ただたのむだけで神様は
思いを遂げて下さるものではない。
祈りに加うるに信念。
信念に加うるに努力。
努力に加うるに気迫。
気迫に加うるに捨身でなくてはならぬ。
世界中で自分一人になってもやり遂げるのだ、
という気持ちでなくば人はついてこぬ。
やっぱりあいつはばかだと言われる。
逆にそんなとき、
あんなこと言うひどいばかがいるもんだと
思っていると、平気になる。
増長にならぬ程の、気に負けぬ心の位を持て。
精神力というのは、
神を精すると力が生まれてくるという神解である。
自己の置かれている今の心の陽に、
神なるものを注ぐと、
絶大なる力徳が生まれてくる。
そのことを伝えているのがこの言葉である。
また、別な言葉では胆力というのがある。
これは月を左に日を右におき一の上に据えてある。
これは月即ち肉体を横において
神直日を一厘上に据えると、
絶対力が出ずるという意味なり。
一は太極であり、真髄であり、
巣であり、である。
これらの日常何でもない言葉が、
最も深淵な意味を含んでいるのである。
自分の気持ちは
自分でしか始末できないものである。
その気持ちを常に最高度に保つ工夫が必要で、
それを行ずるのが人生の創造者と称せられる。
幸福というのは
そのようにして得られるものなり。
幸福は常に創り上げねば、
すぐ色あせるものなり。
山を見て、美しいなと感動して
言葉も出なくなった時が、
自分の気持ちの故郷である
六次元を押し開けている時である。
霊媒体質の人は、
四次元に感合してきた度合が大きい人である。
その体質は想念より来たものでありながら、
そうとわからずに苦しんでいる人が多いのが 問題である。
それを改めるには、断固として自己に
「自分は神界しかわからぬ。感じぬ。
霊的なものごとなど存在せぬ。
今ある目に見えるものそのままが、
現実であり神界なんだ」
と、繰り返し言う以外にない。
そうしているうちに、霊体質が進歩して
神体質になるのである。
スメラアサヒ
スのマーク、ニニギノミコト
