神は強く打てば強く、小さく打てば小さく響く ~平成6年9月24日 三峯神社~
神霊交流の原則とは
この三峯神社へは当初、朝の八時に参拝するという予約がしてあったのです。まあ、朝の早い時間であればあるほど、すがすがしい気分になるでしょうけれどすがすがしく参拝するのがいいとは限らないんです。
すがすがしい時間に神社に詣でて参拝し、「ああ、いい参拝ができたね。すがすがしく参拝できて「よかったね」というのも決して悪いことではありません。
しかしそういうのは、この世の人たちの目から見た参拝のあり方であって、ご神業に生きる人間は、参拝は何のためにするのか、ということを考えなければいけません。
ひと言で言えば、参拝の目的は神霊との交流のためです。交流といっても、お互いに交わり流れればいいというものではありません。
私の著作でも書きましたように、神様は太鼓と同じで、強く打てば強く響き、小さく打てば小さく返ってくる。
したがって、神霊と交流するときにはまず、こちらのほうから神様へ投げかけなければいけない。
すると、投げかけた分だけが返ってくる。あるいは、投げかけた以上に神様から返ってくる。これが神霊との交流の原則であります。
ですから、自分がどの程度極まっているのか、どの程度中身が深いものになっているのか、どの程度強い思いを神様に向けているのか、どれほど真心が輝いているのか、によって、交流したときのスパークの大きさが瞬間的に決まるわけです。
ご神前で祝詞を奏上し、お神楽を上げ、あるいはまた、玉串を奉奠するというのは、言わば形式であって、大切なのは自分自身の中身なのです。
お祓いを受けて祝詞を奏上し、玉串を奉奠するまでは本当にわずかな時間です。
しかし、偉大なるご神霊、偉大なる濃い神気に対して、向かっていくこちら側の姿勢が極まっていると、短い瞬間であっても大きくスパークし、大神力、大威神力を発揮するものなんです。
こちら側がそれだけ高く、深く、シャープに極まってなくて、「すがすがしく参拝できてよかったね」というのとえらい違いでしょ。
まあ、それも決して悪くはないですよ。しかし、どれだけご神霊に通じたのか、どれだけ深い交流ができたのか、どれだけ神威と霊威を発揮するものであったのか、というのが神霊家、すなわち生ける神を動かし、生ける神様の功徳を授かる人間にとっての一番大事なことなのです。
そう思いませんか。そのために来たんですからね、ここに。
参拝すれば何がしかの功徳はありますよ、神坐すところですからね。
しかし、三峯の全山を奮い立たせて、天地も揺るがすばかりの、そういう参拝なのかどうか、それが問題なんです。
このセミナーには皆さん、それを勉強に来ているわけです。いろいろ講義とかお話はありますよ。
しかし、参拝をして、「神様、お願いいたします」とお祈りして、それからいい講義があるんじゃない。セミナーというのは結局、ご神霊との交流ができたらそれでいいんです。
あとはすべて神様がしてくださるから、神様に導かれて自分で悟ったらいいんですよ。そのほうが本当だと思いませんか。
もちろん、有意義なお話はいくらでもできます。けれど、それだけだったら別に、わざわざこういうところに来る必要はありません。
本やテープで勉強するか、講義をするにしても、どこかのホールを借りてやればいいわけでしょ。
わざわざこういうところに来てセミナーをするというのは、いま私が申し上げ意義があるわけです。
三峯なら三峯、江島神社なら江島神社へ行ってやるということは、そういう意味があるということをまず皆さん、しっかりとご理解いただきたい。
朝起きて、歯を磨いて、わーっと支度をして、そして、「ああ、もう八時だ」と言ってピシッと参列する。
見た目はビシッとしているけれども、皆さんの中身がどれだけ神力と霊力をみなぎらせるものになっているのか、ということを考えたらはなはだ疑問ですね。
八時に参拝するなら、五時か六時にいったん集まって、こういうようなお話をし、そのうえで、気持ちにゆとりを持って、「よしっ!」と内なる魂をみなぎらせてご神霊に向かえば、バーンと来ます。
けれど、そんなバタバタしてご神霊に向かっても、深い交流なんかできません。表面上はピシッとした参拝であっても、あらたかなるものが出てこないですよ。そう思いませんか。
これが、こういうところで参拝する意義であって、それがよく分かっている人はどうするかというと、八時からの参拝だったら、五時か六時に起きて、お風呂に入って身を清め、そして一人静かに神様に向かって、というか、すでに神様に参拝しておく。
そうして、いよいよ参拝の時間になってご神前に行くと、バチーンと瞬間的にスパークするわけです。二時間、三時間前からお祈りしていなければいけませんね。
で、ここの参拝が午後一時からと決まったら、これは非常に素晴らしいと思わなければなりません。朝の七時か八時に起きても、三時間も四時間もスパークの瞬間までに溜めができますから、本当に素晴らしいことなんです。
タメカンセミナーといいますけど、三時間、四時間と、神様にずーっと祈りつづけて気を溜めておくことができる。
そういうふうにして、十二時なり一時なりの参拝を団体でいたしますと、バチーンと来るような素晴らしい参拝になります。
地震で大地がグラッグラッと揺れたりするような参拝になりますよ。
参拝は神霊と交流するためにあるのであって、こちらから神様に投げた分しか返ってこない。
だから、いかに多く投げる自分をつくっていくか、ということが参拝の原則中の原則ですが、それにはそれなりの時間が要るわけです。
真の交流ができるように内的な準備を怠るな
では、時間がせいているときはどうするのかというと、私の場合、移動する車の中でずーっと二時間、三時間祈りつづけていますよ。
車の中かバスの中か電車の中で、ずーっと祈りつづけて、そして参拝の時間になったらバチーンと来るように、いつも必ず調節してやっています。目に見えないところで祈っているわけです。
昨日の江島の参拝のときは朝十時参拝ということでしたが、私は九時半ぐらいには神社に着いていたんです。
しかし、徹夜明けですし、車で揺られ揺られておりましたので、たしかに時間どおりに参拝に行こうと思えば行けますけど、体力的にも精神的にも霊的にも、ご神霊と交流できる状態では全くない。
こんな状態でお祈りしても神霊は動かないな、と思ったから、ああやってとりあえずお話ししたものをテープでとって、二時間、三時間の間、静かにしていて、で、横になって体を休めながら、気を休めながら、神様にずーっと二時間、三時間と祈りつづけていたんですよ。
それでお風呂に入って身を綺麗にして、「よしっ!」ということで参拝に行ったらバーンとご神霊が来る。
だから、ああやって神様のお取り次ぎができて、ご神示が黒板に書けるわけ。
キチッと時間どおりに行って、キチッと形を整え参拝しても、江島弁財天さんのご神示を受け取れる自分、あるいはご神示をいただく自分ができ上がっていなければ意味をなさないわけですね。
そういう意味で、今朝の八時に予約していたのを午後一時に変更したのは、大変よかったと思います。
私はその間、ずーっと祈りつづけていますよ。一時 からの参拝だったら、それまでの時間、どれだけ自分自身を調節したのか。
神社参拝、すなわちご神霊との交流においては、自分ができ上がった分だけしか返ってこないということが真に分かっている人ならば、午後一時からの参拝までの間に自分自身を調節して、神様と真の交流ができるように内的な準備をするはずなんです。
果たして皆さんの中で、どれだけの方がそうなさったのか。それが今日のセミナーのポイントですよ。何人の人ができたのか…。
七十パーセントの人はただ漫然と待っていた、と神様がおっしゃっています。三十パーセントの人は、それなりにずーっとお祈りしてたでしょうけども、七割の人は漫然と待ってた、
私なんか、参拝までの時間があればあるほどものすごくうれしい。それまでの間いっぱいお祈りできますからね。
そうやってたくさん祈ってから参拝すると、バチーンとスパークする。
参拝が終わったあとにうじうじうじうじお願いしても、あんまり聞いてもらえないんですよ。
参拝の前に祈って祈って自分をハイな状態にして、そして参拝のときにバチーンとスパークして、そのあとは直会で楽しくやる、と。
参拝が終わったあと、願いごとをじくじく言ったところで、ハイになりませんよ。一番のハイライトシーンがもう済んでしまっているわけですから。
もちろん、参拝のあとのお祈りでも聞いてはくれますよ。しかし、参拝の前のほうがもっと聞いてもらえます。
自分の心が参拝に向かって盛り上がっていますからね。ハイライトの前のほうが絶対に気持ちは盛り上がりますよ。
だから参拝前の時間というのは、待っている時間ではないんです。気を蓄えて、気を清めて、神様とお話をし、いっぱい交流しながら自分をハイな状態に持っていく時間なんです。
そうやってベストコンディションをつくってからご神前に行くと、たとえ短い時間ではあっても、ものすごく深い交流ができる。
これが上手な参拝の仕方であり、神霊交流の原則なのです。ところが、七割の人は漫然と待っていた。
損ですね。
お参りして、結果がガガガーンと出てくる人と、ちょっとしか出て来ない人、あるいは実感がなかったという人の違いはそこなんです。そこが分かってないんですね、そこが。
どうですか、おヘソのあたりがほかほかしてきたでしょう。
三峯の神様の恐るべき証
この三峯にはかつて、来たことがありました。あれは何のときだったかな。
何か切羽詰まったときでしたね。詳しいことは忘れましたけども、とにかく三峯に来るまではいまお話しした原則ですよ。
来るまでの二時間、三時間、車の中でずーっと祈りっぱなし。祈って祈って三峯に到着したんですけれど、参拝の受付が終わってしまったあとだったんですね。
それで、ここに一泊したんです。昨日皆さんが一泊したように、私たちも一泊したんですけれど、そうしたらここの守衛さんが私たちのためにうどんをつくってくださった。
山菜うどんか何かをつくってくださって、それをいただいそれからお風呂に入って床に就いたんです。
横になっている間も明日の参拝のためにずーっと祈って、十何時間祈りつづけたでしょうか。
「神様、これとこれとこれをお願いします」と、横になっている間もずーっと祈りつづけて、そのままスーッと意識が消えて、それで翌日早朝、参拝しました。それだけ祈ったのですから当然、ものすごく極まった交流ができましたよ。
で、参拝が終わったあと、皆さんがお泊まりになったあの狭い部屋に通されたんです。机がありますよね。
まあ、机というよりお膳ですね。和風の低い膳。
部屋の半分ぐらいの大きいお膳の手前に私が座って、向こう側にA君が座って、お互い、「参拝できてよかったね」と言いながらくつろいでいたんです。お膳に置いてあったお茶……それほどおいしいお茶ではありませんでしたが、お茶をこうすすりながら、「はあー、いい参拝だったな」と言いながら、いつの間にか、うとうととまどろんだんですよ、朝が早かったですからね。
で、うとうととしていたらですね、バチーンと音がしたんですよ。隣の部屋とかドアの向こうから聞こえてきた音ではない。
目の前のお膳ですよ。お膳の上でバチーンという音がしたんです。拍子木か何かでお膳をバーンと叩いたような、ものすごくでかい音がしたんですよ。
「A君、何をするんだね。突然お膳を叩いたら驚くじゃないか」
「えっ?ほく、何もしていません」
「でも、大きな音がしただろう」
「ええ、でも、ぼくは何もしていません」
私はうとうととしていたし、A君も書類を整理していて、誰も何もしてないんですよ。
二人しかいませんから。その二人の間で大きな音がしたんですよ。誰が聞いてもはっきり分かるようなバカでかい音だったんです、バチーンという。
「何だいまの音は?隣の部屋か」
「いえ、目の前です。お膳の上でしました」
一瞬、二人とも唖然としましたね。これがポルターガイスト現象というのだったら気持ちが悪いんですけども、ご神霊やご神気が発動されるときにはもう、何回も聞いております。
ご神前でお祈りしていたら、カーンとかコーンとかパチーンとかね。ペチッとかミシミシミシとか、ベリベリベリーとか、バリバリバリーとか、そういう音は何千回も聞いてますけども、あれほどバカでかく、しかも目の前で鳴った音を聞いたのは初めてです。
バチーンという、廊下を通っている人も聞こえるようなでかい音だったんです。
驚きましたね。あのときほど極まったときはなかったけども、あのときほど恐るべき証が出たときもなかったですね。
「すごいね、三峯の神様は・・・」と、思わずA君と顔を見合わせてしまいましたよ。
要するに、「汝が祈ったことは受け取ったぞ」という証のために、それだけの音が出てくるんです。
皆さんがお泊まりになっているあの部屋でそれだけの音がしたんです。
夜遅く着いて、翌朝早く参拝するので、横になりながらずーっと祈りっぱなしでした。私にとっては極めて充実した参拝だったんですけど、そういうふうな参拝をしたら、誰だって直感とか霊感とか、まあ、不可思議な結果がいっぱい出てきますよ、
それは。それはもう強烈な神様のお答えですね。
びっくりするような超常現象ですよ。なぜあんな音が出るのかね。
目の前のあのお膳からですからね。拍子木みたいなやつでお膳を叩いた音ですよ。
木と木をバチーンと叩きつけたような音です。バカでかい音です。非常に充実した参拝でありました。
ですから昨晩も、ここに着いてからもう祈りっぱなしです。すでにここはご神前ですからね。
ご神前というのは神社の中でしょう。神社の中だから、着いたときからずーっと祈りつづけていいわけ。
いや、祈りつづけるべきですね。参拝のそのスパークの瞬間を待つまでに一日半あるわけだから、あらゆるお祈りができるはずなんです。
プロの参拝とアマチュアの参拝の違い
次に具体的なお話をしますと、アマチュアはただ形式的に参拝するだけですね。
ピシッと身だしなみを整えて、すがすがしく参拝するのがいい参拝だと考えている人は、形式的に頭を下げて、お願いごとにしても、だいたい一つか二つです。会社の経営者なら、「会社のことを一つよろしくお願いします」とお祈りする。
あるいは、家内安全をお願いする人は、「どうぞ家をお守りください」とお祈りする。
心願成就となりましたら、いろいろと心に思うことを、「これとこれとこれをお願いいたします」とお祈りします。
病気で苦しんでいるなら病気平癒ということで、「肝臓が悪いのでお願いいたします」とか、何らかのお願いをして、玉串奉奠するときにおじぎをする。
しかし短いですからね、時間は。あの短い時間では、「体がよくなりますように」とか「会社のことをよろしく」とか、それくらいしか折れませんよね。
それが参拝というものだと思っている人は、一つか二つ軽くお願いするだけだから、功徳といっても、ちょっといいことがあったかな、という程度ですね。
これではご神霊との交流とは言えません。さっきも言ったように、参拝とはご神霊との交流のためにするものであり、こちらが極まった分しか返ってきません。
だから、ご神前でスパークする前にいかに内的に極めるか、それが重要なんですけれども、神社参拝には実はもう一つ大切な原則がありまして、「会社のことをよろしくお願いいたします」、「事業がますます繁栄しますようお願いします」と祈ったら、返ってくる答えは会社に関することなんだけれど、「うーん、ちょっと従業員を引き締めなきゃならないな」というようなことが浮かんでくるんですよ。
つまり、会社の中でいま一番足りないところが分かってくるんです。
しかし、そういうのがなくてもいいと思っている人は、そこから永遠に進歩しない。
まさか、そんなお祈りをした人はこの中にいないでしょうね。
もしいたら恥ずかしいと思っていただきたいんですけれども、少なくとも私は、そんな参拝なんかしたことありません。
二十七年間の体験がありますから、そういうふうな素人の域からうーんと離れております。
では、神様のことがよく分かっているプロはどう祈るかというと、たとえば、関連会社十社を経営している人が祈る場合、十社の社名を一つ一つ挙げてお祈りするんです。
参拝の前はいっぱい時間があるわけですから、いくらだって挙げることができるはずですね。
で、「株式会社○○○○、株式会社×××× ……」と、、株式会社社名を一つずつ挙げて、「これらの会社、一社一社をよろしくお願いいたし「す」と、準備の段階のお祈りをしてご神前に行きます。
しかし、参拝の時間は短いから、とても十社すべての名前を挙げてお祈りすることはできません。
じゃあ、返ってくる答えはご神前で挙げた分だけしかないのかというと、そうではありません。
「最初にお祈りした株式会社○○○○、これはあまり問題ないが、ちょっと消極的だからもっと積極的にしないとだめだな」とか、「二つ目にお願いした会社は、来年は売り上げを三倍ぐらいにしなきゃいかんな」とか、「三番目にお祈りした会社は、人事の問題のトラブルがありそうだから、ここをこうしたほうがいいかな」
「四つ目にお願いした会社は土地の買収を進めて、資産をもう少し増やさなければならないな」
「五つ目のところは、ちょっと縮小していくべきだな」
「六つ目は、これは業務提携をして、新しい技術を導入しなきゃいかんな」
「七つ目は、販売会社なんだけども、本社からの人材をもうちょっと増やして、もっと本社とのパイプを強くしたほうがいい値段で入るな」
「八つ目は宣伝広告がちょっと足りないから、もうちょっと積極的に宣伝広告しなきゃいかんな」という具合に、十社それぞれの具体的な方策や具体的な智恵が浮かんでくるんです。
そういうふうに導いてくださるんです、神様は。十社それぞれ足りないところが一個ずつ浮かんできて、十社分の智恵が出てきます。
だから、参拝したあとに会社に行って、それぞれの問題点を指摘する「社長はなぜ、私たちの会社の問題点に気づいたんだろう。
いっぱい会社を経営しているんだから、なかなか目が届かないんじゃないかと思っていたけれど、こんなに細かい問題まで指摘するなんて、自分たちのことをずっと考えてくれていたに違いない。社長ってすごいなあ」と、社員は驚きますよ。
なぜそこまで気がつくんだろうか、と。どうですか、一歩進んでるでしょ。
さらにお祈りする時間がある場合、たとえば前日からずっとお祈りできる場合には、「十社のうち一社目は株式会社○○○○でございます。住所はだいたいこのあたりです。この会社にはこういう問題点がありまして、私はこうしようかなと思うんですけども、神様、いかがでしょうか」と祈る。
「二社目は株式会社AAAでございますけれども、これはこういうふうに問題がありまして、今私はこうしようかなというふうに考えております。
最近、ちょっとご無沙汰して、細かいところまでは分かりかねております。よい解決策があるなら教えてください。
以前から抱えているこの問題点をぜひとも神様、解決に向けてお導きくださいますよう、よろしくお願いいたします」
「三社目は株式会社××××と申します。ここは人事面でのトラブルが不安です。
一人の人間に現場を任せているんですけれど、ちょっと実力的に不安でございます。
その下にいる若くて優秀な人材を抜擢して、その人間に任せたいんですけれども、そうしたら、最初から任せている人がやりにくくなるんじゃないかと思います。
この処理をどうしようかといろいろと悩んでいるところでございます。どうぞ三峯の神様、いい方法がありましたらお教えください」
「六社目の株式会社□□□□ですが、ここでは業務提携をしようかと思っているんですけれども、どうも思うようにうまくいきません。
提携したいという会社はあるんですけれど、なかなかシビアな取引条件を言ってきておりまして、契約するのにちょっと不安を感じております。
何パーセントぐらいの資本提携で契約をすればいいのか、どうか一つお導きください、三峯の神様」
「七社目は、本社とのパイプを強化したほうがもっともっと調子よくいくんじゃないかと思っております。
情報も流れてくるし、販売台数も回してもらえるんじゃないかと思っているんですけれど、そうするにはどこからどうアプローチしていったらいいのかよく分かりません。
いま、考えあぐんでおりますし、攻めあぐんでおります。どういうふうにアプローチして攻めていったらいいのか、三峯の神様、どうか具体的に分かりやすいように教えてもらえますでしょうか」
「八社目に関してはこういうことがあるんですが……」と、それぞれの会社の問題点だとか、かねがね思っていることだとか、こうしてほしいなと思っていることだとか、できるかぎり具体的に突っ込んで申し上げるんです。
分からないんだったら、「どこから手をつけたらいいでしょうか。教えてください」と素直にお願いする。
心配なところがあるなら、「ここを心配しているんですけれども、どうなんでしょうか。どうしたらいいと、相談するような気持ちで申し上げればいいんです。
前日着いたわけだから、たっぷり時間があるうちにたっぷりとお話しして、翌日、ご神前でのハイライトシーンを迎えたら、「昨日、縷々お願い申し上げたことを一つ、よろしくお願いいたします」と、玉串奉奠のときに申し上げればいいんですよ。
あるいは神主が、「かしこみかしこみもまをす!」と奏上する祝詞に合わせて、「昨日お願いしたこと、一つよろしくお願いいたしますーーう」と言う。
そうやってお願いしておけば、お神酒をいただいて会社に帰ったら、神様に投げたものが全部返ってきますよ。
攻めあぐんでいるならば、「あっ、ここからこう攻めればいいんだな」ということがふと浮かんできたり、あるいは、従業員が突然神懸かって、「社長、本社との関係ですけれど、こういうやり方はいかがでしょうか」と、社員のほうから答えを出してくる。
若い人を抜擢したいんだが、そうすると昔からの人間がやりにくくなるんじゃないかと悩んでいた問題も、社員のほうが体調を崩して、「キミ、そんなに体調が悪いんなら、もっと元気のよい若い人にお願いせざるを得ないねえ。
じゃあ、○○君を抜擢して、キミの足りないところを足してもらうことにしよう」
「あ、社長。そうしていただければ助かります。医者にも、ちょっと体力的に難しいと言われておりますので」
「そういうことなら、○○君にやってもらうしかないね」と、自分が思った方向に向かっていく。
社あれば十社すべてがそういうふうにスーッと進んでいく。全部、神様がお智恵を与えてくださるんです。智恵を与えてくれるだけでなく、具体的に動いてくださるんですよ。
これはもう超能力者ですね。
「ウチの社長はなんて鋭いんだろう。なぜ、あんなに細かいところまで気がつくんだろう。大きいところから小さいところまで全部が頭に入っている社長は、まるでコンピュータみたいだな」と、全社員が思いますよ。そういう参拝をしたらそうなるんです。
神様だって、具体的に言わなければ全然分からないでしょう。だから、私は具体的に申し上げるんです。
たとえば、懸案事項が多かったら、三日前ぐらいから、「一つ目のあの会社はこれを、二つ目の会社はこれを」と具体的にお願いすれば、すべて聞いてくれますよ、神様は。とにかく具体的なことを神様にバーンと投げたら、具体的にバーンと返ってくるんです。
そうではなく、抽象的にただ漠然と、「会社のことをよろしくお願いいたします」と言うと、「一つ教えてあげよう。人事に気をつけろ」それだけで終わりです。
そんなもったいないような参拝をよくするな、と私は思うんですけれど、これが通力が出ない理由、霊感が発達しない理由、気配りが足りない理由、すみずみまで意識と神様との交流が行き届かない理由です。
「神様のことは何となく漠然とは分かるんですけれど、いまいちハッキリと分からないんです。ピタッと来るような感覚というか、体験がなかなか得られないんです」という人がいますが、そういう人は漠然としか神様に向かわないから、漠然としか神様から返ってこないんです。
具体的に、細やかに、しかも自分がハイになるまでぶわーんと向かえば、神様もぶわーんと受けてくれて、具体的に全部ぶわーんと教えてくれるんですよ。
素晴らしい参拝になるかどうかは神様に向かうこちら次第だ、という話を何度もしていますが、分かっているのか分かっていないのか、ただ漠然とお願いしている人がいまだに多いですね。それでは絶対に伸びない。それ以上の成長はありません。
くどいようですが、神霊との交流は具体的で、深くて、細やかで、そして大きな次元で向かう。これが大原則なのです。
たとえば、自分の会社が十社あった場合、「全体から見て、今後どのように進めていったらいいんでしょうか、神様」とお願いしたら、大きくとらえた視点から見た答えをポーンと与えてくれます。
心配なことがいっぱいあるなら、心配ごとを一つずつ神様に投げたらいいんです。そうしたら、一つ一つ全部、解決していきますよ。分かりますか。
天下国家のことをいつも思っていて、天下国家のことをお願いしたら、天下国家のことの答えが返ってくる。
すべてはこちら次第であって、大きな角度か自分の会社を見て疑問を投げかけたら、大きな角度からの答えを神様が与えてくれる。具体的な角度を持って神様に向かえば、具体的な答えが返ってくるんです。
会社の経営者なら、いま現在直面している懸案事項も解決してほしいし、未来はどうしたらいいのかという不安も解決してほしいと思うじゃありませんか。
そういうときには、懸案事項を申し上げたあと、未来について、「三峯の神様、わが社は三年後、五年後、いったいどうすればいいんでしょうか」と、お聞きすればいいんです。
十社あれば一社ずつ社名を挙げて、「三年後、五年後の課題は何ですか。それに対してどうすればいいんでしょうかと、十社の三年後、五年後、あるいは十年後の課題について、具体的にお伺いを立てればいいんです。
そして、「全体の像としてはどう持っていけばいいんでしょうか」と、三年後、五年後、十年後の全体としての見通しを尋ねると、三峯の神様は全体としての見通しを教えてくださる。
インスピレーションで教えられることもあるし、人の話からふっと浮かんでくることもあります。
そうやって、個々の会社の三年後、五年後、十年後の見通しに対する答えが全部返ってきます。
現在の問題が解決するだけでなく、未来のことも分かってきます。それによって、「わが社はこの先、こういうふうに取り組んでいくんだ」という指針がスパーンと出てくるんです。
「ウチの社長はじつに天才なんだ。社長の言うことやること、みんなズバズバ当たるんだ」となりますよ。
多分、松下幸之助さんもこうしてたんでしょうね。
現在の問題は必ず過去に原因がある
で、会社を運営していくうえで何らかの問題が起きたら、過去へ戻って神様に尋ねたらいいんです。
「これこれこういう問題が起きてしまいましたが、その原因はどこにあるのでしょうか。
過去の運営方針に問題があったのでしょうか。それとも、私自身の姿勢や性格に原因があるのでしょうか。三峯の神様、どうか教えてください」と、いま現在の問題を投げかけます。
問題というのは理由もなく起きてきません。やはり、過去の自分、過去の運営方法等に原因がある。
その原因は何なのか。それを神様にお伺いする。その結果、原因がはっきりすれば、同じ失敗や過ちは犯さなくなりますね。それが悟りになるわけです。
「なるほど、そういえば三年前に最新の機械を導入したけれど、あれが間違っていたのか。
ある人から話を聞いて導入したんだけれど、やっぱり人間の力でやっていたほうがよかったんだ」と。
あるいは逆に、「機械を導入しませんかというお誘いがあったのに受けずに、人間の力だけでやっていたのが間違っていたんだな」と。
「機械にしろ何にしろ、導入するには時期というものがあり、運用の仕方というものがあるのに、それを知らなかったんだ、知識とノウハウが足りなかったんだな。次回は必ずこうしよう」と。
そういうふうに、同じ失敗は二度と繰り返さないという悟りが出てくるんです。
あるいはまた、「あのとき、社員に厳しく注意しなければいけなかったのに、適当にお茶を濁すだけで済ませてしまった。あれがいけなかった」とか、「やさしく言わなきゃいけなかったのに厳しく言いすぎた。
今度同じようなことがあったら、必ずやさしく言おう」というふうにして心に焼きつくから、悟りの叡智が生まれてくるんです。
「三年前のこれがいけなかったんだな。こうすべきところだったのに逆をやってしまった。それが原因だ。あのときの判断ミスがなかったら今日の問題はなかったんだ」と。
「ああ、なるほど。未熟だったな。浅はかだったな。我が出てたな。油断してたな。傲慢になっていたな」と反省する。反省すべき答えを神様が与えてくださるから、人間的に進歩向上していくわけです。
そういうふうに神様に向かっていかなければ、いついかなるときに悟りが得られるのか、自分の内面が向上していくのか。過去のどこがいけなかったのかという分析もせずに、ただ漠然と、「一つ、会社のことをよろしくお願いいたします。一つ、家内安全のことをよろしくお願いいたします」というコミュニケーションしか取らない人間が悟りを開くなんて、絶対にあり得ませんよ。そう思いませんか。
会社の経営には、過去、現在、未来しかありません。過去の失敗を反省して、現在の問題を解決し、それをステップにして未来への布石を打つ。
この三つしかないじゃありませんか。
それをお祈りしていたら、そんな五分か十分か、三十分か、一時間か、二時間で終わりますか。私の場合は最低でも十五時間は必要ですね。いっぱい経営してますからね。
会社だって幾つもあるし、しなきゃならないことがいっぱいあるし、日本もあれば外国もありますから。祈り疲れて、へとへとで寝ますよ。
元気いっぱい、集中力をもってお祈りしなければいけない。
すべてのお祈りが終わらないうちに寝てしまうと、その分だけやっぱり抜けてますよ、気配りが。だからもう、起きているときは祈りっぱなしで、その代わり、いったん寝たらなかなか起きないようになりますね。十五時間お祈りしたあと、ようやく寝るんですからね。
絶えず祈っていたら、絶えず智恵がやってくる。すなわち霊能力とか超能力とか、直感力とか気配りとか、悟りがやってくる。ひと口に霊能力とか超能力といいますが、その事がらに関心を持っていなければやってこないんですよ。
何となくボーッとしていたり、別な方向に心が向かっていて、その事がらに対して次々次々と突っ込んでいかなかったら、意識が向かっていない分だけアンテナが張られていないから、叡智ってやってこない。
直感もひらめきも、霊感も超能力も、予知力も未来への指針の先見性も、過去の悟りも反省も、絶対やってこない。
意識を向けたことしかやってこないんですよ。意識を深く向けていくと深いものが分かってきて、大きく向けると大きいところで分かってき細やかに向けると細やかに分かってきて、幾つも向けると幾つも分かってきて、高い視点から見たら高い視点のものが分かってくる。
そこを、日常生活の中でどう工夫していくのか、どう神様に向かっていくの自分をどう持っていくのか。
神様に祈っても、自分の内面に合った分しか返ってこないんですから、同じ参拝するのなら、より大きく、より小さく、そしてまた細やかで具体的で数多く、過去のこと、現在のこと、未来のことをいっぱい祈りの中で投げかけてから参拝しないと損でしょ、同じ参拝をするのであれば。
プロのプロたる所以
時々刻々、歳を取っていくんですから、そんな漠然とした普通の人生を、普通に送っていて、人より秀でた結果が出てくるわけがありません。
神なるものを深く、そして高く、大いに体得できるはずがない。
こちら次第なんだということは、そういう意味なんです。
これ以外の極意はないと思いますね。プロはここ一番という本番のために、自分を調節するのがうまいんです。
本番でベストな演奏、ベストな演劇、ベストなパフォーマンス、ベストな打撃ができるために、絶対に手を抜かない。
私はイチロー選手が好きで、毎日毎日イチローのことで頭がいっぱいなんですね。誰かに子どもが生まれたりしたら、イチロー君、ニロー君、現役君とか、名前をつけてあげようかと思うんですけれども。あれだけの記録を出すにはもう、いつもベストコンディションでなければ無理ですよね。
それには彼なりの工夫があるはずで、彼は体が固いから一生懸命に柔軟体操をして、ここ一番の本番に備えているんです。
その結果、絶対に人よりも秀でた結果をバーンと出す。これがプロです。プロは調節がうまいんです。
歌手でも体をほぐしたり、声をならしたり、あるいは蜂蜜をなめたり、筋肉をつくったりする努力を絶対に欠かしません。
感情移入が要るなら、一人で静かに感情移入する準備をしています。
また、バレエのマイヤ・プリセツカヤさんなんかも、本番の前には誰も部屋に入れないで、三十分か四十分、一人でじっと瞑想というか、祈りを捧げているらしいですよ。
それで本番はバーンと成功する。何回やっても本番で成功する人は、必ず本番の前までに調整をしています、心とイメージと体力の感覚をね。
それがプロです。
本番で結果を出さなければならないんですから。
神様の前に出ていく、いわゆる神のお取り次ぎのプロは、本番のその一瞬のために自分を調整することが上手なんです。
神事とか祭りは短い時間ですけれど、それまでの間にどう自分を調整して持っていくのか。これが上手で、決して侮らない。
だから、十回やったら十回とも成功する。念入りな調整をしているから、本番の大事なときに必ず神様がお出ましになるんです。
そこを侮ったら、十回のうち一回か二回は失敗する。しかし、毎回成功し、毎回冴えているという人は、毎回絶対に手を抜かずに調整を入念に、しかも丹念にやっているんです。
会社でも新製品を発表したり、あるいは社員の前で訓示をしたりすることがありますよね。
そういうとき、皆さんはふだんの三倍、神様に向かっていかなければいけません。本番前の入念なチェックというのはそういうことで、絶対に侮ってはいけない。目に見えない準備を丹念に丹念にやっていく。
そうやって本番に向かっていくことのできる人が本当のプロです。準備が入念だから本番はいつでも成功する。そこが甘い人はやっぱりアマチュアです。
いいときがあったり、よくないときがあったり、まあまあのときもあれば、冴えているときもある。
これ以外の極意はありません。細かく言えば幾つもありますが、本質的にはこれしかありません。
私がいま申し上げたことをヒントにして、皆さんは皆さんなりの参拝の仕方を工夫していただきたい。
一番バーンと来たという体験の中から自分に合ったやり方を開発していただきたいと思います。でも、この原則が分からなければ永遠に分かりません。指摘されなければ分かりませんよ。
それが分かったら、参拝時間を午後六時ぐらいにしてほしいでしょう。
三峯の神様は、バチーンと結果を出してくださる神様なんですけれど、いまの話を 聞かなかったら、「ああ、今日はすがすがしい参拝でしたね」で終わったでしょうね、多分。
「足りないところ」と「足すところ」を祈る
いままで神様からの証があまり出なかった、という人もいると思いますが、これが分からなかったからできてなかったのです。
今日からは、参拝の心構えをがらりと変えなければいけないですね。
たとえば、「大きいところと深いところを教えてください」とか、それから、会社を一つだけやっている人なら、「会社を二つにし、三つにするのにはどうしたらいいでしょうか、また、売り上げを二倍三倍に上げるのにはどうしたらいいでしょうか。どこが足りないのでしょうか」と祈りますね。
売り上げを二倍にしたいという場合、売り上げが二倍になりますようにと祈ったのではダメなんです。
ある日、目が覚めたら売り上げが突如として二倍になっていた、ということなんかあるわけないですよ。
瞬間風速的に二倍になることはあっても、何の努力もなくてコンスタントに売り上げが二倍になることは絶対にありません。
だから、「売り上げを二倍にしたいんです。何とかしてください。二倍にするにはどこが足りないのか、教えてください」と祈らなければいけない。
つまり、「足りないところ」と「足すところ」しかないんですよ。
だから、売り上げを二倍に増やしたいんなら、「三峯の神様、何が何でも顧客数を二倍に増やし、売り上げを二倍にして、利益も二倍にしたいと思います。そのために、足りないところを教えてください。いまやっているところのどこが足りませんか。どこが足りないのか教えてください、三峯の神様。それから、どういう努力をしなければいけませんか。売り上げを二倍にし、利益を二倍にして、顧客数を二倍にするのには、どういうふうな努力をしていったらいいんでしょうか。しかも、二倍になりつづけて、それがまた三倍になり四倍になっていくためには、どういう努力を私はしたらいいのか教えてください。教えてくれたら、そのとおりに実行しますから」
私だったらそうお祈りします。
ただ単に、「二倍にしてください」とお願いしても、神様は聞いてくれませんよ。努力が要るんです。
「どういう努力が必要なのかを具体的に、できたら今週中に教えてください」さらに追い込んでいくときには日切りしますよ、神様に。朝はっと目が覚めたときとか、取引先で話をするときとか、従業員とミーティングするときとか、奥さんと話してるときとか、子どもと遊んでいるときとか、何でもいいから、どういうときに教えてください、とまで指定しますよ。
「どういうふうにしていったら売り上げが二倍になるのでしょうか。どういう努力が必要か教えてください。
私にやれることで、できたら短期的にはこれ、中期的にはこれ、長期的にはこれというふうに、短・中・長と出していただいたら、もっとありがたいです」
こういうふうに神様を追い込んでいきます。
「足りないところはどこでしょうか。どこが原因で売り上げが伸び悩んでいるのか教えてください。
しかも、具体的にはっきりと教えてくださったら、具体的にはっきりと努力いたしますので、一つお願いいたします」というふうに、毎晩一時間ぐらいお祈りします。
そうしたら、三峯の神様が必ず教えてくれますよ。
