神仙界に行く三つの方法(Vol.5)

第二章 霊界人物伝 役小角 行基 空海

観音様に見る大慈大悲とは

真心の「真」というのは、「真ん中の心」という意味でありますが、宇宙、神様の心の真ん中は愛なのです。

「世界の中心で愛を叫ぶ」という本がヒットしたり、あるいはまた、レーザーラモンが年末に、「伊勢の中心で愛を叫ぶ、フォー!」なんていうことをスペイン村で言ったという話を聞いておりますけれど、神様の御心はもちろん大慈大悲。大いなる慈悲と大いなる悲劇を持っていらっしゃる。

その慈悲はとてつもなく大きいから、人間の状況によって、厳しくなったり優し 72 くなったりする。「観音経」にあるように、大愛なるがゆえに大慈大悲。大いなる愛があるがゆえに、お父さんとお母さんの両方の愛をもって接する。お母さんのときは大慈で、お父さんのときは大悲、悲劇です。

悲劇よりも、悲観しているのです。「かわいそうだな。だけどおまえの将来のために、この試練は乗り越えてもらわなきゃいけないから、受験勉強、しっかり頑張れよ」とか、私なんかも「先々のため、お前のためだから」ということで、たくさん板挟みにしていただいております。だからもう、洗濯挟みを見たら、ドキッとしますけれどね(笑)。

大愛なるがゆえに大慈大悲。お父さんの愛とお母さんの愛の両方の要素を持っていて、観音大自在。お父さんの愛とお母さんの愛は陰陽になっているのですが、そこから三十三相に化身する。三十三相に化身して導かれる。

子どもが苦しんでいるときには、子どもの姿となって導く。戦国時代に生まれてきたならば、将軍の姿で現れ出て導く。

商売、ビジネスで苦しんでいる人がいれば、商売の先輩か後輩かライバルの姿になって出てきて、その人を導かれる。雨を降らせてほしいと人々が願っているときには、龍神となって雨を降らす。

「天、龍、夜叉やしゃ乾闥婆けんだっぱ、阿修羅、迦楼羅かるら緊那羅きんなら摩睺羅伽まごらが人非人等にんびにん」の身をもって衆生を度す。「度す」というのは、助けるという意味です。

さっきも言ったように、戦国の世の人々を救うときには、将軍の身をもってす。

あるいは、商人を助けるときには商人の身をもって度す。子どもを導くときは子どもの姿になって度す。

「天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩$777A羅伽、人非人等」の姿になって人々を導かれるんだ、ということです。そのように、三十三相に化身して、あらゆる人を導き救われるのが、観音様なのです。

これは、神様が大愛の方であられ、神様の愛が大きいがゆえのことです。神様の愛には、お父さんの愛とお母さんの愛の両面がある。これは大慈悲です。

お父さんは子どもの先々のことを考えて、厳しくしつけなければならないときには、厳しく接する。激しく叱ることもあるでしょう。必要ならば殴ることもあるでしょう。でもそれは、憎いからではない。愛があるからです。大きな愛があるから厳しく叱ることができるわけですが、心では悲しんでおられる。悲観してらっしゃる。

「かわいそうに。ごめんな。辛いだろうな。しかし、お前の将来を考えたらこうしなきゃならないんだ。どうかこの試練を乗り越えてくれ。頑張るんだぞ」と、心の中で叫んでいる。愛があるがゆえに、お父さんは悲しんでおられるし、悲観してらっしゃるわけです。愛がなければ、悲観しません。

お母さんは「ああ、かわいそうに」ということで、そのまま慈悲をぶつけて慈しんでくれるのですが、そこから広がっていって三十三相に化身する。これが観音の姿です。

観音、すなわち◎の神様の化身です。の神様が人間の姿となって現れ出たのが観音です。の神様の化身だからもちろん一番偉いのですが、胎蔵界、金剛界の中にあっては大日如来を最高位に置いて、観音様ご自身はその下にへりくだっている。

根源の神なるがゆえに、へりくだることができるわけです。

阿弥陀如来さんが発願をして、いかなる衆生も阿弥陀浄土に導こうとされるときには、観音様は阿弥陀如来の脇侍わきじになって助けていらっしゃる。反対側の脇侍、勢至菩薩とともに阿弥陀如来さんを助けている。そして、いかなる衆生の願いも叶えようとされている。

そうやって、いかなる人も阿弥陀浄土へ導くんだという阿弥陀如来の発願を助けておられるわけですよ。ここでもやはり、観音様は阿弥陀如来の脇仏となってへりくだっていらっしゃいます。

大日如来のおられる胎蔵界、金剛界においても「何番目でもいいんだ」と。

観音様は、衆生を何とかして救いたいという元の神、親神様だからへりくだることができる。一番高いところに君臨しようなんていうこと、思ってもいません。衆生の目の前に、衆生のすぐそばに来て導こうというの神様だから、一番偉い神様だから、下にへりくだることができる。

一番偉い神様、一番偉い仏様なるがゆえに、一番愛が大きい。一番愛が大きいがゆえに、地獄の底にも行くし、阿弥陀如来さんの部下にもなるし、大日如来の配下にもなって衆生を導かれる。何でもかんでも、上に立っている仏さんが一番偉いわけではないのです。

一番偉い人間は、真ん中でも、一番下でも、末端でも、まったく悪びれることなく、衆生のため、組織のため、みんなのために喜んで尽くせる。それが◎の神様。◎の神様の愛が一一番大きい。そういう人間が一番偉い。胎蔵界、金剛界の、仏界の仏様のあり方を見ればわかります。

一番偉い観音様だからこそ、十一面観音になったり、楊柳観音になったりする。

楊柳観音は病気をよくする観音様。十一面観音は、顔が十一個あります。そのほか、不空羂索観世音菩薩ふくうけんじゃくかんぜおんぼさつ、あるいは如意輪観世音菩薩、あるいは聖観音、あるいは救世観音という観音様もいらっしゃる。鉄観音なんていうのはお茶ですよね(笑)。

「鉄観音って観音様ですか」と尋ねてくる人がいますが、あれは単なる商品名です。

商品名といえば、事務機のメーカーの「キヤノン」は、創業者が観音信仰していたから、観音から「キヤノン」になったのです。社名の「キヤノン」は観音から取ったわけです。収益率がトップで、社長の御手洗冨士夫さんが今年の五月に経団連のトップになることが決まりました。

とにかく、観音様は何とかして衆生を救いたいと。だからこそ、病で苦しむ人がいれば、楊柳観音となって病気を治したりしているわけです。

みんなの神の化身です。救世観音、世を救う観音様。聖徳太子さんの化身で聖観音というのは、観音のとどまった状態です。つまり静止状態のときの観音様で、そこからまた三十三相に化身するのですが、何か特色をもって動かれるときに、観音の上に何かがつくわけです。

楊柳観音、十一面観音、あるいは救世観音。鉄観音というのはお茶ですけれど(笑)、魚籃観音というのもあります。魚の上に乗っている観音様。

さらには馬頭観音。人をボロクソに罵倒する観音様ではありませんよ(笑)。頭上に馬の頭をいただいている観音様。それから、龍頭観音なんていうのもあります。

そのように、いろいろな特色を持った働きをする観音様となって出てこられるわけです。観音様自体は三十三相に化身して大自在ですけれども、さらに特色を持って、何々観音、何々観音と出てくるのです。観音の名がつけばみんな、の神様の化身です。最高神です。

最高の神なるがゆえに、あらゆる姿に化身することができる。へりくだることも、真ん中でいることもできる。何でもトップでなければ気が済まないとか、何でも自分中心でなければ嫌だという人は、◎の神から遠く離れております。傲慢です。まあ、天狗さんになっておりますね。

エリア議長でも、支部長でも、コミッティーでも、「おれはエリア議長だから」「私は支部長だから」「自分はコミッティーだから」と言う人がいるとしたら、そういう人は、言えば言うほど観音から遠ざかります。観音様に一生懸命お祈りはするけれど、観音にはなれません。なれたとしても、せいぜい観音の使者の天狗さんですね。

それなりに働きは尊いけれども、霊格がそこでストップしてしまう。

それ以上高い霊格になろうと思えば、己をなくすしかない。己をなくせばなくすほど、愛が大きければ大きいほど、愛が自在であれば自在であるほど、真ん中にも下っ端にも、ためらいもなく瞬時にへりくだる。

なぜ、観音様はそれができるのか。

愛が大きいからです。本当の愛、広大無辺の愛を持っておられるから、どのような場所にも、どのような時代にも、どのような姿にもなられて、衆生を導き救われるわけです。これが観音の、すなわち◎の神様の本当の愛の偉大さ、愛の深さ、愛の広さです。

皆さん、ぜひ一度、「観音経」をお読みになってください。「法華経」の中にあります。「法華経」の普門品二十五番「観音経」の中に書かれてある観音の活動。

それをご覧になれば、観音様の愛がいかに深く、広大なものか、理解できるはずです。

もちろん、密教の中にも観音様は出てきますが、密教の中の観音様だけでは、観音の働きが十分理解できません。

空海の主張に反論した日蓮

弘法大師さんは著作「秘蔵宝鑰ひぞうほうやく」で、宗教を十段階に分けています。「秘蔵宝鑰」の基には「十住心論じゅうじゅうしんろん」というのがあるのですが、弘法大師は宗教を十段階に分けて、最初のうちは、欲望のまにまに生きている状態だと言っています。

その欲望のまにまに生きている状態から、良心が目覚めてきて、次は宗教心が目覚めるまでは人間界。そこからいろいろな宗教を全部ランクに分けまして、観音様を崇敬している比叡山天台宗は八番目のランクとしました。その上の九番目は華厳宗で、一番上に密教があるんだと。

そして「密教というのは密々に伝授するものだから、密教をやれば華厳宗も倶舎宗も法相宗も律も、それから天台宗でも何でもみな両立できるんだ」ということを言ったわけです。

これを弘法大師・空海が言ったのですが、「顕教である南都六宗は密教と併存し、両立できるものなんだ。密教を勉強すれば、会得すれば、自分の宗教も内面が極まっていいですよ」と。この弘法大師の説によって、南都六宗のお坊さんはみんな、空海の伝法会を受けた。ある意味で空海の弟子になったわけです。これがまた、弘法大師の賢いところですね。

その「秘蔵宝鑰」の基になっているのは、さっきもいったように「十住心論」です。「十住心」というのは、住む心。つまり、人の心を十段階にランクづけしたのです。

一方の「秘蔵宝鑰」は、天皇から「あんたの宗教はどういう宗教なのか、政府に説明しなさい。

わが宗派はこういうものでございますとオフィシャリーに言いなさ「い」と命じられて、それで空海が、「私どもはこのような宗派でございます」と、自ら書いたのが「秘蔵宝鑰」。

その「秘蔵宝鑰」では、先ほども言いましたように、宗教を十段階に分けて、密教が十番目であると。密教は顕教を超えて、密々のうちに霊体、霊によって体得するものであって「九番目以下の宗教はみんな、形に出た教えだから顕教である」と言っているわけです。

天台宗は八番目だと言っています。比叡山は八番目で、高野山は十番。自分のところこそ最高なんだ、ということを言いたいわけですが、どちらも立つように言いながら、自分の宗教を最高だと言っているのです。そこが空海の賢さです。

これに反論したのが、日蓮上人です。

密教はご存じのとおり、「大日経」と「金剛頂経」の二つのお経によって成り立っております。

胎蔵界を表したのが「大日経』、金剛界を表したのが「金剛頂経」。胎蔵界と金剛界、この二つを合わせたものを「金胎両部こんたいりょうぶ」と言いますけれども、金胎両部の二つの経典を会得して体系づけたのが、恵果阿闍梨けいかあじゃり。その恵果阿闍梨から相承して真言八祖になったのが、空海です。

真言宗の流れは、龍猛、龍智、金剛智、不空、善無畏三蔵一行禅師ぜんむきんぞういちぎょうせんじ、恵果阿闍梨、空海というふうに続いているわけですけれども、そもそも、この「大日経」を漢訳し、内容を『大日経疏」としてまとめたのは、真言五祖の善無畏三蔵と六祖の一行禅師だと言われております。

細かいこと言って申しわけありませんが、「大日経」を解説した「大日経疏」を理論づけて実際に書いたのは、一行禅師。この一行禅師という人が実際に「大日経疏」を編纂したわけですけど、この人はどこで勉強したかと言うと…。

「無事に越えたよ、ヘジラ遷都」の六二二年。マホメットがヘジラに遷都したときに、聖徳太子が亡くなっております。同じ年です。六二二年。だいたいそのころに、天台宗をつくった天台智顗が活躍していた。

この智頭が一念三千という教えに基づいて「法華文句」「法華玄義」「摩訶止観」という法華経の三大原典となるような思想を説いたわけです。それを勉強するために中国へ行ったのが最澄ですけれど、一行禅師も天台山で智顗の教えを学んでいたのです。つまり、「大日経疏」を編纂した一行禅師は智顗の弟子だったわけです。

結局、法華経の教理に基づいて説き明かされた一念三千の教えをもって「大日経疏」をまとめ上げているわけですから、真言密教の重要な経典は、「法華経」の教えを媒介として編纂されたものではないか。だから、真言密教といっても、元は「法華経」にあるんだと。

そこが、日蓮上人の真言密教に対する反論のポイントです。それだけの反論をしたということは、日蓮は仏教をことごとく勉強していたということです。

話は横道にそれましたけれど、その「法華経」普門品二十五番に書かれているのが「観音経」です。その「観音経」がなければ、観音様の実態は、おそらくわからなかったでしょう。

奈良の大仏に道を求めた若き空海

「大日経』、大日如来とは何かということについて、少しお話ししておきましょう。

奈良の大仏さん、すなわち東大寺の大仏さんは、華厳宗の仏さんで、永遠なる凝視をする仏様と言われております。

どういうことかといいますと、大自然と大宇宙を包含するものとして、「法界」というものがあると。北海道じゃなくて(笑)、法の世界と書いて、法界ですね。

その法界の中には宇宙もあり、神霊界もあり、自然界もある。その三次元、四次元を含めて「法界」と呼んでいるわけですが、法界を主宰する宇宙の本仏、これを

毘盧遮那仏びるしゃなぶつ」といいます。「毘盧遮那」とは、ぴかぴか光っている仏様。その毘盧遮那仏が法界を主宰している。華厳経でいうこの毘盧遮那仏が奈良の大仏さんです。永遠なる凝視として、人々を見つめておられる。

しかし、永遠なる凝視をしていた宇宙の中心の毘盧遮那仏が、金剛薩埵こんごうさっという人の質問によって初めて口を開いて、自ら言葉を発して答えた。初めて、仏様自らが宇宙の本質的な教えを説かれた。それが「大日経」なのです。そして、「大日経」を解説したのが「大日経疏」であるわけです。

その「大日経』を大和の久米寺から空海が発見したという話は有名ですけれど、一説によると、空海は二十五、六歳のころに、「わが行く道を知らしめたまえ」と、奈良の大仏さんのところでお籠りをしたらしい。

空海は若いとき、私が二十三歳で背後霊を見たり、産土神社の宮司さんが祈ったりしたように、「私はいったいどう生きたらいいのか」と、神仙界に祈り求めたのです。

空海は迷い、悩んでいた。二十三、四歳のときに書いたのが「三教指帰」。儒教と道教と仏教を比較して、儒教はこの世の処世を教えているにすぎないし、道教は現実から逃げて虚無の世界に入っている。それに対して仏教には真実の教えがある。だから私は仏教に生きるんだと、自分の生き方を宣言したのが「三教指帰」です。空海が二十三、四歳のときに書いた本です。

そこに用いられている資料は当代随一の文献です。ということは、儒教、道教、仏教それぞれの、その時代における日本の最高文献をことごとく読破していた、ということです。おじさんが阿刀大足といって、儒教の学校の先生です。だから、その当時の圧倒的な学問レベル、最高レベルのものをすべて読破したうえでの宣言だったわけです。

空海の言行録に書いてあります。昔の人は空海から見て昔の人ですよ勉強していて眠くなったら、足を錐でギリギリと刺して、血を出しながらでも勉強を続けたと。

あるいは、のどに刀を突き当てて勉強したとも伝えられていると。居眠りすると、のどに刀が刺さるでしょう。そうやって昔の人は寝ないように工夫をして、徹夜で本を読んだと言われているが、私はそれよりももっと勉強したと、空海はそう言っています。

これ、なかなか言えない言葉ですね。さっき言った「三教指帰」を書いたのが二十三、四歳ですから、いかにメチャクチャな大天才だったか、ということがわかります。

その空海が二十五、六歳のときに、「いったい私はどのように生きればいいのだ。どのように修業し、どのように仏様の道を極めればいいのだ。教えたまえ」と言って、東大寺の大仏さんのところでお籠りをしたのです。そうしたら、奈良の大仏さんが夢に現れてお告げを与えたのです。

行基菩薩の生きざま

奈良の大仏さんに入っているのは、実際は大山祇の神様と行基菩薩の御魂です。というのは、奈良の大仏がなかなかできないのを心配された聖武天皇様が、伊勢の神様に参拝されて、そのあと、朝熊ヶ岳でお籠りをしたのです。

「ここから巽の方角の青峰山に観音遊化のところがあるから、この地に伽藍を建立してそこの十一面観音を祀れ。祀ったら完成する」という夢のお告げがあり、天皇はただちに行基をつかわして伽藍を建立し祀らせたのです。

行基という人は神仙界に行く三番目の方法にたどり着くまで、えらく横道にそれて話が長くなって申しわけないですが、勉強のつもりで聞いてください。

奈良時代の人です。その時代には「僧尼令」という、お坊さんと尼さんに対する命令が出されていて、お坊さんおよび尼さんは定住しなければいけない、ということになっていたのです。

これまで何度も講義してきたように、仏教の教えの基本は、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」という考え方にあります。つまり、「世の中は変わり続ける」「物事には実体がない」「だから、この世に一切執着を持たずに涅槃寂静を目指しましょう」というのが仏教の教えでありまして、そのかぎりで仏教は本来、出家主義です。徹底的に現実を否定するわけですから。

ところが、仏教も日本に来たら日本流に変容していくわけです。お坊さんや尼さんはそれまで、出家主義に基づいて己の内面の真実を求めるために行雲流水、野山を逍遥したり滝に打たれたりしていたのですが、その僧令によって、そういうことをしてはいかんと。人心を惑わしたり、野山をふらふらしたりしちゃいけない。

人の住む町中にいて、民衆教化しなさい、というふうになった。つまり、本来の仏教からはずれて、神道化したわけです。生活の中に庶民とともに生きて、これを教化していきなさいと。

そういう僧尼令から見たら、行基はまさに法令違反者で、五千、六千というたくさんの人々をぞろぞろと引き連れて、道路を直したり橋を架けたりして、苦しむ衆生を助け続けたのです。

それから「文殊菩薩の供養」と言いまして、食べ物もないような貧乏な人たちを助けたりもしました。

「文殊菩薩は、食べ物がなくて餓鬼のように苦しんでいる貧乏な人を救うために、同じく貧乏人の姿で現れる」という言い伝えがあり、貧乏で飢え死にしそうな人に食べ物を与えることを、「文殊菩薩の供養」と言います。これは光明皇后様などがよくなさいましたが、行基もその「文殊菩薩の供養」をしました。

「施餓鬼」と言ったり、「文殊菩薩の供養」と言ったりしますでしょう。

餓鬼に施しを与える。あるいはまた、おなかをすかせている人に食べ物を与える。これは、文殊菩薩さんがそういう姿になって人を試しに来る、菩提心を試しに来るという仏説があり、だから、「文殊菩薩の供養」と言うわけです。

とにかく、そうやって貧しい人に食べ物を与えたり、橋を直したり、工事をしたりしながら、行基菩薩さんはものすごい霊能者ですから、因果の法則を説いて、人々を導いていったのです。

「日本霊異記」というのがあります。これは、古代の有名な霊験奇談を集めたものですけれど、「日本霊異記」に聖者として行基菩薩のことが書かれています。役小角の跡を継いだ行基菩薩。役小角とも一体となっていました。

ですから、救霊師の背後霊は、役小角、行基菩薩、空海というふうになっていますが、空海は役小角と行基を引き継いで山岳宗教、すなわち日本的シャーマニズムを確立した人です。彼は、行基菩薩の歩いたところを全部歩いているし、行基菩薩は、役小角の歩いたところを全部歩いています。つまり、すべてのルーツは役小角にあるわけです。