具体的で実践的な中小企業経営のノウハウを語ってみたい。

私はいま現在、予備校の経営に携わっているほか、時計の会社をやっている。今年で設立三十数年ほどになるその会社は、自慢するわけではないが、業界でも、有数の会社に育ってきた。

しかし、設立した三十数年前はどうだったかと言えば、時計は典型的な斜陽産業の一つに数えられていて、三割、四割は当たり前、五割、六割、七割引きでもなかなか売れず、時計ショップがバタバタと潰れるという、経営環境としてはこれ以上はないというほどの最悪の時代。

そんなときに、私は時計会社を始めたのだ。

この会社で扱う商品は、セイコーやシチズンがやらない時計。つまり、まとも時計以外のあらゆる時計である。

恐ろしく大きな時計、ひどく小さな時計、歪んでいたり、フェースが二つあったり、反対周りだったりする時計など、いわゆるファッション時計と呼ばれるもの。

何年か前に、ブームになったこともあるので、ファッション時計と言えば、だいたいどんな時計かおわかりになると思う。

なぜ、ふつうの時計ではなくファッション時計だったのか。まともな時計は、セイコー一社でも年間一億個ぐらいつくっているから、設立したての会社が入り込むのは難しいと判断してのことである。

実際、セイコーにしてもシチズンにしても、私が会社を設立した当初は、ファッション時計などには目もくれていなかった。

ところが、もう二十年以上も前になろうか、急激な円高のため、時計の輸出がまったくだめになった。天下のセイコーでさえ輸出が大不振で、年間一億個ぐらい売っていたのが、前年比九十五パーセント減。つまり九五〇〇万個が売れ残るという、大変な危機が時計業界を覆ったのだ。

そのときセイコーは、エプソンをはじめとする関連会社で減収分を補ったらしいが、驚いたことに、私たち中小の分野にまでも、彼らは恥も外聞もなく入り込んできた。

さて、どうしたものか。

彼らとまともに勝負をした日には、私のところのようなちっぽけな会社など、アッと言う間に潰されるのははっきりしている。

さんざん考えた挙句、私は、汗と涙と努力と呼び込みで直接売るしかないと判断し、バーゲンに活路を開こうと考えた。

そのためには、私自身、バーゲンの先頭に立つしかない。予備校で学苑長として教育論をぶったあと、すぐに新宿へ行って「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」と時計を売る毎日だった。

外国人の多い銀座で呼び込みをするときには、英語でやっていた。

それも、アジア人にはアジアなまりの英語で、ドイツ人ならドイツなまり、フランス人にはフランスなまりの英語だ。それこそ、千変万化の呼び込み法を開発して頑張った。

マーケットは限りなく広くて大きい

そうした試練を乗り越えて、わが社はいま、業界でも有数の会社になったのだが、先にも述べたように、当時は、時計なんか見込みゼロ、時計業界はもうだめだと指摘されていた。コンサルタント会社で聞いてもそう言うし、新聞にもそう書いてある。証券会社、銀行でもそう聞いたものだ。

それは時計だけではなかった。おもちゃ産業もだめだということだったし、ファッション産業も繊維産業もまるで見込みがないと言われていた。

「繊維冬の時「代」だとか「斜陽産業」だとか、さんざんに言われたものだ。

ところが、私には不思議でならなかった。冬の時代と言われていた繊維産業の中で、神戸のワールドはそのときでも、五十億円もの利益を出していたのだ。

冬の時代、斜陽産業と呼ばれながら、利益五十億である。つまり経営者次第で、やりようによっては、斜陽産業でも十分に成功することの証明である。

新聞、雑誌、業界、コンサルタントは、これからの業界はこうだ!なんてことを平気で言う。たしかにそうかもしれないし、大企業だったらそう考えたらいいだろう。

それだけの社員を食わせていかなくてはならないし、月々の莫大な固定費、管理費を払わなくてはならないのだから。しかし、中小企業は違う。

たとえば、円高で輸出が大打撃を受けたとき、マスコミはこぞって、もはや時計業界は風前の灯であるかのごとく書き立てた。

当然、業界もそういうものなんだと暗いムードに包まれ、セイコーやシチズンの社員までもが「もうだめだ」と言いはじめた。そんな雰囲気を察知したわが社の社員も、

「もうこれからは時計の時代ではないと思います。何かほかのことをやったほうがいいのではないですか」というようなことを言いはじめた。

冗談ではない。私は即座に活を入れた。「君ねえ、セイコー社が一億個つくって九五〇〇万個売れ残って大変な危機に直面しているというが、わが社の従業員は一体、何人なんだ!四人か五人だろう。

その四、五人の人間が月々食っていくには、いくら売り上げたらいいんだね。〇〇〇万か二〇〇〇万か、多くても三〇〇〇万だろう。

それだけあれば大丈夫だ。月々の家賃と給料が払えるだけの売上があれば、十分にやっていける。

わずか数名の小さな会社がやっていくだけの時計ぐらい、どんなに不況でも絶対に売れる。二度とつまらないことを言うんじゃない!」

日本なら何をやっても食っていける

テレビも新聞も、日本経済の見通しはどうのこうのと言っている。それを聞いて、不安になったり安心したりする経営者がいるが、そんなのは大企業の経営者に任せておけばいい。

大企業の経営者なら、経済見通しを見て、利益とかマーケットをどうするか、考えることもあるだろう。

しかし、私たち中小企業の経営者は、そんな経済予測なんかまったく気にしないでいい。何となく、少しずつ、ヤバそうな雰囲気だなということだけがわかったら、それで十分である。

中小・零細企業のマーケットは無尽蔵なのだ。

従業員五、六人から一〇人、多くても何十人かの企業、つまり中小・零細企業は、何をやったって食うことができる。小回りのきくサイズなのだ。突飛な話だと叱られそうだが、ちょっと例を挙げてみよう。

食えなくなったら、まず、廃品回収業がある。これが一〇人くらいは十二分に食える。

みんなで釣りに行くのもいい。必死の思いでヒラメだの鯛だのを釣って、大阪かどこかの日本料理店に持っていく。

「あの、鯛、釣ってきたんですけども、買っていただけませんか。本日限り、現品限りで、○万円でけっこうです」

それを続けても、何とかやっていける。

いずれにせよ、たかだか五、六人の社員である。みんなの気持ちが一丸となっていたら、何をやっても大丈夫、生きていける。世界に冠たるこの日本だ。何でもいい、何かやったら生きていける。

人は石垣、人は城

日本では3Kをやったら大丈夫。危険、汚い、きついのが3Kであるが、誰もやりたがらないから確実に儲かる。危険、汚い、きついということに社会的な意義と人生の意義、そして使命感を持って取り組んだら、会社は絶対成功する。行き詰まったら3Kをやったらいい。

ただしそれには、社長のことが好きで、社長と一緒に仕事をするんなら、どんな仕事をしてもいいという従業員が必要だ。

「今月は給料がこれしか出ないけど、私も辛抱しているから頑張ろう」

「いいすよ。頑張りますよ」と言える社員。もちろん、社長がぜいたくをしていては話にならないが、そこまで社長と志を同じくする社員がいれば、会社は磐石である。

松下電器でもどこでも、創業のころはみんなそうやって頑張ってきたのだ。

社長と社員の関係がそうなるかならないか、これは社長の愛情、やさしさ、人望、魅力で決まる。

中小企業の社員は、そうした温かい人間関係で会社に居ついているはずだ。厚生施設もない、昇給率も悪い。でも社長と一緒に仕事をするのが楽しい。面白い。だから居つくというのが、中小企業の従業員だと思う。

だから、抽象的なことはどうでもいい。いかに客を増やすか、いかに製品を売り込んでいくのか、どうやって来月の売上を上げるのか、いかに従業員の心をつかむのか、ということに命を燃やすほうが、中小企業の社長にふさわしい。

マスコミに惑わされるな

先ほど、仕事に飽きると書いたが、じつは、飽きるのは社員だけではない。

経営者だって、やはり飽きる。自分が飽きていることを自覚したうえで、いかに事業を維持し、同時に新しいものを模索していくのか。これも中小企業の経営者に課せられた重要なテーマと言えるだろう。

創業当初こそ赤字が続いた私の会社も、五年目からグーッとみんなで頑張って黒字に転換してきた。その結果、いまでは取引銀行の特Aの評価をもらうまでになった。

ある日、高島屋から電話が入った。

「ぜひ、お願いしたいことがあるんですけれど……。アクセサリー売り場に入っていた業者が倒産しまして。いろいろ調べた結果、お宅が一番、財務内容がきちんとしていますので」

ついては、高島屋へ入ってくれないかという話であった。高島屋としては、潰れる心配のない、安心できる会社を入れたいんだと言うのだ。

要するに、ライバルが次々と潰れていく中で、最後まで粘り強く、しぶとく頑張っているのは、私たちだったのである。同じような顛末で、神戸大丸、岡山の岩田屋にも入ることができた。そこで私は、社員に言った。

「かつて君たちは、もうこれからは時計の時代じゃない、と言っていたが、今日、大きなところに入ることができたのも、あのとき頑張ったおかげじゃないか。

セイコーやシチズンに一万本、二万本単位でOEMしているのも、頑張ったからこ「そではないか」

大きなビジネスチャンスが巡ってきたときには、パッと業種転換するのもいいかもしれない。しかし理想は、ベースの事業は継続しながら、新しいことをやっ成功するというパターンだ。

ベースになる会社の資金力と銀行の信用があるのだったら、新しい試みをやっても成功する確率は高い。そうではなく、ベースの事業から撤退して、あっちこっちへウロウロするのは、経営者としては負けである。

そこを、中小企業の社長はしっかりと考えるべきではないかと私は思う。

業界の展望なんか、雑誌に任せたらいい。三菱総研や三和総研にとっては、書類にもっともらしいことを書いて話題を提供するのが仕事なのかもしれない。

しかし、彼らが中小企業を経営するわけではない。だから、そうした情報は情報としてキャッチしておけばいいだけの話であって、中小企業の社長が鵜呑みにするようなものではない。

情報は取捨選択するもの。勉強は、自分の哲学を補強するためにするもの。そ姿勢を忘れてはならない。ハクをつけたいと思うのか、とかく中小企業の社長はさまざまな知識を求める傾向がある。

それで考え方なり戦略、戦術が明確になるなら、それに越したことはないが、たいていは「下手な考え休むに似たり」で、かえって頭が混乱していくのがオチである。

社長の頭が混乱したら、社員はもっとグチャグチャになってしまう。社長が迷えば、従業員全部が迷う。だから、社長は絶対に迷ってはいけない。

「わが社は、こういう方針でやっていくんだ!」

という断固たる決意で臨むべきである。そうすれば、その分、社運、エネルギ業績がプラスとなるはず。これは間違いない。

絶えず情報収集のアンテナを立てよ

企業経営に成功するうえで、飽きの心を克服するほかに、もう一つ、重要なポイントがある。それは、既成概念にとらわれず、つねに新しい発想を持つように心がける、ということである。

だが、すでにワンパターン化してしまった自分自身の行動様式、思考様式から脱却するのはなかなかに難しい。日本人にはとくに、この傾向が強い。

それは、食生活を考えてみるとわかりやすい。たとえば、一度、評判のレストランの味が気に入ると、そこを行きつけの店にしてしまい、行くたびに同じメニューを頼む人が少なくない。

いわば、それが一つの習性にすらなってしまっているわけだが、こういう客は店側から見ればとてもありがたいお客である。常連客をつくることが商売繁盛につながるからだ。

だが、企業の経営者たる者、絶対にそんなワンパターンの行動様式に収まってはならない。絶えず、新しい店を開拓する姿勢が必要だ。

新しい店に入ったらまず、
「このお店の一番人気のメニューは何ですか」と聞いてみる。そのときもし、五種類のメニューを紹介されたら、なるべく五種類全部を注文する。

そのためにも、新しい店に行くときには四、五人で行くべきである。また、お薦め品を教えてくれない場合は、周りの客が食べているものを観察し、人気メニューをさぐる。そのほか、気になるメニューがあったら、それも注文する。とにかく、可能な限りたくさんのメニューを調べるのだ。

そうやって注文したメニューを食べながら、味を見定める。

そうすれば、なぜこの店が繁盛するのか、あるいは繁盛しないのか、その理由がわかるし、自分が飲食店を経営しているならば、経営の参考になる。この程度のこと、飲食店の経営者なら誰でもやっていることだが、飲食店の経営者ならずとも、こういうクセをつけたいもの。

それが新しい情報や商品との出合いのチャンスをもたらすのである。

それは飲みに行くときでも同じだ。若い子のいる店、美人がいる店、サービスのいい店、高級感のある店、安くても雰囲気のいい店など、三〇店ぐらいのレバートリーは絶対に必要だ。

それくらいの情報の持ち主となら、どこへ行っても楽しく面白い夜が過ごせるということになれば、近づいてくる人も自然に増えるはず。その分、商売の話をするチャンスも多くなる。

とにかく、経営者は情報通になることだ。飲食店一つとってみても、何の目的もなく一つの店に通い続けるということをしていると、中小企業は勝ち残れない。会社の経営者なら、情報の先端を行き、つねに新しいものを見出し、クリエイティブにものごとを考えていくクセをつけるべきである。

研究グセが身を助く

一口で言って、研究に次ぐ研究を飽きずに続けられる人でないと、会社の経営は難しい。飽きやすい人、研究熱心でない人は経営者に向いていないのだが、その点、私は恵まれていた。

先にも述べたように、私が時計会社を設立したのは、「時計産業はもうだめだ」と言われ、実際、いろいろな会社がバタバタと倒産していた時期だった。

そんな時期に時計業界に乗り出そうというのだから、当然、不安があった。不安があったというより、不安の塊だった。その不安から逃れるために、私は何をやったかというと、経営技術の研究であった。

第一章で述べたように、会社を経営するには基本的に販売管理、財務管理、労務管理、資金調達、税金対策の五つの要素が必要だが、それらの技術を一つひとつ、人の何倍も努力して研究した。

それはもう、死に物狂いと言っていいほど、研究に没頭した。もちろん、利益を生み出さなければならない責任を背負ったうえでの研究だから、並大抵の苦しみではなかったが、斜陽期をどうにか生き残ることができたのも、そうした研究のおかげだと思っている。

もし、好況期に始めていたらどうだろう。スタートが調子よく、スイスイと業績を上げていくことができたら、甘い経営技術でも渡っていける。

その結果、こんなものかと見くびって、研究を怠る。それでも、業界全体が好況を維持していれば、どうにかやっていけるだろうが、ひとたび不況の波が押し寄せてきたら、ひとたまりもない。

日ごろからの努力と研究が足りないのだから、真っ先に潰れて路頭に迷う。そんな末路を迎えていたに違いない。

そんなことを考えるにつけ、不況期にスタートして本当によかったと、つくづく思う。

私が経営にタッチしている時計産業や教育産業と直接関係のない飲食店に入っても、つねに味の研究を怠らないのも、不況期に身につけた研究グセのおかげである。

そういう研究グセを身につけている経営者なら決して負けることはないと思う。

成功の秘訣を探る努力を惜しむな

とにかく、事業で成功しようと思ったら、徹底的に研究することである。

どん商売でも必ず同業他社、ライバルがあるわけだが、それを徹底的に研究して、成功している理由失敗した理由を探り出す。

その理由は、一つではないかもしれない。いくつかの理由が複合的に絡み合って一つの大きな成功、失敗に結びついているケースがほとんどだから、考えられる理由をすべて探り出す。

そういうつもりで研究していけば、「あっ、ここだ。これが成功の秘訣だ」「あつ、ここがユーザーにウケている理由だ」と気づく点が必ずある。その理由をさらに掘り下げて、さらに一ひねり二ひねり加えたうえで自分の会社の経営に応用すれば、成功を得ること間違いなしだ。

だから、何よりもまず同業他社の研究、成功しているところの研究が欠かせないわけだが、その際、重要なのは必ず現地に足を運ぶ、ということ。

これを忘れていたら、机のうえで経営書を開いてどんなに考えても、生きた知恵は決して浮かんでこない。とにもかくにも現地に足を運んで、目で見、耳で聞き、体で感じること。これが肝心なのだ。

それだけ腰をすえて研究すれば、何らかのひらめきが必ずある。そのひらめきを得るために何度でも現地に足を運ぶ。

それくらいの徹底した姿勢がなければ、競争の激しいこの世の中、同業他社との戦いに勝ち抜くことは難しいだろう。だから私は、美容院に行ったときでも、ボケーッとしている時間がもったいないから、

「一人の美容師さんで、だいたい何人ぐらいのお客の名前を覚えるものなのですか」と話しかけたり、マッサージをしてもらっている間は、どう揉んだら気持ちよくなるのか、マッサージのやり方を研究したりしている。

同じマッサージでも、人によって全部やり方が違う。それを鏡で見ながら「ああ、こういうふうにやるのか」と目で覚え、会社に帰ってからスタッフを相手にやってみる。

「そのマッサージ、どこで覚えたんですか」

「美容院で覚えたんだよ」

「よく見ているんですねえ。ぼくだったら、気持ちよくなってウトウトしちゃいますけどね」

と、誰もがびっくりするが、それくらいは当たり前。どこへ行ってもボケーッとしていないで、必ず何か新しい発見をすること。それが私のモットーなのだか

ところで、ある美容師に聞いたところでは、人気のある美容師はふつう、300人からの人の名前と顔、それから趣味くらいは覚えているものなのだそうだ。300人の名前と顔と趣味を覚えているとは、まさに驚異的ではあるが、それを聞いて私は決意した。

「よーし、だったら私は最低3000人の顧客の名前と顔を覚えるぞ」。以来、会う人ごとに名前を覚えようとしたが、なかなか覚えられない。どうやったら確実に覚えられるんだろうかと、いろいろ試した結果、

出身地や出身大学などに絡ませると覚えやすいことがわかった。

「やあ、久しぶりですね。あなたはたしか北海道出身の鈴木さんでしたね」

「えっ、よく覚えていらっしゃいますね」

人は、名前を覚えてくれていたということだけでも、何かうれしくなるものである。それに反して、

「えーと、お名前、何とおっしゃいましたっけ?」

なんて言ったら、寂しい思いをさせることになる。名前を覚えるなんて小さなことかもしれないが、そういう小さな努力とサービスの積み重ねがリピートオーダーにつながり、「また頼もうかな」という気持ちにさせる一つの要因になるのは間違いないだろう。

一口に工夫と努力とか研究と言うが、成功をめざす経営者は、どんなときでも、どんなものでも研究し、分析し、徹底的に調べ上げるくらいの情熱とエネルギーが必要ではないだろうか。