神仙界に行く三つの方法(Vol.11)

最澄と空海、その死後の位

その伝統に則っていた最澄は、聖徳太子をこよなく愛して、直感と霊感を受けながら『法華経』を勉強したのでしょう。

そして、法華の教えを日本に導入したいということで、中国に渡り、日本に天台宗を開かれたわけです。天台宗を開きましたけれども、同時に大乗仏教のお坊さんを正式に認める道場をつくろう、というのが比叡山をつくった理由です。やはり国のためを思って幅広く仏教を勉強したのです。

その点、国のためというよりも、真言宗を開くことに最大の目的を置いていた空海とは、自ずから違います。

これまで何度も講義でお話ししましたけれど、天照大御神、天からの教えが、天からの光がすーっと一直線に降りているのが最澄で、その陰のカーテンの奥にいるような、まあ、魔界ではないんだけども、幽冥界の奥にいるのが空海です。

はっきりいって、最澄のほうがより純粋で、惟神に直結していて、国を思っています。空海も国を思っていたのでしょうが、やはり真言密教を弘めるということに主眼を置いていたようです。真言八祖でしたから、当然といえば当然ですが。

空海の書いた「秘蔵宝鑰」によると、天台宗は八番目ということになっていますけれども、これは空海の独自の考え方で、決して正しいとは思えません。

私が審神して神様に聞いたところによると、惟神の純粋な神様、観音の教えを説いた最澄は御魂がやっぱりきれいですし、神上がりしています。それに対して空海は、魔術ではないですけれど、秦河勝、秦氏が持ってきた、伏見のお稲荷さんを敬っておりました。

空海自身の霊能力も、大きな部分はお稲荷さんの霊視です。お稲荷さんの霊能力を踏まえておりますので、空海の歴史を見ると驚くようなすごいことがいっぱいあります。

しかし、最澄が当時、僧侶といわれるだけの身分、位のあった人であったのに対し、空海は単なる私度僧ですから。何もないゼロからのスタートで、ある程度世渡り上手で、ゴマをすっていかないとのし上がっていけなかったわけですから、無理もないことです。

しかし、純粋度では最澄のほうが上です。空海は、カーテンの奥にいます。最澄は日の光がスパーンと当たっています。

天才、空海の嘆き

空海の死後、三百年ぐらいの間、高野山は荒れておりました。すっかりさびれてしまって、誰も来ないような高野山になっていたのです。

ところが、もう一度、弘法大師の教えの原点に返って高野山を再興せねばならんと決意した人がいて、火打ち石を打って、もし火が灯ったら、これは弘法大師の御心に違いないから再興に努めよう、火が灯らなかったらやめよう、ということで石をカーン、カーンとやったら、火がぼわっと灯った。これはやはり弘法大師さんの御心だというので、高野山の再興にとりかかったという話が残っています。

最澄は、なくなったあとすぐに伝教大師という諡をいただいておりますが、空海が弘法大師の諡を賜ったのは死後、八十六年たってからです。

なぜ、そんなに遅かったのか。

その一つの理由として、密教があまり弘まらなかったことが挙げられるのではないかと思います。

弘法大師の言行録を読むと、空海は五十歳を過ぎたころ、「ああ、密教が弘まらない、弘まらない。このような偉大な教え、このような偉大なる智恵、このような偉大なものなのに弘まらない。真言八祖を受けているのに、本当の教えは弘まらないものなんだ」と、嘆いています。私も一度、弘法大師の言行録を読みましたけども、最も印象に残っているのはそこです。

二十五、六歳のころ、久米寺で自分の行くべき方向を教えられ、勤操和尚に待て待てと言われて空白の七年を経て、三十一歳で中国に渡航。真言八祖になったのはわずか三十二歳のときです。

それだけの大天才でも、それから二十年ほどたった五十歳のころ、「この素晴らしい教え、本当の教えが何と弘まらないことか。真言の教えがどうしてこんなに弘まらないんだろうか」と嘆いているのです。

あの大天才空海が、三十一、二歳から始めて五十歳になっても弘まらないんだと嘆いている。その嘆きの言葉が空海の言行録に残っています。

高野山を嵯峨天皇から下賜されたのが四十代なかばで、京都の東寺の管長になったのは、五十歳を超えてからです。亡くなったのは六十二歳だったでしょうか。

背中におできができて、おそらく癌でしょう。でき物ができて亡くなってしまったのですが、亡くなって八十年以上たって、弘法大師という諡を贈られた。最澄のほうがもっと早く伝教大師という諡をもらっています。

いまでこそ空海、空海と言いますけども、当時の歴史を調べてみたら、最澄のほうが評価が高かったのは間違いありません。

それで空海は五十歳を過ぎたころ、「ああ、真言密教が弘まらない、弘まらない。こんな偉大な教えを受けて、八祖にもなっているのに。何と真実の教えは弘まらないもんなのか」と、二十年かけてもまだ少ししか弘まっていないことを嘆いた。あんな大天才でも嘆いているのです。

焦りは禁物

それを見て、私もほっとしました。二十五歳で植松先生から神人合一の道の一厘を受け、万巻の書を読み、一生懸命精進し、弟子を育て、一生懸命に事業を通して研鑽努力し、出版物も出し、またあらゆる宗教や教理や政治、経済、学問、あらゆるものを勉強しながらご神業に励んできたけれど、本当に真実の道は弘まらないものなんだなあと。二十五で受けましたから三十年です。三十年やってきましたが、なかなか弘まりません。

真実の教えではなく、威嚇、恫喝して、拡大拡大拡大路線でやっていたら、いまごろは十倍ぐらい大きくなっていたでしょう。

しかし、そんな偽物のやり方で弘めても意味がないではないですか。真実の教え、真実の神様の御心にかなって言向け和す、誠の道を通して道を進めなければ、仕組が進んだことにはなりません。

権謀術数げんぼうじゅつすう、悪の道、人を脅すようなやり方で道を進めたとしてみても、の神様の大慈悲の御心にかなわなければ、元へ戻される。これを「引っ掛け戻しの神仕組」と言います。引っ掛け戻されて、またゼロからやり直しです。

やっぱり、真心を持って、正しい神の御心と道に合って、言向け和す正神界の正しい道をもって進めなければ、仕組が進んだことにならないわけです。

あの天才空海でも、二十年たっても弘まらないと嘆いているのだから、焦ってはいけない。

二十五歳で植松先生と出会い、二十六歳で陽の◎の神が降臨して、そして、ワールドメイトの元になるコスモメイトをつくったのは三十三歳のときですか。あれか今年(平成十八年)で二十一年目です。会員数もまだわずか三万人。去年三万人を超えましたけれど、ずっと二万人とか一万人でした。

拡大拡大で大きくなることを目指すよりも、真実の道の教えを踏まえて少しずつ伸びていかないと、人もなかなか育ちません。

といいながら二十年やっているわけです。空海と同じです。三十二歳で真言八祖になり、日本に帰ってきてからも、並ぶる者もなき天才ぶりを遺憾なく発揮した空海。あれだけの学識と、あれだけの万能性と自在性を誇った文化人であったにもかかわらず、五十一、二歳のころに、真実の嘆きの声を漏らしているわけです。

だから、私も焦っちゃいかん、焦っちゃいかんと自分自身に言い聞かせているわけです。

宗教はたくさんあります。しかし、正しい神の御心を受け取り、真実なる心をもって皇室を思い、国を思い、民を思い、正神界の正しきやり方で進めていかなければ、正しい宗教とは言えないし、仕組が進んだことにはなりません。

ようやく三万人を超えましたけれども、ああ、真実なる神人合一の道、真の神の教え、正神界の澄み切った道はかくも弘がらないものなのか。邪気、邪霊に侵されるのはアッという間のことなのに、真実の清々しい神域を守り、その真実なる神の御心と道を貫くのがいかに至難のわざか。しかし、私はこれを植松先生と三十年貫いております。

十五で志してから四十年目ですけれど、少し弘まったかな、という程度です。だけど、決して焦らない。あの天才、空海がそう言っているぐらいですから。ましてや私なんか、あれほどの天才でもないですから、嘆かずにじっくり人を育てて、

誠の教えを貫くしかない。途中で死ぬようなことがあったら、それはそれで仕方がない。誠でないものを弘めても意味がありません。

嵯峨天皇を黙らせた五筆和尚

四十代なかばで嵯峨天皇から高野山を下賜され、五十を過ぎて東寺を任された。それで六十二で亡くなっている。でも、年月がたってみたらば、あの時代に空海が思い悩んでいたことが人々に理解され、人々の心に刻まれたわけですから。それに何より、あれだけの大天才ぶりを発揮したのですから、当然のことながら日本の歴史に燦然と輝いていますよ。

それから、三筆の中では圧倒的に空海が上です。橘逸勢たちばなのはやなりや嵯峨天皇と比べても、問題にならないくらいです。

嵯峨天皇は、書を通して空海と親しくなったのですが、あるとき、「おい、空海よ。すごいものを見つけたぞ」と、空海を呼んで言いました。

「見ろ、この書を。さすが大陸の書だけあるな。雄渾とした、実に素晴らしい書だ。見ろ」

嵯峨天皇、自分が手に入れた書を自慢したわけです。

「すごい字だろう。エネルギーに満ち満ちている。さすが大陸の唐の書だけあるね」

嵯峨天皇の自慢話をじっと聞いていた空海が、最後にぽつりと言った。

「あのう、その書は私が書いた書なんですけれど・・・・・・」

「何?お前が書いた?だけど、君がいつも書く字と全然違うじゃないか」

「いや、日本にいるときには日本のように優しく書き、中国にいるときは大陸のような書き方をしているだけのことです」

「本当にお前が書いたのか、これを」

「はい。日本にいるときは日本のように書き、中国にいるときは大陸のように堂々と書くだけのことです」

「本当にそうなのか」

「ウソだと思うなら、掛け軸の裏を見てください。沙門空海って書いてあるはずです」

「本当だ。沙門空海しゃもんくうかいって書いてある」

嵯峨天皇が掛け軸を裏返してよく見たら、たしかに小さな字で「沙門空海」と書いてある。

それから二度と再び、嵯峨天皇は空海に書のことを自慢しなかったと言われていますけど、それくらい圧倒していたわけです。「五筆和尚」と言って、五流派の書を書き分けたといわれているくらいですから。だから、三筆とは言われているものの、嵯峨天皇、橘逸勢などとはレベルが違います。

真実の道をいかにして弘めるのか

それだけの天才が、あれだけ嘆いているのです。

だからやっぱり焦ることなく、時代を超えてあらゆる時代に通用するだけの普遍的な信念を持ちながら、同時に、その時代を反映したものを打ち出さなければいけない。その時代を咀嚼し、現代は現代に合った形でやっていかなければならないわけです。

ですから、弘法大師さんが現代に生きていたらどうするだろうか、最澄が現代に生きていたらどうするだろうか、聖徳太子さんが現代に生きていたらどうするだろうか、恵果阿闍梨が生きていたらどうするだろうか、役小角が生きていたらどうするだろうか、行基さんが生きていたらどうするかと、いつも考えています。

高野山へ行ったときに、弘法大師の言行録をはじめ、たくさんの密教の歴史書と教学書を買い、すべて読みました。弘法大師の言行録は街の本屋では手に入りませんけれども、高野山では売っておりますので、全部買ってきて全部読みました。その中で一番印象に残ったのが、空海の嘆きの言葉です。

いまもそれが励みになっています。三十二歳で真言八祖となったあの天才が、「五十を過ぎても、何と真実の教えは弘まらないことよ。真言、秘密の法の真実が弘まらないことよ。情けない、申しわけない。私に伝授してくれた恵果阿闍梨や、歴代の七祖の皆さんに申しわけない。何と真実の教えが弘まらないことよ」と嘆いているのですから。

そのころに東寺を任され、亡くなったのはそれからおよそ十年後。六十二歳ぐらいで亡くなっています。けれども、年月がたてばたつほど、いかにすぐれた内容だったのかということがわかってくる。その空海のことを思えば、会員数三万二千人(平成十八年一月現在)というのはありがたいことです。

神業を支える三パーセントの人々

それからまた、話はほんとに横道にそれるのですが、最近、「会員の一〇パーセントの人が、いつも常連として参加しに来ていただいている」という法則を発見しました。過去の神事などから、経験として見つけた法則です。

いま現在、ワールドメイトには三万二千人の会員がおります。家族会員を含めると六万五千人くらいだと思いますが、三万二千人の一〇パーセント、すなわち三千二百人ぐらいの人が定例講演神業でも何でも、いつも来ていただいています。一〇パーセントの人が、いつも常連で来ていただいているのですが、またさらに、本当に頼りになるのは三パーセントです。

これは、葵研(法律経済研究所)でもよく話をするのですが、百人いたら三人、

三十三人いたら一人です。従業員が三十三人の会社だったら、社長が頼りになるな、仕事を任せても大丈夫だな、というのは一人。社員が百人だったら三人ぐらいいます。だいたいの目安が三パーセントだということがわかってきました。そう言えば、不動産の手数料も三パーセントですよね。関係ない話ですけれども。

それで結局、三万二千人の会員さんがいると、一〇パーセントで三千二百人、一パーセントで三百二十人ですから、三パーセントということは九百六十人。

それを考えると、今回、十二月二十九日からずっと参加してくださっている人が-二日前までは、千六十人いましたが途中から参加した人と、行って戻ってきた人を合わせて、昨日の段階で約千七百人。いまはもう、その半分以下になりましたけれど。

でも、ずっとこの寒い中、「何が何でもこの神事をやり遂げなきゃいかん。日本の国のために、アメリカ、中国のために、深見先生も頑張っておられるからやんなきゃいけない」と思って、この寒い現地で、ずっと参加して一生懸命頑張っておられる方や、ご奉仕してくれている人が、結局三パーセント。九百六十人ぐらいです。だいたいその数になります。

会員数三万二千人が五万人になれば、おそらく千五百人。これがまた十万人になれば、三千人ぐらいは寒いときでも元旦でも残ってくれるのではないでしょうか。やはり、頼りになるのは三パーセントです。

いまは、それよりももっと少なくなっているかもしれません。スタッフを含めるともう少し増えますけれども、会員数が三万二千人にまでなったことで、その三パーセントに当たる約九百人の人が、寒くても、寝不足でも、野外でも、大晦日でも、お正月でも、この神業を支えなければと思って頑張ってくださっているわけです。

世の中の人が思い思いに楽しんでいる中で、神様のため、神業のため、お国のため、みんなのために、中国、アメリカのために、あのように一生懸命お祈りし、自分のことを忘れてこの寒い現地で頑張れる人は、三パーセントです。衛星放送をご覧になっている皆さんも頑張っておられるから、それを含めてもぎりぎり三千人です。

一〇パーセントの人が守っていてくれて、その中でもとくに三パーセントの人がこうやって現場に立って頑張ってくれる。それが頼りになる人です。

何だかんだと言いながら、常に参加されるのは一〇パーセントの三千二百人。現地に来て、最後まで何が何でも支えてくれるというのは、三パーセントです。