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おのれに喝! 深見東州 書言集
まえがき
「書道はどう見たらいいのか」と、外国人によく聞かれます。
一般には、「字形、線質、両義性(バランス)」と言いますが、最も大切なのは、墨気や気識生動です。また、書は、白と黒の芸術であり、余白の芸術でもあります。
筆の種類や運筆のリズムや速度、墨の濃淡による面白さもあります。
線質には、書家の人生の歴史と技術と熟練がにじみ出ます。しかし、まずはぱっと見て品が良く、作品が輝いていて、あたたかい気が感じられるのが、いい書です。これが、気韻生動なのです。
美術品としての刀剣の鑑定でも、最上のものは「暖潤味」のある刀です。
それが、刀を作った人の魂や命の顕れです。
書も同じで、究極の所は作品に宿る、書家の魂や命の輝きなのです。
その魂や命の輝きに、すがすがしくて瑞々しい、気品と暖かさがあり、さらに磨き抜かれた威光や味わい、力があふれていたら、それが最上の書でしょう。
形や線質も大切ですが、書芸術の究極は、やは←書に顕われた「魂の品格と輝き」です。
「命」とは、「魂の顕れ」と同じなのです。この事は、絵画でも文芸でも、芸術と名のつくものは、全て同じだと言えます。
ところで、日本の書道は、読売系と毎日系があり、読売系はオーソドックスできっちりした書です。
毎日系は伝統的な書もありますが、アートな作品や、独立系のように、文字の形をとどめない流派も包含します。
私は、西川寧先生の弟子である、女性の隷書家としては当代一の、竹中青琥先生に三十年以上習っており、謙慎展の評議員でもあります。
その前は、高校時代に田端曲全という、日展に何度か入選した先生に習いました。
私は高校の書道部の部長で、その高校の書道部の先生が、田端先生だったのです。
古文の先生でもありました。だから、どちらかと言えば、私は読売系です。
しかし、読売系のきちんとした書は、欧米人が見ると、全くわからないものです。書は、インターナショナルな部分と、そうでない部分があるのです。では、書はどう見たらいいのでしょうか。
最初に述べた結論を、もう少し具体的に述べてみましょう。
昔から、「気韻生動」ということが言われます。これは、六世紀に中国で初めて出された、画論にある言葉です。
絵や書などの気品や風格が、生き生きとして感じられることです。
これは、中国や日本でも、般的な言葉になっています。
もっと詳しく言えば、線質や作品から、作者の内面の気高さや風格がにじみ出て、生き生きとした、気や余韻が動いていることです。
つまり、深くてあたたかくて、部屋に飾っているだけで、作品の生命力が感じられるのが、書の究極であるというニュアンスを含みます。
また、日本では、書家の書は技術があって境地がなく、禅僧の書は、境地があって技術がないと言われます。
草書も行書、かなの「連綿」も、一般人には何を書いてるのかわかりません。ですから、一般人は境地と趣のある、禅僧の書にひかれるのです。
しかし、中国では書画同源と言い、優れた画家の書が一番いい場合も多いのです。これは、日本でも同じ傾向があります。
私は池大雅の真筆の「戎さん」などの水墨画を持ってますが、「心外無悟道」という、真筆の書も持ってます。
いずれも、奥深くて明るい気韻生動があり、境地と技術の両方を兼ね備えた、素晴らしい作品です。
ところで、桑原武夫は「俳句第二芸術論」を唱えました。俳句は、世界の人々に通ずる、普遍的な芸術ではなく、日本人だけのものであり、第二芸術と言えるもの。
小説は、第一芸術だと言えるものだという説です。その理論で言えば、書は国際性がある部分と、ない所があるので、第二芸術と言えるでしょう。そして、絵画は、第一芸術と言えるものです。
水墨画のように、ひとつの作品の中で、淡墨や濃墨を使うのは、読売系の書から見ると、邪道かもしれません。
しかし、私は書家であると同時に、画家でもあります。だから、自由気ままに書くのです。私が卒業した、中国の清華大学美術学院博士課程では、教授陣は皆書画同源と言い、絵も書も同じように捉え、皆さん自由自在に書いておられた。
指導教授の杜大愷先生は、酒を飲みタバコを吸いながら、皆の前で談笑しながら、見事な書の作品を仕上げます。
落款も、三つも四つも五つも押します。細かい所にとらわれず、全体のバランスと書の雰囲気、即ち気韻生動を何よりも尊重するのです。
私は、のけぞる程驚きました。今までまじめに、真剣に書の作品を書いてた自分が、あまりにもちっぽけな存在に思え、情けなくなりました。書芸術を、もっと大らかに、楽しく捉えるべきだと思った次第です。
一般に、中国では「絵」は色彩のあるものを言い、「画」は水墨画の事を言います。だから、絵画とはその両方を表わすのです。
そして、書画同源の見地に立てば、淡墨だけの書とか、濃墨だけの書とか、「書とはこうあるべきだ、あああるべきだ」という、固定概念にとらわれるのは、つまらない事だと思えて来ました。
絵と書が合体し、画と書が合体し、読売系でも毎日系でもなく、なんでもありの、中国系で行こうと思ったのです。
また中国では、日本の歴史にはあまりなかった文人画が尊ばれ、今でも文人の書が尊ばれます。そして、ヨーロッパ系の油絵と違う絵は、中国では国
画と言うのです。ちょうど、日本における日本画と同じです。それで、その
国画とは、今でも絵画と書が合体した、文人画が主流なのです。
この本に収録した作品は、書の作品として考えると、バランスや余白が、いまひとつだと思う人があるでしょう。
しかし、これらはすべて、ひらめいた言葉を数分間で一気に書いたものです。
全作品は、およそ六時間、ノンストップで仕上げたものです。書家としては、キッチリ仕上げたい所です。
しかし、余白やバランスを修正したり、書き直したりすると、最初に一気に書いたときの奔流のような気の流れが止まってしまい、あたたかみが消えます。
いくつか修正したり、書き直したりしましたが、やはり、形は良くても気韻生動が沈んだのです。
ですから、書家からみると、いろいろ改善の余地があると思うでしょうが、あえて修正せず、日本人の禅的文人の書として、発表することにしたのです。
禅僧とか、剣、禅、書を極めた山岡鉄舟などの書は、あふれ出るエネルギがあります。「一」とか、「〇」を書いただけでも、線質や運筆、墨気におもしろさがあり、飾っておくと、部屋が明るく元気になります。
書家の書は、つい真剣に見て重くなり、見疲れします。作品を書いた書家が、居ずまいを正し、真剣に書いたからでしょう。
そこに、人間の我を感じてしまうのです。五百年に一度の天才といわれる、臨済宗中興の祖白隠の書は、八十歳のときに書いた書でも、エネルギーに満ちあふれています。
そして、見るだけで安らぎ、元気が出るのです。リラックスして、気魂で書いたからでしょう。
さらに、白隠が書いた「秋葉権現」とか、「南無観世音」とか、「浅間権現」などの書は、ご神体として、人々が朝晩線香を灯して拝んでいたのです。
また、頭山満の長男の頭山立助という人は、病身で、その書はみみずの這ったような字でした。
しかし、墨気にやる気と内的エネルギーや、魂の力がにじみ出ています。当代随一の書の鑑定家と言われた横山天啓氏が、その書のあまりの素晴らしさに、五分間絶句したそうです。
昭和時代の臨済宗の禅僧(故)大森曹玄氏も、「「無為にして化す』という人物は、自分の禅の師匠と頑立助だけだった」と述べておられます。
教えて人をかえるのは、教育の第一段階です。第二段階は、背中で人に教える不言実行。第三段階は、「無為にして化す」なのです。
すなわち、その人に触れるだけで、おのずから人がかわるというものです。これを、書にあてはめると、こんな事が言えます。
「どんなにきれいな字を書いても、無為にして化すような、すなわちお札やご本尊のような書でなければ、真にすぐれた神品とは言えない」、という事です。
そこまで行かなくても、飾るだけで部屋が明るくなり、ハッピーになり、温かくなる書が、無為にして化す書だと言えます。
しかし、もちろん、境地だけでは書道の流派は成り立ちません。だから、書家はそこをめざして技術を修めるのですが、なかなか、境地や魂や悟りの修得までは、行かないのです。
だから、技術はあっても、境地がないと言われるのです。そのことが解った上で、書家の書を楽しみ、学ぶ必要があるのです。
ところで、今回の書は、すべて水鳥の羽根の筆で、和紙ではなく画用紙に書きました。水鳥の羽根は、ふわふわして、水に濡らすとくにゃくにゃになります。
だから、まっすぐな線を書いても、蛇行するのです。それで、なかなか思い通りの線は書けません。が、気合いと気持ちがのると、思い通りに線が書けるのです。
その、思い通りに行かないアンジュレーションに、境地がにじみ出て、書としてのおもしろみが生まれます。
ところで、黄檗の三筆といわれる、元木庵、即非のうち、三人全ての真筆を持っていますが、私は特に木庵が好きです。
木庵の「夢」という字は、長い筆ですーすーと書かれ、止めがないのです。形とか、余白は「何だ、これ」というような字ですが、山吹色のエネルギーに満ちて、品格があり、何度見ても飽きません。
木庵は、ちゃんと書こうとか、きっちり書こうという、なま臭い人為的な念や気持ちを一切なくし、夢の気持ちになって、廓然無聖として書いてるのでしょう。
見ると幸せで元気になります。さすが、黄檗の三筆といわれるだけはあります。
白隠の書はもっと奔放です。見るだけで元気になり、息吹があふれ出るエネルギーがあります。しかし、パワーではなんと言っても、大燈国師の書にかなう人はいないでしょう。
「骨力」という、電流のような強烈な気韻生動が
あふれ出ます。しかし、品格や慈悲の温かさがない分、猛烈な修業や行の臭みがあり、白隠のような、本当の抜けた悟りの深さは感じません。
また、一休禅師の書は、禅僧の書の中でもピカ一の書です。クセのある字ですが、あの気品と個性と力は、一体そのものであり、誰もまねできないものです。
書家の書とはちがう、書の芸術です。慈雲尊者の書も、真筆を持っていますが、見事な渇筆で素晴らしいです。
禅と儒教を究め、雲伝神道を始めた達人です。書もまた、最高峰にある人です。
もちろん、最高峰は、なんといっても空海でしょう。三筆の中の、橘逸勢、嵯峨天皇は、空海の足元にも及びません。
私も、たくさんの書家や禅僧の真筆を持ってますが、「目習」と言って、その目が自分の作品力を高めるのです。
だから、私有物ではなく、私の主宰する書道研究所の皆が、茶席で見られるように、公共のものにしてあるのです。
ところで、絵でも、きちんと書こうとした絵からは、画家の魂がにじみ出てきません。
私の画集を何冊も手がけてくれた、㈱求龍堂取締役で、編集長だった(故)松井武利氏によると、巨匠の絵には素朴さ、純粋さ、稚拙さの、三つがあるそうです。
ゴッホ、セザンヌ、ミロ、ピカソ、シャガール、ゴーギャン、マチス、あるいは、棟方志功や佐伯祐三、梅原龍三郎、安井曾太郎など、近代の印象派の巨匠の絵には、すべてこの三つが共通しています。
そして、こうした巨匠の絵は、敢えてデッサンはきちっとしていないのです。
美大入試の専門の先生が、セザンヌの絵をみたら、入試ではだめなところが三十八ヶ所もあったそうです。つまり、セザンヌの絵では、美大入試には合格しないのです。
となると、きちんとした絵を描いて、美大に通った人が、プロでやっていくには、いかにきちっとするのを崩し、独自なスタイルを作るかにかかっています。
それが、絵の味わいと芸術性なのです。人もそういう絵を好み、高いお金を出して買うのです。最近では、東京芸大の名誉教授、絹谷幸二氏の絵がそうです。
うまさを殺して素朴に、稚拙に、そして素敵に描ける所が、本当にうまいのです。
同じように書も、素朴さ、純粋さ、稚拙さがあった方がいいのです。
その方が、魂のエネルギーがそのまま表われます。大河ドラマの題字や、お茶や日本酒の銘柄は、いつもそんな書で書かれています。
これが、芸術としての「書」と、お習字との違いです。
書に関して、もっと高いレベルの芸術性を求めるなら、線質から出る輝きや個性、品格も必要です。それが、書芸術を鑑賞する楽しみでもあります。
やはり、技術を駆使しただけの書では、人々から愛されません。
例えば、謙慎展のもとを作った西川寧先生は、戦後の書道界のレベルを上げたと言われる巨匠です。当代一の書の鑑定家であり、教育者であり、学者であり、書家でもありました。
その書は、ある程度計算されていますが、いかに既成概念を崩していくか、余白の概念をはずしていくかで、西川先生らしい、奔放な個性が表現されていました。それは、茶目っ気や意外性があり、
程よく稚拙で、程よく素朴なのです。そして、奥深くて明るい、豊かで品のある気韻生動です。だから、多くの人々が、西川先生の作品を愛したのです。
ところで、私は小説や詩、俳句、短歌も作りますが、小説というのは、そもそもどんなものでしょうか。小説家の高橋源一郎氏は、こう言っています。
「小説とは、五階の窓から交通渋滞の道路や車に向かって、「小説さん、早くこっちへおいでよ』と呼びかけても、部屋の中をうろうろしたり、横になったり、ごはんを食べていても、なかなかやってこないもの。
そして、テーブルの下にピンを落として、拾おうとテーブルの下にもぐったら、その時、小説さんがテーブルの裏からきた!というものです。
また小説さんは、なぐられた直後の犬のようで、オドオドして、ちょっとしたことで驚き、すぐに逃げてゆくもの。
だから、丁寧に、よしよしと上手に犬に近づき、頭を撫でて、ぱっと首に輪をつけてとらえるもの。そしたら、逃げずに書けるものなんだ」と。
小説家とか詩人は、そういう天来のヒラメキを大事にします。
作曲家でも、「東京ブギウギ」の(故)服部良一は、「自分は曲を作ったことは一度もない。全ては天から来たものを、降ろしただけだよ。息子の服部克久は、作ってますけどね」と言っておられた。
(故)服部克久さんに、その話をすると、笑ってこうおっしゃった。
「そうです。私は作ってるので、ギャラをもらう資格がある。父は作ってないのに、ギャラをもらえるのかと言って、いつも笑うのです」。
なる程、この話にも一理あります。
ところで、戦後の大ヒット曲「東京ブギウギ」は、服部良一氏が中央線の電車に乗っていたとき、突然ひらめいたものです。
それで、あわてて近くの西荻窪駅で降り、駅前の「こけし屋」というレストランに飛び込み、紙ナプキンに曲を書き残したものです。
本書の作品も、小説や音楽のように、奔流のように降りてきた言葉を、水に曲を書き残したものです
本書の作品も、小説や音楽のように、奔流のように降りてきた言葉を、水鳥の羽根の筆で書き表わしたものです。半紙もなかったので、絵の画用紙に書いたものです。
だから、お習字のように、いつでも書けるものではありません。今、書こうと思っても、全く書けないものです。
また、言葉と書を同時に書いたので、温かいエネルギーに満ちた作品に仕上がっています。これが、バランスを考えすぎたり、書の技術にとらわれたら、エネルギーが死んでしまいます。
ですから、書の作品として見た場合、粗いところがあるのは承知の上で、気の流れを大事にしたのです。
また、水鳥の羽根の筆で、まっすぐ書けないところからくる、素朴さやアンジュレーションを、味わっていただきたいと思います。
ところで、こういった書では、相田みつを氏が有名です。相田みつを氏は、書は毎日系で、思想的背景は曹洞宗です。曹洞宗は、ひたすら座禅をす
黙照禅ですが、同じ禅でも、臨済宗は公案を通して見性(悟り)することを第一とします。
もう一つの日本禅宗の流れは、隠元から始まる黄檗宗ですが、これは座禅と念仏を習合させたものです。
曹洞宗は、わかりやすいので広まってますが、曹洞宗の座禅のあり方を、臨済宗中興の祖白隠は、痛烈に批判しました。
すなわち、見性(悟り)したこともない僧が、とろとろ居眠りしながら、只管打坐(ひたすら座ること)をしても意味がない。
それぐらいなら、ねじり鉢巻で徹夜で博打でもする方が、よほど魂が輝いている、というもの。
ぼくち
ところで、日本曹洞宗の始祖道元は、「もともと仏である人間が、なぜ座禅をして仏になるのか」という、大疑問がありました。
それで、「座禅しようとする心や行為そのものが、仏性の表れである」と主張したのです。それで、臨済宗では、座禅は見性するための手段ですが、曹洞宗では、座禅そのものが目的となり、只管打坐を唱えたのです。
しかし、それを提唱した道元は、中国の天童山の如浄禅師に参じ、命がけで公案に参じ、「心身脱落、脱落心身」と叫び、見性したのです。
禅は、一個半個の精神で人を育て、伝えるもの。そして、「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」の、四本柱が正統な禅です。
だから、道元の黙照禅は、どう考えても、哲学としての禅です。または、ヨガの冥想のような禅です。
だから、正統とは考えにくいです。それでも、無想に徹して悟りを開いた「良寛」や、黄檗宗の「鉄眼禅師」などの名僧も、沢山輩出しているのです。
しかし、どうしても、歪んでいるように思えます。
ろくそだんきょう
その証拠に、日本の臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の源流は、全て中国の六祖慧能禅師に行き着きます。その慧能禅師の有名な語録は、『六祖壇経』ですが、最初から最後まで、見性の大切さばかりを説いてるのです。
座禅の大切さではないのです。
この正統を継ぐ臨済禅は、本来「大死一番の底」で、刻々の只今にいる、「自己本来の面目」という、御本霊や潜在智、また魂の自在なる活動を重視します。
しかし、相田みつを氏の書は、墨気も沈んでいて、決して明るくありません。見性した人の清明なエネルギーも、禅機もありません。たんに悩み葛藤し、傷ついた人が、その言葉に癒される詩人です。
禅とは関係のないものです。
また、人はいつまでも、癒されているだけでいいのでしょうか。禅の立場は、そうではないのです。
よく誤解する言葉に、「禅とは、ありのままのことだ」というのがあります。
道元の「眉毛眼上を横たう」などという言葉もあり、あるがままの自然が、そのまま仏性の顕現であるとする、もっともらしい教えです。
しかし、これは本当に愚かな教えです。なぜなら、見性を遂げ、分別の智を打ち破り、仏性が顕現した人にとっては、「あるがままが仏の姿」であり、仏そのものと知覚できます。
これを、「露堂々」、「明歴々」、「遍界かつて蔵さ「ず」とも言います。これらは、全て見性した僧の境地を言うのです。
それを、ちょっと座禅したり、禅の話を聞いただけで、「禅とはありのままである」とか、「禅とはあるがままである」と言うのは、全く愚かな言葉です。
正しくは、「禅とは見性であり、見性がゆるぎないのが禅定である。見性はどこまでも深く、広く、繊細で、自在に進化させるものである。
そして、見性すればあるがまま、そのまま、ありのままが仏性の顕われと知覚でき、娑婆即浄土、生きながら涅槃の妙境で、毎日を幸せに暮せる。
そして、物事にとらわれず、自在なる内面の活動や、心技体が一つとなった活動ができる」というものです。
また相田みつを氏は、在家で僧侶ではないのですが、「にんげんだもの」といった、ああいう思想が禅だと思われると、歴代の臨済宗の師家達は、憤懣やる方ないだろうと思うのです。
相田みつを氏は、「自分は気が小さくて、神経質で臆病なんですが、座禅で改まるでしょうか」と、師である曹洞宗の僧侶に尋ねると、「座禅をしてもかわらない。それよりも、そういうことを気にするのが問題だ」と、言われたそうです。
しかし、臨済宗なら、そんなことを言うはずがありません。
たとえば鎌倉時代、二度の蒙古襲来に打ち勝った北条時宗は、馬や槍や刀は不得意で、花や文学を愛する女性的な性質でした。こんな自分に、執権という大役がつとまるのか、自信がない、不安だ。
相田みつを氏が聞いたように、北条時宗も無学祖元に尋ねたのです。
すると、「その時宗を捨てよ」と、喝を入れられたのです。
「どうしたら捨てられますか」と尋ねる時宗に、「ただ黙って座れ」と示されました。そして、時宗は見性をめざし、座禅を通して未来を憂うることなく、迷いを断つ自分を作ったのです。
蒙古襲来でも、降伏を迫る蒙古の使者を、何の迷いもなく斬首にし、敢然と立ち向かいました。
頼山陽は、「相模太郎(時宗)、胆の如し」と絶識しましたが、それだけの肝っ玉を、時宗は公案や座禅で磨いたのです。
死を恐れず迷いもなく決断し、断固として実行する度胸を、臨済禅では「大死一番の底」と言います。
私は、いつもこれで生きています。このように、伝統的な禅とは、肝っ玉を練るものなのです。
蒙古襲来のときも、集団戦法でくる蒙古軍に日本は負け続け、右往左往してました。しかし、時宗は、防御ばかりでは勝てないから、敵の本国を攻めるんだと、蒙古軍より大きな船を造り、蒙古の都に攻めて行くつもりでした。
その計画を実行し始めた時に、神風が吹き、十四万と言われた蒙古軍が、一夜で全滅したのです。
もし、時宗の肝っ玉がなかったら、神風が吹く前に、日本は降伏していたでしょう。
見性し、分別の知恵を越えて出てくるものが、本当の禅機(禅的な機働きのこと)ですが、国を守り通した時宗の肝っ玉。これを作ったのが臨済禅です。
だから、臨済禅は武士道と結びつきました。そして剣道、柔道、弓道、茶道など、道と名がつくものは、皆、臨済禅と結びついてるのです。
ところで、能書家で有名な良寛さんは曹洞宗で、やさしくて、素晴らしい禅僧です。そして、草書が有名です。私は、良寛さんの書も大好きで、草書の屏風を持ってますが、書の線の奥には厳然たるものを感じます。
曹洞宗の座禅で、立派に見性を遂げた境涯です。曹洞宗でも、一道を究めた僧侶なら、同じ見性や本当の禅定や禅機に、必ず行き着くのです。
これは、黄檗宗でも同じです。日本の黄檗宗の鉄眼禅師は、一切教典の出版をやり遂げた人ですが、並の臨済宗の僧侶なら、足元にも及ばない程偉大な人物です。
毎日系で曹洞宗系の相田みつを氏に対し、読売系で中国系の臨済宗なのが私です。
私は、今までに五回見性を遂げています。だから、中途半端で偏っ禅の理解を、人々が信ずるのを看過できないのです。
しかし、相田氏は詩人としては優れていると思います。中原中也も、優れ詩人です。太宰治もそうです。
しかし、彼らに共通する所は、「女々しくて、根性なしで、臆病で弱虫」な所です。
しかし、そういう部分は、誰にでもあるのです。そこを代弁してくれるからこそ、癒され、救われ、共感できるのです。
そんな、女々しい部分を前面に出し、詩心で人々を魅了するのが、文学の救いであり、癒しです。
多くの詩人や太宰のような作家など、そういう人物はたくさんいます。しかし、そこに禅をもってこられると、達磨大師がかわいそうです。
白隠禅師も嘆きます。とは言え、相田みつを氏は、傷ついた心を救った功績も大きいと思いますが、いつまでも癒されてないで、たまにはこれに喝を入れてください。
禅には大きく曹洞宗と臨済宗の、両方あることを知ってほしいと思います。また、癒しと喝が両方必要であると思い、この本を出版した次第です。
禅や書のことを、中途半端に知っている人が、的はずれな評価をしないように、はじめに、作者の立場を書かせて頂きました。
相田みつを氏をけなすと、ブログなどでぼろくそに言われるそうですが、私は決して、相田みつを氏を否定するものではありません。
ただ、曹洞宗のみ、毎日系のみ、癒しのみをよしとするのが、納得できないのです。
もちろん、いろんな人がいるので、癒しも必要です。曹洞宗が残っているのも、いいところがあるからです。
しかし、いつまでも癒されてばかりじゃいかん、と思ったら、臨済宗的な私の書を見てください。
そして、やる気と元気がみなぎってくるようなら、作者として、非常に嬉しく思う次第です。
深見東州
