すじが違うともどりだすぞ。
いつも無心で、
わからないわからないと思っておられよ。
そうすればすみきるものぞ。
すみきらねば、
神をないがしろにしておりてもわからんぞ。
わからんのが本当ぞ。
わかったと思えばもう筋が違っておるぞ。
そうしておれば、
そのうち何なりとわかるようになりて、
おのれでおのれが立派だなと
思えるようなことができるぞ。
それは、みな神がさせておるからできるのぞ。
それが神人合一と申すものなり
むつかしいことはない。
自分のことを忘れ、
人のことを思いやる人に
神は愛をさずくるものなり。
スメラアサヒ
つるかめつかさ
「とんでもない」と
よく否定するところで言うのは、
人というのはいつも今という時を忘れて、
先のことを危惧したり、
不幸になってもいないのに
絶望するものである。
人の幸せは
「飛んでもない」今を精一杯生きることであり、
そうすることで全ての解決の糸口が
発見できるという意味なり。
足元を見よ。
全てがそこにある。
目前にあることに精一杯励め。
それが全てのことを教えておるぞ。
そうしておることが、
一番まちがいのない生き方であるぞ。
と、神はこうしてなにげない言葉の中に、
汲めど尽きせぬ
高遠にして至大なる真理を
伝えているのである。
つかさ
言霊別
「すばらしい」というほめ言葉がある。
「す」とは◎である。
これは「素」であり、「巣」であり、
「住」であり、「ス」である。
心の中にあるとは真心である。
素とはもとづく意味で、
逆らうことをしない性である。
「ありのまま」という意味である。
真心こめて、
逆らわず今あることに素づいて行なう。
ありのままを見て、
ありのままの自分をぶつけてゆくと、
知らない間にすばらしいことにめぐり逢う。
またすばらしいことができる。
これは信仰生活の極意である。
この言葉には
大変な教えが含まれていることがわかる。
それで、そのすばらしいことは
人の判断の価値基準に応じて、
あまり感を打たなかったり打ったりするが、
最も感を打たれるのは、
自分の魂の「巣」が「晴れる」ときである。
魂のとは人の魂を司る巣であり、
そこには人の生命の根源を構成している
先天の炁を貯えているのである。
これが晴れるというのは、
天の巣から人の巣に一直線で結ばれている
神気が発散するということである。
全ては一瞬に為されることである。
