愛と誠は日々のましたる思いにあり。
ましたる思いとは、
津々とかみしめて、
さらにかみしめてあまりある感謝の心である。
禅坊主に芸術と生産と生気がなくば、
絶対に地獄行きである。
なまけもの、てんぐのうつけもの、
不調和を犯したる愚者にして、
正真からそれて
自ら人生の本義を逸脱しているのである。
余程我の強い人間か、
観念の強い頭人間がするのに
ちょうど良いように、
神様が与えて下さったのである。
禅がインド・中国で興ったのも無理はなく、
外国人が九分九厘に達するまでの
方使門なのである。
一厘は神性の素状うるわしく、
素朴で素直でありのままの自分を、
神に投げ出す安心解脱の信仰の妙境にある。
無論、見性達成の暁に訪れる
無法、無我、無念の妙境は尊いが、
全て生活の行と生産活動の中において、
天然のうちに他力によっておこなわれるのを、
日の本の神ながらの道では尊ぶのである。
人、 もし神と一体であるならば、
全身に光明あふれ、
暑さ寒さを超越し、
よそよりたずぬる病間なし。
つかさ
ふるさとは山にあり。
山は岡にあり、野にあり、
川にあり、海にある。
山は即ち青山の妙なり。
ゆかりある人にあらずば来ず。
*註 青山とは清涼な山の神気をたたえる内的境地
ゆかりある人なればいかにしても来るなり。
万神人導主大神
人のつみとは、
天の理に合わざることが
重なりたることなれど、
つみかさねた自分の悪念と、
他から送られた悪念の
つみかさねから起きることが多い。
故にまず自分でまいた悪念波は
自分で刈り取る他はない。
刈り取るには、まず妄執を捨てることである。
次に常に明るく前向きで、
素晴らしい想念を持ち、
他人にも良き想いを向け、
素晴らしい念波動を送ってやる他はない。
それが人をも
わが身をも幸せにするすべなり。
