日々にいそしむ仕事といい、
ただなんとなく行なっているものごとといい、
すべて人が気を入れてやるときは
全魂ふるいたち、
神界が開かれるものなり。
神の御用というのは、
ただ人の備わったものに
全身全霊を尽くすことなり。
その他に信仰というものはない。
世界中の人が
自分の最も幸福と思えるものごとに、
神気と喜びをもっておこなうとき、
それがみろくの世というものである。
神気とは精神の元を構成しているものなり。
高い志を持ち、
無心になってものに取り組むとき、
おのずから出ずるものなり。
良き時にも、不調の時にも、
人力の限りを尽くさば人は生まれ、
怠るときこそ死せるものなれ。
徳を養うというのは、
自分の分を汲み上げて、
人にうるおいの水をまき、
かわかぬうちに水を汲むことなり。
とぶような飛躍のリズムは、
これをいくむるに案内する
もう一人の厳しい自分を
育てることから始まる。
それにタクトをふらせるのが
名人という人なり。
まかそんじゃ
*註:いくむる=白山菊理姫のご神霊が、長い間埋没神 として閉じこめられていたことを「われはいくむ るにあり」と植松先生に申されたことによる。
暑いときから寒さはあり、
涼しいときから心暖まるものがめばえる。
それはゆかしい人にしかわからぬ
天の観化の妙なり。
真化
当然のことが不可思議の極みであり、
不可思議なことが当然のあやまりなり。
真化
