序章 先祖供養はなぜするのか?
なぜ位牌が大切なのか?
最近は、都会育ちで、生まれてから一度も仏壇のある家に住んだことがないという人も結構いらっしゃるようです。
しかし、そういう方でも田舎の親戚やおじいさんおばあさんの家に行ったときなど、仏壇を目にする機会があったでしょう。日本人なら、仏壇を見たことがないという人はおそらくいないと思います。
かつては家の中心に仏壇がある暮らしというのが、日本の伝統的な生活様式でした。しかし、仏壇は冷蔵庫やテレビと違って、直接私たちの暮らしの役に立つものではありません。
結構スペースも取りますから、昨今の都会の住宅事情では置く場所に困るということも確かにあると思います。
では、仏壇はいったい何のためにあるのでしょうか。
「位牌を安置して先祖を供養するため」というのが、日本人の平均的な感覚だと思います。もう一つの答えとして「ご本尊(注1)をお祀りするためのもの」とおっしゃる方もいるでしょう。

仏教本来の立場からすれば、仏壇はご本尊をお祀りするための場所で、位牌はその側に置かせてもらうものだとされています。お寺の住職さんに聞けば、おそらく皆さんそうおっしゃいます。
実は、先祖供養というのは本来のインド仏教にはなかったものなのです。しかしながら、日本では仏教伝来のはるか以前から、伝統的な民俗行事として祖霊祭りが行われていました。
こうした古来からの信仰を取り入れながら、日本の仏教は神仏習合して独自の発展を遂げてきたわけです。
そうした背景もあって、一般的な日本人の感覚からすると、仏壇は位牌を置いて先祖を供養するための場所だと考えられています。
そして大事なのは、私たちの先祖も同じように考えてきたということです。つまり、先祖の霊にしてみれば、仏壇というのはこの世に帰ってきたときの仮の家のようなものなのです。
このときに大事な役目を果たすのが位牌です。位牌というのは、故人や先祖の霊がかかるためのものなのです。専門的な言葉で、これを依代と言います。
では、位牌がなければどうなるのでしょうか。実は、帰ってきた霊は人間の体にかかることが多いのです。これは生きている人間にとっても霊にとってもけっして良いことではありません。お互いに苦しみます。
ワールドメイトを主宰する神霊家の深見東州氏は次のように述べています。
「死んで肉体が滅びると、幽界という場所へ旅立つ。死後三十年間、ここで訓練して人間界のさまざまな未練を断ち切ることになる。この期間の、地上への仮の通い宿としての役割をはたすのが、位牌。したがって死んだ人の霊は、通常の場合は位牌についていると考えられている。
なかには、人の体につく霊もいるが、これは神霊界のルール違反である。あとで、厳しく処罰されるのだが、この世の未練やうらみが大きすぎると、人の体につく」(「強運」たちばな出版刊)
霊界の規則では、人体につくことを許されているのは守護神・守護霊だけで、それ以外の霊は位牌につくことだけが許されています。
ですから、仏壇にはぜひとも霊のかかる依代としての位牌が必要なのです。
宗派によっては仏壇に位牌を置かないところもありますが(この問題については後ほど詳説します)、ここでは、まず位牌が持つ本来の意味をしっかりと理解することからはじめていただきたいと思うのです。これが大前提です。
仏壇は必要か?
深見氏が言うように、人間は死後約三十年間は現世の垢を落とす修業をする幽界天八衢”ともいう)というところにいて、その後に、それぞれの霊界に旅立っていくわけですが、この三十年間はある程度、現世と交流を持つことが許されています。
具体的に言えば、お正月やお盆、命日など何回かこの世に帰って子孫と交わることができるわけです。
ですから、原則としておよそ亡くなってから三十年間ぐらい、だいたい三十三回忌までは位牌を置くだけでなく、折に触れて帰ってきた故人の霊を迎え入れ、暖かくもてなしてあげることが必要になります。
これが供養が大事だという第一の理由です。
ところで、先祖供養とは、本家や長男しかしてはいけないものなのでしょうか。仏壇は、本家一ヵ所にしか置いてはいけないのでしょうか。
基本的には、長男や本家が仏壇を祀るのが原則です。
ご先祖も本家や長男に対しては、仏壇を祀ってくれるものと思っていますから、基本的にはそこにやってきます。
しかし、本家や長男は信仰心が薄くて次男や他の兄弟のほうに信仰心のあつい人がいる場合、ご先祖は、そちらのほうを頼ってやってきます。
だから、信仰心があつく、ご先祖を供養したいという気持ちがあるのに、「自分は次男だから仏壇を祀ってはいけない」とかたくなに思うことはなく、そういうときは、祀ってもかまいません。
しかし、嫁いだ女性や外国人と結婚した人、また、三男、四男の方で、仏壇をとくに祀らなくても家庭生活が順調で幸せな日々を送っているのであれば、無理に祀らなくてもかまいません。
ただし、家庭内がぎくしゃくしている場合、仏壇をお祀りすることでトラブルがぴたっとおさまることもあります。
位牌には個人のもの(一般には戒名が書かれる)の他に、「○○家先祖代々の霊」と書かれた代々の位牌があります。
死後三十年も経つと、霊はもはやこの世に帰ってくることはなく、それぞれの霊界で修業に専念する決まりになっていますので、個人の位牌は、三十三回忌を過ぎたらお焚き上げきをして、先祖代々の位牌に合祀するのが原則です。
個人の位牌をいつまでも現実界に置いていると、霊の思いが位牌に縛り付けられてしまって霊界修業に専念できなくなる場合があるので注意してください。
では、先祖代々の位牌に合祀すれば、霊と現実世界のかかわりはすべて終わりかといえば、実はそうではありません。
死後三十年を過ぎた霊でも、お盆のときとお正月だけはこの世に帰ってきてもいいことになっています(帰ってきてもいいということは、帰ってこなくてもいいということです)。
このときのご先祖の気持ちは、人間が休暇をもらっ帰省するときと同様、せっかく、霊界から許可をもらって遊びにきたときに、誰も迎えてくれなかったら、淋しいに違いありません。
ご先祖が霊界から許可をもらって帰ってきたときに、子孫が迎えてあげる。そのときにご先祖はどこに降りるのでしょうか。
その降りることのできる場所、すなわち依代として位牌と仏壇が必要になるわけです。仏壇に先祖代々の位牌を置くことで、自然に家の中が落ち着いてくるのは、ご先祖が安心して落ち着ける場所があるからにほかなりません。
供養したほうがいいのはこんなご先祖様
以上述べてきたことは、あくまでも神霊界のルールに則った霊に対する供養の必要性です。しかしながら、霊の中には規則違反をしてくるものがいるわけです。
お盆が過ぎても霊界に帰らなかったり、霊界での修業を抜け出してくるご先祖様。これはいったいどういう霊なのでしょうか。
深見東州氏は次のように述べています。
「ご先祖様のために供養やお祀りをしなくてはと思いがちだが、よく考えるとおかしいところもある。
というのは、子孫にかかって救済してほしいなんて言うのは、真ん中(中有界)のレベル以下の霊のやることだからだ。
正しく現世で修業した人は、仏壇や人間の肉体にかかって「助けてほしい」などと言ったりはしない。真ん中以上の霊層を持って亡くなった人は、さっさと行くべき所に行ってしまう」(「この世とあの世」たちばな出版刊)
死後の世界の実体については、後の章で詳しくお話ししますが、簡単に言えば、幽界から霊界に行く際、生前の行いによるジャッジメントがあって、天国に行く霊、地獄に行く霊、その中間にある中有霊界に行く霊がいるわけです。
中有霊界の真ん中より上のレベルに行く霊は問題ありません。この世への思いを断ち切って、あちらでの修業に専念しています。
子孫がご先祖を敬う気持ちは大切なものですが、実はこういうご先祖は供養を必要としてはいないのです。
問題なのは中有霊界の真ん中より下に行った霊です。とりわけ地獄に落ちた霊は、苦しい修業に耐えきれずに、地獄を抜け出して助けを求めて子孫にすがりついてくる場合があります。実はこれが非常にやっかいなのです。
誰しも自分の先祖のことを悪く考えたくはないと思います。しかし、遡っていけば先祖というのは膨大な人数にのぼるわけです。
どこの家でも親類縁者の中に一人は問題のある人間がいるように、どんな立派な家系であっても、やはり地獄に落ちた先祖というのはいるものです。しかも、長い年月が積み重なっているわけですから、かなりの人数がいると思っていただいたほうがいいでしょう。
死後三十年以上を過ぎても供養が必要な霊とは、中有霊界の真ん中以下のレベルの霊です。つまり、生前の行いがあまり芳しくなかったご先祖ということになります。
しかも、霊界の規則に反して、この世に迷い出てきた霊です。
霊格の高いご先祖は仏壇には降りていらっしゃいません。こうしたご先祖様にお力添えいただく方法については、後ほど第5章で述べていくことにします。
ですから、「先祖供養はあまり熱心にやらないほうがいい」という意見も、あながち間違いとは言い切れないのです。供養のやり方が不適切だったり、供養をやりすぎると、かえって悪影響を及ぼすことがあるのは確かです。
しかし、まったく先祖供養はやらない、本家にも分家にも位牌も仏壇も置かないというのはいかがなものでしょうか。
供養をやらなければ先祖が頼ってこないかといえば、そんなことはありません。救いを求めているご先祖は、位牌がなければ子孫の体にかかり、何とか自分の存在に気付かせようとさまざまな障りを起こすのです。
また、現世への執着が強く、霊界に行かずにこの世にとどまっている先祖霊が、子孫の肉体を借りて自分の思いを遂げようとする場合もあります。
地獄から抜け出すこと自体が霊界の規則に反することですが、人間の体につくことは、さらに重い罪として罰せられます。
一日ついたら十年の修業で戒められることになります。つまり、供養をしなければ結果として先祖に罪を重ねさせることになるわけです。別の言い方をすれば、家の因縁が深くなるということです。
ですから、ご先祖様に霊界で罪をつくらせないためにも、ご先祖がこの世に帰ってこれる余地を残してあげたほうがよいのです。
第1章 これだけは知っておきたい ── 仏壇の基礎知識
仏壇を購入するタイミング
位牌というものの大切さ、なぜ供養が必要なのかという基本的なことは、だいたいご理解いただけたと思います。そこで、実際に供養をはじめるために次に何を考えなければいけないかというと、位牌を安置するための仏壇のことでしょう。
しかし、家に仏壇がない方が新たに購入するとなるといろいろ戸惑うことが多いものです。
まず、仏壇を購入するタイミングがつかめません。一般には、身内が亡くなった場合や年忌法要を機に仏壇を購入するというケースがほとんどだと思います。
いつまでも位牌をむき出しでタンスの上に置いておくのは確かに気がひけるでしょう。かといって位牌はしまい込んでおくものではありません。大事にするつもりでしまっていても、それでは本来の機能を果たさないわけです。
仏壇を求めてその中に位牌を安置すれば、それだけで故人の霊は一安心という気持ちになります。
また、本家なのに仏壇がないお家の方、あるいは、本家や跡取りが信仰心が薄くて、自分の方が信仰心がある方が、「位牌を置いて先祖を供養したい」という純粋な動機で仏壇を購入なさるのは一向に構いません。
金仏壇・唐木仏壇・現代仏壇
仏壇を購入することに決めました。ところで、どんな仏壇を買ったらいいのでしょうか。仏壇のカタログを見ても、一般の人には選ぶ基準さえわからないのが普通です。基本的なポイントを押さえておくことにしましょう。
家庭で用いる仏壇には、大きく分けて金仏壇(塗仏壇)と唐木仏壇、そして現代仏壇の三つのタイプがありますが、伝統的なものとしては金仏壇と唐木仏壇です。
金仏壇は正確には漆塗金仏壇と言います。檜、杉、欅などの材を用い、木地に黒く漆塗りがほどこされ、内側には金箔を張りつめたサン然と輝く華やかで厳かな仏壇です。
唐木仏壇は木地仏壇とも呼ばれます。黒檀や紫檀などの美しい木目を生かした仏壇で、金箔は奥の方に少しだけ使い、金仏壇に比べるとシンプルな印象ですが、落ち着いた雰囲気があります。
「唐木仏壇」の呼称は、黒檀や紫檀が以前は中国経由で熱帯地方から輸入されたためですが、最近は、屋久杉、桑、欅などの和木も多く使われています。
一般には真宗系が金仏壇で、その他の宗派は唐木仏壇とされています。ただし、これはあくまでも慣習であって、どの仏壇がいいか宗派で指導しているわけではありませんので、あまり神経質にこだわる必要はありません。
形としては、金仏壇にも唐木仏壇にも、台付きのもの(重ね型仏壇)と上置型の二種類があり、仏壇の戸障子の開き方でも、前開きと三段開きに大別できます。
また、大きさも幅三〇~四〇センチの小型のものから洋服ダンスより大きなものまで大中小さまざまです。
ちなみに仏壇の寸法の基準は、関東では高さ、関西では幅寸法となっています。
もちろん、こうした大きさや形式の違いは、住居と仏壇をお祀りする場所との関係や仏事とのかかわりの中で生じたものです。
たとえば地方の農家や、都会でも江戸時代かある旧家などの場合、座敷の上座に大きな仏壇がドンと置いてありますが、これは家屋の構造から仏間を中心とした設計になっているわけです。
マンションやローンを組んで精一杯建てた小さなマイホームでは、大きな仏壇を置くのはスペース的に不可能です。
しかし、仏壇の大きさには意味的な違いは何もないし、本人の信仰心や先祖を思う気持ちに比例するものでもありません。ですから、住居や部屋の調度品とのバランスを考えて、適切と思うものを選べばいいのです。
「部屋が狭くて置く場所がない」という人は小型の上置型のものにすればいいでしょう。ご先祖もそうした住宅事情は理解してくれるはずです。
少なくともタンスの上に位牌をむき出しで置いておかれるよりはずっと安心します。畳の部屋がない場合は、洋間に仏壇を置いて構いません。それはそれで結構モダンな感じがするものです。
ところで、もう一つのタイプの現代仏壇(新型仏壇)というものについて、少し考えてみたいと思います。
最近は斬新なデザインの仏壇が結構出回っており、扉を閉めると仏壇には見えないキャビネット型のものもあります。デザインだけでなく、材質もプラスチックやアルミニウム、プリント合板など多様です。
都市型の新しい生活様式にマッチした仏壇という発想だとは思いますが、これはあまり感心しません。というのも、位牌にかかる霊は江戸時代やそれ以前の時代に生きていた先祖が結構多いからです。
仏壇は帰ってきた霊がくつろぐ仮の家のようなものですから、やはり昔ながらの伝統的なスタイルのもののほうが、ご先祖にとって居心地がいいのです。
新しく購入するのでしたら、やはりご先祖の気持ちを優先させて選んだほうがいいのではないでしょうか。
高価だからよいとは限らない
仏壇を選ぶときに悩まされるのは、種類や大きさだけではありません。同じタイプのものでも実に値段がさまざまなのです。
しかも困ったことに、ちょっと見た目にはどれも同じに見えてしまいます。どのように判断すればよいのでしょうか。
仏壇は家具ではありませんが、位牌を安置する前の仏壇(ミもフタもない言い方をすれば木の箱)をどうやって評価するのかといえば、やはり工芸品としての価値ということになります。
素材や装飾品の質と量、そして職人の技と手間が価格を決定する要素ということになるでしょう。
金仏壇の場合は、塗られた漆の厚さ、使われている金箔の質と量で値段が変わってきます。特に、金がどのように使われているかは直接値段に影響します。
専門的なことを言えば、金箔の使い方には、一枚掛、二枚掛、三枚掛とあって、三枚掛が最も高価ですが、素人が見た目でそれを判断するのは難しいかもしれません。
唐木仏壇の場合は、使われている銘木の種類や質によって値段が変わってきます。
紫檀や黒檀などの唐木だけでなく、最近は和木も多く使われ、屋久杉を使った仏壇などは最高級品とされています。
ともあれ、仏壇の価値というのは一般の人が一目見ただけではまったくわかりません。そこで結局のところ、仏壇を選ぶ前に、信頼できる仏具店を選ぶのが大事ということになります。
これは実際に自分で何軒か足を運んで店の感触などからつかんでいただく他はないでしょう。
ポイントとしては、良心的な店なら、店の都合で一方的に商品を押し付けるようなことはしません。客の事情や家の宗派、家の様子など細かく聞いてきて適正なものを勧めるものです。
ただ、その場合、仏壇を求めるほうにある程度のイメージがなければ、店としても相談に乗りようがありません。
現実的に一番気になるのは予算枠でしょう。昔はよく「家屋建築費の一割」と言われていたようですが、現代にも当てはまるかどうかは疑問です。
たとえば、数千万円のマンションを買って数百万円の仏壇というのは、ちょっと負担が大きすぎるように思います。各ご家庭の経済状態に照らし合わせて、収入の何割という範囲が妥当なのではないでしょうか。
ご先祖のために、多少無理をしてもできるだけのことをしてあげたいという心がけは立派なものだと思います。ところが、実際は高価なものを買えばご先祖が喜ぶとは限らないのです。
ここはちょっと微妙な問題ですから注意していただきたいところです。
子孫がそこそこ成功して立派な家を建てました。
「これもご先祖様のお蔭」と感謝して仏間を作り、三枚掛の金箔で蒔絵がほどこされたタンスのような金仏壇を置いたところ、急に体の具合が悪くなったり、家の中でゴタゴタが続いたりするということが実際にあります。なぜでしょうか。
実はこれは霊界でご先祖が恥をかいている場合が多いのです。「うらやましいなあ。あんなに立派な仏壇を買ってもらうなんて、生前よほど功徳を積んだんでしょうねえ」とご先祖の霊が他の霊から言われていたりするそうです。
実際に頑張って生きてきたご先祖なら、「いや、まあそうでもないんですけど、いい子孫を持ちましてね」と謙遜する余裕もありますが、そうでなかった場合は、その言葉イヤミに聞こえて、胸に突き刺さるのです。
霊というのはナイーブな存在です。なにしろ肉体がなくて思いだけで「生きている」存在ですから非常に傷つきやすい。
しかも、霊界というのは、すべてが一目瞭然の世界です。この世と違って見栄もゴマカシも通用しないわけです。ということで、生前あまり立派な生き方をしていなかった霊にとっては、高級な仏壇はかえって居心地が悪い場合もあるわけです。
ですから、無理をして高価なものを求める必要はないのです。それよりも、お盆や命日にちゃんとし供養をしてあげることのほうがよほど大切です。
ワンルームに両家の親戚が同居したら…
このように先祖をはじめ霊というものは、生きている人間に微妙な影響を与えることが多いものです。
もちろん、先祖が血を分けた自分の子孫を「不幸にしてやろう」と思って悪い影響を与えているわけではないのです。むしろそこには子孫に伝えたい何らかのメッセージが込められている。これを戒告といいます。
以前、夫婦関係のトラブルが絶えないという方がいらっしゃいました。
この方の場合はそこそこ家に見合った仏壇を置いて、ごく普通に供養をしていました。ところが、よくお話をうかがうと、仏壇の中にご主人の家の位牌と奥様の実家の位牌の両方が入っていたのです。
一つの仏壇に両家の位牌を祀るとどういうことになるか。「宗派が同じなら構わない」と言う方もいますが、深見東州氏は「家の中が混乱する原因」として、次のようにこれを諌めています。
「たとえば、このようにお考えいただいたらいいと思います。結婚いたしまして、八畳のお部屋の中にご主人がいる。奥さんがいる。子どもがいる。これならわかりますね。
ところがそこに、ご主人のおじいさんとおばあさんとおじさんがいる。さらに、奥さんのおじいさんとおばあさんとおじさんが住んでいる。
こういう場合、どうでしょうか。だいたい、おじいさん、おばあさんというのは、大正、明治、江戸時代の方ですから、「どうもどうも、孫娘がお世話になっておりまして』
「いやあ、狭いところで。お互い親戚ですので、どうぞどうぞ」
「わたくしどもも嫁の立場でございますので」ということで、ひと部屋の中に奥さんのご実家の親戚がいると、この人たちは非常に気を遣います。
一度現実にやってみればわかると思うんですが、実際やはりそうです。ここにたとえば奥さんのおばさんなんていますと、遠慮して、遠慮して、おじさん同士というのはもっと遠慮しますね。ですから、何か気まずい。
そのようなご先祖様の感情が子孫に影響いたしまして、(ご主人と奥様も)何か居心地が悪くてしっくりこない。
居心地が悪いもんだから、奥様のご先祖は、「おまえ、ちょっと何とかしてくれよ。申し訳ないし」ということで、居心地が悪いのを奥さんのほうに知らせるわけです。
ご主人のご先祖のほうも、「おまえ、これ何とかしろよ」なんて言う。
ご先祖様の居心地が悪いという感情が子孫に影響いたしまして、何かしっくりいかないという関係です。
こういう場合、解決策としてはどうしたらいいのでしょうか。
深見氏は次のように述べています。
「仏壇をもう一つ別の部屋に置いて、両家の位牌をそれぞれに分けて置くことです。
そうすれば不思議なくらいピタッとおさまります。プライベート・ライフが守られるので、両家のご先祖とも居心地がよくなるわけです」
女性上位の家の仏壇
原則としては、結婚をしたらご主人のほうのご先祖を代々お祀りして、奥様の実家のほうはお祀りしないことです。
男性が婿養子に入った場合は、もちろん養子に入った家の先祖だけお祀りします。これは理由がどうのというより、伝統的にそうなっていますから、ご先祖としても納得しているわけです。
それでも、実家がお嫁に行った女の子一人だけで、誰もご先祖をお祀りする人がいないという場合もあるでしょう。
引き継いだ位牌をタンスの中にしまっておくわけにもいきませんし、せっかく帰ってきても行くところがないご先祖も気の毒です。
ですから、そのような場合はあくまで例外的な措置として家の中に仏壇を二つ置くことです。この場合、「奥様のほうの仏壇はやや小さめにして、できれば別の部屋に置くこと」と、深見氏は注意点を述べています。
女性の方の中には、「今は男女平等の時代なんだから仏壇も平等にするべきじゃないの」とおっしゃる人もいるかもしれません。
しかし、先ほども申し上げたように、ご先祖というのはだいたい封建時代に生きていた方ですから、そのあたりはご了承いただきたいと思います。ご先祖の感情を第一に考えて、奥様のほうはやや控えめに、小さめの仏壇にするのが家庭円満のポイントです。
もっと極端なケースでは、奥様の実家の位牌だけあって、ご主人のほうの位牌はないという家もたまにあるようです。養子ではなくても、奥様が一人娘で、ご主人は次男か三男というような場合。
しかも、奥様が信心深い方できちんと供養しているというような家は女性上位になって、ご主人が奥様の尻に敷かれて、まったく頭が上がらなくなる傾向が大です。
それで家の中が丸くおさまっているならいいのですが、残念ながらこういう家のご主人は外に出ても精彩がありません。そういう意味では、先祖の祀り方は仕事運や出世運にも影響します。
ですから、右のような傾向のあるご家庭では、ご主人が頑張って仕事ができるようになるためにも、一回り大きめのご主人のご先祖のための仏壇を購入して、位牌をきちんと作って、ご主人のご先祖も供養してあげてください。
そうしているうちに、ご主人の仕事もだんだんと軌道に乗り、家庭の中も活気づいてくるものです。
どこに仏壇を置けばいいの?
家の中のどこに仏壇を置くか結構気にされる方がいらっしゃるようです。
一般によく言われるのが、南面北座説(仏壇の背を北にして、南向きに置く)、本山中心説(仏壇の前で合掌して拝む方向の延長線上に、家の宗派の本山があるような位置に安置する)、西方浄土説(仏教の理想世界である西方浄土を礼拝するために、西を背にして東向きに仏壇を置く)の三つでしょう。
いろいろな考え方があって混乱させられますが、とにかく北向き(仏壇の背を南にする)に置くのだけは厳禁です。
因縁が噴出してくるといわれていますから、これだけは気を付けてください。
そのうえで、どんなところに置けばいいのか。深見氏は次のように述べています。
「われわれ人間も暗くてジメジメした場所に住みたいと思わないのと同様、位牌を仮の宿とする霊も、できるだけ小ざっぱりとした明るいところを好むものである。
「3LDK、庭つき一戸建て位牌」などと贅沢は言わないが、トイレの横とか物置きの隣はかんべんしてほしい、と願っている。
そして、できれば薄陽が差し、四季折々の自然が感じられる場所ぐらいは最低限望んでいるだろう。子孫と共にいられるリビングが一番喜ばれる」(「強運」たちばな出版刊)
ただ、間取り等の関係で、どうしても薄暗い場所に置くような場合、一日中ろうそくを灯しているわけにもいきませんから、電気のライトでも蛍光灯でも構わないので、できるだけ部屋を明るくすることです。
そして、もう一つ絶対に気を付けていただきたいのは、神棚と仏壇の両方がある場合です。日本の仏教は、仏教伝播以前からあった民俗信仰である神道と融合しながら独自の発展を遂げてきました。
今では仏様はお寺、神様は神社と分かれていることが多いのですが、これは明治に入ってからのことです。それ以前は、神社の境内で仏様をお祀りし、お寺の境内に神様の社があるのがごく普通だったのです。
ですから、一軒の家に神棚と仏壇を祀っているのは珍しいことでも何でもなく、極めて伝統的な家だということができます。大変結構なことですが、気を付けていただきたいのは、神棚と仏壇の位置関係です。
たまに神棚と仏壇を向かい合わせに置いていたり、中には神棚より仏壇のほうが高い位置に置いてある場合がありますが、これは絶対にやめてください。
「順序が違うので、ご先祖は非常に苦しくて、子孫が病気をしたりすることになる」と深見氏は述べています。
霊界というのは、序列のごまかしが利かない世界です。天国も地獄も何階層にも分かれています。
ですから、神棚が上、仏壇は下というのが絶対原則で、できれば違う部屋に置いてください。住宅事情でやむなく一つの部屋でお祀りする場合は、できるだけ離して置く。神棚は高く、仏壇は低く。これは絶対に守ってください。
もう一つ。これは一般的な常識の範疇ですが、仏壇を置く高さについて簡単に触れておきましょう。
仏壇というものは一般的にあまり高い位置に置くものではありません。昔の人は三尺(約九〇センチ)以上の高さに仏壇を設けると「先祖の霊が上がれない」などと言ったようです。
もちろん、そんなことはありませんが、やはり適度な高さというのが決まっているわけです。第一、あまり高い位置にあると、おまいりするとき、輪(カネ)を鳴らしにくいと思います。
台付きの仏壇なら、そのまま正座しておまいりするのに都合のいい高さに作られていますので、これを基準に考えていただけばいいでしょう。
ただし、上置型の場合は、部屋の状況によってはタンスの上や高いユニット家具の上に置かざるを得ないこともあると思います。
これはこれで仕方ありませんが、高い場所はどうしても掃除が行き届かなくなりがちですから、いつもそこを清浄な状態にしておくことだけは心がけてください。
また、言うまでもないとは思いますが、仏壇の上に物を置いたり、上に飾り棚が飛び出しているというのは、よくありません。
位牌の序列は必ず守ること
秩序や序列ということに関していえば、仏壇の中にも当然決まり事があります。
仏具の置く位置などあまり細かなことに神経質になる必要はありませんが、位牌については直接先祖の霊に影響しますから、これだけはかなり気を遣う必要があります。
はじめて仏壇に位牌を置く際は、個人のものだけでなく一緒に「○○家先祖代々の位「牌」を置くことが大切です。
戒名が彫られた個人の位牌はあくまでパーソナルなもの。ご先祖はたくさんいらっしゃるので、一つひとつすべてを用意するわけにはいきません(また、そうするべきではありません)ので、先祖代々の位牌が必要なのです。
ちなみに、「位牌は黒塗りに金文字のものを霊は好む」と深見氏は述べています。
大きさについては、考えていただけばわかると思いますが、個人のものが先祖代々のものより大きいというのはいけません。たとえば、おばあちゃんが亡くなったとしましょう。
先祖代々の位牌よりも自分の位牌のほうが大きかったら「気持ちはありがたいんだけど、ご先祖様を差し置いて、私だけこんな大きな位牌にするなんて…………」と、かえって肩身の狭い思いをするわけです。先祖のほうも、もちろんいい気分はしません。霊の気持ちというものは生きている人間に置き換えて考えれば、だいたい理解できると思います。
先祖代々のものが十としたら、個人のものは七ぐらいの大きさが適当でしょう。なお、お葬式のときに使う白木の位牌は四十九日までのものですから、それを過ぎたら黒塗りのものに替えて、先祖の位牌と並べて仏壇に安置してください。
また、前章でも述べたように、個人の位牌は、三十三回忌を過ぎたらお焚きあげをして、先祖代々の位牌に合祀するのが原則です。
それでも、いくつか個人の位牌が並ぶような場合は、向かって右奥が最上位、次いで左、一段下がって右、次いで左というのが一般的な順序です。
宗門宗派のしきたりについての考え方
ここで、宗派のしきたりの問題について、少し補足しておきたいと思います。
宗派によっては仏壇に位牌を置かないところもあると申し上げましたが、たとえば、真宗(浄土真宗)では、仏壇にご本尊の阿弥陀如来をお祀りして、過去帳はありますが、一般に位牌は置かないことになっており、原則として先祖供養もしません。
ただ、その奥には考え方の根拠があります。
浄土真宗の教義では、祖先や故人は亡くなられてから、阿弥陀仏のいらっしゃる「浄土」に生まれ変わり、阿弥陀仏と同じ悟りをひらいて衆生を救済するために働いていると教えているわけです。
また、日蓮宗系でも、曼荼羅だけあって位牌は置かない宗派があります。
これまで述べてきたことを踏まえて、家の宗派のしきたりでは位牌を置かない場合にはどうしたらいいか。次は深見氏の見解です。
「お盆には、浄土真宗を信仰している家のご先祖は、阿弥陀如来と過去帳だけで霊を受け入れる位牌がないのでどこにかかっていいのかわかりません。死んだ人が、まさに阿弥陀浄土に完璧に阿弥陀信仰を持って行っている場合はいいのですが、そうではない親戚の霊がお祀りされますと、本人は阿弥陀信仰がありませんから、どこに行っていいかわからないわけです。
だから、日蓮宗の方も、浄土真宗の方も、生前、(ご先祖の)全員が熱心な信者とは限らなかったということで、位牌を設けて、基本的な仏壇にしておくほうが霊界はきれいにおさまるのではないか、というのが私の結論です。
親鸞の教えは素晴らしいし、それを引き継いで衆生救済のために力の限りを尽くした蓮如も立派な聖人です。日蓮上人も、もちろん素晴らしい。
しかし、いくらそれが家の宗教だからといっても、すべてのご先祖がその教えを正しく理解し、実践してきたとは限らないのです。
もちろん、そういうご先祖もいらっしゃいます。しかし、神霊界の実態を見れば、残念ながら、そんな立派なご先祖ばかりではないわけです。
ご先祖を敬う気持ちは大切ですが、実際、霊界で菩薩位、如来位にまで上がるというのはそう簡単なことではありません。だいたいご先祖といっても私たちと同じ凡人が多いのです。
そうしたレベルまで達していない一般の霊の立場から見れば、やはり帰ってきたときに安心してかかれる位牌があったほうがいいし、子孫に供養もしてほしい。ですから、宗門宗派を超えて、どの家の仏壇にも位牌を置いたほうがいいのです。
また、「家代々が神道で仏式の行事は一切やっていないという家でも、家庭が暗いと 46不幸が続くという場合は、御霊舎と並行して仏壇と位牌を置いたほうがいい」と深見氏は述べています。
これも理由はまったく同じことです。神道においては、人は死んだら神上がりをするとされており、神棚のすぐ脇に御霊舎(御霊屋)をおいて先祖をお祀りするのが通例ですが、この場合もやはり、とても神位に上がれないご先祖もいらっしゃるわけです。
そうしたご先祖の霊は神棚の脇にある御霊舎にはまぶしくて近づけません。下のあたりをフラフラ歩いて、子孫の体にかかってしまうことが多い。地獄界や中有霊界の真ん中以下のご先祖には、仏教の世界のほうが居心地がよいようですので、そうした霊を供養してあげるためには、やはり仏壇と位牌が必要なのです。
いろいろこだわりがある方もいらっしゃると思いますが、ご先祖の気持ちをくんで、ぜひこれは実行していただきたいと思います。神様も仏様も阿弥陀様も、必ず理解を示してくださるでしょう。
