第5章 先祖のご加護を受ける方法 – 守護霊活用秘伝
霊格の高い先祖は子孫を守ってくれている
これまで供養ということを中心に話を進めてきたので、どちらかといえば、少々やっかいなご先祖、あるいは、怨念霊、浮遊霊、地縛霊など霊の及ぼすマイナスの影響ばかり強調してきた感があります。
しかし、霊というのは何も悪いものばかりではありません。一方で、私たちを見守り、幸せに導くべく力を貸してくださっている霊もちゃんといるのです。
よく「先祖のご加護」ということが言われますが、生前徳を積んで高い霊界に行き、真面目に修業に励んだご先祖は、一定の条件のもとに子孫の背後について守護する役目を任命されることがあります。これが守護霊です。
守護霊は、宗派や思想信条にかかわりなくどなたにもついており、一年三百六十五日、一日二十四時間、片時も休むことなく私たちを暖かく見守ってくれています。
そして必要に応じていろいろな手助けをしてくださっているのです。
正確にいえば、私たちの背後には多い人で五十~百人、一般的には十~十五人の背後霊団がついて守護にあたっており、そのリーダー格が守護霊です。
第3章で、高い霊層にいる霊も、それぞれに応じた修業をしているという話をしました。守護霊になって子孫を見守るということも、そうした修業の一環として、神様から授かったお役目なのです。
守護霊になるのは、おおむね十代以上前のご先祖様で、第三天国以上の霊界にいらっしゃる方です。具体的にいえば、僧侶、学者、武士などが多く、修業を積んだ立派な方ばかりです。
そう言うと「うちにはそんな立派なご先祖はいらっしゃらないんじゃないだろうか」と心配される方もいるようですが、安心してください。先祖というのは遡っていけば膨大な数になります。
その中には地獄に落ちた先祖、怨念霊から恨まれている先祖もいますが、守護霊となって子孫を守ってくれている先祖も必ずいらっしゃるのです。
モグリの守護霊と正規の守護霊
ところで、よく「私が死んだら霊界からおまえを守ってあげるからね」などと言い残して亡くなる方がいます。気持ちはわかりますが、実際はどうでしょうか。
先ほど述べたように守護霊になるのも修業の一環です。
生前徳を積んで、ある程度の霊界に行けば、多少本人の希望も考慮されることがありますが、どのような修業が割り振られるかというのは、あくまで本人の魂の成長にとってふさわしい内容のものが決められるわけです。
特に現実界に影響を及ぼす守護霊のような役割を命じられるためには、霊界で段階を踏んだ修業を積まなければなりません。大前提として、自分が守護する人間よりも上のレベルでなければ話にならないわけです。
しかも、その人間の前世、今世、来世まですべて見通す能力を持ち、その大局に立って守護しリードする必要があります。
そうした技術も修得しなければなりません。わかりやすくいえば、守護霊になるためにはライセンスが必要なのです。
ところが、このライセンスを持たずに子孫の守護につこうとする霊も、たまにいるわけです。こうしたいわば、モグリの守護霊は、多くの場合、祖父や祖母、あるいは亡くなって間もない父親や母親の霊です。
まだ自分自身の修業ができていないのですから、当然、過去・現在・未来を見通す能力もありません。
高い見地から導くのでなく、ひたすら肉親の情で守ろうとするのが共通する特徴です。
今まで先祖のことなど考えずに生きてきて、結構運が良かった人が、お墓を造ったり、家に仏壇を置くと、急に運が下がる場合がありますが、モグリの守護霊のお蔭〟である場合が少なくありません。
こうしたモグリの守護霊に守られる”ほうこそいい迷惑です。よかれと思ってあれこれ世話を焼いているつもりでも、それは自分勝手で的外れなことが多いのです。
結果、何かギクシャクとした運命をたどったり、体調を崩したり、とにかくロクなことにはなりません。
また、たとえ一時的に運が良くなったように見えても、手取り足取り過保護な守護を受けつづければ、自立心が育たず、依存心の強い頼りない人間になってしまいます。
いずれにしても無免許運転の守護霊というのは、決して子孫のためにならないのです。(※救霊では、こうしたモグリの守護霊も説得し、子孫から離れ霊界にお帰りいただきます)
これに対して正規の認定を受けた守護霊は、A級ライセンスを持ったドライバーのように、私たちを安全に効率よく確実に導いてくださいます。
肉親の愛情を持ちながらも、けっして情に流されることなく、さまざまな側面を総合的に考えて、本当にその人が成長していくために必要に応じて的確に守護、指導してくださるのです。
先祖供養と守護霊
守護霊はずっと私たちの背後にいて見守っていてくださいますから、原則として仏壇に降りてきたり位牌にかかったりすることはありません。
また、何度か述べているように、霊格の高い先祖は特に供養を必要としていないわけです。
しかし、同じ先祖として、子孫が先祖を気遣い、正しく供養をしている姿を見れば、心が動かされないはずはありません。
また、かつて供養を受けた霊が、後に修業を積んで守護霊に抜擢されるということもあり得ます。
つまり、先祖供養というのは、直接的に守護霊に働きかけるものではありませんが、間接的には守護霊の守護の力を強める場合もあるのです。
さらに、守護霊ではないけれど、霊的パワーのある背後霊としてのご先祖もいらっしゃいます。このような意味からも、やはり、正しい供養は皆さま方の開運につながると言えましょう。
守護霊に接する際、基本的な態度としては、子が親に、あるいは孫がおじいちゃんに接するような感じで、親しみをもって接することです。
もちろん、ある程度の礼節は必要ですが、ご先祖様なのですから、他人行儀に気を遣うことはありません。また、日頃の言動はすべて見られているのですから、今さら体裁を繕う必要もないわけです。むしろ、多少甘えたほうが可愛がられるものです。
守護霊というのは本当にありがたいもので、二十四時間しかもマンツーマンで守護してくださっています。
ですから、どんどんその力をお借りすればいいのです。すると、いろいろなことがツボにはまったようにスムーズに動き出します。
自分の努力だけでは成し遂げられないような偶然と思える出来事が次々と身の周りに起きるというような場合、守護霊が動いていると思って間違いありません。
直接守護と間接守護
このように何とも頼もしい守護霊ですが、その働きにはいくつかの原則があります。まず、知っておいていただきたいのは、守護霊は私たちの「魂の教育係」だということです。
第3章で詳しく説明したように、私たちの命はこの世限りのものではなく、生まれ変わり死に変わりを繰り返しています。
なぜそうした旅が必要なのか、仏教的に言えば、「カルマの解消」ということになります。
私たちには皆、それぞれ前世の劫、そして家代々の劫というものがあり、この世で苦しむことによってその劫を刈り取っていかなければなりません。
ですから、たとえば霊障で苦しむことも、先祖の霊に悩まされることも、考え方によっては劫を抹消する作業ということもできるわけです。いわゆる邪霊悪霊というものの存在も、もっと大きな見地から見れば必要悪ととらえることができます。
すべての物事には、陰陽二つの側面があるということを考え方の基本に据えていただくと、一見不合理と思えるようなことも理解しやすいと思います。
いわゆる邪霊悪霊が陰なら、守護霊は陽です。劫を抹消することが陰ならば、徳を積んでいくことは陽ということになります。さらに徳には陰徳と陽徳がある。このように陰陽を考えながら、その両面から魂を磨いていくことが私たちの修業なのです。
したがって、魂の教育係として守護霊は、あくまでこの修業の方向性に沿って守護しています。ここが大事なところで、つまり、積極的に劫を解消し、また徳を積んでいこうとするときに、守護霊は最もよく動いてくださるのです。
そのためには、自分なりの目標を立てること。それを何とか成就させようと情熱を燃やして生きることです。そんな時には思う存分、喜んで力を貸してくださいます。
ところが、本人が怠け心を起こして努力していなければ、黙って見守っているだけで、手を差し伸べてはくれません。努力しないで何もかもうまく行ってしまっては、進歩向上がないからです。
しかし、決して見放したわけではなく、いつでもフォローできるよう万全の態勢を取っているのです。これを間接守護といいます。
そして、本人が自分の思いを見直し、試練を乗り越えるべく決意をして、物事に前向きに取り組みだすと、「よく立ち直った。応援するぞ」と直接守護に動いてくださるわけです。
要は本人の思いと行動次第で、いくらでも応援を受けることができ、開運していくことができるということです。
逆にいえば、自分と守護霊の間に距離ができてしまったときというのは、マイナスの霊の入り込む隙ができることになります。
願い事は口に出して言う
守護霊に動いていただくポイントとしては、とにかくその存在を肯定し強く認識することです。意識すればするほど強く出て、疑ってかかるとあやふやにしか出てこない。
これは霊界における存在すべてに共通する原則です。
ですから、日頃はマイナスの霊には心は向けず、守護霊のことだけ強く意識するようにすること。あるいは神仏に心を向けて感謝の気持ちを持つことが運を良くしていくための基本条件です。
このときに、
そして、何か願い事があれば、ハッキリと言葉にし口に出してお願いしてみてください。具体的に言えばそれだけ具体的に守護霊は動いてくださいます。
「ずっと見ているんだったら、いちいち口に出して言わなくてもわかるんじゃないか」と思うかもしれません。
確かに守護霊は、頭の中で思いを巡らした瞬間に、すべてその内容を把握されています。しかし、やはり口に出してちゃんと頼まれたほうが嬉しいのです。
たとえば、子どもが何か買ってもらいたいものがあったとします。口に出して言わなくても、親は子どもが何を欲しがっているかだいたい見当がつくでしょう。
しかし、だからといってすぐに買ってあげるとは限らない。「こんなオモチャを買ったら、また遊んでばかりで勉強をしなくなるんじゃないか」とかいろいろ考えるわけです。
「お父さん、これ買って!」と、元気よく訴えれば、親の気持ちは動くわけです。
「ちゃんと勉強するから、これ買ってよ」と、親の気持ちまで押さえて頼めば、たいてい首を縦に振るのではないでしょうか。
実はこれが守護霊を動かす際のポイントなのです。この場合、「ちゃんと勉強する」ということは「精進努力して修業に励みます」ということに置き換えられます。
以上のことを形式を踏まえて礼儀正しくやれば、それが「祈り」という形になるわけですが、基本は子どもが親におねだりをするのと同じことです。
さらに、この際、「世のため人のため」という気持ちが先に立っていれば、守護霊は心から喜んで動かざるを得ない気持ちになります。
愛念が他力を動かす
これはすべての祈りに共通することなのですが、愛念が出ていなければ神仏も守護霊も動きません。自分本位の気持ちでいくら祈っても、他力を動かすことはできないのです。
守護霊というものの働きをよくわきまえ、守護霊に喜んでいただけるような生き方、ものの考え方をしていくことが開運の要だということを知っておいていただきたいと思います。
「世のため人のため」というのは、別の言い方をすれば「我をなくす」ということです。
ただ、はじめのうちはなかなかそう考えるのは難しいと思います。「世のため人のため」と言っても気持ちが付いていかない場合は、まずは家族や自分の身の周りの人の幸せを願うことからはじめてみてください。
たとえば、自分が今している仕事や勉強のこと、乗り越えたい課題、人間関係の悩み、成就したい夢、どんなことでも構いません。
それがすべて「周りの人の幸せになるんだ」という思いで誓いを立てる。これを「発願」と言います。すると守護霊は「よし、わかったぞ」と受け取ってくださるわけです。
ただ、口では「世のため人のため」と言いながらも、実は自分本位の願い事である場合もあるかもしれません。
ですからコツとしては、発願の最後に「もし間違っていたら教えてください」と付け加えることです。そうすれば、鴨居にガツンと頭をぶつけたり、石につまずいて転んだりなど、非常にわかりやすい形で教えていただけます。
間違いに気付いたらどうすればいいか。これは簡単です。考えを正して間違いを詫び、もう一度発願し直せばいいのです。これを「宣り直し」といいます。
守護霊はあくまで 660 も自分が守護している人の味方です。親がわが子を思うように、決して見捨てるようなことはなさいません。本人が気付くまで、辛抱強くずっと見守ってくれる。これが守護霊の素晴らしいところです。
自力と他力を十字に組む
発願をしたら、次に大事なのは現実界における自分自身の努力です。どんなに純粋な真心から出た願いでも、本人の努力なしに自動的に成就するということはありません。
仏教の中には絶対他力を説く宗派もありますが、そこにはその教えを説いた開祖の生き時代背景があったわけです。どんなに努力しても報われない社会状況があったからこそ、ギリギリのところで救われる救済の道が降ろされたのでしょう。
これに対して、一切他力の応援はいらない。運命はすべて自分で切り開いていくものだとする考え方もあります。こうした考え方は力強く頼もしい限りですが、ややもすると傲慢になります。
私たちは〝生かされている存在なのです。だからこそ、その恩返しとして、自分が幸せになり、周囲の人も幸せにしていくことが大切なのではないでしょうか。
そして、そのためにできる限りの努力をする必要がある。少し専門的な言い方をすれば、自力と他力が十字に組んでスパークするその瞬間に物事が動き出すわけです。
ただし、これは「人事を尽くして天命を待つ」というような悲壮な決意である必要はありません。もっと気軽に考えて結構です。「努力しますからお願いします」と将来の努力を約束してお力添えをお願いしたのですから、最低限その約束を守るように努力すればいいのです。つまり、どんな小さな一歩でも、まず踏み出すことが大事ということです。
たとえば、それまで家で勉強は一切やらなかった子どもが、宿題だけはやるようになれば、これは変化です。学校の成績は上がらなかったとしても、その姿を見ている親ならば評価をするでしょう。
守護霊は二十四時間見守ってくれているわけですから、どんな小さな努力もちゃんと見ていて、その方向性さえ間違っていなければ、その段階に応じて手助けをしてくれるのです。
もちろん、それだけで一度に大きな願望が達成できるわけではありませんが、開運の端緒に着いたということはできます。
後は守護霊と二人三脚で、進んでいけばいいのです。小さな目標を次から次に立てている人というのは間がありませんから、常に守護霊から強いバックアップを受けつづけることができます。
一歩一歩努力を積み重ねながら、「頑張りますから、願いが叶いますように」と守護霊に繰り返し頼む。悩みや葛藤があれば、「どうしたらいいでしょう」と、それを全部守護霊に投げかけていくと必ず答えが返ってくるようになります。
純粋な気持ちで周囲の人の幸せを願い、その実現に向けて努力を続けていれば、本人は気が付かなくても、必ず守護霊のバックアップを受けています。
自然にその願望が成就するように、目に見えないところでいろいろ動いてくださって
しかし、さらに一歩踏み込んで、意識して守護霊と交信することにより、よりフレキシブルに守護霊の力を活用することができます。そのコツをお教えしましょう。
先ほど申し上げたように、まずどんなことでも守護霊に投げかけてみる。すると答えが返ってくるのですが、大切なのはそのメッセージをキャッチする感覚です。
というのは、守護霊は普通、耳元で囁くような形では答えを示さないからです。もし声が聞こえてきたら、九九パーセントそれは動物霊の仕業と思って間違いありません。
一般的に守護霊は直感に働きかけることでメッセージを伝えます。ふと頭によぎるインスピレーション。
特に理由はないけれど「絶対こうなる」という確信のようなものが湧いてきたら、その直感に従うことをお勧めします。ただし、これは個人差があって、霊的に敏感でない方はあまり気付かないかもしれません。
どなたでもわかりやすいのは、守護霊が周囲の人にかかって誰かの口を通して伝えられるケースです。もし、聞きもしないのに、自分が疑問に思っていること、判断を迷っているようなことに関することを誰かが話しはじめたら、ぜひ耳を傾けてください。
コツは、その人に対する日頃の感情やしがらみを差し引いて、内容をよく聞くこと。特にふだんあまり言わないようなことを言っている場合は、守護霊がその人の口を借りてメッセージを伝えようとしているケースが少なくありません。
しかし、それでもまだ、それが本当に守護霊の言葉かどうか確信が持てないこともあるでしょう。
慣れてくるとわかるようになるのですが、人の言うことをすべて守護霊の言葉だと思って、その通りに行動してしまうと、主体性のない付和雷同の生き方になってしまう場合があるので、注意が必要です。
ただ、同じことを三人の人から別々に言われたら、ほぼ守護霊からのメッセージと思って間違いありません。
その他、偶然手に取った本に書いてある内容、テレビやラジオなどを通して伝えられることもあります。また、夢で教えてくれることもあります。
ふだんあまり夢を見ない人が、カラーではっきりした夢を見、起きてからも鮮明に記憶に残るような場合は、守護霊からのメッセージであることが多いようです。
このように、あの手この手で何とか気付かせようと、守護霊は一生懸命にシグナルを送っているのです。
ですから、日常の中でいつもアンテナを張り巡らし、どんなヒントも見逃さないよう心を研ぎ澄ましていることが大事です。そうすれば、だんだんインスピレーションが冴えてきて、守護霊が何を伝えようとしているのか、いろいろな場面でキャッチすることができるようになるでしょう。
恩を受けたら徳で返せ
守護霊の声を受けとめて、自分も努力し、めでたく願望が成就したら、忘れてはいけないのがお礼です。人間社会でもあたり前のことですが、意外にこれを忘れる人が多いのです。
いかに霊格の高い守護霊といえども、これは気分がいいものではありません。だからといって恨んでバチを当てるというようなことはありませんが、最低限の礼節は保つべきでしょう。
お礼といっても、人間と違って守護霊は、成功報酬を求めたり見返りとして物を要求するようなことはありません。
「お蔭様で願いが叶いました。どうもありがとうございます」と感謝の意を捧げればそれで十分です。できれば、お力添えをいただいたと思ったら、その都度お礼を申し上げること。
お祈りをする場合も「いつもお見守りくださいましてありがとうございます」と、感謝の言葉から入ることをクセにすることです。これも気持ちだけでなく必ず言葉に出して言うようにしてください。
もう一つ、「お礼の先取り」というのが意外に効果があります。まだ願望が成就する途中であっても、壁に突き当たって挫折しそうな時でも、「願いを叶えてくださいましてありがとうございました」と、すでに願望が成就したものとして先にお礼を言ってしまうのです。
毎日毎日これを繰り返すと、守護霊としても「そうまで礼を言われたら、何としても望みを叶えてやらなくてはいかんな」という気持ちになるわけです。
成功し自分自身の姿を思い描くというのは、潜在意識活用法のテクニックとして知られていますが、実は守護霊に働きかける作用もあるのです。
もちろん、本当に願望が成就したら、ひときわ丁重にお礼を述べる。
そして、次なる発願をすれば、引き続き守護霊は応援してくださいます。
発願を途切らせないこと、目標は最初からあまり高くせずに、小さな目標を積み上げて一つひとつクリアしていくこと、成功の秘訣です。
常に守護霊とともにあることを意識しながら、たゆまず精進を重ねていけば当初思い描いていたものより、もっと大きな成功を手に入れることができるでしょう。
そして、お礼だけでなくさらにその恩に報いたいと思うならば、積極的に徳を積むことです。徳というのは個人が開運していくための最大の要素であるだけでなく、プラスの意味の因縁として家代々に加算されていきます。
だから、「積善の家には必ず余慶あり」(「易経』)なのです。そうした徳分を次の世代に引き継ぎ、子孫がまた繁栄して家が栄えれば、先祖としてこんなに嬉しいことはありません。
守護霊と守護神の関係
あたり前のことですが、大きな願望を成就させるには、それだけの努力をしなければなりません。たとえば、東大に入ろうと思えば、人一倍勉強するということが前提条件になるわけです。
ただ、守護霊の協力があると、努力の方向性が明確になり、無駄な苦労を大幅にカットすることができるのです。
守護霊からのメッセージに耳を傾け、よくその意味を咀嚼して生活の中に活かせば、仕事でも勉強でも、効率が飛躍的にアップすることは確かです。人間関係が円滑になり、いろいろな人が必要としている援助をしてくれるようになるでしょう。
努力をすればするほど、守護霊の守護の力は強くなります。小さな努力では少しの守護しかいただけませんが、死ぬ気で頑張れば、守護霊は持てる限りの力を発揮して、全面的にバックアップしてくれます。
しかし、それで、もし守護霊の力が足りない場合はどうなるでしょうか。
守護霊というのは神様ではありませんから、実は、その力には限度があり、また個人差があります。人格を持ったご先祖様ですから、性格もあれば得手不得手もあるというのが本当のところです。
だからこそ、親しみやすい面もあるわけですが、時には「ちゃんと努力しているはずなのに、ちっともうまく行かない。私の守護霊は大丈夫なのだろうか」というような気持ちになることもあるかもしれませんが、心配はいりません。守護霊は自分で選ぶことはできませんが、基本的に先祖の中でも、その方に一番ふさわしい霊がついてくださいます。
これは守護霊を管轄する守護神の判断によるものです。
守護神と守護霊の関係ですが、これは文字通り「神」と「霊」の違いがあるわけです。実際は、本人が前世に崇拝していた神様が守護神につくケース、先祖が代々崇敬してい神社の神様が守ってくださるケース、あるいは本人の魂の系統で決まる場合などがあります。
守護神は同じ神様が一生を通じて見守ってくださいますが、守護霊というのは一般の人でだいたい四~五回、最低でも三回ぐらい交替します。ここが大きなポイントですから、少し詳しくお話ししておくことにしましょう。
人生の節目で守護霊が交替する
守護霊が交替するのは男女とも思春期(十三~十五歳)と二十五歳。さらに男性は満四十一歳の厄年前後、女性は十八~十九歳と結婚前後といったケースが一般的です。
なぜ、この時期に替わることが多いのかというと、人間は生まれたときに、人生のスケジュールの六~七割は決まっており、その時期にふさわしい守護霊がつくからです。
ごく普通の生き方をすれば、だいたい前記の年齢に男女それぞれ節目を迎えますから、それに先立って守護霊が交替し、環境の変化に適応できるように準備しておくわけです。
これを「自然交替」といい、だいたいは本人が気が付かない間に入れ替わっています。
ただ人によって運命というのはさまざまです。本人が好むと好まざるとにかかわらず、環境が激変することもあります。
たとえば、両親が離婚したとか、家が火事で焼けたとか、勤めていた会社が潰れたりとか、予期せぬ出来事が起こることもあるわけです。
こうした時に新しい環境に対応できるように、守護霊がパッと交替することがあります。自然交替の時期と一致する場合もありますが、必ずしも、そうでないケースもあるわけです。
そこで気になるのは、どんな先祖が守護してくださるかということですが、これは条件によっていろいろ異なります。一般的には、十代の前半までは武芸に秀でた守護霊がつく場合が多いようです。
というのは、この時期は何にもまして肉体的な鍛錬が重要だからです。本人が元気で意欲的であればあるほど、武芸の達者な守護霊がつきます。
若い人、特に健康な方はあまり意識することがないかもしれませんが、運勢の基本は何といっても健全な肉体なのです。
どんなに勉強ができても、才能があっても、金銭的に恵まれていても、健康でなければ人生を切り開いていくことは難しいでしょう。
そうした基礎があったうえで、十代の半ばから二十代前半の学生時代は、集中的に学問を身につける時期ということになります。ですから、ここで守護霊が交替して、学者などの守護霊が指導にあたるというのが一般的です。
ただし、勉強は苦手でスポーツが大好きというような人には武芸の達者な霊が続けて面倒を見ることもあります。
学校を卒業して社会に出ると、今度はそれぞれの仕事に関連した守護霊がつくようになります。
ビジネスで手腕を発揮することを本人が志すならば、商才に長じた守護霊、クリエイティブな分野で活躍したいのなら芸術関係の守護霊にバトンタッチされていくわけです。やがて独立して多くの従業員をかかえる企業家になれば、今度は戦略に長けた武人が守護霊になります。
あるいは晩年に至り、来し方を振り返り思索にふけるようになれば、思想家、宗教家の霊が守護してくれるようになるでしょう。
このように人生の節目ごとに、志に応じて一番ふさわしい守護霊がバックアップしてくださいます。
守護霊はその時期の自分にもっともふさわしい霊がついてくれる。別の角度から見れば、守護霊が交替するというのは、運命が変わる時ということになります。
さらにそこから一歩考え方を進めれば、守護霊を替えることによって運も変わっていくということに気が付くでしょう。
つまり、それまでの自分から脱皮して、新しい自分になろうと決意する。自ら志を立て、その実現に向けて具体的な行動を起こした時に、守護霊が入れ替わることがあるわけです。
もちろん、その判断をするのは守護神ですが、将来のビジョンを定めて本人が動き出したとき、守護霊は大きく動いてくださるのです。
来世に向けて貯金をしておこう
そうは言っても、特に若い方の中には、何をしたらいいか自分でもよくわからないという人もいることでしょう。そういう場合は、なかなか守護霊も応援しづらいわけです。せっかく素晴らしい守護霊がついていてくれても、本人がやる気を出さなければ動けないのですから、守護霊も辛いところです。
最初の一歩を踏み出すのはあくまで自分。しかし、何から手を着けていいかわからないときは、とりあえず何か自分が好きだと思うこと、心惹かれること、胸がワクワクすることをはじめてみてください。
何となく好きだと思うことをとりあえずやってみること。
実はこれが人生を運命を開いていく際の非常に重要なポイントなのです。
第3章でも触れたように、私たちの魂の中には前世に培った才能が眠っています。しかし、ある時期がくるまでそれに気が付かないことも多いものなのです。
やってみてはじめて「あっ!自分にはこんな才能もあったんだ」と目覚める。そこから運が変わっていくわけです。
なぜ今までそれに気が付かなかったかというと、つまりは環境のせいです。これは前世の徳分にも関係してくるわけですが、どんなに才能があってもそれを発揮できる環境に恵まれるとは限りません。
すると本人が気が付かないままに今世を終わってしまう場合もあるわけです。
何を幸せとするかは人それぞれですが、自分が心から楽しいこと、好きなことを一生を通じて追求することができれば、それは素晴らしいことではないでしょうか。
できれば、それを職業にして成功し、世の中に認めてもらえればこんなに嬉しいことはありません。世の中に認められるということは、広く世の人々の役に立っているということに他なりません。
ですから、自分が心から喜べることを見つけたら、それを自分が授かった才能、素質だと信じて、自分の道を定めて突き進んでいくことです。
もし、それが違っていたらいずれ守護霊が気付かせてくれます。回り道をしたと思うかもしれませんが、それまでの努力というのは決して無駄にはなりません。不思議なことに後々何らかの形で必ず役立っていることに気付きます。つまりは、ちゃんと守護霊が導き続けているわけです。
同じ目的の旅
読者の方の中には、すでに人生でなすべき仕事に一定の区切りをつけて、穏やかな生活を送っている先輩方もいらっしゃるでしょう。
しかしながら、先祖供養を生きがいに、よい霊界に行くことだけを考えて余生を過ごすというのは、ずいぶんともったいない話です。
もちろん、ある程度の年齢に達したら後継者に道を譲り、静かに身を引く潔さは必要です。
しかし、「すでに人生でなすべきことはすべて成し遂げた」と思っても、実はそれで終わりではないわけです。そんな境地に達したときこそ、次なるステップに向けて貯金をしておく絶好の機会です。
この世で築いた地位や名誉、あるいは蓄えた財産はそれがどんなに莫大なものであっても、あの世まで持っていくことはできません。
しかし、第3章でお話ししたように、現世での努力、とりわけ、学問、芸術、信仰の三つの要素は魂に深く刻み込まれ、才能という形でそれを来世にまで持ち越すことができるのです。
つまり、たとえ現在七十歳だったとしても、八十歳だったとしても、何かをはじめるのに遅すぎるということはないのです。現世の幸せのためだけでなく、来世への貯金をどんどん貯めることができるわけです。
もちろん、守護霊はそういう努力にもおおいに応援してくださいます。
前にも申し上げたように、結局のところすべては修業なのです。
この世も修業、あの世も修業、現世も修業、来世も修業。私たちも修業、ご先祖様も修業。ただ、それは一人で黙々と励むものではなく、縁ある人と助け合い励ましあいながら、みんなが幸せになることを追求していくことです。
この世の家族、友人、知人だけでなく、力を貸してくださるご先祖もいるし、頼ってくるご先祖もいる。そうした大きな見地で人生を考え、日々の生活を考え、あるいはあの世のことを考え、先祖のことを考えるべきだと思います。
生まれた時代が違うだけで、みんな同じ修業を続ける同志なのです。
やがて私たちも霊界に行き、あの世から子孫のことを見守るようになるでしょう。あるいは守護霊の役目を任命されるかもしれません。
そしてまた、いつの日かこの世に生まれ変わってくることもあるでしょう。いずれにしても、心構えは同じことです。
すべては生まれ変わり死に変わりしていく輪廻転生でつながっている壮大なスケールの物語の一幕。私たちの魂の旅は続いていくのです。
