心せよ!「税理士、会計士まかせ」はこんなに危険!
税理士、会計士に聞いて財務技術を私が効率的に学んだ、というのは事実だ。私はそれによって、ずい分時間を得したのである。しかしそれは税理士、会計士になんでも任せて、頼りっきりになっていることとは全然違う。
私には税理士、会計士は最初から当てにしない。弁護士はもっと当てにしない”という持論がある。そう考えないと、何でもかんでも税理士、会計士、弁護士のいうことを聞くようになってしまうのだ。
弁護士のいうとおりに裁判をして負けた場合、弁護士が責任を取ってくれるか。そんなことは決してない。「残念でしたねえ」で終わりである。税理士のいうとおりにやって、こちらが考えていた以上に税金を取られた場合、責任を取ってくれる税理士がいるか。いるわけがない。
「税理士さん、あなたのいったとおりにやったら、こんなに税金を取られましたよ」
「いやあ、私の力不足でした。申しわけない」で終わりである。
本当に申しわけないと思うなら、余計に持っていかれた分だけ税理士費用を返したらよさそうなものだが、そんな話、いまだかつて一度も聞いたことがない。
おそらく、日本中どこを探してもそんな税理士は一人もいないだろう。ましてや会社が倒産した場合など、責任を取ってくれる税理士、会計士、弁護士なんているわけがない。
会社の責任はあくまでも経営者、会社の舵取りをする人間にある。だから、顧問税理士顧問会計士顧問弁護士を当てにしてはならないというわけだ。助言やアドバイスをヒントにすることはあっても、あくまでもヒントにするだけで当てにしてはならない。こう、私は考えている。
当てにしないでどうするか。それはもう自分でやるほかない。経営者自身が資金繰りだとか税金についてとか、財務の中身に責任を持ってやっていくほかない。
そのためには当然、知識が必要だ。その知識は顧問の税理士、会計士から吸収する。吸収して税理士や会計士を追い越すぐらいの知識を身につける。ハッキリいって、それくらいの気構えがなければ経営者として伸びないのである。
経営者と○○士との関係は、監督とコーチの関係みたいなものだ。監督は投手コーチに輩下の投手達の出来を聞くだろうが、自チームの投手陣の全体としてのコンディションを全く知らないで聞いているようではだめに決まっている。
またピッチングという技術について全く無知であるようでは、監督は務まらない。かと言って、ごく細部の投球術、選手それぞれが厳密にどの程度の出来か、にまで精通していなければならない、というわけでもない。
大まかに現況を掌握していた上で、経営者(監督)は細部の技術、情報を税理士、弁護士(コーチ)に聞くべきなのだ。
“飽き”の克服法、その1 今の仕事が天職と心得よ!
人間誰しも、一つのことをずっとやっていると、いつか必ず飽きてくる。仕事でも趣味でも何でも、一つのことをやっていると必ず飽きる時がやってくる。その飽きる”という壁をいかに乗り越えるか。そこも、まあまあで終わってしまうか一流の域に達するかの分かれ道である。あきらめと並ぶ経営の大敵である。
もちろん、企業が軌道に乗らないうちは、飽きるもヘチマもない。軌道に乗るまでシャカリキになって頑張るだけである。
しかし、ある程度の基盤ができて、企業がどうにか軌道に乗ってくるようになると、誰にも飽きる”という問題が生じてくる。
「こんな仕事をやっていて何になるんだろうか」「ほかにもっと自分に合った仕事があるんじゃないだろうか」「もっと有意義な仕事はないんだろうか」…。
こんな思いが一陣の風のごとく心の中をサッと吹き抜けた時に、実は放漫経営が始まったりするのだ。それだけにこの”飽きる”という心を克服することは経営者にとって非常に重要なテーマといえるのである。
では、どうしたら克服できるのか。これについて、経営コンサルタントの船井幸雄さんがいいことをいっている。曰く、
「今の仕事が天職だと考えよ」
たとえば不動産屋だったら「私には不動産屋が天職なんだ」、美容院を経営していた「私には美容院が天職なんだ」医者だったら「医者が天職なんだ」と考える。
「大工が天職なんだ」「学校の先生が天職なんだ」と、自分が今やっている仕事が何であれ、それを天職だと信じ込む。それが秘訣だとおっしゃる。
これには私もまったく大賛成で、天職だと思ったら気合が入る、腰が入る、腑が入る。「よーしやるぞ、私の天職は不動産屋だ、会計士、税理士、弁護士だ、医者だ、学校の先生だ」とものすごい気合が入る。そして気合が入った分だけ、いくらでも注意が行き渡るし、精進努力が続く。
反対に、「天職なんだろうか、どうなんだろうか」と迷っていると、仕事の能力、集中力、没入力が弱くなる。
だからまず、天職だと考える。
「下手の考え、休むに似たり」というではないか。一度始めたことは、まだやったことがないことよりも、あなたに合っているに決まっている。安易に歩む道を変えようと悩むくらいなら、居眠りする方がマシというものだ。
飽き”の克服法、その2 お客様第一主義に徹せよ!
次に、「自分の仕事は世のため人のために役立っている」と考える。
現実に役に立っているかどうか、そんなことは考えない。とにかく、役に立っていると思い込むのである。
この場合、世のため人のためというと少しばかり漠然としてしまうので、お客様に役立っている、消費者のために役立っている、と考えるといいだろう。つまり、お客様第一主義に徹するのである。
「お客様は本当に喜んでくれているだろうか」
「お客様は何を求めているんだろうか」
こういう気持ちで絶えずやっていくと、そこに愛と真心が入り、注意が行き渡る。サービスが行き渡る。気配りが行き渡る。そういうお店なり会社なりには、そこはかとない暖かな空気が流れるから、「ああ、いいなあ、このお店は」といってお客が逃げない。
顧客が逃げない。逃げないどころか、何回でも来たくなる。
こうやってライバルに勝っていくわけだ。
ところが、失敗する人はそこまでの気合が入らない。気合が抜けている。その気合が抜けた分だけお客も抜けていくのである。
その愛と真心はお客様に向けるだけではない。会社には従業員もいるだろうし、従業員の家族もいるだろう。それから自分の家族もいるはずだ。
それらすべてに愛と真心をむける。「従業員は喜んで仕事をやっているだろうか」「従業員の家族は喜んでいるだろうか」「自分の妻や子供は喜んでいるだろうか」。そこまで徹すれば、従業員は逃げないし、妻が逃げ出すこともない。
とにかくまず、「自分の天職だ」「世のため人のために役に立っているんだ」と思うことが何よりも肝心。
それによって、仕事に熱が入り、魂が入り、心が入っていく。経営者がこういう姿勢を貫いているところは、ライバルの多い過当競争の中でも見事に勝ち抜いていけるのである。
“飽き〟の克服法、その3 利益を出すことに罪悪感を持つな!
それから、飽きる心を克服する三番目のポイントは、「利益に対して罪悪感を持たないこと」である。
お客様第一主義を貫こうと思えば、薄利多売が一番いいということになるが、利益が出なかったら従業員も抱えられない。
給料はおろか、ボーナスも出せないし、社員旅行にだって連れていってやれない。だから、利益を出すことに罪悪感を持ってはいけな
事業というのは奉仕ではない。世のため人のためと思ってやっているのだが、それはまったくの奉仕をするという意味ではない。
経営者は従業員を抱えているのである。従業員の家族を抱えているのである。自分の家族を抱えているのである。それらすべてに責任があるのである。
そのためには、利益を出さなければならない。利益を出さなければその責任は果たせず、従業員をはじめ、会社に関係するすべてを路頭に迷わせることになる。
その利益から税金を引かれたあと、法定準備金にするとか、内部留保にするとか、配当として株主に回すとか、あるいは、ある程度余裕が生まれたら固定資産をつくって財務基盤を磐石なものにするとか、いろいろ方法はある。
そこまでやれば、会社も安定する。もちろん従業員も安心して働ける。株主も喜ぶ。
だから会社というものは、一旦始めたかぎり何が何でも利益を上げ続けなければならないのである。
あんまり利益ばかりを考えていたらお客様第一主義という大切なポイントが欠落して、結局は経営にマイナスをもたらすことになるが、利益のほうもきちんと確保できるような叡智がなければいけない。
「天職だ」「お客様第一主義だ」というだけでは企業はやっていけないのだ。
この利潤を上げるということに罪悪感を感じてしまうと、企業経営はできない。人のよすぎる人には会社経営はできないのである。
万が一の場合のため、会社に何かあった場合、社員に何かあった場合に資金を確保しておかなければならないし、銀行信用のためにも資金を確保しておかなければならないのである。
この三つの考え方でビシッとやっていったら、会社というものはグングン発展するし、業績が上がる。
そうやって飽きる心を克服し、五年、十年、二十年と年期を経ていくと、銀行信用も社会信用もついてくる。日本の場合は特に、何年やってきたかが重視されるので、十年も二十年もやっていれば黙っていても銀行が信用してくれる。
飽きっぽい人間は何をやっても成功しない
とにかく、飽きる心を克服するには、「天職」「お客様第一主義」「利益を出すことに罪悪感を感じない」という三つの考えを貫き通すしかない。
そうすると腑が入る。腑が入るとフラフラしなくなる。フラフラしなくなると必ず数値に現れる。経営に対する息吹が違うから、当然のごとく数値に現れる。
業績が伸びない、売上が伸びないという人は、そこが甘いのである。
私も、飽きる心とは嫌というほど戦ってきた。来る日も来る日も返品の山を見ては、「こんなことやっていて、何になるんだろう。ほかにいい仕事があるんじゃないか」と思ったりしたものである。しかし、そのたびに「これが天職なんだ!これをやるしかないんだ!」と思い込んで乗り越えてきた。
それは何も仕事にかぎったことではない。対人関係でも同じである。嫌な人、相性の合わない人、世の中にはお付き合いしたくない人がいっぱいいる。
しかし、そこから絶対に逃げない。「この人しかいないんだ!」と思って、嫌いな人でも、嫌な従業員でも、嫌な取引先でも無理に愛す。愛する努力をする。わずかばかりの長所を見い出して、愛する努力をする。
そういう努力を積み重ねていくことによって、己の器を大きくすることができるのである。
誰だって、気の合う人とお付き合いしたい。嫌な人とは顔さえ合わせたくない。だが、ただ感情に任せているだけだったら、人間として何の進歩もない。やはり、対人関係でも辛抱が大切なのだ。
飽きっぽい人は何をやってもダメである。会社経営はもちろん、仕事でも対人関係でも、飽きっぽい人は何をやっても決してうまくいかない。
しかし、飽きることをまったく知らない人という人は世の中にはいない。誰だって飽きる。その飽きた時にどういうふうに自分の心をコントロールするか。
それは、今いったように「天職」「お客様第一主義」「利益を出すことに罪悪感を感じない」の三つの考えかたで乗り越えていくしかない。
とにかく、「天職だ!」と思ったらいいのだ。天職ではない、なんていう根拠はどこを探してもないのだから、自分が「天職だ!」と思ったものが天職なのである。
そこまで根性を据えて一つのことをやり遂げたら、次の仕事に移っていく。事業転換してうまくいかない例が多いのは、みんなそこまでやり抜かないからである。
ちょっと飽きたからといって次の仕事を始める。そしてまた飽きたからといっては次の仕事に移る。
そういう人で成功を収めた例はない。「飽きたから次の業種に」というのでは、どんな仕事をしても決して成功しない。何をやってもみんな中途半端で終わってしまう。こう考えて間違いない。
「あの社長は飽きっぽい人だ」と、いったん評価されてしまったら、顧客も従業員も絶対に信用してつき合ってくれない。
たかってくるのはサラ金か、町金くらいのものだ。心していただきたいが、冗談話ででも「あんたは飽きっぽいから………」とか言われるようだと、「自分は人から余程低く見られているんだ」と深刻に反省した方がいい。
その時に手がけている業務がたまたま上り調子だと自分で考えていたとしても、周囲の関係者は内心「どうせ、じきにほうり出すから、つぶれるさ」と思っているのだから。
転業、転職は今の業種をとことんやり抜いてからにせよ!
経営者はいつも「天職だ!」と思って頑張り通さなければならないのだが、それでも時には業種転換を強いられる時もある。
そんな場合には、前の仕事でとことんやり抜いたという実感を得てからにすべきだ。「自分は最大限の努力をした。
もうこれ以上の努力は不可能だ」というくらいに徹底してやれば、そこから有形無形のノウハウが体得できるだろう。それに人脈もできるはずだ。
そういう財産を蓄えてから次の仕事に移れば成功する率もグッと高くなる。もちろん、周囲の人がそう評価してくれているかにもよる。
また、そこまでやり通せば直感が働くはずである。「あっ、今度はこれをやったら成功するんじゃないか」「次はこれしかない。これをやるべきだ」。
こういった直感が天から与えられるのである。
どんな業種に転換したらいいのかということになると、ハッキリいって、これはもう直感しかない。
どんなに頭をひねって考えても、絶対に間違いない道なんてあるはずがない。この道が絶対正しいなんて保証はどこにもない。だから、最終的には直感に頼るしかない。
ただし一口に直感といっても、すべてが正しいわけではない。経営者の中には直感やひらめきを大切にしている人がことのほか多いが、直感やひらめきがいつも正しいとはかぎらない。時には間違った直感、どこか狂っている直感というものもある。
では、どんな直感が正しくてどんな直感が間違っているのか、その見極めはどうしたらいいのかというと、直感が働いた時の自分の生きざまを真剣に問うてみればよい。
「天職だ!」と思って「お客様第一主義」で精進努力していた時の直感か、それとも腑が定まらないであちこちフラフラしていた時の直感か、それを見ればだいたい正邪が判定できる。
お客様第一主義で一生懸命、精進努力している時に受けた直感は概ね正しい。人として正しい道を踏まえているから、そういう時の直感はまず間違いがない。
これに対して、たいして努力もせず、仕事にも情熱がないという時に受けた直感は概ね狂っている。
そんな直感に惑わされて業種転換なんかしようものなら、大抵ろくなことはない。不渡りは食らうし、社員はどんどん辞めていく。ほとんどがこんなケースはかりのはずだ。
よく、会社のやり方が気にくわない、仕事が面白くないからといって退社していくがいるが、そういう人間はどこへ行ってもうまくいかない。
また、ドロップアウトして独立する場合でも、そういう動機だったらまずうまくいかない。
転換するにしても独立するにしても、一生懸命努力し働いていて、パッと何かのひらめきを受けて転職、独立するというのなら成功することもある。
会社の中で立派な業績を残し、みんなから惜しまれつつ独立するのなら、ほとんど成功している。成功する人はどこへ行っても成功するし、失敗する人はどこへ行っても失敗する。会社で優秀な成績を収めた人は独立しても成功するし、会社でダメな人は独立しても失敗する。だいたいそういうものである。
ダメなメンタリティーとダメな生きざま。そんな時に受けた直感にろくなものがあるはずがない。
踏み込みが悪い時に受けた直感は魔の誘いであることが多いのだ。それでもまれに成功する人がいるが、そういう人はよほど先祖の引き立てと徳が高い人である。
そんなのを見て、「よし、自分も!」なんて思ってやると、えらい目に遇うのが関の山。絶対に真似なんかしないほうがいい。
また、よしんば成功したとしても五年、十年のスパンで見たら、そのうちに徳分のエネルギーが少なくなってきて、やがて落ち込むこと必定である。
転職、業種転換をする時には、そういうところをしっかりと見ておくべきだ。
どんなに「天職だ!」と思って頑張っていても、時代の趨勢と天の導きによっては、業績転換を余儀なくされることもある。
そういう時にはまず直感を大切にする。ただし、必死の努力を傾注している時に受けた直感しか信じない。こういう姿勢が大切であることを心得ておくべきだろう。
事業の成功・失敗は「マーケットのせい」ではない!
業種転換の話が出たついでに、マーケットというものに対してどう考えたらいいのか、またどう考えるべきなのか、私なりに考えていることがある。
世の中にはよく、「たまたま業種がよかったからあの人は成功したんだ」とか「マーケットが成熟しきっていたから、うまくいかなかったんだ」とか、成功や失敗の理由をマーケットのせいにする人がいるが、それは間違いだ。
結論から先にいえば、どんな業種でもたいして変わりはないのだが、品質がよくてサービスがよくて価格が安ければ、どんなマーケットでも勝ち抜けるのである。
たとえば何年か前、コンピュータ業界が活況を呈したことがあった。「これからコンピュータの時代だ」と、それこそ猫も杓子も口を開けば「コンピュータ、コンピュータ」と大合唱する時代があった。
ところが、コンピュータでみんな成功したかというと、決してそうではなかった。
有名なところではソードという会社があった。やれベンチャービジネスの旗手だ、やれ時代の寵児だと盛んにもてはやされたが、私はそれを見て、「ははーん、これはすぐにダメになるな」と直感した。なぜなら、過当競争に巻き込まれて、大手資本の渦の中で翻弄されてしまうだろう、と読んだからだ。
当時、コンピュータ産業は何兆円産業、何十兆円産業といわれていた。すると当然、「これからはコンピュータの時代だ」と一挙に船が出ていく。
新しい魅力的なマーケットだからいろいろな会社が進出する。つまり、新規参入が始まるわけだ。
新規参入が始まったら次に何が起きるかというと、過当競争が起こる。過当競争になると、次に競争力のないところが脱落し始める。
つまり、品質、サービス、値段の三つがいいところが生き残って、そうでないところは淘汰される。その企業努力をしないところが淘汰されて潰れていくわけだ。
あれだけ評判の高かったソードも潰れてしまった。東芝、富士通を初め、資金力と技術力のある大手がドッと参入したからである。
松下あたりはコンピュータから一度撤退したが、またもや入ってきている。
そういう大手の圧力に押し潰される形で、ソードという会社は倒産してしまったわけである。
どんなに「これから成長が見込まれる業種だ」とか「これからの産業だ」といわれていても、いっときに過ぎず、しばらくしてマーケットが成熟してきたら過当競争に巻き込まれるのだ。
そして大手でも新興でも品質、サービス、価格の面で企業努力をしたところが勝ち残って、そうでないところは淘汰されて潰れていくわけである。
もう何十年も前の話になるが、いっときは繊維業界がいい、これからは繊維だなんていっていたものの、繊維不況に陥ったら誰もが「繊維はもうダメだ」と落ち込んでしまった。
その中であのワールドという会社は見事に生き残った。繊維業界が未曾有の大不況に陥っていた時に、ワールドは利益五十億をずっと維持していたのだ。
だから、マーケットのいい悪いは一切関係ないのである。すべてはいい品質、いいサービス、安い価格、それを実現するための企業努力をいかに積み重ねていくか。そこに勝負がかかっているのである。
小さいマーケットで超低利益で生き残る文具業界の秘密
現在の不況業界といえば、その典型は文具業界である。最近ではファンシー業界に押され気味で、今やどこのデパートの文具売り場も縮小傾向にある。
サンリオなんかのようなファンシーショップ売場はどんどん大きくなっているが、文具はどんどん縮小されている。
それでも、文具の問屋さんは生き残っている。ここにも経営の大事な秘密がある。
文具の問屋さんというと、昔は利益率一パーセントといわれていた。それも税抜き前の利益率である。税引き前の利益率がたったの一パーセント。で、今はどうかというと○・一パーセント。それでも倒産しないのである。
それだけ成熟しきったマーケットでも倒産しないのはなぜか。一言でいえば、経営技術が熟達しているからである。在庫を少なくして早めに返品する。
それでも売れ残った場合にはどうするかという技術、これが発達している。在庫管理だけではない。
営業管理も財務管理も極力ムダのないように徹底的に合理化されている。だから、利益率が縮小したとしても、やはり残っていくところはちゃんと残っていて、立派に業績を上げているわけである。
文具業界が不況だということは、要するに文具のマーケットが成熟しきっているということである。
その成熟しきった業界の中でも経営の上手な老舗は立派にやっていっている。立派に成功しているのだ。
「これからはこの業種だ!」と、最初に参入した企業はいい思いをする。マーケットが潤っているわけだから、いっときはたしかにいい。
しかし、最初に調子よくいったところは、在庫管理だとか販売管理とか労務管理、それから資金調達、経費削減といったものの技術がどうしても甘くなる。
その甘くなったツケがマーケットが成熟した時に返ってくるのである。
つまり、マーケットが成熟した時にどうしたらいいのか、その経営技術が磨かれていないので、大手資本が参入してきたらいっぺんに倒産してしまうのだ。
経営診断のポイント…従業員60人規模で倒産が忍び寄る理由
これは、日興リサーチの常務さんがいっていたことだが、倒産するケースを分析すると、だいたい従業員が六十人前後の規模の会社が多いらしい。ゼロからスタートして順調に成長し、従業員が六十人ぐらいの規模になった時、この時が一番危ないということである。
なぜかというと、管理が隅々まで行き届かないからである。小さいなら小さいなりに一生懸命やるからサービスが行き届くし、取引先にしっかり食い込んでいける。しかし、大きくなると隅々までサービスが行き届かなくなる。
そうなると、取引先は掌を返したように相手にしなくなる。
「お宅、最近サービスが悪いからね。もっと小さいところでも細やかなサービスをしてくれるところがあるから、そちらにお願いすることにしたよ」ということになるわけだ。あるいはまた、
「お宅はサービスにしても値段にしても技術にしても、みんな中途半端だからね。大きいところは細やかなサービスは期待できなくても、値段、技術ではすぐれているから、そっちにお願いすることにしたよ」
ということにもなりかねない。つまり、仕事を依頼する側としては、隅々まで行き届いたサービスをしてくれる小さいところか、価格や技術ですぐれたダントツに大きいところがいいわけで、どちらも中途半端なところでは困るのである。
だから、順調に成長していっても、六〇人ぐらいの規模になったら隅々まで管理が行き届かなくなるから、ライバルに追い越されて潰れていくわけだ。
その壁を乗り越えていくにはどうしたらいいのかといえば、社長と同じぐらいの管理能力を持った参謀を据えるしかない。そうすれば、六〇人の壁を越えて一〇〇人、二〇○人と伸びていくことができるはず。
企業というものは、小さいなら小さいなりに収益が上がり続けていれば、それでいい。
確実に収益が上がり続けていくやり方を考えればいいわけである。大にもなりきれず、小にもなりきれないで真ん中でうろうろしているのが一番危ないのである。
中小企業ほど社長の才覚がすべて
では、小さい会社の経営のポイントは何かというと、社長の商売の感覚、これにすべてがかかっていると考えて間違いない。
従業員が三〇人から四〇人、これぐらいの規模会社の成功失敗はすべて社長の商売の感覚、これしかない。資金力でもなければ従業員の力でもない。運でもなければ不運でもない。すべては社長の商売の感覚、これである。
一章で紹介した吉兆の湯木さんの努力。飲食店なら飲食店、美容院なら美容院、不動産屋なら不動産屋、どんな業種であれ、その中で絶対に成功させていくんだ、という商売の感覚と根性。
これがすべてといっても決して過言ではない。すべてとはいかなくても、九○パーセントまでは社長のセンスと根性と実力による。中小企業の成功と失敗は、それ以外に何の理由もない。
従業員の数が一〇〇人、二〇〇人の規模になってきたら資金運用能力だとか、資金調達力だとか労働組合の問題だとか、いろいろな要素が出てくるだろう。
しかし、従業員が三〇人前後の会社がそんな偉そうなことをいうことはない。社長の商売の感覚が鈍くて努力していないところは伸びないし、潰れる。
反対に、社長の商売の感覚が鋭くて人の何倍もの努力をしているところは必ず成功している。九〇パーセントまでは社長一人の商売の感覚と根性、執念なのである。
優秀な従業員がいないなんていうのは一切理由にならない。
優秀な人材に恵まれないのが中小企業の宿命
従業員について少し触れておくと、中小企業では優秀な人材がいないのが当たり前である。
「私どものところは人材に恵まれておりまして、優秀な人材がいっぱいおります」
なんて台詞を吐く中小企業の経営者、私は見たことも聞いたこともない。一〇〇人の中小企業の経営者、一〇〇〇人の中小企業の経営者に聞いてみたら、一〇〇人が一〇〇人、一〇〇〇人が一〇〇〇人、口を揃えてこういうはずだ。
「いやあ、なかなか優秀な人材がいなくて困っているんですよねえ。たまに来たかと思うとすぐにやめちゃって……」
当たり前である。優秀な人はそれなりに優秀な学校をスイスイ出ているし、両親も立派でそれなりにコネがあることも多いから、一部上場企業や名前の通った会社に就職している。
中小企業で優秀な人材が来るケースは、親戚縁者か学校の友達同士、先輩後輩の関係、さもなくば一緒にやろうやといって会社を設立した仲間か、とにかく個人的な引きで来る場合がほとんど。募集で優秀な人が来ることがあるとすれば、出世コースに乗り遅れたといった理由で大企業をドロップアウトして中小企業へ、というケースがほとんどだから、どこかおかしい人しか来ないわけだ。
これが、二〇人、三〇人の小企業、中企業の現実であって、優秀な人はみんな名前の通った企業へ行くのである。
私も、小さいながら堅実に会社の舵取りをずっとやってきて、「そろそろ優秀な人材が入ってこないものだろうか」なんて思ったりしたが、周りの中小企業の社長さんの話を聞いていたら、みんな同じような悩みを打ち明ける。一〇〇人が一〇〇人、全部同じ悩みを抱えている。
だから、中小企業を営んでいるかぎりは、人材については覚悟を決めるしかない。優秀な人材なんてまず来るはずがないんだ、自分でやるしかないんだ、九〇パーセントは自分の才覚にかかっているんだ、と。そう覚悟を決めれば、事業に取り組む姿勢もグッと違ったものになるはずだ。
もし仮に、優秀な従業員がいても、そういう人はすぐに独立していく。自分自身もそうやって独立したわけだ。中小企業の経営者自身、どこかの会社で仕事を覚え、いつまでも使われているのは面白くないとドロップアウトした人が多いはず。
そういう優秀な人、自分に匹敵するような優秀な人は、しばらく働いて仕事を覚えたら、かつての自分のように独立して会社を興したいと考える。才能と能力のある人は、自分でやってみたいと思う。
それでも、一人だけで辞めていくならいいが、他の従業員を連れて独立するなんてこともある。また、寝首をかかれることもある。いずれにしても、優秀な人は長く居つかない。定着しない。
そのように、優秀な人にはそれなりに問題も多いのだ。
だから、中小企業の経営者は口が裂けても「優秀な人材がいなくて」ということはいわないこと。それは中小企業にとって当たり前のことなのだから。中小企業の宿命なのだから。
ということで、優秀な人材をあきらめたらどうするかというと、優秀でない従業員を喜んで置くのである。仕事が遅い、理解力がない、一度覚えてもすぐに忘れてしまう、ろくに人と話もできない、そういう人は行き場がない。
喜んで迎えてくれる企業がない。だから、温かく迎えられると、まるで天国にでも来たような気持ちになる。
「ああ、こんな気持ちのいいところはないな。どのみち、よそに行ってもダメだしな」。だから、優秀な従業員のようにすぐにやめたりしない。
「なんて仕事が遅いやつなんだ。物覚えの悪いやつなんだ」と思っても、「最高の人材だ!」と無理にでも考えて能力のない従業員を置いていると、絶対に会社から離れない。だから、人手不足にはならずにすむ。
そして、そういう能力のない従業員でも、三年、五年、七年、十年と習練を重ねていけば、できないながらも仕事を覚えていくものだ。
それくらいの辛抱がなければ、とても中小企業の経営者なんて務まらないのである。
