信仰の道(Vol.2)

第一章 信仰姿勢の基礎を学ぶ~運命改革と善根功徳について~

道元禅師の疑問

日本の曹洞宗の開祖として知られる道元禅師は、幼いころから一つの疑問を感じておりました。禅宗はもともと即身成仏の教えですが、それによると、もともと人間は仏様であり、それを発見し体覚するのが本旨である、ということになっています。

また、白隠禅師の言葉にも、「衆生本来仏なり」とあります。つまり、もともと衆生は仏様だということです。また、人はもともと聖人だ、という王陽明先生の言葉もあります。

それなのに、なぜ坐禅を組み修業をし、即身成仏しなければならないのか。これは変ではないか。道元禅師は、いくら考えても分かりませんでした。

そこで、日本中の和尚さんを訪ねて聞いたのです。本来仏である人間が、なぜ、修業をして仏になろうとするのか。しかし、考えても考えても分からず、誰に聞いても分かりませんでした。

困った道元禅師は、比叡山へ行って修業しましたが、そこでも答えは得られず、そこで明全という師匠について禅の基礎を学んだのち、中国の天童如浄というお師匠様のところで、七年間の修業を重ねたのでした。

そして、はたと悟りました。

そうだ、修業は未知なる仏へ向かって行くものではない。もともと仏である人間が、修業して仏になるものでもない。

天の運行の無限なること、果てしなきごとく、悟りというのはいくらでも深く何重にも層をなしているのだ、ということに気づいたのです。

永遠なものに向かって、完全なものに向かって、ひたすら坐っているその姿。その姿というものが仏様なのだ、その人のなかにある仏様の発露なのだ、と悟りました。

したがって、何のために坐禅を行うのかといえば、健康になるため、悟りを開くため、ましてや仏様になるためではない。坐禅そのものが仏の実践なのだ。

そして、「修証一如」という言葉を生んだのです。つまり、修業をするその姿と、仏ということの証しは、実は一つなのだ、ということです。進歩発展していく姿そのものが、真実なのです。

この言葉には、実に深い意味があります。つまり、この言葉を私たちの仕事に当てはめて考えてくだされば、分かります。売り上げはどこまでも伸びていく。会社はいくらでも大きくなる。

この姿勢が大切なのです。同時に、人生の悟りも無限に続きます。天地は永遠なのです。その永遠に向かって努力していく姿そのものが、われわれにとっての神なるもの、仏なるものではないでしょうか。

学生にとっての学習向上、道を求める人にとっての修業というのも、このように考えてよいのではないでしょうか。ただ一生懸命に勉強し精進する姿そのものが、皆様にとっての仏様だとお考えください。

私の経営する学校でも、あるイベントで黙坐賞をつくり、参加賞や皆勤賞を与えています。つまり、道元禅師の「修証一如」、「只管打坐」(ひたすらすわる)の言葉に学ぼうとしているのです。

陽明学や、「四書五経」のなかの「中庸」でも、内在する真実の自己の存在を示しています。

禅宗ではとくにその点を強調し、本当に価値ある人生とはいかなるものか、ということについて、生きている本当の仏様をテーマに、真実価値ある人生の過ごし方や考え方をわれわれに教えていると申せましょう。

御魂の喜び~本当の幸福論~

ここで、もっと平易に考えてみましょう。

まず、人は何のために生まれてくるのか。マルクスのいうように、高等生物とし単に存在しているだけなのかどうか。

マルクスは、なぜ生きるのかということよりも、なぜ生きるのかを考えているその存在が何よりも先にあるのだ、と宗教の定義を行っています。動物が自然界に存在するように、まず存在することに意味がある。

これが実存説、唯物史観です。

しかし、ではその存在はどこから来るのか、という問いに対しては、それは前かそのように存在していたのだ、と解答しています。

私たちは、そのようなとらえ方ではなく、天が万物を生んだという、昔の東洋的な考え方から出発しています。天地が一体となり、人間もそのなかに含まれている。

その状態で、生きている。いや、生かされている。そして自然界は、太古から今日まで命々脈々と生き、生成化育の活動を続けている。

そのような考え方から、神や天命という言葉が出てきています。つまり、自然を司る神や天から命を受けて、人は生まれてくるというわけです。

それでは、なぜ、人間は生きているのでしょうか。その命とは一体何なのでしょうか。

いちばん簡単な解答は、亀井勝一郎のいうように、快楽を求めて生きている、ということです。つまり、喜びです。換言すれば、幸せを求めているのです。

実際にアメリカでも、以前は、パァスゥート・オブ・ロンリネスが一般的でしたが、いまや、パァスゥート・オブ・ハピネス(pursuit of happiness)の社会になってきています。

幸福の追求ということです。発展とか進歩ということよりも、また、個人の自由や個人の時間であるロンリネスよりも、幸福を求めなくてはいけないのではないか、という考え方です。

私たちの立場も、亀井先生と同じです。幸せになるために生きているのだと思います。

幸せの定義は、とくにありません。日本国憲法で定めてあるわけではないし、東京都の条例で、これが東京都民の天命であり幸福だ、と決めているわけでもありません。まったくの自由です。

そこで、私たちはこう考えようではありませんか。人は幸せになる義務がある。これが天命だ、と。しかも、最終的な目的は、お釈迦様が説かれた苦しみのない世界、涅槃の境地、永遠の幸福です。

禅宗でも、本来の面目に見性して真性に生きれば、心からの喜び、天の喜び、安心の世界に生きられると教えています。

天からさずかった本来の自己に目覚めれば、歓喜に満ちた世界がやってくる、ということです。これらは、植松愛子先生がの神様に、「人間は幸せになる義務がある。それが神の心であり、人の天命である」と示されたことと同じであります。

ただし、幸せにはランクがあります。低い次元から考えていくと、まず、非常に即物的な快楽。言葉がよくないのですが、性的快楽というか、肉欲的歓喜というか、幸と申しますか、ハピネスといいますか。

とにかく即物的な幸せです。つまり、おいしいものを食べ、いい洋服を着て、すばらしい家に住み、できれば美男美女などといっしょになるために一生懸命働くのが、私たちの天命だ、というものです。

衣食住等に限定した即物的な快楽です。

修養を行ったり、宗教をもったり、自分の哲学をもったりしない、ただ単に普通に生きている人は、動物的で肉体的な欲求を満たそうとします。それが、欲望です。

よく寝て、よく食べる。食欲、性欲、名誉欲、地位、お金、このような物質的な満足が得られれば幸せになれる、という考え方や見識です。

しかし、こうした幸せは長続きしません。それらの欲望を全部満たしたとき、人は虚無を感じるからです。

その典型が、お釈迦様です。王子に生まれ、子どもも妻もいて、地位と名誉と財産に恵まれながら、心はむなしさを感じていました。

人はなぜ生きるのか。なぜ苦しむのか。そうした人生の基本的な問題に疑問を抱き、出家されたのです。

やはり、心の幸せが大切です。たとえば、美男子でもなく、身長も高くはなく、額に毛が多いわけでもない。

しかし、チビだといっても、地球の直径に比べたら百八十センチも百五十八センチも大して変わらない。つまり、自分の心しだいでどのような人にも幸せの感覚は生まれてくるのです。

幸せの次元が肉体的なものか、心の問題か、霊的なものなのかは、感性と魂に関わってくるものでしょう。

また、時間的な問題もあります。その幸せが瞬間のものなのか、一生のものなのか、永遠のものなのか。

たとえば、青年期の幸せというのがあります。青春時代の恋です。でも、よく考えてみてください。若いときは顔もハンサムでスポーツマンだった人が、中年になったら何の魅力もなくなった、ということがよくあります。

色男、富と力はなかりけり、などといいます。ハンサムではない人のほうが、かえって内面が充実してい幸せな人生を送っている、ということもあるのです。もちろん、両方そなわっていればそれに越したことはありませんが。

また、老人になったときに、我ばかり強くて周囲に嫌われ、みじめな晩年を迎えている人もいます。

肉体的なものは、やがて失われていきます。老境に近づくほどに大切になってくるのは、心のもち方です。それが、ひいては魂の喜びをもたらすのです。

その媒介が、芸術であったり、信仰であったり、真の学問であったりします。自分の魂が本当に満足するときの喜びは、永遠のものなのです。

人が再生転生するとしても、生まれ変わっても、死に変わっても変わらない喜びが魂の喜びであり、その記憶なのであります。

魂の記憶は再生転生しても残る

前章で転生といいましたが、では、人が死んでも受け継がれるものとは何なのでしょうか。

科学的宗教的な立場で考えると、それはエーテル状のガスだ、ということになります。しかし、それでははかなく消えてしまうだけです。空間に残す一点のチリに過ぎないことになります。

ここでいう永遠に受け継がれるものとは、本当の意味での学問のことです。また、信仰、芸術のことなのです。死の向こうにもっていけるものは、この三つです。

これは、魂の世界との関わりをいい得て実に妙です。そして、これは植松先生の受けた御神示に出てくることでもあり、考えれば考えるほど、なるほどと納得させられます。

というのは、生まれながらに芸術的感覚の鋭い子がいますね。絵を描かせても、非常にセンスがよい。これは天賦の才です。

このような才能とは、生まれながらにして差別があるものです。そして、生まれながらに仏心の篤い人、慈悲の心の深い人がいるのです。

それから、生まれながらに頭のいい子、もの分かりのいい子がいますね。一度聞いたら忘れない子ども。これは天性としかいいようがない。

人間が生まれ変わり、死に変わりするとすれば、人の素養というものも、どこかで説明されなければならないはずです。

こう説明すれば、はっきり分かるはずです。突然変異、という考え方もありますが、日本中でこれほど頻繁に突然変異が起こっているのは、理屈に合いません。したがって、この魂の世界の記憶と経験が才能の根源となり、それは永遠だ、という考え方が生まれてくるのです。

神の御神示の含意を説明すれば、このようになる

最高最大の幸福を目ざして-神の希い

そうした考え方を念頭に置いて、さて、それでは、私たちはどう生きればいいのか。

この永遠に残る善なる魂の記憶と経験、そして、魂の輝きと徳の厚さや大きさというものを心の基準にして生きれば、現実界でどう生きても、善なるものが継続されていくことに変わりはないのです。

しかし、同じ生きるのなら、誰よりも高く、誰よりも大きく、力は機関車よりも強く、高いビルディングもひとっ飛び……という、スーパーマンのように生きようではありませんか。それくらいの大きさがあり、かつ広くて深くて豊かなる幸福を求めようではありませんか。

人よりも大きくて、広くて、深くて、豊かなもの。それには瞬間の幸せもあれば、一生の幸せもありましょう。

しかし、結局、霊魂の不滅と霊界や来世の存在を信じれば、永続的で多面的な幸福を追求できるのです。そう信じようではありませんか。どう考えても、信じないよりそう信じる方が人生の意義が深いのです。

そして、同じ生きるのなら、あらゆる次元で幸せになりたいものです。短期中期、長期、来世、来々世と、あらゆる時期を通しての幸せを求めるのです。

先ほどお話ししましたように、幸せになることは、天の命による義務です。大きく、広く、深く、豊かで、しかも永遠に、あらゆる次元において幸せになることだと思います。

私たちは皆、そのような命を天から受けているのであり、一生涯というものをそのように受けとり、皆々が幸福に生きていくことを、神が何よりも望まれ、期待されているということを忘れないで欲しいのです。

運命改革方法論序説天命・宿命・運命について

この章では、前章で触れた天の命を、別な角度から見てみましょう。

天の命をわが身に宿す、これが宿命です。たとえば、男性に生まれた。これは変えようがありません。もっとも最近は、これを変えようと試みる人がいますが……。

身長が百八十、百九十というのも、同様ですね。変えようがない。宿った命なのです。長男に生まれた、日本国民に生まれた、これもどうしようもありません。

日本人に生まれた人が、生まれながらのアメリカ人になりたいといっても、無理な相談ですね。

このように、人間には生まれながらの宿命があり、制約があるわけです。すべてが自由になるわけではない。

そうした制約はあるけれども、しかし、この命をうまく運んでいくことによって、運命を好転させ、幸福を大きくすることはできる。これを、王陽明先生は、造命、つまり命をつくっていくことだと教えます。

これに対し、あとで述べる陰鷲録というのは、陰徳を積んで造命することで立命するのです。命を立てることです。立命館大学というのがありますね、ここから来名前です。

さて、ここで大切なことは、私たちが命を運んでいくことを天が望んでいることであり、私たちはまさに命を運んでいくことができる、ということです。

運命は改革できるのです。宿命は変わりません。が、天の命を知って宿命を悟り、動かし難い自分の局面を見て、そこからいかに運命を運び、幸福になるのか。問題はそこにあります。

この方法を、現在の次元のなかで三つに分けて考えてみましょう。

袁了凡の教訓に満ちた人生~陰騭録講話~

運命を改革する手段として、まず、易があります。姓名を判断して名前を変える。印鑑を変える。また、家相を見てもらう。方角を見てもらう。吉方に向かって引越しや旅行をする、ということです。

まず、こうした各種の易占によって運命を変える、という考え方があります。中国では、地理風水学という考え方が盛んです。つまり、人が生まれてからでは遅すぎる、生まれる前から運のいい子をつくろう、という考え方に基づいて、お墓に凝るのです。

易というのは、天地と宇宙の法則、惑星の動きと気の流れを見て、それを人の生き方に生かし、幸せを得ようというものです。

一般的には、そこまでやる必要はないのではないか、という考えもありますが、これは一概にはいえません。これらにとらわれるあまり、人間生活に不自由をきたすのは問題です。

また、人の努力や神様への誠の信心を忘れて凝りすぎるのも、問題です。

しかし、天の法則を知って人々の幸せにつなげるという点では、科学も宗教も易占も同じであり、神霊一本で頑固に押し通すのは偏狭である、といわざるを得ません。なにごとも不即不離が真であり、中庸であり、妙でありましょう。

もう一つの方法は、徳を積むということです。

易というものは、どんなにすぐれていても九分九厘をカバーするものであり、完全にこれにまかせてしまうわけにはいきません。つまり、百パーセントその通りになるわけではない、ということです。

その例として、陰鷲録のお話をいたしましょう。

陰鷲とは、陰徳という意味です。陰徳の記録が、陰鷲録ということになります。

明の時代に、了凡という人がおりました。お母様の実家がお医者さんでした。医者として家を継ぐ必要があったため、医学の勉強を志しておりました。

あるとき、仙人かと見まごうような白髪異様なおじいさんがやってきて、こういったそうです。

「私は、中国で当代随一といわれた易の大家です。百発百中、あなたの未来を占ってごらんに入れましょう」

半ば疑いながら、この老人の話を聞いてみました。すると、どうでしょう。袁了凡の年齢、母親の年齢、父親の年齢、家族の人数まで、ピタリと当てたそうです。

さらに、病気をしたときの年齢や、細かな癖までいい当ててしまうので、恐ろしくなるほどでした。

医学を志していることを話すと、この老人は、「それは、やめたほうがいい。本来、あなたは官吏に向いている。今すぐ医学の勉強をやめて、官吏の勉強をしなさい」

「しかし、私の家は医者なのです。志を変えるには、母の承諾が必要です。それほどいうのなら、母を説得してください」

「それならば」と、母親と会って話をしてみると、これも、いうこということ百発百中。母親は驚いて、

「分かりました。それほどおっしゃるのなら、息子の天命を信じましょう。官吏の勉強をさせましょう」ということになりました。

当時の中国は、科挙といって厳しい試験によって官吏に採用され、昇進するしくみになっていました。その易者は、彼が試験で何点をとり、何番になり、給料をいくらもらうかをいい当てました。

さらに、その次の試験では何点をとり、その結果、いくら給料をもらうか。先の先、一生をすべて見通してしまったのです。

五十七歳で死ぬ。残念ながら子どもはできない。しかし、こうなって、ああなって……………。

彼が老人のいうとおりに勉強したところ、まったく予言どおりになったそうです。一度目の試験でとった点数も、そのときの給料の額も、二度目の試験の点数も、給料も、予言と寸分も違いませんでした。

これは大したものだ。自分の人生は、易者のいうとおりになるに違いない。信じ間違いない。

彼は、こうして運命論者になりました。自分の運命を信じて疑いませんでした。

ある日、袁了凡が廟で禅をしていました。そこへ、雲谷禅師という有名な禅のお坊さんがやってきて、ともに参禅しよう、ということになりました。

何と三日間、ともに坐禅を組んだそうです。

ところがその三日間、袁了凡の心には、よけいな雑念、妄想人生の迷いがまったくなく、静寂そのものでした。

雲谷禅師は感嘆し、「どこで、そのような修業をされたのですか。私も禅坊主を長くやっていますが、あなたのように何の雑念もなく、妄想もなく、静かな捨てきった心の持ち主は初めてです」

「実は、かくかくしかじかで、私の一生はもう決定しているのです。今さら悩むことは何もないのです。これでいい。満足しています」

すると、雲谷禅師はカラカラと笑い、「この愚か者め。それでは何のために生きているのだ」と、いにしえの聖賢、仁者仏門に仕えた人々の例を挙げ、徳を積むことで天の命数を変えるということについて、諄々と袁了凡を諭しました。

袁了凡は、自分が運命論者であることにようやく気づきました。

そうか、これではいかん。徳を積めば、自分の運命はいくらでも変えられるのだ、と悟ったのです。

そして、雲谷禅師にいわれたように、彼オリジナルの徳の”得点表”をつくりました。

仮に、死にそうな人を救えば百五十点、壊れかかった神社を修理すれば八十点、寺院を直せば七十八点、死にそうな動物を救えば十五点、というように、あらゆる善根功徳を分類して点数化したのです。

そして、これを手がかりに今日は何点、次の日は何点と、点数をふやすのを楽しみにしながら、善根功徳を得点にして積み上げていったのです。

雲谷禅師のおっしゃった言葉を守って、袁了凡は毎日毎日、思う限りの徳を積んでいきました。

そうしたところ、あの易者の予言が、次第に狂いはじめたのです。あの試験を何番で通る、という予言がはずれはじめ、給料も増えてきました。良い方向に良い方向にと狂いはじめたのです。

子どもはできない、といわれていたのに、とうとう子どもができました。そして、天の恵みによって子どもをさずかった、という喜びをこめて、天啓と名づけました。

五十七歳で死ぬといわれていたのに、なんと、結局八十六歳まで長生きすることができたのです。

まさに、徳を積むことによって運命を改善し、造命することができたわけです。徳を積むことで、天の命数が改善されたのです。

これは、実話です。小説でもフィクションでもありません。

こうした経験から、袁了凡は陰鷺録をつくりました。Aさんはこのような功徳を積んで、試験を何番で通った。

Bさんの子どもは、こうして何番で通った。Cさんは官吏採用試験を何番で通って、こういうところへ採用されたと、こと細かく記述しています。

当時は官吏に登用されることが幸福であり、出世の第一歩でありましたから、このような実例を多く挙げているのです。

また、たとえば、こういう話があります。

「あなたは最近、とてもすばらしい徳を積まれましたね。たくさんの人を救われましたね。人相に出ております」

「いや、そんな覚えはありません。人を救った記憶はありません」

「人でなければ虫でも動物でもいいのです。救ったことはありませんか」

「そういえば、先日、アリを助けました。アリの塚が嵐で流されているのをかわい

そうにおもい、別のところに移してやった覚えがあります」

「ああ、それです。あなたの行った善行が、お顔に表れていますよ。たとえアリでも、たくさんの命を救ったという一つの徳が、相に出ています」

このように、徳は必ず表面に表れてくるのです。

陰鷲録は、このような記録です。

以徳報徳の二宮尊徳も、常に陰鷲録を携帯していたそうです。薪を背負った二宮尊徳が何を読んでいるのか、一般的には知られていませんが、おそらく陰鷲録であろうと(笑)、自分勝手に解釈しています。

昔の偉い人は、人の釣ったドジョウを買い上げて、川へ放してやったそうです。あるいは、寺院を修復する。人の命を救う。

こうした徳の話は、江戸時代からあるようです。石田梅岩の心学などにも、そうしたものが見られます。

尊徳翁も著述には仏説の「徳」概念の方が多いようですが、確かにこれを学び、ひたすら徳を積むことによって運命を改革し、幸せになろうと努力されました。

陰鷲録は、日本の道徳にも大きな影響を与えているのです。

清水次郎長も善根功徳で生きかえった

この精神は、たとえば、清水次郎長の有名な話にも表れています。

あるお坊さんが、清水港を通ったときに、山本長五郎(清水次郎長の本名)に会ったそうです。そして、こういいました。

「私は、長年人相を見ています。はずれたことがありません。とくに、人の死相には自信があります。お気を悪くされるとは思いますが、あなたには死相が出ています。この一年以内に亡くなりますよ」

「何をいうんだ。何を証拠にそういうんだ」

「いや、私の鑑定に間違いはありません。お気をつけなさい。そして、功徳を積むことです」といい残して、お坊さんは去ったそうです。

残された山本長五郎さんは、考えました。

「そうか、あと一年か。悪ふざけでいったようにも見えなかったし、あれだけ自信をもっていうところをみると、あながち嘘ではなさそうだ。本当のことかもしれない…………」

そして、その後しばらくして、自分の財産をすべてなげうって世のため人のために働こうと決心したそうです。どうせ死ぬのなら、できる限りいいことをして死のう、と考えたのです。

このようにして、次郎長さんは、人々のために自分の財産をすべて使いはたし、いわゆる清水港の次郎長さん、次郎長親分になりました。

すると、どうでしょう。一年どころか、二年たっても死にません。あのお坊さんの予言は、みごとにはずれたのです。

「さては、あの坊さんだましたな」と思ったそうです。

そこへ、あのお坊さんがひょっこりとあらわれました。

「やい、おまえがあと一年の命だというから、財産を捨てて今までやってきたんだ。ところが、どうだ。ちっとも死にやしないじゃないか。嘘をついたな、許さんぞ」「いや、しばらくお待ちください……。そういえば、あなたの顔から死相が消えている…………」

「何を今さら、言いわけをいっているんだ。許さんぞ」

「いや、こと死相鑑定に関しては、私は間違ったことがない。ただいまお顔を拝見していえることは、あなたが何か非常に大きな決心をして、善行を施された、ということです。そうでしょう」

「そうだ。あなたにいわれて半年ほどは、どうすることもできずに思い悩んでいたが、ある日、決心したんだ。財産をなげうって人のためになることをしてから死のう、と決心したんだ」

「ああ、そのせいです。つまり、大いなる善根を施すことによって、本来ないはずの寿命も救われ与えられる、ということです」

「そうか、これはいい勉強をした」と思った次郎長は、それからも世のため人のために、やくざではあったけれども、善根を尽くしたのです。そして、任侠道を極めました。

植松先生のお知り合いにも、やはり似たようなケースがあったそうです。

結核で、医者にはあと一年ほどで死ぬだろうと宣告されながら、どうせ死ぬのなら財産を使って善根を施そうとしたところ、財産を使いきったところで、結核が完治し、元気になりました。

一年前の死の宣告が、嘘のように消え去ったのです。

善根を積むにはどうすればよいのか

このように、陰鷲録は陰に陽に日本へ、大きな影響を与えています。石田梅岩の心学をはじめ、寺子屋でさえ、善を施せと教えていました。

むろん、聖徳太子の遺言などにも、「善を施せ」という仏説からの言葉もありましたが。

ところで、陰鷲録における”徳〟とは、一体どのようなものなのでしょう。善根を積むとは、どのような意味なのか。陰鷲録によれば、ただ一言、「人に益することを行う」ことです。

しかし、一つ注意してください。人に益するといっても、発するところが善なる心、慈愛でなければ、表面上は善行でも、死ねば地獄行きです。つまり、偽善者となるからです。

また、短期間には益することが、長期的に見れば益しない場合があります。そしてその逆ももちろんありますが、要は、本来の意味における生きた善を施す必要があるのです。

大慈悲で、観音様のように、施すべきは施し、戒めるべきは戒めるのが、真の善根といえるでしょう。

さらに、仏説における徳行は、大きくは三つに分けられています。体施、物施、法施がそれです。

体施とは、文字どおり、体でご奉仕することです。皇居のお掃除をしたり、天理教のように道を掃除したり。体力のある者は体でご奉仕しましょう、ということですね。

お金のある人は、物でご奉仕する。財を施すわけです。これが、物施です。

学校の先生やお坊さん、宗教人は本来あるべき幸せへの道、法を説くべきです。

法を施すことによって、善を行う。これが法施です。さらに私がつけ加えれば、霊的空間に無形の善を施す言霊施があります。

よい言霊を人や物や空間にどんどん施せば、あとで必ずいいことが起こり、人々の幸せにつながるのです。また、よい念を人々や事物に施す念施もあります。霊空間に善の基を形成することができるからです。

いずれにせよ、ここで大切なことが一つあります。

どの法も、短く益するか、やや長期に益するか、永遠に益するかという徳の効力の長短はありますが、私たちは、それらのなかででき得るかぎり最大最高のことをやる心構えが大切であり、できればすべてを同時に行うべきだ、ということであります。

ところで、余談ですが、いま台湾に孔子の直系の子孫が生きています。顔が孔子に似ているかどうかは分かりませんが(笑)、耳がとても豊かで、ふっくらとしていて、皆それぞれ幸せに暮らしているそうです。

つまり、孔子が何千年も前に与えた功徳が、法施が、時を超えて今も子孫に行きわたっている、ということなのです。徳の効力の長さではナンバーワンではないでしょうか。

さて、その体施、物施、法施の子孫への影響について、もう少し詳しくお話しいたしましょう。

天運は積善から

おそらく、雲谷禅師が袁了凡にいったのだと思われますが、「易経」のなかに有名な言葉があります。

簡単にいいますと、〝親の因果が子に報い〟ということですが、「易経」では「積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃あり」といいます。

「善を積み重ねてきた家には、あり余る慶びがあります。逆に、善ならざるものを積み重ねてきた家には、よくないことがふりかかる」という意味です。

善根を施してきた孔子の子孫は、数千年間、ずっと余慶があったのです。余りの恵みが数千年です(笑)。

たとえば、あの児玉誉士夫さん。さまざまな是非が論じられています。しかし、児玉さんは、ともかくあれだけの右翼の人たちのなかでピンチを切り抜け、方法に問題があるとはいわれても、とにかくあれだけの財をもっていました。

本人も優秀だったのでしょうが、やはり、運があったといえるでしょう。それには裏づけがあるのです。彼のひいおじいさんかおじいさんか忘れましたが、児玉さんの故郷で災害があったとき、全財産をなげうって地元の人々に尽くし、功徳を施されたのです。

同じような例として、元日本興業銀行の中山素平さんがいます。彼の場合も、ひいおじいさんが財産を捨てて世のため人のために奔走しました。

中山素平さんは、そのことをなによりも誇りにしているそうです。

つまり、子孫のために美田を残さず、ということでしょう。美田を残すと、あとで財産争いが起きます。

したがって、美田を残さず、徳と誉れを残すのみ。皆さんも、このことを心の教養として覚えておいてください。そして、徳を残してください。そうすれば必ず幸せになるはずです。

逆に、代々の庄屋さんや網元さんや、「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」に出てくる、お代官とグルになって悪事を行う商人のような、いわゆる”抜け荷”や”悪どい商法”をするお家は、何代かすると、酒の極道とか、ばくち打ちの人とか、何か悪い兆しが出てくるのです。

阿含宗の桐山さんなどは、中途挫折の家の因縁などともいっています。大きな家の三代目くらいには、家を破産させるような極道が必ず出てくるものです。

もっとも、最近ではその前にたいてい税金でやられてしまいますが……。

逆の例では、たとえば日本商工会議所の会頭だった永野重雄さんの兄弟は、皆、優秀でした。

それぞれに徳があり、聡明で、出世し、不幸な人がまったくいない。お家の誰もが幸せで、皆、運がいいんです。よくよく調べてみれば、やはり、おじいさん、ひいおじいさんと、代々徳を積んできております。

中国ではもっと徹底しています。天下をとり、一つの時代をつくるような人物。

朱元璋や漢の高祖などというような、国家を治めていくほどの天運のある人は、一代、二代ではできない、という考え方なのです。

家名をあげる人材を世に出すには、七代くらいかかる、といわれています。そのために、皆、営々と徳を積んでいます。気の遠くなるようなスケールですね。

家の因縁と天徳天祐

まさに、積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃あり。驚歎すべ真理の言葉であります。「家の因縁」といいまして、生まれながらに運のいい人、生まれながらに不幸な人は、家の因縁を受けているのです。

因縁にも良い因縁と悪い因縁があり、前世に徳を積んでいる人は、相応に余慶ある良い因縁の家に生まれてくるのです。

逆に、前世に悪業を積んでいる人は、相応に余殃ある悪い因縁の家に生まれてくる。これを「相応の理」といい、悪い家の因縁を背負ってしまっても、運命を呪い、親をうらむことはないわけです。

このように、儒教の代表的な徳の思想と、仏教の代表的な因果律の思想は、誠にうまく呼応して、真をうがっていると申せましょう。

最後に、帝と面接のお話をいたしましょう。隋の時代から清まで続いた科挙(官登用試験)です。

四書五経のなかでは、この「易経」が最高とされ、最終関門の口頭試問で試されるのです。

もっとも、一般に、宋の時代までは「易経」が最重視され、宋以後は「中庸」が、四書五経のなかでは最重視されています。

そして、天の命、天の機を知って人道と政治を行う智と徳があるかどうかを調べるのです。

政治、まつりごとは、天の命、天の道を世に行ずること、取り次ぐことです。いくらいい行いをしようとおもっても、天の時と理に合わなければ、世の中は混乱するのです。

そして、君子たるもの、こういうときはいかなる態度で臨むべきなのか、「易経」は、天の時に合った君子の徳行を実践するための教本でありました。

こういうわけで、易が科挙の最終関門として採用されています。これは隋の時代から続いてきたことです。

しかし、本来の易経の精神からはずれた昨今の「易占」は、盲信することはありません。易経が示すように、どんな不幸も、それを盛り返すだけの天徳と天祐が備われば、必ずや立派に越えられるものだからです。

これは、あらゆる宗門、宗派を超えて、学ばなければならない真理であり、天の法則であると申せましょう。

運命好転第三の方法神霊世界との交流

さて、お話はずいぶんと横道にそれました。運命を好転させ、幸福になる方法についてのお話のなかで、第二番目の徳を積む”というところで、大きく時間をとったようです。

しかし、これでもまだ話しつくせないほどの重要課題なのです。お許しください。

さて三番目の方法は、神霊世界の交流と加護を受けて、運命を好転させ、幸福を得る、という方法なのですが、これについては、また機会を改めてお話しすることにしましょう。

というのは、このテーマこそが私たちの集うメインテーマであり、語りすぎるほど語っても、語りつくせないテーマだからです。