絶対成功する経営(Vol.7)

主一無適の礼節を持て

そういう礼節を持たなければいけない。礼節と敬。そういう心を堅持しながら人と接していると、他人様の援助が得られて、自ずから道が開けていくのだ。

この敬というのは何かというと、誠の状態にいることをいう。

セミナー等で何度も話すことだが、「主一無適」という言葉がある。一なるものを主として、左右に揺れ動かない。これが主一無適。右に左に揺れ動くことを適という。主一無適の信仰心というのは、神なるものを中心に見て、右に左に揺れ動かない。こういう状態にいるのを敬というわけだ。

敬については、垂加神道の山崎閣斎も説いている。山崎閣斎という人は元々は臨済宗の僧侶で、それから儒教を勉強し、それでも物足りないからといって吉川神道を勉強して、師匠の吉川惟足から垂加という名前をもらった人である。

この垂加というのは倭姫命世紀という、神道五部書の中にある言葉で、神様の功徳が垂れ、恵みを加えていただく、という意味。それで垂加神道というわけだが、神道の中での一つの大きな学説、反本地垂迹説を形成しているのがこの山崎闇斎の垂加神道である。

神様が主で仏様が従。仏様は神様が化身して出てきたものだと説く反本地垂迹説。別名、学派神道ともいう。

それはともかく、山崎闇斎も敬を説いているのだが、闇斎は敬を「まこと」とか「つ「つしみ」と読ませている。なかなかいい読み方だと思う。

要するに、絶えず主一無適の状態にいて、この敬を持てば本当に神の御加護をいただけるのだと闇斎は説いているのだが、これはもちろん、人間社会でも同じこと。

相手を讃えて尊敬し、礼節をもって接していれば、人の引き立てを受けることができるのだ。

人とは、現実界の生ける神様、守護霊様である。肉体を持った守護霊のようなものである。

目上の人の引き立て、友達の引き立て、縁を結んでくれる人の協力を得て、事業でも何でも道が開けていく。人との縁が結ばれて、そこから機が出てくる。商売なら商機、商売の兆しが出てくるわけだ。その機は人を介してやってくるのである。

人望のある人というのは、やはり礼節の心を持っているし、敬の心を持っている人とお付き合いをしようとする。

だから、敬の心のある人は、そういう人望のある人の引き立てと援助が得られるので、事業運も結婚運もどんどん開いていく。この引き立てと援助は宝物である。「宝は他から」というが、他人の援助というのはこうして得られるのである。

神の道に生きている人は、何があっても「神様のおかげだ」という。想念術をやっている人は、何があっても「想念の力だ」という。

しかし、そうではない。お父さんやお母さん、あるいは友達や先輩の引き立てと援助もあったから成功したのだ。このように、現実面とのバランスを保って見る必要がある。

社会で成功している人は、だいたいこの三つの要素をバランスよく見えている。

イメージだけでもある程度うまくいくし、他力だけ、あるいは他人の援助だけでもあある程度うまくいく。

さらに、自力と他力と他人の援助の三つを揃えれば、もう怖いものはない。確実に波わがものとすることができ、波に乗れる。

そして、よしんば一つが足りなくなっても再び波に乗れるのである。例えば、少しばかり波に乗りそこねても、他力の守護や人のアドバイスでも回復できる。

「他力の援助が少々足りなくても、強いイメージ力と強い意志力があって、人が引き立ててくれたら、これまた回復できる。

他人の引き立てが少し足りなかったり、裏切りにあったりしても、神仏の加護があってイメージがよければ、よき人との縁が生まれてくる。

一般の人はだいたい三番目の他人の援助しかないが、これだけでもそれなりに成功している人はいる。しかし、三つ揃ったら並大抵の人ではない。

並大抵な成功ではないような幸運が訪れるのは間違いない。

そういうことで、縁を結ぶ努力を一、二、三とやっていけば波に乗れるわけである。一、二、三の順番で、偏ることなくバランスよくやっていく。

また、波が壊れていく順序も一、二、三の順序でやってくる。回復するにはやはり一、二、三の順序で実践すればよい。これが、並大抵ではない大きな波をつかむコツなのである。

これさえわかれば、イマイチ事業が発展しないと悩んでいる人も大丈夫。大きな飛躍はもう目の前にあるといっていいだろう。

貫き通すところに道は開ける

最後に、先に述べた「誠を尽くす」ということに関連して、人間の御魂のよし悪しということを語ってみたい。

人間は誰でも御魂を持っている。その御魂にはよし悪しがある。まあ、人間性のよし悪しといい換えてもいいだろうが、御魂のよし悪しを見分ける場合、どこで見分けるかというと、その人が今日までどんな人生を送ってきたかを見る。つまり人生の足跡を見れば、その人の御魂がいいか悪いかはっきりとわかるのである。

口から出てくる言葉を見ただけではわからない。誰でもいいことを言うし、素晴らしい言葉を出す。

心に思っていなくても、言うだけなら何でもいえるわけである。

だから、言葉だけ見ると時に誤魔化されることにもなりかねないが、人生の足跡は誤魔化しが利かない。だから、足跡をしっかり見ていれば誤りはないのである。

たとえ挫折があっても、それをバネにしてバーンと乗り越えてきたのか、挫折のままで終わってしまったのか。

あるいは後ろ足で砂をかけるようなことをやってきたのか、人を落とすようなことをやってきたのか。こうした足跡はすべて、そのままが御魂の性質であり、御魂に刻まれたしるしである。

どんなことでもやり遂げた人、やりおおせた人、貫き通した人というのは荒魂がしっかりした人。

いつも誠で貫いてきたという足跡を残した人は素晴らしい御魂。今どんなに純粋で、どんなに誠に生きようと考えていても、その人の足跡をみたらいい加減だったという人は、その足跡どおりの御魂なのである。

その人の御魂が顕現しはじめるのはだいたい一六、七歳。自我に目覚めるころだ。

だから、一六、七歳のころに酒ばかり飲んでいたような人、女遊びばかりしていたような人は、元来がそういう御魂と見て間違いない。だいたい一六、七歳のころの自分、それが魂の奥に隠れている本当の自分なのである。

それから、男性は三十歳ぐらいになると前世の自分、前世の御魂が顕現する。三十歳になるまでどんな人生の足跡を残してきたかを見れば、だいたい御魂の傾向がわかる。

だから、三十歳に近い人は急いで、この足跡をつくらなければならない。足跡、つまり体験、実行を残していかなければならないのである。

いい御魂の人間であるかどうかは、そこをみればすぐにわかる。

ちまたには、われこそはメシアであるとか、われこそは救世主であるとか宣伝する人がいる。言葉は立派である。

しかしその人が送ってきた人生の足跡を見れば一目瞭然。立派な御魂であるかどうか、すぐにわかるのである。

とにかく、足跡、それ以外にない。どんな理屈があろうが、どんな理由があろうが、そんなものは問題ではない。

例えば「社長が気に入らなかったから会社を辞めたんだ」「上司のいうことがしゃくに触ったから辞めたんだ」「仕事が性分に合っていなかったから辞めたんだ」それぞれ理由はあるだろう。

しかし、そういう足跡しか残せなかった人、道半ばでやめてしまった人は、やはり中途半端な御魂なのである。

どんな理由があろうと、どんな屈辱があろうと、それをグッとこらえてやり遂げた人はよき御魂なのである。

だから、どんなことがあっても辛抱する。貫き通す。立派な足跡を残すよう努力する。おのれの御魂の神試しだから、神様が見ているから只今、只今を立派に生きようと努力するわけである。

素晴らしい御魂として神界に行くか、卑しい御魂として地獄界に行くか。それはすべて、一生涯の足跡で決まる。

境地ではない。境地というのは霊界であるから、どんなに高い境地境涯に至ったとしても、どんなに深い悟りを得たとしても、誰もが認め、神が認める立派な足跡を残さなければ神界には入れないのである。

どんなに悟ってもそれだけではダメなのだ。悟りは仏様の世界だからだ。魂の世界、神の世界は、仏様の世界のもう一つ上にある。そこでは心の悟りは通用しない。足跡しか通用しないのだ。

だから、この現実世界でどういう生きざまを残したか。それが神界とつながる唯一のパイプであり、人生のすべてなのである。

菅原道真公がなぜ神様と崇められているのか。貫いたからである。あれだけの才能を発揮して生涯を貫いた菅原道真公、人生のすべてを至誠で貫いた楠木正成、諸葛孔明。

誠を形で出し続け、一生涯を誠で締めくくった人はみんな、最高の御魂となって神界で輝いている。誠の生きざまを生涯貫き通した人であればあるほど、素晴らしい御魂となっているのである。

試練とは貫く心が試されること

ところで、誠の生きざまとは、他人のためにやるのではない。世間のためでもなければ神社のためにやるのではない。

それは神様とおのれの魂の勝負なのだ。

どんなにやりにくい人がいても、どんなに気に入らないやり方をされたとしても、環境が最悪であっても、おのれがどういう足跡を残すのか。

それを神様が見ているわけだから、神様とおのれの魂との勝負、神試しなのである。

神試しだから当然、揺さぶりがある。その揺さぶりとは、具体的にいえば資金の逼迫だとか売上の低下だとか、あるいは極端な場合は倒産だとかといった、いろいろな試練である。揺さぶりがなければ誰でも立派な足跡を残せる。

だが、人から中傷されたり誤解されたり、あるいは貧しかったり豊かすぎたりするとどうしても、ぐらついてしまう。そういう中にあっても、いかに誠を貫いて立派な足跡を残すおのれをつくっていくのか。そのために揺さぶりがあるわけだ。揺さぶられても動じぬおのれをつくるよう、神が試しているのである。

誰にでも揺さぶりがある。その揺さぶりの中でどの程度、誠を貫いたのか。誠で生き貫いたのか。これが神試しである。

だから、どんな試練や難局につきあたっても、いつもこれが神試しであり、神様との勝負であることを忘れぬことである。

そしてくじけずに、天地神明に恥じない行い、天地神明に恥じない足跡を自分なりに残していけばいいのである。

これを死ぬまで貫き、おのれの中身をますます立派に磨いていく。

これが修業というものの眼目である。人が問題ではない。環境が問題ではない。人のためにやるのではない。従業員のためにやるのでもない。すべては、神様とおのれの勝負なのである。

人のためにやっていると思うと長続きしない。従業員のために誠を貫くんだなんて思ってやっていると、従業員が離れていったり、裏切ったりすると、虚しくなってしまう。

組織のためにと思ってやっていると、組織がバラバラになったら虚しくなってしまう。そんなことのためにと思ってやっていたら、平常心を失い、足跡が残せない。

だから、神様とおのれの魂、それしか考えない。会社、従業員、取引先は、それを磨くための教材にしかすぎないのである。すべての環境はおのれの魂、おのれの誠を磨く媒介にすぎないのである。

そうやっていついかなる時でも誠を貫き通せるおのれができ上がったら、天は絶対に裏切ることはない。

全部受けてくださって、必ず成果として現してくださる。これはもう、絶対に間違いない。私は、一〇○パーセント、いや一億パーセント、一〇億パーセント確信している。数えきれないほど体験させられているからである。

この原点に返っていたら、何の疑問もないはず。わだかまりなんかないはずである。誠という抽象的な言葉ではあるが、この誠を貫き通して、神も人も認めるような立派な足跡を残していく。

そこにすべての成功の秘訣が隠されているのである。

第五章 神仏を経営に生かす法

人の精進努力が神仏を動かす

会社経営を押し進めていく上で一番頭の痛い問題は、いうまでもなく資金繰りである。月末の支払いがあるのに当座の資金がない。

さあ、どうしたらいいのか、どうしたこの窮地を脱出できるのか。そんな綱渡りをするような思いを味わったことのない経営者など、一人もいないだろう。

私も会社を興した当初、何度も何度も嫌というほど体験した。支払いがこんなにあるのに手元資金がない。もう銀行も貸してくれそうもない。

ああ、どうしたらいいんだろう。どうしたら今月を乗りきることができるのだろう。

そんな時、水道の蛇口をひねったらジャーッとお金が出てこないものかとか、冷蔵庫の扉を開いたら札束がドサッと出てこないものかとか、いろいろと夢を巡らせたりしたが、やっぱり出てこなかった。

まあ、水道の蛇口をひねったらお金がジャーッと出てくるなんてあろうはずもないが、苦労せずしてあの世から恵みがパッと下りてきたら、どんなにいいだろう。

いついかなる時でもあの世から一〇〇パーセント恵みが来たら、どんなに楽だろう。それを実現する方法はないのだろうか。

そんなことばかり考えて私は、長い間いろいろと研究と体験を積んできた。というと、いかにも私が怠け者であるかのように聞こえるかもしれないが、そうではない。神仏を動かして経営を進めていくことは、私のテーマでもあるのだ。そのために研究と体験を積んできたわけである。

その研究の成果をこれから紹介したいと思う。

さて、どうしたらいついかなる時でもあの世からの恵み、いい換えれば神仏の恵みをいただくことができるのかというと、前にも述べたように、人の世界での努力、根性、意力、これがまず必要となる。

一口に人の世界の努力というが、それこそが神仏を動かす前提条件なのである。「喜んで援助してやろう」「助けてやろう」と守護神、守護霊をはじめいろいろな神々たちに一〇〇パーセント間違いなく動いていただくには、何よりもまず人の精進努力が要るわけだ。

だから、先ほど「苦労せずしてあの世から恵みがパッと下りてきたら」と書いたが、そういうことは絶対にないのである。

正しい神仏の加護を受けようとしたら、何よりも自分自身の精進努力、これが前提条件となるのである。

実は、その精進努力のあり方の一部を一章、二章で語ったわけである。この前提条件を満たさない人は恵みがあっても長続きしない。

一回か二回はあっても決して長くは続かないのだ。

神仏にお願いすれば何でも聞いてくれるわけではない。やはり、人としての努力が要る。

人間としてのギリギリの努力と、その努力を超えた神なる働き。この自力と他力が、縦糸と横糸のごとくガッチリ組んでスパークしないと、恵みとか妙力とか奇跡というものは起こらない。

このスパークのレベルはどういうものかというと、たとえば、「九九パーセントの努力と一パーセントのひらめき」というエジソンの言葉がある。

これもある種の自力と他力のスパークをいっているのだが、これは並のレベルのスパーク。

それをさらに超えたレベルのスパークというのは、「一パーセントが人の努力で九九パーセントが他力」。これが本当の自力と他力のスパークである。

九九パーセントは絶大な他力による成果なのだけれど、その他力は人間の一パーセントがなければ動くことはない。

さらに、この九九パーセントの他力を動かす一パーセントの人の努力の量は、普通の人の三倍の努力量が要る。

それくらいの努力をしたという前提で神仏に祈れば、考えられないような恵み、奇跡を体験できるのだが、そういう精進努力、覚悟というものがなければ、これからお話しする内容はあまりにもおいしすぎる。

うれしすぎる。そして、おいしくてうれしいことは長続きしない。

うれしいこと、おいしいことを長続きさせるには、大変なことを辞さないで、逃げないでやっていこうという姿勢が要るのだ。この姿勢がなければ、何をやっても結局は成功しないのは天地の理である。

多神教的な考えかた

この、人としての努力という前提条件がわかったら、次は、どの神様、どの仏様にお願いするか、これがポイントになる。

このようなことをいうと、「えっ、神様や仏様って、そんなにたくさんいるの?」と、驚いたり怪訝な顔をする人もいる。

特に、キリスト教に代表される一神教の影響を受けている人は、多神教の世界にはなかなかなじめないらしい。

さらに私が、「神は唯一でもあるし、無数でもある」などと言うと、ますます混乱されるかもしれない。

だがこれは、絶対神と顕現神の化身の様を知っていただければすぐにご理解いただけることと思う。前著「奇跡の開運」の中で、私はこう書いた。

「一口に神様といっても絶対神と顕現神がある。絶対神とは宇宙創造の主神のことであり、無限絶対無始無終、色なく形なく全知全能である唯一神のことだ。

これは人智をまったく超えている。有限なる人間の知覚には、到底理解することも到達することもできない絶対的な存在次元にある神様のことだ。

顕現神とはそのわずか一部を司る神であり、個別の働きや個性を有して、人間に知覚できる姿や形をもって表される神様のことだ。

またこれは、無限極から有限極に仮の姿で現れた時の、主神の化身であるともいえるだろう。

そして、私たちが通常、神社で祈願しているのは顕現神のほうだ。以前、神界はいくつもあり神様はたくさんいらっしゃると書いたが、それは、すべて顕現神のことを指していると思っていただきたい」

これでだいたいおわかりになるだろう。

これから私がお話しするのは、顕現神の活用の仕方である。この顕現神にはそれぞれ専門分野がある。

人に専門分野、専門業種があるように、神様の世界にも専門分野があるのだ。だから、何か困ったことがあったら、その専門の神様にお願いすると、大いに働いてもらえるのである。

そのことをしっかりと理解した上で読み進んでいただきたい。ということで、いよいよ一番おいしい話をしていきたいと思う。

士気を高める時には…?

企業経営はすなわち戦いである、といって異を唱える人はいないだろう。現代はまさに経済戦争の時代であり、企業の経営者は戦国武将に相当する。

少しでも枕を高くしていたら、すぐに敵に攻め滅ぼされてしまう。それくらいの厳しい戦の最中に置かれているのがほかならぬ経営者なのだ。

もちろん、経営者一人では戦に勝つのは不可能だ。従業員全員が一丸となって企業戦争を戦い抜かなければとうてい勝ち目はない。

そのために、いかに従業員の士気を高め、これを維持するか、これが非常に重要になってくる。

こんな時、青龍神にお願いすると勇気百倍。智略とやる気と根性が、それこそふつふつと湧いてくるのである。従業員もなぜかわからないけれど、「やるぞ!!」と燃えてくる。

この積極性、勇猛さが企業には必要にして不可欠である。くどいようだが、会社を構えたかぎり、内的戦い、外的戦いがあるのだ。それに常に勝っていかなければならない。

そういう戦いに生きる人には青龍神が守護する。楠木正成、上杉謙信には毘沙門天の守護があったが、その毘沙門天とは実は青龍神の化身なのである。

だから、どうもやる気が起きない、社内が燃えていない、戦略戦術がイマイチはっきりしないというような時には、毘沙門天に祈願したらいいだろう。

改めていうまでもなく、企業経営には戦略と戦術が必要である。戦略が六割から七割、戦術が三割から四割。これは経営の常識だが、売れる商品をつくれば、売り方が少々まずくてもいい商品なのでいくらでもお客がやってくる。その売れる商品をいかにつくっていくのか、というのが戦略。

これとは逆に、まあまあの商品でも売り方がよければ売れる。そのいかに売っていくのか、というのが戦術だ。

戦略と戦術、この二つの要素が企業には求められているのだが、これを与えるのが青龍神なのである。もちろん、戦術にも秀でているが、どちらかというと戦略の智略を与えてくれる。

企業が進むべき方向性を現実に則した形で示してくれるのである。

確たる戦略がない時、あるいは確たる戦略を持たない経営者は、青龍神に祈願して大いなる加護を受けたらいいだろう。

売上を伸ばすには蔵王権現

次は、売上を伸ばす時の他力の活用の仕方。売上が伸びない、売上が落ち込んでいる、というような場合には蔵王権現に祈願する。これがポイントである。

蔵王権現は売上を伸ばし、現実的な智恵を付与して、説得力を与える働きを持っているのだ。

一章で話したように、私はそば屋さんに行っても、ただ食べて「ああ、おいしかった」と帰ってくるようなことはしない。

東北のそばと九州のそばの違い、つなぎを使っているそばと使っていないそばの違い。

出し汁にしても、こんぶ出し汁とかつお出し汁の違い。そういうような話をそば屋さんから熱心に勉強するのである。そうすることによって、「ああ、売上を伸ばすには、こういうようなことをやればいいんだな」とひらめきを得るわけだ。

いわば、そういう智恵を蔵王権現は与えてくれ、その結果、売上を伸ばすことができるのである。

たとえば、証券会社の営業マンだったら、お客をいかに説得するかが勝負である。蔵王権現にお願いすると即座に現実的な智恵を与えて下さる。

あるいはまた、返品交渉や値段交渉で「そこを何とか、お願いしますよ」という時、相手をグイグイ押していく力の源泉となって下さるのも、蔵王権現の力なのである。

私の場合は、そば屋や美容院に行っても、いくらでも智恵が湧いてくる。何か聞いて答えが来る。パッとまた聞いて、答えが来る。

そんなキャッチボールをしながら、智恵がますます増幅して出てくるのは、蔵王権現のご守護をいただいているからにほかならない。私はもともと、粘り強いほうだが、蔵王権現にお願いした時には、より一層粘りが出てくる。

そのように蔵王権現は、売上を伸ばして会社を上昇、拡大していく時に必要な智恵を人の口を通して与えてくれるのである。

だから、美容院や飲食店などに行った場合、ポケーッとしていてはいけない。何だかわからないけどおいしかった、何だかわからないけどよかったというのでは、経営者失格である。

どんなところに行く場合でも、何か一つは絶対に学習する。その気概を持ち、かつ蔵王権現に祈願して出かけていかなければならない。そうすれば、必ず何らかの智恵が与えられる。

最小限度の学習で最大の叡智を得る。その叡智を与えて下さるのが蔵王権現なのである。

特に、銀行に融資を頼みに行く場合は、蔵王権現に祈願してから行ったら効果テキメン。断られても仕方のないようなケースでも、成功する確率がグッと高くなること請け合いである。

普通、銀行に融資を依頼する時には、融資係か調査の担当者に帳簿、事業計画書を見せなければならない。

この場合、なきものをあたかもあるが如くいかに書くのか、また、あるものを一層素晴らしく見せるのかに勝負がかかっているのだが、蔵王権現にお
願いすると、その説得力が不思議なくらい増すのである。

資金回収、売掛金回収は三宝荒神

三番目は資金回収だ。売掛金の回収が停滞しているとか、月末になかなかお金が集まらないといったことで多くの経営者が苦労しているが、売掛金が回収できなくて「ちょっと危ないぞ」という時、あるいはよからぬところで手形を割っているというような情報が入った時には、なるべく早く回収したい。

最悪、回収できなかった場合には被害をどれだけ食い止めるか。この判断が問題になる。

このように、資金回収の必要に迫られた時や、売掛金が多い時に働いて下さるのは三宝荒神である。

三宝荒神にお願いして相手方に出向いて行くと、おだやかに話そうとしても、自然と顔が厳しくなる。

そして、「いつお返しいただけますか」と、声も一段と低くなり、ドスが利いてくる。

売掛金の回収に行く時の顔が三宝荒神、相手を説得するために滔々と語る時の顔は蔵王権現。

自分の顔が変化するくらいに一体化する必要がある。そこまで祈りを極めて行けば、道は自ずから開けていくはずである。

資金回収と並んで重要なのが経費の削減。無駄な経費があったら、できるかぎり省くよう努めなければならない。

封筒やコピー用紙を無駄に使ってはいないか、鉛筆は短くなるまで使っているか。まあ、そんな経費はたいしたことはないが、そういう細かいところまで気を配る。そうしないと、知らず知らずのうちに出費が多くなる。

そこで、多くの企業では「経費削減!」とスローガンに掲げたりするわけだが、それで削減されたためしがない。

そんな時にこそ、三宝荒神にお願いするのである。三宝荒神によくお願いして発願すると、経営者自らがビシッとしてきて、経費がどんどん削減されていく。無駄な経費がどんどん落ちていくのである。

さらに、デッドストックの処理にも三宝荒神様が力を発揮される。

デッドストックを、単なる在庫あるいは「モノが眠っているな」ぐらいにしか見ないような経営者は、まさかいないであろう。デッドストックとは、要するにキャッシュが眠っているのと同じだ。在庫に対しても税金はかかるのだから、キャッシュと同じなのである。

たとえば、八〇〇万円のデッドストックがあったら、昔は六五パーセントの五二〇万円が税金でもっていかれた。これは大きい。だから当然、決算前になったらデッドストックは処分する必要がある。

しかし、前にも記したように、処分するのは最悪のケースのみに限る。必要な回転在庫は残しておかなければならないから、デッドストックがあっても、これを売っていくという前向きの努力を生ずるべきであろう。

一番いいのは売ることだが、その場合、原価を割ってでも売るか、バーゲンをやるかなど、最終的にどう処分するのかに焦点を当てて智恵を絞るべきだ。

そのデッドストックを処理する智恵、これを司るのが三宝荒神である。もちろん、自分でもいろいろ方法を考えなければならないが、「三宝荒神様!」と一心に祈り、

「デッドストックがこれだけあります。決算がもう三ヶ月、四ヶ月先に迫っております。

願わくば、よりよき処理方法を何らかの形でお示しください」

どうしたらデッドストックを売りさばけるのか。売りさばくことができなければ、何かの方で処理するしかないが、その処理方法を三宝荒神にお願いするのである。祈る

だけ祈ったら、あとはあまり執着しすぎぬように祈ったことを忘れておく。そして神頼みよりもある意味で重要な、現実的な努力に全力をそそぐ。

そして二、三日後に会議を開くと、「こういうふうにしましょう」「ああいうふうにしましょう」と、自然に従業員が発案してくるようになる。要するに、デッドストックをなくそうという霊界ができるわけだ。

必要在庫だけ残して、あとをどう処分するか。それはみんな三宝荒神の智恵なのである。三宝荒神にお願いすると、デッドストックをなくそうという霊界ができて、従業員もわけもわからず「デッドストックをなくさねばいかん」と意識するようになり、「こうしたらいいんじゃないですか」と発案してくる。

その従業員の顔を見たら、三宝荒神のような顔をしているはずだ。

一般的に、資金を回収するとかデッドストックを処理する時には、意志の力が要る。

もともと意志の強い人にとってはそれほど辛い作業ではないが、気持ちがやさしい人、善人と呼ばれる人にとってはかなり辛いことに違いない。「こんなことをいったら、相手を苦しませることになるんじゃないだろうか、相手に悪いんじゃないだろうか」。

ついつい情にほだされて厳しいことがいえなくなってしまう人も多いはずだ。

ところが、そういう人でも三宝荒神にお願いすると、人間の中身が変わってしまう。「やるぞ!」という意識とパワーに満ち溢れてくるのだ。

人間の意志なんて、案外弱いものである。いくら意識しても、なかなか強い意志は保てないのが現実だ。

しかし、三宝荒神にお願いすると、何かわからないけれど「やるぞ!」という意志の力がふつふつと湧き出てくるのである。

集客力を高めるのは三面大黒天

四番目は、いかにお客に来てもらうか。つまり集客力の問題である。

どうしたらお客が来るのか。どういう営業努力をしたらお客が集まるのか。これは、客商売をしている人には切実な問題である。現に、客が集まらないで困っている経営者は少なくない。

では、どうしたら集客力が高まるのかというと、これは三面大黒天にお願いするのが一番である。三面大黒天にお願いすると、不思議なくらいにお客が集まってくるのである。

私が教育産業に乗り出して、最初に生徒を募集した時、何だかわからないけれど知らないうちに入学していたという生徒がたくさんいた。

「君、どうして入学したの?」

「ほかのところに行くつもりだったんだけど、駅に着いたら看板が目について、気がついたら入学していたんです」

「入学する気がなかったのに、なぜ入学したの?」

「自分でもよくわかりません」

その子にわからなくても、私にはわかる。必死の思いで「三面大黒天、縁ある人はもちろんのこと縁なき人まで導きたまえ」と祈ったのだから。

「生徒から生徒への紹介、先生から先生への紹介、先輩から後輩への紹介。それからチラシ、新聞広告を見た人。さらにはふらっと駅に来た人。縁ある人、ない人、すべて導きたまえ」と、具体的に祈ったわけである。

そうしたら、本当に駅にふらっと来た人がふらっとやってきて、気がついたら入学していたという子が驚くほどたくさんいたのである。三面大黒天の偉大なる力が顕現したのである。

だから、特に人の紹介や人との縁というものが、盛衰に深く影響する、美容院、エステティック、不動産(特に今は不動産関係の仕事は大変だが)などの業種では、三面大黒天への祈りを極めることが開運につながる早道だろう。

例えば、お客が来なくて困っている、問い合わせがなくて不安だ、というような時にはまずチラシを打つ。しかし、ただ打つのではない。

チラシを打つ前日ぐらいから三面大黒天に祈りに祈って祈りまくる。

もちろんチラシを打った日も朝からずーっと祈る。そうして、問い合わせの件数を見れば、お祈りした時とお祈りしなかった時の違いが明々白々となるはずである。

二割、三割増は当たり前。五割、六割増なんてことも珍しくない。その違いは、実験したらすぐにわかるはずだ。

美容院にしろ不動産、飲食店にしろ、客商売は何でも三面大黒天。実にありがたい存在だ。

まあ、病院とか歯医者ではチラシを打つなんてわけにはいかないが、それでも祈れば三面大黒天は働いてくれる。

お客さんの紹介、人から人への縁でやっていく仕事。美容院、病院、不動産、飲食店。三面大黒天はその専門の神様である。

だから、客商売の人は是非とも三面大黒天を活用するようお勧めする。

ただし、言うまでもないことだが、これらは人としての最大限の努力の上に、神が加勢してくれるものであることを忘れてはならない。

その努力をしないで、神様から与えられるのを待っていたのでは、成功はまず不可能。

しかし、人の三倍の努力をした結果、神仏が「そこまでやったのなら守ってやろう」ということになったら、一〇〇倍、一〇〇〇倍の実績となって表われる。そういう神々の働きの中で、人と人との縁を取り持つのが三面大黒天なのである。

権現を活用する時のポイント・必ず言葉に出してお願いせよ!

ところで、ここまでに上げた四柱の神様には共通点がある。それは何かというと、すべて権現の位の神であるということ。青龍神にしても蔵王権現にしても三宝荒神、ある三面大黒天にしてもみんな権現の位の神様なのである。

その権現の位の神様に働いてもらうには、忘れてならない重要なポイントがある。それは、お願いする時には必ず言葉に出して具体的にいう、ということ。権現の位の神様は、具体的に言葉に出してお願いすれば働いて下さるが、言葉に出していわない時には働いて下さらないのだ。

だから、毎回毎回、こまめに言葉に出してお願いする。これを忘れないようにしたい。

具体的に言葉で言わなければ働いてくれないという点では、従業員も同じである。マネージャーや部長クラスの人間なら咀嚼力があるから、具体的に細かく言わなくても、こちらが方針さえ示せば、その意を汲んで自主的に動いてくれる。

ところが、末端の従業員はこと細かく言わなければ動かない。命令すれば動くが、命令しなければ動かず、ポケーッとしている。もちろん、末端の従業員でも気の利くタイプもいるにはいるが、大半は言わなければ動かない。

そのように、権現の位の神様は、こちらが具体的に言わなければ動かれないのである。自主的に判断して動くということはない。

とはいっても、末端従業員レベルというわけでは決してない。ものすごい働きをされる神様なのだが、それは、こちらが具体的に言葉に出していった時だけなのだ。

お姿を想えば、こちらを向いて光っては下さるが、何もして下さらない。

言葉に出して言うと、「わかった。やってやろう」とはじめて動かれるのである。だから、これらの神様にお願いする時には、できるだけ具体的に言わなければいけない。

ただし、毎日毎日、くどくどといっているとこちらも疲れる。そこで、毎日ごあいさつするつもりである程度のお祈りはしておいて、ここ一番の時、たとえばチラシを打った時とか月末とか、あるいは銀行や取引先と交渉する時に、目一杯祈るようにしたらいいだろう。

そうすれば、違いがありありとわかるはず。現実に近い神様だから、極端なくらいによく働いて下さるのである。

転職、転業は伊勢神宮

ここからは大きな働きをする神様、位の高い神様の話になるが、権現の位の神様と違って、位の高い神様は方向性さえ言えばそれで働いて下さる。

一日一回、あるいは月に一回、恭しく祈願すれば働いて下さる。それが、大きな働きをする神様、位の高い神様と権現の位の神様の大きな違いである。

その大きな働きをする神様、位の高い神様は数多くいらっしゃるが、中心となるのは何といっても伊勢の神様である。

太陽神・天照大御神を御祭神に戴き、日本人の心の故郷としてあまねく信仰を集めている伊勢神宮。この伊勢の神様の働きは、諸事万端にわたっていてとても一言ではいい表せないが、事業に関していえば業種の転換、つまり異業種への転換、転出を図る時に大きく働いて下さる神様である。

会社だったら業種転換、個人なら転職、いずれにしても、大きく方向転換を図る時に働いてくださる神様なのである。

たとえば、これまで不動産業を営んできたが出版業に転換したいとか、飲食業をやってきたが食品販売に転換したいとか、異業種へ転換しようという場合に伊勢の神様にお願いすると、正しい導きが得られる。天から見て、転業や転職が時宜を得ていなければ、それなりの兆しがあるし、「よろしい!」ということであれば、道が自然に整う。

こうした大きな方向転換をする時に働かれる神様が伊勢の神である。

動かれないのでだから、年に一度は伊勢神宮に参詣して、「何卒、会社のことをお願いいたします」と祈ると良い。

すると、自分にふさわしくない業種であったり、あるいはどこか中途半端で、このままでは危ないぞという場合には、自分の得意な、またはやっていけそうな業種に変わるとか、その仕事は持ったまま二足のわらじをはくとか、大きく環境が変化することが多い。業種を転換する必要と希望がある人が伊勢神宮に参詣すると、環境を調えてくださるのだ。

ただし、調うまでには一年から二年はかかる。どんなに早くても半年はかかる。大きな働きをする神様は、大転換を成し遂げて下さるだけにそのぶん時間もかかるのである。

私が所長を務める菱研では、毎年三~四回、経営に特効のある神社仏閣に会員の皆さんと共に団体参拝を行なっている。

無論、「ここは間違いない!」という素晴らしい神力のご神霊が坐す神社ばかりである。

先ほど挙げた三宝荒神や毘沙門天他、何の弊害もなく、しかも確実に功徳のある、頼れる神仏ばかりを巡るのだ。伊勢神宮にも、その一環として毎年参拝しているが、今から五年くらい前だったろうか、こんなことがあった。

菱研の会員の一人にMさんという人がいる。そのMさん、当時は健康食品を扱っていたのだが、私が祈っていると、Mさんの将来に対する伊勢の大神様の託宣があった。「三年後、伊勢の神徳により、この者の道は大きく変わり、大発展を遂げているであろう。

そこで、のちほどMさんを呼んで、「Mさん、あなたは三年後、今とはまったく違うことをして大成功していますよ」と告げたが、当のMさん、その意味がよくわからなかったらしく、「エッ、そうですか。どういうことなんでしょうね」と、怪訝な顔をするばかり。

ところがどうだろう。それから三年後、伊勢の大神様のご託宣どおり、Mさんは業種転換をして大きな成功を遂げたのである。

前述の通り、Mさんは当時、健康食品を扱っていたのだが、その後、家の事情で税理事務所を開設された。Mさんは大学時代に税理士の資格を取得していたのだ。

それで税理事務所を開設されたわけだが、その税理事務所も普通の税理事務所ではない。相続税を専門にする税理事務所である。

これがズバリ的中。今では大阪と東京の二カ所に拠点を設けるまでになり、大阪には自社ビルを持つまでの成功を収めている。

Mさんは今でも、毎年欠かさず伊勢参拝を続けていらっしゃる。そして、

「いやあ、これも伊勢の大神様のおかげです。あの時はどういう意味なのかさっぱりわかりませんでしたが、お伊勢さんがずっと道を調えてくださったんですね」とおっしゃる。

敬神の情篤きMさんの上に、伊勢の大神力が発動され、ご託宣がまさに一〇〇パーセント的中したわけである。

もちろん、Mさんも大変な努力と研究をされた。税理事務所を開設するために一年、二年、懸命に努力されて、同じ税理事務所でも相続税専門にしようと研究に研究を重ねられた。

相続税専門の税理事務所というのはなかなかないらしい。それだけの研究と努力。まさに、一章に記した徹底した研究と努力を積み重ねたからこそ、ほかにはない特色を打ち出すことに成功したわけだ。

その研究、努力と、伊勢の大神様の導きが見事にスパークしたのだ。自力と他力が十字に組んだ。それによって成功した典型的な事例といえるだろう。

売上向上と売上確保は産土の神

次に、売上向上と売上確保の神様はどなたであろうか。

売上が伸びない、売上が落ちている、というようでは会社は危ない。そのまま推移していけば、近い将来、必ず倒産の危機を迎えることになる。

こういう時には、何よりもまず産土神社に参詣して祈願することが大事だ。産土の神様は、売上向上と売上確保に絶大なるパワーを発揮されるのである。(ところで、産土の神様と言っても、若い方々の中には何のことか分からない方も多いようだ。

簡単に言えば産土神とは、自分の生まれた土地、住んでいる土地の神社の神様のことである。詳しくは拙著「奇跡の開運」をご参照されたい)

しかし、一口に産土の神といってもいろいろある。神主もおらず、いかにも廃れてしまったような産土神社では祈願したところで、ほとんど役に立たない。これまでの著書の中で繰り返し述べてきたが、神主もおらず玉砂利や森のない、荒廃した神社には御神霊はまずいない。

御神霊どころか邪気、邪霊が徘徊しているのが普通だ。本校かもし、そういう神社だったら、自分が住んでいるところの産土だからといって参詣する必要はない。

いや、しないほうがいいだろう。

そんな産土神社より、もっと大物でちゃんとした御神霊が確実にいらっしゃる神社に参る方がよい。

関東だったら箱根神社、関西だったら住吉大社などの、大神力を持った神社に参詣するようにしたい。

毎月一回お参りし、お参りしない日は、その神社を思い浮かべながら祝詞を上げていれば、売上向上と売上確保が実現する。とにかく、力のある、権威のある産土神社を選んでお参りすることが肝要である。

お参りした時としない時の違いは、権現ほど明白ではないが、毎月一回お参りして月次決算してみると、お参りした時には二割から三割、多い時には四割近く売上が向上することもある。最悪でも落ちることはない。

産土の神様の特徴は、お願いするとすぐに結果が現われることである。

これが伊勢神宮の場合は前述のように、その結果が出てくるまでに一年、二年かかる。

だから、目前の上半期、下半期が心配だという時には、伊勢神宮ほどのスケールの大きな神社に参詣するよりも、威力と権威のある産土神社に参詣したほうがいい。

どの神社に成功と権威を持つ御神霊がいらっしゃるかは、「奇跡の開運」をご参照されたい。

産土神様に祈れば、バシッと結果が出てくる。早い時にはその日のうち、遅くとも三日、四日、一週間で出てくる。

売上が伸びない、売上が落ち込んでいるということで悩んでいたら、産土の神様が一番である。必ずや大きく働いてくれるはずである。

売上の柱をつくるのは諏訪大社

三番目は、売上の柱をつくることである。

これは、特に中小企業にとって重要な要素である。確たる売上の柱がない、確たる固定客がない、というようではちょっとしたことですぐに経営基盤が揺らぎ、倒産の憂き目を見ないともかぎらない。

それだけに、経営者にとっては売上の柱をつくっていくことは重要なテーマである。これは実は、諏訪の神様にお願いすれば、大きく働いていただけるのだ。

清らかで麗しい諏訪湖のほとりに鎮座まします諏訪大社。大自然の中に壮大なる大神霊界を形成している諏訪大社。あの諏訪大社は一口では説明できないほどの多種多様な働きをされるが、会社経営ということに絞っていえば、売上の柱をつくる働き。これに秀でている神様である。

経営者なら誰でも二八の法則を知っているだろう。売上の八〇パーセントは二〇パーセントの顧客によってまかなわれている、売上の八割は上得意のお客によってまかなわれている、というのが二八の法則である。

その八〇パーセントの売上をもたらす二〇パーセントの顧客、つまり上得意がないという場合、あるいは売上の柱となる二〇パーセントの商品がないという場合、諏訪大社にお参りして祈願すると、中心となる売れ筋商品や中心となる顧客をつくって下さる。

売上の柱がないというのは、企業にとっていわば「スワッ、一大事」である。その「スワッ、一大事」から救ってくださるのが、諏訪大社なのだ。

私は、さまざまな講演会、セミナーなどの機会をとらえて、「諏訪の神様は無から有を生じる神様である」といってきたが、無から有を生じるといっても、いろいろな意味があるのだ。

売上の維持は鹿島神宮

次は、売上の柱はすでにあり、その柱を守り売上をいかに維持していくのかという問題。これも、経営者にとっては結構頭の痛いテーマである。

「創業守成」という言葉がある。「唐書』に見られる有名な言葉で、「創業は易く、守成は難し」ともいう。徳川家康が好んだ言葉だ。

その意味は何かというと、これは読んで字の如く、「新しい事業を始めたり天下を取ることよりも、それを盛り立てて維持していくほうが難しい」ということ。

英雄は無から有を生み出して国を治め、天下を統一していくわけだが、統一したあと、その天下をいかに平穏無事に維持していくのか。平穏無事に維持していくほうがはるかに難しいというのが、「唐書」の「創業守成」という言葉である。

その「唐書」を徳川家康が愛読していたわけだが、本当に守っていくということは難しい。

ボクシングでも、チャンピオンになるよりも防衛戦のほうが難しいといわれている。挑戦する時は燃えているが、燃えて挑んでくる相手から守り通すとなると、本当に難しい。

一人を退けたと思ったら、すぐにまた別の挑戦者、これをまた退けたと思ったらま次と、その精神的緊張は計り知れないものがある。

だいたい七回か八回が限度で、あのマイク・タイソンのような強者でも、おのれ自身の葛藤を克服できずに負けてしまった。

だから、のしていく時より守るほうが圧倒的に難しいのだが、その時に守護して下さるのが実は鹿島の神様なのである。

しかし、守るといっても守るものが何もないのでは、これまた困る。この場合には、前述のように、諏訪の神様に売上の柱をつくっていただく方が先決である。

そのことについては「奇跡の開運」で詳しく述べているので、その一部を少々長目に引用してみたい。

「政界、財界、労働界、あるいは小なりといえども組織を束ねる者は、何をさしおいても鹿島詣でをすべきで、気力、体力、実力、権力、執務実行力を十二分に授かることだろう。

私は関東在住の方々に、何かの時には箱根神社への参詣を勧めてきた。それは、箱根神社の御祭神と御眷属の霊力の絶対量がとてつもなく大きなもので、それが関東においては、随一の大祈願成就力となっているからである。

ところが、神社の御祭神そのものの霊力、神力、成就力に関しては、この鹿島神宮の神様が一番なのである。

格が違う、段が違う、次元が違うといったほうがいいかもしれない。無論、神様であるから、どんな願いでもオールマイティにかなえてくださるが、特に、霊威や権力、気力、執務実行力のご守護の冴えに関しては、箱根大神の四倍ぐらいの強さがある。

つまり、剣の守護の分野に関しては圧倒的に日本一であり、天下無双の強力度なのである。

それは、天孫降臨の砌、神武天皇建国の砌、いずれも絶大なる神力を発揮され、それなくしては皇業の一切が成立しなかったほどの、偉大な神功を建てられた歴史を見ればわかる。

ところで、今度は鹿島の功徳のいただき方についてもっと具体的に説明しよう。たとえば、関東で初めて衆議院や県会議員に立候補する時には諏訪大社、当選し二回目以降の名誉と権力の保持のための選挙には、まず第一に鹿島神宮。むろん、後者の場合でも、一回目にお世話になった神社には、お礼参りは欠かしてはならない。

会社でいえば、創業と、売上の柱ができて会社としての基盤ができるまでが諏訪大社、ある程度出来上がってからが鹿島神宮である。

むろん、後者の場合でも、諏訪に対するお礼と追加祈願はもちろん、鹿島神宮に早いうちからお参りしても結構。

要は、今自分が置かれている状況に合わせて、参拝する神社や回数を調節し、カ点を置き換えたらよいのである。

それが、神社の神霊のお働きを真に理解し、正し功徳を授かることにつながるのである。神様は、功徳を出し惜しみされるということはない。

ただ、人が御神霊の役割やお働きを真に理解し、正神界の法則にかなう誠で接さないだけである。

いかなる人にも功徳をたくさん授けたいと、神々は日夜御心をくだいておられるのだが、神霊界の定めごとがあるので、それにかなうようにこちらが向かった分だけしか、御神徳を世に発揮することができないのである。

悪い言葉でいえば、神社の神様を自分のために活用していることになるのだが、それは行動が伴った真心から発せられる願いであり、本当にその人のためになり、また周囲の人々のためにもなるものならば、神々は、大喜びで活用されることを歓迎されるのである。それが親心というものであり、神社の神様の御心とは、すべてがそういうありがたいものなのである」。

少し長くなったが、これで鹿島の神様の働きがだいたいおわかりいただけたことと思う。

体験の中からしか極意は生まれない

だいたい以上が、経営を押し進めていく上での神々様の活用法、神々様を動かす法である。

ここに書いたように、それぞれの神様には役割と専門分野がある。それに合わせて祈願していけば、絶大なる功徳がいただけるのは間違いない。そう断言できるのも、私自身が何度も何度も体験してきたからである。

私は、文献を漁ったり頭で考えてこんな本を書いているのではない。

すべて、私自身の体験に基づいて書いているのである。自分自身、体験することもなく、「あそこの神様はこういう働きがありますよ」「この仏様はこういう功徳がありますよ」などと言ったら、それは虚偽になる。

経営でもゴルフでも音楽でも、何かを習得しようとする時は体験するしかない。何度も何度も失敗し、それでもくじけずチャレンジしていく中で極意を体得する。

これが、物事を習得していく場合の方程式、絶対の方程式である。頭で考えるだけでは何もわからない。何も習得できない。

「習うより慣れろ」という言葉があるが、まさにそのとおり。体験し、体験し、体験していく中でしか極意は体得できないのである。

私はこれまで体験主義を貫いてきた。経営でも芸術でも、何でも体験主義である。

体験の裏付けのない人の話にはあまり耳を傾けなかった。それくらい、体験というものを重視してきたのである。

この章でお話しした神々様の活用法にしてもそうである。

しかし、その道は平坦ではない。平坦どころか、山あり谷ありのそれはそれは険しい道である。その険しい中をくじけることなく、「これでもか!これでもか!」とチャレンジし続けることによって、ある日、「極意がわかった!」と快哉を叫ぶ。

頭に入ったものはすぐに消えていく。魂で学んだものは残っていく。その魂の学習は体験しかない。

何度も何度も体験し、痛い思いを味わってきたからノウハウが残るのである。

このことについて語るだけでも相当の紙数になるのでこのくらいにしておくが、とにかく、この章で書いたことはすべて私の体験に基づくものである。

是非とも実行していただきたい。必ずや、その結果に驚かれるはずである。

なお、ここに上げた神仏の祀り方、および祈りの仕方については「強運」や「大金運」「奇跡の開運」に詳しく書いてあるので、それらを参照していただきたい。

経営者諸氏が、この本をあますところなく活用され、ワンランクもツーランクも上の大成功をおさめて下されば、望外の喜びである。なお、私や菱研に興味を持たれた方は、ぜひ私どもの「タメカンセミナー」にご参加いただきたいと思う。

「タメカンセミナー」とは、「タメになり、感動するセミナー」のこと。

さらにつっこんだ内容の「絶対に成功する経営」の極意をご紹介いたしましょう。それではまたどこかのセミナー会場で、皆様とお会いできる日を楽しみに。