病院経営のポイント
医者になりさえすれば誰でも大金持ちになれる、というのは一昔も二昔も前の話で、近頃はだいぶ風向きが変わってきた。
医者になったからといって、必ずしも社会的成功が保証されるわけではなくなってきた。有り体にいえば、病院も倒産する時代になったのである。
一昔前、病院が倒産するなんて、およそ聞いたことがなかった。しかし、最近やたらと病院の倒産の話を耳にするのは一体どうしたことか。
もちろん、医師を増やすという国の政策によって医院や病院が乱立するようになったことに原因の大半があるのだろうが、果してそれだけだろうか。
いや、そうではない。どんなに医院病院が増えても繁盛しているところは繁盛しているのである。やはり、経営に対する甘い姿勢、これが倒産を招く大きな原因となっているといえるだろう。
それだけに、医院の経営、病院経営でも経営の技術をしっかり磨いていく必要があるのだが、特に求められるのが営業。私の知り合いの医師も、
「先生、医師も営業が要る時代になりましてね」
と語っていたが、まさにそのとおり。医師も営業しなければやっていけない時代に入ってきたのである。
もちろん、営業といってもこちらから出向いて顧客を引っ張ってくるなんていうことをいっているのではない。
いわゆる広告活動などは医師法によって厳しく規制されているのだから、そんなことははじめからできるわけがない。私がいいたいのは、患者さんとのコミュニケーションにもっと気配りを、ということなのである。
アメリカでこういう面白い実験をしたそうだ。患者が喜ぶ言葉、患者が嫌悪感を感じる言葉をデータを取って調べ、患者が喜ぶ言葉を医師が努めて使うようにしたところ、患者が従来の五倍に増えたというのである。
こんなことは、わざわざ実験しなくても最初から結果はわかりそうなものだが、いかにも、何でもデータを取りたがるアメリカ人らしくて面白い。
それにしても五倍に増えたというのは驚きだ。今の病院経営の一番のポイントは改めていうまでもなく医療技術である。
腕が悪くては患者が来るはずもなく、ヤブ医者と評判の立ったところが繁盛したためしはない。それだけに医療技術が一番大切なのだが、技術が同レベルだったら勝負はメンタルな部分、つまり患者とのコミュニケーションにかかってくる。
前出の医師がこういう。
「先生、患者さんというのはね、医者にかかるほどの病状ではないからといって、そのとおりに「大丈夫ですよ、たいしたことはないですよ」というと、かえって不安になって来なくなるんですよ。
まあ、本当に病気ではないのでもう来なくて構わないわけですけれど、よその病院に行って診てもらっているんですよ」とおっしゃる。
そして、「たいしたことはないんだけれど、「少し気になるところがあるので検査をしましょう」ともいう。
検査をして、「ちょっと注射を打っておきましょう。これで大丈夫ですよ。大事に静してください」というと、「あの先生はいい先生」ということでまた来るんです。
だから、こちらも、「それで患者さんが安心してくれるのなら」とわりきって、それほど必要のない栄養剤を打ったりすることもあるんです。
言ってみれば、こんなコミュニケーションも、治療の一環なんですよ」
「問題ないですよ、大丈夫ですよ」というと、「大丈夫なんだろうか、あの先生。ヤブ医者なんじゃないだろうか」と非常に不安になり、すぐに来なくなるというのだ。
そのように、患者のメンタルな部分、特にコミュニケーションを大事にすることが今日の病院経営では欠かせないポイントとなっているのである。
患者は黙って医者のいうことを聞いていればいいんだ、というような態度はもう論外。一昔前には通用しても、今の人にはそういう医者は嫌われるだけである。
やはり、医師の世界でも医療の技術と並んで、会話の技術の勉強量、ここに勝敗の分かれ道があるのだ。
繁盛している病院と閑古鳥が鳴いている病院、その違いは一体どこにあるのか。治ればそれでいいじゃないか、と医師はいうだろう。
しかし、それは大きな勘違い。もちろん病気を治すことが一番ではあるが、医療技術が同じぐらいなら感じのいいほうに行きたいと思うのが人情というもの。
そういう感じのよさ、明るさというものを大事にする病院が繁盛しているのであり、そのように努力すれば大丈夫、少なくとも閑古鳥が鳴くようなことには絶対にならない。
ところが、医者は概ね頑固である。特に年配の医者は頑固だ。プライドが高いというか、「患者の機嫌なんかとっていられるか」という態度をあからさまにする医師が多い。だからこそ私は、経営相談に来るお医者さんたちに、
「病院経営は簡単ですよ」とアドバイスするのだ。
昔ながらの高飛車な病院が多い中で、患者に親切”を売り物にしてやっていけば、「あそこの先生はいい先生」と評判が評判を呼んで、黙っていても患者は集まってくる。現に、そういう病院が最近では増えてきている。
これは動物病院の話だが、私の知り合いにこういう獣医がいる。お客が犬を連れていくと、「いい犬ですね、いい犬ですね」と褒めてくれて、犬が苦しんでいる時には涙を流さんばかりに同情を寄せながら診察する。
そういう情感豊かで共に涙を流せるような先生がいるところへは、「あの先生はとてもいい先生だ」といってみんな喜んで出かけていく。
腕のよし悪しはほとんど関係ない。とにかくやさしい先生だからいい先生だ、と皆が口を揃えて言う。それを聞いて、
「ははーん、将来、動物病院を経営することがあったら、涙もろい人をいれたほうがいいな」
なんて思ったものだが、それはともかく、犬が苦しんでいるのを見て涙を流すのは犬のことを心から思ってくれているからだ、と飼い主が思うのは当然といえば当然だ。
勿論、腕が良いのにこしたことはないが、それよりも獣医のそういうやさしい態度は客にとって喜びであるわけだ。
それともう一つ、私の近所で評判の医院がある。そこは診立てが早いので有名で、パと診たらすぐに処方箋を書いて、一〇分か長くても二〇分で終わり。
だから、いつ行っても待たされることがない。その上、問題があればピシッとシャープに診察するから、忙しい主婦には大変な人気だそうだ。
やはり、それなりに研究しているのだ。会社でも何でも、わけもなく繁盛しない。繁盛し続けている会社、お店は、やはり繁盛する法則をわきまえているから強い。病院でも繁盛しているところはみな、その法則に則っているのだ。
同業他社の徹底研究が成功への第一歩
とにかく、事業で成功しようと思ったら徹底的に研究することである。どんな商売でも必ず同業他社があるわけだから、それを徹底的に研究して、成功している理由は何なのか探り出す。
もちろん、理由は一つではない。いくつかの理由が複合的に絡み合って一つの大きな成功に結びついているわけだから、これとこれとこれが成功の理由なんだというふうに探し出す。
そういうつもりで研究していけば、「あっ、ここが成功している秘訣なんだ」「あっ、ここがお客に受けているところなんだ」と、必ず気がつく点があるはずだ。
いずれにしても、成功している同業他社を徹底的に研究することから成功の道は開けてくるわけだが、この場合、忘れてならないのが必ず現地に足を運ぶということ。
机の前でいくら経営書を開いて考えても、決していい知恵は浮かんでこない。とにもかくにも、現地に足を運んで体験する。これが肝心なのだ。
そうすれば、絶対に何らかのひらめきがある。そのひらめきを得るために何度でも足を運ぶ。
そういう徹底した姿勢がなければ、競争の激しいこの世の中、同業他社に勝ち抜くことなんかできるわけがない。
だから私も、美容院に行った時など、ボケーッとしている時間がもったいないから、「だいたい一人の美容師さんで、何人ぐらいのお客の名前を覚えるものなのですか」と話しかけたり、マッサージをしてもらっている間は、マッサージの仕方を研究したりしている。
同じマッサージでも人によって全部やり方が違う。それを鏡で見ながら、「ああ、こういうふうにやるのか」と目で覚えて、会社に帰ってからスタッフを相手にやってみる。
「所長、そのマッサージ、どこで覚えたんですか」
「美容院で覚えたんだよ」
ポケーッとしている時間がもったいないから、美容師さんに話しかける。美容師さんもいろいろと話をしてくれる。
そうして、新しい発見があるわけだ。美容師さんが最低三〇〇人の名前とその人の趣味を覚えているなら、私は最低三〇〇〇人の顧客の名前を覚えよう。
それでいろいろと努力して、出身地や出身大学などと絡ませると覚えやすいことがわかった。
「やあ、久しぶりですね。あなたはたしか北海道出身の鈴木さんですね」
「えっ?よく覚えていらっしゃいますね」
名前を覚えてくれているということだけでも、相手にとってはうれしいものである。それに反して、
「えーと、何とおっしゃいましたっけ?」といえば
「何だ、名前も覚えてくれていないのか」と思われるのは当然といえば当然。名前を覚えるなんて小さなことかもしれないが、そういう小さな努力とサービスの積み重ねがリピートオーダーにつながり、「またお願いしようかな」という気持ちにさせるのはいうまでもあるまい。
一口に工夫とか努力とかいうが、成功をめざす経営者にはあらゆる工夫、努力が求められているのである。
まあまあの研究では、まあまあの成功しかない
ということで、成功を収めようと思ったら徹底した研究が必要なのだが、多くの場合、研究するといってもみんな中途半端なのだ。
私は、そば屋さんと話をしたら、二八そばのつなぎと味の特色、また同じ長野県のそばでも北方と南方ではそばの味が違うので、その味の違い、そして九州のそばの特色、そういうそばに関する話を延々と二時間でも三時間でもディスカッションする。
すると、「ご実家はおそば屋さんなんでしょ?」といわれる。
「いや、そうじゃありませんよ」
「いや、隠さなくてもいいじゃないですか。おそば屋さんなんでしょ?」
うどん屋さんに行くと、またうどんの話が延々とできる。
「うどん屋さんなんでしょ?」
「いや、違いますよ」
美容院に行けば、さっきも話したとおり美容院に関する話をする。
「美容院なさっているんでしょ?」
「いや、違いますよ」
どこへ行っても、その業種の人間と間違えられる。
「どうして、そんなふうに勉強するんですか」
とよくいわれるが、興味があるし、時間がもったいないからである。なぜ、この店は流行って、こっちは流行らないんだろう。必ず理由があるはずだ。
その理由は何だろうと、そばを食べている時でも、整髪してもらっている時でも、何をやっている時でも研究しているのだ。
私は、経営者だろうが従業員だろうが、誰にでも絶えず話しかけて、その秘密を知ろうとしている。
どんな業種でも、その場に遭遇し何かひらめいたら、「これは神の教えに違いない」と考えることにしている。「これは偶然だ」とは絶対に考えない。偶然だと考えたら最後、何一つ発見できなくなってしまうからだ。
そのように話をしながらいつも成功の理由を追求しているわけだ。興味を持っているから、聞いたことは全部覚えてしまう。「ははーん、そうか」と。
そして、次に別の店に行ったら、前の店で尋ねたことと同じことを聞いてみる。
「何々というお店で聞いたんですけど、何でも、こういうことらしいですね」
「いや、そうじゃないですよ。それはこういうことですよ」
そしてまた別の店にいったら、「こういうことがあるらしいですね」
「いや、それもそうだけど、こういうのもありますよ」
向こうはその道のプロだから、半分意地になって教えてくれる。そして、その業種の知識が私の頭の中にビシッと入る。だいたい七軒ぐらい回ったら、プロと同じくらいの叡智が身につくはずだ。こうやって、成功のノウハウが私の中にどんどん蓄積されていくのである。
これはどんな業種にも通じること。一口に「人の三倍の努力をする」というけれど、具体的にはここまでやって初めて、「人の三倍努力した」ということができる。成功していない人は、こういう努力が圧倒的に足りない、研究が足りない、上昇志向が足りないのである。
会社を興し、成功し、その成功をずっと維持していくには秘訣があるわけだ。だから、仕事が空いた時に同業他社で成功しているところ、評判のいいところに足を運んで、その秘訣は何なのか、なぜ成功しているかを知って、自分で体得したらいいのだ。この精進努力、成功するためにはどんな苦労もいとわないという意力、これが足りないから売上が伸びない。成功しない。それ以外に何の理由もないのである。
第二章 成功する経営者はここが違う
あきらめの心はこうして克服する
会社を軌道に乗せ、仕事を成功に導くためには、とにかく精進努力を積み重ね、徹底した研究を継続していくほかない。
逆にいえばそれだけの努力、つまり人の三倍の努力をすれば、どんな人でも絶対に成功できるというわけだが、それでも企業の経営者ともなると乗り越えていかなければならない壁がいくつもある。
その一つが、”あきらめ”という壁である。徹底した研究と精進努力をした結果、すぐに成果が現われれば誰も苦労はしない。
しかし、現実はそう甘くはない。自分なりに一生懸命努力しているのになかなか結果が出ない。こんなに頑張っているのにどうして業績が上がらないんだろう。
どうしてヒット商品が出ないんだろう。そのように、努力と結果がすぐに結びつかないことも多いのだ。
そこをグッとこらえて一年、二年、三年と黙々と努力を重ねていくと、ある日突然、パッと道が開けたりするものだが、そこまで達しないうちにあきらめてしまう人が非常に多い。
これは何もビジネスの世界にかぎったことではない。芸術の世界にしろスポーツの世界にしろ、どんな世界でもその道で業をなすために越えていかなければならない大きな壁があり、ほとんどの人がその壁を乗り越えることができずに、道半ばで断念してしまう。
その壁をいかに乗り越えるか。そこに、一流の域に達するか、まあまあで終わってしまうかの分かれ道がある。
奥が深いといえばいえなくもないが、性格的に”あきらめがいい”人にとってこれは辛い。そんなことから、「ああ、俺には才能がないんだ」と途中でやめてしまう経営者は少なくない。
努力しても努力してもなかなか売上に反映しない。実績が伸びない。従業員が居つかない。するとどうしても「俺には経営は向いていないんじゃないか、才能がないんじゃないか」という思いにとらわれ、企業経営を断念してしまうという。私の周りにもいっぱいいる。
大成功を収めた経営者というのは、そうはいない。だからこそ、この点を克服することは、大いなる成功を約束することにもなる。
中島常幸の至言「ゴルフは所詮技術」
どんな分野でやっていくにしろ、ある程度のレベルに達すると何かしら壁にぶつかるものだ。「俺は人生で壁にぶつかったことがない」なんてうぬぼれている人間は、何にしても壁に当たるほど打ち込んだことのない半端者でしかない。
たとえば、長いこと日本のトッププロとして活躍しているジャンボ尾崎や中島常幸といったプロゴルファーにしても、あそこまで昇りつめるまでにはそういった壁をいくつも越えてきているのだ。
口には出さないけれど、それは間違いない。
ゴルフというのは、やった人なら誰でも知っているが、練習しても練習してもなかなか上達しないスポーツである。
スキーや水泳だったら、やればやるほど腕が上がっていくし、一度体で覚えたら決して忘れることはない。つまり、努力の成果がそのままストレートに現れるスポーツといえる。
ところがゴルフはそうではない。やってもやっても技術が向上したという実感が得られないし、「あっ、これだ、この感触だ、このフォームだ」と一つ開眼したように思えても、翌日になったらまた元通りの悪いフォームに。そんな繰り返しばかりが延々と続
くスポーツだ。
さて、この壁をどう乗り越えたらいいのだろうか。これについて、プロゴルファーの中島常幸さんが素晴らしいことをいっている。
曰く、「ゴルフというのは所詮、技術なんだ」
中島常幸さんというプロゴルファーを知らない人はいないと思うが、彼はこれまでいろいろな大会で優勝している。
しかし、メジャー大会ではなかなか勝てないからというので数年前、フォームを改造した。メジャー大会で優勝するにはこれまでのフォームではダメだ、フォームを改造して大きく脱皮するんだ、と考えたわけである。
ところが、フォーム改造に取り組んだものの、なかなか思うようにフォームが決まらない。
それで二年間、本当に葛藤して苦しんで、悶々とした日々を過ごしたという。その間は優勝できない。優勝できなければもちろん賞金も入ってこないから、経済的にも逼迫する。それでも、もっと大きくなるんだという夢を捨てずに頑張って、今や三〇〇ヤー以上飛ばすようになった。マスターズでも日本人最高の六五のスコアをマークした。
そういう成果を見て初めて、「これでよかったんだ」と自分自身、納得したということである。
その中島常幸さんが述べた台詞が、この「ゴルフというのは所詮技術である」という言葉は、それだけの苦労に裏打ちされた、含蓄のある台詞である。
経営に話をもどすなら、いったんうまくはじめたように見えたあなたの経営が行き詰まったとしても、技術として個々に検討し克服すれば、必ずなんとかなるということだ。
ゴルフにかぎらず、何かを習得しようとする場合、素質がなければダメだとか運がなければダメだとか、いろいろいわれている。もちろん、現実には素質も必要だろうし運も必要だろう。しかし、素質論や運命論で考えてしまうと、努力の方向性がわからなくなってしまう。
そこを中島常幸さんは「ゴルフは所詮技術なんだ」と割り切って、クラブをどう使っていけばいいのかとか、こういう天候の時にはどう攻めたらいいのかとか、あらゆるケースを想定して技術を磨いていった。
ものの考えかた、メンタルな部分の持っていきかた、クラブの使いかた、コースの攻めかたあらゆる技術の習得に励んだ。スランプに苦しんでいる時にも、「ゴルフは所詮技術なんだ」と自分自身にいって聞かせたわけだ。
そう割り切って努力を続けていくと、有形無形の技術革新ができて、結局は非常に技術が練達し、達人の域に達する。
運、不運というのはその次に来るものなのである。会社経営も、これと何ら異なることはない。
松下幸之助さんなどは経営の神様と尊敬を一身に集めていたが、あの域に達するまでは、いろいろと試行錯誤を繰り返しながら経営の技術を磨いていった歴史があるに違いない。
最初から神様であったわけでは決してないはずだ。もちろん抜群の素質もあったろうが、才能や素質の面ばかりに目を奪われて、そういう他人の目には見えない努力の部分を見逃してしまうと結局、「俺には才能がない、素質がない。だからダメだ」ということになりかねない。
ゴルフも技術、経営も技術なんだと思えば、努力をしようという気が起きてくる。
そして、その努力とはどういうものであるべきか、どういう方向で努力していけばいいのか、という点について確信が得られればもうこっちのもの。苦労の期間の長い、短いはあるかもしれないが、いずれの日にか必ず光明が訪れるはずである。
不得意分野から逃げるな
一口に経営者といってもいろいろなタイプがある。経理畑をずーっと歩んできた人、総務を長いこと担当してきた人、営業をバリバリやってきた人、製造部門にたずさわってきた人と、それぞれ得意分野がある。
ということは不得意分野もあるわけで、これをいかに克服するか。これも経営者に課せられた大きなテーマである。
というのも、組織の頂点に立つ人はオールマイティであることを求められるからだ。
営業は得意でよくわかっているが、財務となるとどうもよくわからない、というのでは組織の長としていささかもの足りないし、部下を掌握することもできない。
だから、不得意分野があったら一日も早く克服する必要があるのだが、これが案外難しい。難しいけれど、ひとたび克服したら、これほど武器になるものもない。
私自身の恥を話すことになるが、私は子供の時分からスポーツが大の苦手であった。苦手であると同時に、スポーツをバカにしていた。
ことあるごとに「スポーツマンといわれるほど私はバカではございません」なんて言っていたものである。
なぜ、スポーツマンをバカにしていたか。それは、悩んだ時にスポーツをやればスカッとするというが、スカッとしてそれでおしまいで悟りがないからだ。
その証拠に、健康なスポーツマンで文学賞を取った人というのはあまり聞かない。
文学賞を取ったり、悟りの深い人というのはみんな、川端康成とか井上靖みたいにどこか病的な感じがする。
陰の世界を表現するわけだから、スポーツをして活発に体を動かしていると陰の世界から遠のいてしまう。そんなスポーツは、悟りの世界に興味を持っていた私にとって何の益にもならない。こう考えていたのだ。
そんな私も、三七歳から突如としてゴルフをはじめた。そして、三八歳からはスキーをはじめた。
得意な分野だけをやるのが道ではない、不得意な分野でも習得しなければいけないと思って、今、ゴルフとスキーに励んでいるわけである。
それにしてもゴルフは難しい。スキーは一度覚えたら元に戻らないが、ゴルフは「できた!」と思っても、またすぐにできなくなる。しかも、どうしてできないのか、その理由がわからない。
私のところのスタッフの中に、上智大学の史学科で遺跡を発掘していた人がいる。その人が打ちっぱなしに一度行っただけでコースに出たら、スコアが五二と五三。二度目にコースに出た時には五一と五二。
私なんか三年半やっているが今だに五四・五四の一〇八が最高。最近やっとコンスタントに五〇台の半ばで回れるようになったが、それでも、そんな人を見るとやる気をなくす。
あれほど苦しみ悩み葛藤していたのに、たった一度打ちっぱなしに行っただけで五一と五二。それまで〝墓掘り”してきた人が、三年半やっている私よりいいスコアで回るなんて、一体どういうことなんだ?!?!と理不尽さを感じてしまう。
しかし、不得意な分野だからこそ頑張らなければいけない。不得意な分野でやりこなしたら、その分だけ人に教育ができるのである。
得意な分野で何でもスイスイやってきた人には、できない人の気持ちがわからない。なぜできないのかがわからないからだ。
苦手を克服した人は、良い教師となる
私は予備校の経営に携わっているのだが、自分の事業の状態を本人が評価するというのは、なかなか正確にはいかない。
しかし、私は勉強が苦手の子供を、勉強好きにさせるという点では自信をもっている。
もちろん、うちで勉強した生徒達が学業において向上してくれている、という裏づけはある。
だがそれだけではない。私には、生徒がどこでつまづき、どこで勉強が嫌になるかがわかるのだ。なぜなら多くの生徒達の弱点は、私の弱点でもあったからである。
私は子供のころ、勉強が不得意だったから、なぜ人が勉強できるのかがわからなかった。
そこで、どうしたら勉強ができるようになるのか、どうしたら成績が上がるのか、いろいろ考えた。下敷きが違うんじゃないか、カバンが違うんじゃないかと思って、下敷きやカバンをいろいろ変えてみたが、成績はちっとも上がらなかった。大人の頭で考えれば当たり前のことだが、子供心に、そんなところに勉強ができるようになる秘訣があるんじゃないかと考えたわけだ。
カバンを変えたけれど成績は上がらない。下敷きを変えたけれど成績は上がらない。
それで悩んで葛藤した結果、いろいろな勉強方法があることがわかった。それらの勉強法も一通り試したが、やっぱり成績は上がらない。そうしてやっと、成績を上げる極意がわかった。
すなわち、遊ぶ時間をなくしてその分だけ勉強すれば成績がよくなる、ということがわかったのだ。
当たり前のことじゃないかと思うだろうが、これになかなか気がつかないのである。
その成果を今、予備校で活用している。その予備校では夏と冬に六日間の学習道場というのをやるのだが、その間は朝から夜まで缶詰状態にして勉強させているのである。
しかし、何かを教えるわけではない。何も教えずに、ただ遊ばないように監視しているだけ。
そうして朝から夜まで一日十時間ぐらい勉強させる。六日間でトータル六十時間、その間、普通の子でだいたい問題集七冊をこなす。この方法が成功して、真ん中ぐらいの子がどんどん成績を上げている。
そのように、私にできなかったことを生徒にやらせているわけで、不得意な分野で苦労し克服した分だけ人に教えることができるのである。
これは教育者としての私の自負であり、大事な財産だ。しかし、他の事業の経営者にも当てはまるはずだ。
例えば社員、店員を指導する必要は、どんな経営者にも生じる。
その時、たとえば接客態度であれ、商品管理であれ、自分が苦しんだ末に体得した知識、技術がある経営者は、相手がどこで壁にぶつかっているのかがわかるから、親身になれるし、適切なアドバイスができる。
およそ、自分ができない分野を社員にやらせようとしたって、そもそも無理なことだ。つまり苦手の克服というのは、社員、店員の信頼を得るための肥やしにもなるのだ。
専門書などにのめり込むな。
マーケットは限りなく広いのだ。たとえば、アデランスというカツラがあるが、あのカツラをつけている人がみなさんの周りに何人いるだろうか。初めの頃はゼ口か、多くて一人か二人といったところだろう。また、テレビのCMで有名になったアート引越センターという会社があるが、あの運送会社を利用したという人が、近所にいるだろうか。やはりゼロか、多くて一人か二人だっただろう。
しかし、アデランスにしてもアート引越センターにしても、優良企業である。なぜか。彼らが相手にしているマーケットは、海のように広いからだ。実際、日本には一億人以上の人がいる。それだけの需要がある限り、どんなにマスコミが騒ごうが、いっさい問題ではない。
私に言わせれば、先の社員は単に時計を扱うことに飽きただけなのだ。これには注意しなくてはならない。一つの仕事を七年か八年もやれば、必ず社員は飽きてくる。経営者自身も飽きてくる。飽きてくると、もうこの業界はだめじゃないのかな、という気になってくるのだ。すると、これからは建築の時代だとか、マルチメディアの時代だとか、いろんなことを言いはじめる。
これは大会社の経営陣が言うせりふである。中小企業の社長は絶対にそんなことに耳を貸してはいけない。では、どういうふうに言えばいいか。
「君、それは大会社の話なんだ。あれだけ大きな固定費を払うには、それに見合う大きなマーケットと売上が必要だろう。だからそう言うんだ。われわれの会社はどうなんだ。たった十数人の給料と家賃を払って利益が出たらいいんだろう。
業界うんぬんじゃない。会社というものは月々利益が出て、年間締めて黒字だったらいいんだ。それぐらいの需要は無尽蔵にあるぞ」
現実に、日本人はみな時計をつけている。しかも、香港の工場から直輸入して、バーゲンで直売したら、利ざやがニクッションも三クッションも抜ける。円高になれば、また粗利が上がる。
参入当初、急成長したのはすべて輸出業者だった。ところが、円高のために次々と倒産していく。それを見て私は、輸出は危険だと感じ、輸入専門にした。国内でさばくルートを地道につくって成功し、その後の円高で、ますます粗利が上がってきた。予見が的中したわけだ。
まあ、直感が当たったわけだが、数少ない社員が月々食べていけて、年間締めてみて利益が出て、配当ができて、ボーナスをふつうの会社より少し多めに出すぐらいの需要というのは、この日本にはいくらでもある。
五人や一〇人の社員なら、時代がどう進もうが関係ない。業界がどうあろうと関係ない。社員が一〇〇○人近くいたら少しは考えもするが、少ない社員だったら何一つ考える必要なんかない。中小企業は強いのだ。
財務管理と資金調達だけをマスターせよ!
企業の舵取りをする経営者ともなると、いろいろな経営技術を身につけておかなければとてもつとまらない。人を使う技術、銀行からお金を借りる技術、返済する技術。
一般的な言葉でいえば労務管理、財務管理、資金調達、それから販売管理に在庫管理・・・・・・。これらのことに精通、とまではいかなくても、ある程度は把握しておかなければならないのが経営者というものである。
中でも財務管理と資金調達、こればかりはキチッと把握しておく必要がある。「財務管理、資金調達はどうも苦手で……」というようでは、経営者として失格の烙印を押されても仕方あるまい。
ところが、財務管理や資金調達が苦手だという困った経営者が少なくないのだ。「バランスシートの読み方」だとか「財務に強くなる方法」といったたぐいの本がロングセラーになっているのは、そんな経営者が多いということの証左である。
他人の弱点克服は、成功の早道だ。数ある経営のための技術の中で、財務管理と資金調達というのは、成功のための王道ということになる。
ここでは財務管理に強くなる方法を引き合いに、不得意分野の克服はどうやったらいいのか、その具体的方法について私の体験から語ることにしよう。
実は私も、会社を興すまでは財務管理ということにはまったく興味もなかったし、知識も持たなかった。貸借対照表や損益計算書なんて見たこともなかった。しかし、経営者となるとそんなことはいっておれない。嫌いだ、知らない、では済まされないのである。
そこで、この不得意分野をどうにかして克服しなければと思ったのだが、私は「バランスシートの読み方」なんて本で勉強しようとは思わなかった。どうしたかというと、わからないところはすべて顧問の税理士に直接聞いたのである。
最初は財務のことがよくわからないものだから、税理士のアドバイスに素直に従ってやっていた。
ところが、何回か税理士がいった以上に税金を取られたりしたことから、「ちょっと待てよ。この税理士に全幅の信頼を置いて大丈夫なんだろうか」と考えて、自分で勉強しようという気になったのだが、本を買ってきて貸借対照表や損益計算書を勉強しようとすると大変である。
そんなムダなこと、とはいわないが、経営者にはやらなければならないことが他にもいっぱいあるのだ。いかに売上を上げるか、いかに資金繰りをうまくやっていくか…そういうことで頭が一杯で、とても経理の勉強を専門的にやっている暇はない。
そこで私は税理士から聞くことにした。
「すみませんが、一日、勉強会を開いてください。立派な先生から少しでも勉強させていただきたいと思いまして・・・・・・」
だいたい、税理士や会計士、弁護士という専門知識の人は、自分の知識を求められて語ることには幸せを感じるから、こういって嫌な顔をする人はまずいない。
「あのう、ここに書いてある○×費というのは何ですか」
「ああ、これですか。これはこういう意味で、専門の本を読めば詳しく書いてありますよ」
「いえ、本を読んでいる時間はありませんから、ポイントだけ教えてください」「これはこういう意味で、こういうふうに見ます」
「たとえばこういう場合は、どう見ますか」
「これはこういうふうに見ます」
「あっ、なるほど。それから今月の月次決算ですけど、どう考えたらいいんでしょうか。コンサルティングをしてください」
「ここのこういう費用はムダな費用だから、なるべく削除するようになさったほうがいいですよ」
「わかりました。どう削除したらいいんですか」
「それは私にはわかりません」
「あなたが顧問をなさっている会社、いくつかあるでしょう」
「ええ、ありますが・・・・・・」
「その会社ではこういう場合、どういうふうにしていますか」
「私の知っているところでは、こういうふうにしています」「あっ、それはいい考えですね」
こういうふうに税理士、会計士から一つずつ聞いていくと、いっぱい知識が吸収できる。何もその道の専門家になるわけではないのだから、財務を体系的に学ぶ必要はない。今現在遭遇している問題点をどうやって乗り越えていったらいいのか、その知識があればそれでいいのだ。
だから、専門書なんか読む必要はない。いろいろなことを体系的に知っていても、そんな知識はあまり役に立たないのが現実。それよりも、貸借対照表と損益計算書をどう見るか、どう解釈するか、それだけでもいいからしっかり理解しておくことだ。それさえわかれば経営者としてひとまず問題ない。
だから、税理士でも会計士でも弁護士でも、ポイントだけ聞くようにしたらいいのである。経営者は売上を上げ、資金をやりくりしていかなければならない。
その指針を貸借対照表と損益計算書から読み取らなければならない。その時、これはどういう意味でどう考えたらいいのかと、一つひとつ項目別に聞いていったらいいのだ。
「××手当って何ですか、これは」
「ああ、これはこういう意味です」
「何だ、そんなことなのですか」
聞いてみればそれほど難しくない。言葉はやたらと難しいが、意味を尋ねればたいてい、「何だ、そんなことなのか」と思うようなことばかりである。
だから、仕訳や表づくりの経理の女の子がいればいいわけで、経営者は貸借対照表と損益計算書が読めれば、それで十分。それぐらいは一日あれば十分できる。
それを、専門書なんか買ってきて真面目に勉強しようなんて考えるから結局、中途半端で終わってしまう。
なまじ専門書なんかに取り組めば、かえってわけがわからなくなるのが落ちである。理解できたとしても一ヶ月も二ヶ月もかかるのが普通だ。それではあまりにも時間がもったいない。だから税理士、会計士をフルに活用したらいいのだ。
現に、財務などチンプンカンプンだった私でさえマスターできたのだから、数字が苦手だという女性の人でもマスターできるはず。
貸借対照表、損益計算書だといっても何ら恐れることはない。わからないところがあったらその都度、税理士、会計士に一つひとつ聞けばいいのである。
不得意分野を克服するなんて、いたって簡単である。わからないことがあったら、その道の専門家、もしくは知識をいっぱい持っている人に素直に尋ねる。ただ、それだけのことである。決して、体系的な知識を身につけようなんて考えてはいけない。そんなのは経営者のすることではない。専門家のすることである。
経営者にとって必要なのは、財務管理、資金調達、労務管理などの技術である。あくまでも技術であって専門的な知識ではないのだ。経営の技術を磨くために最低限の知識だけは身につける。それで十分である。
