深見東州 爆笑対談(Vol.4)

大山倍達(武道家)

無我の境地になれば熱湯に手を入れても平気

深見:ようこそ、お越し下さいました。

大山:はいはい。

大山:もう何を申し上げていいかわかりません。感無量です。(会場に向かって)どうも皆さん、ありがとうございます。私、大山倍達です。よろしくお願いします。

深見:もう以前から私も先生にお目にかかりたくて、特に若い頃に、梶原一騎さんがお書きになった「空手バカ一代」を読んでからはね……。

深見:だけど、あの漫画の中で、大山先生が山の中で修業をしたり、「熊殺しの大山」と言われて、熊を素手で殺したり、それから陳老人にはじめて勝ったとかというのを見て、少年の頃はもう本当に大山:先生はどんな方なんだろうなあと思っておりました。

とにかく一度お会いしたいなあと思っていたんです。

私も冬の頃になりますと、もう二晩三晩寝ないで体力の限界、気力の限界というところに挑戦してるんです。

そういう時、大山倍達という空手をしている人が、あれだけ一つの道を極めたんだからということを、いつも思い描くんですよね。千日回峰行とか。自分が苦しい、辛いと思うその時にはいつも大山:館長のことを思うんですよ。

その一番厳しかった頃、もう死んでもいいと思うぐらいギリギリの、精神力の限界を超えたという中で、一番思い出に残っていることはどのようなことでしょうか。ちょっとお聞かせいただきたい。

大山:何だか畑違いの場所でこういうことを言うのは、私としても非常に心苦しいような感じがするんです。

深見:いえいえ、そんなことありません。是非お聞かせ下さい。

大山:今ね、先生の講話を私は控室で聞いておりまして、そのお話が私が神についてこれまで自分で思ってきたことと非常に似ているように思いました。

神という字は、ご承知のように、示すに申すと書いて神ですね。自分や周囲の人たちを見ていて思うことなんですが、まあ、ここでは先生もご承知のように、また皆さんもご承知のように、だれもが神を持っているんですね。

深見:ウーン。

大山:自分自身に神を持っているんです。

深見:ええ。

大山:それがどういう神であるかは、私はまだ知る由もないし、知ろうともしないんですが、おのおの自分が信仰する神があるわけです。

限界に挑戦するということは、どっちかというと自分で自分を試すことです。

深見:うんうんうん。

大山:その試すことだが、日本の諺にもそういうことがあるんですが、「心頭滅却すれば火もまた涼し」と。

これは、百言言うよりは一回見たほうがはっきりものが言えるんですが、例えば熱湯にですね、生湯じゃあありませんよ。

湯をものすごく沸かすんです。大根の葉っぱを入れるともうただれちゃうんですね。それを、手をニュッと出して)ここにこう油を塗ります。

油を塗って泡がこう立ちますね。精神を統一して、本当に無我の境に入らなくちゃ、これはだめなんです。万一、少しでも邪心があったらまずいんですね。

気合を入れて、「ワーッ」と言って、パーッと熱湯の中に入れるわけです。そして、パッと出すわけです。それで、何でもないわけです。

深見:手が?

大山:手が何でもない。これは物理学的に証明ができるんですよね。なぜならば、泡が立つところは空気が入っているから熱くないわけです。

深見:ははあ、なるほど。

大山:しかし、煮え湯に手を入れるというまでが大変なんですよ。

深見:そりゃそうでしょうね。

大山:これが限界への挑戦だと、私はこう思うんです。

深見:ウーン、なるほど。

大山:もちろん、ひとつ間違ったらもう手がただれて、一生、野口英世先生みたいになってしまう。

深見:はあ。

大山:やっぱり人間「なせばなる、なさねばならぬ何事も」ですね。やるという意欲が一番大事だと思います。

深見:いや、本当にそうですね。

大山:それが「押忍」の精神なんです。何かものを言った時に、私たちは常に「押忍」と言うんです。押し忍ぶということ、こういうことが日本の精神じゃないかなあと思います。

己れの威厳で悪を寄せつけない

深見:いや、もうおっしゃるとおりです。

神様の修業について、今も講義しましたが、人間には和魂、幸魂、奇魂、荒魂があります。神様の中で、鹿島の神様、香取の神様に代表されるような武は何かというと荒魂の錬磨。

己を鍛えて、己というものの威厳によって悪を寄せつけない、これが武の極地なんですね。

そして、それを中心にして世の中を平和にしていく。みんなよこしまな心がありますから、武というものがなければ世が治まらない、こういうふうに言われています。

「自然は神なり」と申しますが、日本の神様を春夏秋冬の自然の移り変わりにたとえれば、武というのは冬の要素といえるでしょう。だから、冬の厳しい環境の中で神様事の修業をする時は、武が錬磨される。

大山:なるほど。

深見:武というのは、その冬の錬磨の一つの現れですけれども、もう一つ神様の修業には違う側面があります。

それは自力と他力の関わりです。自分の自力というものを磨いていくという要素と、神様の他力を受けるという要素。

自力を出す出し方と他力を受ける受け方、これがピシッと合一した時、本当の自力他力の合一があり、そこに神人一体の妙があるのです。それでは自力はどうやって磨いていくかといったら、武の心を磨くんですね。

それが今、大山先生がおっしゃったように限界を超えるということなんです。ところで、一般に超能力とか言われるものでも、その出所をつぶさに見てみますと、二種類があることに気付きます。

神界からの神力というものと、霊界か達の霊力。この二つは、実は別物なんです。

特に神力というものは、他から出倍てくる神のお力をやんわりと受ける合気道みたいなものなんですけれど、例えば悪霊を救済するとか、あるいは本当に不可思議な力をもって世を救うという、大霊力というのは根本的に自力なんですよ。

私もこうやって、やわらかな人間でいるようですけれども、冬の厳しい修業のなかで悪霊と戦う時には修羅のような、不動明王みたいな、すごい顔をしてやる。

その時には武の心とか自力というものをいかに磨いていくのかという世界に入るんです。自力ばかりじゃだめですけどね。

大山:先生。神のこと、私、よくわからない。ただ、私は神に頼らないで、いつでも自力本願でいく。

神というのは確かに存在はしていると思っています。だが、神に頼るということは一切しないんです。

深見:うんうん。

大山:私は宮本武蔵をものすごく尊敬しているんです。宮本武蔵先生が「神仏は尊ぶべし、されど頼るべからず」とおっしゃっています。

深見:ウーン。

大山:だから、私は一切神に頼ろうとしません。だから、自分自身を頼らなくちゃいけない。自分自身がやっていくのには、それは一つしかない。これが武の世界だと思う。

深見:そうですね。

大山:私は、神界というのは行ってみたことないからわかりません。また、霊界もわからない。それはもう正直な話です。だが稽古は、今、先生、他力本願の話をされましたけれども、最近は他力本願の稽古が非常に流行っていますね。

深見:はあ、そうですか。

大山:今の若い人は、全部科学的要素によって、稽古するんです。同じ稽古をしても、非常に機械化されて、しかもファッション化されている。

すなわち他力本願の稽古をやるわけですよ。ここの筋肉を出すにはこういう稽古をやればいい。ここの筋肉を出すにはこういう稽古をやればと分析されていて、空手においても同じですね。

そして、空手界の多くの先生が、そういう他力本願の稽古をやって、どっちかというと、そういう稽古をすることで商売が成り立っている。

深見:ウーン。

大山:だが、私は自力本願でいかなくちゃいけないということを常に言うんですよ。

だから、ボディビルをやったり、筋肉を出すために重量挙げをやる人が大いるが空手には関係ない。日本一のボディービルの選手、ミスター日本が空手のチャンピオンになれるか、柔道のチャンピオンになれるかということをよく言うんです。

それは、どこまでも機械化されて、ファッション化するための一つのショーであって、強さじゃない。

だとするなら、どういう稽古をやるか。腕立てをやれ、逆立ちをやれ。腕立てにもたくさんの種類があるわけです。だれでも腕立てをやる時には私たちはてのひらを掌底というんですが一掌底でやる。

深見:掌底。

大山:掌底でやって、掌底で百回はできるとするなら、今度は拳立てをやるんです。

こぶし立て。拳立てで百回やる。これで百回できるんなら五本の指で百回やれ、これができたら三本指でやれ、三本指でできたら二本指でやれ。一本指は、これはちょっと不可能な話です。これは、とてもじゃないけれども、大変じゃないですか、一本指でやるというのは。

深見:一本指はね。

大山:それは難しいんですが、大体二本指で逆立ちぐらいはできます。

深見:うん。

大山:そうすると、この前もある場所でそういうことが出ましたけれども、大体、牛を殺したり、熊を殺したりするのが大山:倍達の特許じゃない。

大山倍達は、ご承知のように、皆さんが見ているようにメーター七五センチしかない。そして体重は八〇キロしかなかったんだ。今は太って九五キロありますがね。

深見:ああ、そうですか。

大山:八〇キロしかなかったんです。八〇キロしかない私に比べたら、今の子供たちは大きいですよね。

深見:ええ、大きいです、身長がね。

大山:今の若い人は、もう一メーター七五は小さいね。七五は小さいし、大体今は八〇近い。体重が大体八五キロぐらいあって、そして百メーターを十二秒で走るぐらいの人間で、跳躍が大体一メートル五〇センチぐらい飛べればいいでしょう。そして、人指し指で逆立ちができれば、これはもう大変です。たたいて、牛がそのまま倒れるよ。

私たちの世界は、武の世界だ。強さがものをいうんであって、議論は要らない。すなわち強さが議論である。強さがなければだめです。

霊界だとか神界は私にはわかりません。しかし、政治というのは国民を助け人民を助けるのが政治である。

経済というのは金を助けるのが経済である。医の道は健康を助けるのが医の道であると思いますし、医者は人の命を助けるのが医者である。

だとするならば、武は何かというと、精神を助けるのが武だと思います。精神を助けるのが武道だというんだ。それは己に厳しく人に優しく、それが武の精神だと。

深見:おっしゃるとおりです。

大山:ええ。常に頭を低くしろ。そして、目は高く見ろ。そして、口慎んで心広く、孝を原点として他を益す、これが武の道だよと。

深見:ウーン。

大山:武の世界は食うか食われるかです。

深見:うーん、そうですか…。

無心になると別の純粋な力が―それが他力ですよ

大山:勝負の世界だから、立ち会ったらね、そこには親もなければ、師もなければ友人もない。ただ、勝つことだけがある。その勝つことには何が必要かといったら無心じゃなくちゃだめです。勝とう勝とうと思ったらだめです。

深見:うん、そうですね。

大山:勝負の時は無心になる。無心になると、別の純粋な力がわからないうちに出てくる。無心が、こういうふうに出そう、ああいうふうに出そうということじゃなく、わからないうちに出てくる。それには修練です。

深見:それが、大山:館長、他力ですよ。

大山:……。

深見:それが他力なんです(笑)。

大山:そうでしょうね。それはそうだ。

深見:無心になって、自分じゃないようなのがバーッと出てくる――。

大山:そうです。

深見:これが妙であり、他力が出てくるまで自力の極致を詰めているから出てくる。

大山:そうですね。

深見:それが他力ですよ。

大山:私は、それをやるのには一つの技をもって最低三千回やれというんです。

深見:ああ、三千回ね。

大山:そうしないと、ああ、こういうふうに打ってきたら、こういうふうにこの足に受けようと考える。これは違う。そうじゃなくてこう、自然に受けてしまうようになるわけです。そういうふうにするのには少なくとも三千回、最低三千回、一つの技をやる。

物語においては、一刀流の達人、伊東一刀斎は木刀を一日七万回やってます。

深見:七万回?

大山:ええ、七万回。

深見:ほう。

大山:これはちょっとね、オーバーだと思います。

深見:そうですか。

大山:これはオーバーです。それを見て、書く人が勝手に書いたんだね。

深見:ウーン、七万回ね。

大山:それはオーバー。それを見て私はね、正拳突きを七万回やってみようと思ったができなかったんですから。

深見:それじゃ、これは無理ですよね。

大山:ええ。一日やって七千回ぐらいのものじゃないかなあと、思います。だがね、ともあれ一つの技を三千回ぐらいやらなくちゃいけないということは、私たち空手を修業する人間の一つの定義であります。

深見:そうでしょうね、そこまで修練なさるからあれだけの力がでる。

大山:それが、先生が今おっしゃったように、一つの他力であるかもわかりません。

ゴッドハンド”の由来はコーラびん1本切り


深見:いや、僕はね、先生の今日までの業績と技を見てて、ご本人は自力だけで、他力に頼らないと思っている。

自分のことしか考えないとおっしゃっているけれども、今言ったように、己の力を極めた、普通じゃ考えられない、常識じゃ考えられないような力を出しておられる。

無の状態というのは己がない状態でしょう。自力を極めて無の状態ということは、もう何のことも、相手すらも消えている、自分も消えている、勝つ、勝とうという気持ちも消えている状態。没我の状態というのは、もうそこに他力が働いている。武の神様がワーッとやってくるから不可能なこともできる。あんな妙なる技ができる。

達人というのはそういうもので、僕は、もう絶対に大山:館長は神様に守護されていると、前から思っていました。

大山:ありがとうございます。先生がおっしゃったことにちょっと思い当たるところがありますがね、例えばアメリカへ行った時にプロレスラーたちと一緒に巡業したことがありまして、私は柔道の木村政彦)先輩と行ってたんです。

深見:力道山とやっていた――。

大山:ええ。それから、遠藤(幸吉)と一緒に行ったんですが、遠藤は一メーター八五センチ、私より十センチ大きい。そして百二〇キロあるから、私より、四○キロも大きいから、大変強そうに見えるんです。また、実際に強かったです。

対日感情が非常に悪い時でね・・・・・・。

深見:そうでしょうね。

大山:朝鮮動乱が始まった年ですから、一九五〇年じゃないですか。

深見:日本人をばかにしていた頃でしょうね。

大山:ええ、ばかにはするし、おまえは大体インチキが多いということを盛んに言うわけですよね。「日本人はインチキがうまいからね、真珠湾攻撃もインチキだ」と。

深見:ああ、なるほど。

大山:そして、「石を手で割るということはおかしいじゃないか。石を割ったやつをのりをつけてきたんだろう。だから、この石を割ってみろ」といって石を持ってきたんだが、それが、真ん丸い石だ。

深見:ははーん。

大山:そんなことはすぐできますよ。石がこういうふうにあったら、石を小指と薬指で握るんですね。三分の一を握って、三分の二が出てきたら必ず割れることになっているんですよ。

深見:ほう。

大山:これは、力学的に証明ができるんですよ。だれでもできるんです。まあ、だれでもできるといったらちょっとオーバーかもわからないけれども、少し修業すればね。力の入れ方、呼吸の仕方、それから力の強弱、技の緩急、それから息の調節、これが一番大事なわけです。

深見:ウーン、呼吸ね。

大山:ええ、呼吸が。その呼吸が、すなわち気の世界ですね。

むこうのプロレスラーはそれを知らないもので絡んできまして….。おまえたちは、インチキだと。それから、「おまえはテレビで鉄のハンマーでこの手をたたいていたけど、あれはインチキだよ。鉄のハンマーでたたいて、その手が何でもないということはないじゃないか」と、こう言うんですね。

「それは、ラバーのハンマーだろう。ゴムでできたハンマーだろう」と。

深見:ああ、なるほど。

大山:そういうことで……。

深見:実演なさったわけですか。

倍大山:相手のプロレスラーがまた大きいんですよ。何しろプロレスラーなんて初めて見るわけですよ。雲を突くような大きさですね。

大深見:二メートル近い。

大山:うん、二メートル近い、化け物みたいなやつがこちらを見おろしているんですよ(笑)。そして、下を見て話しながら、ペッペッと吐くんですね。

深見:つばを?

大山:ええ、ばかにしちゃって。そうしたら、私たちの仲間にグレート東郷というプロレスラーがいまして、その東郷が「こいつたちとずっとこれから巡業して歩くわけだから、とどめを刺さなくちゃいけない。そのとどめを刺すために、どこかで何かをやらなくちゃいけないんだが、何ができるか」と、こう言う。

そうしたら、遠藤のやつが余計なことを言ったんですね。「ますさんは逆立ちができます」と。ますさんって私のことです。倍達だから。「おまえ、逆立ちぐらいは、レスラーはだれでもできるよ」と東郷さんが言うと、「いや、その逆立ちじゃなく、人指し指と親指で逆立ちができますよ」と言うんですね。

深見:はあ。

大山:そうしたらね、グレート東郷はしばらく考えて、「やってみるか」と言うのよ。それで、私は「ああ、いいでしょう。やりますよ。私はそういうことをやるために来たんだから」と言って、テーブルを置いて、テーブルの上で逆立ちをしたわけです。

それもね、掌底でもなければ、拳立てでもなければ五本指でもない、二つの指で。

深見:二本指で!

大山:そうしたらね、レスラーたちが唖然として、見ている。そして、私がテーブルから下りてきたら、ウーン、確かに君は小さいけれども、強い。日本人は小さいんだけれども強いと言ってくれました。

けれど「だが、おまえ、これ「見ろよ」と言って、手ぬぐいをこういうふうに持ってきて、こう腕に置くんですね。

そして、そこにあるコーラびんを持ってきて、ちょっとはさむんだ。ウーッと力をこめたら、腕のこっちの筋肉とこっちの筋肉でコーラびんがバリバリバリバリ、それで割れちゃうんだ(笑)。

深見:ホーツ。

大山:いやあ、それにはこちらも驚いてね。「もう帰ろうよ、日本に(笑)。

これはもう命あってのものだから、あいつたちに首ねっこ折られちゃうよ」っていって。確かにそうですよ。

でも、そのまま引き下がったらしょうがない。グレート東郷が「おまえ、コーラびん切れるか」と聞いてくる。

「いや、やったことない」と答えると今度は遠藤のやつが「日本ではビールびん、しょっちゅう切ってましたよ」と、こう言うんだね(笑)。

ビールびんが切れるんならばコーラびんも切れると、ということでコーラびんを持ってきた。とにかくイチかバチかやらなくちゃいけない。できなかったら、あしたは日本に帰ればいい、とは思ったんだが、そうなるともうあしたからはめし食えないことになってしまう。それで……。

深見:追いつめられて。

大山:ええ、コーラびんを前にして、ただ瞬間思ったのは、第二次世界大戦で仲間が戦いにいって死んでいったことでした。

自分の友達が、その時に何も言わないで死んでいった。死ぬことが国のためだと思って、いい悪いは別として死んでいった。

その何人かの自分の航空隊の友達の顔がパッと見えるんですね。それで、よし、ここは勝負つけなくちゃいけないと思いコーラびん一本を気を静めてバーッと切ったわけです。そうしたら、運よく一本は切れちゃったのよ。運がよかったんです。

深見:ほう。

大山:そうしたら、アメリカのプロレスラーが、これは、おまえ、まぐれだと、こう言うんですね。それで通訳に「おまえ、まぐれだと?しかし、空手というのは、おまえは初めて見るかもわからないが、大変怖い、恐ろしいものだ」と言ったら、相手は初めてビクッとした。

「じゃ、私はここで十二本、一ダースを並べて切るから、万一これが全部切れたらおまえは私の子分になるか。」これが勝負の世界ですよね。

強者がいつでも王様になる。だからもし私が勝負に勝ったらおまえは私の子分になるかと、通訳を通して言ったら「オーケー、オーケー」と言うんだね。私もオーケーだけは知っておったから(笑)、これはやらなくちゃいけないなと思ったんです。

深見:ええ。

大山:それで十二本をテーブルに並べた。控室がリングになっちゃったわけですよ。レスラーたちは全部、レスリングをやらないで、それを見るわけですよ。

日本から来たジャパンスキーが何をやるだろうかと。空手というのは、素手でやるというんだが、どういうふうにやるんだろうと。

そうやって皆が見ている前でコーラびんを十二本並べておいて、さっきも申し上げたように、気の集中を図ったわけです。

目を閉じて無心になる。それで気合もろとも目をあけてね。

それはやっぱり三分ぐらいかかったと思います。私は三分ぐらい時間をくれと言ったと思います。

そしてワーッと、バーッ、バーッと切っていった。十二本中九つ切れて、三本がそのまま吹っ飛んだんだね。そうしたら、プロレスラーの七、八人いたやつがね、「オー・マイ・ゴッド・ハンド」。それがゴッド・ハンドの始まりです。

深見:ああ、ゴッド・ハンド。

大山:その時からゴッド・ハンドだよ。それから、私はもう親分だ。おまえ、何でも聞けというわけですよ(笑)。

あれ持ってこい、これ持ってこいですよ。アメリカ三二州回る時に王様。もういつでも、オーイ、戸あけろ、おれが入るから、自動車回しておけ、という具合でね。

空手を教えてもらいたかったようですが、日本に帰る時に教えると言ってね……。

深見:それまでは、子分でやらなきゃいかん(笑)。

大山:ええ、グレート東郷が、教えてしまったらだめだと言うのよ。「やつたちと、ずっとこれからも回るんだから、十ヶ月間…」ってね。

深見:大したもんですねえ。

大山:そんな経験をして、本当に、無心というのが初めてわかりました。

深見:ウーン。

大山:無心にならなくちゃいけないなと。

深見:うん。

小指と薬指がコツ

大山:だから、いつでも死ぬ思いでやれ、やる時には中途半端でやるなということをいつも言うわけです。

先生もご承知のように、人間の力というのは気である。気はどこから出るかというと、もちろん、先生もご承知のように、この丹田ですね。

へその下。だから、ボクシングはたたく時に、そこをグラブでたたきます。空手の場合は違うんです。たたく時に小指と薬指に力を入れろと言うんですよ。

深見:ほう、小指と薬指ね。

大山:この神経は経絡といいまして丹田に来ている。

深見:ここが?

大山:はい。それから、この経路が心臓につながっているんです。

深見:ほほう。

大山:だから、怖い人に会った時に、常に薬指と親指の腹と腹を合わせて押せと言うんです。

深見:薬指と親指?

大山:ええ。そして、深呼吸をしろ。そうすると、落ち着くということをよく大言うんです。

深見:ほう、いいことを聞いた。

大山:だから、この小指と薬指が一番。初めからギュッと握るとだめですね。きのう、深見:先生の弟子の……。

深見:西谷さん。

大山:はい、西谷さんがきのう、おととい来た時にも、ちょっとそういう話をしました。人間の手相というのは感情線と頭脳線と生命線の三つがありますね。この感情線の上に小指と薬指を置くんです。

深見:こういうふうにね。

大山:そして、ここに力を入れなくちゃだめです。小指と薬指が主人、残りの指は従です。そして最後に親指をかぶせてギュッと握る。

深見:なるほど。

大山:ええ。

深見:水平に。

大山:ええ。そして、握った時には軽く握る。当てる瞬間に小指と薬指を、しめてねじ込む。この時に力が入らなくちゃだめだ。そうすると、必ず牛も倒れるよ、熊も倒れるよということを言うんですがね。

深見:女の子も倒れますね(笑)。

大山:なかなか難しいよね。なかなか難しいです(笑)。

でも女の子は、先生の顔だけ見れば倒れるんじゃないですか(笑)。

深見:イヤー、女の子は大山:館長の強さにしびれるんじゃないですか(笑)。

大山:いやいや。

深見:実は、先生、今、僕も聞いて驚いたんですがね、僕は知らなくて神様かパッと教えられたんですが、悪霊を救済する時、いつもこうやるんです(と手刀をつくる)。ですから、この小指と薬指に親指をこういうふうにして、こうやって霊を救済したり、切ったりするんですよ。

あとで密教の人に聞いてみたら、不動明王の利剣というのがこうなんですって。印が。

大山:うん。

深見:僕はそういうことを知らなかったんですが、怨念霊でもなんでも救う時に、神様に教えられた通りにその印を結んでいました。

救霊師の人にもその形を教えています。人指し指と中指が剣になっていて、薬指と小指を、親指で押さえて安定させる。これをずっと、何か知らないうちにやっていたんですね。

今、お話をお聞きすると、なるほど同じですね。

大山:だから先生ね、ヤーサンで、小指を切ったやつがいるでしょう。これではいくらたたいても人が倒れないよ。

深見:そうですね。臍下丹田に……。

大山:力が入らないんだもの。小指の力が一番大事です。

深見:小指。

大山:ええ、それから自分の健康状態がいいか悪いかも小指でわかるんです。

深見:ほう。

大山:私の小さい時には指相撲というのをよくやりました。

深見:指相撲。

大山:ええ。こういうふうにお互いに引っかけて、こういうふうにしていた。それが、いいんですね。これは、女との約束ばかりじゃないですよ。

深見:ああ、そう。なるほど(笑)。いろいろと小指の変化はあるわけですね。

大山:だから、毎日、夫婦の仲がよければ、奥さんとこういうふうに引っ張り合ってもいいですね。

深見:はあ。

大山:私の場合は……。

深見:ほとんど奥さんが勝つでしょうね(笑)。

大山:(笑)マッサージをやる人は、総体的に健康状態がいいんですよ。末梢神経をしょっちゅう動かすんだから。

深見:なるほど。

大山:小指だけでちょっと物を上げるような練習をするといいですね。

深見:これね。

大山:「先生は、どれぐらい上げました?」と、よく聞かれるんですよ。「そうだなあ、私の全盛時代はな、大体六○キロぐらいは上げたよ」と言う。

深見:小指で?

大山:小指だけで。

深見:じゃ、人一人ですね。

大山:60キロの人の帯に小指を入れて、そのまま上げたから。
 
深見:小指で?

大山:小指で。それぐらい小指を鍛えてないと、この握力はないよって言っています。

深見:相当強い奥さんが来ますね、それならば(笑)。やはりそんなに人は鍛えられるものですかね。

大山:ええ、人間は鍛えればね。だから、精神修業も同じだと思います。

深見:うんうんうん。

三十代越したら、気の取り方の練習

大山:修業と先生、さっきそうおっしゃいましたが、私たちも修業の世界に生きていますね。まあ私たちは武の世界に生きているから難行苦行をやる。とにかく苦しいことをね……。

深見:いや、それはそうですね。

大山:肉体はいじめればいじめるほど強くなっていく。

深見:うんうん。

大山:けれど、それはね、二〇代前半。十代の後半から二〇代の前半までです。

深見:そうでしょうね。

大山:そして、三〇代越したらね、空手をやったがために長生きしなくちゃいけない。空手をやったがために長生きしなくちゃいけないんなら、人に迷惑をかけるような長生きはいけない。だから、人には、気の取り方を練習しろ、と言っています。

深見:うん、なるほど。

大山:気の取り方、呼吸の仕方。

深見:呼吸ね。

大山:私たちは一つの呼吸法をいつでもやって、指導もしているんです。こういう呼吸をやれ、ああいう呼吸をやれ、気の取り方をやれと。

深見:丹田から技、技から気というふうにいくわけですね。

大大山:ええ。そして、そういうふうにいかないといけないんです。

深見:なるほどね。

大山:先生、私はさっき先生の講義を控室でじっと聞いて、先生も空手をやったら名人になるなと思いましたよ。

深見:いやあ(笑)。

大山:お世辞じゃなくてね。

深見:いやいやいや(笑)。

大山:なぜかというと、その気の取り方に対して非常によく説明ができるから。理論的にわかる人は実践が早いですよ。

深見:ああ。いや、僕はもう理論理屈なしでね、体験、実践主義ですから。会員さんにいつも言っているんです。法則がわかったらいいんですよ、と。

理論じゃなくて法則がわかったら実践できる。法則がわからなかったらやみくもですからね。

基礎というのは法則で、応用というのは自分の体験からにじみ出たものがあるから個性が出る。だから教えるのは基礎、それは法則です。

大山:なるほど。

深見:だから、理論理屈は自分でつくりなさいと言っています。

大山:なるほど。

深見:ですから、簡単なことを教えて、あとはもう実践、実践、実践、実践ですね。

大山:なるほどね。

深見:それが妙を体得するコツです。妙なる技、妙なる実力、妙なる霊力を出すのには法則が大切。

そのことだけわかったら、あとはもう体験、実践、体得ですよ。私ほど論理的に、論理じゃないということを言っている人はいないんです(笑)。

だから、本を書く以上に妙力というものを実際にやるんですよ。そうじゃないと頭だけでしょう。

やはり神人合一というのは、もう呼吸、タイミング、実際にそれを結果に出すことです。ですから、もう病気を治すとか、その場で、さっき大山:館長がおっしゃったみたいに奇跡的なことをする。その場の戦いですね、技と技の。

大山:なるほど。

深見:禅問答なんてそうなんですよ。何の準備もなくて、相手の思った気持ちの足りないところを瞬時に指摘する。相手が知りながらも足りなかったところをパッと出すんですね。

自分というのがあったら相手が見えないですよ。そこにはもう台本もない、相手の状況と呼吸とタイミングをずっと見てて、足りないところにパッと足すんですね。

そうすると、相手も自分でそこが足りなかったと思うから、眠っている意識がクルクルクルッと回転する。あとはもう自分でそのことがわかるから、自分で自分のものを体系づけていく、これを、御魂返しの法というんです。

大山:はぁ。

深見:ですから、問答にしましても、何の台本もなく理屈もなく、その場にパッと立った瞬間で、何も考えないでその場に出るんですよね。

それができるためには、ふだんから錬磨して、自分の限界にいつも挑戦して、理屈じゃなく、その現場に立った時に最高の実力をバッと出せるように、いつ日常生活の中で鍛練してないといけない。

そうでなければ、いくら神様にお願いしてもこれは出ないです。僕は龍神様でも天狗様でも、自由自在にその場でおよびすることができるんですけど、それはもう無我の境地の中で神様とどうやって理屈じゃないところで一体になっていくのかという問題です。

妙の世界、一体の世界、理屈のない世界ですね。私がそれを実践すると、みんな、ワーッ、あんな深見:先生みたいに妙なるようなことをやってみたいな、と思うから、皆さん、こうやって入会されて、セミナーに来て下さる。

大山館長の熊殺しをしてきたという武勇伝を聞いて、自分も大山:館長みたいに強くなりたいと思うから、一千万人のお弟子さんがいらっしゃったように、こういう神様の世界でも、やっぱり妙なる技ができないと、みな、やる気がしないですよ。同じです、その点では。

大山:いや、先生のおっしゃるのはごもっともですがね、私は生涯一書生で終わりたかったんですよね。

深見:ほう、そうですか。

大山:山伏と同じく。

深見:ははあ。

大山:指導者になるとか、館長になるとか、それから総裁になるとかいう気持ちはなかったんです。

深見:ほう。

大山:ただね、宮本武蔵は、とにかく自分より強いもっともあの人はちょっといろいろ問題があるんですよね、ほこりが出ない人間はないから、あるんだけれども、しかしとにかくあの宮本武蔵は、自分より強いという人間は許せなかったのよ。

深見:ああ、そうですか。

大山:だとするならば、大山:倍達も、自分より強い人は許すことはできない。一回やってみよう、と思いまして。

戦って、私が負けたら私はあなたの子分になる。あなたの弟子になる。そのかわり、あなたが負けたら私の子分になる。

深見:うん、なるほど。

大山:これがね、勝負の世界の掟であるから、これでいこうということで、まあ日本でそういうことをやって歩いたら、これはもう邪道だ、ぶち壊しの空手だけんか空手だ、あいつは異常だ、というふうになるから、それじゃ牛とやってみよう。

牛とやったら、それじゃ熊とやってみよう。熊とやったあとは、動物の中で一番強いのはライオンだから、ライオンとやってみよう、とそういう気持ちでおったんですよ。

深見:ははあ。

大山:そういう気持ちで世界各国を回っているうちに、いつしか組織ができてしまったんですよ。

深見:なるほど。

大山:そして、アラッ、と気がついてみたら、右の道を行こうと思ったのが左の道へ来てしまったなという感じで、もう戻れなくなっちゃいまして……。

深見:ははあ。

大山:これが現状です。ただ昔のガンマンみたいにね、それから日本の武芸者みたいに、年取ってきたら当然感覚が鈍くなる。

深見:ウーン。

大山:そうすると、自分より早いガンマンが出てきた、自分より強い剣術家がでてくると殺されるからそれを防ごうとする。だからね、例えば奥州の人だったら、ずっと南の薩摩へ行ってしまったり…。

深見:ははあ。

大山:薩摩の人だったら奥州へ行ってしまったり、そして晴耕雨読をして、名前を変えてしまうとか……。

深見:なるほど。

大山:自分も年をとったらそうしようと思っていて、若いうちは世界各国、ちょっといろいろ変わった武芸人とやってみたいなと思っていたんです。

そうしたところ、たまたま私の先生である、柔道の牛島という先生に「どうだね、おまえ、日本でそんなに食い詰めているし、そんなことして歩いたら、おまえの空手が泣くよ。

だから、アメリカへでも行ってみろ」といわれてそれがアメリカに行くきっかけになったんですよ。

それで、アメリカへ行ったんですよ。強さを証明するとアメリカ人は非常に気持ちがいい人種なんですね。強さを証明すると、民族、国境、人種、関係ないんだな。

深見:うん。

大山:彼らは、強いんであれば、もう頭を下げるのよ。だから、私もえらくそれに感動して、アメリカのスポンサーとマネージャーと一緒に世界各国を回ったというわけです。

そうやって回っているうちに組織ができちゃったんだね。そういうことです。

深見:なるほど。でもね、若い頃は肉体上の強さですけどね、やはり一千万人も弟子が来たら組織の強さ、組織の人たちが尊敬する中身の素晴らしさですよね。確かに年を取ればだれでも肉体は衰えますけれども、先生の場合は、やっぱり力強さというものが、肉体上の強さ、武術の強さから中身の強さへとずっと進歩しているように感じますけど。

それはもう必然的に、より無形の世界へと、強さが移行している。

大山:うーん。

深見:グレードアップしているような気がしますね。

大山:そういうふうに肉体の限界を超越してしまって、やっぱりそういう無限の世界に挑戦してやろうということは、もう先生の今おっしゃったとおりです。まさにそのとおりだと思います。

深見:そうですね。

大山:それで、空手をして健康的に長生きをして、老年になって、人のため、世のためによく尽くしたな、というような大往生をしたらいいじゃないかということをよく言うんですね。

深見:ああ、素晴らしいですね。

大山:恐らくそこは先生と……。

深見:同じです。同じです。

大山:そうですね。

深見:やっぱり十代、二〇代というのは元気ですからね。私も体が元気な時にはもう肉体の極限まで極めて、朝四時、五時からランニングをしたり、肉体を鍛えましたよ。今はその筋肉が脂肪になっているんで、なかなか(笑)できないですけどね。

やっぱり若い時には、軍隊に入るような、あんな厳しい規律の中で我を抑えていくことが必要ですね。タケノコみたいに出てくる時ですから、十代、二〇代というのはそういうものがなけりゃ、もう三〇、四〇というのは先が知れてますよ。

三〇代、四〇代は十代、二〇代のようにはいかない。肉体の衰えに従って管理能力とか中身の素晴らしさとか、人間としての立派さだとか、あるいは困難とか不測の事柄でも微動だにしない精神力とか、そういうものを身につけていくことが美しい老化というのか、まあ進歩ですよね。

だから、武というものが必要で、若者、女性もそうですけれども特に十代、二〇代の男性に身につけてもらいたいですね。体力というのは原点ですし、荒魂を鍛えなかったらいけないというのも同感です。

大山:確かにそうですね。

深見:先生に憧れたアントニオ猪木の「力と技の男のロマン」、あれが好きでし大学時代に。言えば「力と技の男のロマンだあ」と言って私は道を歩いていた(笑)。

今はまだ三〇代ですからそうやっているんですが、これが四〇、五〇になってきたら、もうそうもできないんで、やっぱり霊との戦いというのは若い人に譲っていって、もっと年を取ったなりの別な強さを出さなきゃと思っているんですよ。

十代、二〇代の人は四日寝ないとか、突然西表島に行く、その次はハワイのオワフ島へ現地集合、現地解散なんて、頭が爆発するような過激なことをしてもいいと思う。

現地人はここで踊りを踊ったに違いない。だからとにかく御神気を受けて踊ろう。踊って、コーヒー一杯飲んで解散でも、わざわざそのためだけに来た人は根性があると見るわけです。

限界を超えている(笑)。これは決して功利主義ではないですよ。

もう理屈に合わないところでも行動をおこす、というところがないと、人間の魅力がないじゃないかというので、次々に過激な計画をしているんですよ(笑)。

大山:先生、空手をちょっとやりなさい(笑)。(拍手)

深見:やってみようかなあ。

大山:いや、先生はやったらね、本当に、さっきもちょっと言いましたけれどもね、素晴らしくなるよ。

深見:はあ(笑)。

大山:それはね、もうすべての点において、今よりももっと解脱して、脱皮して素晴らしくなるんじゃないかと思います。

深見:そうですか。じゃ、大山館長・・・・・・。

大山:先生は、若いからやればできますよ。

深見:そうですかね。そうですか。

大山:これは、この場をかりて私のPRもしたいんだが、やっぱりできるんならば、これはぜひ……。

深見:ねじ込んでね。

大山:ほかの空手の流派はたくさんあります。東京都内に七〇の流派があるんだから。ともあれ実際にはちょっと空手をやってみると、今の先生のやってい仕事がもっと進歩できていいんじゃないかなと思います。

深見:そうですか(笑)。

大山館長、ぜひ守護霊合体ペンダントをおつけになってみませんか。いろんな流派の空手の中でも神がかり空手は、パッと会ったらもう倒れているというものですよ(笑)。

大山:うーん。パッと見て倒れるということはないけれども、金縛りというのはありますよ。

深見:ああ、そうですか。

大山:見ただけで震えてしまう。そして、動けない。これはあります。空手の倍世界にもあります。剣道の世界だけじゃない。

深見:ほう。それは何という技ですか。

大山:バッとにらんだだけで相手が怖がっちゃって、ガタガタガタガタ震えるもの、それはあります。それはやっぱり修練によってできるものですね。

深見:ウーン、でしょうね。

大山:ええ。それはあります。また、そういう先生も日本で私は何人か知ってます。

深見:ああ、そうですか。

大山:ええ。だけれども、そこまでいくのは一生かけて精進した先生ですな。そういう人は確かにいます。

しかし、こういうふうに人間を、にらんで倒すようになるまでにはやっぱり大変な修業がいりますね。それは先生、さっきも言ったように、いろいろな御魂があるのと同じく、いろいろな修業があって、それはもうつきつめれば本当に、修業そのものが生活、生活そのものが一つの修業だ。

深見:そうそう、もうおっしゃるとおりです。

大山:そういうふうにならなくちゃだめですね。

深見:やっぱりいつもそういうふうに鍛えてますと、体からにじみ出てくるものがあるでしょう。

大山:そうです。

無為にして化すが武の極地

深見:やっぱりそれが人に影響力を与えますよね。

大山:威光と言いますかね、見ただけで怖がったり、見ただけで素晴らしく見えたりするのは、それはその人の修練のすべてが出てくるからではなかろうかと思います。

深見:その修練と目で倒すという話で今、思い浮かんだんですけど、いつも僕が、自分で心がけているのは、無為にして化すという言葉なんですよ。

宮本武蔵のあの中にも出てきますけれども、柳生但馬守宗矩と沢庵禅師の話で、中国達からトラがやってきたんですよね。家光がトラを見て、このトラをだれかやっ倍つけるやつはいないか、おまえはどうだと言って、柳生新陰流の達人の柳生但山馬守宗矩が指名された。

彼は、それでは私がやってみましょう、と、扇子一本持って、そのトラのおりの中に入っていった。すると、トラがワーッとかかってくる。柳生但馬守はまゆ一つ動かさず、トラが来た瞬間に鼻のてっぺんを扇子一本でポンとたたいた。

途端、トラはへなへなへなへなとなったんです。さすがものすごい、扇子一本と気合でトラがへなへなへなへなとなってしまった。家光ほか並みいる家臣たちは、もう感動したわけですね。

それを見ていた沢庵禅師、「ああ、まだ大したことない。宗矩はまだまだ子供じゃ。こんなの大したことない」と言うものだから、家光は、「おまえ、そんなことを言うんならやれるのか」と言った。沢庵禅師は「ああ、こんなのはいとも易しいことだ」と答えて、家光の命令通り、墨染の衣を着ながらおりの中に入っていった。

そして、何をしたか。手をペロペロペロペロッとなめて、ホイホイホイホイッと行ったわけですよ。

そしたら、トラがなついてきて、沢庵の手のひらをペロペロペロペロとなめた。

沢庵禅師は「ああ、よしよしよし、おまえはかわいいなあ」と言ってこっちを向いて、「家光殿も宗矩殿も、まだまだ力で人を屈伏させるということでは修業ができておらんなあ」と、トラの頭をなでたという。これが無為にして化す。敵でさえも自分の手をペロペロなめてくるような人間になれたら、それは本物なんだということです。

大山:いい話ですね。

深見:たぶんこれは創作した話なんでしょうけれども、沢庵さんは、実際に宗矩のために「不動智神妙録」というものを書いています。

剣の先に心を向けると守りがおろそかになる。守りと攻撃のことを思ったら相手の動きが見えない。

相手の動きと守りを見てたら、いつ切っていいかわからない。さあ、心はどこに置く、と沢庵さんが問う。この問いには柳生但馬守も答えられない。

すると、「心は、全部に置けばいいんだ。全部に」と教えている。相手の動きと体全部に心を置けばいい。

そうするためには、自分の頭とか観念とか理屈とかというものが、出てしまうといけない、と。そこでムカデの話がでるんです。

ムカデが、何百本の足をこういうふうに動かす。ムカデさん、あなたはよく百何本の足をつまずかないで動かしますねと言った時に、ムカデは、そうだなあと瞬間に考達えた。

そして、その途端につまずいてこけたという(笑)。

大山:ハハハ。

深見:百何本の足全部に心を置いているからムカデはこういうふうにして行くわけです。それと同じだと。全部に心を置けるためには人間の観念とか思いを修練によって飛び越えなきゃいけない。

修練によって飛び越えたら、今度は敵も味方になるような人間性を、要するに気ですね、さっき館長がおっしゃったような無の心を養っていく。

初めは勝つ負けるだけれども、そういうことももう超えた状態になったら、逆に今度は相手の方がなついてくる。

これが強さの極致だと。力の極致というのは、力がないという力なんだということを沢庵は教えている。

「無為にして化す」。何にもしないけれども、相手を変える、トラも味方に変えるということを教えているんですね。

僕はいつもそのことを考えます。皆、自分は強くなりたい、立派になりたい、と磨きますけれども、究極的には無為にして化すのが極致です。

どんな人もなごませてしまう心というのが、やっぱり武の極致だと自分で言って聞かせているんですよね。

大山館長を、私はこう見ていて、本当に童心がおありだと思います。強いとか、力だとか、限界だとかっておっしゃいますけれども、若い頃はそうだったかもしれませんが、今六四歳でいらっしゃいますか。

大山:もう年のことは言わない方がいい(笑)。ひょっとすると、先生の親父よりも年取っているかもわからないよ。

深見:そうですか。

大山:ええ。

深見:年齢はともかく、童心で無為にして化すという境地に、先生はもうなっていらっしゃると思います。

大山:ウーン。

深見:だれとお会いしても無邪気に、少年のようにお話しになってるでしょう。それは西谷さんも言ってました。いや、無邪気で、童心があって、少年のような方で楽しいですよ。力、力とおっしゃっているけど……。

大山:先生がうまいんですよ(笑)。私は楽しんでついつり込まれて、私も調子に乗り過ぎるわ(笑)。

達深見:いえいえいえ、いや。

倍大山:そんなことはないよ、私は(笑)。

深見:そうですそうです。いや、そうです(拍手)。

大山:道場では、非常に厳格な先生だということで評判です(笑)。

深見:そうですか。

大山:ええ。しかし、一歩道場を離れてしまうと、あまりにも好々爺だとは言われてますね。欲がないということでね。だからね、あいつはばかだと言うやつもいるかもわかりませんがね。

深見:いやあ。

大山:まあ、ばかでいいじゃないかなと思います。私はね、利口であるんならば、この九段会館ぐらいのもの、三つか四つぐらい持っているかもわかりませんよ。欲があったんならば。しかし、欲がないんで……。

深見:でも、一千万人というお弟子さんというのは、それだけの先生の修養の中身がないと、来ないですよ。やっぱり天地というのは平等ですから、その実力に合った分だけの人しか来ないですよ、影響力というのも。絶対。

大山:そうですか。

深見:ええ。

大山:私は、神様は不平等だなということはよく言うんだがね。

深見:そうですか。

大山:平等じゃないなと思って。何であんな悪党に金をあげたの、財福をあげたのかなと、こう思う時が多いよ。

深見:でもね……。

大山:あいつは悪党だが、どうしてあんなに金を持っているんだろうかと、みたいな善人がどうして金がないんだろうかなあと(笑)。

深見:そのうち来ますよ、先生、大金運が。でも、悪党も死後の霊界ではのがれられませんから。この世は大体六〇年から八〇年でしょう。霊界は三百年、四百年ですから、霊界に行くと悪党はもう最悪です。善人は、そのかわり霊界に行ったらいい思いをしてます。僕の理想は、生きている時も金運がいいし、死んだらもっと運がいいと、欲張った考え方ですよね(笑)。

大山館長もそうですよ。あの世もこの世も、もう運勢抜群ですよ。

大山:ありがとうございます。

深見:本当に(拍手)。

大山:ありがとうございます。私も信者の一人のようにしますから、ひとつよろしく。

深見:いえいえ、それは先生が上手なんですよ。

大山:いや、本当に今日はありがとうございました。

大山館長の前世は織田信長に加勢した村上水軍の頭領

深見:前世のことに興味をお持ちかどうか知りませんけれども、大山:館長の前世は織田信長に加勢した村上水軍の頭領だった人ですね。

大山:いやいやいや、そうですか。

深見:悪い言葉で言えば海賊ですけれども(笑)。

大山:水軍ですか。実は私は、それはもう本当にそういうことには大変興味を持っています。特に武将に関しては。

深見:織田信長がいた当時の、四国の村上水軍ですよ。その当時の水軍の頭領で、すべての水軍を統率し、指揮していた。

当時、敵の毛利の水軍というのは八百隻、九百隻あって、全部火炎びんみたいなのを投げていたんですよ。その時に織田信長は何を考えたか。

全部鉄でできた船、要するに、今でいう軍艦を考えたんですね。

それに大砲を積ん四隻か五隻の戦艦で毛利の水軍と戦った。どんなに火炎びんを投げられても、鉄で全部覆われている船だから強いわけです。

そう、その織田信長の配下で、とにかく水軍を統率しておった方で、毛利水軍にことごその大砲と水軍略で勝ったという武将が大山館長。それが今世は、この時代に空手で、素手で勝負の世界を生きるように生まれてきている。戦国時代のあのあたりに郷愁をお感じにならないですか。

大山:感じますよ。

深見:ねえ。

大山:ええ。

深見:織田信長の配下。

大山:私は、尾崎士郎先生と親しかったんですよ。昔、尾崎士郎先生といろい話をしたことがあるんですがね、やっぱり大山:君、君はね、ちょっと時代が遅れちゃったよというようなことを言っておったんですよ。

深見:はあ。

大山:戦国時代に生まれたならば、恐らく一国一城の主になると同時に加藤清正以上にはなったのになあということを言って下さった。

守護神は大山祇の神

深見:そうですか。大山:館長は、大山:祇という神様が守護なさっている。本当大山:(拍手)。

四国の村上水軍とか、水軍が崇敬している三島大社というのが、静岡にもありますけど、四国にありまして、すべての、天狗というものを押さえている。

大山祇さんというのは天狗を押さえている山の神様なんですよね。木花開耶姫と磐長姫のお父さんですけど、どんな天狗でもこの大山祇にはかなわない。

要するに世界随一の天狗を押える神様なんですよ。天狗を使いこなす神様は別にいるのですが、少々のこっぱ天狗、烏天狗が来ても、この神様が来たら、もうへなへなへなになってしまう。

本当に大山館長は、苗字のそのとおり大山祇という神様が守護されているから、そばに来た少々の天狗はみんなもうへなへなへなですよ。

この神様がもう小学校の頃からずっと守っていらっしゃる。それはもう前世から、水軍を統率をしておられた時から崇敬しておられた神様が、生まれた時から守護神になって守っていらっしゃる。

大山:そうですか。

深見:はい。大山祇の神様というのは、大山館長に顔が似ている。髪の毛はあまり濃くない神様(笑)。

先生、髪の毛がないというのは、まあ、薄いということなんですけれどもね大(笑)、ふさふさから見たら寂しいかもしれません。でも神様というのは、はげの神様も多いです。これは結うに結えず、解くに解けないという意味なんです(笑)

髪の毛を結うと言うでしょう。髪の毛を結う、髪の毛を解くと言うでしょう

大山:ええ、そうですね。

深見:結うに結えず、解くに解けない働きをする神様というのは、はげなんですよ。

大山:それはそう(笑)。

深見:もっと励めという意味もありますけどね。

大山:やっぱり朝起きて、顔洗って、鏡を見ると寂しくなるよ(笑)。

深見:そうですかね。結うに結えず、解くに解けない働きをする霊妙不可思議な神様というのは、髪の毛がないんですよ。

大山祇の神様も、まあ、ふさふさの毛の時もありますけれども、神通の神様となって出てくる時には、頭がはげてるんですよ。ツルッぱげでね。その神様にお顔がよく似てらっしゃるんです。眼鏡はかけてませんけど(笑)。

大山:じゃ、眼鏡を取りますか(拍手)。

深見:大山祇の神様って大山館長に似ているんです。天狗というものを統率しているから、どんなこっぱ天狗でも、少々我こそはと天狗になっている人物も、ワーッと統率する世界随一の神様。その神様に御守護いただいているから先生も世界一になられたんです。

大山:先生、信じてうちの神棚にお祭りしますから、どうぞ先生のサインと日にちを書いてください。

深見:はい(笑)。(拍手)はい、どうぞ(拍手)。

私も、ますます先生から学ばせていただこうと思っております。先生も信じている信じていないとおっしゃっても、無心になっていたらもう神がかっていますから、もう信仰心がなければ、空手の道をここまで極めることはできなかったわけでしょう。物事をやり通すという心が信仰心ですから……。

大山:それはそうですね。

深見:ますますご活躍いただきますようにお祈りしております。

大山:深見先生みたいな方が側についてたら、それはできます。

皆さん、さっきも話の途中でやめましたけれども、日本国内に七〇の流派が大あって、道場は三百以上あります。

よって、皆さんの知り合い、皆さんのお子さん、空手は極真ですから、ほかの道場へ行くようだったら極真に来るようにして下さい(笑)。先生、いいですか。

深見:(笑)。ありがとうございました。
(平成元年九月三日=千代田公会堂=より)