昭和五十二年 御神示(十三)

愛と誠は日々のましたる思いにあり。
ましたる思いとは、
津々とかみしめて、
さらにかみしめてあまりある感謝の心である。

禅坊主に芸術と生産と生気がなくば、
絶対に地獄行きである。

なまけもの、てんぐのうつけもの、
不調和を犯したる愚者にして、
正真からそれて
自ら人生の本義を逸脱しているのである。

余程我の強い人間か、
観念の強い頭人間がするのに
ちょうど良いように、
神様が与えて下さったのである。

禅がインド・中国で興ったのも無理はなく、
外国人が九分九厘に達するまでの
方使門なのである。
一厘は神性の素状うるわしく、
素朴で素直でありのままの自分を、
神に投げ出す安心解脱の信仰の妙境にある。

無論、見性達成の暁に訪れる
無法、無我、無念の妙境は尊いが、
全て生活の行と生産活動の中において、
天然のうちに他力によっておこなわれるのを、
日の本の神ながらの道では尊ぶのである。

人、 もし神と一体であるならば、
全身に光明あふれ、
暑さ寒さを超越し、
よそよりたずぬる病間なし。

つかさ


ふるさとは山にあり。
山は岡にあり、野にあり、
川にあり、海にある。
山は即ち青山の妙なり。

ゆかりある人にあらずば来ず。

*註 青山とは清涼な山の神気をたたえる内的境地


ゆかりある人なればいかにしても来るなり。

万神人導主大神


人のつみとは、
天の理に合わざることが
重なりたることなれど、
つみかさねた自分の悪念と、
他から送られた悪念の
つみかさねから起きることが多い。

故にまず自分でまいた悪念波は
自分で刈り取る他はない。
刈り取るには、まず妄執を捨てることである。

次に常に明るく前向きで、
素晴らしい想念を持ち、
他人にも良き想いを向け、
素晴らしい念波動を送ってやる他はない。

それが人をも
わが身をも幸せにするすべなり。