つかまえるということは、取り組むことであり、
はなすというのは、あきらめることである。
つかまえるこつは、ただ先のことは考えず、
やってやってやりまくることであり、
はなすこつは、全部神様におまかせして、
あとのせめを一人で受ける覚悟を決めることである。
「こういうふうにして、こうなったのである」を、
自慢げに言うと天狗が出てくる。
「こうくるところを、このようにしたのです」 を、
自分の智略で成功したかのように言うと、きつねが出てくる。
「このような心でいるのを、自分はこう見たのです」と、
相手の腹をいかにも自分の腹で見抜いたかのように言うと、たぬきが出てくる。
神様のお仕組に、
自分が使っていただいているのが本当であり、
自分のしていることを、神様が守護するのではない。
しおりする人と、普通の人生を歩む人は、
おのずから神命が異なり、
皇命は自分の全ての望みも願いもなく、
ただ神の心を心として、祈りのまなかに日々を過ごし、
明るく世を照らす神人合一の人であらねばならぬ。
わが命わがものでなく、
わが言葉、わがものでなし。
世を憂い、
神と親しみ、
よく愛に生きる。
これが人の生き方の最上である。
まごころはかみよりきたるものなれば
いかにあくある人でもなつく
にくらしき、いやらしき人であろうと、神の子なり。
全てを生かし、愛の心でみるようにせよ。
神徳はその時下るなり。
人を生かし、物を活用し、
うまく調和するように働くものが神力である。
自分の行く道を照らし、
自ら成そうとする所を助け給えと祈って出ずるものは、
霊力であり、守護霊の働きである。
神力と霊力とは次元が異なり、
自我と言ってもさまざまである。
世のため人のためと思って慈善事業に志す者多し。
神のため神界の経綸のため、
神心のままに世のあかりとならんとする、
神人合一の人のいとも少なし。
