昭和五十三年 神戸神業 (十一)

人に言われて正す人
物見て覚り改むる人
日々省みて徳培う人
やっぱり、立派な人は謙虚だ

行き届いた人であれ。
それより他に成功のすべなし。

人を喜ばせたい、幸せにしたい
どうしたら皆が心を開くかな。
そう思って必死になっている時こそ
神来ませる誠を行ずる時なり。
ズバズバと適中する神言、良かれと思う言葉に魂あり、
誠ある時。
そは如何なるや。

我忘れ人も忘れし時にのみ
ほとばしりでるたま妙玄みょうげん

油断はいかなる時に生ずるや。
身内と打ち解けて話す折。
楽しい遊楽の頃。

温かい部屋、美しい食べ物。
幸せとおもう刹那。
皆神を忘れし時なり。

食べ過ぎないこと。 放散し過ぎないこと。
そしてあんまりあれこれ考えないこと。
生活における修業の一歩、 二歩、三歩目なり。

食べたい時に食べ、寝たい時に寝る。
しかれども常にすがすがしく、あたたかく、勇猛心ある人を 極上の修業者と言う。

まず自分の魂の堅忍不抜たるを練り、次に品性を高めること に志し、最後に、人であること、生きようとすることすらも
忘れる程の没頭が要る。 それが神と人との区別がなきまで、
自分をなくした瞬間である。

自在とはいかなる品の人とも心地良く、
楽しく付き合う柔軟な品性を言う。

品性を磨く修業は、
あまり苦しみや悲壮感のあるものではないが、
手間と暇と金のかかるものなので、
宗教家と言われる人のついついおろそかにする所なのである。

日常生活が教化教導であり、
具象の体現であり、真髄の行なり。

ところで、朝は八時までに必ず起きるべし。
はるか昔より、この時までが神気を身に受ける時としてあり。