大創運(Vol.13)

受験戦争に勝ち残るには?

見出しに戦争と書いたが、受験は戦争ではない。では何か。格闘競技ではないスポーツと同様、競争である。ヨーイドンでスタート、「三位までに入賞したら、次の競争に参加できますよ」ぐらいのものと心得てほしいもの。

センセーションを売り物にするマスコミ、生徒集めに狂奔する予備校あたりが、刺激的な言葉を使いはじめたのだろうが、その結果、敵を倒さなければ受験を突破できないと思い込んだ受験生たちは殺伐とした気分で受験勉強をする。

これでは、一流といわれる大学に入れたとしても、その先が心配である。

相手を倒すか自分が倒れるかという向かい合っての姿勢しかとれない人間には、「人も幸せ、我も幸せ」といった心を持てるわけもなし、自然、徳分を積むことなどできようもない。

合格するには、この心を

「人も幸せ、我も幸せ」の反対は何か。「人の不幸はわが身の幸せ」だが、「自分の不幸は他人の幸せ」ということもある。

「ならば、いっそのこと、お互い不幸になってしまった方がいい」

愚かしい考えだというは易いが、水が低きに流れるのと同じく、人の志も時に低くなることがある。他人に対するねたましい思いを持てば、その傾向はさらに強まるものなのだ。

これの実力がいまひとつ伸びない。きっとライバルたちは、がんばっているに違いない。

このままでは勝てない。いっそ受験日に大地震がくればいいのに追いつめられればこんな安念も浮かんでくる。

せっかくの将来ある青年が、このような思いの中で身もだえするのは、残念である。ではどうすればいいのか。

まず、己れの能力と努力を振り返る。出来ないことをやれというつもりはない。自分の出来ることをやったかどうか。

精一杯がんばれたと思えるなら、あとは、神々や守護霊の力を信ずることである。信じれば、知らない数式が解けるとはいわない。だが、信ずることによって、心が落ち着く。

試験場に向かう道すがら、空の青さ、空気のさわやかさに思いを馳せる余裕ができる。机に向かって、答案用紙を見る時も、上気してしまうこともない。多くの受験生が緊張している中で、リラックスできれば、日頃の実力をそのまま、発揮できるのである。その結果は良いことはあっても悪くなることはないのだ。

知識と知性の違いを知れ

わが国の試験制度では、知識の量は計れても、その人間の知恵を計ることはできない。ところが、人間にとって、もっとも重要なのは、知識を持つことではなく、知恵を持つ、あるいは磨くことなのである。

知識があっても、それを活用する知恵がなければ、意味はない。ところが知恵があればかりに知識が不足していても、その不足分をどう補うかを考えることができるのだ。

受験勉強をしている諸君は、試験で要求されるものが知識だからといって、やみくもに詰め込んでいないだろうか。詰め込んだ知識など、活用方法を知らなければ忘れていってしまうものなのだ。

そこで、まず、自分の知恵を磨くための勉強をしてほしい。磨かれた知恵によって、知識の仕入れ方や、ある知識と他の知識との関係などを整理することができるようになる。必然的に受験勉強の効率もよくなるというものだ。

そのためにはどうすればよいか。参考書と問題集と受験情報のマニアになることをやめ、たとえ七十点、八十点の完成度の問題集でもいいから、基礎の問題集を最初のページから最後のページまで隈なくやることだ。

これを何冊もやり上げたら、いかなる時にも何点以下には落ちないという不動の実力ができ上がるのである。

落ちない勉強をすれば、必ず合格するのであるが、合格する勉強をやろうとすると、焦り、気負い、迷い、不安が出て、通ったり通らなかったりのアットランダム学習に陥り、実力にムラができやすい。そういうものは、本当の実力とはいわないものだ。

圧倒的に基礎を固めるべく、量をこなす学習に徹すれば、おのずから知恵となり、応用力が出てくるものである。受験した学校に全て合格した、というのが正しい受験であり、試験勉強の正道なのである。