必ず奇跡の起きる経営 深見所長講演録11(Vol.3)

七色八色に祈りのレパートリーが増えていく

これがまた別な神社の神様だったら、別の見解があります。神社の神様は見解が少しずつ違いますからね。三峯は資金繰りの神様だと言っておりました。

資金繰りといっても、伊邪那岐、伊邪那美の神様だから資金繰りだけではありません。神を生み、人を生み、青人草を生み出したまえる神様、つまり、生み出しの神様だから、いま言ったようなお願いでいいと思います。

資金繰りはご眷属の白犬さんがやってくれます。

それから四足退散、憑きものをスパーンと落としてくれます、三峯の神様は。変な取引先があったらスパーンと切ってくれる。

ここは、キツネ憑きとか動物霊が憑いている場合の四足退散ということで昔から有名なんです。憑きものをスパーンと落とす。

実はいま、いままでいいものがつかなかった原因を落としてるんですけど、それはまあ細かいことでして、原則としてはいま申し上げたようなお祈りの仕方でいいのではないかと思います。

神社の神様はそれぞれに特色があります。それをわきまえて参拝すれば、その神社の神様の得意とするところの視点からまた教えてくれますから、いろいろな角度からいろいろな智恵が湧いてきますし、いろいろな悟りが出てくるでしょう。

さらに、そこの神社にご縁のある人が寄ってきます。そういうふうに神社の数が増えていけば、七色八色に祈りのレパートリーが増えていきますよね。

ですから、神社へ行くのがもう楽しいですね。しかも、お参りするまでの時間が長かったら、いっぱい祈ることがありますよ。

一つの会社をやっていて、「さあこれから」というときを迎えたら、そうやって祈らなければいけません。

私自身、そのように祈りつづけてきたし、そうしたらそのとおり教えてくれましたから、次々次々と売り上げを伸ばす方法が湧いてきました。

それから、足りない原因が分かってくるから反省して、今度はこうしていこう、と。

そしてさらに、次はどうしたらいいんだと、また神様に向かっていく。するとまた返事が来る。その返事にしたがって、また新たに挑戦していく。

これがご神霊との交流であり、やりとりですよ。皆さんのは全然やりとりになっていない。

神様にお願いして、「あっ、お蔭があった。よかった」と。それではあまりにも素人っぽいし、あまりにもありきたりで、あまりにも普通ではないですか。

「今日はすごくお天気がよく、すがすがしく参拝できました。景色もよかったですね」と。

景色を見るために参拝に来ているのか。すがすがしい朝を迎えるために参拝に来ていたのか。直会でおいしくいただくために参拝に来ているのか。

みんなの気持ちが一つになるために参拝に来ているのか。そうじゃないでしょ。

神様に動いていただいて、目に見えざる神威、霊威をいただいて、目の前の問題を解決するために来ているんでしょ。

素晴らしいものを授かって、神様に動いていただくという御稜威とご神徳を現していただくために来たんでしょ。

今日からはもう、この分野に関してはプロになっていただきたい。あるいはプロを目指して努力していただきたい。再びそういうアマチュア的な、観光的な、世間一般の人が普通にやるような参拝はやめましょうね。

ということで、もう二時になってしまいましたけれども、ここでもう一つお話しいたします。

深見流集中力の高め方

前にもお話ししたかもしれませんが、神社に参拝するときには、ご飯は食べないほうがいいんです。

私なんか、神様に向かうときには、朝・昼・晩、三食食べないことがあります。

お腹が空いているときのほうが集中力が高まりますからね。特にお昼ご飯を食べたあとは、絶対に気が引き締まりません。血液が脳みそに行かず胃に集中するから、頭がボーッとします。

それでは、楽しい参拝はできても、ご神霊との交流はできません。

しかし、どうしてもご飯を食べなければならないこともあります。そういうときには、なるべく控え目にする。

「えーっ、先生、食べる前にそれを言って「ほしかった」と思うかもしれないけど、「しまった、食べ過ぎた、いまから神様に向かうのにこれでは引き締まらない」といったときどうしたらいいかというと、満腹時であっても急激に集中する方法があるんです。まあ、細かいことですけども、私の調節の技術。

それは何かといいますと、まず口を真一文字に結ぶ。一文字にこだわることはありません。奥歯をちょっとかんで、口をつむるんです。

奥歯をかんで口をつむりながらリラックスできないですよね。だから、奥歯をかんで口をつむるんです。

集中すれば集中するほど口を大きく開けるという人っていませんよ。

集中するときは口をつむりますよね、みんな。こうやって奥歯をかんで口をつむると集中力が高まります。

それから眉毛。集中しているときに眉毛が垂れている人もいません。八の字眉毛をすればするほど集中してくる人なんていないですよね。

集中しているときには眉毛は必ずV字型になっています。毘沙門天でも不動明王でも眉毛はV の字です。

だから、奥歯をかんで、口をつむって、眉毛を上げて、次に肛門を引き締める。肛門にグーッと力を入れて気が漏れないようにする。

要するに、気を上と下から追い込むわけですよ。上と下から追い込んだら、今度は腹筋に力を入れて、ぐっと腹を下げる。

そして前かがみになる。食べた物がうっと出そうになるかもしれませんけどね。そして、手をグーッと握ってみる。そうして、「神様~」と祈るんですよ。

そうすると、満腹時でも急遽集中できる。要するに、胃の中に食べ物が入って、血液がそこに行ってるからリラックスするわけです。

だから、集中したときの形から入っていく。口をつむる、奥歯をかみ締める、眉毛を上げる、肛門を引き締める。そうやって上と下を閉じたら、今度は腹筋に力を入れて前かがみになる。

これを五分か十分つづけますと、ぐーっと集中力が戻ってきます。一番いいのはご飯を食べない。

そして、参拝が終わったら、「いやー、終わった」ということで直会でいっぱい食べたらいいんですよ。

お参りが終わったあとは直会でにぎにぎしく神様と共にいる。

これが静と動の使い分けなんです。静と動の使い分けと緊張と弛緩の使い分け。そうすると五分か十分で急にばっと集中できます。できたら空腹のまま厳粛なお参りをするのが一番ですね。

そういうことで皆さん、満腹時の集中の方法をヒントにして、いまから参拝に行きましょう。これを聞いてから行くのと聞かずして行くのでは全然違ったと思いませんか。

参拝が終わってからセミナーが始まるのではないんです。参拝までがセミナーなんです。あとはもう神様がなさるから。

はい、それではおトイレに行って調整をしてから、ご拝殿に向かいましょう。おトイレへ行ってる間でもブツブツブツブツ言っていいんですよ。

待っている間もずーっと言っていていいんですよ。

いま申し上げたことを、「かしこみかしこみ、よろしくお願いいたします!」と言う。待っている間もただ黙って待っていることはない。時間がなかったら早口で言ったらいいんです。

時間がなかったらなかったように応用調整。満腹になったら満腹で、それか挽回できるんですから。

要は、玉串奉奠か祝詞奏上の「かしこみかしこみもます!」と言うその瞬間にバーンとスパークすること。そのために、いかに自分を調整するかということがポイントなんです。

はい、それではこれで話を終わりまして、参拝に向かいます。

神懸かり経営の大原則 ~ 平成15年10月28日 東京・西荻窪~

神道における世界観とは

今日は、「われわれには神祭りの経営しかない」というテーマで講義をしたいと思います。

「われわれは」という場合の「われわれ」とは何かというと、「特殊な信仰を持っている人間」ということなんですね。

それでですね、神道の世界観ということについて、少し解説しなければと思うんですけれども、近々、神道国際学会から本が出ます。

私もその本の中で、伊勢神宮で皆さんにお話しした内容を加筆して掲載しておりますので、それを読んでいただきたいんですけれどもね。

それはそれとして、神道の世界観について少し講義をいたしますと、私はずっと國學院大學の上田賢治先生の授業を受けておりました。

上田賢治先生は先お亡くなりになったんですけれど、國學院大學の日本文化研究所所長をされているときから何度も何度もお伺いしては、質問しておりました。一回行くと

五時間も六時間もずっと質問しっぱなしで、「私の書いた「神道の理解」の考え方、どうですか。

おかしいところがあったらおっしゃってください」と申しましたら、「いや、どこもおかしくない、正しいですよ」と言っていただいたんですけどね。

で、この神道の世界観とはどんなものか、ということを申し上げなければならないのですが、その前にキリスト教の世界観というのはどのようなものなのか、仏教の世界観とはどのようなものなのか、これについて簡単に触れたうえで、神道の世界観と比較をしてみましょう。

まずはキリスト教の世界観ですが、旧約聖書の創世記には、造物主が六日間でこの宇宙をおつくりになり、地球をおつくりになった、と書いてあります。

六日間の突貫工事で、七日目に安息された、と。キリスト教の場合には、それがこの世の始まりなんですけれど、終わりの日がある。

世の終わりがやってくる、というのがキリスト教の教えです。名古屋のほうはずっと終わり(尾張)ですけれども(笑)、始めがあり終わりがあるんですよ。

これがキリスト教の世界観。神様がつくって神様が滅ぼす。

まあ、そこに救いがあるわけですけどね。

では、仏教の世界観はどうかといいますと、何か知らないけれども世の中はあった、と。

混沌としているものがあった、ブラフマンがつくった、と。

それがずっとつづいていって、始めもなく終わりもない。いつの間にかあって、いつの間にかつづいていく。

しかし、世の中のものはすべて移り変わっていく、常なるものは一つとしてない、これが諸行無常。

そして、あらゆる物事には実体がない、形あるものはやがて壊れていくんだ、と。

これが諸法無我。だから、この世のものに執着せずに、永遠に変わらない真実を求めなさい、という涅槃寂静。

この三法印ですね、仏教は。仏教はまあ、カースト制度という厳しい身分制度の中から生まれてきましたからね。

そういうことで、キリスト教の世界観は始めがあって終わりがある。仏教は始めもなく終わりもない。

では、神道の世界観はどうなのか。結論からいうと、始めがあって、但し書きつきで、世はつづく、というのが神道の世界観なのです。

要するに、宇宙は混沌として、天地初めて焚けし時、初めに天之御中主が現れて、次に高御産巣日、神産巣日、と。

そして、海月なす漂える国に宇摩志阿斯訶備比古遅とか、それから天之常立、国常立が現れて、やがて、伊邪那岐、伊邪那美大神が現れた、と。

そして、伊邪那岐、伊邪那美大神が神様を生んで、国を生んで、青人草を生んだ、と。

青人草というのは人間のことです。つまり、伊邪那岐、伊邪那美が、この世をつくったんです。

で、終わりはどうかというと、天照大御神のお孫である瓊瓊杵尊が降臨するとき、天照大御神は瓊瓊杵尊に鏡を授け、「この鏡を我のごとく拝せよ。そうするならば天壌無窮、天壌窮まりなからん」と言った。神武天皇の東征のときにも、「この鏡を天照大御神様のごとく思って、ずっと拝みなさい。そう天壌無窮ですよ」と。

すなわち、鏡を拝むことが天照大御神をお祭りすることであり、その御祭りをしているかぎりは天壌無窮ですよ、ということなのです。

じゃあ、お祭りしなくなったらどうなのかというと、どうなるか分かりませんよ、と。これが但し書きつきということなんですね。

で、「この鏡を我のごとく拝せよ」という場合の「我」は、一人称と二人称の二種類があります。

たとえば、「自分はいいけれど、自分、ご飯食べる?」って、「あなた」のことを「自分」と言ったりするでしょ。

大阪の河内のほうに行くと、「我も食うけど、我、食うけ?」なんて言いますね。

まあ、柄が悪いと言われていますけれど、そのように「我」には一人称と二人称の二種類があって、「この鏡を我のごとく拝せよ」という場合、「自分を見ているがごとく「拝しなさい」という意味にもなります。

これを自霊拝といいます。山陰神道や伯家神道、要するに、皇室神道では八角形の真澄の鏡を見て自分の霊を拝し、自分の御本霊を磨きなさいと言っていますが、これが自霊拝なんです。

まあ、こういう説もあるんですけれども、一般的には、「この鏡を私、すなわち天照大御神の代わりと思って拝みなさい。そうしたら天壌無窮。天壌窮まりなからん」というふうに解釈されていて、これを天壌無窮の神と呼んでいるわけですね。まあ、神道の最も基本的な考え方です。

だから、その御祭りをしているかぎり、世の中が永遠につづいていくよ、というのが神道の世界観であり、天皇の御代も御代ですし、あるいはこの社会もそうですし、会社というものも代です。

自分の一生もそうですし、地球もそうなんです。代というのはいろいろな意味があります。

天皇様一代の人生とかご治世治めているその時代、その王朝、これも代ですね。経営者だったら、自分が経営している会社も代なんです。

ユダヤの幡祭と伊勢神宮の祭り

そのような世界観で、但し書きつきですから、御祭りをやらなかったらばどうなるか分からない。

逆にいうと、御祭りさえきちんとやっておけば大丈夫だ、ということなんです。ですから天皇様の一番のお役割は、御祭りをすることであるわけですが、実はダビデ王もそうでした。

ダビデ王は契約の箱が来たときにもう大喜びで、はしゃぎにはしゃいで踊っている。

それを見た奥さんが、「契約の箱が来てうれしいからって、そんなに踊りまくっていると品がないし、権威がないからやめなさいよ」と諌めたらしいんですけれど、「いや、うれしいんだからいいじゃないか」と、ずっと踊っていたというんですよね。

だからダビデ王は、王であると同時に契約の箱をお守りし、お祭りする祭司でもあったわけ。プリースト・キング、祭司王です。日本の天皇にそっくりですね。

しかも、伊勢神宮の建立二千年は、ダビデ王のイスラエル建国三千年の年に当たるんです。

イスラエル建国三千年の年と、伊勢神宮建立二千年の年が同じなんです。ということは、伊勢神宮の建立一千年記念は、イスラエル建国二千年記念であるわけで、伊勢神宮ができた年は、イスラエル建国一千年記念の年だったんですね。

中臣氏とか忌部氏とか、日本に流れ着いた古代ユダヤのちは当然そのことを知っていますので、ダビデ王の建国一千年目に伊勢神宮をつくったんです。

それから、ユダヤ教には燔祭というのがあります。

これは要するに、イスラエルの神殿でやるお祭りのことで、羊の肉とか野菜とかをぐつぐつぐつぐつ煮て、ご飯をつくって、それを毎日毎日、神殿に供えておったわけです。これを燔祭というんです。

一方、伊勢神宮のお祭りはどうかというと、外宮の神様、すなわち地球の主宰神である豊受の神様が毎日毎日、毎日毎日つくるご飯を内宮の神様にお供えする。

食事をつくってお供えする。伊勢神宮には年間、二百数十のお祭りがあるんです。そのお祭りすべてが、食べ物を供えるというお祭りなんです。

だから、イスラエルの神殿のお祭りと伊勢神宮のお祭り、まったく同じです。

ただ、石の建築か木造建築かの違いがあるだけです。

神主の衣装もそっくりです。実は、伊勢神宮というのはダビデ王を拝んでいるわけなんですけどね。

そういうことで、神道とユダヤ教の世界観は非常によく似ていて、御祭りをしていれば御国は大丈夫だという考え方と、契約の箱によってイスラエルの国が守られるという考え方はイコールなんです。

これは神霊界にあることで、私たちのDNAにインプットされているわけですね。

神祭り経営の原則

ですから、我々には神祭りの経営しかないわけでして、下手の考え休むに似たりっていうではないですか。

下手な理屈は祭りにしくはない、と。つまり、お祭りをする以上に優れた経営のポリシーはない、と。

もちろん現実界では、財務管理、労務管理、販売管理、それから資金調達、税金対策の経営の五本柱をやらなければいけません。

会社の経営というのは、この五つをバランスよくやらなければいけないんですけれども、こんなのは誰だってやれます。

それさえできないようではもう論外ですけど、経営の五つのを実践していくなかにあっても、当然競争があり、調子のいいところもあれば、調子の悪い企業だってあります。

また、うまくいく人とうまくいかない人がいます。やっぱり気運とか機縁というものに大きく影響されるわけです。

人として一生懸命に努力して、感動してキウンとするとか、嫌な思い出が全然消えんとか、いろいろあるわけです(笑)。

よき人との出会い、よき商品との出合い。それらをもたらす端緒、気運、機縁が出てくると何をやってもうまくいくようになる。

もちろんその前提として、何度もいうように人の三倍努力しなければいけません。

実際には、徹底して人の三倍努力する人もいれば、まあ、こんなもんでいいだろうと適当にお茶を濁して済ます人もいます。

そういう努力する姿勢プラス端緒、気運、機縁を総合したものが実力だと思うのですが、それはどうやって生まれてくるのか。

人の三倍努力するのは当然として、もしその努力を怠っていたときに、努力しなければいけないということを、神様に守られている人ならば、たとえば、コーヒーショップでコーヒーを飲んでいたら、自分の会社の従業員が向こうのテーブルで飲んでいて、自分のことについて語り合っているのが、たまたま聞こえてきた、と。

「ウチの社長、最近ふらふらしていて大丈夫かなあ、業績がこんなに落ちているというのに。ちょっと見方が甘いんじゃないか」

「たしかに近ごろはちょっと甘いよね。昔はもっとシビアだったんだけどな「あ」

「誰か、忠告する人がいればいいんだけどな。まさか、俺たちから言うわけにもいかないしなあ」

たまたまコーヒーを飲みに行ったら、社員がそういう会話をしているのが耳に入ってきて、「ああ、そうだったのか」と反省して、フンドシを締め直した、

経営者といっても人間のことですから、調子のいいときもあれば悪いときもあります。

また、締まっているときもあれば弛んでいるときもあるわけですが、調子の悪いときや弛んでいるときでも、神様から守護されている経営者は、ハッと気づかされるわけです。

これが、神様から守られている経営者と守られていない経営者との大きな違いですね。

まあ一つのたとえですが、これが「われわれには神祭りの経営しか「ない」という神祭り経営の原則なのです。

繁栄を約束する清荒神方式

では、具体的にどうするのがいいのか、ということなんです。

私はもうずっと、「神祭りを専らとするんだ!」と言いつづけてきましたけれど、典型的な実例として清荒神方式を皆さんに紹介いたしましたね。清荒神方式、知らない人はいないと思うんですが、清荒神さん、宝塚にある平安時代からの名刹です。

しかし戦後は、もうずーっと荒廃していて、参詣者も来なくなった。

それで、どうしたら皆さんに来ていただけるかといろいろなことを考えたし、いろいろな手段も考えた。お祭りをいろいろと考えたり、土産物を考えたり、お札を考えたり、イベントを考えたり、チラシや広告を打ったりというふうに、あらゆることを考えたわけです。ところが全然人は来ない。

それでどうしたかというと、まあ真言密教の、神仏習合のところでもありましたので「お勤めの原点に返ろう」ということで、清荒神の先代の管長が一四時間お祈りすると決めたんです。毎日毎日、毎日毎日、その日参詣に来た人たちの祈りを四時間しようと決心したわけです。

また、歓喜天修法っていうのもやり始めて、参詣に訪れた人たちがみんな幸せになりますように、縁談も成就し、仕事も成就し、また家族円満、一攫千金ってなこともありますように(笑)、ということでお祭りを始めたんです。

で、仏教関連の会合が東京で二日あるときは、四時間プラス四時間で、合わせて八時間の祈りができなくなります。つまり、八時間分の空白ができてしまうわけです。

そういうときには前倒しして、四日前から六時間ずつお祈りするんですよ。

四日前から二時間足して一日六時間。そうやって八時間抜けた分を足していくわけですけれども、それをいかなることがあっても徹底したというんです。簡単なことのように思えるんですけれど、徹底して継続するというのはとても難しいことですよね。

イトーヨーカ堂の社長の本にも、「簡単なことを徹底してつづけることが難「しいんだ」と書いてありましたけれど、当たり前のことなんだけども、それをいかに徹底してやるのか、いかに徹底しつづけていくのか、が本当に難しいわけです。

清荒神の管長さんの場合もいろいろと試練があったんだろうと思います。しかし、そうやって徹底してつづけていったら、一人また一人と参詣にやってくるようになって、しかも、来たら必ずご利益がある、必ず霊験がある、ということで、それが人から人へと伝わって、参詣者がどんどん増えていったんです。

私たちが研で初めて清荒神さんに行ったときに、受付でご祈祷の申し込みをしていたら、「私たち、これで三代つづいているんです。お祖父ちゃんと私と孫で三代つづいているんですよ。荒神さんにお参りしたら必ずご利益がありましてね」という話をお聞きしたんです。ですからお祭りのときには、清荒神駅から人の列でびっしりですよ。

先代の管長さんが一日四時間のご祈$79B1を徹底してつづけてきたお蔭で、人が絶えないような、繁栄する荒神さんになったわけ。

いまでは、「清荒神ここにあり」といった感じで、みんな誰でも知っています、関西ではね。

先代の管長さんが九十何歳かでお亡くなりになったあとは二代目の管長が後を引き継いで、その精神を継承して一日四時間、ずっとつづけています。

だか荒神さんへ行くと、いまなお必ずご利益があるということで、人が絶えないわけですね。

富岡鉄斎の作品を集めて、鉄斎美術館があるのでも有名です。

ま、これが清荒神方式です。すべての神社仏閣、すべてこの清荒神方式で統一できると思うわけですね。この話、昔からいる会員さんは聞いたことがあるでしょう。

清荒神方式に徹すると何が起きるのか

その話をつねに言って聞かせていたわけですけれども、関西エリアのスタッフが清荒神方式を始めました。

毎月、一日と十五日にはもちろんのこと、ずっと御祭りをしてきたんですけれども、なかなか関西エリアでもいろいろと行き詰まりがあって、あっちがよかったらこっちがダメだったり、こっちがよかったらあっちがダメとか、とにかく、ちぐはぐちぐはぐしておったわけです。

建物の家相もよくなかったんで、少し改装しましたところ、ずっと気の流れがよくなりました。

で、一日と十五日のほか、八のつく日は三宝荒神祭、四のつく日はなぜか菊理姫祭と自分たちで勝手に決めて始めたんですよ。

四のつく日が何で菊理姫と関係あるのか知りませんけど(笑)、日程に空きがあるからということで御祭りを始めて、ずっと継続していったわけです。そ

うしたら、要するに気運が出てきて、次々次々次々次々と、みんなもやる気が出てきて、チャンスが出てきて、入会する人も増えたし、問い合わせもどんどん増えていったんです。

そういうふうにやり始めたんですけれど、あるときは、支部の支部長と支部の人たちの名前を全員、神様に順番に奏上して、「この方たちがみんな幸せで 繁栄しますように」と、お祈りするわけですよ。皆さんだったら取引先の名前ですね。取引先の社名と社長の名前ですよ。

関西のスタッフは、支部の数が百幾つあってもずっと祈るんだ、と御祭りを始めたら、どんどんどんどん支部が繁栄していったわけです。

それを聞いていたたちばな出版のX君は自分で発願して、清荒神方式のお祈りを始めたんです。

営業で帰りがどんなに遅くなっても翌朝の八時半にはバチッと出社して、必ず朝礼をやる。

そして、営業から帰ってきたら今度は、毎晩二時間、九頭龍さんにお願いするんですよ。

三千軒の書店さんの名前を全部奏上して、書店さんの幸せと繁栄をお祈りしたわけです。

まあ、一万軒ある書店の中で八千百軒にたちばな出版のコーナーがあります。書店の売り場占有率は一・何パーセントで、圧倒的に日本一です。

売り場占有率とは、書店の売り場をわーっと占有している面積の率ですよ(笑)。これがもう、一・何パーセントで圧倒的に、断トツ日本一なんですよ、たちばな出版はね。一万軒あるうちの八千百軒ですから。

売り場占有率とキャンペーンの派手さとキャンペーンの継続。これらがもう、圧倒的に日本一ですね。

まあ、世の中にはいろいろな出版社があり、それぞれに特色があっていいんじゃないかと思っているんですけどね。

それはそれとして、X君は毎朝、どんなことがあっても定時に出社して朝礼に出て、それから営業に出る。

そして、ふらふらになって営業から帰ってきてから、八千百軒の取引先のうち、三千軒の書店さんの名前を一つ一つ読み上げるんですよ。読み終わるのに二時間かかるんです。

「何々書店、何々書店、何々書店、何々書店の皆さんが、心から喜び、感激し、納得して、繁栄していただきますように」

と、九頭龍さんにお願いするんです、会社に帰ってきてから二時間かけて。それが終わってから家に帰って寝るわけですけれど、もう半年以上つづけてますかね。

どんなことがあってもやりつづけるんだと言って、毎日頑張っています。

不可能を可能にする神祭り

私はいつもスタッフにお祈りするように言っているんですけれど、言うだけではありません。

私自身、つねに祈っています。霊障を受けて倒れているときでも祈っているし、何もないときも祈っているし、しゃべりながらでも祈っています。

ときどき逆になったりすることもありますが、いつも祈っていますよ。祈っていないときはもうないぐらいです。

とにかく、神祭りを専らとしてやっていく神道の世界観、および清荒神方式に基づいてつねにそういうふうにして、関西エリアでは一日と十五日のほか、八のつく日は三宝荒神、四のつく日は菊理姫のお祭りと勝手に決めてやっているんです。

X君は毎日毎日、九頭龍さんに三千軒の書店名を上げてお祈りしているんです。いまなおやっています。

で、東大の経済学部を出た子がいるんですけど、修業のつもりで関西営業所に行ってきなさいという辞令を受けて関東から関西に行ったんですよ。

そうしましたら、所長であるX君がずっとご祈願をやっているので、彼もまたご祈願を始めたんですね。

その子は東大を出ているくらいですから頭脳は明晰です。しかし無骨者というか、どうも口ベタなんですよ。

名刺一枚渡すにも、もじもじもじもじするくらいでね。食事に連れていってもほとんどしゃべらないんですよ。

「どう、おいしかった?」

「あ、おいしかったです……」

「何かほかに言うことないの?」

「はい、別に……」

じゃあというので、ものすごくおいしいところへ連れていったんですよ。「どうだった?」

「はい、言葉がないくらいです」

「言葉がないくらいって、いままで言葉があったんかいな。あまりのおいしさに、一層言葉がなくなりましたとか、何か別のことを言いなさい」(笑)

というくらい、言葉数の少ない子だったんです。ところが、その子がすごい実績を上げたんですよ。

その書店ではそれまで、誰が何回行っても断られるばかりで、絶対にたちばな出版の本を置いてくれなかったんです。

そこへその子が初めて行ったんですね。しかし、いつものように、もじもじもじもじしていたんですけれど、もうぶつかっていくしかないと思ったら、どこかで気持ちが吹っ切れたのか、ぺらぺらぺらーとしゃべれたと言うんですよ。そしたら、その書店が本を置いてくれたというんです。

それまでは誰が行ってもダメだった。何とかならないかとみんなで思案していたんだけれど、ロベタのその子が行ったら本を置いてくれた。

不思議でしょ。というのは、いつの間にか、その書店の担当者が会員になっていたんですよ。だから、「どうぞどうぞ」と、どこの書店よりも本を置いてくれるようになったんです(笑)。

それだけじゃありません。あっちの書店からもこっちの書店からも、「手相フェアをやってくれ。いろいろ評判を聞いたんですよ。ぜひ、ウチでも手相フェアをやってくれ」という申し込みが、関西の営業所では殺到しているらしいんですよ。

もうやることなすこと、いいことばっかり。そういうふうにして、たまたまたまたまたまたまたまたま行ったところから道が拓けていく。

それは一つや二つじゃないですよ。二十、三十、四十と奇跡が起きているんです。

だから関西はもう、ご祈願と実際の努力の両車輪ですべてがうまくいっています。

ああじゃないか、こうじゃないかとたまたま言ったことや直感が全部当たる。とくに関西エリアの責任者は女性なんですけど、エリアの責任者の中で圧倒的に優秀です。

何となく、「こう思うんですけどね」、「こんな気がするんですけどね」というのがみんなツボに当たる。私の代わりに代理参拝をお願いしても、彼女が行くと必ずバシッと神様が受け取ってくれる。

なぜなのか。つねに御祭りをしてるからなんです。

毎月五のつく日は事業繁栄の日

今日は皆さんに、事業繁栄の日を教えます。

それはいつかといいますと、五のつく日なんです。五日、十五日、二十五日。この五のつく日が事業繁栄の日なんだということです。

ちゃんとお榊をお供えして御祭りをする。別に神主衣装を着なくてもかまいません。

これまでずっと六のつく日を布教の日として、教えを弘めよう、縁を弘めようと九頭龍さんにお願いしてきましたね。

六のつく日、さらに、六のつく時間。ですから、六時、十六時は自分たちで毎日やっているわけです。で、事業繁栄をお願いするのは五のつく日。この日に一生懸命に事業繁栄をお祈りするといいわけです。

私も、そのように毎日、毎日、毎日つねに祈っています。だから、「あっ、こう来るな」、「こうなりそうだな」ということがパッパッと分かるわけ。

お釈迦さんの言った超能力の定義は教誠神通力です。私の「神界からの神通力」(たちばな出版刊)にも書きましたし、仏教辞典を見たら分かります。

教誠神通力とは何かというと、人間として努力し、努力したうえにも努力し、さらに努力のうえに努力をしていくと、直感力が鋭くなってくる。

その直感力をさらに研ぎ澄ましたものが超能力なんだ、そういう神通力が正しい神通力なんだ、と。

正しい神通力とはどんな神通力なのかといえば、そういう神通力です。お釈迦さんのいうところの正しい神通力ですよ。

では、会社の神通力、会社の社運というのはどうなのかといったら、御祭りによってたまたまたまたまたまたまたまたまという気運と機縁と端緒が生まれてきて、どんどんどんどん発展していく。

これが会社の神通力であり会社の運であって、そうなればもう天下無敵の神懸かり経営ですね。

神様に守られているから、ものすごい発展力と気運に満ち満ちていて、悪いものもやってこないし、もしやってきたとしても吹き払ってしまう。そういう会社になりますよね。

そのためには、五のつく日に事業繁栄を願って御祭りをしなければいけない。

すべての販売先が喜び、すべての仕入先が喜び、社員のすべてが喜んでくれますように、と。

そして、心から喜び、感激し、納得していただきますように、また来ていただけますように、というような商品が開発でき、サービスができ、お金のやりくりもでき、社員の生活も十分に満たされますように、と愛と真心で締めくくらなければいけませんよ。

改めていうまでもなく、それがお祈りの原則ですからね。